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イタリア王とは?

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ロンバルディアの鉄王冠。イタリア王位を象徴する王冠の一つと見なされている。

イタリア王(: rex Italiae, : re d'Italia)は、君主号の一つで、西方正帝の廃止後にローマ帝国本土であったイタリア(半島部及び大陸部)を支配した人々が多くの場合に使用した歴史的背景を持つ王位。ただし実態を伴うかについては議論が残り、例えば1870年ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世によるローマ占領が行われるまで、長らくイタリアの中心地であったローマ市は歴代国王の支配下になかった。

目次

  • 1 歴史
    • 1.1 帝国本土の争奪
    • 1.2 混乱の時代
    • 1.3 神聖ローマ帝国の封建体制
    • 1.4 リソルジメント
  • 2 歴代君主
    • 2.1 ヘルール時代
    • 2.2 東ゴート時代
      • 2.2.1 西ゴート時代
    • 2.3 ランゴバルト時代
      • 2.3.1 ガウシ朝
      • 2.3.2 内乱期
      • 2.3.3 アロディ朝
      • 2.3.4 第二次バヴァリア朝
      • 2.3.5 ベネヴェント朝
      • 2.3.6 第三次バヴァリア朝
      • 2.3.7 末期の諸王朝
    • 2.4 フランク王国時代
      • 2.4.1 カロリング朝
      • 2.4.2 内乱期
    • 2.5 神聖ローマ帝国時代
      • 2.5.1 ザクセン朝
      • 2.5.2 ザーリアー朝
      • 2.5.3 ズップリンゲンブルク朝
      • 2.5.4 ホーエンシュタウフェン朝
      • 2.5.5 グエルフィ朝
      • 2.5.6 第二次ホーエンシュタウフェン朝
      • 2.5.7 ルクセンブルグ朝
      • 2.5.8 ヴィッテルスバッハ朝
      • 2.5.9 第二次ルクセンブルグ朝
      • 2.5.10 ハプスブルク朝
    • 2.6 ナポレオン時代
      • 2.6.1 ボナパルト朝
    • 2.7 サヴォイア時代
      • 2.7.1 サヴォイア朝
      • 2.7.2 王位請求
  • 3 称号の全名
  • 4 出典
  • 5 関連項目

歴史

帝国本土の争奪

詳細は「イタリア本土 (古代ローマ)」、「東ゴート王国」、および「ラヴェンナ総督領」を参照

ユリウス・ネポス帝、あるいはロムルス・アウグストゥルスの失脚まで、イタリア半島部及び大陸部は古代ローマの本土として統治されていた。王政期にはローマ王(rex)、共和政期には執政官独裁官帝政期にはローマ皇帝が君主として君臨し、帝政末期に皇帝権が二分されると「西の皇帝」(西ローマ皇帝)による支配が行われた。

476年のロムルス・アウグストゥルスの退位、および480年のユリウス・ネポス帝の暗殺によって西ローマ皇帝の称号は、元老院を通じて東ローマ皇帝ゼノンへと返還された。ゼノン帝は帝位返還の見返りとして、両者を追放・暗殺したヘルール族の族長オドアケルに「ドゥクス・イタリアエ」(dux Italiae、イタリア領主)の称号と、かつての帝国本土を支配する権利を与えた。従ってオドアケルが最初の「イタリア王」(rex Italiae)であると考える向きもあるが、オドアケルが rex Italiae の称号を公式に使用したかについては議論が残る。

493年、唯一のローマ皇帝となったゼノン帝はオドアケル討伐の命令を東ゴート族の王テオドリックに命令した。テオドリックはオドアケル軍を滅ぼすと新たにイタリアの支配者として承認され、また明確に自身が rex Italiae であると宣言した。一方で東ゴート族が数的に少数であり、周囲の反感を恐れて「国王」(rex)の称号のみを使用する場合もあった(東ゴート王国)。テオドリックの支配はオドアケルよりは長く続いたが、552年にベリサリウス率いるローマ軍の大遠征によって攻め滅ぼされた。再びイタリアはローマ皇帝の領域(ラヴェンナ総督領)となったが、この時代は短い間しか機能しなかった。

