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ガリシア州とは?

Galicia
スペイン自治州


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紋章



州歌: Os Pinos

州都 サンティアゴ・デ・コンポステーラ
最大都市 ビーゴ
公用語 カスティーリャ語ガリシア語
行政単位 自治州
スペイン
国会(下院)
国会(上院)
州議会
州首相 23議席
19議席
75議席
アルベルト・ヌーニェス・フェイホー
(PPdeG)
下位区分 4県、53コマルカ、314自治体
県 4県
面積7
・ 総計 29,574 km2(5.8%)
人口 (2013) 第5
・ 総計 2,765,940 人1
人口密度 93.44 人/km2
住民呼称 galego/-a
GDP(名目) 第6位
・ 総計 56,670 mill. (2010)
・ 一人当たり 20 726
HDI 0.948 (第10位)
ISO 3166-2 ES-GA
固有言語 ガリシア語
自治州憲章 1981年4月28日
祝祭日 7月25日(ガリシア民族の日)
公式サイト
スペイン全体の6.13%

ガリシア州(ガリシアしゅう、Galicia、あるいはGaliza)は、スペイン自治州の1つである。スペイン北西に位置し、南はポルトガル、東はアストゥリアス州カスティーリャ・イ・レオン州に接し、北と西は1490キロメートルの海岸で大西洋カンタブリア海に面する。州都はサンティアゴ・デ・コンポステーラ。自治州政府はシュンタ・デ・ガリシア(Xunta de Galicia)。

地理

ガリシアはおよそ北緯41度から北緯44度の間に位置する。年間を通して穏やかな気候で、最寒月でも摂氏8度以下になることは少ない。1年を通じて雨が降り、年間降水量も豊富である。しかし、内陸部に入ると気候も気温・降水量も違ってくる。また、入り江の多い複雑な海岸線で知られており、海面上昇で形成されるリアス式海岸の語源となったのがこの地域で、「リアス」とはガリシア語あるいはカスティーリャ語(スペイン語)での入り江(リア)の複数形である。この地形のために漁業が盛んであり、特にポンテベドラ県沿岸部のリアス・バイシャスでは養殖漁業が盛んである。また、観光客には美しい風景が魅力となっている。地層は多様であるが、変成岩花崗岩が主である。なお、この花崗岩はサンティアゴ・デ・コンポステーラなどで舗装材などとして用いられた。

主なリア:

リア・デ・ポンテベドラ

スペイン内陸とは異なり、海洋性の気候のために手付かずの緑の森が残されている。その森は、大西洋性気候の場所ではオークブナを中心とする大西洋型森林、地中海性気候の場所ではコルク樫コナラを中心とする森、松やユーカリなど最近植林された樹木などの林の3種類に分けられる。 州の内陸部はなだらかな山地で比較的標高が高く、東に行くほど標高が高く北部にテーラ・チャ高原がある。大きな川はないが無数の小さな川が横切っている。山地は険しくないが、内陸の人口は少なく、開発は遅れている。

主な川:

シル川

自然の豊かなガリシアだが、近年は環境問題を抱えている。森林伐採が進み、製紙業のために導入されたユーカリが生態系のバランスを崩している。オオカミやシカなどの動物も減少傾向にある。2002年11月19日にはガリシア州近くの大西洋上で一重船殻構造のタンカーであるプレスティージ号が沈没して重油が流出し、ガリシア州の沿岸は大量の重油によって汚染され、付近に住む海鳥などに大きな被害が出た上、水産業にも打撃を受けた。

ガリシアの地名

ガリシア地方の居住形態は、一部の都市部の中心地域を外れれば、多くの集落が分散しているため、地名が多い。一説によると、スペインの地名の半数近くがガリシアのものであるともいわれる。したがって、出身を表す場合、コンセージョ(市町村に相当)以外に教区(パロキア)を示すことも普通であり、また、その教区内の集落(アルデア)にまで言及することも珍しくない。

歴史

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鉄器時代の家を発展させたガルシアの東にあるen:Palloza

トリアカステーラにある Eirós Cave からは、ネアンデルタール石器物や動物の遺骸が見つかっており、古くから人の居住があったことが判ってる。この海の沿岸周辺には新石器時代頃の巨石記念物が残されており、巨石文明があったことが示されている。

ガリシアの名は古代ローマの属州ガラエキア(現在のスペイン西部とポルトガル北部)から来ている。そのガラエキアの起源はギリシア語の「カライコイ」(Kallaikói、καλλαικoι、ヘロドトスが記述を残す)から来ており、古代にドウロ川(カスティーリャ語でドゥエロ川)以北に住んでいたケルト系の民族を指していた。この地域で話されているガリシア語は俗ラテン語(口語ラテン語)を起源とするロマンス諸語の一つであり、この地でのケルト語はすでに滅んでいる。キリスト教は、ローマ時代末期に様々なルートを辿ってガリシアへ伝来した。

