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キリスト教音楽とは?

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聖ゲオルギオス大聖堂での奉神礼時の光景(正教会コンスタンディヌーポリ総主教庁)。右詠隊(「右側の聖歌隊」の意。正教会詠隊が左右に分かれる場合の、右側の詠隊を指す語)が歌っている。左側に至聖所イコノスタシスが写っている。

本項はキリスト教の祈祷(公祈祷礼拝)で用いられる聖歌音楽を中心に扱うとともに、礼拝ではほとんど用いられないが演奏会などでは用いられるキリスト教音楽についても扱う。教会音楽(きょうかいおんがく)という語もあるが、こちらは教会で用いられる音楽にほぼ限定して指すことがほとんどであり、演奏会向けのキリスト教音楽のことはあまり含まれない。キリスト教における礼拝音楽(れいはいおんがく)、典礼音楽(てんれいおんがく)はさらに狭義となり、公祈祷・礼拝で用いられる音楽のみを指す(ただし、礼拝音楽、典礼音楽は他宗教の音楽にも使われる用語である)。

聖歌」も参照

概要

キリスト教音楽には、祈祷(公祈祷礼拝)における聖歌賛美歌カンタータなどの音楽がある。加えて、オラトリオなど、礼拝においてはあまり用いられないがキリスト教のメッセージを伝えようとする音楽が数えられる。

キリスト教にテクスト・音楽性の題材をとる音楽も場合によってはキリスト教音楽に含まれうるが、キリスト教に題材をとっている曲だからといってキリスト教音楽とみなされるとは限らない。たとえ歌詞がキリスト教的世界観に深甚な影響を受けていたとしても、ゴシックメタルなどのジャンルの音楽は、通例「キリスト教音楽」とは扱われない。他方、キリスト教的世界観を伴った歌詞を持つ交響曲(例えばマーラー交響曲第8番第1楽章など)をキリスト教音楽とみなすかどうかは判断がわかれるなど、キリスト教音楽の定義には究極的には曖昧さが避けられない部分がある。

以下、祈祷における音楽と、その他のキリスト教音楽について述べる。

祈祷(礼拝)におけるキリスト教音楽

イタリア聖歌隊(1905年)
ダマスコの聖イオアン(ヨハネ)イコン
パリノートルダム大聖堂(カトリック教会)の夜景
ベルリン大聖堂(ルーテル教会)の夜景

キリスト教ではどの教派においても、礼拝(奉神礼典礼)において聖歌・音楽は重要な要素ともいえる。イエス・キリストがこの世にいた時から祈りにあたって歌などが用いられたことは聖書にも書かれているが(マタイによる福音書11章17節、同26章30節、マルコによる福音書14章26節、使徒行伝2章26節、同16章25節、ほか)、キリスト教初期の時代から祈りは歌われていたという。ただし古代から中世前半ほどまでの時代においてどのような歌が実際に歌われていたかについては、記譜法の喪失・録音の不存在といった事情により、復元考証は極めて困難である。

古代から現代に至るまで、どのような音楽が教会における祈祷(公祈祷礼拝)に相応しいのかについてさまざまな見解が示され、伝統が形成されてきた。その歴史において、礼拝に相応しい音楽が模索・規定され、その信仰を反映する音楽が作られてきた。新しい音楽の形態・曲が正統性を認められることもあれば、そうでない場合もあった。このような取捨選択が行われたことには、即興の賛美や新しい歌をそのまま認めてしまえば異端・異教の影響が懸念されるという背景がある。

近世に至るまで、聖歌を作曲した者の名は聖歌者聖ロマンやダマスコの聖イオアン(ヨハネ)などのわずかな聖人たちのものしか知られておらず、近現代以前は聖歌は基本的に伝承されていくものであった。しかし、近現代以降は作曲家の名が明らかにされた上で作成された音楽・聖歌が増えていった。

キリスト教における歌・音楽と、その用いられ方については教派ごとに相違がある。

特に東方教会西方教会の差異は、歴史的経緯においても現代行われている態様においても著しい。一般に東西教会の分裂の年とされている1054年以前においても、ローマ帝国が東西に分裂して以降、地中海東西の経済的な結び付きが弱まるのにしたがって文化的交流も減少し、キリスト教音楽の差異はすでに深まっていた。

ただし、東西教会も文化的に完全に断絶した訳ではなく、部分的に教会文化の交流が行われる中でその音楽についても影響を与え合ってきた面もある。西方教会におけるグレゴリオ聖歌をはじめとした聖歌の形成には東ローマ帝国地域からのビザンティン聖歌の影響が指摘される。逆に東欧における正教会は、現代のウクライナの地域における17世紀以降の西欧音楽の導入を嚆矢として、西方教会からの影響を大きく受けた。

