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オリバー・カーンとは?

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 | オリバー・カーン | 

2016年のカーン

【名前】

【本名】
オリヴァー・ロルフ・カーン
Oliver Rolf Kahn
【愛称】
オリー、ティターン
【ラテン文字】
Oliver KAHN
【基本情報】

【国籍】
ドイツ
【生年月日】
(1969-06-15) 1969年6月15日(48歳)
【出身地】
カールスルーエ
【身長】
188cm
【体重】
91kg
【選手情報】

【ポジション】
GK
【利き足】
右足
【ユース】

1975-1987
カールスルーエ
【クラブ】


クラブ | 出場 | (得点)
1987-1990
カールスルーエII | 73 | (0)
1987-1994
カールスルーエ | 128 | (0)
1994-2008
バイエルン・ミュンヘン | 429 | (0)
【代表歴】

1994-2006
ドイツ | 86 | (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
アリアンツ・アレナで行われた引退試合の様子

オリバー・カーン(Oliver Rolf Kahn, 1969年6月15日 - )は、ドイツカールスルーエ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。野性味のあるプレーと風貌で人気選手となった。

ドイツサッカー界でも最も多くのタイトルを獲得した選手の一人であり、同時にドイツ社会で発言力を持つサッカー選手の一人である。ゼップ・マイヤーハラルト・シューマッハーらと共にドイツサッカー史に残るGKの一人であり、欧州サッカー連盟が選ぶ歴代欧州サッカー選手ベスト50の中に、当時現役のゴールキーパーでは唯一選出された。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 ドイツ代表
  • 2 エピソード
  • 3 個人成績
    • 3.1 代表での出場記録
  • 4 獲得タイトル
    • 4.1 クラブ
    • 4.2 代表
    • 4.3 個人
  • 5 著書
  • 6 脚注
  • 7 外部リンク

経歴

祖父母はラトビア出身。父もそこで生まれ、第二次世界大戦後にドイツへ来た。

16歳の時にはクラブチームの加入試験にことごとく落ちる。カールスルーエに加入するまでは筋力トレーニングなど雌伏の時期を過ごした。カールスルーエでは数年かかって正GKの座を確保した。

ブンデスリーガUEFAカップでの活躍が認められ、1994年、名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍。初年度は味方ディフェンダークフォーと衝突し膝の十字靱帯を切断したためシーズンを棒に振たが、翌年からは活躍を見せた。コンスタントにレベルの高いパフォーマンスを見せ、バイエルン・ミュンヘンのGKコーチ、ゼップ・マイヤーの下でワールドクラスのGKに成長した。

1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は大会史上に残る名勝負となったが、終了直前の3分間に2失点を喫し、マンチェスター・ユナイテッドに敗れた。1999-00シーズン以降、4年連続で欧州最優秀ゴールキーパーに選出されている。またドイツサッカー雑誌「キッカー」の選手ランキングでも幾度も「ワールドクラス」の評価を得ており、1999年から2003年頃までドイツの各テレビや雑誌では世界ナンバーワンGKと紹介された。

2000-01シーズンには自らの活躍により、バイエルンをUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導き、2年前の雪辱を果たした。2002 FIFAワールドカップ後は、私生活の問題もあってコンディションを落としたが、2004-05シーズンには完全復活した

バイエルン・ミュンヘンとの契約が切れた2008年限りで現役を引退。2008年9月2日、ミュンヘンで引退記念試合が行われ、21年間の現役生活に終止符を打った。

ドイツ代表

ドイツ代表では、FIFAワールドカップを4回経験している。しかし、1994年大会にはボド・イルクナー1998年大会にはアンドレアス・ケプケと、共に世界レベルのゴールキーパーの存在が大きくサブに甘んじ、正キーパーとして出場できたのは2002年大会のみである。2006年大会では、守備範囲が広くハイボールに強いイェンス・レーマンとの正ゴールキーパーのポジション争いに敗れ、サブGKとして参加。3位決定戦のみの出場となった。

代表のレギュラーとして初めて国際大会に出場したのはUEFA欧州選手権2000。しかし、この大会では実力を発揮することができず、ドイツはグループリーグで敗退した。

2002 FIFAワールドカップにはキャプテンとして参加した。ドイツは2001年9月1日にミュンヘンで行われた日韓ワールドカップ地区予選、イングランド戦でマイケル・オーウェンのハットトリックなど5失点を喫し1-5で完敗するなど、苦戦の末の本大会出場ということもあって下馬評は高くなかった。しかし、ワールドカップ本選ではカーンはファインセーブを連発し、準優勝の好成績を収めた。なかでも枠内シュートセーブ率93パーセントという数字を残した。自身は決勝戦においてブラジル代表のジウベルト・シウバとの接触プレーにより靭帯損傷の怪我を負うが、そのままプレーを続行する気迫を見せた。ワールドカップでゴールキーパーとして初のMVPを獲得した。また、この年に自身3度目となる世界最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。

カーンにとって実質3度目の国際大会となるUEFA欧州選手権2004では、実力を発揮したものの、ドイツは2大会連続のグループリーグ敗退となった。

EURO2004後に就任したユルゲン・クリンスマン監督の方針により、代表GKはローテーション制となり、ドイツワールドカップに向け長年のライバルであったイェンス・レーマン(VfBシュトゥットガルト)と正GKの座を争う形となったが、2006年4月7日、クリンスマン監督から正式にレーマンが正GKであると発表があった。これにより「正GKとしてワールドカップに出場できないのなら代表を引退する」と公言していたが、「冷静に考えてから答えを出す」とコメントし熟慮の末、代表に参加した。

