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かまやつひろしとは?

【基本情報】

【出生名】
釜萢 弘
【生誕】
(1939-01-12) 1939年1月12日
【出身地】
日本東京府(現・東京都)
【死没】
(2017-03-01) 2017年3月1日(78歳没)
【学歴】
青山学院高等部青山学院大学中退
【ジャンル】
グループ・サウンズ
フォーク
ロック
ロックンロール
【職業】
フォーク歌手
作曲家
DJ
ギタリスト
【担当楽器】

ギター
【レーベル】
フォーライフ
【事務所】
ケイダッシュ
【共同作業者】
ザ・スパイダース
吉田拓郎
One Night Stand Brothers
ウォッカ・コリンズ
渚のオールスターズ
ソン・フィルトル
【公式サイト】
http://www.forlife.co.jp/artist/?aid=FL00159
【著名使用楽器】

スタインバーガーGL-2T
ヴォックスMark VI
リッケンバッカー345

かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年1月12日 - 2017年3月1日)は、日本ミュージシャン。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京府(現・東京都)出身。血液型B型

父はジャズシンガーのティーブ・釜萢長男TAROかまやつこと、かまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元・歌手の森山奈歩は従姪、シンガーソングライター森山直太朗は従甥にあたる。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 デビュー
    • 1.2 ザ・スパイダース
    • 1.3 ソロ活動(1970年以降)
    • 1.4 バンド活動
    • 1.5 晩年の活動
  • 2 エピソード
  • 3 家系、縁戚
  • 4 作品
    • 4.1 シングル
    • 4.2 アルバム
    • 4.3 提供楽曲
    • 4.4 CM(楽曲提供も含む)
    • 4.5 アニメーション
  • 5 出演
    • 5.1 映画
    • 5.2 テレビドラマ
    • 5.3 コンサート
    • 5.4 その他
  • 6 書籍
  • 7 関連人物
  • 8 関連項目
  • 9 脚注
    • 9.1 注釈
    • 9.2 出典
  • 10 外部リンク

経歴

デビュー

ジャズ・ミュージシャンの父ティーブ・釜萢の影響で幼少時から音楽に親しむ。青山学院中等部卒業、青山学院高等部時代にカントリー&ウェスタン歌手としてデビュー。青山学院高等部卒業。青山学院大学中退。

ミッキー・カーチスらと共にロカビリー歌謡曲などのジャンルに取り組み、グループ「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」の一員として日劇ウェスタンカーニバルに出演した。テイチクレコードにてレコードも多数吹き込む。また、かまやつは田辺靖雄を中心にした六本木野獣会のメンバーだった。メンバーには峰岸徹、中尾彬、大原麗子、小川知子、井上順、福澤幸雄らがいた。多い時は、最大30人前後で構成された。野獣会といってもワイルドな集団ではなく、富裕層の子女が多かった。

釜萢ヒロシ名義で『檻の中の野郎たち』(東宝映画)に出演したこともある。

様々な盛場へ出向くことや、ロカビリー歌手時代の映画出演の際の東宝や日活の撮影所での交流などで、時代に名を残すスター達と出会う。これらの活動から、松村雄策はかまやつを日本初のロック・ミュージシャンと位置づけている。

ザ・スパイダース

「ザ・スパイダース」にゲストボーカルで参加した後、正式メンバーとしてヴォーカル及びリズムギターを担当、代表曲である「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」などを作曲した。70年9月の最後のシングル「エレクトリックおばあちゃん」は、かまやつの作曲だった。

当時は遅刻魔として有名で(晩年も)、デビューシングル『フリフリ』のジャケットには撮影に遅刻したため、彼の姿は写っていない。また、堺正章は「ある時かまやつの遅刻に気付いてアパートに電話をかけたところ、出た相手に『かまやつさんは出発しました』と言われたが、電話を切った後でその相手こそがかまやつだったと気付いた」というエピソードを語っている。

他にも印象的なステージダンスやステージの服装関連といった、ザ・スパイダースの音楽的なアイディアマンとしてグループの中心人物となった。また、当時のトップドライバーの福澤幸雄式場壮吉らと親交があり、ファッションリーダー的存在であった。

ソロ活動(1970年以降)

1970年2月25日に初の本格的なソロ・アルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」を発売する。このアルバムは、当時世界的にも珍しかった「一人多重録音」という画期的な方法で制作された。また、音楽的にも様々なジャンルを融合した実験的な作品であった。その反面、1970年4月に発売されたソロシングル「どうにかなるさ」は、元々ザ・タイガース岸部修三(現・一徳)岸部シロー兄弟のデュオアルバム「Sally & Shiro」のために書き下ろされた曲のセルフカバーだったが、カントリーシンガーとしてのルーツに回帰する意向も反映された。1970年代初頭のフォークブームに触発され、主導権を奪ったフォークシンガー吉田拓郎に接近し、吉田作品の「シンシア」、「我が良き友よ」などを歌う。「我が良き友よ」は90万枚を超えるセールスを記録し代表曲とした。1975年フォーライフ・レコード設立の際も参加を希望したが、契約の問題などで参加できなかった。また「ウォッカ・コリンズ」へのゲスト出演や、タワー・オブ・パワーが演奏を務めた「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を発表。ウォッカ・コリンズのリード・シンガー、アラン・メリルザ・テンプターズのドラマーだった大口広司や、作詞家の安井かずみらとともにレストラン『キャンティ』常連組の一人であった。 テレビアニメ作品「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマとなった「やつらの足音のバラード」もよく知られ、2004年にはスガシカオによってカバーされている。

