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おニャン子クラブとは?

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おニャン子クラブ

【出身地】
日本
【ジャンル】
J-POP
【活動期間】
1985年 - 1987年
2002年
【レーベル】
キャニオン・レコード
→ポニーキャニオン

【共同作業者】
秋元康
後藤次利
【】

【メンバー】
メンバーを参照
【】

【旧メンバー】
元メンバーを参照

おニャン子クラブ(おニャンこクラブ)は、1985年フジテレビテレビ番組夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループ

目次

  • 1 概要
  • 2 歴史
    • 2.1 結成へのいきさつ
    • 2.2 1985年
    • 2.3 1986年
    • 2.4 1987年
    • 2.5 解散後
  • 3 メンバー一覧とその後の近況
  • 4 プロデュース戦略
  • 5 作品
    • 5.1 シングル
    • 5.2 アルバム
      • 5.2.1 オリジナル・アルバム
      • 5.2.2 ベスト・アルバム
      • 5.2.3 ライブ・アルバム
    • 5.3 映像作品
      • 5.3.1 BOXセット
    • 5.4 タイアップ曲
  • 6 映画
  • 7 関連ユニット
  • 8 コンサート
  • 9 再結成
  • 10 その他
    • 10.1 他局の歌番組との関係
    • 10.2 解散コンサート
    • 10.3 パチンコ
  • 11 脚注
  • 12 関連項目

概要

1985年4月1日、フジテレビのバラエティ番組『夕やけニャンニャン』開始とともに番組内のアシスタントとして同時に芸能界デビューし、3ヶ月後の1985年7月5日に発表したデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がヒットしてブレイク。以降、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ名義、グループ内で作ったユニット名義などで、シングル、アルバム、ビデオソフト、写真集を絶え間なくリリースし続けてヒットさせ、1980年代中期のアイドルシーンを席捲していった。

しかし、1987年8月31日の『夕やけニャンニャン』の番組終了に伴い、翌9月に解散コンサートを行って、わずか2年半の期間でその活動が閉じられた。

2年半の間にメンバーの加入と脱退が頻繁に行われていたので、メンバーの顔ぶれは常に流動的であった。結成時は11人で、解散時は19人が在籍していた。

おニャン子クラブのメンバーには会員番号が与えられ、『夕やけニャンニャン』内であろうと他局の番組であろうとも、自己紹介の際には必ず名前の前に「おニャン子クラブ会員番号××番」を付けて名乗っていた。そのため、解散後も芸能界に残るなどした著名なメンバーは名前とともに会員番号もセットにして覚えられている。会員番号の振り分けは、結成時の11人はくじ引き順で、それ以後は加入順。脱退した者の番号については欠番とした。解散時、会員番号は52番まで行っていた。

おニャン子クラブのメンバーは生放送である『夕やけニャンニャン』の出演に際して、大半は高校生大学生などの学生であったことから各々の定期試験中は番組出演を控えて欠席した。また、番組側が斡旋した仕事(ドラマ撮影など)で欠席する場合もあった。そのため、『夕やけニャンニャン』を含めて、おニャン子クラブ名義での活動は必ずしもメンバー全員が揃っていたわけではなかった。

歴史

結成へのいきさつ

1983年から始まったフジテレビの深夜生放送番組『オールナイトフジ』は、放送開始後しばらくして「社会的現象」ともいえるほどにヒットし、そのヒットの一翼を担った、番組アシスタントの女性グループ、「オールナイターズ」もアイドル的な人気と活動展開で盛り上がっていた。彼女らは既存の芸能人ではない素人の女子大生たちを中心に構成されていて、それまでは崇高な存在であったアイドル像とは相反していたことで注目を浴びていた。

その成功から、フジテレビは同じスタッフによる『オールナイトフジ』と同様に生放送ではあるものの、平日の夕方の時間帯に中高生をメインターゲットに放送する情報バラエティ番組『夕やけニャンニャン』の開始と、「オールナイターズ」に相当する番組アシスタントの女性グループ、「おニャン子クラブ」の結成を企画する。

