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オクラホマ州とは?

座標: 北緯35度30分 西経98度00分 / 北緯35.5度 西経98度 / 35.5; -98

オクラホマ州
State of Oklahoma



(州旗) | (州章)
州の愛称: 抜け駆けの州
Sooner State
州のモットー: 労働は全てに打ち勝つ
(ラテン語: Labor omnia vincit)
州都
オクラホマ市
【最大の都市】
オクラホマ市
州知事
ケビン・スティット
公用語
英語
面積
- 総計
- 陸地
- 水域 全米第20位
181,195 km²
178,023 km²
3,173 km² (1.8%)
人口(2010年)
- 総計
- 人口密度 全米第28位
3,751,351
21.1人/km²
【合衆国加入
- 順番
- 加入年月日】

46番目
1907年11月16日
時間帯
UTC -6, -7
DST -5, -6
緯度
北緯33°37' - 37°
経度
西経94°26' - 103°
【東西の幅】
645 km
【南北の長さ】
370 km
標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
1,516 m
400 m
88 m
【略称 (ISO 3166-2:US)】
US-OK
【ウェブサイト】
オクラホマ州政府
【上院議員】
ジム・インホフ
トム・コバーン

オクラホマ州(英語:Oklahoma,[ˌkləˈhmə] ( 音声ファイル); チェロキー語: ᎣᎦᎳᎰᎹ, ogalahoma; チョクトー語: Oklahumma)は、アメリカ合衆国南中部にあるである。州の北はコロラド州カンザス州に接し、東はミズーリ州アーカンソー州、西はニューメキシコ州、南はテキサス州に接している。アメリカ合衆国50州の中で、面積では第20位、人口では第28位である。

州都および最大都市オクラホマ市であり、タルサ市がそれに続く。

州名はチョクトーインディアンの言葉でoklahummaを合わせたものであり、「赤い人々」を意味する。1907年11月16日に元のインディアン準州オクラホマ準州を合わせて合衆国46番目の州になっており、当初は全米のインディアン部族のほとんどを強制移住させる目的で作られた州である。そのため、他の州に比べ、インディアンの保留地(Reservation)が非常に多い。

オクラホマ州は天然ガス石油および農業の生産高が高く、また航空機、エネルギー、通信およびバイオテクノロジーに経済の基盤がある。国内でも最大級に経済成長率が高く、一人当たり収入成長率と、州総生産の成長率では国内トップクラスである。オクラホマシティ市とタルサ市が州経済の中心となり、両都市圏に州人口の60%近くが住んでいる。

【家庭で話される言語(オクラホマ州) 2010】

 |  |  |  | 
英語 | 
 | 91.15%
スペイン語 | 
 | 5.89%
【人種構成(オクラホマ州) 2010】

 |  |  |  | 
白人 | 
 | 68.7%
ヒスパニック | 
 | 8.9%
インディアン | 
 | 8.6%
黒人 | 
 | 7.4%
アジア系 | 
 | 1.7%
混血 | 
 | 5.9%

目次

  • 1 州名の由来
  • 2 歴史
  • 3 地理
    • 3.1 地形
    • 3.2 植物相と動物相
    • 3.3 保護地域
  • 4 気候
  • 5 人口動勢
    • 5.1 人種及び祖先
    • 5.2 宗教
  • 6 インディアン部族
    • 6.1 オクラホマ支給基地
    • 6.2 インディアン・カジノ
    • 6.3 部族国旗
  • 7 主要な都市及び町
  • 8 政治と法律
    • 8.1 州政府
    • 8.2 地方政府
    • 8.3 国政
  • 9 経済
    • 9.1 主要産業
    • 9.2 エネルギー
    • 9.3 農業
  • 10 交通
  • 11 教育
    • 11.1 単科及び総合大学
  • 12 芸術・文化
    • 12.1 芸術と演劇
    • 12.2 祭と行事
    • 12.3 オクラホマ州出身の有名人
    • 12.4 スポーツチーム
  • 13 健康管理
  • 14 メディア
  • 15 その他
    • 15.1 州の象徴など
    • 15.2 日本の姉妹都市
  • 16 脚注
  • 17 参考文献
  • 18 関連項目
  • 19 外部リンク

