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ウディ・アレンとは?

【本名】
Allan Stewart Konigsberg
【生年月日】
(1935-12-01) 1935年12月1日(82歳)
【出生地】
ニューヨーク州ニューヨークブロンクス区
【国籍】
アメリカ合衆国
【職業】
映画監督
俳優
脚本家
【配偶者】
Harlene Rosen(1956年 - 1962年)
ルイーズ・ラッサー(1966年 - 1969年)
スン=イー・プレヴィン(1997年 - )
【著名な家族】
レッティ・アロンソン(妹)
【主な作品】

映画
アニー・ホール
カイロの紫のバラ
ハンナとその姉妹
ブロードウェイと銃弾
ギター弾きの恋
マッチポイント
それでも恋するバルセロナ
ミッドナイト・イン・パリ
ブルージャスミン
受賞
アカデミー賞

監督賞
1977年アニー・ホール
脚本賞
1977年アニー・ホール
1986年ハンナとその姉妹
2011年ミッドナイト・イン・パリ
カンヌ国際映画祭

国際批評家連盟賞
1985年カイロの紫のバラ
パルム・ドール名誉賞
2002年 長年の功績に対して
ヴェネツィア国際映画祭

栄誉金獅子賞
1995年 長年の功績に対して
ベルリン国際映画祭

銀熊賞 (芸術貢献賞)
1975年ウディ・アレンの愛と死
全米映画批評家協会賞

監督賞
1979年マンハッタン
脚本賞
1977年アニー・ホール
ニューヨーク映画批評家協会賞

監督賞
1977年アニー・ホール
1979年マンハッタン
1986年ハンナとその姉妹
脚本賞
1977年アニー・ホール
1985年カイロの紫のバラ
ロサンゼルス映画批評家協会賞

脚本賞
1977年アニー・ホール
1986年ハンナとその姉妹
放送映画批評家協会賞

オリジナル脚本賞
2011年ミッドナイト・イン・パリ
英国アカデミー賞

作品賞
1977年アニー・ホール
1979年マンハッタン
1985年カイロの紫のバラ
監督賞
1977年『アニー・ホール
1986年『ハンナとその姉妹
脚本賞
1977年『アニー・ホール
1979年『マンハッタン
オリジナル脚本賞
1984年『ブロードウェイのダニー・ローズ
1985年『カイロの紫のバラ
1986年『ハンナとその姉妹
1992年『夫たち、妻たち
グラミー賞

サウンドトラック映画賞
2011年ミッドナイト・イン・パリ
ゴールデングローブ賞

脚本賞
1985年カイロの紫のバラ
2011年ミッドナイト・イン・パリ
セシル・B・デミル賞
2013年 長年の功績に対して
セザール賞

外国映画賞
1979年『マンハッタン
1985年『カイロの紫のバラ
【その他の賞】

オー・ヘンリー賞(1978年)


ウディ・アレン(Woody Allen, 1935年12月1日 - )は、アメリカ合衆国映画監督俳優脚本家小説家クラリネット奏者である。日本語では「ウッディ・アレン」と表記される場合もある。

アカデミー賞に史上最多の24回ノミネートされ、監督賞を1度、脚本賞を3度受賞している。身長160cm。本名はアラン・スチュアート・コニグズバーグ(Allan Stewart Konigsberg)。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 少年時代
    • 1.2 ギャグ・ライター
    • 1.3 コメディアンとして
    • 1.4 映画監督・俳優として
    • 1.5 小説家として
    • 1.6 クラリネット奏者として
    • 1.7 家族
  • 2 主な出演、監督、脚本作品
  • 3 作品書籍
    • 3.1 著作(日本語訳)
  • 4 参考・関連文献、映像
  • 5 受賞歴
    • 5.1 アカデミー賞
    • 5.2 BAFTA
  • 6 エピソード
  • 7 参照
  • 8 外部リンク

経歴

少年時代

ウディ・アレンは、ニューヨークブロンクス区で、ロシア系=オーストリア系ユダヤ人の家庭に生まれた。父親のマーティン・コニグズバーグ(Martin Konigsberg, 1900年12月25日 - 2001年1月13日)と母親のネティー(Netty Cherrie Konigsberg, 1908年 - 2002年1月)はアレンが生まれてから妹のレッティ(Letty, 1943年 - )が生まれる直前まで、ブルックリンを中心に10数回も引越しを繰り返していた。その間、母親の姉妹や、ドイツにおけるナチスの迫害から逃れてきた親類との賑やかな共同生活と、素性の知れない、時に凶悪な面を見せるベビーシッターとの生活を余儀なくされた。