1985年

そして、1985年4月からの夕方ローカル放送枠で行うレギュラー番組に先駆けて、まずはパイロット番組として、1985年初頭に特番『オールナイトフジ女子高生スペシャル』(1985年2月23日、3月16日)を制作して放送。その特番に出演していた女子高生のなかから選抜した11人でおニャン子クラブを結成し、4月1日から『夕やけニャンニャン』放送開始とともに出演させた。

おニャン子クラブは当初からメンバーの増員を図ることとなった。『夕やけニャンニャン』番組開始時からメンバー選定のオーディション・コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」を設けて、それに合格した新メンバーが続々と加入していく。平日月曜から金曜まで夕方5時からの一時間番組だった『夕やけニャンニャン』の番組コンセプトに“放課後”を置いていたため、現役の女子高生が中心に集められた。また、「どこにでもいそう」、「ちょっと気になる可愛い同級生」と、オールナイターズのコンセプトが踏襲されて、芸能界に染まっていない素人感覚のメンバーを集めたのだが、当初から芸能界志向のある者や、その関連オーディションの常連者、すでに芸能事務所に所属していた者や『オールナイトフジ』の出演者も参加していた。

『夕やけニャンニャン』放送開始から3ヶ月後の7月5日にシングル「セーラー服を脱がさないで」でレコードデビュー。たちまちヒットしていき、当初から評判があった番組とおニャン子クラブの人気はここでブレイクした。それを期に『夕やけニャンニャン』は番組開始当初は7局ネットだったのが年内には全国ネット規模の23局ネットまで拡大していく。また、おニャン子クラブは、フジテレビの他の番組である『夜のヒットスタジオDELUXE』や『スターどっきり㊙報告』、他局の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)にも出演を果たし、さらにアイドル情報雑誌の『明星』や『平凡』などにも登場して全国的な知名度も上がっていくようになる。

1985年9月、「セーラー服を脱がさないで」のヒットで軌道に乗ったおニャン子クラブから、そのメンバーのひとりであった河合その子が「涙の茉莉花LOVE」でメンバー初のソロデビューを果たす。オリコン週間チャートで初登場5位、翌週には1位を獲得した。翌10月には、そのメンバーから高井麻巳子岩井由紀子(ゆうゆ)のふたりで結成された初のグループ内ユニット、うしろゆびさされ組がフジテレビにおける新番組のアニメ『ハイスクール!奇面組』主題歌「うしろゆびさされ組」でデビューして、こちらもまたヒットして『夕やけニャンニャン』発のおニャン子クラブ関連曲は成功を収め続けた。以降も、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ、グループ内ユニットのシングル曲を続々と繰り出していくことになる。

おニャン子クラブは、テレビ番組での歌唱にとどまらず、10月に初の有料コンサートを開催。また、フジテレビの関連会社が運営する公式ファンクラブの「こニャン子クラブ」も発足して、当初から十万人単位の会員数が集まるなどして、たんなる番組企画的な存在からフジテレビにおける収益事業のひとつに向けて変換されていく。

1986年

1月、「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカル4人のうちのひとりだった新田恵利が「冬のオペラグラス」でソロデビュー。オリコン初登場1位となり、30万枚以上の売り上げを記録する。同月、フジテレビ単発ドラマ枠の「月曜ドラマランド」において、おニャン子クラブのメンバー初主演ドラマとなった福永恵規主演『ボクの婚約者』放送。以後、同枠では月に一、二本のペースでおニャン子クラブのメンバーを主演に置いたものが放送されるようになっていく。

2月、おニャン子クラブ結成時からの人気メンバーであった国生さゆりが「バレンタイン・キッス」で満を持してデビュー。3月、「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカル4人のうちのひとりだった中島美春専門学校に進学するため、河合その子がソロ活動に専念するためにおニャン子クラブを脱退する。それを受けて、『夕やけニャンニャン』の番組内と同時期に開催されたおニャン子クラブのコンサートツアー最終公演でふたりの“卒業式”が執り行われ、華々しく送り出されていく。これが慣例となり、以後おニャン子クラブから脱退していく主要メンバーに対して、番組内とその同時期にあるコンサートツアー最終公演で“卒業式”が行われるようになっていく。

