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グアテマラとは?

グアテマラ共和国
República de Guatemala



(国旗) | 国章
国の標語:標語なし
国歌:グアテマラの国歌(グアテマラよ幸福なれ!)
公用語
スペイン語
首都
グアテマラシティ
【最大の都市】
グアテマラシティ
政府
大統領
ジミー・モラレス
副大統領
ハフェット・カブレラ
面積
【総計】
108,890km(104位)
【水面積率】
0.4%
人口
【総計(2008年)】
14,027,000人(62位)
人口密度
131人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2013年)】
4,227億ケツァル
GDP (MER)
【合計(2013年)】
538億ドル(78位)
GDP (PPP)
【合計(2013年)】
1,129億ドル(78位)
【1人あたり】
7,290ドル

独立
- 日付 スペインより
1821年9月15日
通貨
ケツァル (GTQ)
時間帯
UTC -6(DST:なし)
ISO 3166-1
GT / GTM
ccTLD
.gt
国際電話番号
502

グアテマラ共和国(グアテマラきょうわこく、スペイン語: República de Guatemala)、通称グアテマラは、中央アメリカ北部に位置する共和制国家である。北にメキシコ、北東にベリーズ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルと国境を接しており、北東はカリブ海に、南は太平洋に面する。首都グアテマラ市

先コロンブス期にはマヤ文明が栄え、現在も国民の過半数はマヤ系のインディヘナであり、メキシコを除いた中央アメリカで最も人口の多い国である。経済的にはエルサルバドルと共に中央アメリカの中位グループに属するが、1960年から1996年まで続いたグアテマラ内戦により治安や政治においてグアテマラ社会は未だに不安定な状態にある。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
    • 2.1 先コロンブス期
    • 2.2 スペイン植民地時代
    • 2.3 植民地から独立国へ
    • 2.4 中央アメリカ連邦共和国(1823年 - 1839年)
    • 2.5 再独立とニカラグア国民戦争
    • 2.6 アメリカ合衆国の進出 (1898 - 1920)と政治的空白期
    • 2.7 グアテマラの春
    • 2.8 グアテマラ内戦
    • 2.9 内戦終結以降
  • 3 政治
  • 4 軍事
  • 5 国際関係
  • 6 地方行政区分
    • 6.1 主要都市
  • 7 地理
  • 8 経済
    • 8.1 鉱業
  • 9 国民
    • 9.1 民族
    • 9.2 言語
    • 9.3 宗教
    • 9.4 教育
    • 9.5 治安
  • 10 文化
    • 10.1 文学
    • 10.2 音楽
    • 10.3 世界遺産
    • 10.4 祝祭日
  • 11 国の象徴
  • 12 災害
  • 13 著名な出身者
  • 14 脚註
    • 14.1 注釈
    • 14.2 出典
  • 15 参考文献
  • 16 関連項目
  • 17 外部リンク
    • 17.1 グアテマラ政府
    • 17.2 日本政府
    • 17.3 その他

国名

正式名称は、República de Guatemala(スペイン語: レプブリカ・デ・グアテマラ)。通称、Guatemala [gwateˈmala]

公式の英語表記は、Republic of Guatemala(リパブリック・オブ・グワーテマーラ)。通称、Guatemala [ˌɡwɑːtɨˈmɑːlə, ɡwæ-]

日本語の表記は、グアテマラ共和国。通称、グアテマラグァテマラガテマラと表記されることもある。

歴史

詳細は「グアテマラの歴史」を参照

先コロンブス期

ティカルの神殿。
詳細は「マヤ文明」を参照

紀元前1800年頃に太平洋岸にバラ相の土器文化が興り、テコマテと呼ばれる祭祀に用いられたと考えられる無頸壺の器形で知られる。バラ相にメソアメリカ最古に属する土偶も作られた。先古典期中期初頭の紀元前900年頃に、パシオン川流域のセイバルアルタル・デ・サクリフィシオスに集落が形成された。やがて、先古典期中期後葉になるとナクベに高さ18mに達する大規模な建物が造られた。一方、南部の高地にはカミナルフューにラス・チャルカスの精巧な土偶を伴う文化が興った。先古典期後期には、紀元前500年以降ペテン低地にワシャクトゥンエル・ミラドールなどのマヤの大規模な都市が出現する。南部の高地には、イサパ文化の影響を受けた石碑を伴うアバフ・タカリクエル・バウル、カミナルフューなどの祭祀センターがきずかれた。