ゆえにアレンの幼年期は主に女性に囲まれた精神的かつ言語的に混沌としたものだった。また、母親は時々アレンに対して激しい叱責(時には手も出る)を行った。妹のレティに対しては、はるかに穏やかな扱いだったので、アレンは「大事にされている、愛されている」という感情が持てなくなった。ひねくれた少年の行く先は現実逃避で、アレンはコミックや映画、ジャズに傾倒するようになっていった。

コニグズバーグ家は正統的なユダヤ教徒だったので、ユダヤ教の様々な儀式を行い、アレンもまた、8年間もの間ヘブライ語学校に通うことになった。これは宗教嫌いに拍車を掛ける結果になった。パブリック・スクール卒業後、1949年にミッドウッド・ハイスクールに入学。生まれつきの赤髪のせいでニックネームは「Red」。アレンはカード・マジックに傾倒した。

16歳の時に、アレンはマジシャンとして初舞台を踏むが、すぐにマジシャンとしての自分に見切りをつけた。同級生の前でマジックを披露しているうちに、「面白いヤツ」という評判が立ち、アレンは徐々にコメディに傾倒し、その道を志望するようになっていった(アレンと同級生のミッキー・ローズはジョージ・S・カウフマン好きということで意気投合し、後にアレンの初期の映画で共同で脚本を書いている)。

ギャグ・ライター

1952年、ハイスクール在学中に、アレンはPRの仕事をしている従兄や『ニューヨーク・デイリー・ミラー』、『ニューヨーク・ポスト』などにいわゆる「ハガキ職人」としてギャグを送り始めた。この頃から、筆名として「ウディ・アレン」(極短期間「ヘイウッド・アレン」とも)を名乗り始めた。数々のギャグはコラムニストの手によって誌上で紹介され人気を博した。

これが芸能エージェントのデヴィッド・O・アルバーの目にとまり、アレンはアルバーのもとで「ウディ・アレン」として臨時雇いのギャグ・ライターという道を歩むことになった。

コメディアンとして

1953年、アレンはニューヨーク大学教養学部に入学した。映画製作を専攻し、英文学スペイン語を中心に学んだが、授業の大半をさぼり、試験は一夜漬け、レポートは例の調子でコメディ風といった調子で、中退してしまった。ニューヨーク市立大学シティカレッジ映画科に入り直したものの、アレンのさぼり癖はおさまらず、またもや中退。母親のネティーは最初こそ絶望したものの、ギャグ・ライターとしてなんとかならないものかと考えるようになり、親戚のエイブ・バロウズという最強のコネを使って後押した。バロウズはアレンの才能を高く買い、シド・シーザーピーター・リンド・ヘイズなどのテレビ司会者を紹介するとともに、アレンにギャグ・ライターだけではなく、シリアスな芝居とコメディを両立させる事の必要性を説いた。

1955年、同級生の兄ハーヴィ・メルツァーとマネージメント契約を結び、この有能なマネージャーの強烈な推薦で、NBCの放送作家養成プログラムに参加し、アレンはギャグ・ライターと放送作家を並行して行うことになった。シド・シーザーのグループで、ダニー・サイモンメル・ブルックスラリー・ゲルバードらとともに働いた。1958年、アレンとゲルバードは、シド・シーザーの特別番組でシルヴァニア賞を受賞し、同作品はエミー賞にもノミネートされた。『パット・ブーン・ショー』で再びエミー賞にノミネートされ、放送作家としての地位を確固たる物にした。しかし、アレンは放送作家という仕事に興味を持てなくなる一方で、続々舞い込む仕事に心を病み、1959年から精神科への通院を始める。

『パット・ブーン・ショー』が打ち切られた1960年から、アレンはスタンダップ・コメディアンとして活動を始める。『ブルー・エンジェル』での初舞台は散々な評価に終わったが、舞台を重ねるうちに腕をメキメキと上げて、人気を集めていった。1962年8月には、『ニューズウィーク』誌がアレンを「シェリー・バーマンモート・サールレニー・ブルースに次いで現れたコメディアンの中で最も革新的」と評価し、1963年2月には『ニューヨーク・タイムズ』誌が同様の舞台評を書くまでになった。評判を聞き、映画界からのオファーが飛び込み、アレンはその世界へと身を投じた。

映画監督・俳優として

生まれ育ったニューヨークの文化や暮らし、人々の精神性をテーマにすることが多い、しかもそこに住むユダヤ人のそれを主題とする。ユダヤ人であることの差別とそこから来るコンプレックスや、自己意識などを織り込んだコメディを得意とする。

演じる際には自らをカリカチュアライズしたようなユダヤ系の神経質なインテリを演じることが多い。

なお、フランスなどの先進国を中心とした国外においても非常に高い評価を受けていることでも知られる。また、一部の作品を除いてアメリカ国内における興行成績は決して高くはなく、アレン自体もその事を皮肉った発言を行っている。なお、アメリカ国内より国外での興行成績が高い作品もあるにもかかわらず、後述のように多くの人気俳優女優が競って出演することでも知られている。

またアレンは、ハリウッドに背を向けた映画人としても知られている。『アニー・ホール』(1977年)で、アカデミー監督賞作品賞を受賞した時も、授賞式には出なかった。アレンが唯一アカデミー賞の授賞式に姿を現したのは、2002年の授賞式で特別プログラムとしてニューヨークを舞台にした作品集の紹介を依頼されたときだけ。それは前年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロで犠牲になった人たちに捧げるオマージュとしての企画で、アレンは出演したものの、それが終わるとただちにニューヨークに戻ってしまった。それにもかかわらずアレンがアカデミー賞にノミネートされたのは24回で最多の回数である。

小説家として

1960年代の後半から1970年代にかけて、アメリカの文芸誌である『ニューヨーカー』誌を中心に短篇小説を書いている。そのうちいくつかの作品は映画化された。"The Kugelmass Episode"で1978年にオー・ヘンリー賞を受賞。

クラリネット奏者として

幼年期のラジオ体験からジャズに傾倒した。最初の妻ハーリーンとはナイトクラブで知り合い、即興演奏(ハーリーンがピアノ、ウディがクラリネット)をすることもしばしばであった。映画監督として大成してからは、テレビショーやミュージック・フェスティバルで吹くことも多い。ニューヨークの「マイケルズ・パブ」のレギュラーバンド「Woody Allen and his New Orleans Jazz Band」の一員として毎週月曜日の夕方にクラリネットを吹くという習慣を数十年続けている。アカデミー賞の授賞式をすっぽかして、いつも通りクラリネットを吹いていたことは、ひとつの伝説となっている。

ドキュメンタリー映画『ワイルド・マン・ブルース』(1998年、監督バーバラ・コップル)では、ニューオーリンズ・ジャズ・バンドを率いてのアレンのヨーロッパ・ツアーの模様が描かれている。また自作の映画の中ではジャズをBGMとして多用することが多い。

家族

映画で共演したダイアン・キートンと付き合っていたが、長く続かず破綻。その後、ミア・ファローと同居するようになるが、彼女の養子の韓国人女性スン・イー(当時21歳)との交際が発覚し、ミアと訴訟を起すこともあった。ウディとスン・イーはその後結婚し、女の子二人を養子に取っている。ダイアン・キートンと『マンハッタン殺人ミステリー』(1993年)では共演しているが、これは本来ミア・ファローの役として話を書いたところを、私生活のごたごたの関係で代わってもらった、とウディ・アレンは語っている。