州名の由来

「オクラホマ」という名前はoklahummaを合わせたものであり、「赤い人々」を意味する。チョクトー族の酋長アレン・ライトが、インディアン準州の利用に関するアメリカ合衆国政府との条約交渉中の1866年に提案したものである。ライトはアメリカ合衆国インディアン問題監督官が支配する、全てインディアンの州を構想していた。okla hummaという言葉はアメリカインディアン全体を指すときに使われるチョクトー語である。後にオクラホマ準州として事実上の地域の名称となり、この地域が白人開拓者に開放されてから2年後の1890年には公式の名称となった。

歴史

詳細は「オクラホマ州の歴史」を参照

最終氷河期にはインディアンがオクラホマを通って移動したという証拠が存在するが、最初の恒久的な住人となると、紀元850年から1450年にアーカンソー州境近くに塚のような構造物を築いた人々である。スペイン人フランシスコ・バスケス・デ・コロナドが1541年に州内を旅したが、1700年代にフランス人探検家達が地域の領有権を主張した。フランスによる領有は、1803年のルイジアナ買収によってアメリカ合衆国がミシシッピ川の西側領土全てをフランスから購入するまで続いた。

1794年フォールン・ティンバーズの戦いの講和条約としてグリーンヴィル条約(1795年8月3日)が締結されると、19世紀前半に北アメリカ中のインディアンが先祖伝来の土地を追い出され(Treaty of Dancing Rabbit Creek)、現在のオクラホマ州周辺の地に移動させられた。チョクトー族は、アメリカ合衆国南東部から移動させられた文明化五部族の中では最初の部族だった。「涙の道」ということばは1831年のチョクトー族の移動に端を発する言葉だったが、通常はチェロキー族の移動を表すときに使われている。約17,000人のチェロキー族と彼等が所有していた2,000人の黒人奴隷がその故郷から移動させられた。オクラホマの地域は既にオーセージ族やクアポー族に占められていたが、チョクトー族のための土地と呼ばれ、その後インディアンの土地となり、さらにアメリカ合衆国の政策でその他のインディアン部族を含むようにその境界が再定義された。1890年までに30以上の部族がインディアン準州(あるいは「インディアン・カントリー」と呼ばれる)領域に集中させられた。南北戦争の間、多くのインディアンが北軍または南軍に従軍した。チェロキー族の場合は部族内抗争も起こった。オクラホマの奴隷制度は1866年になって廃止された。

1866年から1899年、テキサス州の牛牧場経営者が東部の都市での食糧需要に応ずるために、カンザス州の鉄道まで約束した配達期限に牛を届けられるよう牛を追わせたカウボーイが牛を北に追い、あるいはインディアン準州の中に違法に入植することで牛追い道と牛牧場が発展した。1881年、主要な牛追い道5本(Goodnight–Loving TrailPotter-Bacon trailウェスタン・トレイルチザム・トレイルShawnee Trail)のうち4本がインディアン準州内を抜けていた。

インディアン準州内に白人開拓者が増えたことで、アメリカ合衆国政府は1887年にドーズ法を制定し、部族の土地を個々の家族単位に割り当て、農業と土地の私有を奨励したが、連邦政府の土地も確保した。この過程で、鉄道会社が準州内のインディアンが所有していた土地の半分近くを取り上げ、外部から来る開拓者が購入できるように確保した。通常、土地は最初にその土地に来た開拓者に開放された。ランドラッシュと呼ばれる、決められた時刻に特定の土地が開拓者に開放され、待ちかねた開拓者が一斉に駆け出すような仕組みが1889年のものを含め何度か行われた。公式の解放時刻以前に境界を越えるという規則破りは「抜け駆け」(sooner)で境界を越えたと言われるようになり、このsooner(早い者勝ち)という言葉がオクラホマ州の公式ニックネーム(Sooner State)にもなった。準州を州に昇格させる動きは19世紀末近くに始まった。この頃、カーティス法でインディアン部族に対する土地の割り当てを続けていた。オクラホマと名付ける全てインディアンの州を創設する試みや、セコイアと名付けるやはり全てインディアンの州を創設する試みが次々と失敗したが、1905年のセコイア州憲法制定会議がその2年後のオクラホマ州憲法制定会議の基になった。1907年11月16日、オクラホマはアメリカ合衆国46番目の州に昇格した。

