このキーワード
友達に教える
URLをコピー

アリゾナ州とは?

座標: 北緯34度 西経112度 / 北緯34度 西経112度 / 34; -112

アリゾナ州
State of Arizona



(州旗) | (州章)
州の愛称: グランドキャニオンの州
The Grand Canyon State
州都
フェニックス
【最大の都市】
フェニックス
【州知事】
ダグ・デューシー
公用語
(英語)
面積
- 総計
- 陸地
- 水域 全米第6位
295,253 km²
294,313 km²
943 km² (0.3%)
人口(2010年)
- 総計
- 人口密度 全米第16位
6,392,017
21.54人/km²
【合衆国加入
- 順番
- 加入年月日】

48番目
1912年2月14日
時間帯
UTC -7
DST -6(ナバホ族居住地のみ)
緯度
北緯31°20' - 37°
経度
西経109°3' - 114°50'
【東西の幅】
500 km
【南北の長さ】
645 km
標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
3,851 m
1,250 m
21 m
【略称 (ISO 3166-2:US)】
US-AZ
【ウェブサイト】
アリゾナ州政府
【上院議員】
Vacant
ジェフ・フレーク

アリゾナ州(: State of Arizona [ɛərᵻˈzoʊnə, ærᵻ-] ( 音声ファイル)、ナバホ語: hoozdo hahoodzo [xòːztò xɑ̀xòːtsò])は、アメリカ合衆国南西部にあるである。地域区分としてはロッキー山脈西部およびアメリカ合衆国西部にも含められる。世界遺産グランド・キャニオンを擁することで知られる。元来綿花の生産がさかんで、1980年代に南部サンベルトの一角として発展したが、1990年代に入るまで、ハイテク産業の発展に追いつけなかった。今日ではハイテク産業の一大拠点となっており、カリフォルニア州からの企業流入が著しい。

州都および最大都市フェニックス市である。第2の都市はツーソンであり、その後に続くのはフェニックス都市圏に入っている8都市、すなわちメサグレンデールチャンドラースコッツデールギルバートテンピピオリアサプライズ、さらにユマ郡ユマである。

アメリカ合衆国の州になったのは1912年2月14日で、48番目の州であり、合衆国本土では最後の州だった。非常に暑い夏と温暖な冬の砂漠気候が特徴であるが、北部の松林や山岳部では低地の砂漠よりもかなり涼しい気候になる。

アリゾナ州はいわゆるフォー・コーナーズと呼ばれる4州の1つである。ニューメキシコ州ユタ州ネバダ州およびカリフォルニア州と境を接しており、コロラド州とは州北東部のフォーコーナーズの1点で接している。メキシコソノラ州バハ・カリフォルニア州とも国境で接しており、その総延長は389マイル (626 km) になる。人口規模はアメリカ合衆国の内陸州としては最大である。州内にはグランド・キャニオン国立公園がある他、多くの国立の森、公園、保護地域がある。領域の4分の1以上は連邦信託地となっており、ナバホ族ホピ族トホノ・オーダム族アパッチ族、さらにはヤヴァパイ族、クチャン族、フアラパイ族などユマン部族の土地になっている。

【家庭で話される言語(アリゾナ州) 2010】

 |  |  |  | 
英語 | 
 | 72.90%
スペイン語 | 
 | 20.80%
ナバホ語 | 
 | 1.48%
【人種構成(アリゾナ州) 2010】

 |  |  |  | 
白人 | 
 | 57.8%
ヒスパニック | 
 | 29.6%
インディアン | 
 | 4.6%
黒人 | 
 | 4.1%
アジア系 | 
 | 2.8%
混血 | 
 | 3.4%

