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インドとは?

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インド
भारत गणराज्य (ヒンディー語)
Republic of India (英語)



(国旗) | (国章)
国の標語:सत्यमेव जयते
ラテン文字転写: "satyam eva jayate"
(サンスクリット: まさに真理は自ずと勝利する)
国歌:जन गण मन(ヒンディー語)
ジャナ・ガナ・マナ
公用語 ヒンディー語(連邦公用語)
英語(連邦準公用語)
その他複数の各州公用語
首都 ニューデリー
/デリー連邦直轄地
最大の都市 ムンバイ
政府
大統領 ラーム・ナート・コーヴィンド
首相 ナレンドラ・モディ
面積
総計 3,287,590km(7位)
水面積率 9.6%
人口
総計(2016年) 13億2400万人(2位)
人口密度 402人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2013年)】
110兆4,768億インド・ルピー
GDP (MER)
【合計(2013年)】
1兆9,728億ドル(10位)
GDP (PPP)
合計(2013年) 5兆3,020億ドル(3位)
【1人あたり】
4,060ドル

独立
- 日付 イギリスより
1947年8月15日
通貨 インド・ルピー (INR)
時間帯 UTC (+5:30)(DST:なし)
ISO 3166-1 IN / IND
ccTLD .in
国際電話番号 91

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、英語: Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。

西から時計回りにパキスタン中華人民共和国ネパールブータンバングラデシュミャンマースリランカモルディブインドネシアに接しており、アラビア海ベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ

1947年イギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花、国樹は印度菩提樹国獣ベンガルトラ国鳥インドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。

インド・国の象徴
(公式)
国の遺産動物
インドゾウ  | 
国鳥
インドクジャク  | 
国樹
印度菩提樹  | 
国花
 | 
国獣
ベンガルトラ  | 
国の海洋哺乳類
ガンジスカワイルカ  | 
国の爬虫類
キングコブラ  | 
国の遺産哺乳類
ハヌマンラングール  | 
国果
マンゴー  | 
国の象徴の寺
アークシャルダーム寺院  | 
国の象徴の川
ガンジス川  | 
国の象徴の山
ナンダ・デヴィ  | 

目次

  • 1 概要
  • 2 名称
  • 3 国旗
  • 4 歴史
    • 4.1 ヴェーダ時代からラージプート時代まで
    • 4.2 北インドのイスラム化と南インドのヒンドゥー王朝
    • 4.3 ヴィジャヤナガル王国
    • 4.4 ムガル帝国
    • 4.5 インドの植民地化
    • 4.6 イギリス統治時代
    • 4.7 インド国民軍と独立
    • 4.8 経済戦争
    • 4.9 インド国民会議政権
    • 4.10 インド人民党政権
    • 4.11 インド国民会議政権
    • 4.12 インド人民党政権
  • 5 地理
  • 6 気候
    • 6.1 北インド
    • 6.2 南インド
    • 6.3 東海岸とコルカタ
    • 6.4 ケラーラ州
    • 6.5 ヒマラヤ地方
  • 7 政治
    • 7.1 軍事
    • 7.2 宇宙開発
    • 7.3 行政区分
  • 8 経済
    • 8.1 主な産業
      • 8.1.1 第一次産業
      • 8.1.2 第二次産業
      • 8.1.3 第三次産業
    • 8.2 機関化した結果
  • 9 国際関係
    • 9.1 領土紛争
    • 9.2 日本との関係
    • 9.3 イギリスとの関係
    • 9.4 アメリカ合衆国との関係
    • 9.5 オーストラリアとの関係
    • 9.6 中国との関係
    • 9.7 パキスタンとの関係
  • 10 交通
    • 10.1 道路
    • 10.2 鉄道
    • 10.3 航空
  • 11 国民
    • 11.1 人口
    • 11.2 人種・民族
    • 11.3 言語
      • 11.3.1 連邦公用語
      • 11.3.2 州・連邦首都圏・連邦直轄領の公用語
    • 11.4 保健
  • 12 宗教
    • 12.1 ヒンドゥー教徒
    • 12.2 ジャイナ教
    • 12.3 仏教
    • 12.4 シク教
    • 12.5 イスラム教
    • 12.6 キリスト教
    • 12.7 ゾロアスター教
  • 13 文化
    • 13.1 教育
    • 13.2 印僑
    • 13.3 食文化
    • 13.4 哲学
    • 13.5 文学
    • 13.6 音楽
    • 13.7 映画
    • 13.8 スポーツ
      • 13.8.1 クリケット
      • 13.8.2 フィールドホッケー
      • 13.8.3 テニス
      • 13.8.4 サッカー
      • 13.8.5 モータースポーツ
      • 13.8.6 その他
    • 13.9 世界遺産
    • 13.10 祝祭日
  • 14 著名な出身者
  • 15 脚注
    • 15.1 注釈
    • 15.2 出典
  • 16 参考文献
  • 17 関連項目
  • 18 外部リンク