この新州で石油が発見されて折からの石油ブームの焦点となり、町は急速に人口を増やして富を掴んだ。タルサ市は20世紀の大半の期間「世界の石油首都」と呼ばれており、油田の探査で州の初期経済を潤わせた。1927年、「国道66号線の父」とも呼ばれたオクラホマの事業家サイラス・アベリーが、アメリカ国道66号線の建設に関わる運動を始めた。アベリーは、テキサス州アマリロからタルサ市に伸びていた道路を用いて66号線を建設するために、本拠地のタルサ市で66号線協会を結成し、その計画を監督した。

オクラホマはアフリカ系アメリカ人の歴史も豊富である。20世紀初期には近隣の特にカンザス州などから黒人開拓者が移住してきたために、多くの黒人町が繁栄した。政治家のエドワード・P・マッケイブが当時のインディアン準州に黒人開拓者が来ることを奨励した。マッケイブはセオドア・ルーズベルト大統領と、オクラホマを黒人多数の州にする可能性を検討した。20世紀初期までに、タルサ市のグリーンウッド地区は、アメリカ合衆国の中でも最も繁栄するアフリカ系アメリカ人社会の1つになった。20世紀への変わり目以後、ジム・クロウ法によって人種差別が激しくなったが、黒人は繁栄する地域を作り上げた。1915年以降のクー・クラックス・クランの復活によって社会の緊張が高まった。1921年には白人が黒人を攻撃する事件があり、タルサ人種暴動と呼ばれた。この事件では、16時間におよぶ暴動で市街地35ブロックが破壊され、被害総額は180万ドル、死者は300人とされる、アメリカ史の中でも最大級の人種間暴力事件となった。1920年代後半までに州内ではクー・クラックス・クランの勢いが衰え、無視できる状態になった。

1930年代に起こったダストボウル、多くの農家を貧窮に追いやった

1930年代は、オクラホマ州の一部はお粗末な耕作法、うち続く干ばつと強風のために苦難の時となった。カンザス州、テキサス州、ニューメキシコ州およびオクラホマ州北西部におきたダストボウルは、長い期間の小雨と異常な高温の産物であり、数多い農家が貧窮の底に沈み、アメリカ合衆国西部の肥沃な土地への再移住を強いられることになった。1950年までの20年間は、オクラホマ州人口が6.9%減少し、人口が減った唯一の期間となった。

土壌と水の保全計画によって州内の農耕法が著しく変化し、大規模な洪水制御系とダムが建設された。多くの貯水池と人工湖が造られ家庭用と農業用の水が供給された。1960年代までに、200以上の湖が建造され、国内でも最大数となった。

オクラホマシティの爆破されたアルフレッド・P・ムラー連邦ビル、アメリカ史の中でも最大級のテロ事件となった。

1995年、アメリカ史の中でも最悪のテロ事件の舞台となった。1995年4月19日にオクラホマシティのアルフレッド・P・マラー連邦ビル前で爆発が起こり、19人の子供を含む168人が殺された。爆破犯人はティモシー・マクベイとテリー・ニコルズとされ、マクベイは死刑を宣告され2001年6月11日に、連邦政府によって処刑された。相棒のニコルズは釈放の可能性の無い終身刑とされ、現在も服役中である。

詳細は「オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件」を参照


地理

参照:オクラホマ州の郡一覧en:Geography of Oklahomaen:list of Oklahoma townshipsen:lakes in Oklahoma
オクラホマ・パンハンドルの歓迎看板背後に広がるハイプレーンズ

オクラホマ州の総面積は69,898平方マイル (181,035 km) であり、合衆国50州の中で第20位である。陸地は68,667 平方マイル (177,847 km)、水域は1,281 平方マイル (3,188 km) である。オクラホマ州はロッキー山脈の東手前にあるフロンティア・ストリップに位置する6つの州の1つであり、大陸48州の地理的重心に近い。

オクラホマ州は東部でアーカンソー州及びミズーリ州に、北部(北緯37度)でカンザス州及びコロラド州に、西端(西経103度)でニューメキシコ州に、南部でテキサス州に接している。北西部の細長い土地(オクラホマ・パンハンドル)の南部境界は北緯36度5分にあり、西経100度に達したところで州境は南を向く。その後州境はレッド川までまっすぐ伸びて、アーカンソー州に至るまでレッド川がテキサス州との境をなす。

