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シンシナティとは?

シンシナティ市
City of Cincinnati

 | 
市旗 | 市章

愛称 : The Queen City, Cincy
標語 : "Juncta Juvant (ラテン語: 団結は力なり)"
位置

上: ハミルトン郡におけるシンシナティの市域
下: オハイオ州におけるハミルトン郡の位置
位置
シンシナティ (アメリカ合衆国)
アメリカ合衆国の地図を表示
シンシナティ (オハイオ州)
オハイオ州の地図を表示


座標 : 北緯39度6分6秒 西経84度30分45秒 / 北緯39.10167度 西経84.51250度 / 39.10167; -84.51250
歴史
創設 1788年
行政
アメリカ合衆国
オハイオ州
ハミルトン郡
シンシナティ市
市長 ジョン・クランリー
地理
面積 | 
市域 206.01 km (79.54 mi)
陸上 201.86 km (77.94 mi)
水面 4.14 km (1.60 mi)
都市圏 10,798 km (4,169 mi)
標高 168 m (551 ft)
人口
人口 (2010年現在)
市域 296,943人
人口密度 1,470.7人/km(3,807.0人/mi)
都市圏 2,137,667人
その他
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
夏時間 東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : http://cincinnati-oh.gov/

シンシナティ(Cincinnati)は、アメリカ合衆国オハイオ州南西端に位置する都市。州都コロンバスの南西約170km、ケンタッキー州との州境になっているオハイオ川の河畔に位置する。人口は296,943人(2010年国勢調査)で、コロンバス、クリーブランドに次ぐ州第3の都市である。シンシナティに郡庁を置くハミルトン郡を中心に、オハイオ・ケンタッキー・インディアナ3州の16郡にまたがる都市圏は2,137,667人、これに2つの小都市圏を加えた広域都市圏は2,197,197人(いずれも2010年国勢調査)の人口を抱えている。

1788年に創設され、その翌々年にシンシナティ協会から名を取ってシンシナティという地名がつけられた。19世紀前半から中盤にかけては、シンシナティは食肉加工の中心地、そしてオハイオ川の河港都市として発展し、1850年には全米第6の都市へと成長した。しかし、19世紀も後半に入り、交通の主役が蒸気船から鉄道へと移ると、その連節点として高い成長を遂げるようになったシカゴセントルイスに追い抜かれ、シンシナティは成長しながらも、その相対的な地位は低下した。その後も20世紀中盤までは緩やかではあるものの成長を続け、1950年には人口50万人を超えたが、その後は減少に転じている。

それでもなお、シンシナティは地域の経済、交通、教育、および文化の中心地の1つであり続けている。シンシナティ都市圏にはクローガープロクター・アンド・ギャンブルをはじめ、フォーチュン500に入る企業が7社本社を置いている。デルタ航空ハブ空港の1つであるとともに、DHLのスーパーハブであるシンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港を空の玄関口とし、陸路においても、3本の州間高速道路が交わる。ダウンタウンの北にはシンシナティ大学およびザビエル大学がキャンパスを構えている。MLBシンシナティ・レッズ、およびNFLシンシナティ・ベンガルズは、ともにシンシナティのオハイオ河岸に本拠を置いている。全米でも最古の部類に入るシンシナティ交響楽団やシンシナティ・オペラが本拠地とする音楽堂や、シンシナティ出身の大統領ウィリアム・タフトの異母兄の邸宅であったタフト美術館など、文化都市としての歴史の長さを示す文化施設も数多く立地している。

歴史

シンシナティは1788年、マシアス・デンマン、ロバート・パターソン、およびイスラエル・ルドローの3人の入植者によって、オハイオ川北岸のこの地に創設された。その後、ジョン・フィルソンがデンマンから800エーカー(323ha)の入植地の1/3を購入し、ロサンティビルと名付けた。その翌々年の1790年北西部領土総督アーサー・セントクレアは、ジョージ・ワシントンが会長を務め、自身も所属していたシンシナティ協会の名を取って、シンシナティと改称した。 初期の移民にはドイツ系が多く、そのうちの1人で、セントクレアの後任としてこの地にあったワシントン砦に入城していたデイビット・ジーグラーが1802年にシンシナティの初代市長となった。やがて1819年、シンシナティは市として正式に法人化された。

シンシナティ遠景(1841年)。手前はマイアミ・エリー運河、奥はオハイオ川。

初期のシンシナティは食肉加工、殊に豚肉加工の中心地として発展し、Porkopolis(豚肉の都)と呼ばれた。また、オハイオ川の河港であったシンシナティは19世紀前半から蒸気船が寄港する水上交通の拠点、および蒸気船製造の拠点として発展し、1825年に建設の始まったマイアミ・エリー運河がその成長を促した。マイアミ・エリー運河はオハイオ川の支流であるグレートマイアミ川を起点に北進し、1827年に北郊のミドルタウンまで開通し供用開始、その後1830年デイトンまで、そして1840年にはエリー湖岸のトレドまで延伸した。加えて陸上においても、1836年にリトル・マイアミ鉄道の建設が認可され.、1846年スプリングフィールドまで全通、1849年にはスプリングフィールドまで開通したマッド・リバー・アンド・レイク・エリー鉄道と接続して、エリー湖のサンダスキー湾の湖港へとつながった。1853年には、リトル・マイアミ鉄道の途中駅ゼニアでコロンバス・アンド・ゼニア鉄道と接続して、州都コロンバスへと至る鉄道交通も確立された。商業も早い時期から発展し、街にはオハイオ川を下ってさらに西を目指す入植者の需要に応えるようにホテルやレストラン、酒場が建ち並び、1837年にはプロクター・アンド・ギャンブルが創立した。市のこうした急成長の最中、シンシナティの住民は市をQueen City(女王都市)と呼ぶようになった。1850年には、シンシナティは115,435人の人口を抱え、ニューヨーク(515,547人)、ボルチモア(169,054人)、ボストン(136,881人)、フィラデルフィア(121,376人)、ニューオーリンズ(116,375人)に次ぐ全米第6の都市に成長していた。

地下鉄道の経路図(1830-65年)

南北戦争前夜には、オハイオ川1本隔てた対岸は南部の奴隷州という立地から、シンシナティは自由を求めてオハイオ川を渡った逃亡奴隷をさらに北へと逃がす地下鉄道の重要な拠点、そして奴隷制廃止運動の中心地となった。ハリエット・ビーチャー・ストウはシンシナティに住んでいた間、逃亡奴隷に会い、その話を基にして「アンクル・トムの小屋」を書き上げた。リーヴァイ・コッフィン1847年インディアナ州からシンシナティに移り、ここを奴隷制廃止活動の拠点とした。

しかしそれと同時に、逃亡奴隷を捕捉して南部へ送り返そうとする者や、奴隷制廃止に反対の立場を取る者もまた多くいた。またこの時期のシンシナティの地域経済自体が、奴隷州との通商に大きく支えられていた。こうした背景から、19世紀中盤のシンシナティではしばしば人種がらみの暴動が起きた。1829年には、奴隷制廃止反対派が市内の黒人を攻撃し、暴動となった。この結果、1,200人の黒人が街を離れ、カナダに避難した。この暴動と避難は全米で議論を呼び、1830年にフィラデルフィアで第1回黒人会議が開かれるに至った。1836年には、700人の奴隷制廃止反対派が群れを成して黒人居住地区に攻撃を仕掛け、また奴隷制廃止派の週刊誌、The Philanthropist誌の本社を破壊した。同種の暴動は1841年にも起きた。1850年逃亡奴隷法が成立すると、そうした緊張はさらに高まった。