一方で西方教会内、すなわちカトリックプロテスタント間にも音楽伝統の差異はあるが、東西教会の差異ほどにはその程度は深くない。

現代、西方教会においては、オルガンを使った伝統的な音楽を保持する一方で、現代的な音楽も含めたさまざまな音楽を礼拝に取り入れ、多様な形態を示している。西方教会の生み出してきた音楽の中には、クラシック音楽をはじめとした演奏会でも頻繁に取り上げられる音楽も少なくない。ただし、教会における日常の礼拝で頻繁に用いられる音楽と、演奏会で多く演奏される音楽とは、形態・曲目において差がある。例えば西方教会の礼拝において、W.A.モーツァルトJ.S.バッハの歌が礼拝において用いられることはほとんどないが、彼らの作曲によるキリスト教音楽が世俗の演奏会で演奏される機会は多い。

他方、東方教会は聖歌において極めて保守的である。一部の正教会東方諸教会ではオルガンなどの楽器を取り入れているケースもあるが、正教会では基本的に聖歌は無伴奏声楽であることが現代においてもなお原則である。また、曲の選定・作曲においても伝統的である。西欧化されて以降の正教会の聖歌も、近世以降あまり形を変えずに歌われている一方で、近年、西欧化される以前の正教会の聖歌を見直す機運が高まり、古典聖歌の復元研究も東欧において盛んになっている。また、ビザンティン聖歌は西欧化の影響をあまり蒙っていない。

その他のキリスト教音楽

礼拝の場面ではあまり用いられないが、オラトリオなどは通例キリスト教音楽に数えられる。こうした礼拝の場面であまり用いられないキリスト教音楽も、礼拝とは別個に成立したものばかりでなく、礼拝音楽とお互いに影響を与えあいながら成立している。

東方教会

東方教会は東西の経済的交流・文化的交流が減少したことにより、西欧の諸教会とは大きく異なる教会音楽伝統を発展させるに至った。また、東方教会内でも正教会東方諸教会との間には聖歌伝統における差異が存在し、さらに正教会内・東方諸教会内のそれぞれにも地域・時代による多様性が存在する。

正教会

奉神礼における聖歌

神品による奉神礼の光景。白地に金色の刺繍を施された祭服を着ている2人が輔祭。左手前に大きく写っている濃い緑色の祭服を着用した人物と、イコノスタシスの向こう側の至聖所の奥に小さく写っている人物が司祭。至聖所の宝座手前で水色の祭服を着用し、宝冠を被って奉事に当たっているのが主教である。正教会では祭日ごとに祭服の色を統一して用いるのが一般的であり、このように諸神品が別々の色の祭服を用いるケースはそれほど多くはない。また、祭服をこのように完装するのは写真撮影などの特別な場合を除いて公祈祷の場面に限られている。
生神女庇護祭イコン。生神女庇護祭と同日に記憶される聖歌者ロマンが、歌詞:祈祷文を持つ姿で中央下部に描かれている。(1649年ベラルーシ)

正教会聖歌無伴奏声楽が原則である。奉神礼との密接な結び付きを要求され、音楽的側面のために歌詞(祈祷文)に変更を加えることは許されない。このため、聖歌を他言語に翻訳する際には音楽に合わせて歌詞を変更するのではなく、歌詞に合わせて旋律和声を変更する作業が必然的に行われる。

奉神礼に組み込まれていない祈祷文を奉神礼において歌唱することは、聖体礼儀中の神品 (正教会の聖職)領聖中に歌われる合唱聖歌コンチェルトなどの、ごく一部の例外を除いて行われない。従って讃美歌も用いられない。

西方教会で用いられるグレゴリオ聖歌ゴスペルミサ曲レクイエムなどは正教会にあっては全く用いられておらず、楽典的側面における音楽文化の影響の与え合いや中世の東西教会分裂前の伝統の交流を除き、かなり相違の大きい別系統の聖歌伝統・音楽伝統に位置付けられる。

音楽的特徴による分類

音楽的特徴による分類としては、ビザンティン聖歌ロシアバルカン半島諸国の伝統的聖歌、同地域における西方教会の影響を受けた多声聖歌、グルジア正教会における古代以来の独自の音楽伝統に立脚したグルジア多声聖歌などが正教会で用いられる。もちろんこれらの分類が全ての聖歌に正確に当てはまるとは限らず、各種の様式を折衷したものや、時代による変化の過渡期のものとして位置付けられる聖歌も多い。他地域の聖歌を取り上げて歌うこともしばしば行われている。