オクラホマシティは州都であり最大都市である。

地形

オクラホマ州はグレートプレーンズと、メキシコ湾に至る河川流域のオザーク高原との間にある。西側州境のハイプレーンズから南東側州境の低湿地までなだらかな斜面になっている。標高が最も高い地点から最も低い地点もこの並びに沿っている。最高地点は標高 4,973 フィート (1,516 m) のブラックメサであり、オクラホマ・パンハンドルの最北西隅に近く位置している。最低地点は最南東部イダベルの町に近いリトル川沿いであり、標高は 289 フィート (88 m) である。

ウィチタ山地の峡谷を流れる川

オクラホマ州は地理的に多様な州の中でも、10以上の生態域を含む4州の1つである。州境には11の生態域があり、面積平方マイル当たりの数では50州の中で最大である。しかしその西半分と東半分では地理的様相がはっきり異なっている。東部は8つの生態域があり、西部は3つしかない。

州南東部の大半にあるウォシト山地

州内には4つの山地がある。すなわちウォシト山地、アーバックル山地、ウィチタ山地、およびオザーク山地である。それらは内陸高原の中に含まれ、オザーク山地とウォシト山地は、ロッキー山脈とアパラチア山脈の間にある唯一の主要山岳地である。フリントヒルズの一部が州北中部伸びており、南東隅のカバナルヒルはオクラホマ州観光余暇省が世界最高の丘陵と認めている。その標高は1,999 フィート(609 m) であり、観光余暇省が山と認定するためには1フィート足りない。

亜乾燥のハイプレーンズが州北西隅にあり、幾つかの自然の森林がある。オクラホマ州は概してうねりがある地形から平坦な地形であり、その間にグラス山地のような峡谷とメサがある。平原の一部はアンテロープ丘陵や南西部のウィチタ山地のような小さな山脈に区切られ、移行部のプレーリーや森林地が州中央部を覆っている。州東側3分の1にはオザーク山地とウォシト山地が東西に走り、東に行くに従って標高を緩やかに上げている。500以上のクリークや川が州内の水路を造り、ダムで造られた湖は200ある。人造湖の数としては国内最大である。州領域の大半はレッド川とアーカンザス川の2つの流域に入り、その他にリトル川がそこそこの流域を造っている。

植物相と動物相

州面積の24%は森林で覆われ、プレーリーの草原は低い草、混合体、高い草の地帯があり、州中央部と西部に広範な生態系を構成しているが、耕作地が大々的に自然の草地を変えてきた。西部では雨量が少なく、低い草のプレーリーと低木の藪が支配的であるが、ピニオンマツ、エンピツビャクシン(ジュニパー)、ポンデローサマツがパンハンドルの西側にある河川の近くに自生している。湿地帯、糸杉の森、および黄マツ、テーダマツなど落葉性の混合森林が州南東の4分の1には支配的である。州北東部はポストオーク、ニレ、ヌマヒノキ、およびマツが多い混合林である。

州内にはオジロジカ、コヨーテボブキャットヘラジカなどの哺乳類ウズラハトショウジョウコウカンチョウハクトウワシアカオノスリキジなどの鳥類が生息している。プレーリーにはアメリカバイソンソウゲンライチョウアナグマアルマジロがよく見られ、パンハンドルの低草プレーリーでは国内最大のプレーリードッグ生息域がある。州中央部のプレーリーから森林に遷移する地域であるクロスティンバーズでは、351種の脊椎動物が見られる。ウォシト山地には、アメリカグマアカギツネハイイロギツネカワウソが生息し、州南東部には328種の脊椎動物が見られる。南東部にはまたアメリカアリゲーターも見られる。

保護地域

オクラホマ州立公園の1つにあるメサ

州内には50の州立公園、6つの国立公園あるいは国立保護地域、2つの国有林と国立草原、および野生生物保存保護地域のネットワークがある。州内1,000万エーカー (40,000 km) の森林の10%は公有地である。その中には合衆国南部では最大かつ最古の国有林であるウォシト国立の森の西部が入っている。州北中部の高草プレーリー保護区は広さが 39,000 エーカー (158 km) あり、世界の高草プレーリーの保護地域としては最大である。これは昔14の州に跨っていた草原の10%に過ぎない生態系の一部である。さらに、州南西部のブラックケトル国立草原は広さ31,300 エーカー (127 km) のプレーリーである。ウィチタ山地野生生物保護区は州内に9つある野生生物保護区の中で最大かつ最古である。1901年に設立され、広さは 59,020 エーカー (238.8 km) である。連邦政府が保護する公園あるいはレクリエーション地域の中で、チカソー国立レクリエーション地域が最大であり、広さは 9,898.63 エーカー (18 km) である。これら以外にサンタフェ国立歴史道涙の道国立歴史道、スミス砦のウォシタ戦場跡の各国立歴史史跡、およびオクラホマシティ国立記念碑がある。

