このキーワード
友達に教える
URLをコピー

イスラム教とは?

移動先: 案内検索
 | 

この記事には複数の問題があります改善ノートページでの議論にご協力ください。

  • 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2017年8月)
  • 一次情報源または主題と関係の深い情報源のみに頼って書かれています。(2017年8月)
  • 信頼性に問題があるかもしれない資料に基づいており、精度に欠けるかもしれません。(2017年10月)
  • 世界的観点からの説明がされていないおそれがあります。(2017年10月)

 | イスラーム」はこのページへの統合が提案されています。議論は「このページのノート」を参照してください。(2018年2月)

イスラム教


ポータル・イスラーム

政治シリーズ記事からの派生
イスラム主義

主要項目
イスラム教の政治的側面
従属国
国際主義
イスラム原理主義
汎イスラム主義
シャリーア
ウンマ
反ナショナリズム
ポストコロニアル理論

団体
全インド・ムスリム連盟
ムスリム同胞団 ハマース
ヒズブアッタハリル
ジャマート・エ・イスラーミ

政策
イスラム化政策
イスラム経済
性分離
レジスタンス運動

概念

著作
The Reconstruction of Religious Thought in Islam (イクバール)
Milestones (クトゥブ)
Islamic Government (ホメイニー)

イスラームポータル
Portal:政治学

イスラム教(イスラムきょう、イスラーム教とも、正式名はイスラーム)は、唯一絶対の(アラビア語アッラー)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマドを通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。

ユダヤ教キリスト教の影響を受けた唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。アッラーを崇拝するが、アッラーとは、もともとアラビアの多神教の神々の中の一人であったが、ムハンマドがメッカを占領すると、他の多神教の神々の像は全て破壊され、そして作ることや描くことも禁止され、その神(アッラー)だけを崇拝するようになった。

目次

  • 1 名称
  • 2 世界全体
  • 3 教典
    • 3.1 アル=クルアーン
    • 3.2 スンナとハディース集
    • 3.3 聖書
  • 4 教義
    • 4.1 六信五行
    • 4.2 偶像崇拝の禁止
    • 4.3 預言者ムハンマド
    • 4.4 信徒間の平等
    • 4.5 イスラームにおける天国
  • 5 社会生活
  • 6 組織
  • 7 歴史
    • 7.1 始原
    • 7.2 ジハードとイスラム帝国の形成
    • 7.3 スンナ派とシーア派の分離
    • 7.4 ウマイヤ朝
    • 7.5 アッバース朝以後
    • 7.6 近代
  • 8 他の宗教との関係
    • 8.1 ユダヤ教との関係
    • 8.2 キリスト教との関係
    • 8.3 シーク教との関係
    • 8.4 バハーイー教との関係
  • 9 現代のイスラム教を巡る諸問題
    • 9.1 政治的問題
    • 9.2 現代国際社会の普遍的価値観との相克
    • 9.3 信教の自由とシャリーアとの矛盾
    • 9.4 同性愛者の人権
    • 9.5 「女性差別」問題
      • 9.5.1 一夫多妻
      • 9.5.2 女児の早婚
      • 9.5.3 女性の服装規定問題
      • 9.5.4 女性への性暴力
    • 9.6 「ジハード」概念の問題
      • 9.6.1 イスラーム戦争法の問題
    • 9.7 クルアーンの扱い
    • 9.8 イスラム教と科学
    • 9.9 イスラム教理解そのものに関する問題
  • 10 日本とイスラム教
    • 10.1 婚姻と割礼
    • 10.2 著名な日本在住ムスリム
    • 10.3 日本のイスラーム関係の著名人
  • 11 脚注
    • 11.1 注釈
    • 11.2 参照
  • 12 参考文献
  • 13 関連書籍
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク

名称

イスラム教はアラビア語を母語とするアラブ人の間で生まれ、神がアラビア語をもって人類に下したとされるクルアーンを啓典とする宗教であり、教えの名称を含め、宗教上のほとんどの用語はアラビア語を起源とする語である。

