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とんねるずとは?

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とんねるず
TUNNELS


【メンバー】
石橋貴明
木梨憲武
【結成年】
1980年
【事務所】
アライバル
【活動時期】
1980年 -
【出身】
お笑いスター誕生!!
【出会い】
帝京高等学校
【旧コンビ名】
貴明&憲武
【現在の活動状況】
テレビ中心
【芸種】
コント
【ネタ作成者】
石橋貴明
【現在の代表番組】
スペシャル番組
とんねるずのスポーツ王は俺だ!!
【過去の代表番組】
後述
【同期】
コロッケ小柳トム
【公式サイト】
TN Lounge official website
【受賞歴】

1982年 お笑いスター誕生!!10週勝ち抜きグランプリ
1985年 第23回ゴールデン・アロー賞芸能賞新人賞
1985年 第18回日本有線大賞最優秀新人賞
1985年 第18回全日本有線放送大賞最優秀新人賞
1985年 第14回FNS歌謡祭特別賞
1985年 第11回全日本歌謡音楽祭話題賞
1985年 第18回全日本有線放送大賞上半期新人賞
1986年 第14回銀座音楽祭特別賞
1986年 第5回メガロポリス歌謡祭特別賞
1986年 第12回全日本歌謡音楽祭特別賞
1987年 第10回日本アカデミー賞話題賞
1988年 第26回ゴールデンアロー賞芸能賞
1989年 第6回ATP賞タレント部門賞、番組部門賞
1991年 第22回日本歌謡大賞大賞
とんねるず

【出身地】
日本
【ジャンル】
J-POP
【活動期間】
1981年 -
【レーベル】
バップ(1981年)
徳間ジャパン(1982年)
ビクター音楽産業(1984年 - 1986年)
ポニーキャニオン(1986年 - )
【事務所】
オフィスAtoZ(1983年 - 1994年)
アライバル(1994年 - )
【共同作業者】
秋元康
後藤次利
見岳章
【】

【メンバー】
石橋貴明
木梨憲武

とんねるず (Tunnels) は、石橋貴明木梨憲武からなる日本お笑いコンビ司会者音楽グループ所属事務所アライバルお笑い第三世代

目次

  • 1 概要
  • 2 メンバー
  • 3 人物
    • 3.1 コンビ名
    • 3.2 芸風
    • 3.3 とんねるずを育んだもの
  • 4 経歴
    • 4.1 学生時代
    • 4.2 お笑いスター誕生への挑戦
    • 4.3 「とんねるず」結成、プロデビュー
    • 4.4 人気の拡大
    • 4.5 安定期(1987年〜1995年)
    • 4.6 転換期(1996年〜1999年)
    • 4.7 2000年代
    • 4.8 2010年代
  • 5 交流関係
    • 5.1 戦友・仲間
    • 5.2 先輩
    • 5.3 後輩
    • 5.4 美空ひばり
    • 5.5 タモリ
    • 5.6 ビートたけし
    • 5.7 志村けん
  • 6 エピソード
    • 6.1 日本テレビ系番組でのエピソード・ハプニング
    • 6.2 TBS系番組でのエピソード・ハプニング
      • 6.2.1 ザ・ベストテン
      • 6.2.2 うたばん / とくばん
      • 6.2.3 クイズダービー
    • 6.3 フジテレビ系番組でのエピソード・ハプニング
      • 6.3.1 オールナイトフジ
      • 6.3.2 夕やけニャンニャン
      • 6.3.3 夜のヒットスタジオ
      • 6.3.4 新春スターかくし芸大会
      • 6.3.5 森田一義アワー 笑っていいとも!
      • 6.3.6 その他番組
    • 6.4 テレビ朝日系番組でのハプニング
      • 6.4.1 ミュージックステーション
      • 6.4.2 その他番組
    • 6.5 高卒キャラ
    • 6.6 舎弟軍団“もっこりーず&ぺにーず”
    • 6.7 過去の出演作品・CDなど
    • 6.8 秋元康との出逢い
    • 6.9 下克上タレント
    • 6.10 元祖アイドル呼び捨て芸人
  • 7 出演
    • 7.1 現在の出演作品
      • 7.1.1 テレビ番組
    • 7.2 過去に出演したテレビ/ラジオ/CM/映画/舞台
  • 8 受賞歴
  • 9 音楽活動
    • 9.1 変遷
      • 9.1.1 1980年代
      • 9.1.2 1990年代
      • 9.1.3 活動休止後(企画ユニット時代)
      • 9.1.4 現在
    • 9.2 NHK紅白歌合戦出場歴
    • 9.3 作家陣
    • 9.4 その他
  • 10 作品
    • 10.1 シングル
    • 10.2 アルバム
      • 10.2.1 オリジナルアルバム
      • 10.2.2 ベストアルバム
      • 10.2.3 ミニアルバム
      • 10.2.4 企画アルバム
    • 10.3 映像
      • 10.3.1 ライブ
      • 10.3.2 テレビ・映画
    • 10.4 その他
  • 11 ライブ・コンサートツアー
  • 12 書籍
  • 13 関連人物
  • 14 脚注
  • 15 関連項目
  • 16 外部リンク