5世紀から6世紀にかけては、スエビ王国(ガリシア王国)の中心地であったが、584年に西ゴート王レオヴィギルドに征服された。この時代に、ガリシア北部ブリトニア(es:Britonia)にブリトン人移民による司教座ができた。このブリトン人たちは、アングロ=サクソン人グレートブリテン島侵攻から逃れてやってきた人々である。8世紀にイスラム教徒に征服されたものの、実効支配は及ばないまま739年アストゥリアス王国アルフォンソ1世(ガリシア語ではアフォンソ1世、Afonso I)に奪い返された。以降レオン王国の一部となり、カスティーリャ王国に受け継がれた。1065年フェルナンド1世の死後に領土が分割され、ガリシアは一時的に別の王国となったが、すぐにアルフォンソ6世に統合された。

9世紀から、サンティアゴ・デ・コンポステーラサンティアゴの聖遺物が発見されサンティアゴ信仰が盛んになり、レコンキスタ運動の中でのキリスト教徒の象徴となった。中世以後、サンティアゴ・デ・コンポステーラへは巡礼路を巡ってヨーロッパ中からキリスト教徒が巡礼するようになった。人々の往来は、この地方へのロマネスク美術の伝播、吟遊詩人の詩や音楽が伝えられるなど、文化的な交流をもたらした。9世紀から10世紀にかけて、沿岸部をヴァイキングノルマン人が荒らしまわり、現在もカトイラ(ポンテベドラ県)には防衛用の塔が残る。

13世紀、アルフォンソ10世はカスティーリャ語を国家の言語と定め、宮廷や政治の場で使用させたが、文学の言語としてはガリシア語を使用した。カスティーリャ優位の中央集権体制が進むにつれ、ガリシア語は徐々に衰退していった。おおまかに16世紀から18世紀半ばまでの時期は、ガリシア語のセクロス・エスクーロス(Séculos Escuros、暗黒時代)と呼ばれ、ガリシア語が書き言葉として使われる伝統は途絶えてしまったが、口語として途絶えることはなかった。

1833年それまであった7県(ラ・コルーニャ、サンティアーゴ、ベタンソスモンドニェード、ルーゴ、オレンセ、トゥイ)が現行の4県に再編され、現在にいたっている。19世紀にガリシア民族主義、連邦主義が勃興する。しかし1846年、自由主義者の将軍ミゲル・ソリスが起こしたクーデターは、ラモン・マリア・ナルバエス政権によって弾圧された。替わって盛り上がりを見せたのは社会的・文化的手段としてのガリシア語復興運動(レシュルディメント)であった。作家ロサリーア・デ・カストロ、マヌエル・ムルギア、エドゥアルド・ポンダルらがその代表者である。

20世紀の独裁者フランシスコ・フランコはガリシア地方フェロルの出身であったが、フランコ時代にはガリシアの自治は廃止され、公でのガリシア語の使用は禁止された。1978年スペイン新憲法によって自治州制度が導入され、1980年12月20日ガリシア自治憲章が住民投票によって可決成立、ガリシア自治州が創設された。

人口

ガリシア州の人口推移 1900-2010

出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年、1996年 -

政治

1975年フランコ独裁政治が終わり、民主化(トランシション・エスパニューラ)の波がガリシアにも訪れた。しかし、他州と違い1977年の総選挙では、中道右派の民主中道連合 (UCD) が勝利し、自治州政府設立とガリシア自治州憲章の作成にあたった。1979年の総選挙でも UCD が圧勝した。 1980年に自治州憲章案が住民投票で承認され、1981年の第1回州議会選挙で右派の国民同盟(AP、後期フランコ政権の閣僚が多く所属していた)が勝利した。第2党はUCDであった。。その後自治州議会により、「言語正常化法」「ガリシアの旗」「ガリシアの日」などが制定された。自治州は、いくつかの分野で自由裁量が認められている。

ガリシアは伝統的に独立自営農民が多く、保守的な土地柄である。そのため独自の言語(ガリシア語)を持った地域だが、バスクカタルーニャのように保守的な民族主義政党が育たず、もっぱら民族主義政党は左派が中心で、結果的に民族主義政党の力は両州に比べ強くなく、保守的な国民党の地盤となっている。1990年から15年にわたって、フランコ政権末期の閣僚で、国民同盟(のちの国民党)を創設したマヌエル・フラガ・イリバルネが州首相を勤めた。

