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ダリル・スペンサーとは?


コーチ歴

  • 阪急ブレーブス (1971 - 1972)

この表について
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プロジェクト:野球選手 テンプレート


ダリル・ディーン・スペンサー(Daryl Dean Spencer, 1928年7月13日 - 2017年1月2日)は、アメリカ合衆国カンザス州出身のプロ野球選手(内野手)・プロ野球指導者。

アメリカでのニックネームは「ビッグ・ディー (Big Dee)」。「ドクター・ベースボール」と呼ばれるほど尊敬された人物。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 メジャーリーグ時代
    • 1.2 阪急時代
    • 1.3 現役引退後
  • 2 人物・エピソード
  • 3 詳細情報
    • 3.1 年度別打撃成績
    • 3.2 タイトル
    • 3.3 表彰
    • 3.4 記録
    • 3.5 背番号
  • 4 脚注
  • 5 関連項目
  • 6 外部リンク

経歴

メジャーリーグ時代

1952年にニューヨーク・ジャイアンツ(現:サンフランシスコ・ジャイアンツ)でメジャーデビュー。当初は、内野のユーティリティとして起用されていた。1954年から2年間は兵役でチームを離脱。1956年から戦列復帰し、この頃から正遊撃手となった。以後は1960年セントルイス・カージナルス1961年シーズン途中にロサンゼルス・ドジャース1963年シーズン途中にシンシナティ・レッズと渡り歩いた。ドジャース以降は三塁手としてプレーした。1963年7月19日にレッズを戦力外となった。

阪急時代

1964年阪急ブレーブスに入団し来日。長池徳士とともに阪急の主砲として活躍した。

1965年7月16日、サイクル安打を達成。阪急入団後初めて記録した三塁打がこの記録に結び付いた。尚、日本では当時サイクル安打という概念は無く、スペンサーはサイクル安打を達成した際、自ら記者に「なぜ自分に質問をしてこないのか。これはサイクル安打といって、とんでもない記録なんだよ」と言ったという。これにより、サイクル安打が日本でも認知された。

また1965年には打撃好調で、当時パシフィック・リーグ最強打者として君臨していた野村克也(南海)と激しい三冠王争いをしていた。しかし、当時は他チームであろうと外国人選手にタイトルを取らせたくないという風潮があり、特に8月14日から8月15日にかけてはタイトル争いとは無関係の東京オリオンズ投手陣により8打席連続で歩かされた。8月15日のダブルヘッダー第1試合の先発は「精密機械」の異名をとる大投手小山正明であったが、スペンサーに対しては4打席全てでストレートの四球であった。第2試合も2打席連続四球で、しびれを切らしたスペンサーは次の打席で敬遠球を無理矢理打ち、連続四球は8打席で終わった。この8打席連続四球は当時の日本記録である。また、10月3日には野村克也率いる南海と対戦。このときスペンサーはバットのグリップとヘッドを逆さまに構えて打席に立つという抗議行動に出た。しかし南海は、その打席でもスペンサーを敬遠した。シーズン残り2週間というところで交通事故に巻き込まれて左足を骨折し、欠場を余儀なくされた。スペンサーは最高出塁率のタイトルを獲得したものの、野村の.320、42本塁打、110打点には届かず戦後初の三冠王を許す結果となった。

来日4年目の1967年、38歳となったスペンサーはなお30本塁打を放ち阪急のパ・リーグ初制覇の原動力となった。実はこの年の開幕前、阪急西宮球場ラッキーゾーンが3m前方に移設されていた。6月8日には対南海戦(西京極)の試合前に公式記録席の中沢記録員を訪ね、前日の南海戦(西宮)における一塁守備で失策が記録されていることについて説明を求め、その回答を聞くや、同記録員のスコアカードを破り捨てるという事件を起こしている。この件に対して連盟からは戒告と制裁金5万円が課せられた。公式記録員に対する抗議等で公式に制裁が課せられた出来事は、これがNPBとして唯一である。

1968年に退団したが、1971年に選手兼コーチとして復帰。1972年に再び退団する。この頃にしていた「スペンサーメモ」は、後に阪急に影響を与えた。

現役引退後

故郷のカンザス州ウィチタに戻ると、同州のエル・ドレードを本拠地とするNBC球団ブロンコスの監督を務め、NBCワールドシリーズ制覇に導いた。

2004年にはカンザス州スポーツ殿堂入りを果たした。

2017年1月2日に死去。

人物・エピソード

青田昇は「ナンバーワンの外国人はスペンサー」と語っている。スペンサーは投手のクセや捕手のクセを見抜く眼力が長けていたという。またスペンサーの弟子である高井保弘によるとスペンサーは投手が投げるたびにメモを取っていたといい、それから自分も投手のクセを盗むようになったという。

野村克也は「日本のプロ野球を変えたのはスペンサーとブレイザー」と口癖のように言うという。

伊東一雄の愛称「パンチョ」の名付け親である。

メジャーリーグ時代にワイルドランナーとして知られており、日本でも危険な走塁を何度か試みている。

漫画『巨人の星』では日本シリーズで星飛雄馬と対決し、大リーグボール1号をあわやホームランという大ファウルにするが、続く投球でグリップエンドに命中させるコントロールを見せられ、打ち取られる。

2012年にドジャー・スタジアムの50周年の記念式典に出席した。そのセレモニーの終了後に取材を受け、50年前の思い出、日本の思い出について語っている。日本の野球殿堂入りの話をずっと待っているという。二宮清純はスペンサーについてブレイザーとともに殿堂入りの価値がある旨を語っている。

詳細情報

年度別打撃成績




【球

団】


































































O
P
S

1952 | NYG
SF
 | 7 | 18 | 17 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 7 | 3 | 0 | 0 | 0 | -- | 1 | -- | 0 | 4 | 0 | .294 | .333 | .412 | .745
1953 | 118 | 455 | 408 | 55 | 85 | 18 | 5 | 20 | 173 | 56 | 0 | 1 | 2 | -- | 42 | -- | 3 | 74 | 11 | .208 | .287 | .424 | .711
1956 | 146 | 534 | 489 | 46 | 108 | 13 | 2 | 14 | 167 | 42 | 1 | 3 | 4 | 3 | 35 | 2 | 3 | 65 | 10 | .221 | .275 | .342 | .617
1957 | 148 | 590 | 534 | 65 | 133 | 31 | 2 | 11 | 201 | 50 | 3 | 1 | 2 | 3 | 50 | 0 | 1 | 50 | 15 | .249 | .313 | .376 | .689
1958 | 148 | 626 | 539 | 71 | 138 | 20 | 5 | 17 | 219 | 74 | 1 | 0 | 3 | 8 | 73 | 4 | 3 | 60 | 17 | .256 | .343 | .406 | .750
1959 | 152 | 621 | 555 | 59 | 147 | 20 | 1 | 12 | 205 | 62 | 5 | 0 | 3 | 5 | 58 | 4 | 0 | 67 | 14 | .265 | .332 | .369 | .701
1960 | STL | 148 | 596 | 507 | 70 | 131 | 20 | 3 | 16 | 205 | 58 | 1 | 1 | 1 | 2 | 81 | 7 | 5 | 74 | 15 | .258 | .365 | .404 | .769
1961 | 37 | 153 | 130 | 19 | 33 | 4 | 0 | 4 | 49 | 21 | 1 | 0 | 0 | 0 | 23 | 3 | 0 | 17 | 8 | .254 | .366 | .377 | .743
LAD | 60 | 217 | 189 | 27 | 46 | 7 | 0 | 8 | 77 | 27 | 0 | 1 | 3 | 1 | 20 | 1 | 4 | 35 | 5 | .243 | .327 | .407 | .735
'61計 97 | 370 | 319 | 46 | 79 | 11 | 0 | 12 | 126 | 48 | 1 | 1 | 3 | 1 | 43 | 4 | 4 | 52 | 13 | .248 | .343 | .395 | .738
1962 | 77 | 191 | 157 | 24 | 37 | 5 | 1 | 2 | 50 | 12 | 0 | 0 | 2 | 0 | 32 | 4 | 0 | 31 | 7 | .236 | .365 | .318 | .684
1963 | 7 | 13 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 1 | .111 | .333 | .111 | .444
CIN | 50 | 192 | 155 | 21 | 37 | 7 | 0 | 1 | 47 | 23 | 1 | 0 | 0 | 5 | 31 | 0 | 1 | 37 | 0 | .239 | .359 | .303 | .663
'63計 57 | 205 | 164 | 21 | 38 | 7 | 0 | 1 | 48 | 23 | 1 | 0 | 1 | 5 | 34 | 0 | 1 | 39 | 1 | .232 | .358 | .293 | .651
1964 | 阪急 | 146 | 605 | 511 | 89 | 144 | 32 | 0 | 36 | 284 | 94 | 4 | 0 | 2 | 7 | 85 | 5 | 0 | 80 | 13 | .282 | .380 | .556 | .936
1965 | 123 | 485 | 405 | 68 | 126 | 21 | 1 | 38 | 263 | 77 | 1 | 3 | 0 | 1 | 79 | 9 | 0 | 64 | 12 | .311 | .423 | .649 | 1.072
1966 | 125 | 477 | 403 | 51 | 112 | 28 | 2 | 20 | 204 | 63 | 0 | 4 | 0 | 2 | 71 | 12 | 1 | 72 | 14 | .278 | .386 | .506 | .892
1967 | 124 | 486 | 413 | 65 | 113 | 17 | 0 | 30 | 220 | 68 | 1 | 1 | 0 | 6 | 62 | 8 | 5 | 70 | 7 | .274 | .370 | .533 | .903
1968 | 108 | 369 | 316 | 37 | 73 | 16 | 0 | 18 | 143 | 55 | 0 | 1 | 1 | 3 | 48 | 9 | 1 | 71 | 5 | .231 | .332 | .453 | .784
1971 | 54 | 128 | 108 | 13 | 27 | 5 | 0 | 6 | 50 | 21 | 0 | 0 | 0 | 2 | 14 | 3 | 4 | 22 | 3 | .250 | .352 | .463 | .815
1972 | 51 | 91 | 77 | 9 | 20 | 1 | 0 | 4 | 33 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | 2 | 20 | 3 | .260 | .374 | .429 | .802
MLB:10年 1098 | 4206 | 3689 | 457 | 901 | 145 | 20 | 105 | 1401 | 428 | 13 | 7 | 21 | 27 | 449 | 25 | 20 | 516 | 103 | .244 | .327 | .380 | .707
NPB:7年 731 | 2641 | 2233 | 332 | 615 | 120 | 3 | 152 | 1197 | 391 | 6 | 9 | 3 | 21 | 371 | 47 | 13 | 399 | 57 | .275 | .379 | .536 | .915

タイトル

NPB

表彰

NPB

記録

NPB初記録
NPB節目の記録
NPBその他の記録

背番号

脚注

  1. ^ Daryl Spencer Statistics and History” (英語). Baseball Reference.com. 2017年1月5日閲覧。
  2. ^ 【8月15日】1965年(昭40) 満塁でも“故意四球” スペンサー、8打席連続四球」Sponichi Annex 2017年11月4日閲覧。
  3. ^ このスペンサーの発言がきっかけで後に日本野球機構は過去に遡ってサイクル安打達成者を調査(初代達成者は藤村富美男)、またサイクル安打を達成した者は連盟表彰が行われる様になり、通算150本塁打、100勝などの節目の記録と同様に記録達成者として公式に名前が残る事になった。
  4. ^ Wichita baseball legend Daryl Spencer dies”. The Wichita Eagle (2017年1月2日). 2017年1月5日閲覧。
  5. ^ “元阪急のスペンサー氏が死去 地元メディアが報じる 88歳”. デイリースポーツ. (2017年1月3日). https://www.daily.co.jp/baseball/2017/01/03/0009799926.shtml 2017年1月3日閲覧。
  6. ^ 二宮清純「プロ野球の時間」(第1、3火曜更新) : 第440回 最も日本プロ野球に影響を与えた外国人選手、ダリル・スペンサー」二宮清純責任編集スポーツコミュニケーションズ 2014年2月24日閲覧。
  7. ^ 二宮清純「日本野球近代化に貢献した2人の元メジャーリーガー」(1ページ目)」Sportsプレミア 2014年2月24日閲覧。
  8. ^ CX系プロ野球ニュース「It's time for Major League Baseball」(メジャーリーグコーナー)内における伊東一雄本人談。
  9. ^ 「日本の野球殿堂はまだか」今だ健在スペンサー(674回)」蛭間豊章記者の「Baseball inside」 2014年2月24日閲覧。
  10. ^ 二宮清純「日本野球近代化に貢献した2人の元メジャーリーガー」(3ページ目)」Sportsプレミア 2014年2月24日閲覧。

関連項目

外部リンク

業績
日本シリーズ優秀選手
1950年代 | 

1960年代 | 
  • 1960 近藤和彦
  • 1961 塩原明
  • 1962 岩下光一
  • 1963 王貞治
  • 1964 K.ハドリ
  • 1965 林俊彦
  • 1966 長嶋茂雄
  • 1967 D.スペンサー
  • 1968 柴田勲
  • 1969 足立光宏

  • 1970年代 | 
  • 1970 黒江透修
  • 1971 黒江透修
  • 1972 長嶋茂雄
  • 1973 高田繁
  • 1974 山崎裕之
  • 1975 中沢伸二, 外木場義郎
  • 1976 B.ウイリアムス
  • 1977 福本豊
  • 1978 若松勉
  • 1979 水谷実雄

  • 1980年代 | 
  • 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰
  • 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正
  • 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義
  • 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清
  • 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊
  • 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二
  • 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実
  • 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己
  • 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治
  • 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

  • 1990年代 | 
  • 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤
  • 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎
  • 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也
  • 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也
  • 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦
  • 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾
  • 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー
  • 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛
  • 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広
  • 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

  • 2000年代 | 
  • 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成
  • 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満
  • 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之
  • 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎
  • 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信
  • 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁
  • 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲
  • 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博
  • 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広
  • 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一

  • 2010年代 | 
  • 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平
  • 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩
  • 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー
  • 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也
  • 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太
  • 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太
  • 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔
  • 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濱口遥大
  • 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃


  • 日本シリーズ打撃賞
    1950年代 | 

    1960年代 | 
  • 1960 金光秀憲
  • 1961 宮本敏雄
  • 1962 吉田義男
  • 1963 城戸則文
  • 1964 山内一弘
  • 1965 森昌彦
  • 1966 柴田勲
  • 1967 森本潔
  • 1968 D.スペンサー
  • 1969 長嶋茂雄

  • 1970年代 | 
  • 1970 長嶋茂雄
  • 1971 末次民夫
  • 1972 王貞治
  • 1973 末次民夫
  • 1974 有藤通世
  • 1975 大橋穣
  • 1976 福本豊, 柴田勲
  • 1977 張本勲
  • 1978 島谷金二
  • 1979 高橋慶彦

  • 1952年は最高打撃賞、1953年から1963年は首位打者賞、1964年から1979年は打撃賞。1979年限りで廃止。

    日本プロ野球オールスターゲームMVP
    1950年代 | 

    1960年代 | 
  • 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲
  • 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎
  • 1962 ブルーム, 張本勲
  • 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅
  • 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ
  • 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一
  • 1966 広瀬叔功, 榎本喜八,
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    出典:wikipedia
    2019/08/21 18:19

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