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アーカンソー州とは?

アーカンソー州
State of Arkansas



(州旗) | (州章)
州の愛称: 自然の州
The Natural State
州都
リトルロック
【最大の都市】
リトルロック
州知事
アサ・ハッチンソン (Asa Hutchinson)
公用語
英語
面積
- 総計
- 陸地
- 水域 全米第29位
137,733 km²
134,856 km²
2,876 km² (2.1%)
人口(2010年)
- 総計
- 人口密度 全米第32位
2,915,918
21.8人/km²
【合衆国加入
- 順番
- 加入年月日】

25番目
1836年6月15日
時間帯
UTC -6
DST -5
緯度
北緯33° - 36°30'
経度
西経89°39' - 94°37'
【東西の幅】
385 km
【南北の長さ】
420 km
標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
839 m
200 m
17 m
【略称 (ISO 3166-2:US)】
US-AR
【ウェブサイト】
アーカンソー州政府
【上院議員】
ジョン・ボーズマン
トム・コットン

アーカンソー州(: State of Arkansas [ˈɑrkənsɔː] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国南部である。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第29位、人口では第32位である。州の北はミズーリ州に接し、東はテネシー州ミシシッピ州に、西はオクラホマ州テキサス州に、南はルイジアナ州に接している。略称Ark.,AR。州都かつ人口最大の都市は、州中央部に位置するリトルロック市である。前身のアーカンソー準州から1836年6月15日に合衆国25番目の州に昇格した。

地形的にはアメリカ内陸高原を構成するオザーク高原やワシタ山地(Ouachita Mountains)のある山岳地から、東部のミシシッピ川やアーカンソー・デルタのある低地まで多様である。

【家庭で話される言語(アーカンソー州) 2010】

 |  |  |  | 
英語 | 
 | 93.39%
スペイン語 | 
 | 4.82%
【人種構成(アーカンソー州) 2010】

 |  |  |  | 
白人 | 
 | 74.5%
黒人 | 
 | 15.4%
ヒスパニック | 
 | 6.4%
アジア系 | 
 | 1.2%
インディアン | 
 | 0.8%
混血 | 
 | 2.0%

州名の由来

「アーカンソー」という名前はカンザス州と語源を同じくする。カンザ族(コー族)インディアングレートプレーンズスー族と密接な関係がある。カンザ族と近縁のクアポー族(Quapaw)の言葉で「下流の人々の土地」を意味する「アカカズ」(akakaze)、あるいはスー族の言葉で「南風の人々」を意味する「アカカズ」(akakaze)をフランス語風に発音したのがアーカンソー("Arcansas")である。なお、この語末の「a+子音字」は標準フランス語では[a]と発音するため、これを[ɔː]と発音するのはケベック・フランス語など北アメリカのフランス語の特徴といえる。アーカンソーの発音については、州選出の2人のアメリカ合衆国上院議員の間で、片方が「アーカンザス」([ɑːrˈkænzəs] ar-KAN-zəs)を主張したのに対し、もう一方が「アーカンソー」([ˈɑːrkənsɔː] AR-kən-saw)を主張するという論争があった(太字に第一強勢アクセント)。そして1881年の州議会立法で公式に「アーカンソー」と決められた。

開拓初期にクマが多く棲息していたため「クマの州 Bear State」という愛称がある。

歴史

詳細は「アーカンソー州の歴史」を参照

アーカンソー州となった地域を最初に訪れたヨーロッパ人は、フランシスコ・ピサロペルーを征服した時の軍人であるスペイン人探検家エルナンド・デ・ソトであり、金と中国への道を探してほぼ1年間アーカンソー南部を探索した後、1542年にミシシッピ川沿いの現在の(レイクビレッジ)近くで死んだ。スペイン人あるいはフランス人の探検家が、ミシシッピ川の下流に住んでいたクアポー族インディアンをイリノイ族(Illinois Confederation)が呼んでいた言葉から音を借りて、アーカンソーという名前を付けた。アーカンソー地域に住んでいたインディアン部族としては、クアポー族、カド族、オーセージ族(Osage Nation)などがいた。彼等が西方に強制移住させられた後は、文明化五部族が入ってきた。

