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アメリカ合衆国南部とは?

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アメリカ合衆国南部(アメリカがっしゅうこくなんぶ、: Southern United States)、またはアメリカ南部 (American South)、単に南部 (the South) とも呼ばれる地域は、アメリカ合衆国南東部に所在する一定の地域を指す。連邦に対する州独自の権限を強く求める立場、奴隷制度南北戦争の名残りなど、地域にはユニークな文化的・歴史的な遺産が残っていることもあって、独自の習慣・文学料理音楽(カントリー・ミュージックジャズブルーグラスロックンロールブルースなど)が発達している。

アメリカ合衆国の「南部」の範囲。情報源によって「南部」が指す範囲は大きく異なる。濃い赤は普通南部に含まれる範囲、斜線の部分は含まれたり含まれなかったりする

目次

  • 1 地理
  • 2 歴史
    • 2.1 南北戦争
    • 2.2 レコンストラクション
    • 2.3 20世紀
    • 2.4 貧困
  • 3 文化
    • 3.1 宗教
    • 3.2 方言
    • 3.3 料理
    • 3.4 タバコ
    • 3.5 文学
    • 3.6 音楽
    • 3.7 スポーツ
    • 3.8 映画とテレビ
    • 3.9 アート
  • 4 政治
    • 4.1 大統領職の歴史
    • 4.2 その他の政治家と政治運動
  • 5 人種間の関係
    • 5.1 人種問題の歴史
    • 5.2 公民権
  • 6 象徴的表現
    • 6.1 現在のイメージ
  • 7 アメリカ合衆国南部の10大都市
  • 8 註
  • 9 関連項目
  • 10 外部リンク

地理

アメリカ合衆国統計局の分類によると、「アメリカ合衆国南部」には16の州が含まれ、さらに3つの小さい区分に分けている。

統計局が分類した地域には、現在アメリカの25の大市圏のうち8つが含まれている。このほかにも、オールドサウス (Old South)、サウスアパラチア (South Appalachia)、ディープサウス (Deep South)、ガルフサウス (Gulf South) など、さまざまな分類が存在する。

しかし、一般的な「南部」の分類はもっと非公式なもので、南北戦争の間にアメリカ連合国を形成した州を指す。これらの州は、現在に至るまでの歴史と文化の背景に共通性がある。南北戦争時の「境界州」(Border states, ミズーリ州ケンタッキー州メリーランド州デラウェア州)が、南部と北部の境界を形成している。これらの州には北部と南部の分離をまたがった歴史があり、奴隷制を容認しながらも南北戦争の間に合衆国(北部)から脱退しなかった。状況次第で、これらの州は南部の一部とも言えるし、そうではないとも言える。ウェストバージニア州はユニークな例で、連合国への参加に気が進まず、バージニア州から離脱してある意味で独立を守った。文化的に南部に属するか否かは、やはり状況しだいであり、アパラチアと南部の文化の間にどのような線引きをするかによると言える。

生物学的には、南部は広大で、高山気候温帯亜熱帯熱帯乾燥帯といった、さまざまな気候区分を含んだ地域である。1年のうち少なくとも6ヶ月は霜が降りず、多くの作物が容易に成長する。南部の一部、特に南東部は、オークの木、マグノリアの木、イエロージャスミンのつる、ハナミズキで特徴づけられた風景が見られる。その他の共通の環境は、特にルイジアナ州に見られるメキシコ湾岸にあるバイユーと沼地である。南部は1876年に「フィラデルフィア100年祭」で日本から紹介されたクズが野生化し、多くの花が見られた。クズは急激に生い茂り、土地の大部分に侵略して、先住の植物を絶滅させた。そのため「クズ」は英語でも「クズ (kudzu)」といわれるようになり南部の代表的な植物として知られるようになった。

