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ジム・パチョレックとは?

【国際大会】

【代表チーム】
アメリカ合衆国
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


ジェームズ・ジョゼフ・パチョレック(James Joseph Paciorek , 1960年6月7日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト出身のプロ野球選手(内野手外野手)。右投右打。NPBでの登録名は「ジェームス・パチョレック」。愛称は「パッキー」。

目次

  • 1 経歴
  • 2 家族
  • 3 詳細情報
    • 3.1 年度別打撃成績
    • 3.2 獲得タイトル
    • 3.3 表彰
    • 3.4 記録
    • 3.5 背番号
    • 3.6 代表歴
  • 4 脚注
    • 4.1 注釈
    • 4.2 出典
  • 5 関連項目
  • 6 外部リンク

経歴

ミシガン大学在学中の1981年には第10回日米大学野球選手権ワールドゲームズのアメリカ合衆国代表に選ばれている。ちなみに、日米大学野球選手権での4番打者が後にNFLでスーパースターとなるジョン・エルウェイだった(ただし、不振のため、終盤にはパチョレックに4番を譲る)。また、パチョレック自身も野球だけでなくアメリカンフットボールのレギュラーも務めるほどの体格と運動神経を持っており、もともと大学にはフットボールでの奨学金で入学していた。この年のMLBドラフト14巡目(全体350位)でクリーブランド・インディアンスから指名されるが契約せず、翌1982年MLBドラフト8巡目(全体209位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名され契約。その後、マイナーリーグでも長打力よりは確実性を重視する打者で、シーズン本塁打はAA級エルパソ・ディアブロス時代の9本塁打が最高であった。1987年は、AAA級バンクーバー・カナディアンズで自己最高のペースで成績を残していたため、初めてメジャーに昇格し、主に一塁手三塁手として48試合に出場した。余談だが、初めて先発出場した試合(4月15日ボルチモア・オリオールズ戦)ではフアン・ニエベスがブルワーズ球団史上初のノーヒットノーランを達成。この試合は当時レギュラー左翼手であったロブ・ディアーが故障したため、代わりに左翼手として出場したもので、ファインプレーを演じ、快挙達成に一役買った。

1988年からは大学時代に日米大学野球で訪れた日本でのプレーを希望し、横浜大洋ホエールズに入団。同年は打率2位、安打数1位という好成績を残し、外野手としてセントラル・リーグベストナインに選ばれた。また、おとなしい性格だが真面目な態度と確実性のある打撃からたちまち人気を得た。その後も、4番打者カルロス・ポンセの後を打つ5番打者として毎年安定した結果を残し、1989年にも打率2位となり、1990年には念願の首位打者のタイトルを獲得した。だが1991年、前半戦での不振が響いて、それまでの3年間を下回る成績に終わり、更に大洋フロント陣から「ホームランが少ない」と指摘され、大洋はこの年限りで契約を打ち切った。大洋時代の応援歌は大脱走のテーマソングであった。

1992年からはトーマス・オマリーの誘いもあり、同じセ・リーグの阪神タイガースに移籍した。同年、ラッキーゾーンが本拠地阪神甲子園球場から撤去され、守備力が向上した阪神は、優勝は逃したものの、1986年以来となるAクラスに入った。当初3番打者を任されていたが、シーズン後半からはケガで戦列を離れたオマリーに代わって4番打者に選ばれ、リーグ最多となる159安打、14勝利打点で期待に応え、ベストナインとゴールデングラブ賞の一塁手部門に選ばれた。

