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ズラタン・イブラヒモビッチとは?

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ズラタン・イブラヒモヴィッチ

2018年のイブラヒモヴィッチ

【名前】

【愛称】
イブラカタブラ
【ラテン文字】
Zlatan IBRAHIMOVIC
【基本情報】

【国籍】
スウェーデン
ボスニア・ヘルツェゴビナ
イタリア
【生年月日】
(1981-10-03) 1981年10月3日(37歳)
【出身地】
マルメ
【身長】
195cm
【体重】
95kg
【選手情報】

【在籍チーム】
ロサンゼルス・ギャラクシー
【ポジション】
FW(CF / ST)
【背番号】
9
【利き足】
右足
【ユース】

1995-1999
マルメ
【クラブ】


クラブ | 出場 | (得点)
1999-2001
マルメ |  40  | (16)
2001-2004
アヤックス |  74  | (35)
2004-2006
ユヴェントス |  70  | (23)
2006-2009
インテル |  88  | (57)
2009-2011
バルセロナ |  29  | (16)
2010-2011
ACミラン (loan) |  29  | (17)
2011-2012
ACミラン |  32  | (28)
2012-2016
パリ・サンジェルマン |  122  | (113)
2016-2018
マンチェスターユナイテッド |  33  | (17)
2018-
LAギャラクシー |  15  | (12)
【代表歴】

1999
スウェーデン U-18 | 4  | (1)
2001
スウェーデン U-21 | 7  | (6)
2001-2016
スウェーデン | 116  | (62)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年3月22日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ズラタン・イブラヒモヴィッチ(Zlatan Ibrahimović スウェーデン語発音: [ˈslaːtan ɪbraˈhiːmɔvɪtɕ] ボスニア語発音: [zlǎtan ibraxǐːmoʋit͡ɕ], 1981年10月3日 - )は、スウェーデンマルメ出身のサッカー選手。元スウェーデン代表MLSLAギャラクシー所属。ポジションはフォワード。愛称はイブラカタブラ。

4つのリーグで優勝を経験し、5度の得点王を獲得したストライカー。サッカースウェーデン代表の最多得点記録の保持者である。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 生い立ち~マルメFF時代
    • 1.2 アヤックス時代
    • 1.3 ユヴェントス~インテル時代
    • 1.4 FCバルセロナ時代
    • 1.5 ACミラン時代
    • 1.6 パリ・サンジェルマン時代
    • 1.7 マンチェスター・ユナイテッド時代
    • 1.8 LAギャラクシー時代
  • 2 代表歴
  • 3 プレースタイル
  • 4 エピソード
  • 5 個人成績
    • 5.1 クラブでの成績
    • 5.2 代表での成績
    • 5.3 代表での得点
  • 6 タイトル
    • 6.1 クラブ
    • 6.2 個人
  • 7 著書
  • 8 脚注
  • 9 外部リンク

経歴

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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年7月)

生い立ち~マルメFF時代

イブラヒモビッチ」の姓が示す通り、ルーツをバルカン半島に持っておりスウェーデン人の血は引いていない。現在のボスニア・ヘルツェゴビナビイェリナ出身で、1977年にスウェーデンに移住したボシュニャク人の父シェフィク・イブラヒモヴィッチと、クロアチア人でザダル近郊のプルコス出身の母ユルカ・グラヴィッチとの間に生まれた。ふたりは移住先のスウェーデンで出会った。「イブラヒモヴィッチ」という姓は「イブラヒムの息子」という意味で、キリスト教徒が大半を占めるバルカン半島の中にあって、比較的ムスリムの比率が高いボスニアのボシュニャク人に多く見られる姓である。長男で兄弟には2人の弟と3人の妹がいる。マルメの移民コミュニティーがあるローセンゴード地区で育ち、6歳でサッカーを始めた。

幼い頃からその得点能力は顕著で、6点ビハインドの試合で交代選手として投入され9得点を挙げた経験を持つ。1995年マルメFFと契約し、1999年にトップチームデビューを果たす。しかしそのシーズン、マルメFFは2部リーグ降格となった。主力選手が移籍していく中、イブラヒモビッチはこれを「レギュラー獲りのチャンス」と考えて残留。その読み通りに翌シーズンはレギュラーとして活躍し、26試合12得点の成績を残してチームの1部リーグ復帰に貢献した。

アヤックス時代

この活躍を見たアヤックス・アムステルダムアーセナルなどのビッグクラブがイブラヒモビッチ獲得に乗り出し、特にアーセナルはアーセン・ヴェンゲル監督が自ら背番号9を保証するなど懸命に獲得を試みたが、2001年7月1日に10代の選手としては破格の、そしてチーム史上最高額の780万ユーロ(約10億2200万円)の移籍金を提示したアヤックスに移籍した。そのアヤックスでかつてマルコ・ファン・バステンパトリック・クライファートヌワンコ・カヌなどが背負った背番号9を受け継いだ。2001-2002シーズンのオランダカップ決勝で決勝ゴールを決めるなど徐々にチームの主力となった。2002-2003シーズンもUEFAチャンピオンズリーグで4得点、エールディビジで10得点を挙げ、レギュラーの座を不動のものとした。翌シーズンは足の故障のため3ヵ月欠場するが、復帰後は16試合13得点を記録し、エールディビジ優勝に貢献。

ユヴェントス~インテル時代

インテル時代のイブラヒモビッチ

2004年7月1日、移籍金1900万ユーロ(約26億円)でユヴェントスに移籍。当初は、アレッサンドロ・デル・ピエロダビド・トレゼゲに次ぐ3番手のFWと目されていたが、2004-2005シーズンのセリエA開幕戦ブレシア戦でデビューし、早速ゴールを挙げると、トレゼゲやデル・ピエロの故障もあって、カペッロ監督の信頼を得始める。彼らの復帰後もユヴェントスフォワード陣の柱となり、最終的に35試合16点の成績を挙げ、ACミランからのセリエA王座奪回(2006年のカルチョスキャンダルにより、優勝は剥奪されている)に貢献した。2005-2006シーズンも2トップの一角として、ユヴェントスのセリエA首位独走に貢献した。2006/2007シーズンからは、ユヴェントスの審判操作疑惑によるチームのセリエB降格の影響により、ACミランへの移籍も噂されたが2006年8月10日に2460万ユーロ(約37億円)の移籍金でユヴェントス最大のライバルであるインテルナツィオナーレ・ミラノへの移籍が発表された。

2006-2007シーズンはセリエA初年度の16ゴールには及ばなかったものの15ゴールを記録し、インテルの15度目のスクデットに貢献した。しかし、セリエAにおける活躍に対してチャンピオンズリーグでは無得点で、ベスト16で敗退した。

2007-2008シーズンは右膝の怪我に悩まされたものの、セリエAで17ゴールを記録しインテルの16度目のスクデットに貢献した。特にセリエA最終節のパルマFC戦では後半途中から投入されると2ゴールを奪い、この活躍でインテルは勝利。スクデット獲得を決めた。チャンピオンズリーグのグループリーグでは5ゴールを記録するも決勝トーナメント1回戦のリバプールFC戦では無得点に終わり、チームはまたしてもベスト16で敗退した。

2008-2009シーズンはチャンピオンズリーグではわずか1ゴールに終わりチームも三度ベスト16で敗退するも、セリエAでは得点を量産し、インテルのセリエA4連覇に貢献。25ゴールを記録し、セリエA得点王に輝いた。

FCバルセロナ時代

バルセロナでプレーするイブラヒモビッチ(左)
バルセロナ時代のイブラヒモビッチ

2008-2009シーズン終了後、「セリエAでやることはもうない」という発言から移籍が噂されたが、クラブや自身も残留を明言。新シーズンの背番号が10に決定するなどインテルに残留すると思われたが、2009年7月27日サミュエル・エトオ+移籍金4600万ユーロとのトレードでFCバルセロナへ移籍。5年契約で、背番号はエトオが付けていた9。

2009-2010シーズン、バルサのスタイルに馴染めるかどうかが不安視されていたが日を追うごとに周囲の選手との連係を高め、リーガ開幕戦のスポルティング・ヒホン戦では早速ゴールを決めた。その後も順調にゴールを重ね、移籍初年度選手の開幕から5戦連続ゴールというバルサのクラブ記録を打ち立て、自身初のエル・クラシコでは後半からアンリに代わって出場し、ダニエウ・アウヴェスからの絶妙なクロスに走り込み、左足のボレーシュートを放ち決勝点となった。しかし、シーズン後半は怪我によるコンディションの不調から徐々に調子を落とし、終盤にはベンチスタートも多くなった。最終的には29試合に出場し16ゴールをマークしたが、期待に100%応えたとは言い難い出来だった。のちにグアルディオラ監督との確執があったと語っている。

ACミラン時代

ミラン時代のイブラヒモビッチ

2010年8月28日ACミランレンタル移籍。わずか1年でのセリエA復帰となった。なお、翌年には移籍金2400万ユーロで4年契約の完全移籍が可能になるオプションが付く。背番号は11。 2010-2011シーズン、入団1年目のミランでも不動の存在となり、リーグ戦14得点を記録。インテルに5連覇を許すなど、長く不振に喘いでいたミランに7季ぶりとなるスクデットをもたらした。一方、チャンピオンズリーグでは決勝トーナメント一回戦にトッテナム・ホットスパーに敗れ、ベスト16敗退となった。

ミランが買い取りオプションを行使し、完全移籍を果たす。2011-2012シーズンはシーズンを通じて好調を維持し、エースとしてチームを牽引。チャンピオンズリーグでは準々決勝でバルセロナに敗れ、ベスト8で敗退となったが、リーグ戦では自己最多の28ゴールを記録して自身2度目のセリエA得点王を獲得した。またともに自己最多となる公式戦合計35得点、15アシストを記録した。しかし、チームはユヴェントスとの優勝争いに敗れ、スクデット連覇を逃す。これにより、アヤックス時代から続いていた自身の国内リーグ連続優勝記録が8年で途切れた。

パリ・サンジェルマン時代

パリ・サンジェルマンで入団会見するイブラヒモビッチ

2012年7月18日パリ・サンジェルマンFCへ3年契約の移籍金2300万ユーロで移籍した。10月18日にはゴールデンフット賞を受賞した。入団当初は背番号は「18」であったが、「10」を着けていたMFネネがシーズン中に退団したこともあり、シーズン途中からは背番号を「10」に変更。パリSGでもゴールを量産し、30得点を挙げる活躍を見せリーグ・アン得点王に輝き最優秀選手賞も受賞するなど、パリSGの19シーズンぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

2015年10月4日に行われたマルセイユ戦で自身が獲得した2本のPKを決め、クラブの通算得点記録を更新した。

2016年、5月13日に本人のTwitterで「王としてやって来て、伝説として去る(I came like a king, left like a legend)」という言葉とともに今シーズン限りでパリ・サンジェルマンを退団することが発表された。

マンチェスター・ユナイテッド時代

2016年6月30日、本人のTwitterでマンチェスター・ユナイテッド行きを発表。インテル時代の恩師、ジョゼ・モウリーニョと再会することになる。イブラヒモビッチ自身はこの移籍を、実現しないと言われていたが実現したという意味でフロイド・メイウェザー対マニー・パッキャオの「夢の対戦」と同じだと語った。背番号は、アヤックス、バルセロナ時代と同じ「9」に決定。2017年2月5日、プレミアリーグのレスター・シティ戦で今季15点目を決めて、リーグ最年長記録となる”35歳で15得点”を記録した。 2月16日のヨーロップリーグのラウンド32、サンティティエンヌ戦でマンチェスター・ユナイテッドでは初のハットトリックを達成した。

しかし、4月20日のUEFAヨーロッパリーグ準々決勝のアンデルレヒト戦で膝を負傷し途中交代。診断の結果右膝前十字靭帯損傷と判明し手術を行った。負傷の影響で契約延長のオプションは消え、マンチェスター・ユナイテッドとの契約は満了。

8月24日、マンチェスター・ユナイテッドは新たに1年契約を結んだことを発表した。また、10番のユニホームを着用することも併せて発表された。11月18日のリーグ戦第12節・ニューカッスル・ユナイテッド戦に途中出場し、7か月という早さで復帰を果たした。

2018年3月22日、マンチェスター・ユナイテッドはイブラヒモヴィッチの契約即時解除に合意したことを発表した。

LAギャラクシー時代

2018年3月23日、LAギャラクシーに加入することが発表された。背番号は9番に決定。

代表歴

代表テビューは2001年1月31日フェロー諸島戦である。2002年日韓W杯の最終メンバーにも20歳の若さで選出されたが、グループリーグのアルゼンチン戦と決勝トーナメント1回戦のセネガル戦の2試合30分の出場にとどまった。

EURO2004の本大会からレギュラーに定着すると、グループステージ第1節のブルガリア戦でPKを決め、続く第2節のイタリア戦ではゴールに背を向けたままジャンプしながら踵でループシュートを決め、チームをグループステージ突破に導いた。準々決勝のオランダ戦、PK戦にもつれ込んだこの試合で3番目のキッカーとして登場するが、これを外し、オランダに敗れた。

2006年ドイツW杯欧州予選でも8試合8得点を記録し、スウェーデン代表として本大会への切符を手にした。しかし本大会では精彩を欠き、グループリーグ途中からベテランのマルクス・アルベックにスタメンの座を奪われるなど無得点に終わる。チームも開催国・ドイツに敗れベスト16にとどまった。2006年9月の欧州選手権予選期間中に「規律を守らなかった」としてクリスティアン・ヴィルヘルムソンオロフ・メルベリらと共に同国代表を追放された。その後、二転三転あったものの、2007年3月の試合から代表復帰を果たした。

EURO2012のウクライナ戦でゴールを決めたイブラヒモビッチ

EURO2008ではグループリーグ第1戦のギリシャ戦で強烈なミドルシュートを決めた。このゴールはイブラヒモビッチの代表として実に2年8ヶ月ぶりのゴールとなった。試合はその後スウェーデンが追加点を決め2-0で前回大会王者であるギリシャを下した。第2戦のスペイン戦ではフェルナンド・トーレスに先制点を許すも自身の同点ゴールで試合を1-1とする。しかし後半ロスタイムにダビド・ビジャに決勝点を決められ、試合は1-2で敗れた。決勝トーナメント進出をかけて臨んだ第3戦のロシア戦ではフル出場するも不発に終わり、試合も0-2で敗れグループリーグ突破はならなかった。大会前からの自身の右膝の怪我もあり、不本意な結果で本大会を終えた。

2010年W杯欧州予選ではデンマークポルトガルなどの強豪と同居したグループ1で3位に終わり、本大会出場はならなかった。2009年12月24日代表引退を表明。尚、「『しばらくの間』は代表でプレイしない」とも述べていた。2010 FIFAワールドカップ終了後に代表復帰を表明し、2010年8月11日のスコットランドとの親善試合に出場、決勝点を挙げた。

ヘンリク・ラーションの引退後は代表キャプテンに任命される。 EURO2012予選では、フィンランド戦でハットトリックを達成するなどチーム最多の5ゴールを決め、スウェーデンの4大会連続となるEURO本戦出場に貢献した。迎えたEURO2012本戦、グループリーグ第1戦の開催国ウクライナ戦では先制ゴールをマークしたが、アンドリー・シェフチェンコに立て続けにゴールを許し、チームは1-2で敗戦。第2戦のイングランド戦でも2-3で敗れ、2戦連続で逆転負けを喫した。すでにスウェーデンのグループリーグ敗退が決定した中で迎えた第3戦のフランス戦であったが、この試合で先制点となる豪快なボレーシュートを叩き込み、2-0でのスウェーデンの大会初勝利に貢献した。こうした活躍もあり、イブラヒモビッチはUEFA選定の大会優秀選手23名に選ばれた。

チームの早期敗退に落胆した様子であったが、2014 FIFAワールドカップを目指して代表でのプレー続行を明言。2012年11月14日のイングランドとの親善試合では先制点を挙げフレンズ・アレーナの初ゴールを挙げると、4得点を挙げる活躍で勝利に貢献。特に4点目のゴールから25~30mの位置からのバイシクル・キックはイブラヒモビッチ自身がキャリアベストゴールと認めるだけでなく、チームメイトや相手チームからも賞賛を集め、2014年1月には年間最優秀ゴールを決めるFIFAプスカシュ賞を受賞した。

2014年9月4日のエストニアとの親善試合で2得点を挙げ、代表通算50得点を達成。これによりスウェーデン代表の通算得点記録を82年ぶりに更新し、歴代単独トップとなった。9月8日のUEFA EURO 2016予選オーストリア戦で代表通算100試合出場を達成した。

2015年11月14日、デンマークをホームに迎えたUEFA EURO 2016予選プレーオフ第一戦ではPKから決勝点をあげた。2015年11月17日に行われたプレーオフ第二戦では2得点でチームを本大会出場へ導いた。

UEFA EURO 2016大会期間中に、同大会を最後にスウェーデン代表から引退することを表明。EURO後にリオデジャネイロオリンピックオーバーエイジ枠で出場する噂についても否定した。2016年6月22日のUEFA EURO 2016グループリーグ第3戦のベルギー戦に敗れたことでスウェーデン代表の敗退が決定、同試合が代表最終戦となった。

プレースタイル

足元のテクニックと抜群のフィジカルを兼ね備えている。195cmの長身で空中戦やフィジカルコンタクトに強いうえに、足元のボールコントロールも正確で、スピードもあり、堅実なポストプレーもできる万能型アタッカーである。身体能力が高いことからアクロバティックなシュートも得意としている。また自ら点を取るだけでなく、アシスト役もこなすことが可能で、トリッキーなプレーを見せる。国籍はスウェーデンだが、両親は旧ユーゴスラビアからの移民で、メンタリティーとテクニックにバルカン系の特徴が色濃く表れている。

エピソード

サインに応じるイブラヒモビッチ

個人成績

クラブでの成績

クラブ シーズン 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 その他 合計
【出場】
【得点】
【出場】
【得点】
【出場】
【得点】
【出場】
【得点】
【出場】
得点
マルメFF | 1999 | - | 6 | 1 | — | — | — | 6 | 1
2000 | 27 | 26 | 12 | 3 | 2 | — | — | 29 | 14
2001 | 9 | 8 | 3 | 4 | 0 | — | — | 12 | 2
合計 【40】
【16】
【7】
【2】
【—】
【—】
【47】
18
アヤックス | 2001–02 | 9 | 24 | 6 | 3 | 1 | 6 | 2 | — | 33 | 9
2002–03 | 25 | 13 | 3 | 3 | 13 | 5 | 1 | 0 | 42 | 21
2003–04 | 22 | 13 | 1 | 0 | 8 | 2 | — | 31 | 15
2004–05 | 3 | 3 | — | — | 1 | 0 | 4 | 3
合計 【74】
【35】
【7】
【4】
【27】
【9】
【2】
【0】
【110】
48
ユヴェントス | 2004–05 | 9 | 35 | 16 | 0 | 0 | 10 | 0 | — | 45 | 16
2005–06 | 35 | 7 | 2 | 0 | 9 | 3 | 1 | 0 | 47 | 10
合計 【70】
【23】
【2】
【0】
【19】
【3】
【1】
【0】
【92】
26
インテル | 2006–07 | 8 | 27 | 15 | 1 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 36 | 15
2007–08 | 26 | 17 | 0 | 0 | 7 | 5 | 1 | 0 | 34 | 22
2008–09 | 35 | 25 | 3 | 3 | 8 | 1 | 1 | 0 | 47 | 29
合計 【88】
【57】
【4】
【3】
【22】
【6】
【3】
【0】
【117】
66
バルセロナ | 2009–10 | 9 | 29 | 16 | 2 | 1 | 10 | 4 | 4 | 0 | 45 | 21
2010–11 | — | — | — | 1 | 1 | 1 | 1
合計 【29】
【16】
【2】
【1】
【10】
【4】
【5】
【1】
【46】
22
ACミラン | 2010–11 | 11 | 29 | 14 | 4 | 3 | 8 | 4 | — | 41 | 21
2011–12 | 32 | 28 | 3 | 1 | 8 | 5 | 1 | 1 | 44 | 35
合計 【61】
【42】
【7】
【4】
【16】
【9】
【1】
【1】
【85】
56
パリ・サンジェルマン | 2012–13 | 18 | 34 | 30 | 2 | 2 | 9 | 3 | 1 | 0 | 46 | 35
2013–14 | 10 | 33 | 26 | 2 | 3 | 8 | 10 | 3 | 2 | 46 | 41
2014–15 | 24 | 19 | 3 | 4 | 6 | 2 | 4 | 5 | 37 | 30
2015–16 | 31 | 38 | 6 | 7 | 10 | 5 | 4 | 0 | 51 | 50
合計 【122】
【113】
【13】
【16】
【33】
【20】
【12】
【7】
【180】
156
マンチェスター・ユナイテッド | 2016–17 | 9 | 28 | 17 | 1 | 1 | 11 | 5 | 6 | 5 | 46 | 28
2017–18 | 10 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 7 | 1
合計 【33】
【17】
【1】
【1】
【12】
【5】
【7】
【6】
【53】
29
LAギャラクシー | 2018 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0
合計 【0】
【0】
【0】
【0】
【0】
【0】
【0】
【0】
【0】
0
キャリア合計 【517】
【319】
【43】
【31】
【139】
【56】
【31】
【15】
【730】
421

代表での成績


スウェーデン代表
国際Aマッチ

【年】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/11/16 14:31

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