近世以降は、世俗曲も手がける作曲家による聖歌が、伝統的な聖歌と併用されつつ正教会でも歌われている。

歴史

正教会での奉神礼に用いられる聖歌は、東ローマ帝国の版図において発展したビザンティン聖歌ロシア帝国の版図において発展したロシア聖歌だけにその伝統はとどまらず、グルジアバルカン半島諸国など、各地において多様な発展を示してきた。

古代・中世

古代中世においてどのような聖歌が歌われていたのかは、記譜法の変化による解読の不可能性や録音の不存在などの事情により、推測の域を出ない。また古代・中世の正教会世界の聖歌文化・奉神礼文化にも、地域によって大きな差があった。

聖歌者ロマンダマスコの聖イオアン(676年 - 749年)などのように聖歌作曲で知られる古代・中世の聖人もいない訳ではないが、基本的には聖歌作曲家は無記名であり、今日までその名が知られている古代・中世の作曲家は数えるほどしか存在しない。近世以降も無記名による聖歌は用いられている。

ただし記録の不存在・再現の不可能性はその時代に変化・発展が無かった事を意味するものではなく、譜面・同時代人の文章から、様式に様々な変化・発展が起こっていたことは確実である。東ローマ帝国内においてはギリシャ語を用いるビザンティン聖歌が発達し、東スラヴ地域では教会スラヴ語を用いるズナメニ聖歌が、グルジアではグルジア語を用いるグルジア多声聖歌が発達した。

近世以降
ボルトニャンスキー
「Category:正教会聖歌作曲家」も参照

ギリシャのビザンティン聖歌、ロシアのズナメニ聖歌などにおいて匿名性の高かった聖歌作曲も、近世以降には作曲家の名が出て来るようになった。

ロシア正教の多声聖歌はイタリア盛期バロック音楽の様式に倣ったボルトニャンスキーの諸作品等に本格的に始まり、その後はプロテスタント教会コラールを彷彿とさせる、シラビックな、ネウマティックな曲付けと、単純だが印象的な和声付けが特徴的な聖歌が主流となった。特に重要な聖歌作曲家としてアレクサンドル・アルハンゲルスキーパーヴェル・チェスノコフなどが挙げられる。また世俗作品も手がけた作曲家にも聖歌の作曲を行った者が多い。ドミトリー・ボルトニャンスキーピョートル・チャイコフスキーリムスキー=コルサコフシュテファン・モクラーニャッツドーブリ・フリストフセルゲイ・ラフマニノフアレクサンドル・グレチャニノフなどが代表的である。

これらの作曲家は、聖金口イオアン聖体礼儀パニヒダ(永眠者を記憶する祈祷)など特定の奉神礼の全曲を作曲することもあれば、一部分に曲付けすることもあった。これらの作品の中では特にラフマニノフの「徹夜禱」が有名である。ただし、これら世俗曲も手がけた作曲家による聖歌は、その難易度等のさまざまな要因から、正教会奉神礼において実際に歌われることは多くない。また、これら作曲家によるものを実際の奉神礼に用いる場合でも、一人の作曲家によるもののみで歌い切ることはまず行われず、大抵は伝統的旋律・和声を用いた曲と、何人かの作曲家の曲を組み合わせて用いる。

ロシア正教会で制定されていたオビホードに基づく多声聖歌以前の、各地方教会で伝承されていたような古い起源を持つ単声聖歌への関心と研究も、近代以降に大きく行われるようになった。代表的な研究者にステパン・スモレンスキイがいる。

これらの伝統のうち多くは、東ヨーロッパ諸国の多くが共産主義国となっていった中で、教会が宗教弾圧を共産主義政権から受けるとともに断絶ないし停止された。パーヴェル・チェスノコフなどはロシア革命以降は聖歌作曲を断念し、以後は世俗の合唱曲の作曲と歌唱の指導のみに活動を限定せざるを得なかった(それでもソ連末期にはウラジーミル・マルティノフのように正教会聖歌も手がける作曲家が現れた)。

共産主義政権が倒れて信仰が自由化されるとともに、再び聖歌作曲が活発に行われるようになっている。また、古い聖歌の復元研究も再び活発化している。

現代

近世に西方文化の流入を受けるまで、バルカン半島ルーシ諸地域における聖歌は単旋律が基本であったが、現代のバルカン、ルーシ地域における多声聖歌の多くは西欧の多声音楽の影響を大なり小なり受けつつ、古典聖歌と近世以降の聖歌を併用している。