1993年は、外国人選手を3名以上出場選手登録することができなかったため、パチョレック、郭李建夫、オマリーのうち1人が出場できないことがネックとなっていた。マスコミはこれを当時国際問題になっていた国連平和維持活動のニュースに、3人の姓の頭文字をかけて「(阪神)PKO問題」と報じた。当初は実績のあるパチョレックとオマリーが出場していたが、腰痛のため出場機会が少なくなり、出場選手登録枠を郭李に譲って二軍に落ちると、シーズン中に現役引退を表明して帰国した。オマリーがお立ち台で関西弁を駆使して「阪神ファンは1番や!」と絶叫して人気を集めていたが、パチョレックもお立ち台で「阪神ファンは10番目の野手」とファンの持つ大きな力に感謝する発言をしていた。また、不振だった1993年にオールスターにファン投票で選ばれたことに感激していた。

引退翌年には1年間阪神のアメリカ在住スカウト、その後は母校の高校でコーチをしていた。

2004年4月6日、横浜市と外務省が中心となって進めていた「日米交流150年」記念セレモニーの一環として、横浜スタジアムで行われた古巣・横浜対阪神のホーム開幕戦(横浜主催試合)の始球式を務めるため11年ぶりに来日。この時「僕は両チームとも在籍したけどあえて言うならクジラ(大洋の意味)のファンだね」との言葉を残し母国へ帰っていった。

家族

パチョレック家は、ジムを含め三兄弟でメジャー経験がある。長兄ジョン・パチョレック1963年ヒューストン・コルト45's(現在のアストロズ)で1試合に出場し、3打数3安打3打点2四球4得点。「生涯打率10割の選手で最多安打」の記録を残している。次兄トム・パチョレック1970年から1987年にかけてロサンゼルス・ドジャースを皮切りに6球団でプレーし、1392試合に出場し1162安打・86本塁打・打率.282という成績を残している。

2007年6月に行われたMLBドラフトでは、息子のジョーイ・パチョレックが15巡目(全体461位)で自身もかつて在籍したブルワーズから指名された。

詳細情報

年度別打撃成績




【球

団】


































































O
P
S

1987 | MIL | 48 | 116 | 101 | 16 | 23 | 5 | 0 | 2 | 34 | 10 | 1 | 0 | 0 | 3 | 12 | 0 | 0 | 20 | 3 | .228 | .302 | .337 | .638
1988 | 大洋 | 130 | 537 | 497 | 58 | 165 | 33 | 2 | 17 | 253 | 76 | 6 | 4 | 1 | 4 | 30 | 5 | 5 | 59 | 16 | .332 | .373 | .509 | .882
1989 | 118 | 473 | 435 | 48 | 145 | 32 | 3 | 12 | 219 | 62 | 2 | 3 | 2 | 2 | 33 | 4 | 1 | 45 | 9 | .333 | .380 | .503 | .885
1990 | 133 | 562 | 527 | 78 | 172 | 36 | 3 | 17 | 265 | 94 | 3 | 2 | 0 | 4 | 26 | 5 | 5 | 47 | 14 | .326 | .361 | .503 | .864
1991 | 114 | 487 | 442 | 52 | 137 | 23 | 1 | 11 | 195 | 75 | 0 | 4 | 0 | 10 | 31 | 9 | 4 | 49 | 15 | .310 | .353 | .441 | .794
1992 | 阪神 | 129 | 562 | 512 | 73 | 159 | 33 | 0 | 22 | 258 | 88 | 0 | 2 | 0 | 6 | 40 | 1 | 4 | 73 | 18 | .311 | .361 | .504 | .865
1993 | 74 | 297 | 263 | 24 | 64 | 12 | 1 | 7 | 99 | 36 | 1 | 1 | 0 | 2 | 32 | 0 | 0 | 45 | 13 | .243 | .323 | .376 | .700
MLB:1年 48 | 116 | 101 | 16 | 23 | 5 | 0 | 2 | 34 | 10 | 1 | 0 | 0 | 3 | 12 | 0 | 0 | 20 | 3 | .228 | .302 | .337 | .638
NPB:6年 698 | 2918 | 2676 | 333 | 842 | 169 | 10 | 86 | 1289 | 431 | 12 | 16 | 3 | 28 | 192 | 24 | 19 | 318 | 85 | .315 | .361 | .482 | .843