イスラム教に帰依する者(イスラム教徒)は、アラビア語起源の言葉でムスリム(مسلم muslim)といい、ムスリムは、自らの教えの名を、アラビア語で「身を委ねること」「神に帰依すること」を意味するイスラーム (الإسلام al-Islām) の名で呼ぶ。「イスラーム」は「神への帰依」を意味すると解されており、「ムスリム」(イスラム教徒)は「神に帰依する者」を意味する。

また、「イスラム」という名称は、創始者(または民族)の名称を宗教名に冠していない(即ち、ムハンマド教とならない)。これは、他の主要な宗教とは異なるとされており、この理由には諸説あるが、主な宗教学者の解説によれば、イスラムが特定の人間の意志によって始められたものではないこと、及び国籍や血筋に関係なく全ての人々に信仰が開かれていることを明示するためであるとしている。

イスラームは最初の人間アーダム(アダム)を最初の預言者として始まった真正な宗教とされ、他の宗教はそこからの逸脱として始まったのであると考えられている。(一神教系他宗教はこの意味ではイスラームの一部)

今日、この宗教を呼ぶ際に日本で一般的に用いられているイスラム教とは、アラビア語のالإسلام(イスラーム)という言葉が英訳表記された「Islam」に由来するものである。一方、近年、研究者を中心に、アラビア語の長母音をより厳密に反映した「イスラーム」という言葉が好んで使われるようになってきた。高等学校世界史教科書や参考書、あるいは書店に並ぶ本や雑誌においても「イスラーム」の表記が用いられることが増え、一般にも定着しつつあるといえる。

日本を含む東アジア漢字文化圏では、古くは「回教」と呼ばれることが多かったが、現在は国際的にイスラームの名に基づく呼称が一般的であり、あまり用いられていない。中国語では現在も一般名称としてムスリムを“回民”と呼ぶ(「ムスリム」を音写した「穆斯林」も使われるようになっている)。

世界全体

世界各国の信徒数の割合
法学派の分布

今日、ムスリムは世界のいたるところでみられる。異論はあるが、16億人の信徒があると推定されていて、キリスト教に次いで世界で2番目に多くの信者を持つ宗教である。ムスリムが居住する地域は現在ではほぼ世界中に広がっているが、そのうち西アジア北アフリカ中央アジア南アジア東南アジアが最もムスリムの多い地域とされる。特にイスラム教圏の伝統的な中心である西アジア・中東諸国では国民の大多数がムスリムであり、中にはイスラム教を国教と定め、他宗教の崇拝を禁じている国もある。

世界のムスリム人口は、多子化やアフリカ内陸部などでの布教の浸透によって、現在も拡大を続けているとされる。また、移民として欧米諸国など他宗教が多数派を占める地域への浸透も広まっており、イギリスではすでに国内第2位の信者数を有する宗教である。

しかしながら、近年はわずかながら他宗教への改宗によりムスリム人口が減少している国も存在する。ただ、現在では他宗教への改宗及び棄教行為はリベラルな法学者や信徒の間では自由とされているものの、クルアーンやシャリーア、ハーディスなどに書かれているように歴史的には死罪となるのが建前であり、現在でもこの立場を取っている法学者も多い。

なお日本人ムスリムの総数は、大規模な調査が行われていないこともあり、はっきりしていない。過去に行われた調査では数千〜数万程度のばらつきのある数字が提示されているため、最大に見積もっても信徒数は5万名に届かないのではないかと推測されている。在日外国人まで含めた信者数についても諸説あり、5万人、12万人、18万人など、人によって主張される数の開きは大きい。文化庁の宗教年鑑でも、イスラム教は、神道・仏教・キリスト教以外の「諸教の諸教団」に天理教などと共に含まれ、詳細な調査はほぼ行われていない。

トルコ、東ヨーロッパ、シリア、イラク、エジプト、インド、中央アジアにはオスマン帝国の公認学派であり、最も寛容で近代的であるとされるハナフィー学派(スンニ派)が多い。その他の地域では、イランはジャアファル学派(シーア派)、アラビア半島は最も厳格なことで知られるハンバル学派(スンニ派)、マグリブマーリク学派(スンニ派)、東南アジア、東アフリカはシャーフィイー学派(スンニ派)が多い。