活動初期からの著名なメンバーが脱退していったものの、おニャン子クラブがブレイクした後に加入してきた渡辺美奈代が7月にレコードデビューし、渡辺満里奈も10月にレコードデビュー、他にも工藤静香生稲晃子ら、おニャン子クラブの中期から後期の人気を支え、その後も芸能界に残っていくメンバーが続々と加入してくるなど、おニャン子クラブの面子は日々充実していった。セールス面においても、1986年のオリコンシングル1位獲得46曲中、おニャン子クラブ関係が30曲獲り、52週中の36週でそれを記録するなどして席捲する(1986年のオリコン週間シングルチャートを参照)。

一方でこの時期、おニャン子クラブ関連が毎週2~3組もランキングしていたTBSの『ザ・ベストテン』に、フジテレビと『夕やけニャンニャン』側は「順位が低い」とランキングについて異議を唱える。このランキングの見解を巡ったことによる双方の溝は埋まらなかった。7月からフジテレビと『夕やけニャンニャン』側は、おニャン子クラブ、ソロ、グループ内ユニット、そしておニャン子クラブから脱退したOGも含めた全ての出演を『ザ・ベストテン』に対してボイコットしていく。これは翌1987年4月まで半年以上にわたって長引いていくことになってしまった。

9月の番組内およびコンサートツアー最終公演で、新田恵利、福永恵規ら、結成時からのメンバーが卒業しておニャン子クラブを脱退。それと前後して、集英社刊行の女性ファッション誌『Seventeen』主催のオーディション「ミス・セブンティーン」とコラボレーションした「ザ・スカウト アイドルを探せ!」によって選ばれた貝瀬典子ら新世代のメンバーが大量に入ってくる。番組開始当初は毎日出演、この頃は週一でレギュラー出演していたとんねるず石橋貴明は、新メンバーの顔と名前が一致しないと嘆くようになる。

『夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブは1986年前半から中盤に掛けては前年以上のブームを巻き起こしたのだが、後半である秋口あたりからブームの退潮が見られるようになっていく。まず、8月末に全国公開された主演映画『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』が興行的に失敗に終わる。そして、5月からゴールデンタイム帯で放送されていた『夕やけニャンニャン』の姉妹番組『夕食ニャンニャン』もわずか4ヶ月後の9月で終了し、本体の『夕やけニャンニャン』自体の視聴率もピークだった1986年初頭から下がり続けていった。

1987年

3月の番組内および4月の春のコンサートツアー最終公演で、「セーラー服を脱がさないで」フロントボーカル4人のうち最後のひとりであった内海和子、初期メンバーであった国生さゆり、高井麻巳子らが脱退。5月、生稲晃子、工藤静香、斉藤満喜子の3人で結成されたうしろ髪ひかれ隊がシングル「時の河を越えて」でデビューする。ヒットしたものの、これがグループ内ユニットの最後のものとなり、翌6月15日に『夕やけニャンニャン』内で番組の終了とおニャン子クラブの解散を告知する。同時に、おニャン子クラブの新規メンバーを選ぶ番組内オーディション・コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」も終了となる。

8月21日、ラストシングル『ウェディングドレス』を発売。同月31日、『夕やけニャンニャン』が番組終了。翌月9月20日代々木第一体育館におけるコンサートにて解散した。おニャン子クラブ活動中にレコードデビューしていた人を中心に芸能事務所に所属していたメンバーは解散以降も芸能界に残れたが、それ以外のメンバーのマネージメントはフジテレビ預かりであったため、活動続行不能となって同時に引退していった。

解散後

1990年代に幾度か、「あの人は今」のような番組の企画で芸能界に残ってた者、芸能界から引退していた者たちも含めた元メンバーを集め、ときには「セーラー服を脱がさないで」を歌唱させるなどもして“再結成”と謳われもしたが、あくまでもその場かぎりのものであった。

