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アメリカ合衆国とは?

アメリカ合衆国
United States of America



(国旗) | (国章)
国の標語:E pluribus unum(1776年 - 現在)
(ラテン語:多数からひとつへ)
In God We Trust(1956年 - 現在)
(英語:我ら神を信ずる)
Annuit cœptis
(ラテン語:神は我らの企てに与したまえり)
Novus ordo seclorum
(ラテン語:時代の新秩序)
国歌:The Star-Spangled Banner(英語)
星条旗
公用語 英語(事実上)
首都 コロンビア特別区
(通称:ワシントンD.C.)
最大の都市 ニューヨーク
政府
大統領 ドナルド・トランプ
副大統領
元老院議長 マイク・ペンス
代議院議長
ナンシー・ペロシ
最高裁判所首席判事
ジョン・ロバーツ
面積
総計 9,834,000(3位)
水面積率 4.9%
人口
総計(2018年) 3億2775万
GDP(自国通貨表示)
【合計(2018年)】
20兆4128億ドル
GDP(MER)
【合計(2018年)】
20兆4128億ドル(1位)
GDP(PPP)
合計(2017年) 19兆4171億ドル(2位)
【1人あたり】
59,495ドル
独立(イギリスより)
独立宣言
1776年7月4日
国家承認(パリ条約) 1783年9月3日
【南北統一
(南北戦争に勝利)】
1865年4月9日

通貨 ドル(USD)
時間帯 UTC -5 から -11(DST:-4 から -9)
ISO 3166-1 US / USA
ccTLD .us
国際電話番号 1

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、: United States of America, USA)、通称アメリカは、北アメリカ太平洋および大西洋に位置する連邦共和制国家。首都はコロンビア特別区(ワシントンD.C.)

50のおよび連邦区などから構成される。うちアメリカ本土の48州カナダメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡を挟んでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は太平洋カリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万kmの総面積は世界第3位または第4位、3億2,700万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国のひとつである。

国名は、日本語では音訳の「亜米利加」から一文字を取って、米国(べいこく)または(べい)と略称する。英語圏では合衆国を意味するUnited StatesまたはU.S.と略称される。

先進国であり、世界最大級の国民経済を有する。同国経済は、豊富な天然資源と高度な労働者の生産性により支えられている。同国経済は脱工業化社会だとされている一方、世界最大の製造国のうちのひとつであり続けている。同国は2018年で世界の軍事支出の36%を占め、世界最高位の経済・軍事大国であり、多大な影響を及ぼす政治・文化的勢力であり、科学研究・技術革新におけるリーダー的存在とされている。

概要

約1万5000年前、パレオ・インディアンユーラシア大陸から現在の北アメリカ大陸本土に移住し、ヨーロッパ諸国による植民地化16世紀に始まった。

現在の米国は、大西洋沿岸に沿って位置する13植民地が発祥である。英国および同植民地間の紛争により、米国は独立した。

1776年7月4日、アメリカ独立戦争における英国との交戦時、同植民地の代表はアメリカ独立宣言を全会一致で発布した。1783年、同戦争は英国からの米国独立の承認により終結し、ヨーロッパの植民地帝国を相手に成功した世界初の独立戦争となった。

1787年9月17日、現在のアメリカ合衆国憲法が起草された。集合的に権利章典と名付けられた最初の10の修正案は1791年に批准され、多数の基本的な市民の権利および自由を保証することを目的として策定された。

マニフェスト・デスティニーの教義に駆られることにより、19世紀を通して米国は北米を横断する頑強な拡大に着手した。これは、先住民の強制退去新たな領土取得、次第に承認した新たな州を含む。

同国史上唯一の内戦である南北戦争は、同国における合法的な奴隷制を終焉に至らせた。

19世紀末までに同国は太平洋まで拡大し、同国経済は成長し始めた。

米西戦争および第一次世界大戦は、世界的な軍事大国としての同国の地位を裏付けた。

第二次世界大戦から同国は世界的な超大国として浮上し、世界初の核兵器を開発した国で、日本への原子爆弾投下により戦争において核兵器を使用した唯一の国であり、国際連合安全保障理事会常任理事国でもある。

冷戦およびソビエト連邦崩壊は、米国を唯一の超大国とした。

国名

合衆国」、「アメリカ合州国」、および「美国」も参照

1507年、ドイツ人地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラーは、イタリア人探検家及び地図製作者のアメリゴ・ヴェスプッチの名をとって西半球の陸地をアメリカ州と名付けた世界地図を作成した。「United States of America」という言葉の最初の文書証拠は、大陸軍ジョージ・ワシントン副官および検閲官の大将であるスティーブン・モイランにより書かれた1776年1月2日付の手紙である。手紙はジョセフ・リード中佐宛で、革命戦争において「アメリカ合衆国の大量で十分な力」でスペインを支援する嘆願をモイランは記した。