教典

アル=クルアーン

詳細は「クルアーン」を参照
ナスフ体によるクルアーン(コーラン)

イスラム教の教典(聖典)としてすべてのムスリムが認め、従うのは、アラビア語で「朗唱されるもの」という意味をもつクルアーン(コーラン)唯ひとつである。クルアーン(コーラン)はムハンマドが最後の預言者として語った内容が、ムハンマドおよび後継者の代によって編集され、書物となったものである。

アダムノアアブラハムモーセイエスなどの預言者たちが説いた教えを、最後の預言者であるムハンマドが完全な形にしたとされている。

クルアーン自身の語るところによれば、クルアーンとは、唯一なる神が、人類に遣わした最後にして最高の預言者であるムハンマドを通じて、ムスリムの共同体(アラビア語でウンマ)に遣わした啓典(キターブ)であり、ムスリムにとっては、神の言葉そのものとして社会生活のすべてを律する最も重要な行動の指針となる。

イスラム教では、神(アッラーフ)が、預言者を通じて人類に下した啓典が、人類にとって正しい信仰の拠りどころになると考えている。

ムハンマド以前から、神はさまざまな共同体に預言者を遣わして、啓典を下してきた。しかしそれらのうちでもクルアーンは、神が人類に啓典を伝えるために選んだ最後にして最高の預言者であるムハンマドに対し、最も明瞭な言語であるアラビア語を用いて人々に与えた啓典であり、アラビア語で書かれたクルアーンの言葉は神の言葉そのもので、最も真正な啓典であるとされている。

このようなアラビア語に対する認識から、イスラム教は少なくともその成立当初はアラビア語を解するアラブ人のための民族宗教という一面を持っていたと指摘されることもある。しかし一方で、クルアーンは全人類のために下された啓典といわれており、現実にイスラーム教徒は民族を超えて世界中に存在していることから、イスラームは普遍宗教であるというのが通説である。ただしイスラーム教文化とアラブ文化を混同する傾向は、イスラームが普遍宗教となって以降も、アラブ人ムスリムを中心に残っている。

スンナとハディース集

上記のとおり、イスラームの教典としてすべてのムスリムがその内容を認める(認めることがムスリムとしての絶対条件とされる)のはアル=クルアーンのみであるが、実際にはアル=クルアーンに次ぐ事実上の聖典と言える書物が存在する。

そもそも預言者ムハンマドの在世中から、ムスリム達はムハンマドが神の言葉として語ったアル=クルアーン(として後に纏められる物)についで、ムハンマドが自分自身の言葉として語ったものや、ムハンマドの行動をスンナ(慣習)として尊び、アル=クルアーンに次ぐ指針としてきた。預言者ムハンマドの没後には、これらのスンナが識者達の伝承として伝えられていく。この伝承を、ハディースとよぶ。9世紀にはブハーリーやムスリムをはじめとする学者達がこれらのハディースの収集と記録に取り掛かり、ハディースの真偽を問うハディース学も発展した。

とりわけブハーリーとムスリムの記したハディース集は、後代のスンナ派の学者達によってすべてのハディースが真正であるという合意(コンセンサス、イジュマー)が得られており、そのためこの二つの真正集は「両真正集(サヒーハーニ)」と呼ばれ、前近代のスンナ派においては事実上の聖典として、アル=クルアーンに次ぐ地位を与えられた。シーア派でも、独自の基準で厳選されたムハンマドやイマーム達のハディース集が同様の扱いを受けた。

しかし近代に入ると、ヨーロッパ世界をはじめとする非イスラーム世界の学者達のハディース批判の影響を受け、両真正集のハディースや、甚だしくはハディースすべてを後代のイスラーム共同体による捏造として否認するムスリムも現れるようになった。

聖書

上記のとおり、イスラームではアル=クルアーン以前にも啓示を記した書物としてユダヤ教とキリスト教の聖書があるとしている。このことだけ見れば、これらの書物も、アル=クルアーン同様神の言葉であり、聖典として尊ばなければならないということになる。現にアル=クルアーンには、聖書を確証するためにアル=クルアーンがあるという節がある。