混乱の時代

詳細は「ランゴバルド王国」、「フランク王国」、「シチリア首長国」、「シチリア王国」、「ナポリ王国」、および「トリナクリア王国」を参照

568年、ランゴバルド族の王アルボイーノはベリサリウス失脚後のローマ帝国に他の異民族と連合して攻め込み、イタリア王の称号を使用した(ランゴバルド王国)。ランゴバルド王国はそれまでの勢力とは異なり、イタリア本土の行政区を完全に支配することは最後までできず、イタリア王というよりもランゴバルド王(rex Langobardorum)としての側面が強かった。最初期には北東部のヴェネツィア周辺、北西部のリグーリアロマーニャ、中部のローマ周辺、南部のナポリ周辺、カラブリア半島サレント半島シチリア島などはローマ皇帝に忠誠を誓っていた。支配が進む中でこれらの地域にも遠征が行われ、幾つかの地域は王国に併合された。それでも一部地域は抵抗を続け、次第にローマ公国・ナポリ公国・カラブリア公国・アプリア公国・ヴェネツィア共和国などランゴバルド王国に対峙する統治体制を形成していった。混乱に拍車をかけたのが、フランク人アラブ人の侵入であった。

774年、フランク王シャルルマーニュは南フランスからランゴバルド王国領に侵攻すると、王国の北部・中部領域を占領下に置いた。同時に、実質的に崩壊状態に陥ったランゴバルド王国の併合をも宣言して、使用されていた王冠(ロンバルディアの鉄王冠)を持ち去った。一方で、遠征を途中で切り上げたことから南部は遠征の影響を受けず、さらに中部は後にローマ教会へ寄進されて教皇領となった。南部ではローマ帝国の封建勢力と旧ランゴバルド王国の南部領土を前身とするベネヴェント公国が、以前からの戦いを引き継いで紛争を続け、そこに北アフリカを支配したアラブ人の攻撃が始まった。827年、アグラブ朝イスラム帝国がシチリア島に上陸(イスラム教徒のシチリア遠征)、一度は撃退されたもののファーティマ朝の時代に再び占領され、952年にシチリア首長国が成立した。

1071年、南部情勢はヴァイキングの到来によって一応の終焉を見る。サレント半島を押さえたノルマン貴族ロベルト・イル・グイスカルドはローマ系、ランゴバルド系の別を問わずこれらを併合し、さらにその弟ルッジェーロ1世がシチリア首長国も占領して一つの王権にまとめ上げた(ノルマン・シチリア王国オートヴィル朝)。後にナポリ王国トリナクリア王国という二つの王国に分離したものの、それ以上の混乱は起こらなかった。

神聖ローマ帝国の封建体制

詳細は「神聖ローマ帝国」、「イタリア王国 (中世)」、および「イタリア王国 (1805年-1814年)」を参照

フランク王国の後裔である神聖ローマ帝国はランゴバルド王国を滅ぼして得た権威をもって、皇帝がイタリア王を兼ねると宣言していた。

しかし領土的には先述の通りランゴバルド王国の一部だけであり、中部の教皇領、南部のナポリ王・トリナクリア王の領域では君主としての権威を持たなかった。さらに北部領域においてもロンバルディア同盟との戦いなどを経て、徐々に実権を失っていった。その点において同時代のイタリア王(rex Italiae)の称号はイタリアの支配と同義ではなくなってしまっており、この歪な状態は中世から近世の長きにわたって続くことになる。