獲得タイトル

NPB

表彰

NPB

記録

NPB初記録
NPBその他の記録

背番号

代表歴

脚注

注釈

  1. ^ それでも最終的には最多勝利打点のタイトル(特別賞)を獲得した。
  2. ^ 後にオマリーが一軍へ定着し、自身と郭李の争い(後述を参照)となった際には「PK合戦」と報じた。

出典

  1. ^ 「PKO問題」から「PK合戦」になり、最後は郭李建夫の不戦勝?【1993年8月28日】”. ニコニコニュース (2017年8月28日). 2017年8月28日閲覧。
  2. ^ 井口英規 『「想い出球人 第111回 J・パチョレック」 『週刊ベースボール』2004年5月10日号』、2004年、78-79頁。2018年9月30日閲覧。
  3. ^ 個人打撃月間記録セ・リーグ公式サイト

関連項目

外部リンク


業績
セントラル・リーグ首位打者
1950年代 | 

1960年代 | 
  • 1960 長嶋茂雄
  • 1961 長嶋茂雄
  • 1962 森永勝治
  • 1963 長嶋茂雄
  • 1964 江藤慎一
  • 1965 江藤慎一
  • 1966 長嶋茂雄
  • 1967 中暁生
  • 1968 王貞治
  • 1969 王貞治

  • 1970年代 | 
  • 1970 王貞治
  • 1971 長嶋茂雄
  • 1972 若松勉
  • 1973 王貞治
  • 1974 王貞治
  • 1975 山本浩二
  • 1976 谷沢健一
  • 1977 若松勉
  • 1978 水谷実雄
  • 1979 F.ミヤーン

  • 1980年代 | 
  • 1980 谷沢健一
  • 1981 藤田平
  • 1982 長崎啓二
  • 1983 真弓明信
  • 1984 篠塚利夫
  • 1985 R.バース
  • 1986 R.バース
  • 1987 篠塚利夫, 正田耕三
  • 1988 正田耕三
  • 1989 W.クロマティ

  • 1990年代 | 
  • 1990 J.パチョレック
  • 1991 古田敦也
  • 1992 J.ハウエル
  • 1993 T.オマリー
  • 1994 A.パウエル
  • 1995 A.パウエル
  • 1996 A.パウエル
  • 1997 鈴木尚典
  • 1998 鈴木尚典
  • 1999 R.ローズ

  • 2000年代 | 
  • 2000 金城龍彦
  • 2001 松井秀喜
  • 2002 福留孝介
  • 2003 今岡誠
  • 2004 嶋重宣
  • 2005 青木宣親
  • 2006 福留孝介
  • 2007 青木宣親
  • 2008 内川聖一
  • 2009 A.ラミレス

  • 2010年代 | 
  • 2010 青木宣親
  • 2011 長野久義
  • 2012 阿部慎之助
  • 2013 T.ブランコ
  • 2014 M.マートン
  • 2015 川端慎吾
  • 2016 坂本勇人
  • 2017 宮崎敏郎
  • 2018 D.ビシエド


  • セントラル・リーグ最多勝利打点
    1980年代 | 

    1990年代 | 
  • 1990 広沢克己
  • 1991 J.パチョレック
  • 1992 広沢克己, J.パチョレック
  • 1993 落合博満
  • 1994 R.ローズ
  • 1995 T.オマリー
  • 1996 T.オマリー
  • 1997 鈴木尚典
  • 1998 山崎武司
  • 1999 R.ペタジーニ

  • 2000年代 | 
  • 2000 鈴木尚典, 江藤智

  • 注記

    1981年から1988年まではNPB打撃タイトル
    1989年から2000年まではセ・リーグ特別賞
    2000年限りで廃止



    セントラル・リーグ ベストナイン(外野手)
    1950年代 | 

    1960年代 | 
  • 1960 中利夫, 並木輝男, 森徹
  • 1961 江藤慎一, 近藤和彦, 森永勝治
  • 1962 近藤和彦, 並木輝男, 森永勝治
  • 1963 江藤慎一, 近藤和彦, 藤井栄治
  • 1964 江藤慎一, 近藤和彦, 重松省三
  • 1965 江藤慎一, 近藤和彦, 中暁生
  • 1966 江藤慎一, 中暁生, 山本一義
  • 1967 近藤和彦, 柴田勲, 中暁生
  • 1968 江藤慎一, D.ロバーツ, 山内一弘
  • 1969 高田繁, D.ロバーツ, 山本一義

  • 1970年代 | 
  • 1970 江尻亮, 高田繁, 中暁生
  • 1971 柴田勲, 高田繁, 水谷実雄
  • 1972 柴田勲, 高田繁, 若松勉
  • 1973 江尻亮, 柴田勲, 若松勉
  • 1974 G.マーチン, 末次利光, 若松勉
  • 1975 井上弘昭, 山本浩二, ロジャー
  • 1976 張本勲, 谷沢健一, 若松勉
  • 1977 張本勲, 山本浩二, 若松勉
  • 1978 C.マニエル, 山本浩二, 若松勉
  • 1979 M.ラインバック, 山本浩二, 若松勉

  • 1980年代 | 
  • 1980 杉浦亨, 山本浩二, 若松勉
  • 1981 J.ライトル, 田尾安志, 山本浩二
  • 1982 田尾安志, 長崎啓二, 山本浩二
  • 1983 田尾安志, 松本匡史, 山本浩二
  • 1984 山崎隆造, 山本浩二, 若松勉
  • 1985 杉浦享, 真弓明信, 山崎隆造
  • 1986 W.クロマティ, 山本浩二, 吉村禎章
  • 1987 W.クロマティ, C.ポンセ, 吉村禎章
  • 1988 C.ポンセ, J.パチョレック, 広沢克己
  • 1989 W.クロマティ, 彦野利勝, 山崎賢一

  • 1990年代 | 
  • 1990 J.パチョレック, 原辰徳, 広沢克己
  • 1991 R.J.レイノルズ, 原辰徳, 広沢克己
  • 1992 飯田哲也, 前田智徳, L.シーツ
  • 1993 A.パウエル, 新庄剛志, 前田智徳
  • 1994 A.パウエル, G.ブラッグス, 前田智徳
  • 1995 A.パウエル, 金本知憲, 松井秀喜
  • 1996 A.パウエル, 松井秀喜, 山崎武司
  • 1997 鈴木尚典, D.ホージー, 松井秀喜
  • 1998 鈴木尚典, 前田智徳, 松井秀喜
  • 1999 関川浩一, 高橋由伸, 松井秀喜

  • 2000年代 | 
  • 2000 金本知憲, 新庄剛志, 松井秀喜
  • 2001 稲葉篤紀, 金本知憲, 松井秀喜
  • 2002 清水隆行, 福留孝介, 松井秀喜
  • 2003 赤星憲広, A.ラミレス, 福留孝介
  • 2004 金本知憲, 嶋重宣, T.ローズ
  • 2005 青木宣親, 赤星憲広, 金本知憲
  • 2006 青木宣親, 金本知憲, 福留孝介
  • 2007 青木宣親, A.ラミレス, 高橋由伸
  • 2008 A.ラミレス, 青木宣親, 金本知憲
  • 2009 A.ラミレス, 青木宣親, 内川聖一

  • 2010年代 | 
  • 2010 M.マートン, 青木宣親, 和田一浩
  • 2011 長野久義, M.マートン, 青木宣親
  • 2012 長野久義, 大島洋平, W.バレンティン
  • 2013 W.バレンティン, M.マートン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  • 出典:wikipedia
    2018/12/03 12:16

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