しかし現実には、ムスリムとユダヤ教徒やキリスト教徒との敵対関係、続くイスラームによる両教徒の制圧と従属民化に伴い、ムスリムの間では現実にユダヤ教徒やキリスト教徒が用いている聖書は改竄と捏造を繰り返されたもので、聖典としての価値を失っているとみなす教義を発達させた。そのため現在に至るまでムスリムが聖書を読むことは、宗教知識人などを除けばほとんどない。

教義

六信五行

イスラム教の信仰の根幹は、六信五行、すなわち、6つの信仰箇条と、5つの信仰行為から成り立っている。

六信は、次の6つである。

  1. (アッラー)
  2. 天使(マラーイカ)
  3. 啓典(クトゥブ)
  4. 使徒(ルスル)
  5. 来世(アーヒラ)
  6. 定命(カダル)

このうち、特にイスラム教の根本的な教義に関わるものが神(アッラー)と、使徒(ルスル)である。ムスリムは、アッラーが唯一の神であることと、その招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる。イスラム教に入信し、ムスリムになろうとする者は、証人の前で「神のほかに神はなし」「ムハンマドは神の使徒なり」の2句からなる信仰告白(シャハーダ)を行うこととされている。

また、ムスリムが取るべき信仰行為として定められた五行(五柱ともいう)は、次の5つとされている。

  1. 信仰告白(シャハーダ)
  2. 礼拝(サラー)
  3. 喜捨(ザカート)
  4. 断食(サウム)
  5. 巡礼(ハッジ)

これに、奮闘努力(ジハード)を6つめの柱として加えようという意見もあるが、伝統的には上の5つである。

これらの信仰行為は、礼拝であれば1日のうちの決まった時間、断食であれば1年のうちの決まった月(ラマダーン、ラマダン)に、すべてのムスリムが一斉に行うものとされている。このような行為を集団で一体的に行うことにより、ムスリム同士はお互いの紐帯を認識し、ムスリムの共同体の一体感を高めている。集団の一体感が最高潮に達する信仰行為が巡礼(ハッジ)であり、1年のうちの決まった日に、イスラム教の聖地であるサウジアラビアメッカ(マッカ)ですべての巡礼者が定まったスケジュールに従い、同じ順路を辿って一連の儀礼を体験する。

偶像崇拝の禁止

イスラームにおいては偶像崇拝の禁止が徹底されている。イスラームは神の唯一性を重視するため、預言者の姿を描く絵画的表現は許されない。 それゆえ、ムスリムが礼拝をおこなうモスクには、他宗教の寺院や聖堂とは異なり、内部には宗教シンボルや聖像など偶像になりうる可能性が存在するあらゆるものがない。ただ、広い空間に絨毯ござが敷き詰められているだけで、人びとはそこでカアバがあるメッカの方角(キブラ)をむいて祈る。モスクには、メッカの方角の壁にミフラーブと呼ばれるアーチ状のくぼみがあり、ムスリムはそれによってメッカの方向を知る。

ムハンマドのカーバ神殿に祭られていた神像を破壊したと預言者伝に書かれており、現在でも異教の偶像を破壊することは奨励されているこのためタリバーンバーミヤン遺跡の大仏破壊を行った。またISILシャルリー・エブドの描いた風刺画を理由にテロを働いた。

写本絵画などにおいては、預言者ムハンマドの顔には白布をかけて表現されることが多いが、これも偶像崇拝を禁止するイスラームの教義に由来している。

預言者ムハンマド

「イスラーム」とは、唯一神アッラーへの絶対服従を意味しており、モーセ(ムーサー)やイエス(イーサー)も預言者として認めている。ただし、イエスもムハンマドもあくまで人間として考えており、それゆえ、イスラーム暦の元年はムハンマド生誕の年ではなく、西暦622年メディナにウンマ(イスラーム共同体)ができたヒジュラの年を元年にしている。