概要

1980年、高校の同級生である石橋、木梨によりコンビ結成。1982年に『お笑いスター誕生』でグランプリを獲得。1980年代半ば『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』などの出演によって、若者を中心に爆発的な人気を獲得する。1987年『ねるとん紅鯨団』が始まり「ねるとんブーム」を起こす。深夜番組ながら視聴率上位常連の大ヒット番組に。1988年、代表番組『とんねるずのみなさんのおかげです』が始まり、開始直後から20%越えの高視聴率を記録。社会現象になるほどの番組となり、彼らの地位が確立した。その後も『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』、『とんねるずのハンマープライス』、『とんねるずのみなさんのおかげでした』など名番組を輩出する。

一方歌手としても活躍し、数々のヒット曲を生み出している。1991年「情けねえ」は日本歌謡大賞受賞、1992年「ガラガラヘビがやってくる」がミリオンヒットに。全国コンサートツアーも毎年開催しており、1989年11月には東京ドーム公演を成功させている。

メンバー

【名前(ふりがな)】
【生年月日(年齢)】
【出身】
【愛称】

石橋貴明(いしばし たかあき) | (1961-10-22) 1961年10月22日(56歳) |  日本東京都板橋区成増 | 貴(タカ)さん
木梨憲武(きなし のりたけ) | (1962-03-09) 1962年3月9日(56歳) |  日本 ・東京都世田谷区千歳台 | 憲(ノリ)さん

人物

コンビ名

現在のコンビ名「とんねるず」は、当時日本テレビゼネラルプロデューサーであった井原高忠が貴明のTと憲武のNをもじった「とんまとのろま」と「とんねるず」を提案し、本人たちに選ばせた。「とんねるず」というコンビ名に関して井原は(脱線トリオてんぷくトリオに続く)次代のお笑いスターになって欲しいという願いと、素の2人を見て「暗い奴ら」と思ったのをかけたという。

芸風

コンビ芸人だがボケとツッコミの役割が特に分れていないスタイルである。デビュー当時のプロフィールには「カリスマ芸人」と記載していた。二度目の下積み時代(新宿御苑のパフォーマンスバー「昆」時代など)を経て破天荒な芸風へと変わっていった。

オールナイトフジ』出演以降に若さとエネルギー全開「ナ!わけだァ!」節炸裂の過激トークや、スタジオで所狭しと暴れるなどの行動が日常的だったが、同時に人気を獲得することとなった。特に『夕やけニャンニャン』ではアイドルによって態度が激しく違うため、自分が好みのアイドルが不本意なイジられ方をすると「あの石橋や木梨の態度は絶対に許さない」とアイドルファンからの不満を買った。一方でスタジオ観覧の若者が「とんねるずに蹴られた」ことを自慢する時代でもあった。