ギリシャ系の正教会は今でも単旋律、もしくはイソンと呼ばれる持続低音をつけたビザンティン聖歌を教会で用いている。他方、独自の多声音楽文化を古くから保持していたグルジアでは独自のグルジア多声聖歌を形成して今日に至っている。

現代のビザンティン聖歌もロシア聖歌もその内実は多種多様であって一様ではない。ただし西方教会に比べて、その変化の度合いは緩やかであり、また多様性についても無制限に行われてきた訳ではなく、正教会聖歌は総じて伝統的であると言える。一部の例外を除いて正教会聖歌は無伴奏声楽が原則であり(それゆえ「正教会音楽」よりも「正教会聖歌」と呼ばれる)、近世以降に作曲された多くの聖歌もそれは変わらない。

八調

詳細は「八調」を参照

正教会における無記名による聖歌の代表例とも言える、「八調」(はっちょう・オクトエーコス)と呼ばれる週替わりのシステムに組み込まれた定められた8パターンの各種旋律の作曲家は、成立経緯の詳細とともに不明である。

八調は、八種類の定められた旋律を、祈祷文を区切って当て嵌めていくもので、週ごとに替えられるのを基本とする。ただし祭日斎日などにおいてはそれぞれの祈祷文に週の定めとは異なる八調が指定される場合もある。現代の正教会では地域によって異なる旋律が受け継がれているものの、八調の使用法は共通している。作曲された曲とともに共存して使われており、八調を当て嵌めて歌われることが多い祈祷文と、作曲された曲で歌われることが多い祈祷文とがある。また、八調でも作曲された曲でもなく、受け継がれた伝統的な曲が歌われることもある。

公祈祷以外の場面における正教音楽

正教会においてはオラトリオといった、公祈祷以外の場面においてキリスト教のメッセージを持つ音楽は、それらを形成した西方教会とは異なる歴史的背景・社会的背景を持つゆえにそれほど発展して来なかった。しかしながら近現代に入るとロシア、セルビアなどでそうしたオラトリオなどを作曲する作曲家も登場してきた。

作品例

現代においてもロシア正教会の渉外局長であるイラリオン・アルフェエフ府主教が、管弦楽つきのクリスマス・オラトリオを作曲して演奏が行われ、話題となった。管弦楽つきの音楽は奉神礼に用いることはできず、管弦楽つき作品は必然的に演奏会向けの作品である。

また、演奏会以外の場面におけるキリスト教音楽としては、ウクライナ・ロシアなどで歌われるカリャートカが挙げられる。これはクリスマスにおいて主に子どもたちによって歌われてきたイイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語・ロシア語読み)の降誕に題材をとった歌であり、軽快なメロディを持つものが多い。

日本正教会の聖歌

アルハンゲルスキー

日本正教会はその成立期である19世紀において、亜使徒聖ニコライを通して同時代のロシア文化を色濃く受け継いだ。その影響は聖歌にも及んでおり、使われている聖歌の多くは19世紀に広くサンクトペテルブルクで歌われていたものである。八調を使用するとともに、作曲されたものではドミトリー・ボルトニャンスキーアレクサンドル・アルハンゲルスキーのものが多く採用されている。明治時代にの黎明期にはピアノ、チェロの奏者でもあったヤコフ・チハイが聖歌の翻訳・作曲・指導にあたった。日本人で活躍した聖歌指揮者・作曲家としては金須嘉之進がいる。

ヤコフ・チハイ

日本正教会では一部例外を除き、ほとんどの聖歌が日本語に訳され、奉神礼においても教会スラヴ語等ではなく日本語が用いられている。明治時代にニコライとパウェル中井天生によって訳された漢文訓読体の文語であるが、この祈祷文の翻訳にはほとんど変更が加えられていない。

司祭司祷の聖体礼儀は説教の時間を含めずに1時間、主教司祷の聖体礼儀の時間は実に3時間弱にもおよぶが、その間もっぱら無伴奏声楽(ア・カペラ)で祈祷は歌い続けられ、歌唱を伴わない朗読のみで公祈祷が行われることは皆無である(これは、全世界の正教会に共通している)。西方教会の典礼音楽・礼拝音楽に比べて平易な旋律が用いられることが日本正教会では多く、それほど多くない練習時間で歌われることが多いが、他教派と同様、聖歌に対する習熟度と練習の頻度には各地域教会ごとに差がある。