信徒間の平等

イスラム教の聖典『クルアーン』(コーラン)には信徒間の平等が記されているとする意見があるが、少なくとも『クルアーン』には、「アッラーはもともと男と(女)の間には優劣をお付けになったのだし、金は男が出すのだから、この点で男の方が上に立つべきもの。だから、貞淑な女はひたすら従順に」と、男女不平等を明記する記述もある。イスラーム社会では、他の宗教にみられるような聖職者僧侶階級をもたない。宗教上の指導者を有するのみである。

現実には、ウマイヤ朝では、シリア総督であったムアーウィヤは、シリア優先主義を採り、アラブ人、特にシリアに移住したアラブ人の優越主義が採られ、アラブ人ムスリムと改宗ムスリム(マワーリー)との税制・待遇面の格差は著しかった。対して、アッバース朝ではその反動から、シュウービーヤという思想が起こり、これはカバーイル(アラブ人)にシュウーブ(ペルシャなどの先進文化地域民)を対比させ、シュウーブの優越を主張したものであった。結果、アラブ人の特権は、廃止された。このように、果たして平等かどうかは、時代によって波がある。また、インド圏のイスラム教徒の間には、アシュラーフ等とするカースト的な慣行が存在しており、平等ではない。

イスラームにおける天国

イスラームにおける天国(جنّة jannah) は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされる。キリスト教と異なり、イスラム教の聖典『クルアーン』ではイスラームにおける天国の様子が具体的に綴られている。

また決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができるとされている。

後述する『ジハード』に関しても、過激派組織が自爆テロの人員を募集する際にこのような天国の描写を用いている場合が少なくないとされ、問題となっている。

しかし、これらの描写は比喩的なものに過ぎないという意見もある。また、処女とは間違いで、実際は白い果物という意味だという説もある。650年頃に編纂されたコーランの書かれた地域のアラビア語の方言と、現在使用されているアラビア語では、意味が違ってくることを理由としている。2005年にドイツのクリストフ・ルクサンブルクが、古代に書かれたコーランを古代アラブ・シリア語の語彙で解読すると、先述したように、意味が違ってくると主張している。

社会生活

ムスリムは、クルアーンのほかに、預言者ムハンマドの膨大な言行をまとめたハディース(伝承)に、クルアーンに次ぐ指針としての役割を与えている。その理由は、ムハンマドは神に選ばれた最高の預言者であるから、彼の言行のすべては当然に神の意志にかなっていると考えられるからである。また、ムスリムの実生活上の宗教や日常に関するさまざまな事柄を規定するために、クルアーンやハディースを集成してシャリーア(イスラーム法)がまとめられている。

これらは教典ではないが、教典を補ってムスリムの社会生活を律するものとされており、その範囲は個人の信条や日常生活のみならず、政治のあり方にまで及んでいる。信仰の共同体と政治的な国家が同一であったムハンマドの存命中の時代を理想として構築されたイスラーム社会の国家は政教一元論に立っているのであり、ヨーロッパのキリスト教社会の経験から導き出された「政教分離」という概念はそもそもイスラームに適合しないという意見が存在するのはこのためである。ただし後述するようにその遵守の度合いは極めて大きな差があり、トルコのような国家も存在しているため一概に政教分離が不可能であると決め付けることは出来ない。イスラムの特異性を過度に強調したステレオタイプ、もしくはキリスト教優越主義や欧州中心主義ではないかという批判もある。

ムスリムは少なくとも建前の上ではクルアーンやシャリーアの定めるところにより、日常生活においてイスラームの教えにとって望ましいとされる行為を課され、イスラームの教えにのっとった規制を遵守することになっている。教義の根幹として掲げられる五行はその代表的なものであるが、これらは社会に公正を実現し、ムスリム同士が相互に扶助し、生活において品行を保ち、欲望を抑制して、イスラームの教えにのっとってあるべき社会の秩序を実現させようとするものである。

公正の実現と不正の否定は、伝統的なイスラームの社会生活において特に重要視されていたとされる。伝統的社会においては、個々人がシャリーアを遵守し、イスラーム的価値観にのっとった公正を実現すべきものとされた。公正は商取引の規制にまで及んでおり、シャリーアに適合しない商取引は不正とみなされる。また、ザカート、サダカなどの喜捨の制度によって弱者を救済することは、現世の罪を浄化し、最後の審判の後によりよい来世を迎えるために望ましい行為とされ、イスラーム社会を支える相互扶助のシステムとなっている。社会的弱者に対する救済はイスラームの教えにおいて広く見られ、一夫多妻制のシステムも、建前の上では母子家庭の救済策であったとされている。

