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アテネとは?

アテネ
Αθήνα

上左からアクロポリス、ギリシャ国会議事堂、ザッピオン・ホール、アクロポリス博物館、モナスティラキ広場、山側から海へと俯瞰したアテネ

市章

位置

アテネの位置
位置
アテネ (アテネ中心部)
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アテネ (アテネ)
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アテネ (ギリシャ)
ギリシャの地図を表示
アテネ (ヨーロッパ)
ヨーロッパの地図を表示


座標 : 北緯37度58分 東経23度43分 / 北緯37.967度 東経23.717度 / 37.967; 23.717
行政
ギリシャ
地方 アッティカ地方
中央アテネ県
アテネ
市長 ギオーゴス・カミニス
(無所属)
地理
面積 | 
市域 38.964 km (15 mi)
市街地 411.717 km (159 mi)
都市圏 2,928.717 km (1,131 mi)
標高 70 - 338 m
人口
人口 (2011年現在)
市域 655,780人
人口密度 16,830人/km(43,591人/mi)
市街地 3,074,160人
市街地人口密度 7,462人/km(19,325人/mi)
都市圏 3,737,550人
都市圏人口密度 1,276人/km(3,305人/mi)
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
郵便番号 10x xx, 11x xx, 120 xx
市外局番 210
ナンバープレート Yxx, Zxx, Ixx (ZAx・INxは除く)
公式ウェブサイト : http://www.cityofathens.gr/

アテネ(現代ギリシア語: Αθήνα; Athína; IPA: [aˈθina]; カサレヴサ: Ἀθῆναι, Athinai; 古代ギリシア語: Ἀθῆναι, Athēnai)は、ギリシャ共和国の首都で同国最大の都市である。

アテネはアッティカ地方にあり、世界でももっとも古い都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアアリストテレスリュケイオンがあり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことは知られている。今日の現代的なアテネは世界都市としてギリシャの経済、金融、産業、政治、文化生活の中心である。2008年にアテネは世界で32番目に富める都市に位置し、UBSの調査では25番目に物価が高い都市に位置している。

アテネ市の人口は655,780人(2004年は796,442人)、市域面積は39 km (15 sq mi)である。アテネの都市的地域(大アテネや大ピラエウス)は市域を超えて広がっており、人口は2011年現在3,074,160人に達し、都市的地域の面積は412 km (159 sq mi)である。ユーロスタットによれば大都市圏地域(Larger Urban Zones,LUZ) (en) の人口は欧州連合域内では7番目に大きい。

古典ギリシアの文化的遺産は今でもはっきりとしており、多くの古代遺跡や芸術作品が象徴している。もっとも有名で代表的なものにはパルテノン神殿があり初期の西洋文明の鍵となるランドマークと見なされる場合もある。アテネにはローマ帝国支配下のギリシャ東ローマ帝国の遺跡もあり同様に少数のオスマン帝国の遺跡も残されているなど、何世紀にもわたる長い歴史を投影するモニュメントとなっている。アテネには2つのユネスコの世界遺産がありアテナイのアクロポリスと中世のダフニ修道院がそうである。現代のランドマークはギリシアが1833年に独立国となりアテネが首都に制定された時のもので、ギリシャ議会の議事堂や3部作(Trilogy )で構成されたギリシア国立図書館アテネ大学アテネアカデミーが含まれる。アテネは、最初の近代オリンピックであるアテネオリンピックと、その108年後に開催されたアテネオリンピック (2004年)の2度のオリンピックの舞台である。アテネにはアテネ国立考古学博物館があり、世界最大の古代ギリシアの遺品の収蔵を特徴とし新しい2008年に完成したアクロポリス博物館もある。ギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が所在し、精神的な中心地でもある。(ギリシャ正教会は正教会に属し、クレタ島を除くギリシャ一国を管轄する。)正教会の定めるアテネの守護聖人は、ディオニシオス・オ・アレオパギティス、イェロテオス、フィロセイ。1985年には欧州文化首都に選ばれた。

