このキーワード
友達に教える
URLをコピー

キプロスとは?

公用語 ギリシア語トルコ語
首都 ニコシア
最大の都市 ニコシア
政府
大統領 ニコス・アナスタシアディス
副大統領 空位
面積
総計 9,250km(162位)
水面積率 0.1%
人口
総計(2018年) 1,237,088人(158位)
人口密度 134人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2013年)】
165億ユーロ (€)
GDP(MER)
【合計(2013年)】
219億ドル(105位)
GDP(PPP)
合計(2013年) 253億ドル(128位)
【1人あたり】
28,748ドル
イギリスより独立
ロンドン=チューリッヒ協定
(憲法制定) 1959年2月19日
【独立宣言】
1960年8月16日
トルコの北部侵攻
1974年7月20日

通貨 ユーロ (€)(EUR)
時間帯 UTC +2(DST:+3)
ISO 3166-1 CY / CYP
ccTLD .cy
国際電話番号 357
  1. ^ トルコ系住民が就任する規定だが、1974年の南北分断以降は不在となっている。
  2. ^ この内、3,355km北キプロス・トルコ共和国の実効支配地域。
  3. ^ 北キプロスを除いた場合は875,900人(2018年)。
  4. ^ ただし独立記念日は10月1日。
  5. ^ キプロスのユーロ硬貨も参照。

キプロス共和国(キプロスきょうわこく、ギリシア語: Κυπριακή Δημοκρατίαトルコ語: Kıbrıs Cumhuriyeti)、通称キプロスは、トルコの南の東地中海上に位置するキプロス島の大部分を占める共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はニコシアヨーロッパ連合加盟国。公用語ギリシア語およびトルコ語

キプロス島の一部は、イギリス海外領土アクロティリおよびデケリアであり、往来は容易であるものの共和国領ではない。さらに1974年以来、南北に分断されており、島の北部約37%を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による北キプロス・トルコ共和国が占めている。一方のキプロス共和国は国際連合加盟国193か国のうち、192か国(トルコを除く)が国家承認をしている。

キプロスは元来はギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっている。

国名

正式名称は、現代ギリシャ語で Κυπριακή Δημοκρατία (ラテン文字転写: Kypriakí Demokratía; キプリアキ・ディモクラティア)、トルコ語で Kıbrıs Cumhuriyeti (クブルス・ジュムフリエティ)。通称は、現代ギリシャ語では Κύπρος (キプロス)、トルコ語では Kıbrıs (クブルス)。なお、古典ギリシャ語では「キュプロス」と発音された。

公式の英語表記は、Republic of Cyprus(リパブリク・オヴ・サイプラス)。通称は、Cyprus。国民・形容詞の英語はCypriot。

日本語の表記は、キプロス共和国。通称は、キプロス。日本の外務省は、かつて英語読みに倣い「サイプラス」とする表記を取っていた。

キプロスの語源は、古代ギリシャ語のイトスギ (kyparissos) 由来説と、同じく古代ギリシャ語の (Chalkos) 由来説とがある。いずれもこの地に多かったもので、銅については、さらにこの地名(キプロス)が、ラテン語や英語で「銅」を意味する単語の語源となった。

1983年以来、北部のトルコ系住民支配地域は、「北キプロス・トルコ共和国」(Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyeti; クゼイ・クブルス・テュルク・ジュムフリエティ。より厳密に訳せば「北キプロス・トルコ系住民共和国」)として分離独立を宣言している。キプロス共和国はギリシャ系住民の支配地域のみを統治しており、キプロス共和国支配地域は北キプロスとの対比から、南キプロスやギリシャ系住民だけなので北キプロス風に南キプロス・ギリシャ共和国とも呼ばれることもある。

なお、北キプロスおよびその後援国であるトルコ共和国は、ギリシャ系・トルコ系両住民の連合国家であるキプロス共和国は既に1974年の南北分裂時に解体したのであり、南部のギリシャ系住民のみが不法にキプロス共和国を名乗り続けていると見なす立場から、キプロス共和国を承認せず、キプロス共和国支配地域のことを「南キプロス・ギリシャ系住民管理地域」(Güney Kıbrıs Rum Yönetimi; ギュネイ・クブルス・ルム・ヨネティミ)と称する。

