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カナダとは?

カナダ
Canada



(国旗) | (国章)
国の標語:A Mari Usque Ad Mare
(ラテン語: 海から海へ)
国歌:O Canada(英語)
Ô Canada(フランス語)
オー・カナダ
公用語 英語 フランス語
首都 オタワ
最大の都市 トロント
政府
女王 エリザベス2世
総督 ジュリー・ペイエット
首相
ジャスティン・トルドー
面積
総計 9,984,670km(2位)
水面積率 8.9%
人口
総計(2016年) 3629万人(36位)
人口密度 3.4人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2008年)】
1兆6,024億カナダドル ($)
GDP (MER)
【合計(2008年)】
1兆5,109億ドル(9位)
GDP (PPP)
合計(2008年) 1兆3,032億ドル(13位)
【1人あたり】
39,182ドル

独立
- BNA法
- ウェストミンスター憲章
- カナダ法 (Canada Act) イギリスから
1867年7月1日
1931年12月11日

1982年4月17日
通貨 カナダドル ($) (CAD)
時間帯 UTC -3.5 から -8(DST:-2.5 から -7)
ISO 3166-1 CA / CAN
ccTLD .ca
国際電話番号 1

カナダ(: Canada、英語発音: [ˈkænədə] 聞く キャナダ、フランス語発音: [kanada] キャナダ、カナダ)は、10のと3の準州を持つ連邦立憲君主制国家である。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国のひとつ。北アメリカ大陸北部に位置し、アメリカ合衆国と国境を接する。首都オタワ(オンタリオ州)。国土面積は世界最大のロシアに次いで広い。

歴史的に先住民族が居住する中、外からやってきた英仏両国の植民地連合体として始まった。1763年からイギリス帝国に包括された。1867年の連邦化をきっかけに独立が進み、1931年ウエストミンスター憲章で承認され、1982年憲法制定をもって政体が安定した。一連の過程においてアメリカと政治・経済両面での関係が深まった。 立憲君主制で、連邦政府の運営は首相を中心に行われている。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
  • 3 政治
    • 3.1 政治体制
    • 3.2 行政
    • 3.3 立法
    • 3.4 司法
    • 3.5 軍事
  • 4 国際関係
  • 5 地方行政区分
    • 5.1 都市圏人口
  • 6 地理と交通
  • 7 気候
  • 8 経済
    • 8.1 鉱業
    • 8.2 貿易
  • 9 国民
    • 9.1 人種
    • 9.2 言語
    • 9.3 宗教
    • 9.4 市民結婚法
    • 9.5 保健
  • 10 文化
    • 10.1 文学
    • 10.2 音楽
    • 10.3 映画
    • 10.4 世界遺産
    • 10.5 主な祝祭日
      • 10.5.1 その他の祝日
  • 11 スポーツ
    • 11.1 アイスホッケー
    • 11.2 野球
    • 11.3 カナディアンフットボール
    • 11.4 バスケットボール
    • 11.5 サッカー
    • 11.6 モータースポーツ
    • 11.7 その他の種目
    • 11.8 オリンピック等の行事
  • 12 脚注
    • 12.1 注釈
    • 12.2 出典
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク

国名

日本政府による公式名は「カナダ」。日本における漢字表記は「加奈陀」であり、「」と略される。中国語における表記は「加拿大」。国名はセントローレンス川流域イロコイ族の「村落」を意味する語「カナタ」(kanata)に由来する。連邦制を強調するため、「カナダ連邦」、「カナダ連邦政府」などの呼称が使われることもある。

1982年憲法が制定される前には複数の名称が存在したが、現在は公用語の英語とフランス語の双方で「Canada」のみが公式名と定められている。建国時には国号はカナダ王国(Kingdom of Canada)とすることも検討されていた。初めて「Canada」の名が使われたのは1791年のことである。

歴史

詳細は「カナダの歴史」および「カナダ史年表」を参照

ファースト・ネーション(先住民)やイヌイットの言い伝えでは先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26,500年前、南部オンタリオ州には9,500年前に人類がいたことが示されている。

19世紀まで毛皮貿易はカナダで最も重要な産業だった。毛皮貿易路の支配を巡ってフランスとイロコイ族の戦争が起こっている。19世紀の初めには材木業が毛皮貿易よりも重要になった。