南北戦争中には、シンシナティはその地理的条件から、北軍の重要な兵站拠点としての役割を果たすとともに、オハイオ軍管区の司令部が置かれた。また、郊外には新兵の徴集、訓練、および負傷兵の治療の拠点としてキャンプ・デニソンが設置された。その一方で、シンシナティは南軍にとっては格好の標的であった。1862年9月には、南軍の准将ヘンリー・ヒースが約8,000の兵を率いてシンシナティに侵攻しようとした。しかし、北軍の少将ルー・ウォーレスが指揮する約25,000のオハイオ軍に加えて、州知事デイビッド・トッドの号令で集結した、Squirrel Hunters(リス猟師)と呼ばれた約60,000の民兵が街の守りに就き、ヒース隊を撤退させた。シンシナティの防衛成功により、ウォーレスは一躍、この地の英雄として讃えられた。

シンシナティの豚肉加工(1873年)

南北戦争が終わると、蒸気船に代わって、鉄道交通が目覚ましい成長を遂げたが、主要路線の多くは東部と北西部を結ぶものであった。シンシナティ市当局は工業化の進む中西部南部の天然資源をもたらすのみならず、戦後復興の進む南部市場にアクセスする手段ともなる鉄道の必要性を認識し、1869年にシンシナティ・サザン鉄道を建設する法案を可決した。この鉄道は11年後の1880年に開通し、シンシナティとテネシー州チャタヌーガとが結ばれた。

19世紀後半のシンシナティでは食肉加工に加えて、製鉄、繊維、木材加工といった産業が発展した。また、1889年には、もともとは馬車であったストリートカーが電化された。しかし、この頃になると、大陸横断鉄道の連節点となったシカゴセントルイスが急速な成長を遂げ、また州内でも製鉄をはじめとする重工業都市としてクリーブランドが台頭してきたこともあり、シンシナティは成長を続けながらもその相対的な地位を落とした。それでもなお、1900年に至るまで、シンシナティは全米10大都市の1つに名を連ねていた。1929年世界恐慌の際には、シンシナティが受けた経済的打撃は、鉄道よりも安価であるという理由による河川交通の盛り返しで相殺され、結果として全米の他の大都市に比べると軽微なものにとどまった。

ファウンテン・スクエア(1907年)

20世紀に入ると、シンシナティにも超高層ビルが建てられるようになった。1913年に完成したユニオン・セントラル・タワー(現称: PNCタワー)は、31階建て、高さ151mで、当時としては世界で5番目に高いビルであった。1931年には、カリュー・タワーが、世界恐慌の影響で建設費削減のためのデザイン変更を余儀なくされながらも完成した。

シンシナティの人口は20世紀に入っても中盤まで緩やかではあるものの増え続け、1950年には人口503,998人でピークに達した。しかし、それ以降は全米の、特に東部・中西部の他の多くの大都市と同様、高速道路網の発達による郊外への人口流出等の要因によって、シンシナティの人口は減少に転じた。

1970年代以降、シンシナティはダウンタウンを活性化する試みを行ってきた。1971年には、天候や路上の交通渋滞を気にせずにダウンタウン内を行き来できるよう、ダウンタウンの中心、ファウンテン・スクエアと、その3ブロック西のコンベンションセンターとを結ぶスカイウォークが設置された。このスカイウォークは1970-80年代にかけて立て続けに延伸され、1997年に全長2.1kmが完成した。しかし2000年代に入ると、スカイウォークの存在によって地上を行き来する歩行者が減り、ダウンタウンの活性化の妨げになっているという指摘がなされるようになり、経路途中のビルや施設の取り壊しや改修もあいまって、スカイウォークの一部が取り壊されていき、途切れるようになった。2003年には、ダウンタウンやその北に隣接するオーバー・ザ・ライン地区の再生をミッションとする、シンシナティ都心開発公社(3CDC)が設立された。

地理

シンシナティは北緯39度6分6秒西経84度30分45秒に位置している。州都コロンバスからは南西へ約170km、インディアナポリスからは南東へ約180km、シカゴからは南東へ約470kmに位置する。市はケンタッキー州との州境になっているオハイオ川に面しており、インディアナ州との州境からは東へ約35kmである。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、シンシナティ市は総面積206.01km(79.54mi)である。そのうち201.86km(77.94mi)が陸地で4.14km(1.60mi)が水域である。総面積の2.01%が水域となっている。都市圏はハミルトン郡を中心に、オハイオ州南西部、ケンタッキー州北部、およびインディアナ州南東部の16郡にまたがり、その面積は11,794kmである。