古典期には、378年ティカルにメキシコのテオティワカンゆかりの強力な王朝が建てられ、メキシコ、カンペチェ州カラクムルと「優越王」として覇を争うようになる。古典期になると、カミナルフューもテオティワカンに征服される。エル・バウルを含めた周辺区域には、ナワ語系のピピル族によると言われるコツマルワパ様式の祭祀センターが築かれた。10世紀初頭までにペテン低地の祭祀センターは放棄されたが、グアテマラ高地のマヤ系諸王国はスペイン人に征服されるまで存続した。後古典期にはいると、11世紀頃から北方のチチメカ族が侵入した影響を受け、キチェ王国カクチケル王国(Reino Kakchiquel)に、チチメカ様式の影響を受けた都市が築かれた。

スペイン植民地時代

スペイン人のコンキスタドール ペドロ・デ・アルバラード。
スペインによるアメリカ大陸の植民地化」も参照
グアテマラの征服」および「ペテン盆地の征服」も参照

1492年クリストーバル・コロンアメリカ大陸を「発見」すると、現在のグアテマラに相当する地域にもヨーロッパ人の征服者が訪れた。1523年に現れたスペイン人の征服者ペドロ・デ・アルバラードは、1524年にはこの地域を征服した。アルバラードはカクチケル族の協力を得て、グアテマラの地を支配していたキチェ族の都クマルカフ (ウタトラン)を1524年に攻略し、カクチケル族の都イシムチェに本拠地を構えた。だが、カクチケル族との同盟関係はごく短い期間で決裂し、カクチケル族は都を放棄して征服に抵抗するようになった。1526年に脱走兵の放火によってイシムチェは破壊され、アルバラードは現在のシウダー・ビエハに新しい首都を建設。さらに、イシムチェの近くにあるテクパンに都を移したが、1541年7月にアルバラードは死に、同1541年9月アグア火山噴火によってテクパンは壊滅してしまう。その後、現在のアンティグア・グアテマラが首都となった。

1544年スペイングアテマラ総督領をおき、自治権を与えた。グアテマラ総監領の統治範囲には諸説があるが、現在の中米五国ホンジュラスエル・サルバドルニカラグアコスタリカなどを含んでいた。スペイン人征服者の政策により、先コロンビス・マヤ文化の古文書(Pre-Columbian Maya codex)はほとんどがこの植民地時代に焼却されたが、辛うじてマヤ神話の『ポポル・ヴフ』と呼ばれるキチェ族の創世神話が現在に伝わっている。

1717年に起きたマグニチュード7.4の地震(en:1717 Guatemala earthquake)はアンティグア・グアテマラに甚大な被害をもたらし、さらに1773年の地震(en:1773 Guatemala earthquake)でも大きな被害が出たため、1776年にスペイン国王の命により、首都はグアテマラシティへと移ることになった。1786年にはスペインからイギリスカリブ海側の領土が割譲された。この地域は「英領ホンジュラス」として統治され、現在はベリーズになっている。

植民地から独立国へ

近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」も参照

グアテマラ建国以後の歴史は、革命クーデター、非民主主義政権、特にアメリカ合衆国からのさまざまな内政干渉に彩られている。1789年フランス革命により、ヨーロッパでの政局は混乱した。大革命によりナポレオン戦争が勃発し、1808年には本国スペインがフランス皇帝ナポレオン1世によって侵攻された。ナポレオンはボルボン朝フェルナンド7世を退位させ、兄のジョゼフ・ボナパルトスペイン王ホセ1世に据えたため、それに対する民衆暴動が契機となってスペイン独立戦争が勃発、インディアス植民地ホセ1世への忠誠を拒否した。グアテマラ総監領1821年にスペインから独立を宣言し、同年内にアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に併合された。

中央アメリカ連邦共和国(1823年 - 1839年)

1823年にメキシコ帝国は崩壊し、新たに結成された中央アメリカ連合州(Provincias Unidas del Centro de América)の一州となった。中米連邦では、最初から内紛が絶えなかったが、1827年から1838年にかけ、ラファエル・カレーラの率いる保守主義のグアテマラ派と、フランシスコ・モラサンの率いる自由主義のエル・サルバドル派の内戦に陥った。

再独立とニカラグア国民戦争

アルカルデスの人々(1891)。

結局カレーラが勝利して連邦は解体に至り、1839年グアテマラは独立国となった。内戦に勝利し、連邦派を駆逐したカレーラはそのままグアテマラの政治を支配し、以後グアテマラは1865年にカレーラが死ぬまで強力な保守統治が行われることになる。カレーラは保守政治家だったが、その一方でインディヘナに対しては共有地の保護などの優れた政策を行った。また、1856年ウィリアム・ウォーカーとの国民戦争の際にはグアテマラも中米連合軍の一員に加わった。

1871年には自由党が内戦に勝利して政権に就き、1873年にはフスト・ルフィーノ・バリオスが大統領になった。以降1885年までバリオスの統治が続き、自由主義的な様々な政策が行われ、1879年には憲法が制定された。一方で、ホンジュラスやエル・サルバドルなど近隣諸国との戦争を続け、またこの時期にインディヘナの共有地は解体されて奪われ、大土地所有制が強化された。また、この時期から経済がコーヒーモノカルチャー化し、1880年代には実に輸出の9割近くをコーヒーが占めるほどであった。こうしたコーヒー農園の労働力として移民が導入され、1893年には日本初のラテンアメリカ移民が行われた。

アメリカ合衆国の進出 (1898 - 1920)と政治的空白期

独裁者マヌエル・エストラーダ・カブレーラミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『大統領閣下』のモデルとなった。
詳細は「バナナ戦争」、「w:Banana Wars」、および「ユナイテッド・フルーツ」を参照

1898年マヌエル・エストラーダ・カブレーラが大統領に就任し、22年間の独裁政治を行うが1920年にカブレーラは失脚した。カブレーラが失脚すると、政治的空白状況が生まれ、クーデターが繰り返される不安定な状況が続いたが、1931年ホルヘ・ウビコ将軍が隙を突いて権力を握ると、「ウビコ以外は全て不自由である」といわれるほど苛烈な統治を行い、グアテマラ社会の荒廃は一層進んだ。

詳細は「スメドレー・バトラー」、「ボーナスアーミー」、「w:Business Plot」、「戦争は不公正である」、および「ナイ委員会」を参照

こうした状態を憂いた愛国者によりウビコは1944年に追放され、民主主義の時代がグアテマラにも訪れた。

なお、日本とは、1935年堀義貴初代駐グアテマラ日本公使が着任し、正式に外交関係が成立した。

グアテマラの春

1944年から1954年まではグアテマラの春と呼ばれ、自由な空気の下に、各種の民主的な社会改革が進められた。

ハコボ・アルベンス・グスマンポプリスモ的政治家として土地改革などの政策を行ったが、これは次第に、アメリカ合衆国が「グアテマラは共産主義化している」というネガティブキャンペーンを張る要因となって行き、土地改革がユナイテッド・フルーツの社有地に適用されることになると、合衆国の怒りは頂点に達した。アメリカ政府の雇用した反アルベンス派傭兵軍がエル・サルバドルから侵攻すると、軍の上層部はアルベンスを見捨てアルベンスは亡命。グアテマラの春は終わりを告げた(PBSUCCESS作戦)。

グアテマラ内戦

詳細は「グアテマラ内戦」を参照

キューバ革命の周辺国への影響(ドミノ理論)を恐れたアメリカ中央情報局はグアテマラ軍上層部の支援を得て、1954年PBSUCCESS作戦と呼ばれる政府転覆を実行し親米独裁政権が生まれたが、これがグアテマラに長い動乱の時代を招いた。1960年からグアテマラ内戦が始まり、36年間にわたり武装反乱軍(FAR)などのゲリラとグアテマラ政府軍の戦闘が続いた。1980年代には軍部がほぼ実権を握り、農村部への焦土作戦をとるなど反体制派に対する徹底した弾圧を行った。この軍事行動の結果、数万人の行方不明者を含め最大20万人が死亡もしくは行方不明となったといわれる。内戦状態は1996年に平和条約の調印によって終わった。

内戦終結以降

1996年に署名された和平合意のほとんどは、1年以上経過しても履行されなかった。直近の国政選挙は2015年に行われた。

政治

国会議事堂
詳細は「グアテマラの政治」および「w:Politics of Guatemala」を参照

グアテマラは一院制議会をもつ。議会は「共和国議会」(Congreso de la República)と呼ばれる。国会は158議席で、国会選挙は4年ごとに行われ、同時に大統領選挙が行われる。

グアテマラの大統領国家元首であり、政府の長である。行政を行うために、大統領は閣僚を米国の内諾を得た上で指名する。

軍事

詳細は「グアテマラの軍事」を参照

2014年現在のグアテマラ陸軍は現役1万3,444名、予備役約6万2,000名で、15の軍管区に旅団を基礎とした実戦部隊が配備されている。

国際関係

詳細は「グアテマラの国際関係」および「w:Foreign relations of Guatemala」を参照

現在グアテマラとベリーズとの間には、国境未確定の部分があり、両国の問題となっている。両国はこの国境確定を国際司法裁判所に提訴することに合意した。しかし、国際司法裁判所判決を受諾するためには、管轄権をあらかじめ受諾することが必要であり、両国は国民投票をして管轄権を受諾するか否か決定することとなっているが、国民投票を行う期日は未定であり、グアテマラ国内には国民投票を行おうとする機運は全くない。他方、ベリーズでは、2009年3月にも国民投票を行うとの情報もあったが、実施されていない。2008年12月8日、両国は合意文書を署名し、国境紛争を国際司法裁判所に付託することに最終的に合意した。

グアテマラは中華民国(台湾)を承認している。

地方行政区分

詳細は「グアテマラの行政区画」を参照
グアテマラの地図
グアテマラの県

グアテマラは22の県(departamentos 地方、州とも訳す)から構成される。

  1. アルタ・ベラパス県
  2. バハ・ベラパス県
  3. チマルテナンゴ県
  4. チキムラ県
  5. ペテン県
  6. エル・プログレソ県
  7. キチェ県
  8. エスクィントラ県
  9. グアテマラ県
  10. ウェウェテナンゴ県
  11. イサバル県
  12. ハラパ県
  13. フティアパ県
  14. ケツァルテナンゴ県
  15. レタルレウ県
  16. サカテペケス県
  17. サン・マルコス県
  18. サンタ・ローサ県
  19. ソロラ県
  20. スチテペケス県
  21. トトニカパン県
  22. サカパ県

主要都市

詳細は「グアテマラの都市の一覧」を参照

ほとんどの主要都市は国の南半分に位置している。主要都市は首都グアテマラ市ケツァルテナンゴエスクィントラである。その他にも港町としてカリブ海側にプエルト・バリオスが存在する。

地理

詳細は「グアテマラの地理」および「w:Geography of Guatemala」を参照
地形図

グアテマラは太平洋とカリブ海に面し、北緯14度から18度にかけて位置する。 気候は基本的に亜熱帯型である。

地形的には、北緯16度で北と南の二地帯に分け、そのうちの南部を"山岳高原地帯"と"太平洋海岸地帯"の二つに分けると三地帯に分けられる。山岳地帯は第三紀の火山活動で形成された地帯であり、太平洋海岸地帯はさらに三つの地帯に分けることができる。北部は、北緯16度から以北のユカタン半島にいたる熱帯雨林サバンナが広がった"平原地帯"である。

太平洋海岸地帯の標高100メートル以下の平地はコスタと呼ばれる。 コスタは、乾季(5~6か月)が明瞭なサバンナ気候で、年間降水量は1000~2000ミリメートル程度で乾燥した亜熱帯林が広がっている平地である。標高100メートルから1500メートルまでの斜面はポカコスタと呼ばれる。標高500メートルを境に、低地ポカコスタと高地ポカコスタに分かれる。標高が高くなるにつれて雨量は増加し、乾季も3~4か月と短くなる。。

山岳高原地帯はクチュウマタネ山系(北米プレート)と北西から南東に走るシエラ・マドレ山系(カリブプレート)に分けられる。両者の間の地溝帯には、ポロチェク川とモタグア川があり、この両川は国内に川口をもつ。ポロチェク川の下流域に国内最大のイサバル湖(590平方キロメートル)がある。シエラ・マドレ山系の太平洋岸沿いには多くの火山が分布し、メキシコとの国境付近に国内かつ中米最高峰であるタフムルコ山(4,220m)、タカナ山など4000メートルを超える火山もある。アティトラン湖(126平方キロ)畔やアンティグア・グアテマラからはコニーデ型の火山を眺望できる。

経済

詳細は「グアテマラの経済」および「w:Economy of Guatemala」を参照
首都グアテマラシティ

グアテマラはエルサルバドルと並んで中米では経済的に中位の国である。国民総生産の4分の1を農業が占める。農業は輸出の3分の2を占め、また労働人口の半分が従事する。主要産品は、コーヒー砂糖バナナである。工業・建設は国民総生産の5分の1を占めている。

1996年の停戦により、36年間に及んだ内戦が終結したため、外資投入への障害は取り除かれている。1998年ハリケーン・ミッチによる被害は、近隣諸国に比べれば僅少であった。

グアテマラ経済はパナマを含めた中米諸国(約4,000万人)のうちの3割を占める。但し、中米諸国は、所得水準で、上位のパナマ、コスタリカ、中位のグアテマラ、エルサルバドル、下位のニカラグア、ホンジュラスと三段階に別れ、その所得水準はいずれも先進国には遅れを取っている。国内の製造業が未発達であることから、高付加価値の製品製造がままならず、サービス産業の拡大が近年の傾向である。2000年以降、世界的な金利低下の恩恵をうけ国内のクレジットサービス及び貸付が拡大の一歩をたどる。IMFの推計によると、2013年のグアテマラのGDPは538億ドル、一人当たりのGDPでは3,475ドルである。

グアテマラの治安は世界159番目である。2013年には5252人が殺害され、メキシコからの麻薬組織の流入、ギャング団の跳梁などにより、治安は深刻な状況にある。

鉱業

2009年時点の原油生産量は110万トン、天然ガスは0.43千兆ジュールにとどまっているが、これは油田炭田が未開発なためである。金属鉱物資源はニッケルが中核であるが、鉄は1万トン、ニッケルはほとんど採掘されておらず、金が若干生産されている。

国民

マヤ系住民
詳細は「グアテマラの人口統計」および「w:Demographics of Guatemala」を参照

貧困問題が恒常化しており、国民の生活水準は全体に低い。平均寿命は72歳。識字率は69.3%、人口の10%が国民全体の所得の47%を占める一方、国民の52%が貧困層に属する。

都市部と農村部の貧困差も大きく、地方農村では、貧困層が76%に達する。国民の大多数を占めるマヤ族など先住民は、概して零細な小規模農業に従事し、また多くはスペイン語の読み書き能力をもたないため、他の職業に就く機会も少ない。

民族

グアテマラの民族は、60.7%は、非先住民族として分類されており、その内訳はラディーノ 42.2%(Ladinoヨーロッパ系と先住民族の混血およびスペイン語を母語とする先住民族)およびヨーロッパ系が18.5%となっている。マヤ先住民族が39.3%(内訳はキチェ 9.1%、カクチケル族 8.4%、マム(Mam)7.9%、ケクチ(Q'eqchi')6.3%、その他のマヤ系民族8.6%)、先住民族のシンカ(Xinca)が0.22%、アフリカ人と先住民族の混血のガリフナ(Garifuna)が0.04%である(2002年センサス)。

先住民は主にマヤ系住民が多数を占め、人種的に先住民でも非先住民的な生活様式(スペイン語の使用)を行う先住民はラディーノ(非先住民)と呼ばれ、メスティーソと同様に扱われる。白人系住民は植民地時代以来からのスペイン人の子孫が最も多いが、19世紀にプランテーション農業のためにヨーロッパから移民が導入され、ドイツ人フランス人イタリア人スイス人ギリシャ人などが、アジアからもアラブ人(シリア人レバノン人パレスチナ人)、トルコ人

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出典:wikipedia
2018/06/12 22:57

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