とんねるずのトークの中にはその時代の流行を反映した言葉が多く用いられている。例えば「○○みたいな。」と語尾に「みたいな」を付ける言葉は若者中心に使われているが、これは主に東京近郊の女子大生が使う言葉を敢えてとんねるずがテレビで誇張して用いることで、全国的に広まった。とんねるずにとっては、親交の深い放送作家、玉井貴代志の口癖である「みたいなみたいな」を真似ていただけだったらしい。

ほかにも『ねるとん紅鯨団』から端を発した「ねるとんパーティ」「ツーショット」、『ねる様の踏み絵』で使われた「元サヤ」など、彼らが発信元となった言葉は数多い。また、今では普通に使われる「○○系」「○○状態」や、「人間関係・恋愛関係」などの正規の使い方ではなく、テレビ関係・スポーツ関係等ジャンルを括る場合などに用いる「〜関係」なども彼らが発信源である。

また芸能界・テレビ界でよく使われる専門用語、いわゆる「業界用語」を多用して広めた経緯があり、今では一般でも使われている事がある。

内輪ネタ」もとんねるずの特徴である。ただし、これは一部の放送関係者だけに理解できる発言であることも多く、その発言内容は一般視聴者にはわかりづらいものである事も多かった(古くは『オレたちひょうきん族』でもこの傾向は見られ、当時は「楽屋落ちネタ」と呼ばれた)。また、『とんねるずのオールナイトニッポン』ではトーク内容がほとんどスタッフ(放送作家マネージャープロデューサー、高校時代の友人など)の話題で占めるため、ハガキ職人の書くネタの内容もその話題を受ける格好で放送関係者絡みのネタが目立った。

業界の慣例だった製作会社社員・スタッフに支給される弁当とタレントの弁当にあった区別をとんねるずが取っ払った。そのスタイル「各業界に壁などない」「スタッフ、素人が同じ舞台に居る」という形が『ねるとん紅鯨団』、「野猿」の結成であり、その「一般人、スタッフネタ」から生まれた番組企画、コントも多数企画された。

とんねるずを育んだもの

2人とも、幼少時からテレビ好きであり、特に『8時だョ!全員集合』のザ・ドリフターズをはじめ『カックラキン大放送!!』の堺正章井上順ラビット関根や、「ベンジャミン伊東」の伊東四朗、「小松の親分」の小松政夫コント55号萩本欽一タモリなど、漫才ブーム以前のバラエティ番組全盛の時代の影響が強い。漫才ブームの時期は共に部活動に忙しかったこともあり、ツービートビートたけし以外に受けた影響は少ない。

デビュー当初は喜劇俳優である由利徹と絡む事が多く、共演時のとんねるずは素人時代に戻ったかのように彼の芸を心から笑ってしまう場面も多々あり、前にあまり出ることはしなかった(時代背景としてあまり前に出られなかった環境でもあった)。そのほか若手の時代には、由利徹やクレイジーキャッツハナ肇植木等らのエンターテイナーや喜劇俳優、美空ひばり堺正章らに公私共に可愛がられていた。

バラエティ以外で影響を受けた者としては矢沢永吉アントニオ猪木、『傷だらけの天使』の萩原健一らが挙げられる。

経歴

学生時代

共に東京都出身で帝京高等学校を卒業。在学中、石橋は野球部、木梨はサッカー部に所属。この2つの部は互いに交流が盛んで、部室内でのモノマネや一発芸などの披露を通じ、それぞれの部の「一番面白いヤツ」とお互い認識したのが出会いのきっかけ。当時は主に先輩や先生のモノマネなどで、共に校内の人気者だったという。