目次

  • 1 名称
  • 2 歴史
    • 2.1 略年表
  • 3 地理
    • 3.1 地勢
    • 3.2 気候
  • 4 都市景観
    • 4.1 建築物
    • 4.2 地区
    • 4.3 郊外
    • 4.4 公園・動物園
  • 5 行政
    • 5.1 アッティカ地方
    • 5.2 アテネ市(自治体)
  • 6 経済
  • 7 統計
  • 8 文化・観光
    • 8.1 考古学の中心
    • 8.2 博物館
    • 8.3 エンターテイメント・舞台芸術
    • 8.4 スポーツ
      • 8.4.1 プロリーグ
  • 9 教育
  • 10 環境問題
  • 11 交通
    • 11.1 バス交通
    • 11.2 アテネメトロ
      • 11.2.1 電鉄 (ISAP)
    • 11.3 通勤・郊外鉄道 (プロアスティアコス)
    • 11.4 トラム
    • 11.5 鉄道・フェリー
    • 11.6 その他の鉄道
    • 11.7 空港
    • 11.8 幹線道路
  • 12 姉妹都市
    • 12.1 協力協定
  • 13 注釈
  • 14 脚注
  • 15 関連項目
  • 16 外部リンク

名称

アテネの守護神であるアテナ

古代ギリシア語では、アテネ市は Ἀθῆναι アテーナイ(Athēnai、[a.tʰɛ̂ː.nai̯])と呼ばれていた。このアテーナイは複数形であり、単数形の Ἀθήνη アテーネー(Athēnē)はホメロスの詩文など古代ギリシア語以前(en)にみることができるが、のちに Θῆβαι テーバイΜυκῆναι ミュケーナイ同様複数形に変わった。アテネの語源はおそらくギリシア語でも印欧語系でさえもなく、この都市と常に結びついている女神アテナの語源がそうであるように、アッティカ地方にギリシア語が入り込む以前に存在した言語(en)に遡ると考えられている。中世にはこの都市の名前はふたたび単数形の Ἀθήνα となり、以来一貫してこの名が用いられてきたが、書き言葉では古体が尊ばれたため、1970年代にカサレヴサ(文語)の使用が停止されるまで同市の公式名称は Ἀθῆναι アシネ([aˈθine])であった。カサレヴサ廃止以降は Ἀθήνα アシナとなり現在に至る。

また、かつて19世紀には上記とは異なる語源も唱えられた。ドイツの古典学者 Lobeck は「花」を意味する ἄθος (athos)ないし ἄνθος (anthos)をアテネの語源として提唱し、アテネの名を「花ざかりの都」と解したほか、同じくドイツの文献学者 Döderlein は動詞 θάω (thaō)「吸う」の語幹 θη- (thē-)を語源と考え、肥沃な土壌から滋養を汲み取ることに関連付けている。

アテネ市がアテネと呼ばれるようになった経緯を語る起源神話は古代のアテネ市民に広く知られており、パルテノン神殿の西面のペディメント彫刻のモチーフともなっている。智慧の女神アテナと海神ポセイドンはさまざまな諍いや争いを重ねるが、その1つがこの都市の守護神の座をめぐるものであった。人々を従わせようとポセイドンは三叉の槍(海軍力の象徴)で地を突き海水を湧き出させたが、アテナがオリーヴの木(平和と繁栄の象徴)を生い立たせると、国王ケクロプス以下の住民はオリーヴの木を択び、アテナの名を都市の名として押し戴いた。

アテネ市はギリシア語で τὸ κλεινὸν ἄστυ 「栄光の都」と呼ばれることがあるほか、単に η πρωτεύουσα 「首都」とも呼ばれる。文学的表現としては、古代ギリシアの詩人ピンダロスἰοστέφανοι Ἀθᾶναι と呼んで以来、「紫冠の都」(en:City of the Violet Crown)と呼び習わされてきた。