2002年、初期メンバーのうち賛同者のみの14名によって一時的に再結成し、シングル「ショーミキゲン」をリリースした。リリース後にはイベントやテレビ出演なども果たし、同年12月5日放送の『2002FNS歌謡祭』では、後期メンバーを含めて「ショーミキゲン」と「セーラー服を脱がさないで」を歌唱した。また2010年にはテレビCM上で11名のメンバーが再結成し、「セーラー服を脱がさないで」のサビを俳優・伊藤淳史とともに歌い踊り、アラフォーになったおニャン子クラブの姿を披露した。

メンバー一覧とその後の近況

詳細は各人の項を参照のこと。太字の14人は現在も芸能界で活躍している。

【会員番号】
【名前】
【よみ】
【加入時期】
【卒業時期】
【当時の所属事務所】
【備考】

1 | 奥田美香 | おくだ みか | 1985年4月1日 | 1985年4月25日(A) |  | その後、雑誌でヌードに。
2 | 榎田道子 | えのきだ みちこ |  | 後にテレビ東京『ASAYAN』のオーディションに登場。
3 | 吉野佳代子 | よしの かよこ |  | 
4 | 新田恵利 | にった えり | 1986年9月26日(2) | ボンド企画 | 1997年フジテレビ社員と結婚。一時期芸能活動を休止していたが現在は復帰。
5 | 中島美春 | なかじま みはる | 1986年3月31日(1) |  | 歯科衛生士を目指す為、卒業(脱退)と同時に芸能界を引退したが、おニャン子クラブの復活イベントなどには頻繁に顔を出し、その縁で1997年にとんねるずマネージャーであるボブ市川と結婚。
6 | 樹原亜紀 | きはら あき | 1987年3月30日(5) |  | ニャンギラスのメンバー。フリーライターとして活動し、オランダ人男性と結婚。オランダ在住。2児の母。
7 | 友田麻美子 | ともだ まみこ | 1985年4月25日(A) | 有限会社アイント | 2016年6月3日放送の爆報! THE フライデーでその後の様子が放送された。現在は芸能事務所に所属する傍らバッグデザイナーとしても活動中。
8 | 国生さゆり | こくしょう さゆり | 1987年3月30日(5) | エイプリル・ミュージック | 国生さゆり with おニャン子クラブとしても活動。おニャン子出身者の中で夜のヒットスタジオ8回出演。現在も芸能活動中。結婚→離婚→(元夫と)同棲→同棲解消。2012年2月14日、甲田英司と入籍2013年9月9日離婚
9 | 名越美香 | なごや みか | 1986年9月26日(2) |  | ニャンギラスのメンバー。香港人パイロットと結婚し、香港に在住。1児の母。
10 | 佐藤真由美 | さとう まゆみ | 1985年4月25日(A) |  | 
11 | 福永恵規 | ふくなが さとみ | 1986年9月26日(2) | ボンド企画 / バーニングプロダクション | 全部で4枚のソロシングルを出した。1988年に芸能界を引退し、1994年に結婚、その後離婚。現在は大手プロダクションの広報スタッフとして活躍。
12 | 河合その子 | かわい そのこ | 1985年4月5日 | 1986年3月31日(1) | 渡辺プロダクション | 1994年に作曲家の後藤次利と結婚し、一時芸能界を引退したが、2010年石川秀美(現・薬丸裕英夫人)、伊藤つかさ荻野目洋子とともに、資生堂アンチエイジング商品「IN&ON」のCMに出演。1児の母。
13 | 内海和子 | うつみ かずこ | 1987年3月30日(5) | ホリプロ | 1972年子役でデビュー。解散後、ヌード写真集を発表。1993年に結婚し、芸能界を引退。1児の母。
14 | 富川春美 | とみかわ はるみ | 解散時メンバー |  | 解散時メンバー中会員番号が最少(=在籍期間最長)で、「ザ・スカウトアイドルを探せ」オーディション出演を含めると初回から出演していた。一時シャンプーのCMに出るなど、タレント活動をしていたがその後引退。3児の母。
15 | 立見里歌 | たつみ りか | 1985年4月19日 | 1987年3月30日(5) |  | ニャンギラスのメンバー。引退後ポニーキャニオン入社→退社。1991年に結婚→離婚。現在はタレントの傍ら雑誌編集者として活動中。1児の母。
16 | 高井麻巳子 | たかい まみこ | 1985年4月26日 | 田辺エージェンシー | うしろゆびさされ組のメンバー。1988年におニャン子クラブの楽曲の作詞を手がけた作詞家の秋元康と結婚し芸能界を引退。1児の母。