ヨーロッパ人の到来は西暦1000年ヴァイキングランス・オ・メドーに居住したのが初めてであるが、この植民地は短期間で放棄されている。その後、1497年にイタリア人のジョヴァンニ・カボト(ジョン・カボット)がイングランドのために大西洋側を探検し、1534年にはフランスジャック・カルティエがこれに続いた。

1603年に到着したフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランは、1605年に初めてのヨーロッパ人定住地をポート・ロワイヤル(現ノバスコシア州アナポリス・ロイヤル)に築き、1608年にはケベックを建てた。これらは後にそれぞれアカディアとカナダの首都となった。 ヌーベルフランスの植民地の中ではカナダ人(Canadiens:フランス系カナダ人)はセント・ローレンス川流域に、アカディア人は現在の沿岸諸州に集中的に居住している。フランス人の毛皮商人とカトリック宣教師たちは五大湖ハドソン湾そしてミシシッピー川流域からルイジアナを探検した。イングランドは1610年ニューファンドランド島に漁業基地を設け、南部(現アメリカ合衆国領)に13植民地を築いた。

1670年、ハドソン湾会社が設立された。毛皮の倉庫証券は通貨としても使われた。1689年1763年に一連の北米植民地戦争が起こり、その結果、ユトレヒト条約(1713年)でノバスコシア英国の支配下となり、七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)のパリ条約でカナダとヌーベルフランスの大部分がフランスからイギリスへ割譲された。

1763年宣言ケベックをヌーベルフランスから分離し、ケープ・ブレトン島ノバスコシアに加えた。これはまたフランス系カナダ人の言語と信仰の自由を制限した。1769年にセント・ジョンズ島(現在のプリンス・エドワード・アイランド州)が独立した植民地となった。ケベックでの紛争を避けるため、1774年ケベック法が制定され、ケベックの領域が五大湖からオハイオ川まで拡大され、ケベックにおいてはフランス語とカトリック信仰、フランス法が許された。これは13植民地の多くの住民を怒らせることになり、アメリカ独立への動因となった。 1783年のパリ条約によってアメリカの独立は承認され、五大湖南部がアメリカへ割譲された。戦後におよそ5万人の王党派がアメリカからカナダへ逃れている。一部の王党派のために沿岸諸州のニューブランズウィックがノバスコシアから分割された。ケベックの英語話者王党派のために1791年法が制定され、フランス語圏のローワー・カナダと英語圏のアッパー・カナダがそれぞれ独自の議会を持った。この分断策は1837年にローワーとアッパーの両方で反乱が起きて無意味となった。

『連邦の父たち』ロバート・ハリス画。シャーロットタウン会議ケベック会議の場面を混合して描いている。カナダの連邦化(コンフェデレーション)は鉄道債務を連邦政府に肩代わりさせた(詳細)。

アッパーおよびローワー・カナダは米英戦争(1812年戦争)の主戦場となった。カナダ防衛は英国系北アメリカ人に一体感をもたらした。穀物法制定(1815年)と人身保護法廃止(1816年)により、英国とアイルランドからの大規模な移民が始まった。

1837年に責任政府を求める反乱が起こり、その後のダーラム報告では責任政府とフランス系カナダ人の英国文化への同化が勧告された。1840年憲法法により、アッパーおよびローワー・カナダはカナダ連合に合併した。議会においては、フランス系および英国系カナダ人はともにフランス系カナダ人の権利の復活のために努力した。1849年に英領北アメリカ植民地全土に責任政府が設置された。

1846年に英国と米国によるオレゴン条約が結ばれオレゴン境界紛争が終結した。これによってカナダは北緯49度線に沿って西へ境界を広げ、バンクーバー・アイランド植民地(1849年)とブリティッシュコロンビア植民地(1858年)への道を拓いた。ニューファンドランドには大西洋横断電信ケーブルが敷設され、西方でゴールドラッシュが起きたことなどからカナダの人口が増えていった。一方で、フランス系カナダ人がニューイングランドへ流れ出た。