目次

  • 1 州名の由来
  • 2 歴史
  • 3 地理
    • 3.1 気候
  • 4 人口動勢
    • 4.1 宗教
  • 5 インディアン部族
    • 5.1 インディアン・カジノ
  • 6 経済
    • 6.1 雇用
    • 6.2 課税
    • 6.3 規制緩和
  • 7 交通
    • 7.1 高規格道路
      • 7.1.1 州間高速道路
      • 7.1.2 アメリカ国道
    • 7.2 公共大量輸送機関
    • 7.3 航空
  • 8 政治と法律
    • 8.1 議事堂複合施設
    • 8.2 州立法府
    • 8.3 州行政府
    • 8.4 州司法府
    • 8.5 郡
    • 8.6 連邦議会の代表状況
    • 8.7 政治的文化
  • 9 主要な都市と町
    • 9.1 アリゾナ州内の豊かな25都市
  • 10 教育
    • 10.1 単科及び総合大学
      • 10.1.1 州立大学
      • 10.1.2 コミュニティカレッジ
      • 10.1.3 私立大学及び専門学校
    • 10.2 教育協会
    • 10.3 初等中等教育
  • 11 スポーツ
    • 11.1 プロスポーツチーム
      • 11.1.1 春季キャンプ
    • 11.2 その他のスポーツ
  • 12 芸術と文化
    • 12.1 美術と博物館
    • 12.2 映画
    • 12.3 音楽
    • 12.4 アリゾナ州出身の有名人
    • 12.5 州の象徴など
  • 13 脚注
  • 14 関連項目
  • 15 参考文献
  • 16 外部リンク

州名の由来

州名の由来は諸説あり、有力なものとしては、アメリカ・インディアンパパゴ族alĭ ṣonak [ˡaɺi ˡʂonak](小さな泉の意)とする説、スペイン語の"árida zona"(乾燥地帯の意)とする説、バスク語でaritz ona(良いオークの意)。アステカの"arizuma"(銀の支柱の意)とする説などがある。スペイン統治時代は「Arizonac」と呼ばれたが、これはメキシコのソノラ州プランチャス・デ・プラタ銀鉱山キャンプ近くの地域のみを指すものだった。このことはその地域が現在でもオーダム語でalĭ ṣonakと呼ばれていることから裏付けられる。

歴史

主要記事:アリゾナ州の歴史
スペインによるアメリカ大陸の植民地化」および「メキシコ独立革命」も参照

1539年から1542年にかけてヌエバ・エスパーニャ副王領(現在のメキシコ)からスペイン人の探検が行われた。1539年、フランシスコ会宣教師マルコス・デ・ニサがこの地域を探検し、当時のインディアン、おそらくはソバイプリ族の人々と出会った。1540年から1542年に掛けては、フランシスコ・バスケス・デ・コロナドの遠征隊がシボラを探している間にこの地域に入った。1692年にはキノ神父が訪れ、1700年聖ザビエル伝道教会を設立しインディアンに宣教活動を行った。18世紀初期までに一連の伝道所が設置され、ピメリア・アルタ(現在はアリゾナ州南部とソノラ州北部)でインディアンの多くをキリスト教に改宗させた。またスペイン1752年トゥバク1775年ツーソンに要塞化した町(プレシディオ)を建設した。

1821年メキシコスペインから独立すると現在のアリゾナ地域は「ヌエバ・カリフォルニア」または「アルタ・カリフォルニア」と呼ばれるメキシコの北西辺境となった。アメリカ合衆国は1848年米墨戦争メキシコシティを占領し、後にアリゾナ州となった地域を含めメキシコ北部領域の大半について領有権を主張した。1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約により、その領有と引き換えにメキシコ共和国に1,500万ドルが支払われた。1853年の「ガズデン購入」でアメリカ合衆国はヒラ川下流域を領有した。アリゾナは当初、ニューメキシコ準州の一部として管理されていたが、1861年3月16日にニューメキシコ準州の南部が分離してアメリカ連合国準州となった。1862年2月14日にはアメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスの声明により、アリゾナ準州の成立が認められた。これが公式に「アリゾナ」という名前の使われた最初の機会だった。1863年2月24日にワシントンD.C.で新しいアリゾナ準州の成立が宣言され、このときの領域はニューメキシコ準州の西側半分であり、これが現在のアリゾナ州領域の基本になった。

当初様々な名称が検討され、例えば「ガゾニア」「ピメリア」「モンテスマ」「アリズマ」などが俎上に登ったが、エイブラハム・リンカーン大統領が最終法案に署名したときに「アリゾナ」と記されており、それが今日まで続く名前となった。「モンテスマ」はアステカ文明の皇帝ではないもののヒラ・バレーにいたピマ族にとって英雄である者の神聖な名前であり、おそらく「アリゾナ」に落ち着く前にその感情的な価値について真剣に検討され、最後はその案が落とされたと考えられている。

ブリガム・ヤングが19世紀半ばから後半に掛けてモルモン教徒をアリゾナに送り込んだ。彼等はメサ、スノーフレーク、ヒーバー、サフォードなどの町を設立した。またフェニックス・バレー(あるいは「太陽の谷」)、テンピ、プレスコットなどの地域にも入植した。モルモン教徒はアリゾナ州北部とニューメキシコ州北部となった所に入ったが、これらの地域は元ニューメキシコ準州の一部だった。

世界恐慌時代に移住してきた労働者の子供達、1937年ピナル郡で撮影

1910年から1920年のメキシコ革命時代、現在のアメリカ=メキシコ国境を越えたメキシコの町で幾つかの戦闘が起こった。アリゾナの住人はメキシコで戦っている幾つかの軍隊の一つに入隊した。1916年にニューメキシコ州のパンチョビラで起こったコロンバス襲撃を除けば、1918年のアンボス・ノガレスの戦いが唯一アメリカ合衆国の国土で起こったアメリカ軍とメキシコ軍の間の重要な戦いだった。この戦闘はアメリカ軍の勝利に終わった。アメリカ兵がメキシコ連邦の部隊に銃撃された後、アメリカ軍守備隊がノガレスに襲撃を掛けた。両軍とも大きな損失を蒙った後にメキシコ軍が降伏した。その数か月前、インディアンとの戦闘も起こった。これは1775年から1918年まで続いたインディアン戦争の最後の戦闘となった。この戦闘に参加したのは国境に駐屯するアメリカ軍とヤクイ族インディアンだった。ヤクイ族インディアンはメキシコに対する戦争の一部として、近くのメキシコ集落を襲撃するための拠点にアリゾナの地を使っていた。

アリゾナ州は1912年2月14日にアメリカ合衆国の州として昇格した。このことで大陸アメリカの領土拡大活動が終わった。アリゾナ州は合衆国48番目の州であり、大陸アメリカの中では最後の州になった。

スコッツデール近く、アリゾナ砂漠の夕陽。気候と景観がアリゾナ観光産業の二枚看板である

アリゾナ州全体の二大産業だった綿花栽培と銅鉱山は世界恐慌の時に大きな苦境を味わったが、観光産業が今日あるような重要な産業になり始めたのも1920年代と1930年代だった。ウィッケンバーグのK・L・バーやレムダ、ツーソンのフライングVとタンクヴェルデのような牧場では、「西部開拓時代」の雰囲気や生活を観光客に体験させる機会を提供した。この期間に大規模なホテルやリゾートが開業し、そのうちの幾つかは今日でも観光客を惹き付ける施設のトップランクに入っている。例えばフェニックス中央部のアリゾナ・ビルトモア・ホテル(1929年開業)やフェニックス西部のウィグワム・リゾート(1936年開業)である。

第二次世界大戦時、アリゾナ州にはドイツ人イタリア人の捕虜キャンプと日系アメリカ人の強制収容所があった。これらは戦後に廃止された。フェニックス地域にあった跡地は戦後にメイタグ家が買収し、現在はフェニックス動物園になっている。日系アメリカ人の強制収容所は州南西部ツーソン市の直ぐ郊外リーモン山にあった。捕虜キャンプはユマ郡東部ヒラ川近くにあった。戦時中に日本軍が西海岸に侵略して来る恐れがあったので、アリゾナ州西部の日系人住人は全て強制収容所に住むことが求められた。

アリゾナ州にはフェニックス・インディアン学校もあった。この学校はインディアンの子供達をアングロ・アメリカ文化に同化させるために連邦政府が設立した施設の1つだった。インディアンの子供達はその両親や家族の意志に反してこの学校に入学することが多かった。インディアンとしての自己認識を抑え込むために、髪を切らせたり英語の名前を持つことも子供達に強制された。

アリゾナ州の人口は第二次世界大戦後に大きく成長したが、これには空調機器が発達して厳しい夏も快適に過ごせるようになったことが一部貢献していた。アリゾナ州州務省が毎年発行するアリゾナ州ブルーブックに拠れば、州人口は1910年時点で294,353人だったが、1970年までに1,752,122人と60年間で6倍近くになった。10年間毎の成長率は当初平均で約20%だったが、後には平均60%となった。

1960年代には退職者の地域社会ができた。これはアメリカ合衆国中西部や北東部の厳しい冬から逃れたい高齢者の需要に合わせて、入村者の年齢を制限した社会を造ったものだった。デベロパーのデル・ウェブが設立したサンシティは1960年の開村であり、そのような社会の趨りだった。ツーソンの南にあるグリーンバレーも類似した社会であり、アリゾナ州で教職員を務めた者の隠棲地としてデザインされた。毎年冬にアリゾナ州を訪れて冬季間のみ滞在する高齢者も多く、そのような人々はスノーバードと呼ばれている。