17 | 城之内早苗 | じょうのうち さなえ | 1985年5月10日 | 解散時メンバー | プロダクション尾木 | 現在は演歌歌手として活動中。2004年にフジテレビ社員と結婚。
18 | 永田ルリ子 | ながた るりこ | 1985年5月17日 |  | 解散時メンバー中最年長で唯一の成人。解散宣言や最後の代表の挨拶を務めた。当時の映像のDVD化を拒否している。
19 | 岩井由紀子 | いわい ゆきこ | 1985年6月21日 | 渡辺プロダクション | うしろゆびさされ組のメンバー。一時期愛称の「ゆうゆ」名義で活動。1997年に青年実業家の相手と結婚し、芸能界を引退。3児の母。
20 | 寺本容子 | てらもと ようこ | 1985年7月19日 | 1985年9月(B) |  | 
21 | 五味岡たまき | ごみおか たまき | 1985年7月26日 | 1985年9月20日(D) |  | 1988年、「チープにならないで」でソロデビューの予定が中止になった。
22 | 白石麻子 | しらいし まこ | 解散時メンバー |  | ニャンギラスのメンバー。国生さゆり with おニャン子クラブボーカルの一人。卒業後はジャガー・ジャパンに勤務。4児の母。
23 | 林香織 | はやし かおり | 1985年8月2日 | 1986年3月27日 |  | 大阪駐在員。最終回には出演。
24 | 三田文代 | みた ふみよ | 1985年8月16日 |  | 広島駐在員。最終回には出演。元モモコクラブ(桃組出席番号611番)。現在はニューヨークにて演劇の勉強中。
25 | 吉沢秋絵 | よしざわ あきえ | 1985年8月30日 | 1986年9月26日(2) | 田辺エージェンシー | 合格後、すぐにソロデビュー。「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で役者デビュー。1991年に芸能界を引退し、1996年に結婚。現在は海外在住。1児の母。
26 | 赤坂芳恵 | あかさか よしえ | 1985年9月27日 | 1985年10月4日(C) |  | 元モモコクラブ(桃組出席番号2142番)。諸事情から在籍期間一週間。
27 | 松本亜紀 | まつもと あき | 1985年10月25日 | 1985年10月25日(C) |  | 元モモコクラブ(桃組出席番号1861番)。合格したのみで活動はなし。2児の母。
28 | 横田睦美 | よこた むつみ | 1985年11月29日(Y) | 解散時メンバー |  | 現在はヨーガを教えている。
29 | 渡辺美奈代 | わたなべ みなよ | バーニングプロダクション | 国生さゆり with おニャン子クラブのボーカルの一人。おニャン子出身者の中で夜のヒットスタジオ最多出演者(13回)。現在はママタレントとして芸能活動中。2児の母。
30 | 三上千晶 | みかみ ちあき | 1986年3月(D) |  | トライアングル・ブルーのオーディションも合格。二度目で合格を果たす。
31 | 矢島裕子 | やじま ゆうこ | 1986年2月(D) |  | 
32 | 山本スーザン久美子 | やまもと すーざん くみこ | 1985年12月13日 | 1986年9月26日(2) |  | おニャン子唯一のハーフ。卒業後JR東海に就職。
33 | 布川智子 | ふかわ ともこ | 1986年1月17日 | 解散時メンバー | トゥインクル・コーポレーション | 元シブがき隊布川敏和の実妹。解散とともに引退。その後大阪府の男性と結婚し、3児の母。2011年5月に夫の姓を名乗り「荻野智子」として活動再開。
34 | 弓岡真美 | ゆみおか まみ | 1986年1月10日 | 1986年12月25日(3) |  | 中学を卒業して1986年3月14日から活動。1児の母。
35 | 岡本貴子 | おかもと たかこ |  | 弓岡同様3月14日から活動。
36 | 渡辺満里奈 | わたなべ まりな | 1986年3月27日 | 解散時メンバー | エイプリル・ミュージック | 現在も芸能活動中。2005年、お笑いトリオ・ネプチューン名倉潤と結婚。2児の母。
37 | 大貫かおり | おおぬき かおり | 1986年5月9日 | 不明(C) |  | 元モモコクラブ(桃組出席番号1809番)。諸事情から合格後番組に1日だけ出演。タレント・モデルとして活動中。