しかし、2005年の州選挙では州議会の議席数75の内、国民党の地域政党であるガリシア国民党(PPdeG)が37、社会労働党(PSOE)の地域政党であるガリシア社会主義者党(PSdeG)が25、民族主義政党連合であるガリシア民族主義ブロック(BNG)が13議席を獲得し、国民党は過半数を獲得できず、ガリシア社会党(社会労働党)とガリシア民族主義ブロックの連立政権が誕生、州首相にはガリシア社会党からエミリオ・ペレス・トウリーニョ(Emilio Pérez Touriño)が、副首相にはガリシア民族主義ブロックからアンショ・キンターナ(Anxo Quintana)が選出された。2009年3月1日の州選挙ではガリシア国民党は過半数の38議席を獲得、PSdeGとBNGはそれぞれ25議席、12議席にとどまり、与党の座を国民党に明け渡すこととなった。ガリシア国民党の党首アルベルテ・ヌーニェス・フェイホー(Alberte Núñez Feijóo)が州首相に選出された。

政党

元首相で国民党の党首であるマリアーノ・ラホイ・ブレイはガリシア出身である。

選挙結果

【選挙】
PPdeG
PSdeG-PSOE
AGE
(EU-Anova) 【BNG
備考
【得票】
【%】
【議席】
【得票】
【%】
【議席】
【得票】
【%】
【議席】
【得票】
【%】
議席
1981年 | 301,039 | 30.52 | 26 | 193,456 | 19.62 | 16 | - | - | - | - | - | - | 第2党はUCDで、得票274,191票、割合27.80%、24議席。第4勢力のBNPG-PSGは3議席を獲得、これらが後にBNGの母体となった。
1985年 | 516,218 | 41.17 | 34 | 361,946 | 28.86 | 22 | - | - | - | 53,972 | 4.23 | 1 | 第3党はCGで11議席、第4党はPSG-EGで3議席獲得。
1989年 | 583,579 | 44.20 | 38 | 433,256 | 32.81 | 28 | - | - | - | 105,703 | 8.01 | 5 | 第4党はPSG-EG、第5党はCGで、それぞれ2議席獲得。
1993年 | 763,839 | 52.62 | 43 | 346,831 | 23.89 | 19 | - | - | - | 269,233 | 18.55 | 13 | 
1997年 | 832,751 | 52.88 | 42 | 310,508 | 19.72 | 15 | - | - | - | 395,435 | 25.11 | 18 | BNGが初めて第2党になった。
2001年 | 791,885 | 52.51 | 41 | 334,819 | 22.20 | 17 | - | - | - | 346,423 | 22.97 | 17 | 
2005年 | 756,562 | 45.81 | 37 | 555,603 | 33.64 | 25 | - | - | - | 311,954 | 18.89 | 13 | PSdeG、BNGの連立政権誕生。
2009年 | 789,427 | 47.47 | 38 | 524,488 | 31.54 | 25 | - | - | - | 270,712 | 16.28 | 12 | PPdeGが政権に復帰。
2012年 | 653,934 | 45.72 | 41 | 293,671 | 20.53 | 18 | 200,101 | 13.99 | 9 | 145,389 | 10.16 | 7 | 選挙直前に結成されたAGEが躍進、第3党になった。PSdeG-PSOEBNGは議席を減らした。
出典:1981年-2009年はArgos(Subdirección de Análisis y Políticas Públicas de la Presidencia de la Generalitat)。2012年はXunta de Galicia。

歴代州首相

歴代州首相
代 氏名 期間 政党 備考
1. | アントーニオ・ロソン・ペレス | 1977年 - 1979年 | UCD | 自治州創設前ガリシア州首相
2. | ショセ・キローガ・スアーレス | 1979年 - 1981年 | UCD | 自治州創設前ガリシア州首相
3. | シェラルド・フェルナンデス・アルボル | 1982年1月22日 – 1987年9月26日 | AP | 初代ガリシア自治州首相
4. | フェルナンド・ゴンサーレス・ラシェ | 1987年9月26日 - 1990年2月5日 | PSOE | 第2代ガリシア自治州首相
5. | マヌエル・フラガ・イリバルネ | 1990年2月5日 - 2005年8月2日 | PP | 第3代ガリシア自治州首相
6. | エミリオ・ペレス・トウリーニョ | 2005年8月2日 - 2009年4月16日 | PSOE | 第4代ガリシア自治州首相
7. | アルベルト・ヌーニェス・フェイホー | 2009年4月16日 - | PP | 第5代ガリシア自治州首相

ガリシア人の帰属意識とナショナリズム

県と都市

サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂

歴史的にはガリシアには7つの県(ベタンソス、ラ・コルーニャ、ルーゴ、モンドニェード、オウレンセ、サンティアゴ、トゥイ)が置かれていたが、現在は4つの県によって構成され、53のコマルカ(自治州と自治体の中間の単位)、314の自治体、3778の教区に分けられる。(2010年1月1日現在 出典:IGE(ガリシア統計局))

