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イラクとは?

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イラク共和国
الجمهورية العراقية (アラビア語)
كۆماری عێراق (クルド語)



(国旗) | (国章)
国の標語:الله أكبر (allahu akbar)
(アラビア語: は偉大なり)
国歌:我が祖国
公用語
アラビア語クルド語
首都
バグダード
【最大の都市】
バグダード
政府
大統領
フアード・マアスーム
首相
ハイダル・アル=アバーディ
面積
【総計】
437,072km(57位)
【水面積率】
1.1 %
人口
【総計(2011年)】
32,960,000人(???位)
人口密度
58人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2013年)】
267兆3,956億イラク・ディナール
GDP (MER)
【合計(2013年)】
2,293億ドル(47位)
GDP (PPP)
【合計(2013年)】
4,996億ドル(35位)
【1人あたり】
14,367ドル

独立
- 日付 英国委任統治から
1932年10月3日
CPAから
2004年6月28日
通貨
イラク・ディナール (IQD)
時間帯
UTC (+3)(DST:なし)
ISO 3166-1
IQ / IRQ
ccTLD
.iq
国際電話番号
964
  1. ^ 4つのクルド地方では第一公用語
  2. ^ クルド人自治区の首府はアルビール
  • 国歌: クルド人はEy Reqîb (おい、敵よ) を唄う

イラク共和国(イラクきょうわこく、アラビア語: الجمهورية العراقية‎、クルド語: كۆماری عێراق)、通称イラクは、中東西アジア連邦共和制国家である。首都バグダードで、サウジアラビアクウェートシリアトルコイランヨルダンと隣接する。古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり、世界で3番目の原油埋蔵国である。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
    • 2.1 メソポタミア
    • 2.2 ペルシアの支配
    • 2.3 ギリシャの支配
    • 2.4 ペルシアの支配
    • 2.5 イスラム帝国
    • 2.6 モンゴル帝国
    • 2.7 サファヴィー朝
    • 2.8 オスマン帝国
    • 2.9 イギリス帝国
      • 2.9.1 Occupied Enemy Territory Administration
      • 2.9.2 イギリス委任統治領メソポタミア
      • 2.9.3 王政
      • 2.9.4 アラブ連邦
    • 2.10 イラク共和国 (第一共和政)
      • 2.10.1 カーシム政権
    • 2.11 イラク共和国 (第二共和政)
      • 2.11.1 第1次バアス党政権 (アル=バクル政権)
      • 2.11.2 アーリフ兄弟政権
    • 2.12 バアス党政権 (第三共和政)
      • 2.12.1 第2次バアス党政権 (アル=バクル政権)
      • 2.12.2 サッダーム・フセイン政権
    • 2.13 バアス党政権崩壊後
      • 2.13.1 連合国暫定当局(米英共同統治)
      • 2.13.2 イラク暫定政権
    • 2.14 新・イラク共和国(第四共和政)
      • 2.14.1 シーア派政権
      • 2.14.2 アメリカ軍撤退後
  • 3 政治
    • 3.1 元首
    • 3.2 行政
    • 3.3 立法
    • 3.4 司法
    • 3.5 外交
  • 4 軍事
  • 5 地理
    • 5.1 動物
    • 5.2 植物
  • 6 地方行政区画
  • 7 経済
    • 7.1 農業
    • 7.2 工業
    • 7.3 エネルギー
    • 7.4 交通
    • 7.5 貿易
  • 8 国民
    • 8.1 民族
    • 8.2 言語
    • 8.3 教育
  • 9 宗教
    • 9.1 イスラム教シーア派
    • 9.2 イスラム教スンナ派
    • 9.3 ヤズィード
    • 9.4 キリスト教
    • 9.5 マンダ教 (サービア教)
    • 9.6 ユダヤ教
  • 10 文化
    • 10.1 食文化
    • 10.2 イスラム美術
    • 10.3 音楽
    • 10.4 世界遺産
    • 10.5 祝祭日
    • 10.6 スポーツ
  • 11 脚注
  • 12 参考文献
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク

国名

正式名称はアラビア語で、الجمهورية العراقية (ラテン文字転写は、al-Jumhūrīya al-‘Irāqīya。読みは。アル=ジュムフーリーヤ・アル=イラーキーヤ)。通称は、العراق (al-‘Irāq。アル=イラーク)。 イラク南部に位置する古代メソポタミアの都市ウルクが国名の由来。また、アラビア語で「豊かな過去をもつ国」の意味。

公式の英語表記は、Republic of Iraq (リパブリック・オブ・イラーク)。通称、Iraq

日本語の表記は、イラク共和国。通称、イラク漢字表記では伊拉久と当てる。

イラークという地名は伝統的にメソポタミア地方を指す「アラブ人のイラーク」(al-‘Irāq al-‘Arabī) と、ザグロス山脈周辺を指す「ペルシア人のイラーク」(al-‘Irāq al-Ajamī) からなるが、現在イラク共和国の一部となっているのは「アラブ人のイラーク」のみで、「ペルシア人のイラーク」はイランの一部である。

歴史

詳細は「イラクの歴史」を参照

メソポタミア

キシュから出土した石灰岩の書き板 (紀元前3500年)

現イラクの国土は、歴史上のメソポタミア文明が栄えた地とほとんど同一である。メソポタミア平野はティグリス川ユーフラテス川により形成された沖積平野で、両河の雪解け水による増水を利用することができるため、古くから農業を営む定住民があらわれ、西のシリア地方およびエジプトナイル川流域とあわせて「肥沃な三日月地帯」として知られている。紀元前4000年ごろからシュメールアッカドアッシリア、そしてバビロニアなど、数々の王国や王朝がこのメソポタミア地方を支配してきた。

メソポタミア文明は技術的にも世界の他地域に先行していた。例えばガラスである。メソポタミア以前にもガラス玉のように偶発的に生じたガラスが遺物として残っている。しかし、ガラス容器作成では、まずメソポタミアが、ついでエジプトが先行した。Qattara遺跡 (現イラクニーナワー県テル・アル・リマー) からは紀元前16世紀のガラス容器、それも4色のジグザグ模様をなすモザイクガラスの容器が出土している。高温に耐える粘土で型を作成し、塊状の色ガラスを並べたあと、熱を加えながら何らかの圧力下で互いに溶け合わせて接合したと考えられている。紀元前15世紀になると、ウルの王墓とアッシュールからは西洋なし型の瓶が、ヌジ遺跡からはゴブレットの破片が見つかっている。

ペルシアの支配

詳細は「アケメネス朝」を参照

ギリシャの支配

詳細は「マケドニア王国」および「セレウコス朝」を参照

ペルシアの支配

詳細は「アルサケス朝」および「サーサーン朝」を参照

イスラム帝国

西暦634年ハーリド・イブン=アル=ワリードの指揮のもと約18,000人のアラブ人ムスリム (イスラム教徒) からなる兵士がユーフラテス川河口地帯に到達する。当時ここを支配していたペルシア帝国軍は、その兵士数においても技術力においても圧倒的に優位に立っていたが、東ローマ帝国との絶え間ない抗争と帝位をめぐる内紛のために疲弊していた。サーサーン朝の部隊は兵力増強のないまま無駄に戦闘をくりかえして敗れ、メソポタミアはムスリムによって征服された。これ以来、イスラム帝国の支配下でアラビア半島からアラブ人の部族ぐるみの移住が相次ぎ、アラブによってイラク (イラーク) と呼ばれるようになっていたこの地域は急速にアラブ化・イスラム化した。

8世紀にはアッバース朝カリフがバグダードに都を造営し、アッバース朝が滅びるまでイスラム世界の精神的中心として栄えた。

10世紀末にブワイフ朝のエミール・アズド・ウッダウラは、第4代カリフのアリーの墓廟をナジャフに、またシーア派の第3代イマーム・フサインの墓廟をカルバラーに作った。

モンゴル帝国

バグダードの戦い (1258年)

1258年にバグダードがモンゴルフレグ・ハンによって征服されると、イラクは政治的には周縁化し、イラン高原を支配する諸王朝 (イルハン朝ティムール朝など) の勢力下に入った。

サファヴィー朝

16世紀前半にイランに興ったサファヴィー朝は、1514年チャルディラーンの戦いによってクルド人の帰属をオスマン朝に奪われた。さらにオスマン朝とバグダードの領有を巡って争い、1534年にオスマン朝のスレイマン1世が征服した。

en:Battle of DimDim (1609年 - 1610年)。1616年にサファヴィー朝のアッバース1世イギリス東インド会社の間で貿易協定が結ばれ、イギリス人ロバート・シャーリーの指導のもとでサファヴィー朝の武器が近代化された。1622年、イングランド・ペルシア連合軍はホルムズ占領に成功し、イングランド王国ペルシャ湾制海権をポルトガル・スペインから奪取した。1624年にはサファヴィー朝のアッバース1世がバグダードを奪還した。しかし、1629年にアッバース1世が亡くなると急速に弱体化した。

オスマン帝国

オスマン帝国下の中近東地域 (1849年)
詳細は「en:Ottoman Iraq」および「en:Mamluk rule in Iraq」を参照

1638年、オスマン朝はバグダードを再奪還し、この地域は最終的にオスマン帝国の統治下に入った。

18世紀以降、オスマン朝は東方問題と呼ばれる外交問題を抱えていたが、1853年クリミア戦争を経て、1878年ベルリン会議で「ビスマルク体制」が築かれ、一時終息を迎えたかに見えた。しかし、1890年にビスマルクが引退すると、2度のバルカン戦争が勃発し、第一次世界大戦を迎えた。19世紀の段階では、オスマン帝国は、現在のイラクとなる地域を、バグダード州バスラ州モースル州の3州として統治していた (オスマン帝国の行政区画)。

一方、オスマン帝国のバスラ州に所属してはいたが、サバーハ家ムバーラク大首長のもとで自治を行っていたペルシア湾岸のクウェートは、1899年に寝返ってイギリスの保護国となった。

1901年に隣国ガージャール朝イランのマスジェデ・ソレイマーンで、初の中東石油採掘が行なわれ、モザッファロッディーン・シャーウィリアム・ダーシーとの間で60年間の石油採掘に関するダーシー利権が結ばれた。1908年にダーシー利権に基づいてアングロ・ペルシャン石油会社(APOC)が設立された。1912年カルースト・グルベンキアンがアングロ・ペルシャン石油会社等の出資でトルコ石油会社 (TPC、イラク石油会社の前身) を立ち上げた。

イギリス帝国

サイクス・ピコ協定による中東分割。イラクの大部分を含む赤の地域がイギリスの勢力圏とされた。

第一次世界大戦では、クートの戦い (1915年12月7日 - 1916年4月29日) でクート・エル・アマラが陥落すると、イギリス軍は8ヶ月間攻勢に出ることが出来なかったが、この間の1916年5月16日にイギリスフランスは、交戦するオスマン帝国領の中東地域を分割支配するというサイクス・ピコ協定を結んだ。

1917年に入るとイギリス軍は攻勢に転じ、3月11日にはバグダッドが陥落した。しかし戦闘は北部を中心としてその後も行われた。

Occupied Enemy Territory Administration

en:Occupied Enemy Territory Administration」も参照

1918年10月30日、オスマン帝国が降伏 (ムドロス休戦協定)。パリ講和会議 (1919年1月18日 - 1920年1月21日)。1919年4月、英仏間で石油に関するen:Long–Bérenger Oil Agreementを締結。サン・レモ会議 (1920年4月19日 - 4月26日) で現在のイラクにあたる地域はイギリスの勢力圏と定められ、San Remo Oil Agreementによってフランスはイラクでの25 %の石油利権を獲得した。トルコ革命 (1919年5月19日 - 1922年7月24日) が勃発。大戦が終結した時点でもモースル州は依然としてオスマン帝国の手中にあったが、1920年6月にナジャフ反英暴動が勃発する中、8月10日にイギリスはセーヴル条約によりモースル (クルディスタン) を放棄させようとしたが、批准されなかった (モースル問題)。 1921年3月21日、ガートルード・ベルの意見によってトーマス・エドワード・ロレンスが押し切られ、今日のクルド人問題が形成された (カイロ会議)。

イギリス委任統治領メソポタミア

1921年8月23日に前述の3州をあわせてイギリス委任統治領メソポタミアを成立させて、大戦中のアラブ独立運動の指導者として知られるハーシム家ファイサル・イブン=フサインを国王に据えて王政を布かせた。クウェートは新たに形作られたイラク王国から切り離されたままとなった。

en:Mahmud Barzanji revoltsクルディスタン王国 (1922年 - 1924年) を一時的に樹立。

1922年10月10日、en:Anglo-Iraqi Treaty (イラク側の批准は1924年)。1923年7月24日、ローザンヌ条約トルコ共和国との国境が確定し、北クルディスタンが切り離された。1927年10月14日、ババ・グルグルキルクーク油田を発見。1928年、イギリスとトルコが赤線協定を締結。1929年、イギリスがイラク石油会社 (IPC) を設立。1930年6月30日、en:Anglo-Iraqi Treaty (1930)でイラク石油会社の石油利権を改正。en:Ahmed Barzani revolt (1931年 - 1932年)。

王政

詳細は「イラク王国」を参照

ハーシム王家はイギリスの支援のもとで中央集権化を進め、スンナ派を中心とする国家運営を始め、1932年にはイラク王国として独立を達成した。

一方、アングロ・ペルシャ石油メロン財閥傘下のガルフ石油とが共同出資して1934年クウェート石油を設立。1938年、クウェート石油はブルガン油田を発見した。

1941年4月1日イラク・クーデターによりラシード・アリー・アル=ガイラーニーのクーデター政権が出来たが、5月のイラク戦役で崩壊した。6月、シリア・レバノン戦役。8月、イラン進駐

1943年en:1943 Barzani revolt1945年12月、ムッラームスタファ・バルザーニーソ連占領下の北西部マハーバードクルド人独立を求めて蜂起し、翌年クルディスタン共和国を樹立したが、イラン軍の侵攻にあい崩壊 (en:Iran crisis of 1946)。バルザーニーはソ連に亡命し、1946年8月16日にクルディスタン民主党結成。

1948年en:Anglo-Iraqi Treaty (1948)5月15日第一次中東戦争 (1948年 - 1949年) が勃発。

1955年中東条約機構 (METO) に加盟。 1956年10月29日、エジプトによるスエズ運河国有化に端を発する第二次中東戦争 (1956年 - 1957年) が勃発。アブドルカリーム・カーシム自由将校団 (イラク)が参戦している。中東情勢の激化に伴いスーパータンカーが登場した。

アラブ連邦

1958年にはエジプトとシリアによって結成されたアラブ連合共和国に対抗して、同じハーシム家が統治するヨルダンとアラブ連邦を結成した。

イラク共和国 (第一共和政)

詳細は「Republic of Iraq」を参照

カーシム政権

1958年7月14日、自由将校団 (イラク)クーデターによって倒され (7月14日革命)、ムハンマド・ナジーブ・アッ=ルバーイー大統領とアブドルカリーム・カーシム首相による共和制が成立。カーシムは、親エジプト派を押さえ込む為にバルザーニーに帰国を要請し、1958年10月にバルザーニーが亡命先のソ連から帰国。親エジプト派のアーリフは罷免・投獄された。

1959年3月7日、アラブ連合共和国が支援する親エジプト派が蜂起したモースル蜂起が勃発。3月24日、中東条約機構 (METO) を脱退。 1960年9月、カーシム首相がイラク石油会社 (IPC) の国有化を発表。1960年9月14日、バグダッドで石油輸出国機構(OPEC)結成。1961年6月19日にクウェートがイラクと別の国として独立。 6月25日、カーシムがクウェート併合に言及すると、7月1日にイギリス軍en:Operation Vantageを発動し、独立を支援した。 9月11日、第一次クルド・イラク戦争 (1961年 - 1970年) が勃発した。

イラク共和国 (第二共和政)

第1次バアス党政権 (アル=バクル政権)

1963年2月8日に親エジプト派とバアス党の将校団のクーデターが起り、カーシム政権が倒された (ラマダーン革命)。大統領にはアブドゥッサラーム・アーリフ、首相にはアフマド・ハサン・アル=バクルが就任した。

アーリフ兄弟政権

1963年11月18日にアブドゥッサラーム・アーリフ大統領ら親エジプト派の反バアス党クーデターが勃発 (1963年11月イラククーデター)。 1966年4月13日、アブドゥッサラーム・アーリフが航空機事故で死去。後継の大統領にアブドッラフマーン・アーリフが就任。親エジプト派としてナーセルを支持し、1967年にアメリカとの国交を断絶。 6月、第三次中東戦争

バアス党政権 (第三共和政)

詳細は「バアス党政権 (イラク)」を参照

第2次バアス党政権 (アル=バクル政権)

1968年7月17日にバアス党政権が発足 (7月17日革命)、アフマド・ハサン・アル=バクルが大統領に就任した。 1970年3月11日、en:Iraqi-Kurdish Autonomy Agreement of 1970クルディスタン地域 (アルビール県ドホーク県スレイマニヤ県) を設置。石油を産出するニーナワー県キルクーク県は含まれなかった。1972年ソビエト連邦と友好条約を締結。 1973年10月、第四次中東戦争に参戦。同年10月16日、イスラエル援助国に対してイラクを含むOPEC加盟6カ国は協調した石油戦略を発動し、オイルショックが引き起こされた。 第一次クルド・イラク戦争後の和平交渉が決裂し、バルザーニーが再び蜂起して第二次クルド・イラク戦争 (1974年 - 1975年) が勃発。ペシュメルガ等を含め双方合わせて1万人超が死傷。その後、この戦いでイラク国軍を率いたサッダーム・フセインが実権を掌握した。

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出典:wikipedia
2018/07/11 04:16

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