38 | 工藤静香 | くどう しずか | 1986年5月23日 | 解散時メンバー | プロダクション尾木 | うしろ髪ひかれ隊のメンバー。元セブンティーンクラブであり、元モモコクラブ(桃組出席番号480番)。おニャン子出身者の中で夜のヒットスタジオで9回出演。現在も歌手として活動中。2000年、元SMAP木村拓哉と結婚。2児の母。
39 | 高畠真紀 | たかばたけ まき | 1986年5月30日 | 1986年12月25日(3) |  | 新・会員番号の唄に参加。東海大学卒業。
40 | 生稲晃子 | いくいな あきこ | 1986年6月13日 | 解散時メンバー | プロダクション尾木 | うしろ髪ひかれ隊のメンバー。解散後にソロデビュー。その後も芸能活動を継続、CBC昼ドラマドラマ30キッズ・ウォー』シリーズに長らく出演していたこともある。2003年結婚。1児の母。六本木で鉄板焼き屋も経営。
41 | 貝瀬典子 | かいせ のりこ | 1986年8月10日(M) |  | ミス・セブンティーングランプリ。当初うしろ髪ひかれ隊に入る予定だった。
42 | 斉藤満喜子 | さいとう まきこ | プロダクション尾木 | うしろ髪ひかれ隊のメンバー。ミス・セブンティーン準グランプリ。解散後にソロデビュー。
43 | 守屋寿恵 | もりや としえ | 1987年3月20日(4) |  | ミス・セブンティーン準グランプリ。ソロデビューの予定もあった。2児の母。
44 | 高田尚子 | たかだ なおこ |  | ミス・セブンティーン特別賞。3児の母。
45 | 吉田裕美子 | よしだ ゆみこ | 1986年9月19日 |  | 単独でCM出演し、ソロデビューの予定もあった。
46 | 中島早苗 | なかじま さなえ | 1986年9月25日 |  | 元モモコクラブ(桃組出席番号1319番)。子役出身で『宇宙刑事ギャバン』などの作品にも出演。
47 | 山森由里子 | やまもり ゆりこ | 1986年10月24日 | 解散時メンバー |  | 二度目で合格を果たす。
48 | 我妻佳代 | あがつま かよ | 1987年1月23日 |  | 元モモコクラブ(桃組出席番号368番)。解散後にソロデビュー。芹沢直美の実妹。結婚→離婚。1児の母。六本木の会員制クラブ役員。
B組1番
→49 | 吉見美津子 | よしみ みつこ | 1986年8月10日(M)
1987年4月(昇格) |  | ミス・セブンティーン特別賞。元モモコクラブ(桃組出席番号1956番)。解散時メンバー中最年少。解散後ヌードを披露。
B組2番
→50 | 杉浦美雪 | すぎうら みゆき |  | ミス・セブンティーン特別賞。解散後はタレント・レースクイーンとして活動、杉美雪と名乗っていたこともある。現在はモデルで、芸名は杉浦未幸
B組3番
→51 | 宮野久美子 | みやの くみこ |  | ミス・セブンティーン特別賞。解散後は故郷の名古屋でローカルタレントとして活動、「Kiss」というグループに在籍。現在も芸能活動中。
52 | 鈴木和佳子 | すずき わかこ | 1987年4月17日 |  | 最後の合格メンバー。
B組4番 | 冨永浩子 | とみなが ひろこ | 1986年8月10日(M) | 1987年3月20日(4) |  | ミス・セブンティーン特別賞。
B組5番 | 山崎真由美 | やまざき まゆみ | 1986年9月25日 |  | 解散後にソロデビュー。卒業後は、グラビアを中心に活躍。一時期、イエローキャブに所属。ヌードも披露。現在ハワイアンキルトの講師。
研修生 | ヨリンダ・ヤン | よりんだ やん | 1987年7月13日 | 1987年7月31日 |  | おニャン子研修生。唯一の外国人(香港人)。現在は香港で歌手、女優として活動中。
凡例
  • 加入時期のカッコ内のアルファベットは、以下の理由により加入。その他は「ザ・スカウトアイドルを探せ」オーディションに合格して加入。
  • 卒業時期のカッコ内の番号は卒業式の回数。アルファベットは以下の理由により正式卒業せず脱退。
    • (A) : 週刊文春喫煙事件による脱退。
    • (B) : 学校を退学したため、番組規定(学校からの許可と学校との両立が活動の絶対条件)に反するとして脱退。
    • (C) : 学校の許可なしで合格したために脱退させられ、学校からも永久追放処分(自主退学が認められない退学処分)になった。
    • (D) : 自分の意志で辞めたのだが、当時はまだ「卒業式」がなかったため、脱退を公式に発表せずにある日突如番組から姿を消す脱退となった。

