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アラバマ州とは?

アラバマ州
State of Alabama



(州旗) | (州章)
州の愛称: ハート・オブ・ディキシー(南部の心臓)
The Heart of Dixie
州都
モンゴメリー
【最大の都市】
バーミングハム
【州知事】
ケイ・アイヴィー
公用語
英語
面積
- 総計
- 陸地
- 水域 全米第30位
135,765 km²
131,426 km²
4,338 km² (3.2%)
人口(2010年)
- 総計
- 人口密度 全米第23位
4,779,736
33.84人/km²
【合衆国加入
- 順番
- 加入年月日】

22番目
1819年12月14日
時間帯
UTC -6
DST -5
緯度
北緯30°11' - 35°
経度
西経84°53' - 88°28'
【東西の幅】
305 km
【南北の長さ】
531 km
標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
735 m
150 m
0 m
【略称 (ISO 3166-2:US)】
US-AL
【ウェブサイト】
アラバマ州政府
【上院議員】
リチャード・シェルビー
ダグ・ジョーンズ

アラバマ州(英語: State of Alabama)は、アメリカ合衆国南部に位置するである。人口は4,779,736人(2010年度)である。州都モンゴメリー市。他に都市圏では州内最大のバーミングハム、州内唯一の港湾都市モービルアメリカ航空宇宙局関連施設が集中するハンツビルなどの主要都市がある。北はテネシー州、東はジョージア州、南はフロリダ州メキシコ湾、西はミシシッピ州と接している。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第30位、人口では第23位である。内陸まで航行できる水路総延長が1,300マイル (2,100 km) あることでは、国内でも最長クラスにある。

南北戦争から第二次世界大戦まで、他の南部州と同様に農業への依存が続いていたこともあって、アラバマ州は経済的に困難な時代を味わった。工業や都市部が成長したにも拘わらず、1960年代までは田園部の白人の利権が州議会を支配しており、都市部とアフリカ系アメリカ人の権利は優先されなかった。第二次世界大戦後、アラバマ州は農業依存経済から多様化された経済に移行して成長してきた。多くのアメリカ軍基地が設立または拡張されたことも経済発展に寄与し、20世紀半ばに農業と工業経済の橋渡し役となった。21世紀の州経済は経営管理、金融、製造、航空宇宙、鉱業、医療、教育、小売りおよび技術に依存している。

【家庭で話される言語(アラバマ州) 2000】

 |  |  |  | 
英語 | 
 | 96.7%
スペイン語 | 
 | 2.2%
【人種構成(アラバマ州) 2010】

 |  |  |  | 
白人 | 
 | 67.0%
黒人 | 
 | 26.2%
ヒスパニック | 
 | 3.9%
アジア系 | 
 | 1.1%
インディアン | 
 | 0.6%
混血 | 
 | 1.5%

目次

  • 1 州名の由来
  • 2 歴史
    • 2.1 先コロンブス期
    • 2.2 ヨーロッパ諸国による植民地化
    • 2.3 アラバマ州成立の初期
    • 2.4 南北戦争からレコンストラクション時代
    • 2.5 1900年-1949年
    • 2.6 1950年-2000年
  • 3 地理
    • 3.1 気候
    • 3.2 植物相と動物相
    • 3.3 都市部
  • 4 人口動勢
    • 4.1 人種および祖先
    • 4.2 宗教
    • 4.3 健康
  • 5 インディアン部族
    • 5.1 インディアン・カジノ
  • 6 政治と法律
    • 6.1 アラバマ州政府
    • 6.2 移民法
    • 6.3 州法
    • 6.4 地方政府と郡政府
    • 6.5 政治
    • 6.6 選挙
      • 6.6.1 州全体の選挙
      • 6.6.2 地方選挙
      • 6.6.3 国政選挙
  • 7 経済
    • 7.1 大規模雇用者
    • 7.2 農業
    • 7.3 製造業
    • 7.4 観光業
    • 7.5 医療
    • 7.6 金融業
    • 7.7 電子工業
    • 7.8 建設業
    • 7.9 カジノ
  • 8 交通
    • 8.1 航空
    • 8.2 鉄道
    • 8.3 道路
    • 8.4 港
  • 9 教育
    • 9.1 初等中等教育
    • 9.2 単科および総合大学
  • 10 芸術・文化
    • 10.1 音楽
    • 10.2 劇場
    • 10.3 美術館・博物館
    • 10.4 オーケストラなど
    • 10.5 スポーツチーム
  • 11 日本との関連
  • 12 その他
    • 12.1 同州出身の有名人
    • 12.2 州の象徴など
    • 12.3 アラバマ州選出議員
  • 13 出典
  • 14 参考文献
  • 15 関連項目
  • 16 外部リンク

州名の由来

ジャクソン郡にあるラッセル洞窟入り口の1つ。洞内で見つかったたき火跡の木炭は、紀元前6550年ないし6145年のものとされた

かつてマスコギー語を話すアラバマ族アラバマ川上流、クーサ川とタラプーサ川合流点の下流に住んでおり、これが川と州の名称の由来とされている。アラバマ族の言語で部族員は Albaamo(方言によっては Albaama または Albàamo、複数形は Albaamaha)と呼ばれる。「アラバマ」という言葉は、チョクトー族の言葉が語源と考えられており、アラバマ族が部族名に採用した。その綴りは史料によって様々である。最初に文献に現れたのは、1540年のエルナンド・デ・ソトの遠征であり、ガルシラソ・デ・ラ・ベガが Alibamo と表記していた。他にもエルバス騎士が Alibamu、ロドリゴ・ランヘルが Limamu と記していた。1702年にはアラバマ族がフランス人によって Alibamon と呼ばれ、フランスの地図にはアラバマ川が Rivière des Alibamons と表記されていた。その他、AlibamuAlabamoAlbamaAlebamonAlibamaAlibamouAlabamuAllibamou などの表記が見られた。

「アラバマ」の語源は分かっているが、その意味については諸説あって定まっていない。『ジャクソンビル・レパブリカン』紙の1842年の記事では、その意味を「ここで休む」とする説を発表した。この説は1850年代にアレクサンダー・ボーフォート・ミークの著作を通じて広まった。マスコギー語の専門家はこの説を肯定する証拠を見出すことができなかった。学者はこの言葉がチョクトー語の alba(植物あるいは雑草を意味する)と、amo(切る、整えるあるいは集めるを意味する)を合わせたと考えている。その意味は「藪を切りはらう人」または「香草を集める人」である可能性があり、農作のために土地を開墾すること、あるいは薬草を集めることを指していると考えられる。「アラバマ」はアメリカ合衆国内に数多いインディアンの言葉に由来する地名の1つである。

歴史

詳細は「アラバマ州の歴史」を参照

先コロンブス期

ヘイル郡のマウンドビル考古学遺跡。ミシシッピ文化のインディアンが西暦1000年から1450年にかけて使っていた

アラバマ州となった地域にヨーロッパ人が入ってくる以前の数千年間、様々な文化を持つインディアンがこの地域に住んでいた。現在のアメリカ合衆国北東部との交易は、オハイオ川を通じて墳墓期(紀元前1000年から紀元後700年)に始まり、ヨーロッパ人と接触した時まで続いた。

西暦1060年から1600年、農耕社会のミシシッピ文化が現在の州の大半に及び、その中心の1つがマウンドビルのマウンドビル考古学遺跡にあった。マウンドビルで行われた考古学発掘調査で出土した人工物を解析することで、南東部儀式用複合施設の性格に関わる学説の基礎ができてきた。一般に考えられていることとは対照的に、南東部儀式用複合施設はメソアメリカ文化と直接の結びつきが無く、独自の発展を遂げていたと見られている。儀式用複合施設はミシシッピ文化の人々の宗教では主要な要素だった。その宗教を理解するうえで主要手段の1つになっている。

ヨーロッパ人が入って来たときに、現在のアラバマ州領域に住んでいたインディアン部族として、イロコイ語を話すチェロキー族、マスコギー語を話すアラバマ族、チカソー族、チョクトー族、クリーク族コアサティ族がいた。

ヨーロッパ諸国による植民地化

1725年のフランスの地図、モービルの位置にコンデ砦の平面図と標高が示されている

1702年、フランスが現在オールド・モービルと呼ばれる地域にヨーロッパ人として最初の開拓地を築いた。モービルの町は1711年に現在地に移転した。この地域は1702年から1763年フランス、1763年から1783年イギリス西フロリダの支配下にあり、1783年から1821年はアメリカ合衆国とスペインの間で分割された。イギリス王政に忠誠を誓うロイヤリストだったトマス・バセットが、モービル地域を除けば地域内初期の白人開拓者だった。1770年代初期に現在のワシントン郡となったトンビグビー開拓地に入った。1783年、現在のボールドウィン郡モービル郡の領域がスペイン領西フロリダの一部となり、1810年には独立国西フロリダ共和国の一部、1812年にミシシッピ準州に付設された。現在のアラバマ州北部と中央部およびミシシッピ州は、当時ヤズーランドと呼ばれ、1767年以降ジョージア植民地が領有権を主張していた。アメリカ独立戦争の後、ジョージア州に編入されたが、その領有については大きな論争が続いた。

ミシシッピ準州とアラバマ準州の形成

モービルやヤズーランドに隣接する地域を除き、現在のアラバマ州中央部は、1798年に創設されたミシシッピ準州の一部になった。ヤズーランド詐欺が起きた後、ヤズーランドも1804年に準州に付加された。1812年以後スペインはモービルに行政機能を置いていた。1814年アンドリュー・ジャクソンの軍隊がモービルを占領し、この地域に対するアメリカ合衆国の「事実上の」権限を示した。これで準州奥地からメキシコ湾まで支障のない通路ができ、モービルにおけるスペインの実行支配を終わらせたが、領有権主張は残り続けた。ミシシッピ州が州に昇格する1817年12月10日の前に、人口の少なかった準州東半分が分離し、アラバマ準州と命名された。アラバマ準州は1817年3月3日のアメリカ合衆国議会で創設された。セントスティーブンスが1817年から1819年まで準州都とされていたが、現在は廃村になっている。

アラバマ州成立の初期

タスカルーサのキャピトル公園にある議会議事堂廃墟。ウィリアム・ニコルズが設計し、1827年から1829年に建設された。州都がモンゴメリーに移されてから10年以上経った1857年にアラバマ中央女子カレッジになった。1923年の火事で破壊された

アラバマが合衆国22番目の州になることが認められた後、アメリカ合衆国議会は最初のアラバマ州憲法制定会議の場所にハンツビルを選定した。1819年7月5日から8月2日に代議員が会して新州憲法を準備した。ハンツビルは1819年から1820年までアラバマ暫定州都となり、その後はダラス郡のカハバに州都が移された。カハバは現在廃村となっているが、1820年から1825年まで最初の恒久的州都だった。アラバマが州になった時は既にアラバマ・フィーバーが広がり始めており、綿花の栽培に適した肥沃な台地を得るために開拓者や土地投機家が殺到していた。1820年代から1830年代の開拓地にあって、州憲法は白人男性については普通選挙を執行していた。綿花プランテーションが広がるに連れて、南東部農園主や交易業者がアッパーサウスから奴隷と共に移ってきた。暗色の肥沃な土壌から名付けられたブラックベルト中央部の経済は大規模な綿花プランテーションの上に作られ、プランテーション所有者は奴隷の労働から大きな富を築いた。この地域には大勢の貧乏で選挙権を持たない人々も入ってきて、自給自足農になった。1810年の人口は1万人と推計されていたが、1830年には30万人以上に増加していた。地域に住んでいたインディアンの大半は、1830年にアメリカ合衆国議会でインディアン移住法が成立してから数年後には、州から完全に追い出されていた。

ブラックベルトのプランテーション、ソーンヒル邸の母屋(1833年建設)

1826年から1846年にかけてタスカルーサが州都になった。1846年1月30日、アラバマ州議会はタスカルーサからモンゴメリーに州都を移すことを議決したと発表した。新州都での最初の議会は1847年12月に開会された。新議会議事堂は、フィラデルフィアのスティーブン・ディケーター・バトンの指導で建設された。最初の建物は1849年の火事で焼け落ちたが、1851年に同じ場所に再建された。メイン州エグゼターのバラチアス・ホルトが設計した二代目の建物は現在も残っている。1860年には人口が964,201人となっており、その内435,080人はアフリカ系アメリカ人奴隷、2,690人は有色の自由人だった。

南北戦争からレコンストラクション時代

1864年の北軍によるハンツビル陥落と再占領後、郡庁舎前広場を占領する北軍

1861年1月11日、アラバマ州はアメリカ合衆国からの脱退を宣言し、アメリカ連合国に加盟した。南北戦争ではアメリカ連合国の首都をモンゴメリーに置き、連合の初代大統領としてジェファーソン・デイヴィスを擁立し、連合の中心的役割として戦った。アメリカ連合国の首都は同年5月にバージニア州リッチモンドに移転された。1864年の夏にはメキシコ湾に面したモービル湾で南北戦争では珍しい海戦が繰り広げられたが、南部の敗北に終わった。州内ではほとんど戦闘が無かったが、南北戦争には約12万人の兵士が出征した。ハンツビル出身の騎兵1個中隊が、ケンタッキー州ネイサン・ベッドフォード・フォレスト将軍の軍隊に参加した。このハンツビル中隊は、袖、襟、上着の裾に黄色い布を付けた見事な新しい制服を着ていたことから「イエローハンマー」と呼ばれ、後に南軍のアラバマ州部隊は「イエローハンマーズ」と呼び習わされるようになった。1865年、アメリカ合衆国憲法修正第13条により、州内の奴隷は解放された。

戦後、アラバマ州は軍政府の管理下に置かれ、占領は1868年にアメリカ合衆国に復帰するまで続いた。アフリカ系アメリカ人に選挙権が与えられると、1867年から1874年、多くのアフリカ系アメリカ人が政治指導者として台頭した。この期間にはアメリカ合衆国議会に3人のアフリカ系アメリカ人を選出した。すなわちジェレマイア・ハラルソン、ベンジャミン・S・ターナー、ジェイムズ・T・レイピアの3人である。

レコンストラクション時代のアラバマ州議会、1872年

南北戦争後もアラバマ州は農業に大きく依存し続け、経済は綿花と堅く結びついていた。レコンストラクション時代、州議会は1868年に新憲法を採択し、初めて公共教育体系を作り、女性の権利を拡大した。多くの公共道路や鉄道の建設計画を予算化したが、それらは不正行為や横領の疑惑に実行を妨げられた。この期間、組織化された抵抗集団が解放奴隷や共和党員を抑圧するために活動した。クー・クラックス・クランがよく知られているが、他にも白い顔団(Pale Faces)、白椿騎士団(Knights of the White Camelia)、赤シャツ団(Red Shirts)、白人同盟(White League)などの集団がいた。

アラバマ州のレコンストラクションは、民主党が議会を制し、知事職を取った1874年に終わった。1875年には新憲法を制定した。同年、議会はブレイン修正条項を成立させ、公金を宗教系学校に使うことを禁じた。さらに同年、学校を人種分離することを要求する法が認められた。1891年には鉄道の客車が人種分離された。その他にも20世紀初期にジム・クロウ諸法が成立した。

1900年-1949年

開発中のバーミングハム市、1915年

1901年の新憲法では、人頭税、識字能力などによる選挙権の制限を通じて、実質的にアフリカ系アメリカ人と白人の低所得層から選挙権を奪う選挙法が含まれた。農園主階級は白人低所得層を説得してこれらの法を支持させながら、累積する人頭税の課税が大きく影響して白人低所得層の選挙権も取り上げることになった。1900年、州内には181,000人以上の選挙権を持つアフリカ系アメリカ人がいた。1903年には、少なくとも74,000人のアフリカ系アメリカ人に識字能力があったが、僅か2,980人のみが有権者登録されていた。1941年、白人で選挙権の無い者は60万人、黒人では52万人となり、白人の方が多くなっていた。アフリカ系アメリカ人はほとんど全員が投票権を持たなかった。

1901年憲法は、学校での人種分離を再度肯定した。1867年以降人種間結婚は違法とされていたが、この新憲法で改めてそれが定められた。1950年代まで人種差別法が追加されていった。1911年には監獄で、1915年には病院で、1928年にはトイレ、ホテル、レストランで、1945年にはバス停待合室で人種分離された。

田園部のオートーガ郡にある旧マウントサイナイ学校。1919年建設。州内にアフリカ系アメリカ人児童のために建てられたローゼンウォルド学校387校の1つ

田園部の多いアラバマ州の議会は常に、選挙権を剥奪されたアフリカ系アメリカ人への教育もサービスも予算割り当てを少なくしていたが、彼等から税金は取り続けた。南部においてアフリカ系アメリカ人の教育予算が少ないという批判に答える意味もあって、ローゼンウォルド財団がローゼンウォルド学校と呼ばれるようになる校舎建設資金の手当てを始めた。アラバマ州ではこれら学校の設計と建設の一部がローゼンウォルド基金で賄われた。基金は校舎建設資金の3分の1を拠出し、残りを町と州が分割した。1913年には、最初のローゼンウォルド学校が建設された。1937年までに合計で387校、7つの教員宿舎、幾つかの職業訓練用建物が完成した。現在も州内に残っているローゼンウォルド学校はアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。

継続する人種差別、農業不況、ワタミゾウムシの蔓延による綿花収量の低下などで、何万人ものアフリカ系アメリカ人が職を求めて北部の工業都市へ移住した。グレートマイグレーションと呼ばれるものの中で、20世紀前半に、製造業の仕事やより良い暮らしを求めてアラバマを離れていった。1910年から1920年のアラバマ州人口成長率は半分近くになった。

これと同じ時期に田園部の白人や黒人は、新しい工業都市であるバーミングハム市で働くために移住した。バーミングハム市は「魔法の都市」と渾名されるほど人口が急増した。1920年代では、バーミングハム市は国内第19位の大都市であり、州内人口の30%以上が住んでいた。重工業と鉱業が経済の基盤だった。第二次世界大戦の需要に関わる工業の発展は、南北戦争以前にも見られなかったような繁栄をもたらした。田園部の労働者はより良い仕事と高い生活水準を求めて州内の大都市に流入した。その顕著な例がモービル市であり、1940年から1943年の3年間で89,000人以上が市内に入り、軍需産業で働いた。製造業とサービス産業が隆盛するに連れて、綿花など換金作物はその重要性を失っていった。

1950年-2000年

マーシャル宇宙飛行センターで組み立てられているサターン5型ロケット、ハンツビル市、1964年

1901年から1961年まで人口構成の大きな変化があったが、田園部主導の議会は、人口に基づく下院や上院の議席数割り当てを変えようとしなかった。農業地帯の政治と経済の権力を維持するために、古い選挙区割りに固執した。さらにバーミングハム市の外に住む人々による選出を確実にするために、数少ないバーミングハム市内の選挙区を都合良く修正した。

その結果の分かる良い例がバーミングハム市の工業と経済の基盤地帯を含むジェファーソン郡であり、州税収の3分の1以上を収めていながら、それに比例したサービスを受けていなかった。都市部は常に州議会での代表が少ない状況だった。1960年の研究では、「総人口のうちの少数である約25%を代表する議員が、州議会の多数派を支配していた」とされていた。

アフリカ系アメリカ人は歴史的な経緯から共和党の一翼を担ったが、選挙権を剥奪された。白人は南北戦争やレコンストラクションの後で、共和党に敵意を抱いた。このために白人有権者に気に入られようとすれば、政治的信念に拘わらず民主党で出馬するというのが長い伝統になった。

セルマからモンゴメリーに向かう行進を待ち構える警官

アフリカ系アメリカ人は既に昔から選挙権剥奪状態と人種差別を止めさせようと努力していたが、1950年代1960年代になるとさらに活発な公民権運動と呼ばれる活動を始めた。1955年州都モンゴメリーで起こったローザ・パークス逮捕事件が公民権運動の口火を切った。この動きでアメリカ合衆国議会により、1964年の公民権法と1965年の選挙権法成立に繋がった。1960年代、ジョージ・ウォレス州知事の政権下では、連邦政府で認められた人種差別撤廃に抵抗する動きが州内で行われたが、失敗した。

公民権運動の時代にアフリカ系アメリカ人は全国的な公民権法成立と選挙権法を通じて投票の保護など公民権を獲得した。ジム・クロウ法は無効にされあるいは撤廃されて法的な人種差別は終わった。

1965年選挙権法の下で、連邦裁判所はアラバマ州に州議会下院と上院の議席を人口に応じて再配分することを強制した。1972年、アラバマ州は人口に応じて議席を再配分することについて州憲法の規定を改正したが、これは1901年以来の改正となった。このことは60年間以上の間、経済的発展を遂げながら代表数の少なかった都市部には恩恵となった。

地理

アラバマ州図
関連項目:en:Geography of Alabamaアラバマ州の郡一覧

アラバマ州は総面積135,765 km(52,419 mi) あり、アメリカ合衆国内で30番目に大きな州である。そのうち3.2%は水域であり、その広さは国内23番目になる。内陸水路の総延長では国内第2位である。

州域の5分の3はなだらかな平原であり、ミシシッピ川メキシコ湾に向かって標高が下がる。北部は山がちであり、テネシー川が大きな流域を作り、小川、沢、川、山地、湖を形成している。州の北東部にはなだらかなアパラチア高原が広がり、石炭鉄鉱石など鉱物資源の宝庫となっている。他の大部分はメキシコ湾沿岸平原で占められる。メキシコ湾に流入するモービル川とアラバマ川が主要な河川体系を形成する。

州の西部はミシシッピ州、北部はテネシー州、東部はジョージア州と接し、南部も大部分はフロリダ州と接するが、一部はメキシコ湾に面している。標高はモービル湾の海面から、北東部アパラチア山脈の1800フィート (550 m) 超の領域まで変化している。最高地点は標高2,413フィート (735 m) のチーハ山である。森林が2,200 万エーカー (89,000 km) あり、州域の67%になっている。メキシコ湾岸にある郊外部のボールドウィン郡が陸地面積でも水域面積でも州内最大の郡となっている。

アラバマ州最大のチーハ山、アパラチア山脈にあり、州内最高地点

アメリカ合衆国国立公園局が管理する地域としては、アレクサンダーシティ近くのホースシューベンド軍事公園、フォートペイン近くのリトル川峡谷国立保存地、ブリッジポートのラッセル洞窟国立保護区、タスキーギのタスキーギ・エアメン国立歴史史跡、タスキーギ近くのタスキーギ国立歴史史跡研究所がある。 またコネカー、タラデガ、タスキーギ、ウィリアム・B・バンクヘッドの4つの国有林がある。さらにナチェズ・トレイス・パークウェイ、セルマ・トゥ・モンゴメリー国立歴史道、涙の道国立歴史道もある。ヘイリービルの直ぐ南には、ロッキー山脈より東では最長の天然橋がある。

モンゴメリー市の北、エルモア郡には幅5マイル (8 km) の隕石クレーターがある。ウィトゥンプカ・クレーターと呼ばれ、「アラバマ州最大の自然災害」跡である。幅1,000フィート (300 m) の隕石が約8,000年前にこの地域に落ちてきた。ウィトゥンプカ中心街の東にある丘陵は隕石クレーターの名残が浸食されたものであり、破片の同心円状の環や砕けた岩石が地表下に見られるので、ウィトゥンプカ・クレーターあるいは隕石痕と名付けられている。2002年ウィーン大学地球化学研究所のクリスチャン・キュバールが、この場所を地球上で認識された隕石クレーターの157番目とする証拠を示した。

アラバマ州の最北点は、州北西隅のローダーデール郡ウォータルーの町の北西約6マイル (10 km) にある。最南点はモービル郡ドーフィン島に近いサンド島である。最東点はジョージア州との州境、ラッセル郡のフォートミッチェルから南東8マイル (13 km) にある。最西点はミシシッピ州との州境の南から3分の1、チョクトー郡のメルヴィン町の近くにある。

気候

詳細は「w:Climate of Alabama」を参照

アラバマ州は温暖湿潤気候にあり、ケッペンの気候区分では Cfa である。年間平均気温は64°F (18 ℃) である。南部のメキシコ湾に近付くと温暖になり、北部、特に北東部のアパラチア山脈は幾分冷涼である。概して夏は大変暑く、冬は温暖で、年間を通して雨量が多い。年間平均雨量は56インチ (1,400 mm) あり、南部では植物生育適応日が300日もある。

2011年4月27日に起きた州全体の竜巻被害の後、フィル・キャンベルの惨状

夏は国内でも最も暑い方の州であり、場所によって平均最高気温は90°F (32 ℃) を超える。熱帯低気圧ハリケーンの影響も受けやすい。メキシコ湾から遠い地域は嵐の影響がそれほどでもないが、上陸して弱くなっていく間に大量の雨を降らせることがある。

南部では多くの雷雨が発生している。モービル湾周辺のメキシコ湾では年間70ないし80日に雷雨が発生している。北部ではいくらか少なくなるが、最北部でも年間約60日の雷雨が記録されることがある。時には落雷や大きなを降らせることがある。州中部と北部はこの種の嵐が起きやすい。落雷による死者数では国内第7位、人口当たりの落雷死者数では第9位である。

1950年1月1日から2006年10月31日までの国立気象データセンターによる統計では、改良藤田スケールEF5の竜巻発生数で、カンザス州と共に国内最大である。長い距離を移動したF5クラスの竜巻によって被った死者の数では国内最大であり、竜巻道に入る面積が広いテキサス州をも超えている。1974年4月や2011年4月25日から28日の竜巻大発生のときは莫大な被害を受けた。2011年4月の場合は累計で62個が発生し、州内の竜巻発生数として最大を記録した。

バーミングハム市役所の外に降った雪、2010年2月

竜巻の多い季節は北部と南部で異なっている。春が一番被害を受けやすい季節であり、2番目に11月、12月が竜巻のシーズンになっていることでは、世界でも数少ない地域の1つである。テネシー川流域にある北部は、国内でも最も激しい竜巻被害を受ける地域である。アラバマ州とミシシッピ州のこの地域はディキシー・アリーとも呼ばれることがあり、南部平原の竜巻道とは区別されている。

冬季は他の南東部州と同様温暖であり、1月の平均最低気温はモービル市で40°F (4 ℃) 周辺、バーミングハム市では32°F (0 ℃) 程度である。州内の大半で降雪は希だが、モンゴメリー市の北では毎冬にわか雪があり、数年に一度はそこそこの降雪がある。これまでに1963年大晦日と1993年に大雪があった。バーミングハム市の年間平均降雪量は2インチ (5 cm) である。南部のメキシコ湾岸では希であり、数年間も降雪が無いことがある。

州内の過去最高気温は1925年9月5日に未編入自治体のセンタービルで記録された112°F (44 ℃)、過去最低気温は1966年1月30日にニューマーケットで記録された-27°F (-33 ℃) である。

植物相と動物相

カハバユリ (Hymenocallis coronaria) 、カハバ川、カハバ川国立野生生物保護区

州内には様々な植物相動物相が見られる。これは北のテネシー川流域、アパラチア高原とリッジ・アンド・バレー・アパラチアン区、中央部のピードモント台地、ケーンブレイクとブラックベルト、南のメキシコ湾岸平原と海岸というように多様な地形があることが大きく寄与している。生物多様性の幅では国内トップクラスである。

州内にはかつては松林が広大に広がっていた。現在でも州内のかなりの森林を形成している。植物相の多様さでは国内第5位に位置づけられている。シダ植物と種子植物の種は4,000種近くに及んでいる。

哺乳類の原生種は62種が生息している。爬虫類は93種、両生類は73種、淡水魚は307種、少なくとも一年間の一部を州内で過ごす鳥類は420種いる。無脊椎動物では、甲殻類83種、軟体動物383種がいる。軟体動物のうち113種は州外では見られない州固有種である。

都市部

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出典:wikipedia
2018/10/15 23:34

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