主な出演、監督、脚本作品

公開年 日本語題 原題 役職
監督 脚本 出演 その他
1965 | 何かいいことないか子猫チャン | What's New, Pussycat? |  | ○ | ○ | 
1966 | どうしたんだい、タイガー・リリー? | What's Up, Tiger Lily? | ○ | ○ | ○ | 
1967 | 007/カジノ・ロワイヤル | Casino Royale |  |  | ○ | 
1969 | 水は危険・ハイジャック珍道中 | Don't Drink the Water |  |  |  | 原作
1969 | 泥棒野郎 | Take the Money and Run | ○ | ○ | ○ | 
1971 | ウディ・アレンのバナナ | Bananas | ○ | ○ | ○ | 
1972 | ボギー!俺も男だ | Play It Again, Sam |  | ○ | ○ | 
ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう | Everything You Always Wanted to Know About Sex * But Were Afraid to Ask | ○ | ○ | ○ | 
1973 | スリーパー | en:Sleeper | ○ | ○ | ○ | 音楽
1975 | ウディ・アレンの愛と死 | en:Love and Death | ○ | ○ | ○ | 
1976 | ウディ・アレンのザ・フロント | The Front |  |  | ○ | 
1977 | アニー・ホール | Annie Hall | ○ | ○ | ○ | 
1978 | インテリア | Interiors | ○ | ○ |  | 
1979 | マンハッタン | Manhattan | ○ | ○ | ○ | 
1980 | スターダスト・メモリー | Stardust Memories | ○ | ○ | ○ | 
1982 | サマー・ナイト | A Midsummer Night's Sex Comedy | ○ | ○ | ○ | 
1983 | カメレオンマン | en:Zelig | ○ | ○ | ○ | 
1984 | ブロードウェイのダニー・ローズ | Broadway Danny Rose | ○ | ○ | ○ | 
1985 | カイロの紫のバラ | The Purple Rose of Cairo | ○ | ○ |  | 
1986 | ハンナとその姉妹 | Hannah and Her Sisters | ○ | ○ | ○ | 
1987 | ラジオ・デイズ | Radio Days | ○ | ○ |  | 
セプテンバー | September | ○ | ○ |  | 
ゴダールのリア王 | King Lear |  |  | ○ | 
1989 | 私の中のもうひとりの私 | Another Woman | ○ | ○ |  | 
エディプス・コンプレックス | Oedipus Wrecks (in New York Stories) | ○ | ○ | ○ | ※オムニバス映画 「ニューヨーク・ストーリー」第3話
ウディ・アレンの重罪と軽罪 | en:Crimes and Misdemeanors | ○ | ○ | ○ | 
1990 | アリス | Alice | ○ | ○ |  | 
1991 | 結婚記念日 | Scenes from a Mall |  |  | ○ | 
1992 | ウディ・アレンの影と霧 | Shadows and Fog | ○ | ○ | ○ | 
夫たち、妻たち | Husbands and Wives | ○ | ○ | ○ | 
1993 | マンハッタン殺人ミステリー | Manhattan Murder Mystery | ○ | ○ | ○ | 
1994 | トラブルボックス/恋とスパイと大作戦 | Don't Drink The Water | ○ | ○ | ○ | ※テレビ映画
1995 | ブロードウェイと銃弾 | Bullets Over Broadway | ○ | ○ |  | 
1996 | 誘惑のアフロディーテ | Mighty Aphrodite | ○ | ○ | ○ | 
1997 | 世界中がアイ・ラヴ・ユー | Everyone Says I Love You | ○ | ○ | ○ | 
地球は女で回ってる | Deconstructing Harry | ○ | ○ | ○ | 
1998 | インポスターズ | The Impostors' |  |  | ○ | ※日本未公開
セレブリティ | en:Celebrity | ○ | ○ |  | 
アンツ | Antz |  |  | ○ | ※アニメ映画
ワイルド・マン・ブルース | Wild Man Blues |  |  | ○ | ※ウディ・アレンのドキュメンタリー
1999 | ギター弾きの恋 | Sweet and Lowdown | ○ | ○ | ○ | 
2000 | CIAの男 | Company Man |  |  | ○ | 
おいしい生活 | Small Time Crooks | ○ | ○ | ○ | 
ヴァージン・ハンド | Picking Up the Pieces |  |  | ○ | 
2001 | スコルピオンの恋まじない | The Curse of the Jade Scorpion | ○ | ○ | ○ | 
Stanley Kubrick | A Life in Pictures Stanley Kubrick: A Life in Pictures |  |  | ○ | 
2002 | さよなら、さよならハリウッド | en:Hollywood Ending | ○ | ○ | ○ | 
2003 | 僕のニューヨークライフ | Anything Else | ○ | ○ | ○ | 
2004 | メリンダとメリンダ | Melinda and Melinda | ○ | ○ |  | 
2005 | マッチポイント | Match Point | ○ | ○ |  | 
2006 | タロットカード殺人事件 | Scoop | ○ | ○ | ○ | 
2007 | ウディ・アレンの夢と犯罪 | Cassandra's Dream | ○ | ○ |  | 
2008 | それでも恋するバルセロナ | Vicky Cristina Barcelona | ○ | ○ |  | 
2009 | 人生万歳! | en:Whatever Works | ○ | ○ |  | 
2010 | 恋のロンドン狂騒曲 | You Will Meet a Tall Dark Stranger | ○ | ○ |  | 
2011 | ミッドナイト・イン・パリ | Midnight in Paris | ○ | ○ |  | 
映画と恋とウディ・アレン | Woody Allen: A Documentary |  |  | ○ | ※ウディ・アレンのドキュメンタリー
2012 | ローマでアモーレ | To Rome with Love | ○ | ○ | ○ | 
2013 | ブルージャスミン | Blue Jasmine | ○ | ○ |  | 
ジゴロ・イン・ニューヨーク | Fading Gigolo |  |  | ○ | 
2014 | マジック・イン・ムーンライト | Magic in the Moonlight | ○ | ○ |  | 
2015 | 教授のおかしな妄想殺人 | Irrational Man | ○ | ○ |  | 
2016 | カフェ・ソサエティ | Café Society | ○ | ○ |  | 
ウディ・アレンの6つの危ない物語 | Crisis in Six Scenes | ○ | ○ | ○ | ※ネット配信ドラマ
2017 | 女と男の観覧車 | Wonder Wheel | ○ | ○ |  | 
A Rainy Day in New York |  | ○ | ○ |  | 

作品書籍

著作(日本語訳)

参考・関連文献、映像

受賞歴

2010Happy Mail