歴史

キプロスの歴史」も参照

オリエント諸国支配時代

パフォスの壁画(世界遺産アフロディテの神話は、キプロスの地で生まれた)。

キプロスは東地中海を往来する諸民族、諸文明の中継地となったため、その歴史は古い。有史から当初はヒッタイトアッシリアといったオリエント諸国の支配を受けた。

アッシリアの滅亡後暫くは独立状態にあったものの、エジプト第26王朝クネムイブラー・イアフメス2世によって征服され、エジプトがアケメネス朝(ペルシア)に併合されたのとほぼ同時期にキプロスもペルシアの支配下に入った。住民の多くが入植してきたギリシア系であったため、再三に亘って反ペルシア暴動が生じたものの、ペルシアによって全て鎮圧された。

ローマ属州時代

キュプルス属州の位置。

アレクサンドロス大王によるペルシア滅亡と大王死後のディアドコイ戦争での結果、キプロスはプトレマイオス朝の保護下に置かれ、プトレマイオス朝から総督が派遣された。この時期のキプロスは当時の2大商業都市であったアテネアレキサンドリアの間の中間貿易港として発展した。

紀元前58年共和政ローマから派遣された小カトによってキプロスはローマ属州(キュプルス属州)となった。クレオパトラ7世マルクス・アントニウスと結んでキプロスの支配権を再び手に収めたが、アクティウムの海戦に敗北し、プトレマイオス朝の滅亡と共に再度ローマ属州へ復帰した。

紀元前22年以降は、元老院属州として位置づけられ、イタリア本国と東方属州を結ぶ交通の要衝として機能し、ハドリアヌスルキウス・ウェルス等のローマ皇帝もキプロスを訪れた。115年からのユダヤ人の一斉蜂起によりキプロスは損害を被った。4世紀以降にローマ帝国キリスト教化する中でキプロスもキリスト教が徐々に普及、395年にローマ帝国が東西に分裂後は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の管轄下となった。7世紀になりアラブ人の侵攻が度重なり、キプロス島は一時的にウマイヤ朝の支配下となる。688年、東ローマ帝国皇帝ユスティニアノス2世とウマイヤ朝カリフ アブドゥルマリクとの間で、キプロスを共同統治することに合意。以後、約300年にわたり東ローマ帝国(ビザンティン)とアラブの共同主権が行使される。9世紀になり国力を回復した東ローマ帝国は、10世紀末から11世紀初頭の3人の皇帝ニケフォロス2世フォカスヨハネス1世ツィミスケスバシレイオス2世ブルガロクトノスの下で、北シリア・南イタリア・バルカン半島全土を征服して、東ローマ帝国は東地中海の大帝国として復活。その過程で965年にキプロスを再征服した東ローマ帝国が同島の主権を完全に回復した。以後、12世紀末まで東ローマ帝国の支配下に置かれる。

中世

イングランドリチャード1世

1185年、ヨハネス2世コムネノス死去後の王位継承に不満を抱いた皇族イサキオス・コムネノスがキプロスで叛乱を起こし、皇帝を僭称し同島を占拠してしまう。

1191年第3回十字軍の途上にキプロス島沖を航行していたイングランド王率いる船団の一部がキプロス島に漂着し、僭称帝により捕虜とされてしまう。これに対してイングランドリチャード1世(獅子心王)はキプロスをわずか5日で攻め落とし、以後キプロスの領有権はイギリス王に帰することになる。キプロス島はギリシャ正教会からカトリック教会の支配下となり、東地中海でのキリスト教国家の「基地」としての位置を約400年間果たすこととなる。1192年エルサレム王国の王位をモンフェラート侯コンラードに奪われたギー・ド・リュジニャンは、リチャード1世からキプロス島を譲渡され、以後300年間リュジニャン家がキプロス王位を継ぐことになる(キプロス王国)。1489年にリュジニャン家は王位継承者を欠いたことから断絶し、最後の王となったカテリーナ・コルネーロはキプロス王国をヴェネツィア共和国に譲渡した。オスマン・ヴェネツィア戦争 (1570年 - 1573年)では、1571年オスマン帝国がヴェネツィアからキプロスを奪い、キプロス州(オスマン領キプロス)を置いた。

近世・近代

エジプトの植民地化を進めていたイギリスはこの島の戦略的価値に目をつけ、1878年露土戦争後のベルリン会議でオスマン側に便宜を図った代償にキプロス島の統治権を獲得。 さらに1914年勃発した第一次世界大戦でオスマン帝国がイギリスと敵対すると、同年イギリスに一方的に併合された。そしてアメリカのキプロス鉱山会社がやってきた。

第二次世界大戦後、ギリシャ併合派、トルコ併合派による抗イギリス運動が高まったため、1960年にイギリスから独立。翌1961年イギリス連邦加盟。しかし1974年にギリシャ併合強硬派によるクーデターをきっかけにトルコ軍が軍事介入して北キプロスを占領し、さらにトルコ占領地域にトルコ系住民の大半、非占領地域にギリシャ系住民の大半が流入して民族的にも南北に分断された(詳しくは、キプロス紛争を参照)。