気候

オクラホマ州は温暖な地域にあるが、春先から晩夏にかけて、この地域特有の気候条件により雷雨が発生しやすい。降水量は大陸性気候に典型的なものである。州の大半は竜巻街道と称される地域にあり、年間平均54個もの竜巻が発生する。これは年間の竜巻発生率で世界最大級である。特に1999年5月3日から5月6日にかけて連続的および同時多発的に起きた竜巻の中には種別最大級のF5クラスの竜巻も発生し各地域に甚大な被害をもたらした。これは冷たい気団と暖かい気団の相互作用が頻繁に起こるためである。温度差や風向が異なる地帯の間に位置するために、州内の気象は比較的短距離でも幅広く変化し、短時間の間に劇的に変化することがある。一例として、1911年11月11日、オクラホマシティの午後の気温は83°F (28 ℃) に達し(この時期としては過去最高)、その後のスコールで夜半には17°F (-8 ℃) まで下がった(これもこの時期の過去最低気温)。

州東部はメキシコ湾からもたらされる湿気を含んだ南風の影響により年間平均気温は 62°F(17℃)、年間降雨量は 1,420mm を記録する温暖湿潤気候(ケッペンの気候区分Cfa)である。パン・ハンドルのハイプレーンズなどロートン市から西の地域では比較的乾燥している。パン・ハンドル地域の年間平均気温は 58°F(14 ℃)、降雨量は 430mm である。夏場は州全体で 100°F(38℃) 以上を記録することもしばしばあり、また冬場は 0°F(-18 ℃) 以下も記録することがある。州南部でも年平均10センチ程度、コロラド州との州境近くの北部では平均51センチ程度の降雪量を記録する。また、ノーマン市のオクラホマ大学キャンパスに隣接してナショナル・ウェザー・センターがあり、地域のみならず全米の気象条件の研究を行う機関がある。また急激な雷雨や竜巻などのSever Stormと呼ばれる気象条件の研究・予測を行うStorm Prediction Center、暴風雨研究所、警戒警報訓練所もここを本拠地としている。これらはアメリカ国立気象局の下部組織である。

オクラホマの典型的な気候は雷雨である

過去最高気温は1994年6月27日にティプトンで記録された120°F (48.9℃) であり、過去最低気温は2011年2月10日にノワタで記録された-31°F (-35 ℃) である。

オクラホマ州主要都市の月平均気温
都市 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
オクラホマ・シティ 8.3/-3.3 | 12.2/0.5 | 16.6/3.8 | 21.6/8.8 | 26.1/14.4 | 30.5/18.9 | 33.9/21.7 | 33.3/21.1 | 28.9/16.6 | 22.7/10.5 | 15.5/3.3 | 10/-1.7
タルサ 7.7/-3.3 | 11.7/0 | 16.6/4.4 | 22.2/10 | 26.6/15 | 31.1/20 | 34.4/22.8 | 33.9/21.7 | 28.9/17.2 | 23.3/10.6 | 15.5/3.9 | 10/-1.1
ロートン 10/-3.3 | 13.3/-0.5 | 18.3/4.4 | 22.8/9.4 | 27.8/15 | 32.2/20 | 35.6/22.8 | 35/21.6 | 30/17.2 | 24.4/10.6 | 16.6/3.9 | 11.1/-1.1
月の平均最高気温と平均最低気温

人口動勢

オクラホマ州の人口密度図

オクラホマ州の2011年7月1日推計人口は3,791,508人であり、2010年国勢調査(3,751,351人)からは1.07%増加していた。

2005年時点で、オクラホマ州の人口は3,547,884人と推計され、前年比24,338人、率にして0.7%増加し、2000年国勢調査に比べ97,232人、2.8%増加した。これには前回の国勢調査からの自然増80,753人 (出生264,324人、死亡183,571人) と、州内への移住者21,128人の純増が含まれる。アメリカ合衆国外からの移住は36,546人増加し、合衆国内部への移住で15,418人減少した。

