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クリーブランド_(オハイオ州)とは?

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クリーブランド市
City of Cleveland

 | 
市旗 | 市章

愛称 : The Forest City(森の街)
標語 : "Progress & Prosperity(進歩と繁栄)"
【位置】


オハイオ州におけるクリーブランドの位置
座標 : 北緯41度28分56秒 西経81度40分11秒 / 北緯41.48222度 西経81.66972度 / 41.48222; -81.66972
【歴史】

【入植開始】
1796年
【行政】


アメリカ合衆国
【州】
オハイオ州
【郡】
カヤホガ郡
【市】
クリーブランド市
【市長】
フランク・G・ジャクソン(民主党)
【地理】

面積 | 
【市域】
213.4 km (82.4 mi)
【陸上】
201.0 km (77.6 mi)
【水面】
12.5 km (4.8 mi)
標高
199 m (653 ft)
【人口】

人口
(2010年現在)
【市域】
396,815人
人口密度 1,974.2人/km(5,113.6人/mi)
【都市圏】
2,077,240人
【備考】
全米都市人口第45位
【その他】

等時帯
東部標準時 (UTC-5)
夏時間
東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : http://www.city.cleveland.oh.us/index1.html

クリーブランド(Cleveland)は、アメリカ合衆国オハイオ州北東部に位置する都市。エリー湖の南岸、ペンシルベニア州との州境から西へ約100km、州都コロンバスから北東へ約220kmに位置する。人口は396,815人(2010年国勢調査)で、全米で第45位、オハイオ州内ではコロンバスに次ぐ第2の都市である。クリーブランドを中心とするクリーブランド都市圏は人口2,077,240人、また、クリーブランドの南約60kmに位置し、タイヤの町として知られるアクロンや、その南にあり、プロフットボール殿堂で知られるカントンなどを含む広域都市圏は人口3,515,646人(ともに2010年国勢調査)を数える。

市は1796年カヤホガ川がエリー湖に流れ込む河口の近くに創設され、いくつもの運河や鉄道の起点となる立地から工業都市として発展した。かつてはオハイオ州最大、全米でも上位10位以内に入る大都市であったが、1960年代以降、それまで市の経済を支えていた重工業は衰退し、市の地位も低下していった。工業の衰退に伴って、金融、保険、ヘルスケア産業などサービス業を主体とする経済に移行していった。また変わったところでは、クリーブランドはロックンロールの歴史においても重要な位置を占めている。1951年、クリーブランドのDJ、アラン・フリードリズム・アンド・ブルースをロックンロールと呼び、若者にロックンロールを流行させた。エリー湖の湖畔にはロックの殿堂が建っている。

2010年の『フォーブス』紙の調査では、クリーブランドは、米国で最も惨めな都市に挙げられている。しかし、こうした評価はここ数年のもので、2005年の『エコノミスト』紙の調査では、クリーブランドはピッツバーグと並んで、全米で最も住みやすい都市の1つに挙げられている。また同年の別の号では、同誌はクリーブランドをアメリカ合衆国本土48州で最もビジネスミーティングに適した都市として挙げた。しかし、一部の地区における貧困層の集中や教育改善のための資金不足など、クリーブランドはなおも大きな問題に直面している。また、治安も大きな問題と化しており、2007年度の「全米危険な街ランキング」では第7位に挙げられるなど、数年で評価が一変している。2013年には10年近く誘拐監禁されていた女性3人が発見されるクリーブランド監禁事件が起こっている。

クリーブランドの住民は「クリーブランダー」とよく呼ばれる。初期においては、クリーブランドはThe Forest City(森の街)と呼ばれた。20世紀初頭に隆盛を迎えようとしていたとき、市はSixth City(第6の街)と呼ばれた。一方、市が衰退の一途をたどっていた1960年代から1970年代にかけては、Mistake on the Lake(湖岸の過ち)と呼ばれた。近年つけられた市の別名には、Metropolis of the Western Reserve(西部保留地のメトロポリス)、The New American City(新しいアメリカの街)、America's North Coast(アメリカの北海岸)、C-Townなどがある。

目次

  • 1 歴史
  • 2 地理
    • 2.1 気候
  • 3 都市概観
  • 4 政治
  • 5 経済
  • 6 交通
    • 6.1 空港
    • 6.2 鉄道
    • 6.3 公共交通
    • 6.4 道路
  • 7 教育
  • 8 文化
    • 8.1 芸術と文化施設
    • 8.2 スポーツ
    • 8.3 メディア
  • 9 人口動態
    • 9.1 都市圏人口
    • 9.2 市域人口推移
  • 10 姉妹都市
  • 11 註
  • 12 外部リンク

歴史

クリーブランドは1796年6月22日、現在のオハイオ州北部にあたるコネチカット州西部保留地の首都として建設された。クリーブランドという地名はコネチカット西部保留地の設置者であるコネチカット土地会社を率いていたモーゼス・クリーブランド将軍(Moses Cleaveland)からつけられた。それゆえ、当時の地名はCleavelandという綴りであった。モーゼス・クリーブランドはパブリック・スクエアを中心とした近代的なダウンタウンの開発計画を見渡すとコネチカットに帰り、その後オハイオに戻ることはなかった。

西部保留地の地図。クリーブランドは地図のちょうど中央付近に描かれている。1826年

クリーブランドに最初に入植したのはロレンゾ・カーターであった。カーターはカヤホガ川のほとりに小屋を建てた。クリーブランドは1814年12月23日に正式な村になった。1831年、新聞の見出しにCleavelandが1文字だけ入りきらないため、aが抜かれ、地名の綴りが現在のClevelandに変えられた。

近隣が湿地性の低地で、冬の寒さが厳しいにもかかわらず、湖岸に位置するクリーブランド一帯は将来有望な土地であった。1832年オハイオ・エリー運河が完成すると、クリーブランド一帯は急成長を遂げていくようになった。この運河はエリー湖オハイオ川を結び、エリー湖・オンタリオ湖セントローレンス川を通ると大西洋へ、またオハイオ川・ミシシッピ川を通るとメキシコ湾へと、クリーブランドから両方の海への出口へとつなぐものであった。鉄道が開通すると、クリーブランドの成長はさらに進んだ。クリーブランドは1836年に市に昇格した。

1836年、カヤホガ川に橋が架けられ、それまで川の東岸だけが発展していた市が西岸のオハイオシティ方面にも広がっていった。1854年、それまで1つの独立した市であったオハイオシティはクリーブランドに合併された。クリーブランドは船で五大湖上を運ばれてきたミネソタ産の鉄鉱石と鉄道で運ばれてきたアパラチア産の石炭の両方が積み下ろされる地であった。そうした立地条件からクリーブランドでは鉄鋼産業や自動車産業が発達し、工業の中心地として発展していった。また、スタンダード・オイルの創設者ジョン・ロックフェラーは、このクリーブランドで成功し、富を築き上げた。

カヤホガ川河口、1920年。この頃には既に川の両岸に工場が建ち並び、工業地を形成していた。

1920年にはクリーブランドは796,841人の人口を抱え、ニューヨーク(5,620,048人)、シカゴ(2,701,705人)、フィラデルフィア(1,823,779人)、デトロイト(993,678人)に次ぐ全米第5の都市になった。この頃、市は全国的に起こっていた革新運動の中心地で、地元では市長トム・L・ジョンソンを筆頭として運動が起こっていた。第20代大統領ジェームズ・ガーフィールドをはじめ、この頃のクリーブランドの多くの著名人は市の東に位置する、歴史的なレイクビュー墓地に埋葬されている。1936年と翌1937年の夏には、クリーブランド市制施行100年を記念して、エリー湖畔でグレート・レイクス博覧会が開催された。世界恐慌で大打撃を受けた市をよみがえらせると思われたこの博覧会は1936年の第1シーズンには400万人を、1937年の第2シーズンには700万人を動員した。会場跡地には、現在ではグレート・レイクス科学センター(1996年開館)やロックの殿堂(1995年開館)などが建ち、バーク・レイクフロント空港にも利用されている。

第二次世界大戦の終戦直後、クリーブランドはしばしの間ブームになった。スポーツにおいては、クリーブランド・インディアンス1948年のワールドシリーズで28年ぶり2度目のワールドチャンピオンに輝いた。1950年代には、クリーブランド・ブラウンズが黄金時代を謳歌していた。実業界においては、クリーブランドは「全米で最も良い地」とされた。1949年には、クリーブランドは同年に始まったオール・アメリカ・シティ賞の第1回受賞都市に選ばれた。1950年には市の人口は914,808人でピークに達し、全米でも第7の規模であった。

1980年代、クリーブランドでは荒廃したダウンタウンの立て直しが始まった。写真は1992年

しかし、1960年代に入ると市は凋落に転じた。市の経済を支えていた重工業は衰退し始め、住民は郊外へと移り住んでいった。全米の多くの主要都市で見られたホワイト・フライトスプロール現象人種間の緊張といった現象はクリーブランドでも例外ではなかった。1966年7月にはヒュー地区で暴動が起こり、1968年7月にはグレンビル地区で銃撃戦が起こった。これらの地区はいずれも市の東側に位置し、アフリカ系の住民が多い地域であった。1969年には、カヤホガ川の水面に浮いていた産業廃棄物に引火したことが原因で火事が起こった。財政も逼迫し、デニス・クシニッチが市政を執っていた1978年12月には、全米の主要都市では世界恐慌以来初の債務不履行に陥った。こうした公害や財政の悪化、地元スポーツチームの不振を引き合いに出し、メディアはクリーブランドをThe Mistake on the Lake(湖岸の過ち)と呼ぶようになった。

それ以来、市はその汚名を雪ぐために手を尽くしてきた。近年では官民協働、ダウンタウンの再建、都市再生がメディアにも評価されつつある。ジョージ・ヴォイノヴィッチ、マイケル・ホワイト両市長の下、都市圏の再生が進められ、とりわけダウンタウンの再生は目覚しいものであった。1994年、ダウンタウンにはジェイコブス・フィールドガンド・アリーナからなるゲートウェイ・コンプレックスが完成した。その財源にはカヤホガ郡の酒税とタバコ税が充てられた。かつては港湾施設で占められていたノース・コースト・ハーバー地区にはロックの殿堂クリーブランド・ブラウンズ・スタジアムグレート・レイクス科学センターといった娯楽施設や文化施設が建った。メディアはクリーブランドをComeback City(復活の街)と称えるようになった。しかしその一方で、ダウンタウン近隣の住宅街、インナーシティの治安は依然として軒並み悪く、また市内の公立学校システムは重大な問題を抱えたままである。市では、経済成長、若いプロフェッショナル層の確保、ウォーターフロント地区の有効活用による収益向上の3つを優先度の高い事項として挙げている。

地理

カヤホガ川に架かるデトロイト・スペリオル橋。その下には別の橋が架かっている。

クリーブランドは北緯41度28分56秒西経81度40分11秒に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、クリーブランド市は総面積213.5km2(82.4mi2)である。このうち201.0km2(77.6mi2)が陸地で12.5km2(4.8mi2)が水域である。総面積の5.87%が水域となっている。エリー湖の湖岸線はカヤホガ川の河口を境に西へはサンダスキーに至るまでほぼ東西に延びている。一方、カヤホガ川河口の東側では北東-南西方向に延びている。クリーブランドの市域はこのエリー湖の湖岸線に沿って南西-北東方向に広がっているほか、南東方向にも広がっている。

エリー湖岸の標高は173mであるが、クリーブランドの市街地は不規則に形成された段丘の上に広がっている。段丘はカヤホガ川やビッグ川、ユークリッド川に分断されている。そのため湖から少し離れただけでも標高がかなり上がる。湖岸からわずか3kmほどに位置するダウンタウンのパブリック・スクエアは標高198mである。湖岸から8km離れたクリーブランド・ホプキンス国際空港は標高241mである。こうした地形のため、ダウンタウンの中心部からエリー湖岸やフラットなどカヤホガ河岸へ向かう道には急な坂が数多く見られる。また段丘の上を結ぶ橋と下を結ぶ橋が二重に架かっているところもある。カヤホガ川に架かるデトロイト・スペリオル橋は段丘の上のほうを結んでいるが、その下には別の、河岸に近いところを結んでいる橋が架かっている。

気候

【クリーブランド】

雨温図(説明)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
69
1
-6
 | 
58
3
-5
 | 
74
8
-1
 | 
89
15
5
 | 
94
21
10
 | 
86
26
15
 | 
89
28
18
 | 
89
27
17
 | 
97
23
13
 | 
79
17
7
 | 
91
10
3
 | 
79
4
-3

気温(°C)
総降水量(mm)
出典:Weatherbase.com

インペリアル換算
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2.7
34
22
 | 
2.3
38
24
 | 
2.9
47
30
 | 
3.5
59
40
 | 
3.7
69
50
 | 
3.4
79
60
 | 
3.5
83
64
 | 
3.5
81
63
 | 
3.8
74
56
 | 
3.1
62
45
 | 
3.6
51
37
 | 
3.1
38
26

気温(°F)
総降水量(in)

クリーブランドの気候は温暖で湿気の多い夏と寒い冬に特徴付けられる。またカナダからの寒気がエリー湖で湿気を増すため、クリーブランドの冬の降雪量は多く、ブリザードも吹く。雪は11月中旬から降り始め、エリー湖が氷結する1月下旬から2月上旬まで降り続く。降雪量は市内各所で大きく異なる。スノーベルトにかかる市の東部ではひと冬の降雪量が100インチ(254cm)を超えることも珍しくないが、市の南西にあり、スノーベルトからは外れるホプキンス国際空港では、降雪量100インチに達したことは1968年以降3度しかない。

クリーブランドにおける観測史上最高気温は1988年6月25日に記録された摂氏40度、最低気温は1994年1月19日に記録された氷点下29度である。平年では、最も暖かい7月の平均気温は摂氏23度、最も寒い1月の平均気温は氷点下2度である。年間降水量は約990mm、年間降雪量は約170cmである。ケッペンの気候区分では、クリーブランドは計算上は温暖湿潤気候(Cfa)に合致するが、エリー湖の南岸をはじめ、五大湖周辺に広く分布する冷帯湿潤気候(Dfa)に含められている。

クリーブランドの気候
【】
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
【年】

【平均気温()】
-2.2 | -0.8 | 3.6 | 9.9 | 15.4 | 20.7 | 23.0 | 22.2 | 18.3 | 12.1 | 6.6 | 0.2 | 10.8
【降水量(mm)】
68.6 | 58.4 | 73.7 | 88.9 | 94.0 | 86.4 | 88.9 | 88.9 | 96.5 | 78.7 | 91.4 | 78.7 | 993.1
【降雪量(cm)】
47.5 | 37.8 | 32.0 | 8.4 | - | - | - | - | - | 0.5 | 10.9 | 35.8 | 172.9

都市概観

エリー湖よりクリーブランドのダウンタウンを望む。2006年8月。
クリーブランドのモール

クリーブランドのダウンタウンに建つ建物の建築様式は様々である。市庁舎やカヤホガ郡地方裁判所、クリーブランド市立図書館、クリーブランド市営講堂など、クリーブランド市政府や公共の建物の多くは20世紀初頭に建てられた新古典主義建築で、ちょうどワシントンD.C.のように、中心部からエリー湖に向かって延びるモールと呼ばれる緑地の周囲に建ち並んでいる。都市美運動の影響を受け、1903年に立案されたグループ・プランの結果できあがった、クリーブランドのモールは全米でも最も完成度の高い都市美観設計の一例となった。モールは1975年国家歴史登録財に指定された。

クリーブランドのシンボルであるターミナル・タワーは、1930年に完成したボザール様式の超高層ビルである。52階建て、高さ216mのこのビルは1967年まではニューヨーク以外では最も高く、また1991年まではクリーブランドで最も高いビルであった。その名が示す通り、ターミナル・タワーは当時鉄道のターミナルであったユニオン駅の真上に建てられたビルであった。現在では駅としての機能はRTAのターミナルとしてのみに限られている。このターミナル・タワーと周囲のホテルやショッピングモールをあわせてタワー・シティ・センターという複合施設になっている。ターミナル・タワーよりも後に立てられた超高層ビルとしては、1991年に完成し、全米16位、オハイオ州では最も高い建物であるキー・タワー(57階建て、289m)や、ダウンタウンの立て直しが始まった頃、1981年に完成したBPビル(45階建て、201m)がある。これらの超高層ビルはポストモダン建築をベースにし、アール・デコの要素を取り入れている。1890年に建てられたビクトリア様式のクリーブランド・アーケードは、オールド・アーケードとも呼ばれる、ダウンタウンに残る歴史的建築物のひとつである。クリーブランド・アーケードは2001年に改装され、ハイアット・リージェンシー・ホテルとして再生した。

  • タワー・シティ・センター。中央左寄りの超高層ビルがターミナル・タワー。

  • キー・タワー

  • BPビル

  • クリーブランド・アーケードの内部

ユークリッド・アベニュー、1870年頃。

ダウンタウン中心部のパブリック・スクエアから市東部約8kmのユニバーシティ・サークルへと走るユークリッド・アベニューは、1860年代から1920年代にかけてはエルムの街路樹と豪邸が並ぶ、美しい通りであった。1880年代後半、紀行文作家ベイアード・テイラーはユークリッド・アベニューを「世界で最も美しい通り」と描写した。「百万長者の通り」として知られたユークリッド・アベニューには、ジョン・ロックフェラー、マーカス・ハンナ、ジョン・ヘイなどが邸宅を構えていた。ユニバーシティ・サークルはクリーブランドきっての文教地区で、ケース・ウェスタン・リザーブ大学をはじめ、ユニバーシティ・ホスピタル、シビランス・ホール、クリーブランド美術館、クリーブランド自然史博物館、ウェスタン・リザーブ歴史協会といった文化施設、教育機関、医療機関が集中している。

クリーブランドを取り囲むようにクリーブランド・メトロパーク・システムの公園群があり、クリーブランド市域内にも同システムの下で運営されている公園4つがある。ビッグ・クリーク川沿いにはそのうちの1つとなる動物園、クリーブランド・メトロパークス動物園がある。同園はサル目の飼育個体数では全米一である。またメトロパーク・システムのほか、エリー湖畔にはクリーブランド・レイクフロント州立公園が設置されている。市の北東側のエリー湖畔には、19世紀末から湖畔公園として賑わったユークリッド・ビーチ・パーク(1895年開園、1969年閉園)があった。市の東側にあるロックフェラー公園の園内には、市内の民族グループに敬意を表してつくられた多数の文化園がある。

ウェアハウス・ディストリクト

ダウンタウンの西側には、フラットやウェアハウス・ディストリクトの各地区が広がっている。フラットはカヤホガ川両岸の低地一帯、ウェアハウス・ディストリクトはカヤホガ川東岸の段丘の上に広がる地区である。かつてはその名が示す通り倉庫街であったが、1990年代に入ると空き倉庫はコンドミニアムアパートレストランバーナイトクラブなどに改装され、姿を変えた。1990年代にはフラット(特にカヤホガ川東岸)で、2000年代に入るとフラットのカヤホガ川西岸やウェアハウス・ディストリクトでこうした変動が盛んに起こった。

クリーブランドの住民はしばしば、カヤホガ川の東側・西側どちら側に住んでいるかで、それぞれ「イースト・サイド」「ウェスト・サイド」と分類する。クリーブランド市内の各地区をイースト・サイド/ウェスト・サイドに分けると、概ね以下のようになる。

イースト・サイド
  • バックアイ=シェーカー・スクエア(Buckeye-Shaker Square)
  • セントラル(Central)
  • コリンウッド(Collinwood)
  • コーレット(Corlett)
  • ユークリッド=グリーン(Euclid-Green)
  • フェアファックス(Fairfax)
  • フォレスト・ヒルズ(Forest Hills)
  • グレンビル(Glenville)
  • ペイン/グッドリッチ=カートランド・パーク(Payne/Goodrich-Kirtland Park)
  • ヒュー(Hough)
  • キンズマン(Kinsman)
  • リー・ハーバード/セビル=マイルズ(Lee Harvard/Seville-Miles)
  • リトルイタリー(Little Italy)
  • マウント・プレザント(Mount Pleasant)
  • ノッティンガム(Nottingham)
  • セントクレア=スペリオル(St. Clair-Superior)
  • ユニオン=マイルズ・パーク(Union-Miles Park)
  • ユニバーシティ・サークル(University Circle)
  • ウッドランド・ヒルズ(Woodland Hills)
ウェスト・サイド
  • ブルックリン・センター(Brooklyn Centre)
  • クラーク=フルトン(Clark-Fulton)
  • カデル(Cudell)
  • デトロイト=ショアウェイ(Detroit-Shoreway)
  • エッジウォーター(Edgewater)
  • オハイオシティ(Ohio City)
  • オールド・ブルックリン(Old Brooklyn)
  • ストックヤーズ(Stockyards)
  • ウェストボールバード(West Boulevard)
  • ウェストパーク(West Park) - 以下4地区の総称
    • カムズ・コーナーズ(Kamm's Corners)
    • ジェファーソン(Jefferson)
    • ピュリタス=ロングミード(Puritas-Longmead)
    • リバーサイド(Riverside)

また、カヤホガバレーにかかるインダストリアルバレー/ダック・アイランド(Industrial Valley/Duck Island)、スラビック・ビレッジ(Slavic Village)、トレモント(Tremont)の3地区は「サウス・サイド」と呼ばれる。

近年では、インナーシティに属する各地区ではジェントリフィケーションが進みつつある。ウェスト・サイド、イースト・サイドの両方で、ニューヨークソーホーのようにクリエイティブ層の取り込みに成功し、新たな住宅開発を進める原動力となっている。また、イースト・サイドの近接地区においては、居住地区と勤務地区が重なっていることも、古い工業用建造物を芸術家たちのロフトスペースに転用することを促進する要因になっている。

政治

クリーブランド市庁舎

クリーブランドが工業の中心地として発展した背景には、もとより革新・進歩の気風が強く、初期においては労働組合の活動が活発であったことが大きく影響している。オハイオ州内の他地域、特にシンシナティなど州南部は概ね保守的で、共和党の勢力が強いのに対し、クリーブランドは民主党の勢力が強い。クリーブランドはアメリカ合衆国下院のオハイオ第10選挙区と第11選挙区に属するが、2006年の選挙では両方とも民主党が議席を獲得している。2004年大統領選においては、オハイオ州を獲得したのはジョージ・W・ブッシュであったが、クリーブランドを含むカヤホガ郡ではジョン・ケリーの得票率が非常に高く、有効投票の2/3にのぼった。

クリーブランドは市長制を採っている。市長は市の行政の最高責任者であり、強力な権限を有している。1924年に一旦はシティー・マネージャー制が採用されたが、1931年にもとの市長制に戻った。市議会は21名の議員からなり、その任期は4年である。市は21の地区に分けられ、各地区から1人ずつの議員が選出される。市議員の定員は時代とともに減少しており、1885年には50名であったが、1960年代に33名に減り、1981年以降は21名になった。

クリーブランドは、長年に渡り犯罪公害汚職の町として知られ、「湖畔の過ち」との呼び名もあるが、2014年時点では過去10年の行政の取り組みにより活気を取り戻しつつある。

経済

クリーブランド連邦準備銀行。1923年にダウンタウンに建てられた同行の建物は国家歴史登録財に指定されている。

カヤホガ川エリー湖に流れ込むクリーブランドの立地は市の成長の鍵となる要因であった。オハイオ・エリー運河が完成し、鉄道網が発達すると、全米有数の工業都市として発展を遂げていくようになった。クリーブランドには製鉄業をはじめ、さまざまな製造業が興った。1914年にはクリーブランド連邦準備銀行が設置され、この地域における経済の中心地としての地位を確立した。クリーブランド連邦準備銀行はオハイオ州全域、ペンシルベニア州西部、ケンタッキー州東部、およびウェストバージニア州北部にわたる第4地区を管轄している。クリーブランド連邦準備銀行で発行された米ドル紙幣には、旧札であれば肖像の左側にDと、新札(1996年版)であれば左上の発券番号のすぐ下にD4と印刷されている。これはクリーブランド連邦準備銀行がカバーする第4地区を表している。

しかし20世紀後半になるとそれまで市の経済を支えてきた製造業の地位は低下し、商業や金融業、サービス業が市の経済の主体となっていった。クリーブランドには中西部を中心に展開し、アメリカ10大市中銀行の1つに数えられるナショナル・シティ・コープをはじめ、アメリカン・グリーティングス、イートン、フォレスト・シティ・エンタープライゼズ、シャーウィン・ウィリアムズ、キー・バンクといった企業が本社を置いている。1893年にクリーブランドで創立した世界有数の法律事務所ジョーンズ・デイは、現在でもクリーブランドに本部を置いている。その一方で、TRW、オフィス・マックス、BPなど、数多くの企業の本社が近年クリーブランドから移転・消滅した。その多くは市外の企業による吸収・合併によるものであった。2006年には、デューク・リアリティ社がクリーブランドにおける商用不動産市場の不振を理由に、クリーブランド都市圏の不動産をすべて売却した。

クリーブランド最大の雇用主であるクリーブランド・クリニックは、USニューズ&ワールド・レポート誌による病院ランキングでは全米でもっとも優れた病院の1つに数えられている。このほか、クリーブランドにはがん治療で高い評価を受けているユニバーシティ・ホスピタルズ・オブ・クリーブランドが本部を置き、メトロヘルスの医療センターがある。

出典:wikipedia
2018/02/19 05:22

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