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アメリカ合衆国の音楽とは?

この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2011年11月)

この項目では、アメリカ合衆国音楽について解説する。

目次

  • 1 概説
    • 1.1 多様性
  • 2 民俗音楽
    • 2.1 ブルースとスピリチュアル
    • 2.2 その他の移民コミュニティ
  • 3 クラシック音楽
    • 3.1 初期のクラシック
    • 3.2 20世紀
  • 4 ポピュラー音楽
    • 4.1 初期のポピュラー音楽
    • 4.2 ブルースとゴスペル
    • 4.3 ジャズ
    • 4.4 カントリー・ミュージック
    • 4.5 R&B、ソウル
    • 4.6 ロック/ヘヴィ・メタル/パンク
    • 4.7 ラップ/ヒップホップ
    • 4.8 その他のスタイル
  • 5 政府・政治・法律
  • 6 産業・経済
  • 7 教育
  • 8 学術研究
  • 9 余暇活動
  • 10 脚注
  • 11 出典
  • 12 参考文献
  • 13 外部リンク

概説

アメリカにおいて、音楽のもつ意味をもっとも強く決定づけているのは、音楽と人種の関係であろう。ヨーロッパ音楽とアフリカ音楽というまったく異なった源泉からブラックミュージックのアイデンティティが確立された過程は、歴史的研究における恒常的なテーマのひとつである。植民地時代における、西アフリカ全体のスタイル・歌唱法・楽器が奴隷のるつぼの中で混合されていった時期のブラックミュージックについてはほとんど文献が残っていない。19世紀中頃には、すでにアメリカ黒人の民俗的な伝統は広く有名になっており、ブラックミュージックのスタイル・楽器・イメージは、スピリチュアルミンストレル・ショーや労働歌を通じてアメリカ音楽の主流の一部になっていった。ブラックミュージックの技法は、ブルースジャズリズム・アンド・ブルース(R&B)、ロックンロールソウルミュージックヒップホップなどを通じ、アメリカのポピュラー音楽にとって不可欠な要素になっているが、元々は黒人の技法や慣習の中で作られたものが人種の壁を越えて広がったものである。これとは対照的に、カントリー・ミュージックはアフリカ、ヨーロッパ、さらにはインディアンやハワイの伝統をもその起源に含んでいたが、しかし長い間白人音楽の一種と考えられてきた。

アメリカ音楽の創作・享受には経済的・社会的な階級による溝がある。例えば交響楽には上流階級のファンからの出資があるのに対して、田舎風・民族風の民俗音楽の奏者は全体的に貧しい。とはいえこの分断は絶対的なものではなく、時には溝があるように「感じられる」だけという場合もある。例えばアメリカのカントリーミュージックは、「聴いているのが実際に労働者であるかどうかはともかくとして、労働者階級のアイデンティティに訴えかける」ようにデザインされた、ひとつの商業的ジャンルでもあるのだ。カントリーミュージックは地理的なアイデンティティとも関連しており、その起源と役割は特に田舎風である。R&Bやヒップホップといった他のジャンルは、伝統的に都市的だと認識されている。

多様性

アメリカは、世界中から文化を取り入れ、独特の新しい方法を生み出す文化のるつぼであるとよく言われている。アメリカ音楽の諸要素は、それぞれ元をたどれば特定の起源に行き着くことが出来る。とはいえ、アメリカ音楽はつねに技法・演奏法・ジャンルの移植と融合によって発展してきたため、ある音楽的要素の起源を何か特定の文化に求める主張には問題がある。外国音楽の要素がアメリカへ入ってきた経路は、個人やグループで行う教育活動・対外活動によって音楽を取り入れる公式なものと、奴隷制による西アフリカ音楽の移入や、移民によるアイルランド音楽の移入など非公式なものとがある。アメリカ独自の音楽は、緊密な接触を通じた異文化どうしの融合の結果生じたものである。この例として奴隷制があげられる。奴隷制によって様々な部族の出身者がごちゃまぜになって共同住居で生活することになった結果、ひとつの音楽的慣習が共有されることとなり、それがさらにラテンおよびヨーロッパ固有の音楽の要素と融合することで深まっていったのである。アメリカの民族・宗教・人種の多様性から生まれた音楽的要素は、フランス音楽・アフリカ音楽の融合であるルイジアナ・クレオール音楽や、インディアン音楽・メキシコ音楽ヨーロッパ音楽の融合であるテハーノ音楽、現代ハワイ音楽におけるスラックキーギター等の技法、などがある。

音楽を取り入れる過程には批判がなかったわけではない。例えば20世紀半ばのフォーク・リバイバルには、社会運動推進の目的もあり、様々な地方の音楽が盛り込まれたことから、「他集団の歌の商業化(……)と、それに伴う意味の希薄化」の原因になったのではないか、という議論が起こることとなった。文化的な割り当ての問題は、アメリカにおける人種同士の関係における大きな問題でもある。遅くとも19世紀半ばのスティーブン・フォスターや、ミンストレル・ショーのブーム以来、ブラックミュージックの技法・イメージ・言い回しをアメリカ白人がアメリカ白人のために使用することは多い。アメリカの音楽業界は、ブラックミュージックの白人演奏者を売り出そうと積極的に試みていた。これは、白人演奏者がアメリカで主流派に属する中流階級アメリカ人の嗜好に合うためである。こういった動きの中で、ベニー・グッドマンエミネムエルヴィス・プレスリーなどのスターや、ブルー・アイド・ソウルロカビリーなどのポップミュージックのスタイルが生まれた。

民俗音楽

アメリカにおける民俗音楽には、数々の民族グループごとの多様性がある。インディアンの各部族はそれぞれ多種多様な民俗音楽を演奏しており、その大半は自然の精霊についての曲である。ブラック・ミュージックにはブルースゴスペルなどがあり、これらは奴隷たちがアメリカへもたらし、西ヨーロッパ音楽との混交を果たしたものである。植民地時代には、イングランド音楽フランスの音楽スペインの音楽の技法や楽器が南北アメリカ大陸にもたらされた。20世紀初頭のアメリカは、チェコポルカウクライナポーランドフィドル奏法、アシュケナジムユダヤ人クレズマーや各種ラテン音楽など、世界中の民俗音楽の中心地となっていた。

現在アメリカ合衆国がある土地で最初に民俗音楽を演奏したのはインディアンである。用いたスタイルや技法は様々であったが、和音とポリフォニーが使われないこと、間投詞・下り旋律の使用などの特徴は、ほとんど全てのインディアンの部族に共通している。伝統的な楽器編成は、笛と、太鼓ラトルシェイカーなどの様々な打楽器からなる。ヨーロッパ・アフリカとの接触が確立されてからは、インディアンの民俗音楽は、ヨーロッパのフォークダンスやテハーノ音楽といった、まったく異なった音楽スタイルと融合する、新たな方向の成長を始めた。近代のインディアン音楽に関してもっとも有名なのはパウワウで、これは伝統的なスタイルの踊りや音楽が催される部族を超えた集会である。

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アメリカ13植民地は、いずれも元々はイギリス帝国の領土だったため、アングロ・サクソンの文化がアメリカの民俗音楽・ポピュラー音楽の主な土台となった。アメリカ民謡には、イギリス民謡と同一の曲に新しい歌詞をつけたものが多くあり、歌詞が元素材のパロディとなっていることもしばしばである。アメリカ=アングロサクソン系の音楽は、五音音階のメロディが少ないこと、伴奏が目立たない(一方でドローンを多用している)こと、長調が多いことなどが比較上の特徴として挙げられる。他にもアメリカ=アングロサクソン系の伝統的な音楽には、様々なブロードサイド (broadside)、滑稽話、ほら話、鉱山労働・海難事故・殺人などにまつわる受難歌などが含まれている。ジョー・マガラック (Joe Magarac)、ジョン・ヘンリージェシー・ジェイムズといった伝説上のヒーローが盛り込まれた歌も多い。イギリス由来のフォークダンスには、アメリカに伝わったカドリーユに、ダンサーに指示を与えるコーラーの発明が加わって生まれたスクウェアダンスなどがある。18世紀にイングランドから移民してきた、いわゆるシェーカー教徒と呼ばれる宗教コミューンは、独自のフォークダンスのスタイルを作った。彼らの初期の歌の起源は、イギリスの民俗音楽をそのひな型にしていると考えられる。アメリカ合衆国の初期においてそれぞれ独自の音楽文化を育てていった宗教組織の例は、この他にもアーミッシュ音楽 (Amish music)、ハーモニー協会 (Harmony Society)、ペンシルベニアエフラタ修道院 (Ephrata Cloister)などがある。

今日のアフリカ系アメリカ人の祖先の多くは奴隷としてアメリカへ連れてこられ、主に南部のプランテーションで働いていた。この西アフリカ中の数百の部族出身者たちは、渡来とともにボーカルのコールアンドレスポンス、複合的なリズム、シンコペーションやアクセント遷移といった西アフリカ音楽の特色をアメリカへもたらした。リズミカルな歌唱やダンスに重点を置くアフリカ音楽が新世界に持ち込まれ、そこで独自の民俗音楽文化の一部となったことは、アフリカ出身者が「昔の音楽を通じてコミュニティを維持する」一助となった。アメリカにおける初期の奴隷は労働歌フィールドハラー (field holler)を歌い、キリスト教化の後は聖歌を歌った。19世紀に起こった大覚醒では、国中の人々が信仰に熱を上げることとなったが、これは特に南部の人々の心をとらえた。主にニューイングランドの牧師が書いたプロテスタント聖歌は、南部の敬虔なキリスト教徒の間で開かれたキャンプ集会 (camp meeting) の目玉ともなった。黒人たちによってアレンジされたこれらの聖歌はネグロ・スピリチュアルと呼ばれた。これらのスピリチュアル・労働歌・フィールドハラーから、ブルースジャズゴスペルが生まれたのである。

ブルースとスピリチュアル

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"We are Americans"
アメリカ議会図書館の民俗音楽アーカイブのための、民俗誌上の記録


スピリチュアルは元々、南部プランテーションの奴隷による教義を表現する歌であった。19世紀中盤から後半にかけて、スピリチュアルは南部の外へ広がっていった。1871年、フィスク大学 (en:Fisk University) はスピリチュアルをアメリカ中に広めるジュビリー・シンガース (en:Jubilee Singers) の拠点だった。ジュビリー・シンガースを模倣していくつかのゴスペルカルテットが生まれ、その後派生グループはさらに数を増していった。20世紀始めには素人歌手や牧師の歌手が流行し、ここからポピュラー音楽としてのゴスペルが生まれた。

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"pharoah's army got drowned"
2010Happy Mail