空虚なヒット歌手の座に居心地の悪さを感じたかまやつは、70年代後半からはライブを中心としたマイペースな活動を展開した。フュージョンシティ・ポップニュー・ウェイヴ等、音楽のトレンドに敏感に反応したアルバムも数枚リリース。80年代以降は、若い世代のミュージシャンたちとコラボ企画で交流を深めていった。当時の音楽活動について「1975年ころから僕自身、ポップ・シーンに手がつけられなくなって探ってました。レコードが出せるようになるまで10年かかりました」と述べている。

音楽活動の傍ら、テレビドラマ『時間ですよ』や映画『戦国自衛隊』といった映像作品にも出演している。1977年2月、朝日放送『ハロー・ヤング』の司会を務め、これに出場したレイジーの才能を見出してデビューの誘いをかけた。その後、デビューしたレイジーに楽曲提供もしている。しかし、本来ハードロック志向だったレイジーが所属事務所の意向でベイ・シティ・ローラーズの様なアイドル路線でデビューさせられたことは予想外だったようで、後に「レイジーをあのような形でデビューさせたことを後悔している」と語っている。

1990年代初頭のアシッド・ジャズブームで、前述した「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」が再評価され、1994年にバックミュージシャンにブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジェームス・テイラー、D.C.リーなどを起用してロンドンでレコーディングした「Gauloise」を、小山田圭吾が主宰するレコードレーベル・トラットリアから発表する。このアルバムで新たに若い層のリスナーを獲得し、その後もCORNELIUS(コーネリアス)、カヒミ・カリイのアルバムやコンサートに参加する。

2002年には小西康陽プロデュースのアルバム「我が名はムッシュ」を発売する。松任谷由実、小山田圭吾、ミッキー・カーチスなどがコメントを寄せたり、堺正章との共演曲などが話題を呼んだ。

バンド活動

1986年に日本を代表するスタジオ・ミュージシャン達を集めたバンド「One Night Stand Brothers」(ギター:今剛、ベース:高水健司、ドラム:島村英二、キーボード:小島良喜、ボーカル・ギター:ムッシュかまやつ)を結成したり、アラン・メリル(ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「I Love Rock'n'Roll」の作者として知られる)、大口ひろしルイズルイス加部と結成した「ウォッカ・コリンズ」(Vodka Collins) の活動もある。 そして、1999年には堺正章と井上堯之とともに「ソン・フィルトル」を結成し、シングル「Yei Yei」をリリースした。

最近では、2006年頃からザ・ブルーズパワーへの客演を行っていたが、2009年9月2日に発売されたブルーズ・ザ・ブッチャー(ザ・ブルーズパワーの後身バンド、メンバーは永井ホトケ隆、沼澤尚中條卓、KOTEZ)の「Rockin' with Monsieur」に参加し、ブルースやブリティッシュビートのカバーを手掛けている。

晩年の活動

BS朝日にて「SHAKE THE MUSIC」(現在終了)のMCを担当していたほか、多数の音楽番組やCMに出演している。最近は東京ヤクルトスワローズ青木宣親の応援歌に「バン・バン・バン」が使われていた(2006年度から変更)ほか、北海道日本ハムファイターズの応援団が同チームの得点時にかまやつ作曲の「I'm A 北海道 Man(お〜い、北海道)」(オリジナルは三橋美智也)を演奏している。

とある番組で「ボクは、君たち(若い)世代と話が出来なくなったらおしまい」と言っていたことからも窺えるが、時代の最先端の音楽に取り組みながら、若手ミュージシャンとも積極的に共演した。彼は松任谷由実伊藤銀次THE ALFEEChar小西康陽小山田圭吾カヒミ・カリィ曽我部恵一らのミュージシャン達から敬愛されていた。

2009年2月18日には、井上順今井美樹甲斐名都堺正章、THE ALFEE、TAROかまやつトータス松本秦基博一青窈布袋寅泰Micro森山直太朗森山良子などのゲスト・ミュージシャンとのコラボレイトによるアニバーサリー・アルバム「1939〜MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)」を発表した。

2013年以降は、KenKen山岸竜之介とのユニット LIFE IS GROOVE としての活動もある。

2016年9月6日、9月10日に出演予定だったイベントを欠席することと肝臓がんであることが所属事務所から発表された。

10月に退院後、同年12月8日には、堺正章の70歳記念ライブに訪れた。当初は客席後方で観ていたが、堺の呼びかけに応じて登壇。堺と2人で『サマー・ガール』を歌った。がん公表後初の公の場での姿であったが、同時にこれがかまやつ自身最後の公の場での歌唱となった。

2017年3月1日18時5分、膵癌のため東京都内の病院で死去。78歳没。 妻も同年2月に亡くなっており、かまやつは最期まで知らないままだったという。なお、妻の告別式の時点で意識混濁状態だった。

墓所は東京都港区西麻布にある賢崇寺。釜萢家の墓はかつて小平にあったが2018年4月に賢崇寺に改葬されたことが息子のTAROを通して公表された。

エピソード

家系、縁戚

父はジャズシンガーティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎は、フジテレビ勤務のサラリーマン時代に、2005年5月25日に『風のわだち』でメジャーデビューしたアーティストであり、2011年に退職した後はより本格的に音楽活動を行っている。また、叔母(母の妹)はジャズシンガーの浅田陽子。浅田陽子の夫で義理の叔父が、ジャズトランペッターの森山久。従妹はフォーク歌手の森山良子。従姪は元歌手の森山奈歩(おぎやはぎ小木博明の妻)、従甥はシンガーソングライターの森山直太朗という芸能一家である。

作品

シングル

<テイチク時代/かまやつヒロシ名義>

<スパイダーズ以降ソロ時代>

アルバム

<テイチク時代/かまやつヒロシ名義>

<スパイダーズ以降ソロ時代>

提供楽曲

CM(楽曲提供も含む)

アニメーション

2010Happy Mail