プロデュース戦略

コアターゲットは10代の男子中高生であったが、世代を超えて多くの支持を集めた。

  • 『夕やけニャンニャン』の番組内ではアシスタントやコーナー説明を当番制で行っていた。時にロケに出ることもあった。
  • 本業は高校生であるとメンバーもスタッフも強く認識しており、テスト期間中などは番組を休んでもよいことになっていた(一週間前後のことが多かったが、大学受験を控えたメンバーは1ヶ月以上番組に出演しないこともあった)。また、普段も宿題を楽屋に持ち込んでメンバー同士で教えあったり、番組スタッフに勉強を見てもらうことも頻繁にあった。

メンバーの選出方法

  • オーディションは、月曜日に始まる自己紹介から金曜日の最終日までの5日間、5人で競い合い、その間毎日番組に登場して課題をこなさなければならなかった。
  • オーディションを受けたメンバーのなかには、芸能事務所やレコード会社に在籍していたメンバーもいる。ソロデビューを視野に入れた売込みの戦略のひとつで、オーディションに出場・合格させて観客や視聴者に「原石を見つけた」と注目させる目的であった。
  • オーディション合格後も(芸能事務所に所属していたメンバーを除いて)、メンバーは、フジテレビ局預かりとされ、芸能事務所無所属の正真正銘の素人集団であった。その為、大部分のメンバーが番組終了と同時に解散したおニャン子クラブと共に、一般人として各々の生活に戻った。しかし2014年現在、一般生活に戻っていることが確認できるのはのは15名のみであり、芸能事務所に所属していない残りの25名は消息不明の状態となっている。芸能活動が続行出来たのは、その時点で芸能事務所に所属していた10人前後の者に限られた。なお、おニャン子クラブメンバーのうち、NHK紅白歌合戦に出場経験があるのは現在工藤静香のみである(「夕やけニャンニャン」が既に放送終了している1988年が初出場)。

作品

シングル

【】
【発売日】
【タイトル】
【B面曲】
オリコン最高位
1 | 1985年7月5日 | セーラー服を脱がさないで | 早すぎる世代 | 5位
2 | 1985年10月21日 | およしになってねTEACHER | テディベアの頃 -少女の香り- | 2位
3 | 1986年2月21日 | じゃあね | アレレレ | 1位
4 | 1986年4月21日 | おっとCHIKAN! | 思い出美人
5 | 1986年7月21日 | お先に失礼 | プリントの夏
6 | 1986年11月1日 | 恋はくえすちょん | あんみつ大作戦
7 | 1987年1月21日 | NO MORE 恋愛ごっこ | あなただけ おやすみなさい
8 | 1987年5月21日 | かたつむりサンバ | めしべとおしべ
9 | 1987年8月21日 | ウェディングドレス | 私をよろしく | 2位
10 | 2002年11月20日 | ショーミキゲン | 同級生 | 48位

アルバム

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出典:wikipedia
2018/02/15 06:33

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