フェニアン襲撃に対応しながら憲政会議を重ね(写真参照)、1867年7月1日1867年憲法法が採択された。オンタリオケベックノヴァスコシアニューブランズウィックが統合され、「カナダの名の下の一つの自治領」である連邦がつくられた 。カナダはルパートランドと北西地域を合わせたノースウエスト準州を統治することが前提とされた。この地では不満を抱いたメティ(フランス系と先住民の混血)によるレッド・リヴァーの反乱が起こり、1870年7月にマニトバ州がつくられた。ブリティッシュコロンビア植民地とバンクーバーアイランド植民地(1866年に合併)は1871年に、プリンスエドワードアイランド植民地は1873年に、連邦へそれぞれ加入した。

カナダ連邦以降の州と準州の拡大を示した動画地図。

保守党ジョン・A・マクドナルド首相 は萌芽期のカナダ産業を守るための関税政策を制定した。西部を開拓するために政府はカナダ太平洋鉄道をふくむ3本の大陸横断鉄道を助成した。自治領土地法により開拓者のために大平原が解放され、そしてこの地域の治安維持のために北西騎馬警察が設立された。1898年、ノースウェスト準州でのクロンダイク・ゴールドラッシュの後、政府はユーコン準州を設置した。自由党ウィルフリッド・ローリエ政権下ではヨーロッパ大陸からの移民が大平原に定住し、アルバータサスカチュワン1905年に州に昇格している。

1914年、英国の宣戦布告に伴いカナダは自動的に第一次世界大戦に参戦、志願兵を西部戦線へ派遣した。彼らは後にカナダ軍団の一部となり、ヴィミーリッジの戦いやその他の大きな戦いで重要な役割を果たしている。1917年には保守党のロバート・ボーデン首相がフランス語圏ケベックの住民たちの反対にもかかわらず徴兵制を導入して徴兵危機が起こっている。

1919年にカナダは英国とは別個に国際連盟へ加盟した。この時期ヴィクター・キャヴェンディッシュが総督であった。

1940年、ニューウエストミンスター市内を行進するブリティッシュコロンビア連隊に近づく少年(「待ってよ、パパ」)。

1931年ウエストミンスター憲章によりカナダの独立が承認された。

1930年代の大恐慌にカナダ国民は大いに苦しめられた。1945年の終戦後にカナダは国際連合の原加盟国となり、再びアメリカへ接近した。

1960年、カナダ権利章典が制定された。これは州の同意が得られなかったので連邦権限の範囲で運用された。1965年に現在のサトウカエデの葉の国旗が採用・掲揚された。1969年には二カ国語公用語が実施された。1971年には多文化主義が宣言されている。ケベックでは近代からナショナリスト運動(Quebec nationalism)が続いており、1960年代の経済改革(静かなる革命)につながった 。1970年に運動がエスカレートしケベック解放戦線オクトーバー・クライシスを引き起こした。このころから1982年のカナダ憲法制定にかけて、首相のピエール・トルドーが連邦の一体化を強力に推進した。

政治

詳細は「カナダの政治」を参照

1982年憲法第33条はカナダ憲法最大の特徴をなす。連邦議会・州議会の立法に対して最高裁が違憲判断を下したときでも、立法府が譲らなければ違憲判決の発効を先延ばしできるのである。猶予は最長5年間だが何度も更新できる。この制度を利用したケベック州の反動が立憲してすぐに起こった。しかし多様な経済政策が問題の顕在化を防いでいる。

政治体制

詳細は「英領北アメリカ法」および「1982年憲法」を参照

政体立憲君主制である。公式にはイギリス国王が国家元首(但しカナダではあくまでカナダ国王の扱い)となる。形式的にはカナダ総督がカナダ国王の代理を務め、また実質的な首長は、総選挙により選出される連邦政府首相である。

カナダ国王」、「カナダの総督」、および「カナダ首相」も参照

現行のカナダの憲法1982年に施行されたため「1982年憲法」と呼ばれている。この憲法により、二言語多文化主義ケベック州の特殊性・原住民居留地の特殊性などが認められている。

行政

詳細は「カナダ首相」を参照

政府は、議院内閣制を採用している。カナダは、歴史的に各州の合意により連邦が設立された経緯があることから、州に大幅な自治権が認められており、それぞれの州に首相、内閣及び議会がある。このためカナダにおける政治とは、州政府対連邦政府の駆け引きそのものということもできる。