歴史

詳細は「en:History of Athens」および「アテナイ」を参照
アテネのアクロポリス
古代から近代までの変遷が収められた風景。アクロポリスの神殿と手前の円柱は古代を、丸屋根の教会は中世を、新古典様式の家々は近代を代表する。

現在のところ、アテネにおける最古の人類の痕跡は同市を象徴するアクロポリスの下部にあいた片岩地質(Athens Schist)の洞窟内から発見されたもので、時期は前6000年から前11000年と推定されている。アテネでは少なくとも7000年間継続して定住が行われている。前1400年にはこの地の集落はミケーネ文明における中心的地域の1つとなっており、アクロポリスはミケーネ市にとっての主要な砦であった。この砦の遺構は特徴的なキュクロプス式の城壁に今でもうかがうことができる。ミケーネやピュロスといったミケーネ文明の他の中心地と異なり、アテネが前1200年ごろ滅亡を被ったかどうかはわかっていない。東地中海全域を襲ったこの危機は、ミケーネ文明に関してはドリス人の侵略にその咎が帰せられることが多いが、アテネ人はドリス的要素の混ざらない純粋なイオニア人であることにこだわりつづけた。いずれにせよアテネも他の多くの集落同様に、以後150年ほど経済的停滞に沈んでいる。

鉄器時代に入ると、ケラメイコスの墓地をはじめとして多人数を収める墓地が少なからず設けられており、前900年以降アテネがギリシアにおける交易と繁栄の先進的中心地の1つとなっていたことがわかる。アテネの先進的地位は、ギリシア世界の中心に位置したこと、アクロポリスの砦を擁し防衛に優れたこと、海上交通の便が良いことから享受できたと考えられる。特に第3の点はテバイスパルタといった内陸の競合相手に対し天与の利点となった。

前6世紀にはギリシア世界に広まった不穏な社会情勢からソロンの改革に至り、この改革は結果的に前508年のクレイステネスによる民主政の導入を招来した。この時期以降アテネは大艦隊を保有する一大海軍力となり、ペルシアの支配に抗するイオニア諸都市を支援することとなる。その後に勃発したペルシアとの戦争では、アテネはスパルタとともにギリシア諸都市の連合を率いて戦い、ついにはペルシアを撃退している(前490年のマラトンの戦い・前480年のサラミス海戦の勝利が決定的となった)。とはいえ、最終的に勝利こそしたものの、レオニダス1世麾下のスパルタ兵が英雄的に敗北した際と、ボイオティアアッティカがともにペルシアの手に落ちた際との都合2度、アテネはペルシアによる占領と略奪を受けることを余儀なくされている。

ペロポネソス戦争勃発直前のデロス同盟(前431年)。

ペルシア戦争後の数十年は、民主政アテネの黄金時代(en)として知られる。前5世紀のこの時代、アテネは古代ギリシア世界の先頭を走り、さまざまな文化的達成は以後の西洋文明の礎となった。アイスキュロスソポクレスエウリピデスといった劇作家、歴史家のヘロドトストゥキディデス、医師ヒポクラテス、哲学者ソクラテスがこの時期のアテネで活躍している。優れた指導者であったペリクレスは諸芸の振興と民主主義の庇護をこととしたが、この指導者のもとでアテネは野心的計画に乗り出し、パルテノン神殿をはじめとするアクロポリスの壮観と、デロス同盟を通じた帝国の樹立を見ることとなった。デロス同盟はもともとはペルシアへの抵抗を継続するギリシアの諸都市が相互に結んだ同盟関係というべきものであったが、ほどなくアテネの帝国的野望のための手段となった。このアテネの傲岸がもたらした緊張はペロポネソス戦争(前431年 - 前404年)の開戦を招き、宿敵スパルタに敗北したアテネはギリシアにおける覇権を失った。