南北キプロスの間では国際連合の仲介により和平交渉が何度も行われ再統合が模索されているが、解決を見ていない(詳しくは、キプロス問題を参照)。

2004年EUに加盟。

政治

1960年の独立時に制定されたキプロス共和国の憲法は、ギリシャ系住民とトルコ系住民の人口バランスに配慮して、元首で行政府の長でもある大統領をギリシャ系とし、その行政権限を分掌し拒否権を持つ副大統領をトルコ系からそれぞれ選出し(任期5年)、国会議員、官吏、軍人などの人数も比率が7対3になるように定めている。代議院は任期5年の一院制議会であるが、その議員の選出にあたってはギリシャ系(56人)とトルコ系(24人)で別々に選挙を行うことになっている。

1974年に南北分断された後は、キプロス共和国は南部を占め、ギリシャ系住民のみの政府となっている(以下、キプロス島南部のギリシャ系キプロス共和国政府支配地域は「南キプロス」と略す)。南キプロスでは、政府における憲法上のトルコ系の定員は空席となり、副大統領は置かれず、議会の実質上の定数は56人となっている。

一方、分離独立を主張する北キプロスには公選の大統領がおり、一院制の議会(定員50人、任期5年)で選出される首相とともに行政を行う。1983年の独立後、1985年に北キプロスで最初の選挙が行われたが、この手続きを国際的に承認しているのはトルコのみである。

2008年2月24日に大統領選挙の決選投票が行われ、労働人民進歩党 (AKEL) 書記長のディミトリス・フリストフィアスが53.36%で当選し、欧州連合加盟国で異例の共産系大統領が誕生した。再統合推進派のフリストフィアスの当選で、再統合交渉が推進されると期待されている。

2011年5月22日、国会議員選挙が行われた。保守野党の民主運動党 (DISY) が第1党になった。2006年の前回比で3.75ポイント増の34.27%獲得し、総議席56のうち20議席を占めた。与党AKELも前回比1.36ポイント増で32.67%で、1議席増の19議席とした。

日本政府は、これまで在ギリシャ大使館がキプロスを兼轄していたのを改め、2018年にニコシアに大使館の実館(在キプロス日本国大使館)を開設した。

軍事

南キプロスではキプロス国家守備隊 (Cypriot National Guard) が組織されている。これは陸海空軍の混成組織(海上部隊は哨戒艦艇のみ、航空部隊は攻撃ヘリコプターや海洋哨戒機のみであり、いずれも補助的な戦力に留まる)である。徴兵制があり、男性は18歳で徴兵され、約25か月の兵役に就く。また、南キプロスにはギリシャ軍が駐留している他、軍事顧問としてギリシャ軍将兵がキプロス国家守備隊に多数出向しているといわれる。

北キプロスにも、北キプロス・トルコ共和国保安軍と呼ばれる国防組織が整備されており、南キプロス同様に陸海空軍混成である(こちらも海上部隊や航空部隊は小規模である)。また、徴兵制も同様に施行されている。実質的な防衛力として、トルコ軍が駐留している。

南北キプロスを隔てる境界線(グリーンライン)には国連キプロス平和維持軍 (UNFICYP) が駐留して監視している。

正確にはキプロス国内ではないが、イギリスの海外領土として島内にイギリス主権基地領域アクロティリおよびデケリアが存在しており、地中海・中近東方面の軍事拠点としてイギリス軍が駐留している。

地域区分

詳細は「キプロスの行政区画」を参照
キプロスの地区(επαρχία / kaza)
【慣用名】
【ギリシャ語名】
トルコ語名
ファマグスタ
(Famagusta) | アモホストス
(Αμμόχωστος) | マウサ
(Mağusa)
キレニア
(Kyrenia) | ケリニア
(Κερύνεια) | ギルネ
(Girne)
ラルナカ
(Larnaca) | ラルナカ
(Λάρνακα) | ラルナカ
(Larnaka)
ニコシア
(Nicosia) | レフコシア
(Λευκωσία) | レフコシャ
(Lefkoşa)
リマソール
(Limassol) | レメソス
(Λεμεσός) | レイモスン
(Leymosun)
パフォス
(Paphos) | パフォス
(Πάφος) | バフ
(Baf)