立法

詳細は「カナダ議会」を参照
カナダ議会議事堂。

立法府たる議会オタワに所在し、カナダ議会上院定数105名、下院定数338名の二院制を採用している。

主な政党には中道右派保守主義カナダ保守党中道左派リベラリズムカナダ自由党二大政党と、中道左派・社会民主主義政党の新民主党ケベック州地域政党である左派のブロック・ケベコワ、環境保護主義のカナダ緑の党がある。

カナダの政党」も参照

1993年の下院総選挙で、与党・カナダ進歩保守党が改選前の169議席のうち167議席を失うという大惨敗を喫したことは、議会制民主主義が発達している先進国政権与党が壊滅的な敗北を喫した例として、小選挙区制のモデルケースの一つとなる歴史的選挙であった。

司法

カナダ最高裁判所

一般的にアメリカ合衆国よりもリベラルな国民性で知られ、死刑制度を廃止している。

1989年モントリオール理工科大学虐殺事件をきっかけに銃規制が強化されており、拳銃の携帯については一般には認められておらず、拳銃を携帯できるのは警察、軍、司法関係と現金輸送を行う民間業者など非常に限られている。

しかしながら、農村部を中心に狩猟が非常に盛んであり猟銃の保持率は高いが、銃を使った犯罪発生率は極めて低い。

軍事

詳細は「カナダ軍」を参照

カナダは1950年代から1990年代にかけて数多くの国連平和維持活動に参加し、なるべくなら集団安全保障体制を望んでいた。しかしキューバ危機の後NATOへ急接近した。2001年にはNATO主導のアフガニスタン紛争にも派兵している。

一方で、2003年イラク戦争への参加は拒否した。

国際関係

詳細は「カナダの国際関係」を参照
カナダとアメリカ合衆国の関係」および「日加関係」も参照

カナダは英連邦に加盟している。カナダは世界の先進7ヶ国(G7)および主要8ヶ国(G8)の一つである。

地方行政区分

詳細は「カナダの州」を参照

カナダは10の州(プロビンス、province)と3つの準州(テリトリー、territory)に区分されている。 人口は2015年7月1日の推計値。

名称 人口(人) 州都/主府/本部 備考
ブリティッシュコロンビア州
British Columbia | 4,683,139 | ビクトリア
Victoria | 
アルバータ州
Alberta | 4,196,457 | エドモントン
Edmonton | 
サスカチュワン州
Saskatchewan | 1,133,637 | レジャイナ
Regina | 
マニトバ州
Manitoba | 1,293,378 | ウィニペグ
Winnipeg | 
オンタリオ州
Ontario | 13,792,052 | トロント
Toronto | 
ケベック州
Québec | 8,263,600 | ケベック市
Ville de Québec | 
ニューブランズウィック州
New Brunswick / Nouveau-Brunswick | 753,871 | フレデリクトン
Fredericton | 
ノバスコシア州
Nova Scotia | 943,002 | ハリファックス
Halifax | 
ニューファンドランド・ラブラドール州
Newfoundland and Labrador | 527,756 | セント・ジョンズ
St. John's | 
プリンスエドワード島州
Prince Edward Island | 146,447 | シャーロットタウン
Charlottetown | 
ユーコン準州
Yukon Territory | 37,428 | ホワイトホース
Whitehorse | 
北西準州
Northwest Territories | 44,088 | イエローナイフ
Yellowknife | 
ヌナブト準州
Nunavut | 36,919 | イカルイト
Iqaluit | 

都市圏人口

都市 行政区分 人口 都市 行政区分 人口
1 | トロント | オンタリオ州 | 6,129,934 | 11 | ロンドン | オンタリオ州 | 506,418
2 | モントリオール | ケベック州 | 4,060,692 | 12 | ハリファックス | ノバスコシア州 | 417,847
3 | バンクーバー | ブリティッシュコロンビア州 | 2,504,340 | 13 | セントキャサリンズ/ナイアガラフォールズ | オンタリオ州 | 408,222
4 | カルガリー |  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/11/02 05:22

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