歴史

詳細は「ヌーベルフランス」、「フレンチ・インディアン戦争」、および「フランス領ルイジアナ」を参照
黒人法」、「ハイチ革命」、および「ルイジアナ買収」も参照

南部に支配的な文化は、イギリス人植民者による地域の開拓地に起源を発する。17世紀、地域の大部分はイギリスのものだったが、18世紀に、スコッツ=アイリッシュ(Scots-Irish, 北アイルランドから移住してきたスコットランド人アイルランド系アメリカ人を参照)の大集団がアパラチアピードモント台地を開拓した。これらの人々は、すでにこの地域にいたネイティブアメリカン(クリークチェロキーなど)と戦争をし、貿易、文化面での交流をした。1700年以後、アフリカ人奴隷の大集団が、大規模なプランテーションでの働き手として運ばれてきた(奴隷取締法)。ここで産出するタバココメ綿は、1800年以降、有力な輸出農業産品となった。綿栽培の急増によって、アメリカの奴隷制度は19世紀初めの南部の経済にとっては不可欠な部分になった。

南部で最古の大学(そしてアメリカ合衆国で最古の公立大学)は、ウィリアム・アンド・メアリー大学で、バージニア州に創立された。政治経済学の分野の教育の先駆けで、後の合衆国大統領トーマス・ジェファーソンジェームズ・モンロージョン・タイラーはすべてバージニア出身である。実にこの地域は、ワシントン、ジェファーソン、マディソン、モンローらの大統領に代表されるように、19世紀初めまでの政党政治において有力な地域であった。

1832年、サウスカロライナ州は、最新の関税法を盛り込んだ連邦法を無効とし、州は撤廃する手続きをできるとする条例を可決した。関税の徴収を強制するために、すぐに海軍の小艦隊がチャールストン港に派遣され、地上部隊による威嚇が行われた。関税は徐々に下げられるという妥協に達したが、州の権限についての基本的な議論は、この後数十年間、徐々に拡大し続けた。

南北戦争

詳細は「南北戦争」を参照

1850年までには、南部は急成長する北部に対して力を失っていて、州の権限と南部の奴隷制度に関する、一連の憲法上の論争を行った。南部は、国に対して低い関税(1846年のウォーカー関税)を突き付けた。これはペンシルベニアの産業経営者を怒らせ、国道と港の改良のための連邦基金の拠出を止められた。1861年、北部の共和党政権を握ると、南部選出の議員が議会を欠席する中で、国立銀行、自衛農地法(英: homestead law)、無料農場、大陸横断鉄道、大学の建設のための土地払い下げなど、経済の近代化のための入念なプログラムを可決した。

7つのコットン・ステイト(綿を主産業とする州)は、1860年、エイブラハム・リンカーンの選出後に脱退を決断し、アメリカ連合国を作った。1861年、さらに4つの州が加わった。合衆国政府はこの新しい国を認定するのを拒否し、チャールストン港にある南部最後の合衆国軍の砦・サムター砦に対する作戦を実行した。この砦は1861年4月のサムター砦の戦いで南部連合が陥落させ、これが南北戦争の引き金となったものである。4年間続いた戦争では2つの戦いを除いた全ての戦いが南部の土の上で行われ、南部は主戦場となった。南部連合はヨーロッパからの輸入には低い関税率を保持したが、北部からのすべての輸入には新しい税金をかけた。合衆国による封鎖は、ほとんどの商品が南部に入るのを止めたため、南部連合の税金はほとんど問題にはならなかった。南部の運輸システムはまずボートによる河川と沿岸の交通に依存したが、両者とも合衆国海軍によって封鎖された。小さな鉄道網は実質的に崩壊したため、1864年までの内部の移動が非常に困難になり、南部連合の経済は無力化した。

レコンストラクション

詳細は「レコンストラクション」を参照

南北戦争後, 南部はその人口、インフラ、経済において激しく荒らされた。合衆国は南部に対する直接的な政治支配を軍隊とともに行い、気が付くと南部はレコンストラクション(南部の回復)の下にいた。南部連合を活発に支援した多くの南部白人層は、基本的な市民権(投票権など)の多くを失った。その一方で、合衆国憲法憲法修正第13条(奴隷制度の禁止)、憲法修正第14条(アフリカ系アメリカ人に完全な合衆国市民権を与えた)、そして憲法修正第15条(黒人男性に選挙権を与えた)の可決によって、南部のアフリカ系アメリカ人は、かつてよりも多くの権利を享受し始めた。

とはいえ、1890年代までに、これらの権利に対する政治的な反動は南部で展開した(黒人取締法)。クー・クラックス・クラン(白人至上主義の永続を誓った秘密組織)などの組織は、アフリカ系アメリカ人が政治上の権利の行使を阻止するためにリンチ、または他の暴力と威嚇の方法を使用した。一方でジム・クロウ法は、合法的にこれと同じ人種隔離をするために作られた。公民権運動によってこれらの変化が元に戻されるには、1960年代後半まで待たなければならなかった。