概要

インドは南アジア随一の面積と世界第2位の人口を持つ大国である。12億人を超える国民は、多様な民族言語宗教によって構成されている。連邦公用語はヒンディー語、他にインド憲法で公認されている言語が21あり主な言語だけで15を超えるため、インドの紙幣には17の言語が印刷されている。議会制民主主義国家であり、有権者数8億人と世界最大である。州政府が一定の独立性を持ち、各州に中央政府とは別に政府があり大臣がいる。

労働力人口の3分の2が農業に従事する一方、製造業とサービス業が急速に成長している。国民の識字率は74.04%である。ヒンドゥー教徒が最も多く、イスラム教シーク教がこれに次ぐ。カースト制度による差別は憲法で禁止されているが、今でも農村部では影響は残っている。機関化にともない、汚職や環境問題を抱えながら経済発展を享受している。

アジア開発銀行はインドの中間層が向こう15年間で人口の7割に達するとしている。

名称

インド憲法によれば正式名称はヒンディー語भारत(ラテン文字転写: Bhārat, バーラト)であり、英語による国名は India (インディア)である。政体名を付け加えたヒンディー語の भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ)、英語の Republic of India を正式名称とする資料もあるが、実際には憲法その他の法的根拠に基づくものではない。

バーラト(サンスクリットではバーラタ)の名はプラーナ文献に見え、バラタ族に由来する。

英語(ラテン語を借用)の India は、インダス川を意味する Indus(サンスクリットの Sindhu に対応する古代ペルシア語Hinduš を古代ギリシア語経由で借用)に由来し、もとはインダス川とそれ以東のすべての土地をさした。古くは非常にあいまいに用いられ、アフリカ東海岸をも India と呼ぶことがあった。

イラン語派の言語ではインドのことを、やはりインダス川に由来する Hinduka の名で呼び、古い中国ではこれを身毒(『史記』に見える)または天竺(『後漢書』に見える)のような漢字で音訳した。ただし水谷真成はこれらをサンスクリットの Sindhu の音訳とする。初めて印度字をあてたのは玄奘三蔵であるが、玄奘はこの語をサンスクリット indu (月)に由来するとしている。近代になって、西洋語の India に音の近い「印度」、またはそれをカタカナ書きした「インド」が使われるようになった。

国旗

詳細は「インドの国旗」を参照

1931年インド国民議会が定めた3色旗を基にしたデザイン。トップのサフラン(オレンジ)色はヒンドゥー教を、または勇気犠牲を意味する。緑色イスラム教を、平和真理を意味し両宗教の和合を表している。中央には、アショカ王の記念塔になぞらえたチャクラ(法輪)がデザインされている。なお法輪の中の24本の線は1日24時間を意味する。チャクラは、仏教のシンボルであるため、上記2宗教と合わせて、世界四大宗教のうち3つが象徴されている。

歴史

詳細は「インドの歴史」および「南アジア史」を参照

ヴェーダ時代からラージプート時代まで

ナーランダ僧院跡(ナーランダ大学)

紀元前2600年頃から前1800年頃までの間にインダス川流域にインダス文明が栄えた。前1500年頃にインド・アーリア人(トリツ族バラタ族プール族等)がパンジャーブ地方に移住。後にガンジス川流域の先住民ドラヴィダ人を支配して定住生活に入った。インド・アーリア人は、司祭階級(バラモン)を頂点とした身分制度社会(カースト制度)に基づく社会を形成し、それが今日に至るまでのインド社会を規定している。インド・アーリア人の中でも特にバラタ族の名称「バーラタ(भारत)」は、インドの正式名称(ヒンディー語: भारत गणराज्य, バーラト共和国)に使われており、インドは「バラタ族の国」を正統とする歴史観を表明している。