1805年、近代に入ってコルシカ島出身のナポレオン・ボナパルトが神聖ローマ帝国を滅ぼした後、占領下に置いていた地域に傀儡国家を樹立するためにロンバルディアの鉄王冠を使ってイタリア王への即位を宣言した。形式的には神聖ローマ帝国の方法に従ったもので、やはり王権は一部地域に限られ、ナポリ王位なども並存する状態にあった。1814年、ナポレオンが失脚して全ての実権・称号を手放すと自動的にイタリア王位も放棄したと見なされた。しかし中世イタリア王の領域を獲得したオーストリア帝国は神聖ローマ時代を踏襲せず、結果として数十年にわたってイタリア王の称号は空位状態が続いた。

リソルジメント

詳細は「リソルジメント」、「イタリア王国」、および「サヴォイア朝」を参照

高まる民族主義の流れを受けて、イタリアという領域を統合する国家の誕生を望む声が高まる中、紆余曲折を経てイタリア北西部のサルデーニャ=ピエモンテ王国による統一戦争(リソルジメント)が始まった。1861年、この戦いに最終的勝利を収めたサルデーニャ=ピエモンテ王国は教皇領、ナポリ王国などを併合、イタリア半島部と大陸部の大部分を征服して同地を統一した。サルデーニャ=ピエモンテ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は空位であったイタリア王位の復古と継承を宣言、サヴォイア朝イタリア王国が成立した。同時にイタリアの政治的統合にも成功したサヴォイア朝は、ローマ市を中心としたイタリア全域を支配する、実態の伴ったイタリア王位を復活させるという東ゴート王国以来の偉業を成し遂げた。

1946年、二度の世界大戦を経てファシスト政権への協力などにより、国民投票で王政廃止が決定された。王国は共和制に移行、王を初めとする貴族制度は全廃された。サヴォイア家による王位請求は継続されているが、再び実態を伴わない状態へと回帰したと言える。

歴代君主

ヘルール時代

肖像 人名 背景 即位 退位
 | オドアクレ | ヘルール族の王。ユリウス・ネポス帝を暗殺、ロムルス・アウグストゥルスを追放してイタリア本土の支配権を奪取。 | 476年 | 493年

東ゴート時代

肖像 人名 背景 即位 退位
 | テオドーリコ | 東ゴート族の王。オドアクレを破って王位を獲得する。 | 493年 | 526年
 | アタラーリ | テオドーリコの外孫。 | 526年 | 534年
 | テオダート | テオドーリコの外甥。 | 534年 | 536年
 | ヴィティージェ | テオダートの重臣。 | 536年 | 540年

西ゴート時代

肖像 人名 背景 即位 退位
 | イルディバルド | 西ゴート王の甥。東ゴートの王として迎えられる。 | 540年 | 541年
 | エラーリコ | イルディバルドの親族、トーティラの従兄弟。 | 541年 | 541年
 | トーティラ | イルディバルドの甥、エラーリコの従兄弟。 | 541年 | 552年
 | テーイア | トーティラの重臣。ローマ軍に敗れ、再びイタリアはローマ皇帝の領域に戻る。 | 551年 | 553年

ランゴバルト時代

ガウシ朝

肖像 人名 背景 即位 退位
 | アルボイーノ | ランゴバルト王アウドゥインの子。ローマ軍に勝利してガウシ朝イタリア王国を成立させる。 | 568年 | 572年

内乱期

肖像 人名 背景 即位 退位
 | クレーフィ | アルボイーノの重臣。先王暗殺後、諸侯に推されてイタリア王に即位。諸侯同士の内乱(諸公爵の時代)の渦中で暗殺される。 | 572年 | 574年
 | アウタリ | クレーフィの子。 | 584年 | 590年
 | アギルルフォ | クレーフィの甥、アウタリの従兄弟。 | 590年 | 616年
肖像 人名 背景 即位 退位
 | アダロアルド | バイエルン公女テオデリンダとアジルルフォの子。母方の一族から大きな影響を受けていた為、バヴァリア朝とも呼ばれる。 | 616年 | 626年
肖像 人名 背景 即位 退位
 | アリオアルド | 諸公爵の一人。アダロアルドの妹グンデベルガの夫として即位。 | 626年 | 636年