品行を保ち、人間の堕落を防ぐためとして、自由を制限する教えもみられる。保守派ムスリムが女性に対して家族以外の男性に対して髪や顔を隠すよう求めていることはよく知られているが、これは性欲から女性を保護する目的が本旨であると保守的イスラムを擁護する論者は主張している。このためキリスト教同様婚前交渉を禁ずる教派がほとんどだが、実際には国家や個人、世代によって戒律を遵守するか無視するかは多様である。酒は戒律上禁止されているとする教派が主流であるが、それは飲酒が理性を失わせる悪行であると考えられているからである。しかし、コーヒータバコのように、イスラム教の教義が確立後にイスラーム社会にもたらされた常習性や興奮作用のある嗜好品については、酒と類似のものとして規制する説も歴史的には見られたものの、今日では酒と異なって合法的なものとみなされることがほとんどであり、いずれもムスリムの愛好家は非常に多い。タバコについては身体に害のあるものは禁じられていると言う見地から避けるべきと考えるムスリムも多い。

「清浄」に対する強い意識も特色であり、動物の死肉や血など不浄なものが体に付着したまま宗教的行為を行ってもそれは無効とみなされる。また、礼拝の際には、体の外気に触れている部分(手足、顔など)は必ず水か砂、石など自然のもので清めなければならないとされている。 総合的に見ると、やはり中東地域(特にイラン、サウジアラビア)から離れるほど、一般的に律法としてのイスラームの教えは緩和されている。

組織

イスラム教における信徒の共同体(ウンマ)は、すべてのムスリムが参加する水平で単一の組織からなっていると観念されることが多い。

従って、キリスト教におけるように、宗教的に俗人から聖別され、教義や信仰をもっぱらにして生活し、共同体を教え導く権能を有する「聖職者」は建前の上では否定されており、これが他宗教に見られない特徴と主張する人間もいる。このことから「イスラムに『教皇』はいない」と言われることもあるが歴史的にはカリフや、現代では大ムフティーなど教皇に近い立場の指導者は存在している。しかし、六信や五行に代表されるような信仰箇条や信仰行為の実践にあたって、ムスリムを教え導く職能をもった人々としてウラマー(イスラーム知識人)が存在するため、実質的には聖職者が存在するともいえる。宗教的ヒエラルキーには教派による違いも存在している。

ウラマーは、クルアーン学、ハディース学、イスラーム法学、神学など、イスラームの教えに関するさまざまな学問を修めた知識人を指すが、彼らは社会的な職業としてはイスラーム法学に基づく法廷の裁判官(カーディー)、モスク(礼拝堂)で集団礼拝を指導する導師(イマーム)、宗教的な意見(ファトワー)を発して人々にイスラームの教えに基づく社会生活の指針を示すムフティー、イスラームの諸知識を講じる学校の教師などに就き、ムスリムの信仰を導く役割を果たしている。ウラマーは信仰においてはあくまで他のムスリムと同列に置かれており、建前の上では聖職者ではない。そのためキリスト教や仏教などと違い社会的な特権(税金の免除など)はないが妻帯禁止や禁欲など制限も存在しない。モスクを維持するために信者から集められるワクフが実質的にお布施のような物となり、モスクの管理者であるウラマーは信者からのワクフによる収入で暮らしていることも珍しくない。十分なワクフを集められない小規模組織では普段はほかの職業の就いていて週末のみウラマーとして働くことも珍しくはない。しかし宗教上は他の宗教における聖職者と同様の役割を果たした。このため、マスコミなどではしばしばウラマーは「イスラム教の聖職者 (cleric)」と報道されている。イスラームの原則として内心のことを判断できるのはアッラーのみなので建前上ウラマーなどの権威は当人の信仰の確かさに基盤があるのではなくクルアーン、ハディース、シャリーアなどについての知識によるものである。