前6世紀には十六大国が栄えたが、紀元前521年頃に始まったアケメネス朝ダレイオス1世によるインド遠征で敗れ、パンジャブシンドガンダーラを失った。前5世紀に釈迦が仏教を説いた。紀元前330年頃、アレクサンドロス3世東方遠征では、インド北西部のパンジャーブで行われたヒュダスペス河畔の戦いパウラヴァ族が敗北したものの、アレクサンドロス軍の損害も大きく、マケドニア王国は撤退していった。撤退の際も当時の現地の住民であるマッロイ人の征服が行われた。(マッロイ戦役)紀元前317年チャンドラグプタによってパータリプトラ(サンスクリット語: पाटलिपुत्रः、現在のパトナ)を都とする最初の統一国家であるマウリヤ朝マガダ国が成立し、紀元前305年頃にディアドコイ戦争中のセレウコス朝セレウコス1世からインダス川流域やバクトリア南部の領土を取り戻した。紀元前265年頃、カリンガ戦争カリンガ国(現オリッサ州)を併合。この頃、初期仏教の根本分裂が起った。紀元前232年頃、アショーカ王が死去すると、マウリヤ朝は分裂し、北インドは混乱期に入った。

ギリシア系エジプト人商人が著した『エリュトゥラー海案内記』によれば、1世紀にはデカン高原サータヴァーハナ朝ローマ帝国との季節風交易で繁栄(海のシルクロード)。3世紀後半にタミル系のパッラヴァ朝、4世紀にデカン高原カダンバ朝が興り、インドネシアのクタイ王国タルマヌガラ王国に影響を及ぼした。

これらの古代王朝の後、5世紀に、グプタ朝北インドを統一した。サンスクリット文学がさかんになる一方、アジャンター石窟エローラ石窟群などの優れた仏教美術が生み出された。5世紀から始まったエフタルのインド北西部への侵入は、ミヒラクラの治世に最高潮に達し、仏教弾圧でグプタ朝は衰退し550年頃に滅亡した。7世紀前半頃、玄奘三蔵ヴァルダナ朝および前期チャールキヤ朝を訪れ、ナーランダ大学で学び、657部の経典を中国()へ持ち帰った。7世紀後半にヴァルダナ朝が滅ぶと、8世紀後半からはデカンのラージプート王朝のラーシュトラクータ朝、北西インドのプラティーハーラ朝ベンガルビハール地方のパーラ朝が分立した。パーラ朝が仏教を保護してパハルプールの仏教寺院(現バングラデシュ)が建設され、近隣諸国のパガン仏教寺院アンコール仏教寺院ボロブドゥール仏教寺院の建設に影響を与えた。日本でも同時期に東大寺が建立された。10世紀からラージプート王朝のチャンデーラ朝カジュラーホーを建設した。

北インドのイスラム化と南インドのヒンドゥー王朝

11世紀初めより、ガズナ朝ゴール朝などのイスラムの諸王朝が北インドを支配するようになった。

一方、南インドでは、10世紀後半ころからタミル系のチョーラ朝が貿易で繁栄し、11世紀には北宋との海洋貿易の制海権を確保する目的で東南アジアシュリーヴィジャヤ王国に2度の遠征を敢行し、衰退させた。

13世紀にゴール朝で内紛が続き、アイバクデリー・スルターン朝(奴隷王朝)を興してデリーに都を置き北インドを支配した。バルバンの治世からモンゴル帝国の圧力が始まった。14世紀初頭にデリー・スルターン朝(ハルジー朝)がデカン、南インド遠征を行い、一時は全インドを統一するほどの勢いを誇った。アラー・ウッディーン・ハルジーの治世にはチャガタイ・ハン国が度々侵攻してきた。デリー・スルターン朝(トゥグルク朝)は、内紛と1398年ティムールによるインド北部侵攻で衰退し、独立したヴィジャヤナガル王国バフマニー朝(その後ムスリム5王国に分裂した)へと覇権が移った。

ヴィジャヤナガル王国

14世紀前半から17世紀半にかけてデリー・スルターン朝から独立したヴィジャヤナガル王国が南インドで栄え、16世紀前半クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ王の統治のもと、王国は最盛期を迎えた。