アロディ朝

肖像 人名 背景 即位 退位
 | ロータリ | 諸公爵の一人。アリオアルド死後に権力を掌握、アロディ朝を開いた。 | 636年 | 652年
 | ロドアルド | ロータリの子。愛人の夫により僅か即位半年で暗殺される。 | 652年 | 653年

第二次バヴァリア朝

肖像 人名 背景 即位 退位
 | アリペルト1世 | テオデリンダの甥。ロータリ暗殺後にバイエルン人の支援でバヴァリア朝を復古した。 | 653年 | 661年
 | ベルタリードゴデベルト | アリペルト1世の子。王位を巡る兄弟争いの末にゴデベルトは暗殺され、ベルタリードも追放された。 | 661年 | 662年

ベネヴェント朝

肖像 人名 背景 即位 退位
 | グリモアルド | 諸公爵の一人。南部イタリアを支配するベネヴェント公国を率いてベルタリードゴデベルトの内乱に介入、最終的に王位を簒奪した。 | 662年 | 671年
 | ガリバルド | グリモアルドの子。フランク王国に逃れていたベルタリードが帰還すると失脚する。 | 671年 | 671年

第三次バヴァリア朝

肖像 人名 背景 即位 退位
 | ベルタリード | アリペルト1世の子、ゴデベルトの兄。 | 662年 | 671年
肖像 人名 背景 即位 退位
 | アライス | 諸公爵の一人。バヴァリア朝に反乱を起こすが、短期間で征伐される。 | 688年 | 689年
肖像 人名 背景 即位 退位
 | クニペルト | ベルタリードの子。アライスを討伐して王位を奪還した。 | 688年 | 700年
 | リウトペルト | クニペルトの子。 | 700年 | 701年
 | ラジンペルト | ゴデベルトの子、ベルタリードの甥。 | 701年 | 701年
 | アリペルト2世 | ラジンペルトの子。ベネヴェント公国・スポレト公国など南部諸侯に加え、ヴェネツィアの攻撃などに翻弄された末に戦死する。彼の死でバヴァリア朝イタリア王国は完全に断絶した。 | 701年 | 712年

末期の諸王朝

肖像 人名 背景 即位 退位
 | アンスプランド | 諸公爵の一人。バヴァリア朝断絶後に王位へ推挙されるも、3ヶ月後に病没。 | 712年 | 712年
 | リウトプランド | アンスプランドの子。王国末期において長期政権を築き、多くの治績を遺した。 | 712年 | 744年
 | イルデブランド | リウトプランドの甥、或いは孫。無能さから諸侯の反乱を受け、強制的に退位させられる。 | 744年 | 744年
肖像 人名 背景 即位 退位
 | ラーキス | 諸公爵の一人。イルデブランド追放により王に選出される。 | 744年 | 749年
 | アストルフォ | ラーキスの弟。兄が退位した為に王位を引き継ぎ、デジデーリオの反乱で殺害される。 | 749年 | 756年
 | デジデーリオ | 諸公爵の一人。ラーキスとアストルフォの兄弟を討ち取って王位を獲得するも、フランク王カルロ・マーニョの遠征軍に滅ぼされた。結果としてランゴバルト出身の王としては最後の人物となる。 | 756年 | 774年