キプロス島は、事実上2つの国家に分断されており、南部がキプロス共和国政府(ギリシャ系住民)が支配する地域、北部が北キプロス・トルコ共和国としてトルコ系住民が分離独立を主張している地域となっている。

分断以前のキプロス島は、行政的に右記の6地区(ギリシア語: επαρχία / トルコ語: kaza)に分かれていた。ここでいう地区は「」とも訳されるが、元来はキプロス州におかれた「」にあたる行政区画である。

分断後はキプロス島全6地区のうち、ファマグスタ地区、キレニア地区の全域と、ラルナカ地区およびニコシア地区の一部が北キプロス領となっており、とくに首都ニコシアは町の中心で分断されている。なお、ファマグスタは現在の北キプロスではトルコ語で戦士を意味するガーズィーの称号を冠してガーズィマウサ (Gazimağusa) と呼ばれている。

キプロスは、旧イギリス植民地であり、2つの公用語でそれぞれ異なった地名を持つことから、地名は英語名で呼ばれることが一般的であり、以下の地図もそのように記されている。しかし、南キプロスではギリシャ語の地名、北キプロスではトルコ語の地名に言い換えられることも多い。

以下の地図の斜線部分は独立以後も残されているイギリスの主権基地領域(アクロティリおよびデケリア)で、この領域にはキプロス共和国政府の主権は及ばず、イギリス主権の下に置かれているイギリスの海外領土である。また、灰色部分は南北の衝突を抑止するため国連の引いた緩衝地帯(通称グリーンライン)である。

欧州連合加盟国の特別領域#キプロス島のうちキプロス共和国実効統治域外」も参照

地理

詳細は「キプロス島」を参照
キプロスの地図。

キプロスは、キプロス島一島からなる島国で、長さ240km、幅100km。地中海ではシチリア島サルデーニャ島に次いで3番目に大きい島である。

南のエジプトまで380kmという地理的な面からアジア(中東または西アジア)に分類される場合もあるが、ギリシャ系キリスト教徒が多いため、ヨーロッパ(南ヨーロッパ)に分類される場合もある。また、地理的にトルコとも関係が深い地域であった。

地中海性気候で、夏は暑く、乾燥する。北部は海岸線に沿って石灰岩のキレニア山脈があり、首都ニコシアを中心とする中央部が平坦地となっている。南部は大部分が火成岩のトゥロードス山地で、海岸線に沿って狭隘な平地がある。北東にカルパス半島が伸びる。

島の最高峰は南部のオリンポス山で、標高は1951m。冬は雪も降り、スキーができる。

経済

首都ニコシア

1980年代から1990年代に大きな経済成長を遂げたが、観光産業に依存していたためヨーロッパでの景気の変動に弱かった。。2005年前後時点において、キプロスは4%前後の経済成長、3%台後半の低い失業率と良好な経済状況を維持していた。しかし、2010年以降は経済的・文化的に関係の深いギリシャ金融危機により銀行が膨大な損失を被ったため、巻き添えを食らう形で金融危機に陥った。しかし、現在は天然ガスの発掘、Citizenshipプログラムによりロシア、EU諸国、中東、アフリカ、中国などから多くの富裕層が集まる場所となっており経済成長著しい場所となっている。また、観光産業への依存からの脱却を目指しオフィスビルの建築、カジノなど様々な建設がはじまっている。その地理的位置からドバイと同様ハブになる可能性が非常に高い。また、法律は英米法なため安心してビジネスを行えることもハブになりうる一因である。さらに、キプロスは、中東やイスラム諸国とも友好関係にありテロの可能性が極めて低い稀有な国である。現在、ロンドンでテロが多発する中、多くの企業がキプロスに拠点を移している。

産業

色と面積で示したキプロスの輸出品目(2009年)

主要産業は、観光業金融業であったが現在は法人税の低さから実態のある会社の拠点を置く企業も増えている。

観光業については、EU、ドバイ、ロシア、北欧等からの観光地として人気がある。2004年5月1日欧州連合 (EU) 加盟、さらに2008年1月1日の EU 単一通貨ユーロの導入により、観光客が着実に増加している。また、別荘地としても有名で、それに伴って不動産投資も盛んに行われている。

会計士やロンドン大学出身の優秀な弁護士が多い。

南キプロスは観光業を含むサービス産業に労働人口の62%が従事し、GDPの70%を占める。地中海地域の共通問題である水の供給については海水淡水化プラントの稼動により安定し、再生可能エネルギーに特に力をいれている。

