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ダカール・ラリーとは?

【開始年】
1979
【主催】
アモリ・スポル・オルガニザシオン (A.S.O)
【サイト】
ダカール・ラリー 公式サイト
【備考】
旧称パリ-ダカールラリー

ダカール・ラリー(Dakar Rally)とは、アモリ・スポル・オルガニザシオン (A.S.O.) の主催により毎年1月に南米大陸で行われるラリーレイド競技大会である。フランス人冒険家ティエリー・サビーヌの発案により1979年から開催されており、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。

元々はフランスパリを出発点、セネガルダカールを終着点として主にアフリカ大陸で競技が行われ、パリ-ダカール・ラリー(Paris-Dakar Rally、日本での略称「パリダカ」)と呼ばれていた。

大会の公式語はフランス語であり、フランス語では一般に「ラリー・ダカール(Rallye Dakar)」と呼び、さらに短縮して「ル・ダカール(Le Dakar)」と呼ぶこともある。日本語では英語風の語順で「ダカール・ラリー」と呼ぶことが多い。

目次

  • 1 概要
  • 2 歴史
  • 3 コース
    • 3.1 日程・ルート
  • 4 参加車両
    • 4.1 AUTO/CAR
      • 4.1.1 グループT1
      • 4.1.2 グループT2
      • 4.1.3 グループT3
      • 4.1.4 グループOP(オープン)
    • 4.2 CAMION/TRUCK
    • 4.3 MOTO/BIKE
    • 4.4 QUAD
    • 4.5 S×S/UTV/SSV
    • 4.6 過去の規定
  • 5 歴代優勝者
    • 5.1 オート(四輪)
    • 5.2 モト(二輪)
    • 5.3 カミオン(トラック)
    • 5.4 クアッド(四輪バギー)
    • 5.5 UTV(多用途四輪車)
    • 5.6 優勝回数ランキング
      • 5.6.1 個人別
      • 5.6.2 メーカー別
  • 6 日本との関係
    • 6.1 出場した日本人
    • 6.2 メディア
    • 6.3 販売促進への利用
  • 7 本レースを題材にしたゲーム
  • 8 出典・注
  • 9 関連項目
  • 10 外部リンク

概要

赤色は、以前 パリ・ダカール・ラリーで通過した国々(オレンジ色は1992年のパリ~ケープタウンでのみ通過)
2011年の優勝トロフィー。(カミオンクラス T4)

1979年に始まり毎年行われているラリーレイド大会であり、1981年より国際自動車連盟(FIA)と国際モーターサイクリズム連盟(FIM)の公認イベントとなっている。世界三大レース(モナコグランプリインディ500ル・マン24時間レース)に比べれば開催回数は少ないが、それらに同じレベルの規模・知名度を誇っており、モータースポーツ/ラリー(ラリーレイド)を代表するイベントのひとつとなっている。

以前は、例年1月1日(前年の12月末に始まることもある)にフランスの首都・パリからスタートし、スペインバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000kmを走ることで知られていたが、2009年からは南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからチリを回る周回コースに、2012年からはペルーを加えた3カ国を通るルートとなった。

かつてのヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、途中ほとんど集落や救護施設のないサハラ砂漠を縦断する過酷な競技なため、出場者の5割以上がリタイアする大会も珍しくなく、時折死者や負傷者も出た。競技区間には、西サハラなど政治的に不安定な国が入っていることも「世界一過酷」と呼ばれる由縁であった。それ故、「全ての完走者が勝者である」という言葉が出場者全員の共通の認識となっており、最終日のレースは「ビクトリーラン」と呼ばれている。

同様にヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、フランスなど欧米を中心とした選手とメーカーがかつて植民地として支配していたアフリカ諸国で行っているだけに、植民地主義的だとする批判が根強く存在し、テロリストや強盗集団の標的にされる理由の一つであった。またアフリカの一般住民の住む地域を競技車両が猛スピードで駆け抜け住民と競技車の事故も発生しており、批判されるのもやむを得ないとする見方も多かった。それらの事情から、後に開催地が南米に変更された。

冠スポンサーは2007年はポルトガルでロト(日本でいえば宝くじ)を販売するユーロミルホーが務めた。過去にはテレフンケン(de:telefunken:ドイツの電機メーカー)、トタル(フランスの石油メーカー)、テレフォニカ(スペインの通信会社)などが務めている。日本企業ではパイオニアが1988年〜1991年に冠スポンサーを務めた。 舞台が南米大陸になってからは2009年はトタルや2010年と2011年はpersonal社が冠スポンサーを務めた。

歴史

ティエリー・サビーヌ。(アルジェの港にて)

1978年12月26日に第1回大会が開催、この時の名称は「オアシス・ラリー」となっていた。

本ラリーの創始者はティエリー・サビーヌ(Thierry Sabine)である。下記の言葉は1978年の第1回開催の時に彼が言ったとされ、ダカール・ラリー創設の精神を語る言葉として有名である。

私にできるのは、“冒険の扉”を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう

ティエリーは運営団体としてTSO(ティエリー・サビーヌ・オーガニゼーション)を設立、主催者としてパリ・ダカを象徴する存在となる。しかし、ティエリーは1986年に競技期間中に起こったヘリコプター墜落事故により死去、彼の遺志とTSOは父ジルベールによって引き継がれた。だが、そのジルベールもティエリー程のカリスマ性を持つには至らず、高齢を理由に1994年1月に引退。TSOは主催者権を売却し、1994年からはフランスのアモリー・グループである「ASO」(アモリ・スポル・オルガニザシオン)が主催している。

1982年の大会では、競技者として参加していたイギリス首相(当時)マーガレット・サッチャーの息子のマーク・サッチャーが競技中に一時行方不明となり、世界を巻き込んだ大騒ぎとなった。この際、サッチャーは「息子が発見されなかったら、このような危険なレースを2度と開催させない。」と発言している。TSOによる捜索の結果、マークは数日後に無事発見・保護され、この騒動でラリーが世界的に認知される事となる。

1986年の大会では6人の死者を出した。その中には大会主催者であったティエリー・サビーヌも含まれている。

1987年の大会では、プジョーWRCにおけるグループBの廃止に伴って行き場がなくなった205ターボ16を投入し、圧倒的な速さでラリーを席巻した。それまでのパリ・ダカは耐久ラリーの色合いが非常に濃いものであったが、プジョーはWRCのサービス体制をそのままパリ・ダカに持ち込み、どんなトラブルやアクシデントに見舞われようとも、ゴールまでたどり着けば翌日のスタートには新品同様に車両を修復するという手法でパリ・ダカの長丁場を乗り切った。このプジョーの手法は三菱をはじめとした他のエントラントにも大きな影響を与えることとなり、この年以降、この動きに追従した三菱とプジョー(1990年からは同じPSAグループシトロエン)による優勝争いはより激しさを増し、パリ・ダカは高速化の一途をたどることとなった。

Kees van Loevezijnの1988年の死亡事故によって残されたDAF FAV3600 95X2 TurboTwinの残骸。テネレの北部にて。

1988年の大会では、オート部門首位だったアリ・バタネンの車両が盗難に遭うという事態が発生し、後に失格の裁定が下された。この時、失格の裁定を巡って、プジョーとFIA、というより、以前から遺恨があったとされる、プジョーチーム監督ジャン・トッドとFIA会長ジャン・マリー・バレストル個人の間で深刻な対立が生じている(ジャン・マリー・バレストルの項目参照)。なお、この年から日本のパイオニアタイトルスポンサーを務めることになった。

1991年にはシトロエンチームのサポートカミオンが、モーリタニア国内でポリサリオ戦線が敷設していた地雷を踏み、コドライバーが逃げ遅れて焼死する事件が発生した。事前警告で地雷が存在するため、メインピストから外れて走らないよう指示が出ていたのにもかかわらず、主催者から指示され、ルートブックにも記載されていたメインピストを外れて走行していたのが原因とされている。

1992年、パリ・ダカの歴史上初めてゴール地がダカールから南アフリカのケープタウンに移された。名前もパリ〜ル・カップに改められ、タイトルスポンサーは日本のパイオニアからフランスの石油メーカーのトタル(TOTAL)に変更になった。この年は大会のサポートカーが事故を起こし、救護に駆け付けようとしたメディカルカーに1989年のモトクラス覇者ジル・ラレイが接触し、この世を去るアクシデントが発生した。

1999年にはテレビ局の取材担当者らがテロ組織に襲われた。

この事件だけではなく、特に近年の同レースはテロ組織以外にも強盗も現れ、ドライバーがその被害・脅迫に遭遇することは少なくなかった。銃撃を受ける、盗賊に金品を略奪される等、事件例は枚挙に暇が無い。通行する集落の住民による投石による事故や負傷も多い。シトロエンのサポートカミオンのドライバーが何者かによって射殺されたり、三菱自動車工業のサポートカミオンが狙撃を受ける事態すら発生した。

2008年は走行区間のアフリカ北西部モーリタニアの治安悪化のため、開幕前日になって全区間開催中止が発表された。2008年の再開催の予定はなし。2007年末のフランス人旅行者殺害事件を契機にフランス政府が事実上のレース中止勧告をしていたほか、主催者にも直接テロの脅迫が届いていたという。レースが全面中止されるのは30年の歴史で初めてであり、主催者側はテロの危険が絶えないサハラ砂漠からの撤退を含めた議論を示唆した。

2008年2月4日、ASOは中止になったダカール・ラリーの代わりに中央ヨーロッパを舞台にしたラリー「ダカール・シリーズ」を創設、4月20日26日に開催すると発表した。ハンガリーの首都・ブダペストからスタートし、途中ルーマニアを通過、同国西部のバラトン湖までのおよそ4800kmを走る。

同年2月11日には2009年のダカール・ラリーは南アメリカアルゼンチンチリを舞台に行われると報じられた。ブエノスアイレスが発着点となる。この地が舞台となった理由として、ダカール・ラリーの特徴である砂漠や難コースを持ちながらテロの脅威がないことが挙げられている。

2009年2月、2010年も引き続き南米で開催されることが発表された。この年、長らくトップコンテンダーとして健在だった三菱自動車が、2009年限りでワークスチーム撤退を表明した。撤退が噂されていたフォルクスワーゲンは後に参戦継続を表明したが、パリダカールラリーはワークス主体のレースが継続されるか、初期のプライベーター主体のレースに回帰するか、開催地の問題も含め岐路に立たされた。

2010年1月、この年もアルゼンチン・チリを舞台にし、落盤事故で33人が奇跡的に救出され有名となったチリ・サンホセ鉱山もルートに設定された。 この大会で、市販車クラスのTLC(チーム・ランドクルーザー/トヨタ車体)が同クラス6連覇を達成した[2]

2012年2013年大会ではペルーが開催国に加わり、南米開催となって以来初の片道ルートとなった。

コース

コースの一部(2005年)

コースはASOのコースディレクターによる事前の試走に基づいて決定される。経由地やルートは毎年変更され、前年と全く同じコースを走行することはほとんどない。なお、コースディレクションはティエリー・サビーヌの存命中は彼自身の手によって行われ、彼亡き後はルネ・メッジやユベール・オリオールなど、本ラリーの過去の参加経験者の手によって行われている。

日々のコースは、リエゾンと呼ばれる移動区間とSS(通常のラリーではスペシャルステージの略であるが、本ラリーにおいてはセレクティブセクターもしくはそのままエスエスと呼称される事がある)と呼ばれる競技区間とで構成される。リエゾンとSSを合計した1日の走行距離はおよそ500kmから800kmにも及び、過去には1,000kmを超える競技区間が設けられた事もあった。

また、マラソンステージと呼ばれる区間が全コース中1度ないし2度設けられる。これは競技車が到着後、通常はその日のビバーク地で行う事が出来る整備を一部禁じ(具体的にはエンジン、駆動系などの部品交換が禁止される)、そのまま翌日のステージを走行するものである。2日にわたるステージをタイヤ交換などの軽整備のみで乗り切らなければならないため、ステージ内でのエンジンや駆動系の深刻なトラブルは即リタイヤに繋がる。そのため、車両を壊さないように労わりながらも速く走らなければならないという、2つの相反する要素が求められるステージとなっている。

競技期間中には1日ないし2日の休息日があり、競技車両の整備やクルーの休息に充てられる。

日程・ルート

1979年のルート図
2006年のルート図
2009年のルート図
2013年のルート図
【回】
【開催日程】
【ルート】
【総距離 / SS走行距離】
ST/P+SS
第1回 | 1978年12月26日-
1979年1月14日 | パリアルジェダカール | 10,000km / 3,168km | 8/10
第2回 | 1980年1月1日-23日 | 10,000km / 4,059km | 7/13
第3回 | 1981年1月1日-20日 | 6,263km / 3,357km | 12/13
第4回 | 1982年1月1日-20日 | 10,000km / 5,963km | 14/18
第5回 | 1983年1月1日-20日 | 12,000km / 5,210km | 15/15
第6回 | 1984年1月1日-20日 | 12,000km / 5,882km | 18/21
第7回 | 1985年1月1日-22日 | 14,000km / 7,470km | 17/20
第8回 | 1986年1月1日-22日 | 15,000km / 7,731km | 18/22
第9回 | 1987年1月1日-22日 | 13,000km / 8,315km | 20/20
第10回 | 1988年1月1日-22日 | 12,874km / 6,605km | 18/16
第11回 | 1988年12月25日-
1989年1月13日 | パリ→ チュニスダカール | 10,831km / 6,605km | 17/16
第12回 | 1989年12月25日-
1990年1月16日 | パリ→ トリポリダカール | 11,420km / 8,564km | 18/21
第13回 | 1990年12月29日-
1991年1月17日 | 9,186km / 6,747km | 11/14
第14回 | 1991年12月25日-
1992年1月16日 | パリ→ スルトル・カップ | 12,427km / 6,263km | 22/17
第15回 | 1993年1月1日-16日 | パリ→ タンジェダカール | 8,877km / 4,476km | 11/11
第16回 | 1993年12月28日-
1994年1月16日 | パリ→ ダカール→ パリ | 13,379km / 4,446km | 16/20
第17回 | 1995年1月1日-15日 | グラナダダカール | 10,109km / 5,725km | 14/14
第18回 | 1995年12月30日-
1996年1月14日 | 7,579km / 6,179km | 15/16
第19回 | 1997年1月4日-19日 | ダカール→ アガデスダカール | 8,049km / 6,509km | 14/15
第20回 | 1998年1月1日-18日 | パリ→ グラナダ→ダカール | 10,593km / 5,219km | 16/16
第21回 | 1999年1月1日-17日 | グラナダ→ ダカール | 9,393km / 5,638km | 16/16
第22回 | 2000年1月6日-23日 | ダカール→ カイロ | 7,863km / 5,012km | 13/13
第23回 | 2001年1月1日-21日 | パリ→ ダカール | 10,219km / 6,180km | 20/19
第24回 | 2001年12月18日-
2002年1月13日 | アラスマドリードダカール | 9,436km / 6,486km | 16/15
第25回 | 2003年1月1日-19日 | マルセイユシャルム・エル・シェイク | 8,552km / 5,216km | 17/17
第26回 | 2004年1月1日-18日 | クレルモン=フェランダカール | 9,506.5km / 4,635.5km | 17/15
第27回 | 2004年12月31日-
2005年1月16日 | バルセロナダカール | 9,039km / 5,433km | 16/14
第28回 | 2005年12月31日-
2006年1月15日 | リスボンダカール | 9,043km / 4,813km | 15/14
第29回 | 2007年1月6日-21日 | 7,915km / 4,309km | 15/14
第30回 | 中止(2008年1月5日-20日予定) | 9,273km / 5,736km | 16/16
以後南米開催へ変更
第31回 | 2009年1月3日-18日 | ブエノスアイレスバルパライソブエノスアイレス | 9,574km / 5,652km | 14/13
第32回 | 2010年1月1日-17日 | ブエノスアイレス→ アントファガスタブエノスアイレス | 8,937km / 4,717km (Bike Quad)
9,030km / 4,810km (Car Truck) | 14/14
第33回 | 2011年1月1日-15日 | ブエノスアイレス→ アリカ
ブエノスアイレス | 9,605km / 5,007km (Bike Quad)
9,618km / 5,020km (Car)
9,458km / 4,457km (Truck) | 13/13
第34回 | 2012年1月1日-16日 | マル・デル・プラタコピアポリマ | 8,391km / 4,372km (Bike Quad)
8,377km / 4,161km (Car)
8,336km / 4,120km (Truck) | 14/13
第35回 | 2013年1月5日-20日 | リマ→ サン・ミゲル・デ・トゥクマンサンティアゴ | 8,423km / 4,146km (Bike Quad)
8,474km / 4,155km (Car)
8,121km / 3,541km (Truck) | 14/14
第36回 | 2014年1月5日-1月18日 | ロサリオサルタバルパライソ | 8,734km / 5,228km (Bike Quad)
9,374km / 5,522km (Car)
9,188km / 5,212km (Truck) | 13/13
第37回 | 2015年1月4日-1月17日 | ブエノスアイレス→ イキケブエノスアイレス | 9,295km / 4,752km (Bike Quad)
9,111km / 4,578km (Car)
3,759km / 8,159km (Truck) | 13/13
第38回 | 2016年1月2日-1月16日 | ブエノスアイレス→ サルタ→ ロサリオ | 8,973km / 4,690km (Bike Quad)
9,237km / 4,792km (Car)
9,039km / 4,320km (Truck) | 13/13
第39回 | 2017年1月2日-1月14日 | アスンシオンラパスブエノスアイレス | 8,818km / 4,089km (Bike Quad)
8,823km / 4,093km (Car UTV)
8,781km / 3,910km (Truck) | 12/10
第40回 | 2018年1月6日-20日 | リマ→ ラパス→ コルドバ | 8,276km / 4,234km (Bike Quad)
8,793km / 4,329km (Car UTV)
8,710km / 4,154km (Truck) | 14

参加車両

2017年現在、以下の5つの部門に分かれている。

AUTO/CAR

3500kg未満のクロスカントリー車のための部門で、バイクに並ぶダカールの花形である。クラス分けが細かいのが特徴。

グループT1

改造範囲が極めて広い、事実上のプロトタイプカー。

年間1000台以上生産される車両のシャーシかモノコックボディ、または単一製造の鋼鉄製パイプフレームシャーシを使用する必要がある。エンジンはグループN、GT(2012年GT公認規定)、T2のいずれかの規定でホモロゲーション取得されているものが使用可能。また二輪駆動車は規則が緩い(排気量次第で重量を200kg〜650kg軽くできる、タイヤを130mm太くできる、コックピットからタイヤの内圧調整ができるなど)ため、ときに四輪駆動車以上のパフォーマンスを発揮する。実際に2016年〜2018年は二輪駆動のプジョー・3008 DKRが連覇した。

グループT2

四輪駆動、あるいはそれ以上の駆動輪を持つ量産車のためのクラス。年間1000台生産されている車両がホモロゲーション対象。T1とは逆に改造範囲が極めて狭く、安全装備や粉塵対策、アンダーガードなど最低限のボディ補強しか認められない。ガソリンエンジン車について過給器は禁止されている。長きに渡りトヨタ・ランドクルーザーが猛威を振るっている。

グループT3

最低重量750kgの軽量な改造車両のためのクラス。ベースのシャーシ・モノコックについて最低生産台数を必要としないが、鋼鉄製パイプフレームシャーシである必要がある。

エンジンは1050cc以下の自然吸気(例外あり)で搭載位置は自由だが、前部車軸を含むエンジン〜トランスミッションのアセンブリー全体は市販車両からのものでなければならない。

グループOP(オープン)

バハ1000など北米オフロードレースを主催するSCOREインターナショナルの規則に合致した車両。

これら以外にも、ハイブリッドや廃油などを動力としたエコ車両(チャレンジNRJ)、初参加者(Trophée 1ère Participation)にも別に賞典が用意されている。

CAMION/TRUCK

1980年に創設された、3500kg以上の車両(=トラック)のための部門。グループT4と呼ばれる規定で、量産車のT4.1、改造車のT4.2、サポートトラックのためのT4.3の3つに分けられている。また駆動形式が6×6、4×4の車両および排気量10L未満の車両はそれぞれ別に賞典が用意される。

競技に参加しないサービストラックにもT5、T5.1という規定が存在しており、二輪駆動のサービストラックの使用は不可となっている。

MOTO/BIKE

二輪車両の部門。全車両最大排気量450cc、気筒数は1~2に制限されている。グループ1(エリートクラス)とグループ2(ノンエリートクラス)に分かれて競う。また車両は改造範囲の広いクラス1(スーパープロダクション)と、狭いクラス2(マラソン)に分けられており、エリートクラスはクラス1車両のみとなっている。またサービススタッフを雇わないライダー、女性ライダー、初参加者のための賞典が用意されている。

QUAD

2009年にMOTO/BIKE部門から独立した全地形対応車(四輪バギー)のための部門。グループ3と呼ばれる規定で、二輪駆動・単気筒・最大750ccのグループ3.1と、四輪駆動・2気筒・最大900ccのグループ3.2に分けられている。部門創設から2017年現在までの全ての開催でヤマハ発動機が部門制覇を収めている。

S×S/UTV/SSV

2017年にAUTO/CAR部門から独立した、SSV(サイド・バイ・サイド・ビークル)のための部門。車両はグループT3.3及びT3.3オープンに合致したものが使用される。

過去の規定

ごく初期においては2輪車と4輪車にカテゴリー分けされている程度であり、ナンバープレートが取得可能な車両であればどのような車両であっても大抵の場合は参加することが可能であった。そのため参加車両には、街中を走るごく普通の市販車を改造したものもあり、たとえば2輪部門ではスーパーカブベスパも参加したことがあり、また自動車メーカーのプロトタイプ・カー、軍用車両の流用などもあった。

2008年時点の大まかなクラス分けは下記のとおりで、更に燃料の種類や排気量で細分化されていた。

1997年にワークスチームの ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/08/17 14:05

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