歴史

始原

西暦610年頃に、ムハンマドはメッカ(「マッカ」とも言う)郊外で天使ジブリールより唯一神(アッラーフ)の啓示を受けたと主張し、アラビア半島でイスラーム教を始めた。当時、メッカは人口一万人ほどの街で、そのうちムハンバドの教えを信じた者は男女合わせて200人ほどに過ぎず、他の人々は彼の宗教を冷笑したが、妻のハデージャや親友のアブー・バクル、甥のアリー、遠縁のウスマーン達は彼を支えた。

しかし、メッカでの信者達は主にムハンマドの親族か下層民に限られており、619年に妻と、イスラム教徒にはならなかったが強力な擁護者であった叔父が他界すると、彼はメッカの中で後ろ盾を失い、批判は迫害へと変わった。そのため、彼は622年、成年男子七十名、他に女子供数十名をヤスリブ(のちのマディーナ(メディナ))に先に移住させ、自身も夜陰に紛れメッカを脱出し、拠点を移した。これをヒジュラ(聖遷)と言い、以後、彼らはメッカと対立した。

マディーナでは、ムハンマドはウンマと呼ばれる共同体を作り、これは従来のアラビアの部族共同体とは性格を異にする宗教的繋がりであったが、同時に政治・商業的性格をも持っていた。しかし、全てが順調に進んだわけではなく、やがて現地のユダヤ人と対立し、それは後には戦闘を含む規模にまで激化し、そのためムハンマドは教義を一部変更し、当初はユダヤ教の習慣に倣って、イスラム教徒もエルサレムに向けて礼拝していたところを、対立たけなわの頃からメッカのカーバ神殿へと拝む方角を変えたりした。現在でも、世界中のイスラム教徒がメッカへの方角に拝礼するのは、この時に始まる。また、ハデージャの死後、やもめとなっていたムハンマドは、マディーナでアーイシャという後妻を娶るが、彼女はまだ9歳の少女であった。以後、彼は8人の妻を娶る。アイーシャ以外の妻はハディージャも含めて全て未亡人であった。

また、ある時、ムハンマドはメッカの千頭ものラクダを連れた大規模な隊商を発見し、上述の70人とメディナで得た200人ほどの支援者と共にこれを襲おうとしたが、メッカ側も危機を察し、950名を派遣して、バドルで激突した(うちメッカ側300人は途中で引き返す)。624年9月のことであり、ムハンマド側が勝利すると、これを記念して、以後、イスラム教徒はこの月になると、毎年断食をするようになった。(後にヒジュラ暦が制定されると、この月はラマダーン月となった。今ではこの断食のことを、よくラマダーンと呼ぶ。)

この後もメッカや近隣のユダヤ人との攻防勝敗を繰り返しながら、ムハンマドは周辺のアラブ人たちを次第に支配下に収め、630年ついにメッカを占領し、カーバ神殿にあったあらゆる偶像を破壊して、そこを聖地とした。なお、メッカを占領する頃になるとムハンマド達は一万人の軍を組織できるようになっていたが、このムハンマドを巡る抗争で弱り切ったメッカを背後から襲おうと、南ヒジャーズ地方の人々一万人が武装して、メッカ近郊に待機していた。メッカを手に入れると、直後にムハンマドはこれらを襲撃、大破したが、アラビア半島で万単位の軍が激突することは、数百年来なかった大事件であった。このため、ムハンマドの声望は瞬く間にアラビア中に広まり、以後、全アラビアの指導者たちがムハンマドの下に使節を送ってくるようになった。こうして、イスラム教はアラビア中に伝播した。(ちょうど、東ローマ軍の侵攻で、近隣のササン朝ペルシア帝国が衰退していた時期でもあり、それもこうした動きに拍車をかけた。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/02/25 22:34

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「イスラム教」の意味を投稿しよう
「イスラム教」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

イスラム教スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「イスラム教」のスレッドを作成する
イスラム教の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
無料コミックを探す
占い・診断
着メロを探す
GAMEを探す
デコメを探す
きせかえツールを探す
FLASH待ち受けを探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail