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スペイン第二共和政とは?

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スペイン共和国
República Española
 | 1931年 - 1939年 | 


(国旗) | (国章)
国の標語: Plus Ultra
(スペイン語:更なる前進)
国歌: リエゴ賛歌
公用語 スペイン語
首都 マドリード
(1931年-1936年)
バレンシア
(1936年-1937年)
バルセロナ
(1937年-1939年)
大統領
1931年 - 1936年 ニセート・アルカラ=サモーラ
1936年 - 1939年 マヌエル・アサーニャ
首相
1931年 - 1936年 ニセート・アルカラ=サモーラ(初代)
1937年 - 1939年 フアン・ネグリン(最後)
変遷
選挙により共和派が勝利 1931年4月12日
【国王亡命により共和制移行】
1931年4月14日
【選挙により人民戦線政府成立】
1936年2月16日
スペイン内戦勃発 1936年7月17日
敗戦により亡命 1939年4月1日

通貨
ペセタ
【現在】
スペイン
モロッコ
赤道ギニア
サハラ・アラブ民主共和国
スペインの歴史


先史時代

古代
イベリア人

タルテッソス
紀元前4世紀
第二次ポエニ戦争
219-201 BC
第一次ケルティベリア戦争
181-179 BC
ルシタニア戦争
155-140 BC
ヌマンティア戦争
153-133 BC
ヒスパニア

ヒスパニア・タラコネンシス
ヒスパニア・バエティカ
ルシタニア

中世
スエビ王国
409-585
西ゴート王国
415-711
アル=アンダルス
711-1492
ウマイヤ朝
711-750
後ウマイヤ朝
756-1031
タイファ諸王国
1031-1492
ムラービト朝 1040-1147
ムワッヒド朝 1130-1269
ナスル朝 1232-1492
レコンキスタ
718-1492
アストゥリアス王国
718-925
レオン王国
910-1052
カスティーリャ王国
1035-1715
アラゴン連合王国
1137-1716
スペイン辺境領 795-987
カタルーニャ君主国 987-1716
ナバラ王国 824-1620
アラゴン王国 1035-1715

近世
カトリック両王
1474-1504
黄金世紀
1492-1681
アブスブルゴ朝
1504-1700
ボルボン朝
1700-現在

近代
半島戦争
1808-1814
ホセ1世の治世 1808-1813
最高中央評議会 1808-1810
カディス・コルテス 1810-1814
フェルナンド7世の治世
1814-1833
絶対主義の六年間 1814-1820
自由主義の三年間 1820-1823
忌むべき十年間 1823-1833
イサベル2世の治世
1833-1868
カルリスタ戦争 1833-1876
穏健派の十年間 1844-1854
進歩派の二年間 1854-1856
自由主義連合政府 1856-1863
1868年革命 1868
民主主義の六年間
1868-1874
臨時政府 1868-1871
アマデオ1世の治世 1871-1873
第一共和政 1873-1874
王政復古
1874-1931
プリモ・デ・リベラの独裁 1923-1930

現代
第二共和政
1931-1939
改革主義の二年間 1931-1933
暗い二年間 1933-1936
人民戦線政府 1936-1939
スペイン内戦 1936-1939
フランコ体制
1939-1975
第二次世界大戦 1939-1945
フアン・カルロス1世の治世
1975-2014
民政移管 1975-1982
フェリペ6世の治世
2014-現在

テーマ別


スペイン第二共和政(西: Segunda República Española)は、1931年国王アルフォンソ13世が退位した後、1939年フランシスコ・フランコが独裁体制を固めるまで続いたスペイン共和政体。公式国名はスペイン共和国

目次

  • 1 概要
  • 2 第二共和政期の大統領
  • 3 関連項目
  • 4 脚注
  • 5 参考文献

概要

第一次世界大戦に起因する経済の停滞は戦後も続き、貧民層は困窮に喘いでいた。各地で反政府運動が激化し、1923年9月にプリモ・デ・リベーラ陸軍大将がクーデターを起こして政権を奪取した。混乱期を豪腕で凌いだプリモ・デ・リベーラであったが、次第に強権的政治に対する民衆の不満は高まり、1930年には退陣へと追い込まれた。政権の崩壊に伴い、王制打倒を目指す共和派や共産党などの左派政党が民衆の支持を集めるようになり、1931年4月12日地方選挙が行われた。このような情勢下、選挙結果が確定する前に国王アルフォンソ13世は退位し亡命、4月14日に無血革命による第二共和政が成立した。

新政府は左翼的な新憲法の下、貧困層救済を重視した政策を展開したが、早々から政治的対立に起因する治安の悪化を招いた。失業者の一部は急進的な労働組合に所属し、激しいデモやテロを繰り返した。また、政教分離を進めた結果、敬虔なカトリックである民衆の支持を失った。政治は迷走を繰り返し、政権の退陣も頻繁に発生した。これらの政治的混乱は議会制民主主義への失望を招き、ファシズム政権の樹立を待望する主張が日増しに強まっていった。

1936年2月16日人民戦線が政権を獲得すると左派と右派の対立は決定的となり、7月、フランシスコ・フランコ将軍率いる反乱軍がスペイン領モロッコのメリリャでクーデターを起こし、スペイン各地で反乱が頻発。後にスペイン内戦へと突入していった。ヒトラーナチス・ドイツムッソリーニイタリア王国サラザールポルトガルから支援を受ける反乱軍は、スターリンソビエト連邦カルデナス政権のメキシコが支援する左派の人民戦線側を圧倒し、1939年には首都マドリードが陥落。反乱軍の勝利によって第二共和政は終焉を迎えた。

敗戦後、第二共和政の残党はフランスに逃れて亡命政府を結成したが、1940年ナチス侵攻後はメキシコに移転した。第二次世界大戦中、首相のフアン・ネグリンロンドンに駐在した。戦後は拠点をパリに移し、メキシコの他パナマグアテマラベネズエラポーランドチェコスロバキアハンガリーユーゴスラビアルーマニアアルバニアなどが国家承認した。

フランコの死後、亡命政府は王政復古を受け入れることを決定、1977年7月1日に解散した。

第二共和政期の大統領

関連項目

脚注

  1. ^ 1931年憲法(Constitución española de 1931)第4条の規定で、「カスティーリャ語は共和国の公用語である」と規定されている。また、歴史的地方であるカタルーニャ、バスク、ガリシアについては自治憲章成立により、自治地方とされ、それぞれの言語が地方内においてカスティーリャ語と並んで、公用語(idioma cooficial)とされることとなった。カタルーニャでは1932年自治憲章(Estatuto de autonomía de Cataluña de 1932)が成立、カタルーニャ語はカタルーニャ地方での公用語化が成ったが、バスク地方での自治憲章(Estatuto de Autonomí­a del País Vasco de 1936)成立は内戦勃発後の1936年10月、ガリシア地方は内戦直前に住民投票によって自治憲章案(Estatuto de Autonomía de Galicia de 1936)が可決されたものの、その憲章案を国会にはかるため代表団がマドリード滞在中に内戦が勃発したため、結果的にバスク語、ガリシア語はそれぞれの地方において公用語とすることができなかった。

参考文献

『スペイン史2』関哲行、立石博高、中塚次郎、山川出版社〈世界歴史大系〉、2008年。 ISBN 978-4-634-46205-2。

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出典:wikipedia
2019/12/06 22:19

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