北キプロス・トルコ共和国は、南キプロスに比べて経済的に遅れており、一人あたりGDPは3分の1しかない。しかし、現在北と南の統一の試みが積極的に行われており統一の実現は近いとされる。しかし、必ずしも統一を望む意見が多いわけではなく、統一すると逆に混乱を招くというキプロス共和国の人々も少なくない。

自動車関連

多くの国民が自動車を所有し、交通手段に利用している。自動車の通行区分は日本と同じ左側通行であることから、右ハンドル仕様の欧州車に加え、日本から輸入された中古車が多く使われている。そのため対日中古車輸入および関連産業が盛んである。

鉱業

キプロスの鉱業は5000年の歴史を持つ。紀元前3000年ごろ、まず自然銅がトゥロードス山麓で発見される。銅鉱床としては最も古いと考えられ、のラテン語名であるcuprum はキプロスに由来する。自然銅が枯渇した後は銅を含む黄銅鉱から銅を抽出する技術が生まれた。現在でも銅の採掘は続いており、2002年時点では5200トンの銅を産出する。ただし、資源が枯渇している上に内戦によって鉱山施設が分断されたことにより、鉱業はすでにキプロス経済において意味を失ってしまった。このほか、クロムや石綿などを少量産出する。地質学的には地中海が広がった時に海洋底拡大の中心部としてオフィオライトが形成され、更新世に隆起し、現在の位置に移動した。

最近、海域の石油探鉱を行い成功している。現にTotal,ENI,KOGAS,NOBLEENERGY,DELEKDRILLING,等世界の資源会社がすでに採掘を開始している。9月に相当量の天然ガスが発見されるという情報がキプロスの政府機関CIPA(Cyprus InvestmentPromotion Aency)の世界初のCIPA Official Agency AmbassadorとなるMr.Takayoshi Shimoyamada の9月訪問で確認されている。 。この立場は、単なる親善大使を超えて、日本とキプロスとの友好関係構築を深めるためMr.Takayoshi Shimoyamadaが政府にコンセプトを提案しキプロス共和国がこれに応じる形でなされたものである。準大使的な位置にあり、特別の紋章も付与される。

国民

【民族・宗教構成(キプロス)】

 |  |  |  | 
ギリシャ人(ギリシャ正教会) | 
 | 78%
テュルク系(イスラム教(スンニ派)) | 
 | 18%
アルメニア人他(キリスト教諸派) | 
 | 4%

民族の帰属意識はおおむね信仰する宗教と一致しており、正教徒ギリシャ系が78%、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ系が18%であるとされる。その他の4%にはマロン派アルメニア教会派キリスト教徒がいる。キプロスの正教会はイスタンブールコンスタンディヌーポリ総主教庁にも、アテネ大主教を首座とするギリシャ正教会にも属さず、大主教を長とするキプロス正教会のもとに自治を行っている。なお、キプロスのキリスト教については、イエス・キリストの死後、パウロが第1回の宣教旅行でキプロス島のサラミスパフォスを訪れ、キリスト教が広まってゆく様が「新約聖書」の「使徒言行録(使徒行伝)」第13章に描かれているのは有名な話である。

ギリシャ系とトルコ系は歴史的にキプロス島の全域で混住していたが、1974年の南北分断の際、北部に住むギリシャ系住民の大半はトルコ軍の支配を嫌って南部に逃れ、南部に住むトルコ系住民の多くが報復を恐れてトルコ軍支配地域に逃れた結果、ギリシャ系の99.5%が南キプロスに、トルコ系の98.7%が北キプロスに住む。その他の系統の住民は、99.2%が南キプロスに居住している。なお、経済的に苦しい北キプロスではかなりの数のトルコ系住民がトルコヨーロッパに出稼ぎに移住した一方、トルコから多くのトルコ人が流入したため、トルコ系キプロス人の正確な人口を割り出すことは難しい。

教育

キプロス大学

キプロスの初等、中等教育は行き届いているといわれている。

高等教育は以前ギリシャ、トルコ、英国、米国などに依存することが多かったが、近年下記のような大学ができている:

海外からの留学生も増えている。

文化

世界遺産

詳細は「キプロスの世界遺産」を参照

キプロス国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件存在する。

スポーツ

欧州小国競技大会を開催、参加している。ヨーロッパラリー選手権(ERC)のイベントの一つ「キプロス・ラリー」の舞台でもあり、2000年から2006年までと2009年には世界ラリー選手権(WRC)に組み込まれて開催されていた。

キプロス問題

キプロスの分断地図(青色部分は ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/04/02 12:21

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「キプロス」の意味を投稿しよう
「キプロス」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

キプロススレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「キプロス」のスレッドを作成する
キプロスの」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail