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サッカーカタール代表とは?

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 | サッカーカタール代表 | 

【国または地域】
カタール
【協会】
カタールサッカー協会
【愛称】
Annabi (The Maroon)
【監督】
Felix Sanchez

ホームカラー
 | 
アウェイカラー


【初の国際試合】
1970年3月27日バーレーン
1-2
【最大差勝利試合】
2015年9月3日ブータン
15-0
【最大差敗戦試合】
1973年x月x日クウェート
0-9
FIFAワールドカップ

【出場回数】
0回
AFCアジアカップ

【出場回数】
8回
【最高成績】
ベスト8 (2000、2011)

サッカーカタール代表は、カタールサッカー協会によって編成されるサッカーのナショナルチームである。愛称のAnnabiは預言者の意味。

目次

  • 1 歴史
  • 2 帰化選手による強化戦略
  • 3 待遇
  • 4 FIFAワールドカップの成績
  • 5 AFCアジアカップの成績
  • 6 FIFAコンフェデレーションズカップの成績
  • 7 ガルフカップの成績
  • 8 西アジアサッカー選手権の成績
  • 9 アラブカップの成績
  • 10 歴代監督
  • 11 歴代選手
  • 12 脚注
  • 13 外部リンク

歴史

1980年代から力をつけ始め、1981年FIFAワールドユース選手権準優勝、1984年ロサンゼルス五輪(今大会からプロ出場が可能になった。但し、W杯予選もしくはW杯本大会に出場した欧州や南米の選手は出場できない制限があった)に出場した。上位2か国が出場出来る1990年イタリアW杯アジア最終予選では2位UAEとわずか勝ち点1差の3位とW杯出場まであと一歩の所まで迫った。1992年7月24日に開幕したバルセロナ五輪(この大会から23歳以下の選手の大会)に出場し、グループリーグを2位で通過し、ベスト8入りした(=決勝トーナメント進出)。

このように着々と実力を付けたカタール代表に、ブラジル人エヴァリスト・デ・マセドが1992年監督に就任。カタール代表は1992年10月28日から日本で開催されるアジアカップの優勝候補に挙げられていた。ところが、カタール代表はグループリーグでまさかの敗退。一方、開催国の日本はブラジルから日本に帰化したラモス瑠偉等の活躍で初優勝を遂げた。このことに衝撃を受けたカタールは以後、帰化選手による強化戦略(後述)を開始した。

ガルフカップ優勝3回(1992年2004年2014年)。また、1981年FIFAワールドユース選手権準優勝、1991年FIFA U-17世界選手権ベスト4と若年世代で好成績を収めている。ワールドカップ出場に最も近づいたのは1998年フランス大会のアジア最終予選であり、この時はホームの最終戦のサウジアラビア戦で勝った方が出場決定という状況であった。しかし0-1で惜敗し、グループ4位で出場を逃している。その後ワールドカップのアジア予選では、2002年大会は最終予選まで駒を進めたが敗退し、2006年大会は1次予選で姿を消した。2006年アジア大会では優勝したが、2010年大会2014年大会のワールドカップではともにアジア4次予選で敗退し、本大会出場は実現していない。2018年大会予選の終了時点でワールドカップ地区予選で通算50勝を記録している。これは本大会出場を経験していないチームでは世界最多となっている(2位タイは49勝のウズベキスタングアテマラ)。 2011年1月、自国で開催されたアジアカップではグループリーグを突破するも準々決勝で日本と対戦し、2-3で敗れた。2015年のアジアカップではグループリーグ敗退となった。

2018年ワールドカップアジア地区予選敗退となり、2022年自国開催予定のワールドカップに、開催国枠で初出場を果たす最初の代表チームとなった。(1930年第1回大会ウルグアイ代表は除く。1934年第2回大会イタリア代表は初出場だが開催国枠でなく予選を経ての出場)。

帰化選手による強化戦略

カタール人の2011年時点での一人当たりのGDPは98,329ドルと世界トップクラス(金持ち)であるため、カタール人だけでは競争力が伸びにくかった(貧しさはお金を得る為、プロになるという競争力を向上させるモチベーションになる)。また、カタールは元々人口が少なく、労働力を外国人に頼り2010年時点で約150万8千人の人口のうち、カタール人は2割にも満たない為、帰化にも抵抗が少なかった。その為、カタールは近年、海外から実力者を引き抜いてカタールに帰化させスポーツの競争力を高めてきた。2006年カタールアジア大会では、ケニアからの帰化選手がマラソン中長距離種目で優勝し、男子バスケットボールでは、元セネガル人を多数擁するチームをバスケットボールカタール代表として送り出し、銀メダルを獲得した。

サッカーでは、2006年ワールドカップ予選の際、ブラジル国籍で代表歴のないアイウトン、デデ、レアンドロにカタール国籍を与えて自国の代表にしようとしたことがあるが、国際サッカー連盟(FIFA)は「代表歴のない国籍変更者及び国籍追加者であっても、変更あるいは追加する国に2年間以上の居住歴がない者は、変更あるいは追加した国籍の代表にはなれない」というルールを新たに設けて適用し、これを阻止した。 尚、現在ではFIFA規則が2009年に改正されて以降、変更あるいは追加する国に18歳以降に5年間以上継続居住していることが必要となっている。

2006年10月、エメルソンがカタール国籍を取得し、カタールとブラジル二重国籍者となったが、エメルソンはU-20ブラジル代表として1999年ワールドユース(現U-20W杯)南米予選出場(8試合)経験があり、当時のFIFA規則でもカタール代表の資格はなかった。

この当時のFIFA規則はA代表(年齢制限なしのその国最強の代表)以外のカテゴリーでの公式の大会の代表経験がある場合、その他の国の代表にはなれないというものであったが、その場合もFIFAが許可をすれば、新しい国籍での国の代表に入ることが出来る例外があった。ただし、国家の分離独立などで新国籍が与えられた場合の他は、

  1. 従前の国の代表で出場した際にすでに重国籍(多重国籍)者であること
  2. 21歳の誕生日までに変更の申請をすること

の場合のみに限定されており、U-20ブラジル代表で出場した際にブラジル国籍しかないエメルソンの場合、当該規約の下でエメルソンが許可される可能性はなかった。 その後、エメルソンは2008年3月4日、親善試合バーレーンとの試合にカタール代表として初出場し、2008年3月26日、2010年南アフリカW杯アジア3次予選グループ1のイラク戦で10番、マルシオ・アルブケルケ(Marcio ALBUQUERQUE)として出場し、2-0でカタール代表が勝利した。 試合後、イラクサッカー協会はエメルソンにはブラジルのユース代表歴があって、カタール代表に選ばれる資格がないことについてFIFAに正式に上申したが、当初はFIFAからパスポート偽造を理由として、その後の試合に対する無期限の出場停止処分のみが発表された。

最終的に2008年6月17日にFIFAが、エメルソンは8試合のU-20ブラジル代表公式戦出場歴のため、今後カタール代表でプレーする資格はないが、試合結果は変わらないと発表した。2010年南アフリカW杯の規則では「出場資格のない選手を出場させた場合、相手チームに勝ち点3を与える」というルールがあった。しかし当該国はそのための抗議を試合後24時間以内に行わなければならず、同時に調査費用をFIFAに支払わなければならない。ところがイラクサッカー協会が費用を送金したのは期限の11日後だった。したがって「抗議」自体が成立せず、試合結果は変わらないとFIFAが決定を下したのだった。諦めきれないイラクはスポーツ仲裁裁判所(CAS)へ訴えたが、2008年9月29日、CASはFIFAの主張を認め、「試合はそのまま成立」という結論を出した。

一連のエメルソン騒動の後、カタールサッカー協会関係者は、「今後はFIFA規則の範囲内で(帰化)補強をします。我が国は人口が少ないので、出稼ぎ移民の子をカタール人と見なすことになるでしょう」と日本の記者に話している。

待遇

カタール政府は、カタールサッカー協会を通して年間200億円程度(推定)、サッカーに投資しており、カタール・スターズリーグのカタール人選手には月750万円程度の給料と家や車を支給している。カタール代表が重要な試合に勝つと、選手1人につき1試合で2000万円の報酬と家や車が支給される(いずれも2008年時点)。

FIFAワールドカップの成績

(代表結成後のみ)

  • 2022年 - 開催国として出場予定


AFCアジアカップの成績

(代表結成後のみ)

【AFCアジアカップ】
【】
【AFCアジアカップ・予選】

【開催年】
【結果】
【試合】
【勝利】
【引分】
【敗戦】
【得点】
【失点】
【試合】
【勝利】
【引分】
【敗戦】
【得点】
【失点】

1972 | 不参加 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | -
1976 | 予選敗退 | - | - | - | - | - | - | 6 | 2 | 1 | 3 | 5 | 8
1980 | グループリーグ敗退 | 4 | 1 | 1 | 2 | 3 | 8 | 4 | 3 | 1 | 0 | 10 | 2
1984 | グループリーグ敗退 | 4 | 1 | 2 | 1 | 3 | 3 | 4 | 3 | 0 | 1 | 11 | 1
1988 | グループリーグ敗退 | 4 | 2 | 0 | 2 | 7 | 6
1992 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 8 | 2
1996 | 予選敗退 | - | - | - | - | - | - | 4 | 2 | 0 | 2 | 5 | 4
2000 | ベスト8 | 4 | 0 | 3 | 1 | 3 | 5 | 4 | 3 | 1 | 0 | 11 | 3
2004 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 4 | 6 | 3 | 2 | 1 | 10 | 7
2007 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 4 | 6 | 5 | 0 | 1 | 14 | 4
2011 | ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 7 | 4
2015 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 7 | 6 | 2 | 3 | 1 | 10 | 7
2019 | 出場権獲得 | - | - | - | - | - | - | 8 | 7 | 0 | 1 | 29 | 4
合計 | 10/13 | 32 | 6 | 11 | 15 | 33 | 46 | 50 | 32 | 8 | 10 | 113 | 42
 | 

FIFAコンフェデレーションズカップの成績

【開催年】
【結果】
【試合】
【勝利】
【引分】
【敗戦】
【得点】
【失点】

1992 | 不出場
1995
1997
1999
2001
2003
2005
2009
2013
2017

ガルフカップの成績

【開催年】
【結果】
【試合】
【勝利】
【引分】
【敗戦】
【得点】
【失点】

1970 | 4位 | 3 | 0 | 1 | 2 | 4 | 7
1972 | 4位 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 10
1974 | 3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 5 | 4
1976 | 3位 | 6 | 4 | 1 | 1 | 11 | 6
1979 | 5位 | 6 | 2 | 1 | 3 | 4 | 13
1982 | 5位 | 5 | 2 | 0 | 3 | 5 | 4
1984 | 準優勝 | 7 | 4 | 1 | 2 | 10 | 6
1986 | 4位 | 6 | 1 | 4 | 1 | 4 | 5
1988 | 6位 | 6 | 1 | 2 | 3 | 4 | 8
1990 | 準優勝 | 4 | 1 | 2 | 1 | 4 | 4
1992 | 優勝 | 5 | 4 | 0 | 1 | 8 | 1
1994 | 4位 | 5 | 1 | 1 | 3 | 6 | 8
1996 | 準優勝 | 5 | 3 | 1 | 1 | 9 | 5
1998 | 6位 | 5 | 0 | 3 | 2 | 3 | 8
2002 | 準優勝 | 5 | 4 | 0 | 1 | 7 | 4
2003 | 3位 | 6 | 2 | 3 | 1 | 5 | 3
2004 | 優勝 | 5 | 3 | 2 | 0 | 10 | 7
2007 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 4
2009 | ベスト4 | 4 | 1 | 2 | 1 | 2 | 2
2010 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3
2013 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 5
2014 | 優勝 | 5 | 2 | 3 | 0 | 6 | 3
2017 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 6 | 3
合計 | 23/23 | 75 | 28 | 21 | 24 | 87 | 89

西アジアサッカー選手権の成績

【開催年】
【結果】
【試合】
【勝利】
【引分】
【敗戦】
【得点】
【失点】

2000 | 不参加
2002
2004
2007
2008 | ベスト4 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 9
2010 | 不参加
2012
2014 | 優勝 | 4 | 4 | 0 | 0 | 10 | 1
合計 | 2/8 | 7 | 5 | 0 | 2 | 12 | 10

アラブカップの成績

【開催年】
【結果】
【試合】
【勝利】
【引分】
【敗戦】
【得点】
【失点】

1963 | 不参加
1964
1966
1985 | 4位 | 4 | 1 | 0 | 3 | 3 | 2
1988 | 不参加
1992
1998 | 準優勝 | 4 | 3 | 0 | 1 | 5 | 5
2002 | 不参加
2012
合計 | 2/9 | 8 | 4 | 0 | 4 | 8 | 7

歴代監督

【名前】
【年】

Toukhi Taha | 1969
Mohammed Hassan Kheiri | 1969–1972
ヘルミー・フセイン・マフムード | 1974
フランク・ウィグナル | 1975–1976
John Cardone | 不明
Hassan Othman | 1979
エヴァリスト・デ・マセド | 1980–1986
Procópio Cardoso | 1987–1988
Anatoly Prokopenko | 1988
Cabralzinho | 1989
ジノ・サニ | 1989–1990
Uli Maslo | 1990
エヴァリスト・デ・マセド | 1992
イヴォ・ウォルトマン | 1992
Sebastião Lapola | 1992–1993
Abdul Mallalah | 1993
Antoni Piechniczek | 1993
Dave Mackay | 1994–1995
Jørgen E. Larsen | 1995–1996
Jo Bonfrere | 1996–1997
ジェマル・ハジアブディッチ | 1997
Luiz Gonzaga Milioli | 1998
ゼ・マリオ | 1998.7–1998.11
ジェマル・ハジアブディッチ | 2000–2001
Paulo Luiz Campos | 不明–2001.12
ピエール・ルシャントル | 2002.1–2003.5
フィリップ・トルシエ | 2003.6-2004.7
Saeed Al-Misnad (暫定) | 2004.7-2004.8
ジェマルディン・ムショビッチ | 2004.8-2007.7
ホルヘ・フォッサーティ | 2007.8-2008.9
ブルーノ・メツ | 2008.9-2011.2
ミロヴァン・ライェヴァツ | 2011.2-2011.8
セバスティアン・ラザロニ | 2011.8-2011.12
パウロ・アウトゥオリ | 2012.2-2013.1
ファハド・サーニー | 2013.1-2014
ジャメル・ベルマディ | 2014.3-2015.4-
ホセ・ダニエル・カレーニョ | 2015.5-2016.9
ホルヘ・フォサッティ | 2016.9-2017.6
フェリックス・サンチェス・バス | 2017.7-

歴代選手

GK
DF
MF
FW
出典:wikipedia
2018/02/23 23:25

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