20世紀

アメリカ南部の最初の大きな油井は、テキサス州ボーモントの近くのスピンドルトップで、1901年1月10日の朝に掘られた後に、他の油田が、近隣のアーカンソー、オクラホマ、そしてメキシコ湾の海底で発見された。結果としておこった「オイルブーム」は、合衆国南西中央部の州の経済を究極的に変えて、南北戦争後の最初の重大な経済の拡大へと導いた。

南北戦争からまだほとんど回復していなかった経済は、大恐慌ダストボウルによって二重の打撃を受けた。1929年のウォール街ショックの後、経済は重大な反落を受け、何百万もの人が失業へ追い込まれた。1934年から1939年まで、烈風と干ばつの天災は、テキサス、アーカンソー、オクラホマ・パンハンドル地域とその周りの平原からの人口の大移動を招き、50万人以上のアメリカ人は家を失い、飢えて、職を失った。数千の人々は、アメリカ西海岸にビジネスチャンスを求めて、この地域から永遠に去った。

黒人白人も、ほとんどすべての南部人は、南北戦争の結果によって苦しんだ。民間インフラの損失と破壊によって地域は荒らされて、南部の大部分は、たいてい第二次世界大戦まで経済的に回復できなかった。南部は、フランクリン・ルーズベルト大統領によって、大恐慌の間支援する必要があるとし、「ナンバーワン・プライオリティ」(第一の優先事項)という言葉で指摘され、1933年にはテネシー川流域開発公社などのプログラムが設置された。農業は低い生産力に抑えられて、南部の経済的成長は、限定された工業開発、低いレベルの起業精神、そして資本投下の欠乏によって遅くされた。

貧困

南部は歴史的に、合衆国全体に比べると財政上不利であった。南北戦争後、地域の経済基盤のほとんど全部が荒廃した。当時南部の経済の基盤は農業であったため、奴隷制を禁止した修正第13条の可決で、農作物の資源は効率的に収穫することができなくなり、結局地域全体の多くのプランテーション所有者が貧困に追いやられた。さらに、当時の南部には工業ビジネスがわずかしかなく、収入を見込める源が他にそれほどなかった。プランテーション農業以外にどんな訓練も経験もなかったことで、元奴隷もまたこれの犠牲者であった。

第二次大戦後、州間高速道路が発達し、アメリカ南部は他の地域、特に北東部と五大湖のラストベルト地域から産業をうまく誘致することができた。これによって貧困率と失業は減少し、またアパラチア地域委員会などの連邦政府のプログラムも経済成長に関与した。戦後のアメリカ南部の大部分はかなり発展しているが、今日まだいくつかの領域に貧困は残っている。ブラックベルト、アパラチアのケンタッキー東部とウエストバージニア南部、テキサスのリオグランデ沿いのメキシコ国境地帯などは、今日も南部の貧困の主な部分を負担している。

文化

アメリカ南部の文化は、ほとんどの場合北部に比べて社会的に保守的のままである。南北戦争以前の経済で農業が中心的な役割であったため、社会には土地所有による階層の格差が残っている。いなかのコミュニティは、第一のコミュニティの慣習として、しばしば教会への強い従属を育んだ。

南部の、特にディープサウスのライフスタイルは, レッドネックの典型とされ、しばしば都会人や南部人自身によるジョークのネタにされる。南部人は、ほとんどの場合、よりゆっくりしていて、ストレスのある状況でものんびりしていると見られる。これはもちろんステレオタイプで、いつもあてはまるものではない。しかし、伝統的に、南部のライフスタイルは、より田舎のエリアにおいて、スローペースな生活スタイルが見られる。サザン・ホスピタリティと呼ばれる独特のマナーは、こうした風土の中で生まれた。また、南部の「保守的で慎み深く、それでいて洗練された女性」の象徴として、南北戦争以前からサザン・ベル(南部美人)という女性像が形成されていた。

宗教

恐らく他のどんな先進国の地域よりも、アメリカ南部はキリスト教徒が多く集中していて、福音主義またはキリスト教根本主義プロテスタント(特にバプテスト、そしてまたメソジスト長老派など)が普及しており、南部を「バイブル・ベルト」として呼ぶ由縁になっている。