1966年ミランダ警告が制定されるきっかけとなった「ミランダ対アリゾナ州事件」判決が連邦最高裁にて示された。

2000年3月、選挙で選ばれる公職候補者を指名するためにインターネットで合法的に選挙を行った最初の州になった。2000年のアリゾナ州民主党予備選では、世界中の注目を集める中でアル・ゴアがビル・ブラッドリーを破り、有権者の投票率も前回1996年の5倍以上になった。

アメリカ海軍ではこれまで3艦が「アリゾナ」と命名されてきたが、アリゾナ州ができてから以降は戦艦アリゾナのみである。

地理

関連項目:州立公園国立公園 及び National Forestsの一覧
ツーソンの東、スワロ国立公園リンコン地区から見る日没のスワロ
グランド・キャニオン国立公園
メテオ・クレーター

アリゾナ州はフォー・コーナーズの1州として南西部に位置している。面積では国内50州のうち第6位(第5位はニューメキシコ州、第7位はネバダ州)である。総面積113,998平方マイル (295,253 km) のうち、約15%が民間で所有されている。その他は公有の森林と公園、州信託地およびインディアン居留地である。

アリゾナ州は典型的に、サボテンのような乾生植物が豊富な砂漠の風景で有名である。また非常に暑い夏と温暖な冬という気候でも知られている。アリゾナ州の南部がベイスン・アンド・レンジの砂漠であるのに対して、州の北中部のコロラド高原は松など常緑樹で覆われた高地である事はあまり知られていない。

アメリカ合衆国南西部の他の州と似て、アリゾナ州は砂漠気候に加え多様な地形上の特色を有している。州の北東部はコロラド高原であり、残りもベイスン・アンド・レンジ地帯となっていることから、及び台地が州内の面積の半分以上を占めている。その乾燥した気候にも拘わらず、27%は森林である。これは現在のフランスやドイツに相当している。アメリカ合衆国内で最大のポンデローサ松(Ponderosa Pine)の成育地となっている。

高さおよそ600メートル(2000フィート)の絶壁、モゴヨンリムがアリゾナ州の中央部を横断する形で切り立っており、コロラド高原の南西縁になっている。ここで2002年に史上第二位となる森林火災を経験した、

アリゾナ州は北アメリカのベイスン・アンド・レンジ地帯の中に入っている。この地形は前史時代の火山活動で形成され、その後に冷却とそれに関わる沈降が起こった。

グランド・キャニオンはアリゾナ州北部の変化に富んだ険しい斜面のある渓谷であり、コロラド川の浸食を受けた。この渓谷は世界自然の七不思議の一つであり、アメリカ合衆国で最も初期に指定された国立公園の一つ、グランド・キャニオン国立公園の中に大半が含まれている。セオドア・ルーズベルト大統領は何度もここを訪れてマウンテンライオンを狩猟し、景色を楽しんだ者であり、グランド・キャニオン国立公園の指定を主唱した。

この渓谷は数百万年の間にコロラド川が水路を刻んだものであり、延長は277マイル (443 km)、幅は4マイルから18マイル (6 - 29 km)、深さは1マイル (1.6 km) 以上に及ぶ。20億年近い間にコロラド川とその支流が堆積層を次々と切り開き、その間にコロラド高原が隆起した。

アリゾナ州は世界でも最も良く隕石が衝突した跡が保存されている場所の1つである。バリンジャー隕石クレーター(単純に「メテオ・クレーター」と呼ばれる)はコロラド高原の中央にある巨大な穴であり、ウィンスローから西に約25マイル (40 km) の位置にある。砕け散った巨岩の縁は小さな家屋の大きさほどもあり、周辺の地面から150フィート (45 m) 盛り上がっているものもある。クレーターの幅は1マイル (1.6 km) 近く、深さは570フィート (174 m) ある。

アリゾナ州はサマータイムを実施していない2州の1つであり(もう1州はハワイ州)、北東部のナバホ族インディアン居留地のみ夏時間を実施している。

気候

コロラド川ホースシューベンド

アリゾナ州は面積が広く、標高差も大きいので、土地によって様々な気候が存在している。標高が低い地域では主に砂漠になっており、温暖な冬と暑い夏が特徴である。通常晩秋から早春にかけての冬は温暖であり、平均最低気温は 60°F(16℃) ほどである。11月から2月が寒い月であり、気温は 40°F(4℃) から 75°F(24℃) となるが、霜が降りるのはよくあることである。2月半ばを過ぎると気温が上昇を始め、日中は暖かく夜は冷たい風が吹く。夏は6月から9月であり、乾燥した暑さとなり、気温は 90°F(32℃) から 128°F(53℃) となり、砂漠地帯では 128°F(53℃) を超えることもある。これまでの最高温度は1994年6月29日と2007年7月5日にレイクハバスシティで記録された 128°F(53℃) である。また過去最低温度は1971年1月7日にホーリーレイクで記録された 40°F(4℃) である。

領域の多くが乾燥した気候であるために砂漠のほとんど開発されていない領域では昼と夜の温度差が大きくなり、特に夏は 50°F(28℃) も開くことがある。都心部では部分的な加熱の効果(ヒートアイランド)により夜の最低気温はそれほど低くならない。

州内の平均年間降水量は12.7インチ (323 mm) である。雨季は年2回あり、冬は太平洋から寒冷前線が来たときに、夏はモンスーンが吹いたときに雨が降る。モンスーンは夏の終わり頃に起こる。7月あるいは8月、露点温度が短時間に劇的に上昇する。この時、大気には大量の水蒸気が含まれる。フェニックスのモンスーンシーズンには露点が81°F (27 ℃) まで高くなったことがある。暖かい水蒸気は稲妻、雷雨、風および短時間ではあるが滝のような降雨となる。このためにしばしば鉄砲水が生じ、破壊的なものになることもある。自動車の運転手が溢れる水流を渡ることを避けさせるために、アリゾナ州は愚劣運転者法を制定した。アリゾナ州内で竜巻ハリケーンに襲われることは稀であるが、これまで発生した記録はある。

アリゾナ州の北側3分の1は台地であり、低地砂漠よりもかなり標高が高くて、寒い冬と凌ぎやすい夏という全体的に冷涼な気候である。最低温度の極値は不明である。北部の州およびカナダからの冷たい気団が州内に入ってきて、州北部では 0°F(-18℃) 以下まで気温を下げることがある。

気候の多様性を示す指標として、大半の日が 100°F(38℃) を超える都市圏(フェニックス都市圏)と、大半の日が氷点以下にまで下がる都市圏(フラッグスタッフ都市圏)の双方がある。

人口動勢

フェニックス都市圏の郊外開発
人口推移
【年】
【人口】
【】

1860 | 6,482 |  | 

1870 | 9,658 |  | 49.0%
1880 | 40,440 |  | 318.7%
1890 | 88,243 |  | 118.2%
1900 | 122,931 |  | 39.3%
1910 | 204,354 |  | 66.2%
1920 | 334,162 |  | 63.5%
1930 | 435,573 |  | 30.3%
1940 | 499,261 |  | 14.6%
1950 | 749,587 |  | 50.1%
1960 | 1,302,161 |  | 73.7%
1970 | 1,770,900 |  | 36.0%
1980 | 2,718,215 |  | 53.5%
1990 | 3,665,228 |  | 34.8%
2000 | 5,130,632 |  | 40.0%
2010 | 6,392,017 |  | 24.6%
Source:1910-2010

19世紀の大半、アリゾナ州はほとんど人が住んでいないままに過ぎた。1860年の国勢調査では「アリゾナ郡」人口が6,482人とされており、そのうち4,040人はインディアン、21人は解放黒人、2,421人が白人だった。2006年現在、アリゾナ州は前年より213,311人、すなわち3.6%増加し、2000年より1,035,686人、すなわち20.2%増加して、人口6,166,318人と推計された。これには前回の国勢調査からの自然増297,928人(出生564,062人、死亡266,134人)と州内への移住者745,944人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は204,661人増加したこととなり、合衆国内部の移動者は541,283人増加したことになる。州人口が増加を続けているために水需要については大きな歪みを生じている。

フェニックス都市圏の人口は1991年から2001年の間に45.3%増加し、1990年代のアリゾナ州を国内でも2番目に成長速度の高い州にしていた(第1位はネバダ州).。現在のフェニックス都市圏人口は430万人を超えていると推計されている。

アリゾナ州の人口重心ギルバートがあるマリコパ郡となっている[2]

2010年国勢調査による州人口6,392,017人のうち、人種構成は以下のようになっている。

2003年国勢調査推計によると、アリゾナ州はアメリカ合衆国内の州の中でインディアンの人口が2番目に多くなっている。アリゾナ州内に住むと報告されるインディアン286,680人はこの国内総計インディアン系人口2,752,158人の10%以上であるとしている。唯一カリフォルニア州がアリゾナ州よりもインディアン系が多く、アリゾナ州はオクラホマ州よりも少しインディアン系が多くなっている[3]。大陸48州の中ではインディアン言語を話す人の数が最も多く、2005年時点でナヴァホ語の場合は85,00人が家庭で話している。また西アパッチ語は10,403人が話している。

アリゾナ州で最大の祖先グループはメキシコ系 (21%)、ドイツ系、イギリス系、アイルランド系、およびアメリカ・インディアン系である。この州の南部及び中央部の一部はユマ及びサンタクルス郡を除き、最大のメキシコ系アメリカ人地域となる。北部中央部及び北西部の郡はイギリス系祖先の住民が多く住んでいる。アリゾナ州の北東部は多くのアメリカ・インディアン系が暮らしている。

アリゾナ州は遅くとも2035年に最大人口の人種が過半数にならない州になると予測されている。2003年に初めて、ヒスパニック以外の白人出生数より多くのヒスパニックが出生した。

2000年現在、アリゾナ住民の5歳及びそれ以上の74.1%は自宅で英語を話し19.5%はスペイン語を話している。ナバホ語は0.6%で他のインディアン言語及び0.5%でドイツ語に続き、1.9%で3番目に多く話されている言語になる。

人口の49.9%は男性で、50.1%は女性である。

2010年、不法滞在移民の構成比は7.9%と推計されている。これは国内の州の中ではネバダ州の8.8%に次いで2番目に高い数字である。

宗教

アリゾナ州民の5人の内4人はカトリックおよびプロテスタントの両方を合わせたキリスト教徒であると回答している。モルモン教人口もまた多くなっている。

アリゾナ州内の宗教人口構成比率は次のようになっている:

インディアン部族

アリゾナ州のインディアン部族の保留地(橙色の部分)

アパッチ族ココパー族ハルチドホマ族ハリクワマイ族ハヴァスパイ族ホピ族コフアナ族マリコパ族モハーベ族ナバホ族パイユート族パパゴ族ピマ族クアハチカ族ソバイプリ族トント族ワラパイ族ヤヴァパイ族ユマ族などのインディアン部族が先住している。このうち大部分の部族が同じ言語を持つため、実際は別部族であるが白人は見分けがつかず、これらをまとめて「アパッチ族」としていた。

グランド・キャニオンの谷底に、ヤヴァパイ族など数部族が古代から暮らす。観光事業に注力した保留地(Reservation)が多く、「インディアン・カジノ」も盛況である。

19世紀末にこの地に金鉱が見つかり、押し寄せた白人たちによってヒラ川流域で暮らすインディアン部族の土地は略奪蹂躙された。また、1880年代から1900年までのわずか20年間で、白人入植者の乱獲によって流域のシカやアンテロープはほぼ絶滅させられた。

「クーリッジ・ダム」がヒラ川を堰き止めたため、ヒラ川は「世界一水量のない川」のひとつとなった
アパッチ族と、系列部族の保留地。ホピ族の保留地はナバホ族の保留地の中にある
ナバホ族の保留地

1928年、アメリカ連邦政府がクーリッジ・ダムを建設し、ヒラ川を堰き止めたため、下流域にあるピマ族の保留地では農業が壊滅した。食糧自給が不可能となったピマ族はアメリカ連邦政府の配給する高カロリー食材の影響で、部族員の7割が肥満という「世界一肥満の多い民族」となった。彼らの糖尿病罹病率は全米白人の平均罹病率の19倍となっている。 ナバホ族の女性は、保留地で羊・ヤギの放牧を生業としているが、彼らの家畜頭数は連邦条約で規制されており、年次末には余剰分は溺死屠殺される決まりである。白人牧場主にこのような規制はない。

同州のアリゾナ大学は2006年に545人、2007年に631人、2008年に730人とインディアン学生を年次増加させており、2009年秋で792人と、現在全米で最もインディアン学生の多い大学となっている。

≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族と部族連合≫

出典:wikipedia
2018/11/10 22:07

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「アリゾナ州」の意味を投稿しよう
「アリゾナ州」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

アリゾナ州スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「アリゾナ州」のスレッドを作成する
アリゾナ州の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail