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アーセナルFCとは?

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【アーセナルFC】

【原語表記】
Arsenal Football Club
【愛称】
The Gunners
【クラブカラー】
赤(レッド)・ 白(ホワイト)
【創設年】
1886年
【所属リーグ】
プレミアリーグ
【ホームタウン】
ロンドン
【ホームスタジアム】
エミレーツ・スタジアム
【収容人数】
60,260
【運営法人】
アーセナル・ホールディングス
【代表者】
チップス・ケズウィック
【監督】
ウナイ・エメリ
【公式サイト】
公式サイト

ホームカラー
 | 
アウェイカラー
 | 
サードカラー


■テンプレート(■ノート)サッカークラブPJ

アーセナル・フットボール・クラブ(Arsenal Football Clubイギリス英語発音: [ˈɑːsənl ˈfutˌbɔːl klʌb])は、イングランドの首都ロンドン北部をホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。愛称はガナーズ(Gunners)。サポーターはグーナー(Gooner)と呼ばれる。これまでリーグ優勝13回(プレミアリーグ優勝は3回)、FAカップ優勝13回など多くのタイトルを獲得している。

クラブのモットーは「勝利は調和の中から生まれる(ラテン語: Victoria Concordia Crescit)」。1949年から使用されたクレストに初めて登場する。現行のクレストは2002年から使用されており、大砲の上にサンセリフ体でチーム名が書かれている。

目次

  • 1 概要
  • 2 歴史
    • 2.1 創成期(1886年-1920年)
    • 2.2 ハーバート・チャップマンの時代(1925年-1940年)
    • 2.3 戦後初のダブル、フェアーズカップ(1947年-1980年)
    • 2.4 ジョージ・グラハムの時代(1986年-1995年)
    • 2.5 アーセン・ベンゲルの就任と無敗優勝(1996年-2005年)
    • 2.6 エミレーツへの移転と無冠の時代(2000年代後半)
    • 2.7 無冠時代の終焉とベンゲル退任(2011年-2018年)
    • 2.8 ウナイ・エメリ監督就任(2018年-)
  • 3 ユニフォーム
  • 4 ダービーマッチ
  • 5 エピソード
  • 6 タイトル
    • 6.1 国内タイトル
    • 6.2 国際タイトル
    • 6.3 親善大会(非公式大会)
  • 7 スタジアム
  • 8 現所属メンバー
    • 8.1 スタッフ
    • 8.2 選手
      • 8.2.1 ローン移籍
    • 8.3 リザーブ・アカデミー
  • 9 2018-2019シーズンのスポンサー
    • 9.1 LEAD PARTNERS
    • 9.2 OFFICIAL PARTNERS
    • 9.3 歴代胸スポンサー
  • 10 歴代所属メンバー
    • 10.1 歴代出場試合数記録
    • 10.2 歴代総得点数記録
  • 11 脚注
  • 12 関連項目
  • 13 外部リンク

概要

1886年に創立。現在のホームスタジアムはロンドンエミレーツ・スタジアム(収容人数60,260人)。プレミアリーグに所属し、同リーグにおいて3回の優勝記録を持つ(フットボールリーグ時代を含めると13)。2003-2004シーズンには無敗優勝を達成したイングランド屈指の強豪である。クラブカラーは。1886年に軍需工場の労働者のクラブとして創設されたため、チームのエンブレムは大砲のマークを持つ。「ガナーズ(Gunners,砲撃手)」の愛称で知られる。

歴史

創成期(1886年-1920年)

1888年のアーセナルの選手達
創立当時の1888年に用いられたアーセナルのロゴ

1886年、ロンドン南東部ウーリッジ地区にあった王立兵器廠(ロイヤル・アーセナル)の労働者がダイアル・スクエア(Dial Square)のチーム名で結成した。1886年12月11日に初めての試合をイースタン・ワンダラーズと行い、6-0で勝利。しばらくしてロイヤル・アーセナル(Royal Arsenal)と名称を変更し、1891年、プロ化を果たすとともにウーリッジ・アーセナル(Woolwich Arsenal)へと改称した。

1893年にフットボールリーグ2部に加盟すると、1904年に1部へ昇格。しかし地理的要因により集客力が悪かった影響で、1910年に破産状態に陥り、ヘンリー・ノリスに買収された。ノリスは2部に降格後の1913年、チームをロンドン北部のハイベリー地区にあったアーセナル・スタジアムに移転させると、翌年(1914年)、名称から「ウーリッジ」が外され、現在の名称となった。

1919年に5位でシーズンを終えるも、近隣のライバルであるトッテナム・ホットスパーを差し置いて1部昇格を果たす。これが現在まで続く両チームの激しいライバル関係の端緒となったという見方もある。

ハーバート・チャップマンの時代(1925年-1940年)

1925年、ハーバート・チャップマンが監督に就任する。チャップマンによる革新的な戦術やトレーニング法の導入、アレックス・ジェームスクリフ・バスティンといったスター選手の獲得が、1930年代にアーセナルがイングランドサッカーを支配する礎となった。チャップマンの下で1929-30に初のFAカップ優勝、1930-31に初のフットボールリーグ優勝を果たす。

スタジアム最寄りの地下鉄の駅名を「ギレスピー・ロード」から「アーセナル」へと変更させたのもチャップマンの手腕によるものと言われている。ロンドンの地下鉄の中でサッカークラブのチーム名が駅名となっているのはアーセナルだけである。

夜間の試合のためにハイベリーのウェストスタンドに投光照明器を採用したのもチャップマンがリーグで初めてであったが、イングランドサッカー協会はその使用を50年代まで認めなかった。

また、リーグにおいて選手の背番号制を初めて導入したのもチャップマンである。このように、アーセナルだけでなくサッカーの近代化に大きな貢献をしたチャップマンは、1934年に肺炎で急逝した。その死後ジョー・ショー、続いてジョージ・アリソンが監督を引き継ぎ、2人の下でアーセナルはチャプマン時代の1932-33、1933-34を含めたリーグ3連覇、2回のリーグ優勝(1934-35、1937-38)と2回のFAカップ優勝を果たした。しかし、1939年9月の第二次世界大戦の勃発と共にリーグは中断を余儀なくされた。

戦後初のダブル、フェアーズカップ(1947年-1980年)

1949年から2002年にかけて用いられていたエンブレム

第二次世界大戦後、アリソンの後を継いだトム・ウィタカーの下でも1947-48、1952-53の2回のリーグ優勝、1949-50のFAカップ優勝を成し遂げるが、その後チームは低迷し、50年代はメジャーなタイトルを獲得することなく終わる。

1966年、クラブのフィジオセラピストだったバーティー・ミーが予想外に監督へ抜擢されると、2度のリーグカップ準優勝を経て、1969-70にクラブ史上初のヨーロッパでのタイトルとなるインターシティーズ・フェアーズカップを獲得。更に1970-71にはリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成した。しかしダブルを達成したメンバーが徐々にチームを離れていくと、1970年代はタイトル獲得の一歩手前で足踏みするシーズンが続く。リーグ2位(1972-73)、3度のFAカップ準優勝(1971-72、1977-78、1979-80)、UEFAカップウィナーズカップ準優勝(1979-80)がこの間の成績で、獲得したタイトルは1978-79のFAカップ優勝のみである。マンチェスター・ユナイテッドを終了間際のゴールにより3-2で破ったこの試合は、アーセナルの歴史における名勝負の一つに数えられている。

ジョージ・グラハムの時代(1986年-1995年)

1986年に就任したジョージ・グラハムは元アーセナルの選手であり、クラブに第3の黄金期をもたらした。就任1年目の1986-87に初のリーグカップ優勝。1988-89のリーグ優勝はシーズン最終節で優勝を争っていたリヴァプールをその本拠地アンフィールドでロスタイムに下すという劇的なものだった。これは最も有名なアーセナルの試合の一つである。

1990-91に1敗のみでリーグ優勝、1992-93にFAカップとリーグカップを獲得、1993-94にカップ・ウィナーズ・カップを獲得。しかし、選手獲得の際にリベートを受け取っていたことが明らかとなって、1995年にグラハムは解雇された。後任はブルース・リオッホが務めたが、彼も1シーズンで退任した。

アーセン・ベンゲルの就任と無敗優勝(1996年-2005年)

2003-04シーズン、プレミアリーグ優勝の黄金トロフィーを受け取るキャプテンのパトリック・ヴィエラ

1990年代後半から2000年代にかけてのクラブの成功は、1996年に就任したアーセン・ベンゲルの手腕によるところが大きい。ベンゲルは新たな戦術、トレーニング法を導入すると同時に、イングランド人を補完する形で外国人選手を獲得した。食事制限や禁酒の徹底、外国人選手の登用などがプレミアリーグ全体にもたらしたインパクトは大きく、多くのチームや監督がベンゲルの影響を受けたと言われている。アーセナルは伝統的にフィジカルを前面に押し出した守備的な戦い方で知られており、1990年代後半は「フェイマス4」と呼ばれた4バック(トニー・アダムスナイジェル・ウィンターバーンリー・ディクソンマーティン・キーオン)とゴールキーパーデビッド・シーマンを擁して堅固な守備を誇った。また、他チームのサポーターや攻撃的サッカーを好む一般のマスコミからは「1-0のアーセナル」「退屈で守備的サッカーを展開するチーム」などと揶揄された。しかし、ベンゲル就任後はこの伝統の守備的なチームカラーから一転、海外の選手を積極的に補強し、華麗なパスワークを武器にした圧倒的な攻撃力を誇るチームへと生まれ変わった。

ベンゲルは1997-98シーズンにクラブ史上2度目となるリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成し、更に2001-02シーズンにも3度目のダブルを果たす。2001-02のリーグ優勝は敵地マンチェスター・ユナイテッドの本拠地オールド・トラフォードで決めたものである。1999-00にUEFAカップ準優勝、2002-03と2004-05にFAカップ優勝。特に、2003-04シーズンはシーズンを通じて一度も負けることなくプレミアリーグ優勝(無敗優勝)を果たし、このチームは「インヴィンシブルズ(The Invincibles,無敵のチーム)」として讃えられた。無敗優勝はイングランドではプレストン・ノースエンド以来115年ぶりの快挙であり、優勝は最大のライバルトッテナムの当時の本拠地ホワイト・ハート・レーンで決定づけた。その後も49戦無敗を続け、この記録は未だに破られていない。なお、カップ戦を含めた無敗は2007年4月9日から同年11月24日にかけての28試合である。2005-06にはクラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出したが、バロセロナに破れて惜しくも初優勝を逃した。

アーセナルはベンゲル指揮下の16シーズン中、8シーズンでリーグ優勝及び2位の座を獲得しており、チームはフットボールリーグに代わって1993年に設立されたプレミアリーグで優勝を果たした6クラブ(マンチェスター・ユナイテッドチェルシーマンチェスター・シティブラックバーン・ローヴァーズレスター)のうちの一つとなった。

エミレーツへの移転と無冠の時代(2000年代後半)

2006年6月、93年間使用したハイベリーに別れを告げ、エミレーツ・スタジアムへ移転した。こけら落しアヤックスを招いて行われたデニス・ベルカンプの引退試合であった。

この時期のクラブ経営陣はエミレーツ・スタジアム建設に関わる負債の返済のために、チームの主力級の選手に対してチェルシーマンチェスター・ユナイテッドといった他のビッグクラブで主力級の選手が得ているほどの高額な年俸の支払いを認めなかった上、たとえタイトルに恵まれない状況下でもトップレベルの実力と経験のある選手の獲得のために資金を投入しようとはしなかったため、タイトル獲得やより高い報酬を求めてクラブを去る主力選手が後を絶たなかった。このような理由でクラブを離れた選手には、ロビン・ファン・ペルシーセスク・ファブレガスアシュリー・コールサミル・ナスリエマニュエル・アデバヨールガエル・クリシーパトリック・ヴィエラアレクサンドル・フレブマチュー・フラミニらがいた。

2004-05にジョゼ・モウリーニョが監督に就任したチェルシーに得失点差で及ばずリーグ優勝を逃して以降、10シーズン以上もの間リーグで優勝できず、チェルシーやマンチェスター・ユナイテッド等の後塵を拝する形で次第に優勝争いから遠ざかる状況が常態化するようになっていった。またFAカップも2004-05の優勝以降、9年間タイトルに恵まれなかったほか、UEFAチャンピオンズリーグでは2005-06大会の決勝でバロセロナに破れて以来決勝の舞台には立てておらず、中には決勝トーナメント一回戦で敗退する年すらあった。

このように2000年代中頃から2010年代初頭はクラブ史における低迷期とも言える時期であったが、同時に世代交代の時期でもあった。ティエリ・アンリ、ベルカンプ、ヴィエラ、ロベール・ピレスソル・キャンベルフレドリック・ユングベリヌワンコ・カヌローレン・エタメ・マイヤーといった黄金時代を支えた選手達が去る中でクラブは急速に世代交代を進めていき、チームの中心はセスク・ファブレガス、ファン・ペルシー、トマーシュ・ロシツキーアンドレイ・アルシャビントーマス・フェルマーレンバカリ・サニャコロ・トゥーレウィリアム・ギャラス、ナスリ、アデバヨール、フラミニといった選手が占めるようになっていった。若手を中心としたチームはポテンシャルを感じさせるプレーを度々見せたものの、精神面やパフォーマンスに安定を欠いていたためか内紛が多く、先述のように主力選手が他のビッグクラブへと去ることも多かった。しかしこの間もセオ・ウォルコットアーロン・ラムジージャック・ウィルシャーローラン・コシールニーなどはチームに留まり続け、その後のチームの屋台骨を支える選手として成長していった。

2011年以後の補強の成功により、チームの戦力は徐々に充実していった。2011-12シーズンはセスク・ファブレガスが退団したが、ミケル・アルテタヨッシ・ベナユンらを補強した。2011年にブレーメンから移籍して来たペア・メルテザッカーは、1年目は怪我に苦しんだものの、2012-13にはコシールニーとの息の合ったコンビネーションを見せた。この2012-13シーズンはファン・ペルシーが退団したものの、マラガから加入したサンティ・カソルラが加入直後からチームにフィットしてチームの躍進を支えたほか、モンペリエからオリヴィエ・ジルーが加入して47試合に出場し17ゴールを記録した。

無冠時代の終焉とベンゲル退任(2011年-2018年)

エミレーツ・スタジアム建設に関わる負債の減少から緊縮財政が終わると、経済的理由による主力の放出は治まり、高額な移籍金のかかる選手の獲得にも乗り出せるようになる。

2013年9月2日にアーセナルは当時のクラブ史上最高の移籍金5000万ユーロでレアル・マドリードからメスト・エジルを獲得した。エジルはカソルラらと息の合ったコンビネーションを構築し、2年連続でUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに選出されるほどの卓越したパフォーマンスを披露した。このような補強の成功と戦力の増強が奏功し、チームは5月17日のFAカップ決勝にてハル・シティに逆転勝利を収めて優勝を果たし、アーセナルは9シーズンぶりにタイトル獲得の喜びをファンと分かち合った。

翌年の2014-15シーズンにはバロセロナから3500万ポンド(約60億円)でチリ代表アレクシス・サンチェスを、ニースから2014 FIFAワールドカップで脚光を浴びたコロンビア代表ダビド・オスピナを、ニューカッスル・ユナイテッドからフランス代表マテュー・ドゥビュシーなど6名を獲得するなど、積極的な補強を行った。シーズン最初のコミュニティーシールドでは前季リーグ王者のマンチェスター・シティと対戦し3-0で勝利を収め、このシーズン最初のタイトルを獲得した。リーグも例年よりも安定した戦績を積み3位となったほか、FAカップでは決勝でアストン・ヴィラに4-0での勝利を収め、2年連続でカップを制した。この優勝によりアーセナルのFAカップにおける優勝回数は12回となり、アーセナルはマンチェスター・ユナイテッドを単独で上回る歴代最多優勝チームとなった。

2015年7月30日、同じくロンドンを本拠地とするライバルのチェルシーからペトル・チェフを獲得。8月2日にはコミュニティーシールドでそのチェルシーと対戦して1-0で勝利し、同大会の通算タイトル獲得数を14に伸ばした。この2015-16シーズンは前半戦(19節)終了時点でリーグ首位に立っていたものの、最終的にレスターに抜かれ、2004-05以来の2位でシーズンを終えた。

2016-17シーズンは、ボルシアMGからグラニト・ジャカバレンシアからシュコドラン・ムスタフィデポルティーボ・ラ・コルーニャからルーカス・ペレスを獲得した。開幕戦こそリヴァプールに敗れたものの、チェルシーに勝利するなど調子が上向きであった。しかしエジルが不調に陥り、サンチェスの個の力に依存するようになると徐々に順位を落とし、最終的には5位でシーズンを終え、チャンピオンズリーグ出場権を19シーズンぶりに逃した。同年のチャンピオンズリーグでもベスト16でバイエルンに2戦合計2-10で大敗し姿を消した。しかしFAカップでは決勝でチェルシーに2-1で勝ち、再び史上最多となる13回目の優勝を飾り無冠を免れた。

2017-18シーズンは、夏の移籍市場でセアド・コラシナツアレクサンドル・ラカゼットを獲得したほか、長年に渡って維持してきたCL出場権を逃したことでフロント陣の大刷新が図られ、フィットネスコーチとしてAFLのチームからオーストラリア代表リヴァプールで働いていたオーストラリア人ダレン・バージェスを引き抜いた。彼はアーセナルでは、メディカル、フィットネス、心理学、そしてパフォーマンス分析を任され、更にスポーツにおける法律関連の業務を取り扱う企業のディレクター職兼自転車ロードレースのチーム「チームスカイ」で法律顧問を務める弁護士ハス・ファミーを契約交渉担当として引き抜いた。2017年11月20日には約10年間ドルトムントに在籍し敏腕スカウトとして注目されていたスヴェン・ミスリンタットをスカウトとしては異例の移籍金を支払う形でスカウト部門の責任者として引き抜いた。同年11月28日、約15年間FCバルセロナのFDを務めていたラウル・サンレヒが2018年2月1日からサッカー部門責任者として就任することを発表した。トップチームのコーチにクラブOBのレーマンが就任した。入れ替わる形で約8年間に渡って交渉責任者を務めていたディック・ロウや約25年間に渡ってチーフスカウトを務めてきたスティーブ・ローリーが退任した。 冬の市場ではオーバメヤンサンチェスとトレードする形でムヒタリアンなど、ミスリンタットが古巣でスカウトした選手を立て続けに獲得した。しかし、スタッフ陣の大刷新も実らず、6位でシーズンを終え2季連続でCL出場権を逃したことで、2018年4月20日、22年間指揮したアーセン・ベンゲルの今季限りでの退任が発表された。

ウナイ・エメリ監督就任(2018年-)

2018年5月23日、ウナイ・エメリがアーセナルの22年ぶりの新監督として就任することが発表された。新加入選手はドルトムントからソクラティス・パパスタソプーロスサンプドリアからルーカス・トレイラなど合わせて5名ほどとなっており刷新と言うほどにはならなかったが、監督交代などもあり昨季に続きスタッフ陣の刷新が行われ、昨季キャプテンを務めシーズン終了後に現役引退したメルテザッカーがアーセナルアカデミーの監督に就任したほか、同じくOBのユングベリが同アカデミーのヘッドコーチに就任した。しかし昨季コーチに就任したOBのレーマンは退団することが決まった。また同年12月1日付けで、約10年に渡りアーセナルのCEOを務めてきたイヴァン・ガジディスがACミランのCEOに就任することが発表された。後任としてラウル・サンレヒがフットボール部門のヘッドに、ヴィナイ・ヴェンカテシャムがマネージングディレクターに就任することになった。また、冬の移籍市場ではセビージャで指揮をとっていた時の教え子であるデニス・スアレスを、バルセロナから買い取りオプション付きでレンタルした。

ユニフォーム


設立当初のユニフォーム

1933年のユニフォーム

ダービーマッチ

2012年11月に行われたノース・ロンドン・ダービー。アーセナルはトッテナムに5-2で勝利した。
詳細は「アーセナルFC対マンチェスター・ユナイテッドFC」を参照

エピソード

出典:wikipedia
2019/03/22 00:49

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