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チューリッヒとは?

チューリッヒ
Zürich,Züri / Zurich / Zurigo

チューリッヒ市内

基礎自治体

位置

チューリッヒの位置
座標 : 北緯47度22分0秒 東経8度33分0秒 / 北緯47.36667度 東経8.55000度 / 47.36667; 8.55000
行政
スイス
チューリッヒ州
チューリッヒ区
基礎自治体 チューリッヒ
市長 Corine Mauch
(スイス社会民主党)
地理
面積 | 
基礎自治体域 87.88 km (33.93 mi)
標高 408 m (1,339 ft)
人口
人口 (2011年12月現在)
基礎自治体域 376,008人
人口密度 4,092人/km
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 8000-8099
市外局番 044, 043
公式ウェブサイト : http://www.stadt-zuerich.ch/
リマート河
グロスミュンスター
チューリッヒ周辺の地形

チューリッヒ(ドイツ語: Zürich, ドイツ語発音: [ˈtsyːrɪç]; スイスドイツ語: Züri )は、スイス最大の都市でチューリッヒ州の州都である。スイス中央部にあり 、チューリッヒ湖の北西端に位置している。チューリッヒ市の人口は約390,000人で、チューリッヒ都市圏地域には200万人近くが居住している。チューリッヒは鉄道、道路、航空など交通の要衝で、チューリッヒ国際空港チューリッヒ中央駅共にスイスでは最大規模で交通量が多い。7,000年間継続的に人が居住しているが、チューリッヒはローマ人により創建された紀元前15年のトゥリクムTuricumと呼ばれていた時代に遡る。中世、チューリッヒは独立性と帝国直接身分を得ており、1519年にはフルドリッヒ・ツヴィングリが導くスイスのドイツ語圏でのプロテスタント宗教改革の発祥とその中心であった。

チューリッヒは欧州有数の世界都市であり、2016年に発表された「世界の都市総合力ランキング」では、世界16位と評価された。また、世界の巨大な金融センターの一つに含まれる。2017年の調査によると、世界11位の金融センターであり、ヨーロッパの都市ではロンドンに次ぐ2位である。街には多くの金融機関や大手銀行、研究開発センターが立地している。これは、法人税率の低さが海外の企業が本社を設置する際に魅力的であるためである。ライフスタイルマガジン (Monocle) の2012年の生活の質の調査 "Quality of Life Survey" でチューリッヒはリストされた25都市中1位であった。いくつかの調査によれば、2006年から2008年にチューリッヒは世界で最も居住に適した都市 との評価があり、同様にヨーロッパでは最も裕福な都市とされた。2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第31位の都市と評価されており、同国では第1位である。治安・教育水準・各種インフラ等バランスよく整っている。なかでも金融においてはひときわ有名であり、数多くの金融機関・投資ファンド・投資家が存在している。特にチューリッヒに拠点を置く投機筋は「チューリッヒの小鬼」と呼ばれ国際市場に大きな影響力を持っている。国際サッカー連盟(FIFA)をはじめとして、多くの国際機関国際団体の本部も存在する。多くの博物館や美術館がチューリッヒ市内には立地しており、その中にはスイス国立博物館チューリッヒ美術館が含まれる。チューリッヒはまたドイツ語圏では最も重要な劇場の一つがある。

目次

  • 1 呼称と表記
  • 2 地理
    • 2.1 地勢
    • 2.2 気候
  • 3 歴史
    • 3.1 初期の歴史
    • 3.2 スイス原初同盟
    • 3.3 近代
    • 3.4 紋章
  • 4 行政
    • 4.1 行政区画
  • 5 交通
  • 6 統計
    • 6.1 言語
    • 6.2 宗教
    • 6.3 その他
  • 7 みどころ
    • 7.1 教会
    • 7.2 博物館・美術館
    • 7.3 公園
    • 7.4 建築
    • 7.5 世界遺産
  • 8 経済
    • 8.1 経済力への寄与
    • 8.2 スイス証券取引所
  • 9 教育・研究機関
  • 10 メディア
    • 10.1 テレビ・ラジオ
    • 10.2 新聞
  • 11 文化
    • 11.1 オペラ・バレエ・劇場・オーケストラ
  • 12 スポーツ
    • 12.1 イベント
  • 13 ゆかりの人物
    • 13.1 チューリッヒ出身またはチューリッヒで没した人物
    • 13.2 著名な居住者
  • 14 姉妹都市
  • 15 関連項目
  • 16 脚注
  • 17 外部リンク

呼称と表記

各国語における呼称は以下のとおり。

創建時のラテン語名は Turicum トゥリークム。2世紀後半の墓碑に STA TVRICEN の碑銘が見られ、これは Statio Turicensis、すなわち「トゥリークムの徴税所」を意味するものとされる。語源は明らかでないが、一説にガリア語の人名 Tūros に由来するとも言われる。ゲルマン語では6世紀の段階で Ziurichi の形が見られるが、10世紀以降には Zurich に近い形に収斂していった。