前4世紀半ばには北方のギリシャ系国家であるマケドニア王国がアテネ周辺へも影響力を及ぼしはじめ、前338年にはピリッポス2世率いるマケドニア軍がアテネとテバイを中核とする都市同盟軍をカイロネイアの戦いで打ち破っている。この敗戦の結果アテネの独立には終止符が打たれることとなった。のち、ローマが地中海世界の覇権を握ると、アカデメイアに代表される市内の名高い学校のためアテネは自由都市の地位を与えられた。2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスは図書館、競技場、水道橋(現役)、寺院など宗教施設をいくつかと橋を建設したほか、ゼウス神殿完成のため予算をつけている。

古代末にはアテネも衰退していく。東ローマ帝国の下でもしばらくは学芸の中心であったが、6世紀後半になるとスラヴ人アヴァール人の侵略を受けるようになり、529年にキリストの教え以外が禁じられるとアカデメイアも閉鎖に至った。その後、9世紀から10世紀には回復を見、十字軍時代にはイタリアとの交易から利益を得てある程度繁栄する。1040年に東ローマ帝国に反乱を起こすも鎮圧され、1147年にはシチリア王国軍の略奪により大きな被害を受けている。第4回十字軍後の1205年にはアテネ公国が建国された。1458年アテネ公国はオスマン帝国に征服され、アテネは長い停滞の時代に入った。

ギリシア独立戦争を経てギリシア王国が成立すると、1834年にアテネはこの新生独立国の首都に選ばれている(なお近代ギリシア初の首都はナフプリオとされる)。アテネが同国の首都に選ばれたのは、主として歴史的栄光と国民感情を鑑みたものであり、この当時のアテネはアクロポリスの裾野を取り巻く小規模な町に過ぎなかった。初代国王オソン1世は建築家クレアンティス(en)とシャウベルト(en)の両人に命じて一国の首都にふさわしい都市計画をデザインさせている。

ギリシア初の近代都市は、アクロポリス、ケラメイコスの古代墓地、国王の新宮殿(現・国会議事堂)を頂点とする三角形としてデザインされ、古代から現在までの連続性を強調するものとなっている。この時代の国際標準であった新古典主義はまさに古代アテネをはじめとする古典古代に範をとるものだが、この新古典主義に基づき各国の建築家が主要公共施設の設計に腕を揮った。なお、新古典主義は西欧ではほどなく衰えるが、ギリシアでは「古代ギリシアの復興」という理念から1920年代まで新古典主義による建築が続いた。1896年には近代オリンピック第1回大会がアテネで開催されている。1920年代の希土戦争の際にはアナトリア半島から追い立てられた大量のギリシア難民がアテネになだれこみ人口がふくれあがった。もっとも、人口増大のピークは第2次大戦後の1950年代から1960年代にかけてであり、この時期に市域は拡大を続けた。

1980年代には、工場からの排ガス、かつてなく増えた自動車、人口過密による利用可能な空間の減少から、アテネは非常に深刻な課題に直面することとなった。1990年代の市当局による汚染対策事業とインフラの抜本的改善(自動車道(en)の建設・地下鉄の拡充・国際空港の新設)によって、汚染はかなり軽減されアテネは従来に比べずっと機能的な都市に生まれ変わった。2004年にはふたたび夏季オリンピックが開催される。2010年代初頭以降ギリシアは経済的な困難に見舞われており、その対策が今後の課題となっている。アテネ市を対象とするものとしては、アテネ近郊の経済特区設定や、アテネメトロの路線拡張などのインフラ整備が経済対策として検討されている。

アクロポリスに建つパルテノン神殿

略年表

地理

地勢

アテネはアッティカ中央部の平野に広がり、アッティカ盆地(Λεκανοπέδιο Αττικής)と呼ばれる。平野の周辺部は4つの山に囲まれた範囲で、西側はエガレオ山(Αιγάλεω)、北側はパルニサ山(Πάρνηθα)、北東側にはペンテリ山(Πεντέλη)、東側にはイミトス山(Υμηττός)がそびえる。エガレオ山を超えてスリアシアン平野が広がり、西へ中央部の平野の広がりを形成している。パルニサ山は4つの山の中では一番高く標高1,413 m (4,636 ft)で 、国立公園に指定されている。アテネは周辺部の丘陵地に築かれている。リカヴィトスの丘(Λυκαβηττός)は市内では一番高い丘の一つで、アッティカ平野を一望することが出来る。アテネの地形は周辺部の山々の影響により、世界でも最も複雑な地形で、逆転層現象が起こりそれと並びギリシャ政府の産業や人口の統制政策の失敗により大気汚染の問題にアテネは現在直面している。この問題はアテネだけの問題ではなく、ロサンゼルスメキシコシティなど似たような地形の都市では逆転層現象の問題を抱えている。

気候

アテネの気候はケッペンの気候区分では高温ステップ気候(BSh)に当たる。従来は亜熱帯西岸気候の地中海性気候(ケッペンの気候区分ではCsa)に属していたが、1981年-2010年平年値ではステップ気候に変わった。いずれにしても数値の変化はわずかで、温帯と乾燥帯の境界線上に位置していると言える。アテネの気候の特徴は長く続く暑くて乾燥した夏の気候から穏やかで湿気がある冬である。年平均降水量は414.1mmで、これはほとんどが10月から4月にかけて記録されるものである。7月や8月は乾燥した月で雷雨が月に1、2回、ときたま発生する。冬は冷涼で、雨が降り1月の平均気温はアテネ北郊のネア・フィラデルフィア(Νέα Φιλαδέλφεια)で8.9℃、エリニコンで 10.3℃である。

アテネで吹雪は滅多に起こらないが、発生した場合は大きな混乱に陥る。降雪はアテネ北郊では良く見られる。パルニサ山はアテネの街に雨蔭を作り、その結果他のバルカン地域よりも降水量が少ない状況を作り出す。例えばアルバニアティラナではアテネの3倍、シュコドラでは5倍以上の降水量がある。7月の日々の平均最高気温(1955–2004)は観測所があるネア・フィラデルフィアでは33.7℃であるが、他の市内ではこれよりも暑くとくに西側の地区は産業化や主にいくつかの自然的な理由により暑い。気温はしばしば、38℃を超えアテネは熱波で知られる。

アテネは都市活動によりヒートアイランド現象の影響を多くの地区で受け、気温は周辺の田園地域とは異なり 冷却のために必要なエネルギーの使用や健康に悪影響がある。都市のヒートアイランドには特定のアテネの気象観測所の気候学的な気温の時系列変化の一部に原因が見い出せる。一方で、国立庭園やシセイオ気象観測所などの特定の観測所では若干かまったくヒートアイランド現象の影響が見られない。

アテネは世界気象機関のヨーロッパでの最高気温の記録を保持しており48℃を1977年7月10日にエレウシスとタトイの観測所で記録している。

アテネ国立気象台 (Thiseio), 海抜107 m (1971–2000 気温; 1961–1990 降雨量)の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
平均最高気温 °C (°F) 13.3
(55.9) | 12.7
(54.9) | 14.4
(57.9) | 18.3
(64.9) | 22.7
(72.9) | 30.6
(87.1) | 33.1
(91.6) | 32.8
(91) | 30.5
(86.9) | 25.5
(77.9) | 20.0
(68) | 16.1
(61) | 22.5
(72.5)
日平均気温 °C (°F) 10.0
(50) | 9.4
(48.9) | 11.1
(52) | 13.8
(56.8) | 17.7
(63.9) | 25.5
(77.9) | 28.0
(82.4) | 27.7
(81.9) | 25.0
(77) | 20.5
(68.9) | 16.1
(61) | 12.7
(54.9) | 18.12
(64.63)
平均最低気温 °C (°F) 6.7
(44.1) | 6.8
(44.2) | 8.2
(46.8) | 11.6
(52.9) | 16.0
(60.8) | 20.4
(68.7) | 22.8
(73) | 22.5
(72.5) | 19.4
(66.9) | 15.1
(59.2) | 11.2
(52.2) | 8.2
(46.8) | 14.07
(57.34)
雨量 mm (inch) 44.6
(1.756) | 48.3
(1.902) | 42.6
(1.677) | 28.2
(1.11) | 17.2
(0.677) | 9.7
(0.382) | 4.2
(0.165) | 4.6
(0.181) | 11.9
(0.469) | 47.7
(1.878) | 50.6
(1.992) | 66.6
(2.622) | 376.2
(14.811)
出典: National Observatory of Athens

下段はアテネ北郊のネア・フィラデルフィアの観測所のデータである。

アテネの気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
平均最高気温 °C (°F) 12.5
(54.5) | 13.5
(56.3) | 15.7
(60.3) | 20.2
(68.4) | 26.0
(78.8) | 31.1
(88) | 33.5
(92.3) | 33.2
(91.8) | 29.2
(84.6) | 23.3
(73.9) | 18.1
(64.6) | 14.1
(57.4) | 22.5
(72.5)
日平均気温 °C (°F) 8.9
(48) | 9.5
(49.1) | 11.2
(52.2) | 14.9
(58.8) | 20.0
(68) | 24.7
(76.5) | 27.2
(81) | 27.0
(80.6) | 23.3
(73.9) | 18.4
(65.1) | 14.0
(57.2) | 10.5
(50.9) | 17.4
(63.3)
平均最低気温 °C (°F) 5.2
(41.4) | 5.4
(41.7) | 6.7
(44.1) | 9.6
(49.3) | 13.9
(57) | 18.2
(64.8) | 20.8
(69.4) | 20.7
(69.3) | 17.3
(63.1) | 13.4
(56.1) | 9.8
(49.6) | 6.8
(44.2) | 12.3
(54.1)
雨量 mm (inch) 56.9
(2.24) | 46.7
(1.839) | 40.7
(1.602) | 30.8
(1.213) | 22.7
(0.894) | 10.6
(0.417) | 5.8
(0.228) | 6.0
(0.236) | 13.9
(0.547) | 52.6
(2.071) | 58.3
(2.295) | 69.1
(2.72) | 414.1
(16.303)
平均降雨日数 12.6 | 10.4 | 10.2 | 8.1 | 6.2 | 3.7 | 1.9 | 1.7 | 3.3 | 7.2 | 9.7 | 12.1 | 87.1
% 湿度 74.5 | 72.2 | 68.8 | 61.7 | 53.9 | 46.1 | 43.1 | 45.3 | 53.7 | 66.1 | 74.3 | 76.1 | 60.8
平均月間日照時間 130.2 | 139.2 | 182.9 | 231.0 | 291.4 | 336.0 | 362.7 | 341.0 | 276.0 | 207.7 | 153.0 | 127.1 | 2,778.2
出典: 世界気象機関 (国連), 香港天文台 for data of sunshine hours

都市景観

メリッシアからのアテネ市街の眺め

建築物

アテネ市内には様々な異なった建築様式の建物が含まれ、その範囲はグレコ・ローマン新古典主義建築、現代建築と幅広い。これらは同一の地区で見ることが出来、アテネでは建築様式に一貫性があるわけではない。アテネでもっとも多くを占めている建築物にはグレコ・ローマンや新古典主義建築のスタイルである。いくつかの新古典主義建築の建物は19世紀半ばに公共的な建物として、テオフィル・ハンセンエルンスト・ツィラーらの指導の下建てられた。新古典様式建築の中にはアテネアカデミー、アテネ市庁舎、ギリシャ議会議事堂、アテネ旧議会議事堂(1835-1832、現在のアテネ国立博物館)、アテネ大学ザッペイオンホールなどが含まれる。

1920年代には近代建築が興り、その中にはバウハウスアール・デコが含まれほとんど全てのギリシャの建築家に影響を与え多くの公共や民間の両方の建築物は一致してこのような建築様式で建てられた。近隣では非常に多くの近代的な建築が見られ、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2020/01/18 03:35

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