実質最後のワールドカップといわれた地元開催の2006 FIFAワールドカップでは、正GKとなったレーマンの控えとなったが「たとえ試合に出られなくても貢献できることはある」と自身でコメントしたように、延長戦ではレーマンを含めた他のチームメイトを励ますなどチームを盛り上げる姿を見せた。そして2006年7月8日(日本時間9日)に行われた3位決定戦では先発出場。ケガのため欠場したバラックに代わって主将を務めると共に、好セーブを連発してチームの勝利に貢献した。この試合終了後、代表引退を正式に表明した。

エピソード

ドイツでの彼の人気を物語るものとして、彼をモチーフにした曲「OLLI KAHN(オリ カーン)」がある。旧・東ドイツの都市・ライプツィヒ出身の音楽グループのディー・プリンツェン (die Prinzen) によるこの曲は2002 FIFAワールドカップの頃に発売された。

  • 2006 FIFAワールドカップでは、ミュンヘン高速道路に横っ飛びしてキャッチしているカーンの巨大アーチ看板が作られた。これはミュンヘン空港からスタジアムに向かう道をまたいでおり、観戦客はカーンの体の下を通過してスタジアムに向かうこととなった。

個人成績

【シーズン】
【クラブ】
【リーグ】
【リーグ】
【カップ】
【UEFA主催】
【合計】

【出場】
【得点】
【出場】
【得点】
【出場】
【得点】
【出場】
【得点】

1987-88 | カールスルーエ | ブンデスリーガ | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 0
1988-89 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 0
1989-90 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0
1990-91 | 22 | 0 | 0 | 0 | - | 22 | 0
1991-92 | 37 | 0 | 2 | 0 | - | 39 | 0
1992-93 | 34 | 0 | 5 | 0 | - | 39 | 0
1993-94 | 31 | 0 | 3 | 0 | 10 | 0 | 44 | 0
1994-95 | バイエルン・ミュンヘン | 23 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 30 | 0
1995-96 | 32 | 0 | 2 | 0 | 12 | 0 | 46 | 0
1996-97 | 32 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0
1997-98 | 34 | 0 | 8 | 0 | 8 | 0 | 50 | 0
1998-99 | 30 | 0 | 8 | 0 | 13 | 0 | 51 | 0
1999-00 | 27 | 0 | 5 | 0 | 13 | 0 | 45 | 0
2000-01 | 32 | 0 | 4 | 0 | 16 | 0 | 52 | 0
2001-02 | 32 | 0 | 5 | 0 | 14 | 0 | 51 | 0
2002-03 | 33 | 0 | 6 | 0 | 6 | 0 | 45 | 0
2003-04 | 33 | 0 | 5 | 0 | 8 | 0 | 46 | 0
2004-05 | 32 | 0 | 7 | 0 | 10 | 0 | 49 | 0
2005-06 | 31 | 0 | 6 | 0 | 7 | 0 | 44 | 0
2006-07 | 32 | 0 | 3 | 0 | 9 | 0 | 44 | 0
2007-08 | 26 | 0 | 7 | 0 | 9 | 0 | 42 | 0
【通算】
【557】
【0】
【82】
【0】
【142】
【0】
【781】
【0】

DFLスーパーカップの記録を含む。

代表での出場記録


ドイツ代表
国際Aマッチ

【年】
【出場】
【得点】

1995 | 2 | 0
1996 | 3 | 0
1997 | 3 | 0
1998 | 7 | 0
1999 | 6 | 0
2000 | 10 | 0
2001 | 10 | 0
2002 | 15 | 0
2003 | 9 | 0
2004 | 11 | 0
2005 | 7 | 0
2006 | 3 | 0
【通算】
【86】
【0】

獲得タイトル

クラブ

代表

2002 FIFA World Cup

個人

著書

  • 「オリバー・カーン自伝 ナンバーワン」("Nummer Eins" 斎藤孝監訳、三笠書房)ISBN 978-4837956518

脚注

  1. ^ カーンに流れるラトビアの血

外部リンク

タイトル・受賞歴
ドイツ年間最優秀選手賞
1960年代 | 

1970年代 | 

1980年代 | 

1990年代 | 

2000年代 | 

2010年代 | 


国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)年間最優秀GK
1980年代 | 

1990年代 | 

2000年代 | 

2010年代 | 

得点王 - 最優秀GK

UEFA最優秀GK賞

選手 - GK - DF - MF - FW - 監督

FIFAワールドカップゴールデンボール(大会MVP)
1982年大会制定。

MVP - 得点王 - 最優秀GK - ベストヤングプレイヤー
FIFA - AFC - CONCACAF - CONMEBOL - UEFA

FIFAワールドカップゴールデングローブ(最優秀GK)
1994年大会制定。2006年大会まではヤシン賞と呼ばれていた。
ヤシン賞 | 

ゴールデングローブ | 

MVP - 得点王 - 最優秀GK - ベストヤングプレイヤー

FIFA 100
UEFA | 
出典:wikipedia
2018/01/13 08:03

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