地形

オハイオ州における地形区分

オハイオ州南西端、オハイオ川中流域の北岸に位置するシンシナティは、アメリカ合衆国における地域区分では中西部とされるが、地形区分的にはアップランドサウスの北縁とみなされ、ケンタッキー州北部と同様にブルーグラス地域に含められる。この地域は石灰岩性の地質で、なだらかな丘が連なり、オハイオ川をはじめとする河川が深さ120-150mにおよぶ谷を刻んでいる。シンシナティは中心部こそ、オハイオ川が形成した盆地状の谷間に広がっており、平坦であるものの、周縁の住宅地は丘陵地帯へと広がっており、起伏に富んでいる。また中心部のすぐ東側のマウント・アダムズ地区などでは、丘陵がオハイオ河岸のかなり近くまで迫っており、オハイオ川を見下ろす高台という立地になっている。市中心部の標高は168mであるが、周縁部の標高は概ね200-280m程度である。

こうした地形のため、市内の丘の斜面には400ヶ所もの市営の歩道階段があり、実用のほか、ジョギングやハイキングにも使われている。また、19世紀後半から20世紀中盤にかけては、シンシナティには5本のインクラインが運行されていた。

気候

シンシナティ
雨温図(説明)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
81
4
-5
 | 
64
7
-4
 | 
99
12
1
 | 
91
19
6
 | 
114
24
11
 | 
99
29
16
 | 
104
30
19
 | 
91
30
18
 | 
81
26
14
 | 
69
20
7
 | 
84
13
2
 | 
79
6
-3

気温(°C)
総降水量(mm)
出典:Weatherbase.com

インペリアル換算
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
3.2
40
23
 | 
2.5
44
25
 | 
3.9
54
33
 | 
3.6
66
43
 | 
4.5
75
53
 | 
3.9
83
62
 | 
4.1
87
66
 | 
3.6
85
64
 | 
3.2
79
57
 | 
2.7
68
45
 | 
3.3
55
35
 | 
3.1
43
27

気温(°F)
総降水量(in)

シンシナティの気候は中西部としては温暖な部類に入り、夏は南部同様に暑く湿気が多いものの、同緯度の東海岸諸都市と比べると冬の寒さが厳しい、内陸性の気候である。最も暖かい7月の平均気温は24℃、日中の最高気温の平均は30℃に達する。最も寒い1月の平均気温は氷点下0.5℃、最低気温の平均は氷点下5℃まで下がる。1年を通じて平均的に降水があり、降水量は月間約70-110mm、年間約1,060mmである。また、州北部・エリー湖岸のクリーブランド等と比べるとかなり少ないものの、冬季には降雪も見られる。12月から3月までの降雪量は月間5-12cm程度、ひと冬では約37.5cmである。ケッペンの気候区分では、シンシナティは温暖湿潤気候(Cfa)に属する。

シンシナティの気候
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月

平均気温() -0.5 | 1.4 | 6.4 | 12.5 | 17.7 | 22.4 | 24.6 | 23.7 | 19.9 | 13.5 | 7.3 | 1.7 | 12.6
降水量(mm) 81.3 | 63.5 | 99.1 | 91.4 | 114.3 | 99.1 | 104.1 | 91.4 | 81.3 | 68.6 | 83.8 | 78.7 | 1,056.6

都市概観と建築物

ファウンテン・スクエア

シンシナティの街路はダウンタウンでこそ比較的整然と区画されているものの、周縁部では起伏に富んだ地形のために入り組んでいる。東西に通る通りはバイン・ストリートを境にE(東)とW(西)に分かれている。一方、南北に通る通りには南と北の区別は無い。東西に通る通りには、数字のついた通りがいくつかあり、オハイオ川から離れるほど数字が大きくなる。

ダウンタウンの中心となっているのは、バイン・ストリート、5thストリート、フィフス・サード・センター、およびフィフス・サード・タワーに囲まれた、ファウンテン・スクエアという広場である。この広場は、1871年に肉屋の跡地に造られたもので、2005年にダウンタウン再開発の一環として、3CDCによって大規模な改修が行われた。その名が示す通り、ファウンテン・スクエアの中央にはタイラー・デイビッドソン・ファウンテンという噴水が設けられている。この噴水の池は緑色の御影石造で、To the People of Cincinnati(シンシナティ市民へ)と彫られている。Genius of Waterと名付けられている、この噴水の中央に立つ、両腕を広げた女神の銅像は、ミュンヘンの彫刻家フェルディナンド・フライハー・フォン・ミラーの手によるものである。また、冬季には、タイラー・デイビッドソン・ファウンテンの前(5thストリート側)にスケートリンクが設けられる。

 |  | 
左: カリュー・タワー
右: グレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエア

シンシナティで最も高い建物は、ダウンタウンの南東端、シカモア・ストリートと3rdストリートの北東角に建つ、41階建て、高さ203mのグレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエアである。2011年に完成したこの超高層ビルは小圃千浦の息子で、日系アメリカ人建築家のギョウ・オバタが設計したもので、ダイアナティアラから着想を得た、市の愛称であるQueen Cityにもちなんだティアラが屋上に被せられていることが特徴である。このティアラは鋼鉄のでできており、高さ40m、重さは400tである。このグレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエアに次いで高いビルが、ファウンテン・スクエアの南西に隣接するブロックに建ち、シンシナティのシンボルともなっている、49階建て、高さ175mのカリュー・タワーである。当時流行のアール・デコ様式で建てられたこのビルは、グレート・アメリカン・タワー・アット・クイーン・シティ・スクエアが完成するまで80年にわたって、シンシナティで最も高いビルであった。カリュー・タワーは1982年国家歴史登録財に、また1994年には国定歴史建造物にそれぞれ登録された。

ダウンタウンの北に隣接するオーバー・ザ・ライン地区は、シンシナティ最古、かつ最大の歴史地区で、1842年カトリックのシンシナティ大司教区内の教区教会の1つであるオールド・セント・メアリーズ教会が建てられて以来の歴史を持っている。362.5エーカー(1.47km)の地区内にはギリシアリバイバル、イタリアネイト、クイーン・アンなどの建築様式の歴史的建築物約1,100棟が残されている。オーバー・ザ・ライン地区は、1983年に地区全体が国家歴史登録財に登録された。

政治

シンシナティ市庁舎

シンシナティはシティー・マネージャー制を採っている。シティー・マネージャーは市の行政実務の最高責任者であり、約6,300人の職員を抱える市政府の長である。市の立法機関である市議会は9人の議員から成っており、その任期は4年で、連続2選までに制限されている。市長は市の公式な長であり、様々な場で市の代表としての役割を果たす。市議会においては、市長はその全会議に出席し、かつ特別会議を招集することもできるが、投票権は有さず、拒否権を有している。また、市長は市議員の中から、副市長や市議会議長を任命する。市長はシティー・マネージャーの任命権限も有しているが、任命したシティー・マネージャー候補者が実際に選出されるためには、過半数にあたる5人の市議員の賛成を得る必要がある。市議会議員は全市からの投票で、上位9人が選出される。市長は市議会議員とは別に、全市からの投票で選出される。

シンシナティの市政選挙が現在の形になるまでには紆余曲折があった。1924年までは、シンシナティ市議会は選挙区制が採られていた。しかし、1880年代から1920年代にかけて、共和党マシーンで、地元政界のボスであったジョージ・B・コックスの下、市議会は選挙区制によって共和党1党で占められ、腐敗の温床になっていた。そこで1924年に、別の共和党員マレー・シーズングッドが中心となって市政改革が行われ、選挙区を廃して全市からの投票に移行するとともに、シティー・マネージャー制を導入した。1924年から1957年までは、市議員は比例代表制で選出されていたが、1957年からは、上位9候補が選出される方式に改められた。この当時、市長は市議会によって選出されていたが、1987年にトップ当選者が自動的に市長に選出されるように改められ、その後1999年に、市議員とは別に選出されるように改められた。

治安

シンシナティの地区ごとの凶悪犯罪件数の割合(2008年)

シンシナティ消防局は1853年、全米で初めて創設された、満額支給の職業消防局である。同局は市内26ヶ所に、市全域をカバーできるように消防署を配置し、消火、救急隊二次救命処置放火捜査、防火、および危険物事故処理を行っている。

シンシナティ市警察は約1,000人の警察官、および125人の文官を抱えており、巡回、捜査、およびサポートの3部隊に分かれている。

シンシナティの犯罪件数は2001年の暴動で急増した後、年を経るごとに減少傾向にはあるものの、治安は良いほうであるとは言えない。CQプレス社傘下、モーガン・クイットノーによる調査では、シンシナティはたびたび「全米の危険な都市」ワースト25に入る。同社の2013年の調査では、シンシナティは全米で20番目に危険な都市であると報じられた。殺人の発生率が高く、人口100,000人あたりの年間発生件数は20件前後で推移している。前述のモーガン・クイットノーの調査の基となった、連邦捜査局(FBI)の2011年のデータでは、人口100,000人あたり20.5件で、全米平均(人口100,000人あたり4.7件)の4倍を超える高い値である。州内の他の主要都市と比べると、シンシナティの治安はクリーブランドよりはかなり良く、コロンバスよりは悪い。

しかし、全米の多くの都市同様に、犯罪件数の多い地域は限られている。シンシナティでは、ダウンタウン、およびその北西に位置するイースト・ウェストウッド、サウス・フェアマウント、ノース・フェアマウント、イングリッシュ・ウッズの各地区が犯罪多発地区となっており、これら5地区だけで全市の3割を占めている。このうち、ダウンタウンを除いた市中西部の4地区に共通しているのは、低所得者層向けのセクション8と呼ばれる集合住宅が建ち並ぶなど、住民の所得水準が低いことである。2000年代中盤までは、オーバー・ザ・ライン地区は麻薬がらみの暴力犯罪が頻発する、全市最悪の犯罪多発地区であったが、その後は市警察と3CDC協同の再開発の成功により、同地区における犯罪は激減した。

経済

プロクター・アンド・ギャンブル本社

シンシナティ市内には、アメリカ合衆国内34州に2,600店舗以上を有する、世界最大のスーパーマーケットチェーンであるクローガーや、世界180ヶ国以上で製品を販売する一般消費財製造・商社であるプロクター・アンド・ギャンブルをはじめ、フォーチュン500に入る企業が5社本社を置いている。また、オハイオ州を代表する銀行の1つであるフィフス・サード銀行は、ファウンテン・スクエアの隣に本社ビルを構えている。また、シンシナティにはクリーブランド連邦準備銀行の支店も置かれている。

加えて、ケンタッキー州側のコビントンには、石油化学をはじめとする総合化学グループのアシュランドが、またハイランドハイツには電気・通信ケーブルの製造を行うゼネラル・ケーブルがそれぞれ本社を置いている。また、シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港に程近いアーランガーには、トヨタ自動車の在米子会社であるトヨタ・モーター・エンジニアリング・アンド・マニュファクチャリング・ノース・アメリカが本社を置いている。

シンシナティ都市圏に本社を置くフォーチュン500企業
【順位】
【企業名】
【業種】
本社所在地
24 | クローガー | 小売 | シンシナティ
31 | プロクター・アンド・ギャンブル | 一般消費財 | シンシナティ
107 | メイシーズ | 小売 | シンシナティ
344 | アシュランド | 化学 | コビントン
361 | フィフス・サード・バンコープ&n
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/10/27 08:51

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