南部のほとんどの都市には、非常に多くのカトリックの人口があり、ニューオーリンズセントルイスルイビルといった都市により多く集中しているが、アーカンソー州とミシシッピ州などのエリアには、バプテストがより強く集中している。マイアミアトランタ、ルイヴィルそしてヒューストンといった都市には、非常に大きなユダヤ教イスラム教のコミュニティがある。東南アジア南アジアからの移民も、地域に仏教ヒンドゥー教をもたらした。現在はキリスト教原理主義の教会が勢力を強め、中絶やゲイに強く反対している。その信者は、共和党支持者が多い。

方言

南部アメリカ英語も参照。

アメリカ南部英語は発音の違いによって異なる下位方言に分けることができる(例えば、アパラチア地域とチャールストン周辺の沿岸のエリア、もしくはジョージア州サバンナ周辺のローカントリー地域)。南中部方言は、南部方言を話す人のアメリカ西部への移住によって影響を受けた。

多くのアフリカ系アメリカ人によってさまざまな程度で話される方言、アフリカ系アメリカ人地方英語は、南部の方言と多くの類似性を持つ。

1920年代以降の民俗学者は、アパラチア言語は合衆国の他のアクセントよりもより密接にエリザベス朝英語が反映されていると主張した。

料理

詳細は「南部料理 (アメリカ合衆国)」を参照

アメリカ南部の料理は、しばしば最も特有の性質のひとつとして記述されるが、アメリカ南部として知られる広い地域の中で歴史と文化が異なるように、伝統的な料理もひとつではない。現代では、典型的な南部人の食事と合衆国のほかの地域での食事の間には差異はあまりないが、南部の「伝統的な」料理は、複数のユニークな影響を取り入れている。また、「南部料理」は、アメリカ料理の明確な良い例のいくつかを提供している。それはつまり、ほかの場所から採用されたものではなく、アメリカ合衆国で生まれた食べ物とスタイルという意味としてである。

通常、「サザンフード」という言葉に最も関連しているのは、しばしば「ソウルフード」と呼ばれ、高カロリーのラードと脂肪を多用することに特徴がある。このスタイルは、アフリカの影響だけではなく、ネイティブアメリカンやスコットランド系アイルランド人とその他の人々の影響をミックスしたものなのだが、しばしばアフリカ系アメリカ人奴隷の集団の結果とだけ考えられている。南部のフライドチキンラードと脂肪で炒めた野菜ササゲコーンブレッドビスケットは、この「サザンフード」という広いカテゴリーで通常ひとまとめにされた少ない例である。

バーベキューは、一般的に南部に関連している食べ物である。ゆっくりと火を通して調味料を多くかけた肉は、各地域の細かい好みによってスタイルが分かれている特徴がある。テキサスではしばしば牛肉が主体となり、カロライナでは一般的に豚肉が主体で、カロライナ東部と西部ではなお一層スタイルが分かれる。カンザスシティ(南部ではないが)とメンフィスは、バーベキューの中心地とも呼ばれていて、複数のエリアからのスタイルを引き込んでいる。

ルイジアナとミシシッピデルタのユニークな歴史は、特有の料理の環境もまた供給している。ケイジャンクレオールは、この地域の文化的な影響(アカディア人、アフリカカリブ海フランスネイティブアメリカンスペインなど)の幅広い混合から発展した。ジャンバラヤやガンボなどの料理が、よく知られている。

テキサスとメキシコが近接していて、歴史を共有していたことは、最終的には現代のテクス・メクス料理をもたらすことになった。

今日、最もポピュラーなアメリカのソフトドリンクの多く(コカ・コーラペプシコーラマウンテン・デュードクターペッパー)は、南部から誕生した。さらに、現在でも南部でしか飲めないいくつかのソフトドリンクがあり、これらのタイプの飲み物を開発してきた方法の歴史を示している。スウィートティーと典型的に呼ばれる、とても甘くされたアイスティーも、南部の料理に関連している。

アメリカの大部分と同様に、主に南部専門の料理、いわゆる「家庭料理」のレストランで今も出されている料理はもちろん、日本、中華、タイ、イタリア、フランス、インド料理などのさまざまな他の起源の料理が南部中で現在食べることができる。