東方諸教会

ギリシャ系の正教会とは異なり、東方諸教会では若干の楽器を限定的に用いるものがある。アルメニア使徒教会ではオルガンが比較的広く用いられているほか、エチオピア正教会では鈴が伴奏に用いられる。ただしビザンティン聖歌・グルジア聖歌を保持する正教会と同様、東方諸教会の教会音楽における西欧からの影響は限定的であり、総じて東方諸教会の音楽も伝統的・保守的である。

西方教会

ローマ帝国の東西分裂以降の東西の交流減少に伴い、西方教会のキリスト教音楽における歩みもまた東方教会と大きく異なってきた。ただし、東西の教会が完全に文化的に断絶し切っていた訳ではないことには注意が必要である。

西欧における音楽の歴史にはキリスト教音楽が密接に結び付いている。西方教会のキリスト教音楽の歴史は、西欧における音楽の発展の歴史と重なる部分が非常に多い。

宗教改革以前

宗教改革以前は、当然のことながらカトリック教会聖公会プロテスタントの別は西方教会内になかった。したがって、宗教改革以前のキリスト教音楽の歴史・内容はカトリック・プロテスタントで分けずに西方教会のものとして一括して述べる。

中世前期

中世前期はローマ教皇と北部ヨーロッパの新興君主が提携し、ゲルマンの民族宗教やアリウス派を排除していく時代であった。この時、多様に複数あった典礼の形式もまたローマでの典礼の形式に則ったものに統一が図られていった。中世初期、西方教会には「ミラノ旋律(アンブロシオ聖歌)」「ガリア旋律(フランス)」「モザラビック・チャント(スペイン)」、など、複数の典礼・音楽様式があったとされるが、このうちアンブロシウスの名が帰せられるミラノ旋律だけはミラノ司教区で現在でも用いられているものの、ほか2つはほとんどが失われた。

こうしたローマでの典礼への統一化を強力に進めた世俗君主として、カール大帝がいる。カール大帝は、ローマ式の典礼への統一に従わない者は死罪に処すとの厳命を領内に下した。統一された典礼を歌うために制定されたのがグレゴリオ聖歌である。

グレゴリオ聖歌」も参照
リベル・ウズアリス』で用いられる、グレゴリオ聖歌の四角ネウマ。ここではキリエ・エレイソン(オルビス・ファクトール)の冒頭を示している。

6世紀末のローマ教皇グレゴリウス1世(在位590年 - 604年)に名が帰せられ、伝説上はグレゴリウス1世が旋律の制作者であるとされてはいるものの、グレゴリオ聖歌の成立経緯を6世紀ないし7世紀にまで遡ることは困難である。また、カール大帝当時にどのような歌われ方がなされていたかの考証も極めて困難である(現代歌われているグレゴリオ聖歌は19世紀以降のベネディクト会修道院での研究の蓄積によって復元されたものであって、どの程度中世当時の実際の歌われ方に近いものであるのかは不明である)。ただし、カール大帝の時期に至るまでギリシア人修道士が西欧にも居住していたことや、各種旋律の分析から、初期のグレゴリオ聖歌にビザンティン聖歌からの影響が広範に認められるとは夙に指摘される。

グレゴリオ聖歌はこのように、それ以前に存在したこれらの典礼様式を西方教会において画一化した教会音楽体系であって、大部分は中世に作成されたものであり、古代の教会音楽に比べれば相対的に新しい。また、グレゴリオ聖歌は歴史上古い時代・短い時期に作られたものだけで成り立っているものではない。特に新しいものとしては15・16世紀に作られたものすら存在する。

教会旋法」も参照

グレゴリオ聖歌には今日一般的に広く用いられている「長調」「短調」の音階システムではなく、教会旋法が用いられている。教会旋法は長調・短調のシステムから離れた神秘的にも響く音階を提供するものとも評価され、近現代の作曲家の中には教会音楽のみならず世俗音楽においても、教会旋法を用いて作曲する者もいる。特にドビュッシーらの印象主義音楽によって教会旋法が見直され、彼らの技法に吸収されたことは、近代音楽史上の特筆すべき事である。

中世中期

トロープス」、「セクエンツィア」、「典礼劇」、および「グルジア多声聖歌」も参照

グレゴリオ聖歌による画一化が起こった西方教会であるが、すでに中世中期には多様化の方向性が生まれていた。西欧の教会音楽はモノフォニーからポリフォニーに拡大していったのもこの頃である。ポリフォニーそのものは西方教会音楽のみの独創ではなく、世界各地にみられるものであり、東方教会でもグルジア正教会が世界でも最初期に取り入れているが、ポリフォニー導入により西方教会音楽は多様な表現が可能となり、その後の発展の礎となった。その始まりの時期は正確には不明であるが、イギリスの ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2020/08/15 10:00

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