アーカンソーは、1803年にアメリカ合衆国がナポレオン・ボナパルトから買収したルイジアナ領土の一部だった。1819年7月4日にアーカンソー準州となり、1836年に合衆国25番目の州、13番目の奴隷州として州昇格を認められた。農園経営者がアーカンソー・デルタに入って綿花を栽培し、アフリカ人奴隷が最も多い地域となった。他の地域は自作農が多く、作物も多種にわたった。

アーカンソーは、テキサスがメキシコからの独立を果たした戦争で、部隊や物資を送って重要な役割を果たした。州内(ワシントン市)はテキサス国境に近く、1835年から1836年のテキサス革命に巻き込まれた。1834年サミュエル・ヒューストンやその同調者が、ワシントン市の酒場で革命の計画を練ったという証拠もある。戦争が始まると、アーカンソー州など南東部州の志願兵がこの町を通ってテキサスの戦場に向かった。

1846年に米墨戦争が始まると、ワシントンは志願兵の集合地点になった。州知事のトマス・S・ドルー(Thomas Stevenson Drew)は州内で騎兵1個連隊と砲兵1個大隊を立ち上げ、アメリカ陸軍に加えるという声明を発した。10個中隊が纏められ、アーカンソー騎兵第1連隊に繰り入れられた。

ミシシッピ・デルタの東部では綿花文化が発展し、農園主が連れてくるか、アッパーサウスの諸州から輸入した奴隷を大々的に使っていた。南北戦争開戦前の1860年、州内には111,115人の奴隷がおり、州人口の25%を超えていた。

1861年初期、湾岸の州は揃って合衆国から脱退したが、アーカンソー州が脱退したのは、サムター要塞の戦いに続いてエイブラハム・リンカーン大統領が軍隊招集を呼びかけた後になってから、1861年5月6日だった。大規模会戦が続いた東部戦線とは異なり、アーカンソー州内では多くの小競り合いや小規模戦闘があった。当時注目されたのは南軍のパトリック・クリバーン少将だった。多くの者が南軍師団長の中でも最も傑出した将軍と見なし、「西のストーンウォール」と呼ばれることも多かった。元連邦議会議員だったトマス・ハインドマン少将が、州北西部で起きたケインヒルの戦い(Battle of Cane Hill)とプレーリーグローブの戦いで南軍を指揮した。

軍政の布かれたレコンストラクション時代、連邦議会は1868年6月にアーカンソー州の連邦復帰を宣言した。共和党が支配した州議会では、男性の普通選挙(ただし南軍協力者、その大半は民主党員は選挙権を剥奪された)や公共教育制度を導入し、州内の問題を解決し人口を増やすための方策を定めた。州議会は急進派共和党(北部から入って来た政治家たちで、汚職を噂されたため「カーペットバッガー」と呼ばれた)の圧倒的支配下に入り、パウェル・クレイトン(Powell Clayton)知事の下で、共和党民兵とクー・クラックス・クランとの間の暴動と人種間暴力の時代を過ごした。

1874年、2年前の州知事選のもつれから共和党の派閥間での政争であるブルックス・バクスター戦争(Brooks–Baxter War)が起こり、リトルロックや州政府を揺り動かした。これはユリシーズ・グラント大統領が州知事候補の一人だったジョセフ・ブルックス(Joseph Brooks (politician))にその軍事的支持者を解散させるよう命じてやっと解決された。その後新州憲法が批准され、元南軍協力者の選挙権が回復された。

1881年の州議会立法で公式に「アーカンソー」という発音が決定され、続いていた州名の発音にまつわる論争にケリを付けた。

レコンストラクション後、州内には国内外からの移民が増加するようになった。中国人イタリア人シリア人などが発展するデルタ地帯の農場労働力として導入された。しかし長く農場労働者として留まる者はいなかった。特に中国人は直ぐにデルタ周辺の町の小商人になった。20世紀初期に入ってきたのは東ヨーロッパからの移民がいた。デルタ周辺は他の地域よりも民族分布的に多様になった。同じ頃に黒人の移民も入ってきており、低湿地を開発し自らの資産を持つ機会を得ようとしていた。多くの中国人は小さな町の商人として成功し、その子弟を大学で学ばせるようになった。

小作農の妻と子供達、ワシントン郡、1935年頃

鉄道の開通は、より多くの農民が作物を市場に送ることを可能にした。またリゾート地として開発されたオザーク高原など、農村地帯以外の発展にもつながった。例えば、19世紀の末頃、キャロル郡ユリーカスプリングスは急速に観光地として成長し、人口1万人と州内第4の都市となった。健康に良いと考えられた天然泉周辺に優美なリゾートホテルや温泉が新築された。この町の呼び物には競馬など娯楽もあった。この町は様々な階層に受け、州内ホットスプリングスと同じくらいの人気が出た。

1880年代後半、農業の景気が悪化してポピュリストなど第三政党が生まれ、異人種間の連衡に繋がった。南部の他州と同様、民主党は権力を保持するために議会立法や憲法の修正を行い、黒人や白人低所得層の選挙権を剥奪した。民主党は彼等の連携を阻止しようとした。1891年、黒人や白人低所得層が排除されることを期待して、議会は識字能力テストを求める法を成立させた。この頃人口の25%以上が読み書きできなかった。1892年、州憲法を改正して、有権者登録税とさらに複雑な住民資格を定め、貧民や小作農などを選挙から閉め出した。

1900年、民主党は郡と州の選挙で白人予備選挙(White primaries)を拡大し、黒人が政治に関わることを否定した。予備選挙で黒人が候補者になれたとしても、民主党が権力の全てを掌握した。数十年間も民主党一党独裁が継続したが、1964年の公民権法と1965年の選挙権法成立で、その時代が終わった。

1905年から1911年にかけて、ドイツ人スロバキア人アイルランド人移民が少数ながら入ってくるようになった。ドイツ人とスロバキア人はプレーリーと呼ばれた州東部に入り、アイルランド人移民は南東部に小さな地域社会を作った。ドイツ人は大半がルーテル教会員であり、スロバキア人はカトリック教徒だった。アイルランド人はアルスタープロテスタントが多かった。

1954年、「ブラウン対トピカ教育委員会事件」に対するアメリカ合衆国最高裁判所判決が出た後、州都リトルロックで高校での人種差別撤廃を求めたアフリカ系アメリカ人生徒を保護するために連邦政府が干渉した、いわゆるリトルロック・ナインが全国の注目を集めさせた。オーバル・フォーバス州知事は州軍に命じて、9人のアフリカ系アメリカ人生徒がリトルロック中央高校に入るのを阻止する人種分離主義者を助けるよう仕向けた。ドワイト・D・アイゼンハワー大統領はフォーバス州知事と3度接触を試みた後、現役任務の第101空挺師団から1,000名を派遣して、9人の生徒が1957年9月25日に高校に入学するのを護衛するよう命じた。合衆国裁判所が人種統合を行うよう命令を出したことに対抗して、知事とリトルロック市は、その学校年の残り期間高校を閉鎖することを決めた。1959年秋までにリトルロック市の高校は完全に人種差別を撤廃した(リトルロック高校事件)。

1992年民主党ビル・クリントンがこの州出身者として初めて大統領に選出された。クリントンは州内ホープ市の生まれであり、第40代および第42代州知事を合計12年間務めていた。

地理

参照:アーカンソー州の郡一覧

プティジャン州立公園のプティジャン山からの眺め
マギーヒー近くアーカンソー・デルタの平坦な地形
ワシタ国有林を流れるワシタ川
ストーン郡にあるブランチャード・スプリングス洞窟
バッファロー国立河川
ワシタ山地のフラットサイド原生地

州の北はミズーリ州に接し、東はテネシー州ミシシッピ州に、西はオクラホマ州テキサス州に、南はルイジアナ州に接している。アメリカ合衆国国勢調査局はアーカンソー州をアメリカ合衆国南部に分類し、さらに西南中央部州に小分類している。ミシシッピ川が州東部境界の大半を構成しているが、北東部にあるクレイ郡グリーン郡ある部分は、ミズーリ州南東部の靴の踵状に伸びた部分(Bootheel)があり、セントフランシス川が州境になっている。また州境が法律で決められて以降、ミシシッピ川が流れを変えた場所が多くある。このために東のミシシッピ州との境界は確定できない要素がある。

アーカンソー州の地形を見ると、北西部の高地と南東部の低地に二分できる。北西部高地は南部内陸高原の一部であり、オザーク高原やワシタ山地がある。南東部低地にはメキシコ湾海岸平原とアーカンソー・デルタが含まれる。この2地域に分けるやり方は幾らか単純化し過ぎたきらいがあり、州を北西部、南西部、北東部、南東部および中央部に分けるのが通常の分類方法であるが、明確な境界が設定されているわけではない。地形ではオザーク高原、ワシタ山地、アーカンザス川河谷、メキシコ湾海岸平原、クロウリーズリッジおよびアーカンソー・デルタ、さらには他地域と重なる州中央部の7つに分類することもできる。

ミシシッピ沖積平原に沿った南東部はアーカンソー・デルタと呼ばれる。この地域はミシシッピ川が度々洪水を起こして堆積された肥沃な沖積土壌によって平坦である。南東部の川から離れた地域はうねりのあるグランドプレーリーになる。これらはどちらも肥沃な農業地帯である。アーカンソー・デルタはクロウリーズリッジと呼ばれる異常な地質層によって二分されている。クロウリーズリッジはうねりのある細い幅の丘陵線であり、周りの沖積平原からは250ないし500フィート (75 - 150 m) 立ち上がっている。州東部の主要な町の多くがこの丘陵線に沿ってある。

州北西部はオザーク山地を含むオザーク高原の一部であり、南にはワシタ山地があり、アーカンザス川で二分されている。州南部と東部は低地と呼ばれている。これらの山地はアメリカ内陸高原の一部であり、ロッキー山脈アパラチア山脈の間では唯一の高原地帯である。州内最高地点はワシタ山地にあるマガジン山であり、標高は2,753フィート (839 m) である。

州内および州境には多くの河川、湖、貯水池(人造湖)がある。ミシシッピ川の主要な支流としては、アーカンザス川、ホワイト川、セントフランシス川がある。アーカンザス川河谷ではマルベリー川フーシュラフェイ川がアーカンザス川に注ぎ、ダーダネル湖もある。ホワイト川には、バッファロー川リトルレッド川ブラック川キャッシュ川が注いでいる。州南部のワシタ川には、セイリーン川リトルミズーリ川バイユー・バーソロミューカドー川が注いでいる。レッド川の一部はテキサス州との州境になっている。自然の湖はほとんど無いが、ブルショールズ湖ワシタ湖グリアーズフェリー湖ミルウッド湖ビーバー湖ノーフォーク湖デグレイ湖コンウェイ湖などダムで造られた人造湖は多い。

アーカンソー州にはブランチャード・スプリングス洞窟等、多くの洞窟が存在する。州内の考古学者によって、先コロンブス期にインディアンが住み、狩りを行い、道具を作った場所、43,000か所以上が登録されている。その多くは墳丘墓や岩のくぼみの住居である。州内にはホットスプリングス国立公園 及びバッファロー国立河川がある。アーカンソー州はダイヤモンドが自然に埋蔵されている事が発見された合衆国内で唯一の州である。ただし一般人が少ない日給で原始的な掘削道具を使って掘り出すものであり、商業ベースには乗っていない。

州内には多くの原生林があり、その総面積は15万エーカー (600 km) ほどもある。アウトドア・レクリエーションのための地域が指定され、狩猟、釣り、ハイキング、キャンプなどに開放されている。自動車の進入が禁止されている。

植物相と動物相

生態系地域としては、「オザーク・ワシタ・アパラチア森林地域」、「ミシシッピ沖積平原・南東部海岸平原」、「南東部平原」の3つに分けられている。さらにアーカンザス・バレー、ボストン山地、ミシシッピ沖積平原、ミシシッピ・バレー黄土平原、オザーク高原、ワシタ山地、南中部平原の7つに小区分されている。アメリカ合衆国森林局による2010年調査により、州総面積の56%、1,872万エーカー (75,000km) が森林地とされた。この森林地に多い樹種は、オーク、ヒッコリー(Carya)、短葉松(Pinus echinata)、テーダマツである。オザーク高原やワシタ山地は氷河期に氷河に覆われなかったことから、固有種の動植物が比較的多い。

絶滅危惧種ハシジロキツツキが州内に生息している可能性がコーネル大学鳥類学チームによって発表されている。

気候

アーカンソー州は温暖湿潤気候(ケッペンの気候区分Cfa)にあり、北部山岳地では湿潤大陸性気候である。メキシコ湾に接してはいないが、その暖かく巨大な水域に近いので、州内の気候に影響を受けている。概して暑く湿潤な夏と、冷たくやや乾燥した冬が特徴である。リトルロックの7月では、日中の平均最高気温が93°F (34 ℃)、最低気温は73°F (23 ℃) となる。1月では、平均最高気温が51°F (11 ℃)、最低気温が32°F (0 ℃) となる。州北西部のサイロームスプリングスの7月では、日中の平均最高気温が89°F (32 ℃)、最低気温は67°F (19 ℃) となる。1月では、平均最高気温が44°F (7 ℃)、最低気温が23°F (-5 ℃) となる。年間平均降水量は40ないし60インチ (1,000 - 1,500 mm) である。南部で降水量が多く、北部は少ない。降雪は北部で多く、年間数回雪が降ることがある。これには平原州に接していることだけでなく、オザーク高原やワシタ山地など標高が高いことも関係している。リトルロックより南部では雪が少ないが、氷雨を伴う暴風に襲われることがある。冬季のみぞれなど凍るような雨は州全体で見られ、交通や日々の暮らしに影響している。州内過去最高気温は1936年8月10日にオザークで記録された120°F (49 ℃)、過去最低気温は1905年2月13日にラウンドポンドで記録された-29°F (-34 ℃)である。

異常気象でも知られている。通常年には雷雨、竜巻、雹、雪、氷雨がみられる。グレートプレーンズとメキシコ湾岸の間にあり、雷雨は年間60日ほど記録されている。アメリカ史の中でも最大級の竜巻に襲われたこともある。海岸から離れているのでハリケーンに直撃されることは少ないが、熱帯低気圧の名残によって短時間に多量の雨が降ったり、小さな竜巻を生むこともある。

気温

都市 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 Avg
フェイエットビル 44/24
(7/-4) | 51/29
(10/-2) | 59/38
(15/3) | 69/46
(20/8) | 76/55
(24/13) | 84/64
(29/18) | 89/69
(32/20) | 89/67
(32/19) | 81/59
(27/15) | 70/47
(21/9) | 57/37
(14/3) | 48/28
(9/-2) | 68/47
(20/8)
ジョーンズボロ 45/26
(7/-3) | 51/30
(11/-1) | 61/40
(16/4) | 71/49
(22/9) | 80/58
(26/15) | 88/67
(31/19) | 92/71
(34/22) | 91/69
(33/20) | 84/61
(29/16) | 74/49
(23/9) | 60/39
(15/4) | 49/30
(10/-1) | 71/49
(21/9)
リトルロック 51/31
(11/-1) | 55/35
(13/2) | 64/43
(18/6) | 73/51
(23/11) | 81/61
(27/16) | 89/69
(32/21) | 93/73
(34/23) | 93/72
(34/22) | 86/65
(30/18) | 75/53
(24/12) | 63/42
(17/6) | 52/34
(11/1) | 73/51
(23/11)
テクサーカナ 53/31
(11/-1) | 58/34
(15/1) | 67/42
(19/5) | 75/50
(24/10) | 82/60
(28/16) | 89/68
(32/20) | 93/72
(34/22) | 93/71
(34/21) | 86/64
(30/18) | 76/52
(25/11) | 64/41
(18/5) | 55/33
(13/1) | 74/52
(23/11)
モンティチェロ 52/30
(11/-1) | 58/34
(14/1) | 66/43
(19/6) | 74/49
(23/10) | 82/59
(28/15) | 89/66
(32/19) | 92/70
(34/21) | 92/68
(33/20) | 86/62
(30/17) | 76/50
(25/10) | 64/41
(18/5) | 55/34
(13/1) | 74/51
(23/10)
平均最高 °F/平均最低 °F (平均最高 °C/平均最低°C)