しかし、1565年ターリコータの戦いデカン・スルターン朝に負け、ヴィジャヤナガル朝は衰退していき、王国最後の名君ヴェンカタ2世(位1586 - 1614)の奮闘もむなしく、その没後王国は滅亡した。デカン・スルターン朝も、その後はお互いに争うようになり、ムガル帝国がムスリム5王国全域を支配した。

ムガル帝国

ムガル帝国の版図の変遷

16世紀、ティムール帝国の末裔であったバーブル北インドへ南下し、1526年にデリー・スルターン朝(ローディー朝)を倒して ムガル帝国を立てた。ムガルはモンゴルを意味する。ムガル帝国は、インドにおける最後にして最大のイスラム帝国であった。3代皇帝のアクバルは、インドの諸地方の統合と諸民族・諸宗教との融和を図るとともに統治機構の整備に努めた。

だが、6代皇帝のアウラングゼーブは、従来の宗教的寛容策を改めて厳格なイスラム教スンナ派のイスラム法シャーリアに基づく統治を行ったために各地で反乱が勃発した。彼は反乱を起こしたシーク教徒や、ヒンドゥー教ラージプート族(マールワール王国メーワール王国)や、シヴァージー率いる新興のマラーター王国(後にマラーター同盟の中心となる)を討伐し、ムスリム5王国の残る2王国ビジャープル王国(1686年滅亡)・ゴールコンダ王国(1687年滅亡)を滅ぼして帝国の最大版図を築いた。このころダイヤモンド生産がピークを迎えた。インド産は18世紀前半まで世界シェアを維持した。

アウラングゼーブの死後、無理な膨張政策と異教・異文化に対する強硬策の反動で、諸勢力の分裂と帝国の急速な衰退を招くことになった。

インドの植民地化

タージ・マハル

1498年ヴァスコ・ダ・ガマがカリカット(コーリコード)へ来訪し、1509年ディーウ沖海戦オスマン帝国からディーウを占領し、1511年マラッカ王国を占領してポルトガル領マラッカを要塞化することによって、ポルトガルはインド洋制海権を得た。このことを契機に、ポルトガル海上帝国は沿岸部ゴアに拠点を置くポルトガル領インド(1510年-1961年)を築いた。1620年デンマーク東インド会社トランケバルデンマーク領インド(1620年 - 1869年)を獲得。1623年オランダ領東インド(現インドネシア)で起きたアンボイナ事件でイギリスはオランダに敗れ、東南アジアでの貿易拠点と制海権を失い、アジアで他の貿易先を探っていた。

そのような状況で、ムガル帝国が没落しイギリス東インド会社フランス東インド会社が南インドの東海岸に進出することになり、貿易拠点ポンディシェリをめぐるカーナティック戦争が勃発した。1757年6月のプラッシーの戦いでムガル帝国とフランス東インド会社の連合軍が敗れた。同年8月にはマラーター同盟デリーを占領し、インド北西部侵攻(1757年 - 1758年)でインド全域を占領する勢いを見せた。1760年ヴァンデヴァッシュの戦いでフランス東インド会社がイギリス東インド会社に敗れた。

一方、翌1761年第三次パーニーパットの戦いマラーター同盟は、ドゥッラーニー朝アフガニスタンに敗北していた。1764年ブクサールの戦いでムガル帝国に勝利したイギリス東インド会社は、1765年アラーハーバード条約を締結し、ベンガル地方ディーワーニー(行政徴税権, Diwani Rights)を獲得したことを皮切りに、イギリス東インド会社主導の植民地化を推進した。イギリス東インド会社は一連のインドを蚕食する戦争(マイソール戦争マラーター戦争シク戦争)を開始し、実質的にインドはイギリス東インド会社の植民地となった。

インドは1814年まで世界最大の綿製品供給国だった。毎年120万ピースがイギリスへ輸出されていた。これに対して、1814年のイギリスからインドへの綿製品輸出は80万ピースであった。そこでイギリス産業資本は関税を吊り上げてインド産製品を駆逐する一方、イギリス製品を無税でインドへ送った。1828年には、イギリスへ輸出されたインド綿布が42万ピースに激減する一方、インドへ輸出されたイギリス製綿布は430万ピースに達した。こうしてインドの伝統的な綿織物産業は壊滅した。

1824年英蘭協約でイギリスがマラッカ海峡の制海権を確立した。

出典:wikipedia
2018/11/20 03:05

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