石橋は高校在学中から『ぎんざNOW!』(TBS)や『TVジョッキー』(日本テレビ)をはじめとした、素人参加番組の常連であり、アントニオ猪木のモノマネやスポーツ選手の形態模写をはじめとする芸で一部の視聴者から注目されていた。なお同時代のライバルには竹中直人がおり、『TVジョッキー』のザ・チャレンジ(素人お笑い勝ち抜きコーナー)の第1回グランドチャンピオン大会では、第3代チャンピオン石橋と初代チャンピオン竹中が対決している。このときの勝者は石橋であり、初代グランドチャンピオンを獲得した。また、木梨も第5代チャンピオンを獲得。木梨が出場した第2回グランドチャンピオン大会には、石橋も出演している。

石橋ほどの頻度ではないが主に和田アキ子のモノマネで素人参加番組に顔を出していた木梨を、高校卒業の記念として石橋が誘い、所ジョージ司会の『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京)に出演したのがコンビとして初めてのテレビ出演となる。『お笑いスター誕生!!』の出演までは、賞金を合計で多く得るために、意図的にバラバラで出演することもあったという。

お笑いスター誕生への挑戦

帝京高校卒業後、石橋はホテルセンチュリーハイアット、木梨はダイハツと2人とも一般企業に就職するものの、『お笑いスター誕生!!』へのチャレンジ決意を機に再会。当時のコンビ名は「貴明&憲武」。漫才ではなく、モノマネ一発ギャグアニメの『魔法使いサリー』や『サンダーバード』のパロディ、学校やアイドルタレントの一コマを演じるコントなど面白いものは何でもエネルギッシュに演る多彩さで、素人ながら4週目まで勝ち抜く。それを契機に2人は勤務先を退社し、プロデビューへと意志を固める。

「とんねるず」結成、プロデビュー

退社後の1980年に正式にコンビ結成。コンビ名も「とんねるず」と改め『お笑いスター誕生!!』にプロとして再挑戦して挑むが、10週目で落選してしまう。またこの時期、同番組担当の日本テレビ・赤尾プロデューサーの紹介で、赤坂のクラブ「コルドンブルー」におぼん・こぼんの後釜として所属したが、クラブの客層に芸風が合わず、受けなかった。

『お笑いスター誕生!!』では、1981年に開催されたゴールデンルーキー賞の15組にエントリー。決勝まで進むが、アゴ&キンゾーに敗れて、特別敢闘賞(事実上の第2位)に終わった。1982年4月10日には10週目に合格、グランプリを獲得した。その後も1983年末まで歌合戦などの企画や、グランプリ受賞者のネタ披露コーナーなどへ定期的に出演した。

1981年には西城秀樹司会の朝の情報番組『モーニングサラダ』(日本テレビ)にレギュラー出演したが、些細なことから赤尾プロデューサーと衝突。一貫して日本テレビ系番組出演タレントだったとんねるずは同局から完全に干されることになる。この間は新宿御苑のパフォーマンスバー「昆」(後にKONと改名)に出演するなど、下積み時代を過ごした。また、この頃は同じショーパブ系タレントであるビジーフォー(いそがしバンド)やアゴ&キンゾーらと交流を持ち、グッチ裕三宅に居候していたこともある。

スーパーの駐車場やデパートの屋上などで木箱をステージ代わりにして営業回りをしていたこともあった。しかし営業は結構いいお金稼ぎになり、食べていくには苦労しなかったと明かしている。さらにこの頃は既に『オールナイトフジ』への出演が決まっていたので、夜は連日豪遊していた。

その後、西城秀樹の初代マネージャーだった秦野嘉王が設立した新事務所「オフィスAtoZ」の所属第一号タレントになり再浮上の機を窺うことになった。秦野は、当時のお笑い芸人には無縁だったスタイリストをとんねるずに付け、派手なブランドの代名詞でもあったK-FACTORYの衣装をコンセプトとするなど、イメージプロデュース戦略を図った。また現在に至るまでとんねるずの重要なブレーンであり、彼らの楽曲の作詞を行っている秋元康との出会いもこの時期である。

人気の拡大

1983年12月、フジテレビ系の深夜番組『オールナイトフジ』を皮切りにテレビ復帰。当初は番組後半に5分のコーナー「とんねるずの見栄講座」をもらったものの、番組内での些細なトラブル(石橋曰く「誤解によるもの」)によって、1984年1月に一旦降板。半年後の同年6月にレギュラーへと復帰している。その後「とんねるずの何でもベストテン」「とんねるずなっわけだぁ!」とコーナーや番組内の放送時間が早まるにつれ人気を集め、翌1984年に放送した同番組の「女子高生スペシャル」の発展形としてスタートした『夕やけニャンニャン』(フジテレビ、1985年 - 1987年)では片岡鶴太郎吉田照美を脇役に追い立てるほどだった。

その後も『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)『深夜劇場・トライアングル・ブルー』(テレビ朝日)などレギュラー番組を増やしていく。『とんねるずのオールナイトニッポン』(1986年 - 1992年)では火曜1部を担当し、数々のコーナーを輩出。聴取率ランキングでは当時絶大な人気を誇っていた『ビートたけしのオールナイトニッポン』を抜き、『小泉今日子のオールナイトニッポン』と熾烈な競争をしていた。『トライアングル・ブルー』では、可愛かずみ川上麻衣子前田耕陽などと共演する。

またこの頃、『新・ど根性ガエル』(日本テレビ)のテーマ「ピョン吉・ロックンロール」の後にリリースされた「ヤバシびっちな女(め)デイト・ナイト」以来のシングル「一気!」をリリース。その際には、TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』でのコーナー「今週のスポットライト」に登場。この出演をきっかけに、深夜番組だけでなく、本格的にとんねるずが世に知られることとなった。同曲は『オールナイトフジ』のコーナーでも毎回歌われ、勢い余ってセットの高所や吊り下げられた照明によじ登ったり、1500万円のテレビカメラを壊すなどの行動や、自ら勝手に「カリスマ芸人」と名乗るなどの行動や言動を見せた。1985年には、「一気!」の人気から断交状態にあった日本テレビが動き、ビートたけし司会の『スーパージョッキー』に歌手としてとんねるずを呼ぶことで、当時の関係者だけが知る「確執の事実上の“手打ち”」となった。この際、ビートたけしととんねるず(特に石橋)はお互いに意識しあい打ち解けるような雰囲気ではなく、緊張感が漂っていたという。後にこの2人は番組で共演することになる。

『オールナイトフジ』〜『夕焼けニャンニャン』などいわゆる石田班の看板的存在になっていたため、当時確執があった横澤彪率いる横澤班の本丸的な番組であった『オレたちひょうきん族』に「一気!」で「ひょうきんベストテン」に出演した際、ひょうきん族レギュラー陣にリンチに等しい、過激なリアクションを課された。その際に二人は「もう日テレには出ないから勘弁してくれ」と漏らしており、日本テレビの出演解禁により、蜜月のフジテレビとの関係が冷えることを危惧した石田が、横澤にとんねるずの出演を派閥の壁を越えて懇願し実現した出演であった。なお、当時石田班、横澤班両方の番組に出演できたタレントは、片岡鶴太郎ら数人しかいなかった。この派閥争いにより横澤班の代表番組の1つで若手タレントの登竜門的な存在である『笑っていいとも』のレギュラーにはなれなかった。しかし、フジテレビ内での派閥が薄れたこともあり2014年に29年ぶりに「笑っていいとも」に出演した際に『タモリ』に直訴し、念願のレギュラーとなっている。

この当時は『新春かくし芸大会』(フジテレビ)にも出場しており、映画『南極物語』のパロディに、ペンギンの着ぐるみ姿で顔すら判別しにくい状態でセリフなしの数秒のチョイ役出演や、中森明菜と体を張ったカマヌンチャク芸を披露するなどしていた。彼らは不遇な扱いを受けていた頃を皮肉る時に「あの時はペンギンでした」と例にとって挙げることがある。

1980年代、巷でタレントショップブームが巻き起こった際には彼らも、「セシカ」や、当時の番組『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ)とのタイアップショップ「バレンタインハウス」を原宿や京都に出店しており、関連グッズをヒットさせた。

女性からの人気も獲得しており、『ザテレビジョン』(角川書店)や『明星』(集英社)などさまざまな雑誌の表紙を飾った。

安定期(1987年〜1995年)

1987年10月『上海紅鯨団が行く』を引き継ぐ形でスタートした『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ制作、フジテレビ系)がヒット。初年度から深夜枠ながらバラエティ年間平均視聴率ランキング3位にランクインした。当時IVSテレビ制作で番組の企画・総合演出などをしていた伊藤輝夫(現:テリー伊藤)や後藤喜男と出会ったのがこの時期。一般参加者による集団お見合い形式の企画が好評を得る。今では集団お見合いパーティーそのものが『ねるとんパーティー』と呼ばれることもある。また1986年から火曜ワイドスペシャルで数回特番を行い、1988年10月からは、『とんねるずのみなさんのおかげです』がレギュラー放送を開始。番組内では、『仮面ノリダー』『保毛尾田保毛男』などのコントやパロディを披露した。1989年3月のスペシャル時には番組シリーズで過去最高29.5%の視聴率を記録した。更にこの頃には、13本のCM契約もしていた。1991年10月には、『闘牛』『カートグランプリ』『PK対決』などロケ主体のコーナーが人気を得た『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ)が開始。1995年には、一時期疎遠状態になっていたTBSでの初のレギュラー番組『ねる様の踏み絵』が開始。1997年3月には『とんねるずのみなさんのおかげです』が完全終了し、同年6月に『とんねるずのみなさんのおかげでした』と改題し、リニューアルした。この頃、出演する番組が軒並み高視聴率を記録しギャラが爆発的に跳ね上がり現代まで芸人としてのギャラは20年以上1位だと言われている。

レギュラー番組をこなしながら、並行して音楽活動にも行い、「情けねえ」「ガラガラヘビがやってくる」をはじめとする曲がヒット。また1995年まで毎年全国コンサートツアーも開催する。1991年大晦日には『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。

テレビ、ラジオ、歌、CMなどメディア上での活動の傍らで、1991年から2000年にかけての10年間、苗場プリンスホテルブリザーディウムにて、とんねるず単独コントライブ「こんと いん なえば」を開催し、一お笑いコンビとして生で客を笑わせることも重視していたが、コンビとしてのコントライブはその後行われていない。

1994年には独立し個人事務所「アライバル」を設立。石橋が社長、木梨が副社長を務めている。当時の事務所に向かっていた途中、六本木・星条旗通りでお互い運転していた車を降り、「独立すればもっと正しい方向に向かう」と考えた石橋が、立ち話で木梨に独立の話を持ちかけた。木梨は「貴明がいいならいいよ。」と二つ返事で了承したというエピソードがある。なお、1980年に就職が決まっていた時期に、石橋が渋谷パルコパート2の2階の喫茶店で「プロでやろうと思うけどどう思う?」と持ちかけた際も、木梨の「貴明がいいならいいよ。」という一言で決まったという。

転換期(1996年〜1999年)

1990年代後半(特に1996年以降)に差し掛かるとピンでの活動が活発になり始める。

木梨は1996年5月、「憲三郎&ジョージ山本」という演歌ユニットでヒットし、同年のNHK紅白歌合戦出場を果たしている。また1998年1月にはドラマ『甘い結婚』(フジテレビ)で個人初主演を果たした。

一方石橋は、1996年10月に初の単独司会によるレギュラー音楽番組『うたばん』(TBS)の放送が始まり、2010年3月までの13年半続いた。また1997年2月に工藤静香とのユニット「Little Kiss」がヒット。1998年7月には三谷幸喜脚本のドラマ『今夜、宇宙の片隅で』(フジテレビ)に主演した。

2人揃っての活動としては、フジテレビの番組スタッフと組んだ音楽ユニット、野猿で1998年4月にデビューし、2001年までCDのリリースやコンサート開催などの活動を展開した。2人が音楽活動で揃うのは1996年にシングル「おまえが欲しい」を発売して以来2年ぶりとなった。

2000年代

2000年代以降、石橋は得意分野の知識を生かしたレギュラー番組や特番の司会、木梨もレギュラー番組や自身のキャラを生かしたCM出演、お笑いの舞台・絵画の個展を主催するなど、コンビとしてもソロとしても活動の幅を広げている。個人の活動歴に関しては、石橋貴明木梨憲武を参照のこと

2000年1月3日には、『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』(テレビ朝日)が、正月番組として開始。番組内ではとんねるずが、一年を通して活躍した話題のプロスポーツ選手を迎えて様々な競技で対決している。10周年を迎えた2009年以降は5時間の特番として放送されている。

2004年の『FNS27時間テレビ』(フジテレビ)内で放送された『笑わず嫌い王決定戦』で、久しぶりにコンビ漫才を披露した。

2004年 - 2007年、木梨は歌・コント・フリートークを交えたソロライブ「NORITAKE GUIDE LIVE」を開催した。

2008年10月、フジテレビの木曜9時枠で冠番組をスタートさせてから丸20周年を迎えた。なお、同枠は1988年10月に『とんねるずのみなさんのおかげです』が正式なレギュラー番組となって以来、途中ドラマ出演による半年間の充電期間や『ラスタとんねるず'94』『とんねるずの本汁でしょう!!』などを挟み、現在放送中の『とんねるずのみなさんのおかげでした』まで続いており、厳密には2009年3月で20周年となる。

2008年9月25日、同年5月から『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画として始動していた「矢島美容室」をDJ OZMAと結成する事を発表し10月29日にデビュー。2人が揃って音楽活動するのは2001年に野猿が解散して以来であり、実に7年半ぶり。CDリリースやライブもさることながら、2010年には当ユニット名義の映画を公開した。

2010年代

2010年、コンビ結成30周年を迎えた。ちなみに石橋は美空ひばりに『(芸歴は)売れてから数えなさい』と言われて以来、「雨の西麻布」がヒットした1985年以降からカウントすることがある。

2012年3月、木梨は5年ぶりとなるソロライブ「NORITAKE GUIDE 5.0」を開催。最終日には石橋がサプライズ出演し、1995年のコンサートツアー以来のとんねるずとしての客前歌披露を行った。

2012年9月10日、視聴者参加型特別番組『ハレバレとんねるず 略してテレとん』(テレビ東京)が放送される。テレビ東京へのコンビとしての出演は、同じく素人参加番組だった『ドバドバ大爆弾』以来32年ぶりとなり、プロになってからは初めての同局での冠番組となる。

2013年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)が放送25周年を迎える。2013年11月7日の放送では、放送25周年を記念してとんねるずvs矢沢永吉の「新・食わず嫌い王決定戦」特別対決が行われた。

2014年1月14日、『笑っていいとも!』(フジテレビ)放送第8000回目のテレフォンショッキングにて、不定期の番組レギュラー出演することが決定した。自身がメインではない番組でのテレビでのレギュラー番組は『夕やけニャンニャン』の終了時(1987年)以来27年ぶりとなる。またテレフォンショッキングの史上最長記録は1984年以来、長らく黒柳徹子(46分)が最長となっていたが、番組終了を目前にして彼らが48分22秒で更新した。

2017年6月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』が単独放送開始20周年を迎える。

2017年9月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』が『とんねるずのみなさんのおかげです』『ラスタとんねるず'94』『とんねるずの本汁でしょう!!』時

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出典:wikipedia
2018/05/16 15:03

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