フランク王国時代

イタリア王系図も参照。

カロリング朝

肖像 人名 背景 即位 退位
 | カルロ・マーニョ | フランク王。欧州各地に軍勢を送り、その過程でイタリア王位及びランゴバルト王位も獲得した。ただし領土面では大陸部の占領に留まった為、半島部・島嶼部にはイタリア王位の王権が及ばなくなった(中世イタリア王国)。 | 774年 | 814年
 | ピピン1世 | カルロ・マーニョの次男。イタリア王位を分与されるも、早世する。 | 781年 | 810年
 | ベルナルド | ピピン1世の私生児。叔父のルドヴィコ1世に挑むも、処刑される。 | 810年 | 818年
 | ロドヴィコ1世 | フランク王。カルロ・マーニョの三男。一族内での家督争いに勝利を収め、全ての王位を継承する。 | 818年 | 822年
 | ロターリオ1世 | 中フランク王。ルドヴィコ1世の長男。イタリア王領を含む中フランク王国を継承した為、イタリア王の一人に数えられる。 | 822年 | 855年
 | ロドヴィコ2世 | ロターリオ1世の長男。イタリア王位を分与される。 | 844年 | 875年
 | 禿頭王カルロ2世 | 西フランク王。ロターリオ1世の弟。 | 875年 | 877年
 | カルロマンノ | 東フランク王。ルドヴィコ2世バヴァリアの子。病弱さから早世する。 | 877年 | 879年
 | 肥満王カルロ3世 | フランク王。カルロマンノの弟。分散していた一族の領地を再び纏め上げた。 | 879年 | 887年

内乱期

肖像 人名 背景 即位 退位
 | ベレンガーリオ1世 | ロターリオ1世外孫肥満王カルロ3世に対して王位請求を行い、カルロ3世死後の混乱に乗じて実権を掌握する。 | 888年 | 896年
 | グイード・ダ・スポレート | ロターリオ1世の外曾孫。ベレンガーリオ1世の政敵として王位請求を行う。 | 889年 | 894年
 | ランベルト・ダ・スポレート | グイード・ダ・スポレートの子。東フランク王アルヌルフに敗れて追放される。 | 891年 | 896年
 | アルノルフォ | 東フランク王。カルロマンノの子。グイード、ランベルト、ベレンガーリオ1世らを破ってイタリア王位を奪取する。 | 894年 | 899年
 | ラトルド | アルノルフォの子。父の共同王となるが、早世する。 | 896年 | 896年
 | ベレンガーリオ1世 | アルノルフォ親子の死後、復位を宣言。 | 896年 | 924年
 | ランベルト・ダ・スポレート | ベレンガーリオ1世の対立王として復位を宣言。 | 896年 | 898年
 | ルドヴィーコ3世 | ルドヴィコ2世イタリア外孫。ベレンガーリオ1世の対立王。 | 900年 | 905年
 | ロドルフォ2世 | ブルグント王。ベレンガーリオ1世らを破ってイタリア王位を継承する。 | 922年 | 933年
 | ウーゴ・ディ・アルル | ロターリオ1世の外曾孫。ロドルフォ2世からイタリア王位を奪う。 | 926年 | 947年
 | ロターリオ2世アルル | ウーゴ・ディ・アルルの子。 | 945年 | 950年
 | ベレンガーリオ2世 | ベレンガーリオ1世の外孫。祖父の王位を請求してロターリオ2世アルル死後に即位を宣言するが、神聖ローマ皇帝オットーネ1世に滅ぼされる。 | 950年 | 961年
 | アダルベルト2世 | ベレンガーリオ2世の子。父と共に王位継承を行い、後にオットーネ1世に追放される。 | 950年 | 963年

神聖ローマ帝国時代

ザクセン朝

肖像 人名 背景 即位 退位
 | オットーネ1世 | 東フランク王。ザクセン朝を東フランク王国に打ちたてた後、ベレンガーリオ親子を滅ぼしてイタリア王国にもザクセン人の王家を成立させる。後に皇帝を名乗る。 | 962年2月2日 | 973年5月7日
 | オットーネ2世 | ローマ皇帝。オットーネ1世の子 | 980年10月 | 983年12月7日
 | オットーネ3
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出典:wikipedia
2018/11/09 00:02

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