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セレッソ大阪とは?

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【セレッソ大阪】

【原語表記】
セレッソ大阪
【呼称】
セレッソ大阪
【愛称】
セレッソ、桜大
【クラブカラー】
ピンク
【創設年】
1957年
【所属リーグ】
日本プロサッカーリーグ
【所属ディビジョン】
J1リーグ
【クラブライセンス】
J1
【ホームタウン】
大阪府大阪市堺市
【ホームスタジアム】
キンチョウスタジアム
ヤンマースタジアム長居
【収容人数】
金鳥スタ:18,007
ヤンマー:47,853
【運営法人】
大阪サッカークラブ株式会社
【代表者】
玉田稔
【監督】
尹晶煥
【公式サイト】
公式サイト
■テンプレート(■ノート)サッカークラブPJ
大阪サッカークラブ株式会社
Osaka Football Club Co., Ltd.
種類
株式会社
【市場情報】
非上場

【本社所在地】
日本
546-0034
大阪市東住吉区長居公園1-1
キンチョウスタジアム内
【設立】
1994年2月1日
業種
サービス業
法人番号
4120001034064
【事業内容】
サッカークラブの運営他
【代表者】
玉田稔
【資本金】
3億1500万円
【売上高】
27億1200万円 (2016年1月期)
【営業利益】
▲4億8300万円 (2016年1月期)
【経常利益】
▲4億8100万円 (2016年1月期)
【純利益】
1600万円 (2016年1月期)
【純資産】
1億1000万円 (2016年1月期)
【総資産】
8億1300万円 (2016年1月期)
【決算期】
1月期
【主要株主】
ヤンマー
日本ハム
【主要子会社】
セレッソ大阪スポーツクラブ
【外部リンク】
http://www.cerezo.co.jp

セレッソ大阪(せれっそおおさか、Cerezo Osaka)は、日本大阪府大阪市堺市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。セレッソとはスペイン語で桜を指す語。

目次

  • 1 概要
  • 2 歴史
    • 2.1 前身
    • 2.2 1993年 - 1994年(JFL)
    • 2.3 1995年 - 2001年(J1)
    • 2.4 2002年(J2)
    • 2.5 2003年 - 2006年(J1)
    • 2.6 2007年 - 2009年(J2)
    • 2.7 2010年 - 2014年(J1)
    • 2.8 2015年 - 2016年(J2)
    • 2.9 2017年 - (J1)
  • 3 成績
  • 4 タイトル
    • 4.1 国内タイトル
    • 4.2 表彰
  • 5 スタジアム他
    • 5.1 ホームスタジアム
    • 5.2 練習場・クラブハウス
  • 6 スローガン
  • 7 スポンサー
  • 8 ユニフォーム
    • 8.1 チームカラー
    • 8.2 ユニフォームデザイン
    • 8.3 ユニフォームスポンサー
    • 8.4 ユニフォームサプライ
    • 8.5 歴代ユニフォームスポンサー年表
  • 9 セレッソ大阪U-23
    • 9.1 概要(U-23)
    • 9.2 略歴(U-23)
    • 9.3 活動方針(U-23)
    • 9.4 ホームゲーム開催試合数(U-23)
    • 9.5 成績(U-23)
    • 9.6 表彰(U-23)
    • 9.7 ユニフォーム
      • 9.7.1 ユニフォームスポンサー
      • 9.7.2 歴代ユニフォームスポンサー年表
  • 10 アカデミー
    • 10.1 アカデミーの構成
    • 10.2 ハナサカクラブ
    • 10.3 セレッソ大阪スポーツクラブ
    • 10.4 出身選手
    • 10.5 主な成績
      • 10.5.1 U-18
      • 10.5.2 U-15
      • 10.5.3 西U-15
      • 10.5.4 U-12
  • 11 BGM
    • 11.1 選手紹介
    • 11.2 選手入場
  • 12 エピソード
    • 12.1 FM NAGAI
    • 12.2 スタジアムマスター本間勇輔の招聘
    • 12.3 他競技との連携
    • 12.4 プロ対小学生100人
    • 12.5 商標登録問題
    • 12.6 その他
  • 13 決算
    • 13.1 損益
    • 13.2 資産
  • 14 脚注
  • 15 関連項目
  • 16 外部リンク

概要

1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部が前身となり、1995年にJリーグへ加盟した。ホームスタジアムはヤンマースタジアム長居およびキンチョウスタジアム である。チーム名の「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で「」という意味。桜は大阪の「市花」であり、大阪市全体を、そして日本を代表するチームになるよう願いが込められている。ホームタウンは加盟当初より2013年までは大阪市だけであったが、2014年堺市が追加された。

マスコットの「ノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ」(愛称ロビー。"高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家のオオカミの息子"という意味がある)。2008年より、ロビーの母親として「エレガンテ・エスプレンディーダ・マダマ・ロビーナ・デ・セレッソ」(愛称マダム・ロビーナ、「優雅で華麗な、由緒あるセレッソ家の“オオカミの令夫人”」という意味)が加わった。なお、ガンバ大阪などと区別するため、「セ大阪」「C大阪」(CはCerezoの頭文字)などと略記される。

歴史

前身

詳細は「ヤンマーディーゼルサッカー部」を参照

前身は1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部日本サッカーリーグ(JSL)で4回、JSLカップで2回、天皇杯で3回それぞれ優勝した。

1993年 - 1994年(JFL)

1995年 - 2001年(J1)

2002年(J2)

2003年 - 2006年(J1)

  • 2003年 - 1stステージは5位。2ndステージに入ると白星が遠く、2001年にJ2降格が決まってから指揮を執っていた西村がシーズン途中で解任。シーズンの残りははヘッドコーチだった塚田雄二が監督を務め、天皇杯は3度目の決勝進出を果たすが、ジュビロ磐田に敗れ、準優勝。
  • 2004年 - 監督就任が決定していたナドベザ・ペーターが狭心症の発作のため来日不可能となり、練習開始前日に直前にナドベザとは旧知の仲だったフアド・ムズロビッチが急遽監督に就任したが、準備不足やクラブとの方針の違いもあり、公式戦3試合(リーグ戦2試合・カップ戦1試合)のみで解任される。後任にはヘッドコーチだったアルベルト・ポボルが昇格したが守備が崩壊。1stステージ最終節で最下位争いをしていた柏レイソルにホームで惨敗し、最下位でステージを終えたことが決定打となりアルベルトも解任となった。2ndステージからは前年まで大分トリニータの監督だった小林伸二が指揮を執り、西村から数えて1年足らずで5人が監督を務める異例の事態となった。2ndステージも低迷し、13節終了時点で残り2試合に1敗でもすれば年間最下位とJ1・J2入れ替え戦行きが決定するところまで追い込まれたが、14節・最終節と連勝し、最終節で柏を逆転して年間15位に浮上、J1残留が決定した。2ndステージは12位。シーズン終了後、大久保がスペインのマヨルカにレンタル移籍。

2005年最終節布陣

  • 2005年 - 小林が監督続投。GKにG大阪から吉田宗弘を完全移籍で獲得、DFには2003年夏季ユニバーシアード優勝メンバーの江添建次郎を7クラブに及ぶ争奪戦の末に獲得に成功、テスト生出身の前田和哉も入団した。京都からFW黒部光昭、東京VからMF廣山望をいずれもレンタル移籍で獲得。外国人選手も数年続いた東欧路線から一変して、ブルーノ・クアドロスファビーニョゼ・カルロスを獲得。
    • 当初9位を目標に掲げ、開幕は3連敗と出遅れたが、新加入の吉田、ブルーノ・クアドロス、江添が開幕からスタメンに定着、江添が第3節の大宮戦で右ひざじん帯断裂の重傷を負ったが、その穴を前田が埋め、ボランチのファビーニョや下村東美とともに守備の建て直しに成功、森島寛晃・西澤明訓・古橋達弥・黒部光昭といった当時のJ1屈指の攻撃陣と攻守の歯車がかみ合いだし、第4節の名古屋戦で初勝利を挙げると第11節の清水戦まで8試合負けなし、前半戦を6勝5分6敗で折り返した。後半戦はG大阪や鹿島、浦和などの上位チームがもたつく間に順位を上げ、第33節でG大阪を抜いて首位に立った。
    • 勝てば優勝決定、敗戦・ドローで自力優勝が消えるという状況で迎えた最終節・FC東京戦で1点リードしていたが、アディショナルタイムで同点に追いつかれ優勝は成らなかった。翌朝の朝日新聞には「長居の悲劇」との見出しが掲載された。最終順位は5位だったが、後半戦(第18節~最終節)に限れば10勝6分1敗、当時のJリーグ無敗最長記録となる16試合無敗で、天皇杯も含めれば準決勝で清水に敗れるまで20試合負けなしであった。また、この年の平均観客動員数は過去最高の1試合当り17,648人。
    • シーズン終了後、ファビーニョが家庭の事情により退団。他にも布部陽功久藤清一を放出(ともに福岡に移籍)し、黒部と廣山のレンタル移籍契約を更新しない(黒部は浦和へ再度レンタル移籍、廣山は東京Vに復帰)など、世代交代を図る為にベテラン選手に対して大なたを振るった。
    • 吉田と古橋がベストイレブンに選ばれ、前田が優秀新人賞を獲得した。

2006年最終節布陣

  • 2006年- 小林体制3年目。東京Vから山田卓也を完全移籍で、河村崇大磐田からレンタル移籍で獲得。新外国人選手ではピンゴが入団。即戦力では中盤中心の補強を行い、新加入選手では強化指定選手となっていた森島康仁が入団したのをはじめ、大学選抜で活躍した小松塁や、高校生ながら素質を見込まれてプロ契約を結んだ香川真司が入団した。リーグ戦は、開幕からの4節をすべて3失点以上で負けるなどしてつまづき、8節終了時で1勝1分6敗の成績。4月18日付で小林が解任され、育成アドバイザーを務めていた塚田雄二が2度目の監督に就任した。
    • 4月22日広島戦(アウェイ)で、FW佐藤寿人にJ新記録となる試合開始から僅か8秒でゴールを決められた(Jリーグ最速得点・失点記録)。
    • 6月15日マヨルカにレンタル移籍していた大久保がチームに復帰した。
    • 8月13日、磐田から元日本代表MF名波浩レンタル移籍で獲得。以後チーム状況が多少上向き、勝ち点を重ねるようになった。
    • 11月26日、大宮戦で柿谷曜一朗がチーム最年少出場記録となる16歳10ヵ月で公式戦デビュー。
    • 12月2日、最終節で川崎に敗れ、年間17位となり5シーズンぶりのJ2降格が決定。塚田は降格の責任を取り監督辞任。後任に東京Vヘッドコーチの都並敏史が就任した。シーズン終了後に、大久保嘉人(神戸へ)、西澤明訓(清水へ)、名波浩(磐田復帰後、東京Vへ)、下村東美(千葉へ)、ブルーノ・クアドロス(退団後、札幌へ)が退団した。

2007年 - 2009年(J2)

2007年基本布陣

  • 2007年-ヤンマーサッカー部発足から創設50周年を迎えた。完全移籍で柳沢将之(東京V)を、レンタル移籍で羽田憲司(鹿島)、丹羽竜平(神戸)を獲得。逆にレンタルさせていた濱田武(鳥栖)と千葉貴仁(札幌)、小松塁(V・ファーレン長崎)を復帰させ、新人では立命館大学から阪田章裕、外国人選手ではブラジルからアレーと韓国ユニバーシアード代表の金信泳を獲得。
    • リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第4節の京都戦で初勝利を挙げた。第12節の草津戦で柿谷がJ2最年少記録となるゴール(17歳3ヶ月)を決めるが、森島寛晃が原因不明の首痛に悩まされるようになり戦列を離脱した事や、一気に若返った選手の適性を見極める為、戦力を使い回す試行錯誤をしていて勝ち点が延びず、第14節終了時点で4勝3分6敗でJ2の9位という成績であった。
    • 5月7日付で監督の都並、コーチの藤川孝幸、GMの西村昭宏を解任し、後任に元監督のレヴィー・クルピが監督に就任した。就任当初は1勝3敗と負けが先行したが、第19節の試合なし期間を活用した淡路島ミニキャンプで戦術を浸透させ、メンバーも小松塁をFWのスタメンに抜擢、香川真司をサイドに、ゼ・カルロスと柳沢将之を左右のSBに固定するなど、それまでの使い回しから一変した選手起用を実施。これが功を奏して第20節からは4連勝。第2クール終了後には、比較的戦力に余裕のあったFW陣から金信泳を鳥栖へレンタル移籍させ、空きができた外国人枠を活用して、ボランチを強化するためにクルピの肝いりでジェルマーノを獲得した。その後第3クールでは9勝3敗のリーグ1位の成績を残したが、第1クールでの出遅れと、京都(2勝2分)以外のJ1昇格争いを繰り広げた上位チームに大きく負け越した(札幌と仙台には1勝3敗、東京Vと湘南には1分3敗)事が響き、J2・5位に終わった。
    • 昇格を逃したものの、FWに抜擢されて12ゴールを挙げた小松をはじめ、香川・森島康・柿谷が世代別代表に選出されて国際大会で活躍。しかし、その森島康や柿谷でもレギュラーではなく、彼らより先にU-23代表にも選出され、当初スタメンで出場していた苔口卓也に至っては、クルピ就任以後ベンチ入りする機会すら限られるなど、チーム内競争は激しさを増し、戦力の底上げがなされた。

2008年第1布陣

  • 2008年-吉田宗弘が福岡に完全移籍、苔口卓也が千葉にレンタル移籍した。補強はGKに川崎から相澤貴志をレンタル移籍で獲得、退団したゼ・カルロスの後任となる左SBに湘南から尾亦弘友希を完全移籍で獲得、FWにカレカをレンタル移籍で獲得した。また前田和哉がキャプテンとなった。
    • 開幕は水戸に勝利し、久々の開幕戦勝利を収めた。
    • 5月は前月末の愛媛戦から数えて、負けなしの7連勝を飾り2位に浮上。
    • 6月は怪我人と出場停止選手が続出。1勝1分4敗の成績。
    • 7月も1勝1分2敗と勝ち点を伸ばせないまま終わる。
    • 8月は2勝1分2敗と浮上の兆しが見えてきたに思われたが、本間勇輔がスタジアムマスターに就任し、新たなアンセムを作曲した9月も低迷のまま終わり、10月、上位争いをした3位の仙台との直接対決に敗れた時点で勝ち点8差がつけられていた。
    • 11月に入りC大阪が3連勝した一方、仙台は2分1敗と不振に陥った為、勝ち点差を1にまで縮めて最終節を迎えた。C大阪は愛媛に勝利を挙げたが、仙台も勝利したために逆転ならず、4位となりJ1昇格はならなかった。
    • 香川が日本五輪代表に選ばれ3月のアンゴラA代表との試合の際に見せたプレーが日本代表監督である岡田武史の目に止まり、香川は平成生まれとして初の日本代表に招集された。C大阪からは大久保嘉人以来4年ぶりの代表選出。香川はキリンカップコートジボワール代表戦でデビューし、ワールドカップ3次予選の2試合に出場。香川は8月に行われる北京オリンピック日本代表にも選ばれた。
    • シーズン途中に、名古屋から青山隼、横浜FMから乾貴士、新人の白谷建人を含めて世代別の日本代表の経験がある選手を多く獲得。これはクルピの方針で『C大阪に移籍して、さらに成長する可能性のある選手』を獲得する傾向にある。一方でチームにフィットしなかったカレカを解雇し、出場機会が激減した森島康をレンタル(シーズン終了後に完全)移籍で大分に放出した。
    • この年を最後に森島寛晃が現役を引退。

2009年第1節布陣

2010Happy Mail