人口動勢

人口密度図
人口推移
【年】
【人口】
【】

1810 | 1,062 |  | 

1820 | 14,273 |  | 1,244.0%
1830 | 30,388 |  | 112.9%
1840 | 97,574 |  | 221.1%
1850 | 209,897 |  | 115.1%
1860 | 435,450 |  | 107.5%
1870 | 484,471 |  | 11.3%
1880 | 802,525 |  | 65.6%
1890 | 1,128,211 |  | 40.6%
1900 | 1,311,564 |  | 16.3%
1910 | 1,574,449 |  | 20.0%
1920 | 1,752,204 |  | 11.3%
1930 | 1,854,482 |  | 5.8%
1940 | 1,949,387 |  | 5.1%
1950 | 1,909,511 |  | -2.0%
1960 | 1,786,272 |  | -6.5%
1970 | 1,923,295 |  | 7.7%
1980 | 2,286,435 |  | 18.9%
1990 | 2,350,725 |  | 2.8%
2000 | 2,673,400 |  | 13.7%
2010 | 2,915,918 |  | 9.1%
Source:1910-2010

2005年時点で、アーカンソー州は前年より29,154人、または1.1%増加し、2000年より105,756人、または4.0%増加した、人口2,779,154人と推計された。これは2000年の国勢調査からの自然増52,214人 (出生198,800人、死亡146,586人) と州内への移住者57,611人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は21,947人増加し、合衆国内部の移住者は35,664人増加した。約48.8%が男性で、51.2%が女性である。

アーカンソー州の人口は1820年で15,000人に満たなかったが、1835年の特別国政調査時に52,240人にまで増加し、州昇格に必要とされた4万人を遙かに超えていた。1836年に州昇格を果たした後、1870年まで人口は倍増を続けた。その後も成長を続けたが1950年と1960年には幾らかの減少を記録した。これには幾つかの原因があった。農業の機械化によって農業労働者の需要が減ったこと、教育を受けた若者が農業以外の仕事を求めて州を離れたことなどだった。その後は成長を再開し、1980年には200万人を超えた。現在の成長率、年齢別構成、男女比率は全国平均と同じ水準にある。少数民族比率もほぼ全国平均並みだが、ヒスパニック系の構成比率は全国平均より約10ポイント低い。

アーカンソー州の人口重心ペリー郡の北東角となっている。

人種及び祖先

州北西部のオザークや中央部では、圧倒的にヨーロッパ系アメリカ人が多い。ミズーリ州との州境に近い最北西部オザークでは、ドイツ系、アイルランド系、イングランド系が多い。アイルランド系は主に、北アイルランド、スコットランド低地、および北イングランドから来たスコットランド系アイルランド人プロテスタントであり、アメリカ独立前に渡ってきた者達の子孫である。イングランド系とスコットランド系アイルランド人移民はアメリカ南部の田園部や山岳地に入植した。イギリス系アメリカ人は州内全域で見られる。アフリカ系アメリカ人は主に南部と東部に住んでいる。

人種的な構成比は以下の通りである。

2010年に調査された祖先による分類は次のようになっている。

出典:wikipedia
2020/07/02 17:12

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