「United States of America」という言葉が最初に公開出版された証拠は、1776年4月6日にバージニア州・ウィリアムズバーグのザ・バージニア・ガゼット紙面に匿名で書かれたエッセイである。1776年6月、トーマス・ジェファーソン独立宣言の「原草稿」の見出しにすべて大文字で書かれた「UNITED STATES OF AMERICA」という言葉を加えた。独立宣言の7月4日の最終版において、表題の該当する部分は「アメリカ合衆国13州一致の宣言」に変更された。1777年に連合規約が発布され、「連合の名称を『United States of America』と定める」と規定した。

短縮形は「United States」が標準的であり、ほかの一般的な形式は、「U.S.」「USA」および「America」である。ほかに口語での名称として「U.S. of A.」があり、国際的には「States」がある。18世紀後半の詩歌において人気な名称である「コロンビア」は、クリストファー・コロンブスが起源であり、コロンビア特別区の名に見られる。英語以外の言語において、アメリカの名称は「United States」または「United States of America」のいずれかの、口語では「America」の翻訳であることが多い。加えて、USAのような略称はときどき用いられる。東アジアでも、「America」を「亞米利加」「亞美利加」「米利堅」「美利堅」などと音訳し、「United States」を「合衆国」と翻訳することで、日本語では「アメリカ合衆国」「米国」、中国語韓国語ベトナム語では「美利堅合衆國」「美國」と漢字表記する。この漢字表記は歴史上一定していたわけではなく、「亜墨利加」「亜国」などの表記が用いられたことがあった。一方、英語名称の翻訳を由来としない名称としては、ベトナム語でのアメリカの名称である「Hoa Kỳ」(花旗)があり、これは中国南部でのアメリカ合衆国の国旗の古称「花旗」およびアメリカの古称「花旗国」に由来する。

「United States」という言葉は、1865年批准のアメリカ合衆国憲法修正第13条にみられる、「the United States are」のように、本来は独立州の集合体を表現した複数形として扱われていた。南北戦争終結後には、「the United States is」のように単数形として扱うことが一般的になった。現在は単数形が標準的であり、複数形は「these United States」のような慣用句にその形を留める。その違いは州の集合体および単一体の間の違いを反映しており、慣用以上の重要なものとされている。

アメリカ合衆国国民の標準的な言及方法は、「Americans」である。「United States」「American」および「U.S.」は、「American values」および「U.S. forces」のように形容詞的に国を言及するのに用いられる。Americanは、アメリカ合衆国と関連のないものへの言及には英語ではほとんど用いられない。

日本語における名称

日本語においては、単に「アメリカ」、もしくは「亜米利加合衆国」略して「米国」(べいこく)・「米」(べい)と呼ばれる場合が多い。在日米国大使館・領事館はそのウェブサイトにおいて自国の事を一貫して「米国」と記述している。「合衆国」と称することもある。

歴史

詳細は「アメリカ合衆国の歴史」を参照

新大陸の到達

1620年、メイフラワー誓約の署名
1764年、ヨーロッパ人と会うネイティブ・アメリカン

イタリア(ジェノヴァ)人のクリストファー・コロンブススペイン女王イサベル1世の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国への到達を志したが、1492年に現在の西インド諸島にたどり着いた。当初は東アジアの一部と考えられていたが、現在の大陸名の由来ともなるイタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチの主張をもとに新たな大陸とされた。その後、ドイツの地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラーがアメリカ大陸と命名し、その名が定着していった。

これを契機に、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への侵略が開始した。イタリアジョン・カボットが北アメリカ大陸の東海岸を探検し、イギリスニューイングランド植民地の領有を宣言し、フランスジャック・カルティエセントローレンス川を探検したあと、その一帯をヌーベルフランス植民地とするなど、南北アメリカ大陸の探検と開拓が開始した。

のちに、アメリカ人は「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」をスローガンに奥地への開拓を進め、たとえ貧民でも自らの労働で土地を得て豊かな暮らしを手にすることができるという文化を形成して「自由と民主主義」理念の源流を形成した。その成功が誇張も含めて旧大陸に伝来し、さらに各地からの移民を誘発することになった。それと同時に、先住民であるネイティブ・アメリカンと協調・交易する一方で、虐殺や追放して彼らの土地を奪っていった。

アメリカ合衆国の独立

独立宣言:1776年第2回大陸会議へ草稿を提示する5人の委員
国璽(表)
国璽(裏)

北米大陸にヨーロッパ諸国が植民地支配を展開する中、イギリスと13植民地との間に経済・租税措置を巡って対立が生じた。1775年アメリカ独立戦争が勃発すると、1776年7月4日独立宣言を発表し、イギリスの優位性を崩すためにフランスと同盟を締結した。この7月4日は現在も「独立記念日」として、クリスマス感謝祭と並び、米国の代表的な祝日とされる。13植民地が勝利すると1783年パリ条約が締結され、「アメリカ合衆国」として正式に独立し、独立した13州に加えてミシシッピ川以東と五大湖以南をイギリスから割譲された。

1787年9月17日には、連合規約に代わる中央集権的な合衆国憲法が激論の末に制定された。1789年3月4日に発効され、同年に初代大統領として大陸軍司令官であったジョージ・ワシントンが就任した。

アメリカは、「自由」と「民主主義」を標榜したことから、近代の共和制国家としても、当時としては稀有な民主主義国家であった。しかし、女性アフリカ大陸から強制的に連行させられた黒人奴隷アメリカ先住民の権利はほとんど保障されなかった。その結果、奴隷制度人種差別が独立後のアメリカに長く残ることとなった。

西部開拓と南北戦争

米国の領土拡張の推移である。18世紀以後、各領土は州として承認された。
南北戦争で事実上の決戦となったゲティスバーグの戦い

北西インディアン戦争勝利により、1795年北西部を獲得した。未開の地であった西部の勢力拡大を企図して、1803年フランスルイジアナ買収を実施したが、イギリスが西部開拓を阻んだため、1812年に米英戦争が勃発するも1814年ガン条約を締結して事態は収拾し、西部へ進出した。入植時からの先住民との戦争を継続しながらも、1819年スペインフロリダ買収1830年インディアン移住法によりインディアンを強制的に西部に移住させると、1836年メキシコ領テキサスでのテキサス共和国樹立と1845年のアメリカへの併合、1846年オレゴン条約、および米墨戦争によるメキシコ割譲により、領土は西海岸にまで達した。現在のアメリカ本土と呼ばれる北米大陸エリアを確立したのである。

それと同時期に遠洋捕鯨が盛んになり、太平洋にも進出を開始した。1850年代、鎖国状態だった日本へ食料や燃料調達のために開国させることを目的に米軍艦を派遣した。2つの不平等条約を締結した上で開国させた。以後、アジア外交にも力を入れるようになった。

1861年、奴隷制廃止に異を唱えて独立宣言を発した南部連合国と北部の合衆国の間で南北戦争が勃発し、国家分裂の危機を迎えた。これを受けて1862年にエイブラハム・リンカーン大統領によって奴隷解放宣言が発表され、1865年に南北戦争は合衆国の勝利で終結し、連合国は解体された。しかし、法の上でのアフリカ系アメリカ人や先住民など、その他の少数民族に対する人種差別はその後も継続することになる。

南北戦争後、鉄道網の発達と共に本格的な西部開拓時代に突入した。19世紀後半には、鉄鋼業や石油業が繁栄したことでアメリカ経済が大きく躍進することになった。

海外進出と世界恐慌

移民流入の主な玄関口であったニューヨークエリス島

南北戦争後も諸外国との戦争などを通して、海外領土の拡大が続けられた。1867年にはアラスカロシアから購入し、1898年にはハワイ王国が併合され、スペインとの米西戦争に勝利してグアムフィリピンプエルトリコ植民地にし、キューバ保護国に指定した。これにより、現在の北米・太平洋圏でのアメリカ領土が確立した。1899年から1913年にかけてフィリピンを侵略した。米比戦争を勃発させ、数十万人のフィリピン人を虐殺した上で独立運動を鎮圧した。1900年には義和団の乱平定に連合軍としてに派兵した。1910年代から外国人土地法を徐々に施行し、有色人種に対する圧力を強化した。1914年7月28日にヨーロッパで勃発した第一次世界大戦では、当初は中立を守る一方で、1915年にハイチ、1916年にドミニカ共和国に出兵して占領し、軍政を展開したことで西半球における権益確保政策を進めた。ルシタニア号事件などの影響もあり、次第に連合国(イギリスフランスイタリア日本など)に傾き、1917年には連合国側として参戦した。1918年には共産主義の拡大を警戒してシベリア出兵を実施した。

1918年11月11日に終結した第一次世界大戦後は、1919年のパリ講和会議ウッドロウ・ウィルソン大統領の主導によって国際連盟設立と人種差別撤廃案阻止に大きな役目を担う。モンロー主義を提唱してヨーロッパへの不干渉およびラテンアメリカに対する権益の維持をしようとするアメリカ合衆国上院の反対により連盟への加盟こそ実現はしなかったものの、他の戦勝国とともに5大国の一員として注目された。国内では首都ワシントンをはじめとする多くの都市で「赤い夏」などの人種暴動により数万人が死傷した。1924年には排日移民法を施行して人種差別政策を強めた。1927年に出兵していたニカラグアサンディーノ将軍の率いるゲリラが海兵隊を攻撃したため、1933年にアメリカ軍はニカラグアから撤退し、従来の政策から善隣外交(Good Neighbor policy)に外交政策を移行した。

続く1920年代のバブル経済に基づく空前の繁栄「轟く20年代(Roaring Twenties)」が起こるが、1929年10月29日ウォール街ニューヨーク証券取引所で発生した株の大暴落「暗黒の木曜日」が契機となり、1939年まで続く世界恐慌が始まった。この世界恐慌によって、労働者や失業者による暴動が頻発するなど多大な社会的不安を招いた。フランクリン・ルーズベルト大統領が実施した ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2020/12/01 03:55

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