県 | 県都 | 面積(km2) | 人口(人) | 人口密度(人/km2) | 自治体数
ア・コルーニャ県 | ア・コルーニャ | 7,950.4 | 1,146,458 | 144.2 | 93
ルーゴ県 | ルーゴ | 9,856.1 | 353,504 | 35.9 | 67
オウレンセ県 | オウレンセ | 7,273.4 | 335,219 | 46.1 | 92
ポンテベドラ県 | ポンテベドラ | 4,494.5 | 962,472 | 214.1 | 62
 |  | 29,574.4 | 2,797,653 | 94.6 | 314

主な自治体 (2010年)

ガリシア州の首都は、サンティアゴ・デ・コンポステーラに置かれている。人口が上位の自治体は次のとおり。港湾都市ビーゴが最大である。

順位 | 自治体 | 県 | 人口
1 | ビーゴ | ポンテベドラ県 | 299,088
2 | ア・コルーニャ | ア・コルーニャ県 | 246,047
3 | オウレンセ | オウレンセ県 | 108,673
4 | ルーゴ | ルーゴ県 | 97,635
5 | サンティアゴ・デ・コンポステーラ | ア・コルーニャ県 | 94,824
6 | ポンテベドラ | ポンテベドラ県 | 81,891
7 | フェロル | ア・コルーニャ県 | 73,638
8 | ナロン | ア・コルーニャ県 | 38,285
9 | ビラガルシーア・デ・アロウサ | ポンテベドラ県 | 37.926
10 | オレイロス | ア・コルーニャ県 | 33,550

以下人口規模11位から20位までもア・コルーニャ県の自治体が6、ポンテベドラ県の自治体が4で、沿岸部と内陸部での人口格差が、年々拡大している。また、上位7位までを7都市(sete cidades)と呼ぶ。

首都サンティアゴ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ空港)、ビーゴ(ビーゴ空港)、ア・コルーニャ(ア・コルーニャ空港)には空港があり、スペインの主要都市のほか近隣諸国からの発着便もある。また、2012年にはア・コルーニャ=オウレンセ間で高速鉄道AVEが開通した。

経済・産業

金融

漁業・食品

ファッション

重工業

スペインの代表的な電力会社ウニオン・フェノーサ(Union Fenosa)の前身会社のひとつ、フェノーサ(FENOSA、Fuerzas Eléctricas del Noroeste S.A)はア・コルーニャで設立された。

言語

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ガリシア州では主にガリシア人ガリシア語が話されており、カスティーリャ語(スペイン語)とともに公用語となっている。初等教育ではガリシア語とカスティーリャ語の両方が教えられる他、ガリシア語で高等教育を受けることも可能である。

ガリシア語はカスティーリャ語、ポルトガル語イタリア語フランス語などと同様俗ラテン語から変化したロマンス語のひとつである。特にポルトガル語とは近い関係にあり、中世以降にポルトガルが独立して地域が政治的に分かれる以前は一つの言語共同体(ガリシア・ポルトガル語)を形成していた。ポルトガル独立以降、ガリシア語とポルトガル語は別々の道を歩み、主に発音や語彙の面での相違が生じたため、現在は異なる2言語であるとされている。特に政治的に分かれる以前に言語的一体性を有していたドウロ川以北のポルトガル語とは音韻的にも共通点が多く、この地域のポルトガル語話者とガリシア語話者は意思の疎通に特に問題ないといわれる。

民主化後の教育により、ほぼ現在すべての住民がガリシア語を理解できるといわれるが、日常的にガリシア語を使用している話者人口は減少し続けているのが現状である。特に、沿岸地域のア・コルーニャ、フェロル、ポンテベドラ、ビーゴなどの都市の市街地では、ほとんど聞かれない。逆に、内陸部のサンティアゴ、ルーゴ、オウレンセでは日常的に聞かれる。2010年、日常的にガリシア語のみを使用する、あるいはおもにガリシア語を使用する人口が50%を割ったことが報告された。

教育

現在サンティアゴ・デ・コンポステーラ、ア・コルーニャ、ビーゴには大学があり、およそ10万人の学生が学んでいる。教育はガリシア語およびカスティーリャ語で行われている。

1990年にア・コルーニャとビーゴに大学ができるまでは唯一の大学で、ガリシアで最も歴史のある大学。キャンパスはサンティアゴ市内、旧市街を挟んで南と北の2か所と、ルーゴにもある。

1990年創立。キャンパスは市内に数か所と、フェロルにある。

1990年創立。キャンパスは、市内に2か所、港湾地区と市郊外の大学都市、そしてポンテベドラとオウレンセにある。

文化

食文化

ワイン

ガリシア地方のワインの原産地

2010Happy Mail