タバコ

南部特有のタバコの生産は、世界中から割り増しの利益を得ている。多くの農家は、自分達で使うか隣人と交換する分だけを育てていたが、ノースカロライナ、バージニア、ケンタッキーとメリーランドでは主要な換金作物だった。19世紀後半、南部で大きなタバコ会社が立ち上がり、委託販売が重要になってきた。タバコ会社は、ノースカロライナ州ダーラム、ケンタッキー州ルイビル、バージニア州リッチモンドといった都市の最大の雇用主のひとつになった。1938年、R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニーは、84銘柄の噛みタバコ、12銘柄の紙巻きタバコ、そして最も良く売れたキャメル銘柄の紙巻きタバコを売り出した。市場は1910年頃をピークにして、人々の好みは紙巻きタバコにシフトしていたが、それでもレイノルズは大量の噛みタバコを売り上げた。

20世紀後半、青年期のアメリカ人男性による無煙タバコの使用は、噛みタバコで450%増加し、嗅ぎタバコでは1500%増加した。1978年から1984年まで、合衆国での無煙タバコの売り上げは毎年15%の成長率を記録し、使用頻度は南部と西部の田舎で高い。1992年の疾病管理センターセンターの調べによると、アメリカ南西部の男子の高等学校4年生の30%は、紙巻きタバコよりも噛みタバコか嗅ぎタバコを常用しているという。

文学

恐らく最も有名な南部の作家は、1949年にノーベル文学賞を受賞したウィリアム・フォークナーであろう。フォークナーは意識の流れという新しい手法と、複合した物語の手法をアメリカ文学に持ち込んだ(例えば彼の作品『死の床に横たわりて』などで)。

その他の有名な南部の作家には、マーク・トウェイン(『ハックルベリー・フィンの冒険』と『トム・ソーヤーの冒険』の2つは南部に関するよく読まれる2作品である)トーマス・ウルフウィリアム・スタイロンフラナリー・オコナーカーソン・マッカラーズロバート・ペン・ウォーレンテネシー・ウィリアムズトルーマン・カポーティジェームズ・ディッキーウィリー・モリスゾラ・ニール・ハーストンユードラ・ウェルティーウォーカー・パーシーらがいる。

20世紀の、恐らく最も有名な南部の小説は、マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』で、これは1937年に出版された。もうひとつの有名な南部の小説、ハーパー・リーの『アラバマ物語』は、1960年に出版された後にピューリッツァー賞を受賞した。

音楽

南部はアメリカのもっとも肥沃な音楽のいくつかを提供している。南部の音楽の遺産は、白人と黒人の両方が、直接あるいは間接的に、お互いに影響しあいながら発達させてきた。

南部音楽の歴史は、実質的には、アフリカ人奴隷の唄と、英国とアイルランドから持ち込まれた伝統的フォークソングによって、南北戦争以前に始まる。ブルース(デルタ・ブルース)は、20世紀初めに南部の田舎の黒人が発展させた。それに加えて、ゴスペルスピリチュアルカントリー・ミュージックリズム・アンド・ブルースソウルミュージックブルーグラスジャズ(南部人のスコット・ジョプリンが普及させたラグタイムを含む)、ブギー・ウギー、グッド・タイム・ミュージックなど、これらすべては南部で生まれたかもしくは発達した音楽である。

ザディコケイジャン、そしてスワンプ・ポップは、音楽ジャンルとしては南部地域にわたって一般的というわけではないが、フレンチ・ルイジアナと末梢の地域(テキサス南東部など)においては未だに人気がある。これらのユニークなルイジアナのフォーク音楽のスタイルは、ルイジアナの人々の伝統的な遺産の一部として称賛されている。

ハンク・ウイリアムズジョニー・キャッシュは、カントリー・ミュージックの有名歌手だった。さらにカントリーと黒人音楽の融合によるロックンロールは、南部で始まった。初期のロックンロールの南部出身のミュージシャンには、バディ・ホリーボー・ディドリーエルヴィス・プレスリーカール・パーキンスジェリー・リー・ルイスらがいた。しばしばエルヴィスと共に、最も重要な初期のロックンロールの人物と考えられているチャック・ベリーは、中西部のミズーリ州セントルイス出身である。ソウル・ミュージックのジェームス・ブラウンやレイ・チャールズも南部出身である。南部でショービジネスを開始した多くの人は、業界のメインストリームでも成功を収めた。エルヴィス・プレスリーとドリー・パートンはそのよい例である。サザン・ロックでは、オールマン・ブラザーズ・バンド、レーナード・スキナード、アトランタ・リズム・セクションなどが人気バンドになった。

オルタナティブ・ミュージックの起源の多くは、音楽的に肥沃な大学都市のジョージア州アセンズで組まれたR.E.M.B-52'sといったバンドによって、よく南部が発祥の地であると言われる。

南部でのラップ(南部以外で始まった唯一のメジャーなアメリカ音楽)の広がりは、1980年代〜90年代にかけて、フロリダ州マイアミのゲットーで、ローランド・TR-808を使用したマイアミベース (w:Miami Bass) と呼ばれるサブジャンルに発展した。さらに21世紀に入ってからは、テキサス州などでダーティサウス (w:Dirty South) と呼ばれる新しいサブジャンルが登場している。

スポーツ

1940年代以来、南部ではフットボールへの愛で知られるようになった。南部にはスーパーボウルで勝ったNFLのチームが多く、ダラス・カウボーイズタンパベイ・バッカニアーズワシントン・レッドスキンズボルチモア・レイブンズなどがある。南部では高等学校フットボールの盛んなテキサス州とカレッジフットボールサウスイースタン・カンファレンスのチーム出身の人々の強さが際立っている。

野球も南部では人気があり、1920年代から行われているフロリダでの春期リーグや、最近のワールドシリーズの勝者のアトランタ・ブレーブスフロリダ・マーリンズのようなメジャーリーグベースボールのチームがある。マイナーリーグもまた南部では身近なスポーツで、合衆国の他の地域よりもマイナーリーグのチームのホームタウンが多い。

南部はまた、自動車レースNASCARの生誕地でもある。他の南部で人気のあるスポーツは、ゴルフ、釣り、狩猟などである。皮肉にも、温暖な気候の中にあって、タンパベイ・ライトニングカロライナ・ハリケーンズは最近の2つのNHLのチャンピオンである。また、アトランタは1996年のアトランタオリンピックのホストを務めた。

映画とテレビ

南部は名作映画のひとつである『風と共に去りぬ』(1939年)の舞台になった。映画『爆発! デューク』(Dukes of Hazzard) は、30年近く続いた人気テレビ番組が発端になっている。カリフォルニアで映画化されたが、セットはジョージア州で、南部の他の場所も多く登場する。ソープオペラの『ダラス』(Dallas) は、南部の生活を描いた、また別の全国的に人気のあるテレビ番組の一例だ。映画『メラニーは行く!』(原題 "Sweet Home Alabama" は、サザンロックの曲と同名)は、実際には離れて生活しているが、故郷では親しみやすい南部の人々を描いている。

一方で『アラバマ物語』『ミシシッピー・バーニング』などでは人種差別という南部の負の部分が紹介されている。

アート

南部は確かに多くのアーティストの故郷であるが、ひとつのジャンルとしてのサザン・アートの概念は20世紀の現象である。サザン・アートのすぐれたコレクションは、ニューオーリンズ のサザン・アート・オグデン美術館や、オーガスタのサザン・アート・モリス美術館で見ることができる。南部表現主義民俗芸術は、普通はサザン・アートの一形態として考えられる。南部芸術連盟は、各州の芸術振興会に認められたすぐれた芸術を創っている、現代の南部のアーティストの登録を管理している。

政治

レコンストラクションの1世紀後、南部の白人層は強く民主党を支持した。この傾向は地域に根強く、政治的にはソリッドサウス(堅固な南部)と呼ばれる。共和党はアパラチア山脈の一部で優勢を保ち、境界州で勢力を争っていたが、1960年代より前での共和党の南部出身の政治家は稀だった。

民主党による公民権法制定への支持の増加は1940年代には全国的なレベルに達し、保守的な南部の民主党と他の地域の民主党との対立を引き起こした。1960年代の公民権法成立まで、保守的な南部の民主党 (州権民主党)は、北部のリベラル派と公民権運動の猛攻撃から地域を防御するしかないと唱えた。1954年のブラウン判決に応えて、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/02/10 15:43

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