2006年の一人当たり収入は32,210米ドルで、50州では第37位であるが、その成長率では第3位だった。また生活費指数では常に低い方にある。オクラホマシティ郊外のニコルスヒルズの一人当たり収入は73,661米ドルと州内最高である。ただし、タルサ郡は平均収入で第1位である。2006年の世代別構成比では、5歳未満6.8%、18歳未満25.9%、65歳以上13.2%だった。女性の構成比は 50.9%である。

オクラホマ州の人口重心は、リンカーン郡のスパークスの町近くにある。

人種及び祖先

オクラホマ州の人種構成及び前の国勢調査との比較:

【国勢調査年:】
2010年
2000年
1990年
白人 | 72.2% | 76.2% | 82.1%
インディアン | 8.6% | 7.9% | 8.0%
黒人 | 7.4% | 7.6% | 7.4%
アジア | 1.7% | 1.4% | 1.1%
その他 | 4.1% | 2.5% | 1.3%
混血 | 5.9% | 4.5% | *

白人、ヒスパニック以外 | 68.7% | 74.1% | 81.0%
ヒスパニック‡ | 8.9% | 5.2% | 2.7%

ノート:

* 有効でない;混血は2000年の国勢調査で初めて報告された。
ヒスパニックは人種を問わない数字の合計である。

2005年時点でオクラホマ州内で申告された祖先による構成比は、ドイツ人系 (14.5%)、アメリカ人系 (13.1%)、アイルランド人系 (11.8%)、イギリス人系 (9.6%)、インディアン (11.8%、最大部族はチェロキー族で7.9%)、アフリカ系アメリカ人(8.1%) となっている)。ただし、インディアン純血と申告した者は8.1%である。先祖をアメリカ人と申告した者の多くは、圧倒的にイギリス系であり、他にスコットランドやウェールズの系統も見られる。。2002年のインディアン推計人口は395,219人であり、絶対数でも構成比でも50州の中で2番目に多い。2006年時点で外国生まれの比率は 4.7% であり、国内平均の12.4% よりかなり低い。 2010年国勢調査での非ヒスパニック人口構成比は68.7%であり、1970年の88%から20%近く低下した。

宗教

オクラホマ州は圧倒的なプロテスタント・キリスト教州である。オクラホマ州住民の宗教による構成比は以下の通りである。

インディアン部族

オクラホマに強制移住させられたインディアンたちの保留地区分(1890年代)
チェロキー・アウトレット(赤い枠線内)」。チェロキー族の保留地は、押し寄せる入植者のために1893年9月16日をもって「アウトレット(放出品)」にされた。
南東5部族の「涙の道」の経路。陸軍によって大陸を強制徒歩横断させられ、総勢で数万人に上る途上死者を生んだ。

この州のインディアン部族のほとんどは、19世紀にアンドリュー・ジャクソン大統領の「インディアン移住法」によって、他州から移住してきた。このため、全米でも最も保留地の多い州のひとつとなっている。インディアンの移住としては、チェロキー族チョクトー族クリーク族セミノール族、チカソー族の「涙の道」がよく知られている。この5部族はオクラホマ州で近代化に努め、ことにチェロキー族は憲法を発布し、自治国家を築くに到ったものの、間もなくさらなる入植者の圧力で保留地は分割縮小され、自治権は剥奪されていった。

オクラホマ州に移住したインディアン部族は、故郷へ帰ることを許されなかった。シャイアン族のダル・ナイフとリトル・クロウの二人の酋長が行った、故郷ワイオミング州への絶望的な帰還逃亡は、20世紀にハリウッドで「シャイアン」として映画化もされた。ポンカ族のマチュナーザー酋長は、ネブラスカ州からオクラホマ州への部族の移住強制に対して最高裁に提訴し、1879年に違法判決を勝ち取った。しかし、多くの部族がそれまでの強制移住によって各州に分断される結果となってしまった。

現在、オクラホマ州で運営されている「インディアン・カジノ」は119を数え、貧困にあえぐインディアン保留地の最期の切り札となっている。これはアメリカ連邦政府が公認し、保留地を持つ部族だけの権利である。多くの部族が、アメリカ連邦政府の認定を受けられず、インディアン部族として存在しないことになっており、部族カジノも持てないでいる。

≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族≫

出典:wikipedia
2019/06/22 22:41

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