広告などでは、チューリッヒは「スイスのダウンタウン」などと呼ばれることもある。

地理

チューリッヒは、アルプス山脈の北側 30キロメートル (19 mi)にあるチューリッヒ湖の北端に位置し、海抜は408 m (1,339 ft)である。森林に覆われた東西の丘陵地に周囲を囲まれている。旧市街はリマト川の両岸に開けている。リマト川はチューリッヒ湖から流れ出し、はじめは北側に向かって流れ、徐々に西に向きを変える。チューリッヒの地理的、歴史的な中心はリンデンホーフの丘で、この丘は小さな自然の丘でリマト川の西岸にあり、リマト川の起点であるチューリッヒ湖から700 m (2,300 ft)北の地点に位置する。今日一体化した市街地は、ある程度丘陵地の自然の水路境界を超え北東部のグラット谷(Glattal)や北部のリマト谷(Limmattal)へ伸びている。旧市街の範囲はシャンツェングラーベン運河で容易に分かる。この人工的な運河は17-18世紀のチューリッヒ要塞建築時に利用された。

地勢

チューリッヒ市の市域面積は91.88 km (35.48 sq mi)で、そのうちチューリッヒ湖の占める範囲は 4.1 km (1.6 sq mi) である。市域はスイス高原に含まれている。リマト川の河岸は市街の密集地に続いている。川は南東・北西方向に向かい2-3kmの幅の平坦な谷間が広がる。部分的にリマト川の水路は開け真っ直ぐになるが、谷間の中央部は流れず常に右(北東)に沿って流れる。ズィル川はリマト川とプラットシュピッツの端で合流しこの付近にはスイス国立博物館がある。リマト川は市内で一番海抜が低い地点であるオーバーエングストリンゲン(392m)に達する。

リマト川流域の西側は森林の多いアルビスの高台が続き、西側の境界に沿って続いている。ユトリベルクは海抜869 m (2,851 ft)で周辺部では一番高い地点で、ユトリベルク鉄道で容易に頂上まで登ることが出来る。頂上のプラットホームの展望塔からは市街地や湖、アルプスなど印象的なパノラマを眺めることが出来る。リマト川流域の北東部には一連の丘が含まれ、リマト川とグラット川の分水嶺になっている。北東から南西にかけての大部分は樹木の茂った丘陵地が増え、グブリスト(615 m/2,018 ft)、ヘンガーベルク(541 m/1,775 ft)、ケーフェルベルク(571 m/1,873 ft)、チューリッヒベルク (676 m/2,218 ft) 、アトリスベルク(701 m/2,300 ft)が含まれる。ケーフェスベルクとチューリッヒベルクの間にはミルヒブック(Milchbuck,約470m)の鞍部にはリマト谷からグラット谷への主要な道が配されている。市域北端はグラット谷の平野とグラット谷とフルト谷を結ぶ鞍部に及ぶ。また、カッツェン湖とビュジ湖(Büsisee)共にカッツェンバッハによりグラットに流出し市内に属している。

気候

チューリッヒの気候は定義に応じて海洋性気候もしくは湿潤大陸性気候に分けられる。ケッペンの気候区分ではCfb/Dfbで四季がはっきりとしている。チューリッヒの気候の決め手は風向で、西風は降水をもたらし東または北東の風であるBiseは通常、高気圧の状態と結び付くが平均気温より低い冷涼な天気になる。フェーン現象はアルプス北側の谷では重要な役割を担い、チューリッヒには限られた影響を及ぼす。年平均気温は8.5℃で観測はスイス気象局(海抜556mのチューリッヒベルク頂上と海抜150mの市中心部)により行われている。最寒月の1月の平均気温は-0.5℃で最暖月の平均気温は7月の17.6℃である。年平均88日程度は気温が0℃以下に下がり、26日程度は最高気温が0℃以下である。年間を通じて夏期の30日程度は気温が25℃以上になるが、30℃以上になるのは3日程度だけである。7月の最高気温の平均は23.6℃で、平均最低気温は11.6℃である。春や秋は通常、涼しく穏やかである。これらの値は台地上の観測点では比較的低くなるが、これは標高により説明出来る。リマト谷では夏日や真夏日がより多く予想される。チューリッヒは年間の日照時間が1,482時間で年間降水量は1,136mmになる。1年の半分は暖かく、特に夏の3ヶ月間の降水量は冬の観測よりも多くなる。クローテン観測所では年間降水量は1,031mmに達する。

チューリッヒ (クローテン, 1961–1990)の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
平均最高気温 °C (°F) 2.0
(35.6) | 4.5
(40.1) | 8.8
(47.8) | 13.2
(55.8) | 17.9
(64.2) | 21.2
(70.2) | 23.6
(74.5) | 22.7
(72.9) | 19.5
(67.1) | 13.7
(56.7) | 7.0
(44.6) | 3.1
(37.6) | 13.1
(55.6)
平均最低気温 °C (°F) -4.1
(24.6) | -3.2
(26.2) | -0.7
(30.7) | 2.5
(36.5) | 6.4
(43.5) | 9.7
(49.5) | 11.6
(52.9) | 11.2
(52.2) | 8.5
(47.3) | 4.9
(40.8) | 0.2
(32.4) | -2.8
(27) | 3.7
(38.7)
降水量 mm (inch) 67
(2.64) | 68
(2.68) | 68
(2.68) | 78
(3.07) | 96
(3.78) | 115
(4.53) | 106
(4.17) | 121
(4.76) | 83
(3.27) | 70
(2.76) | 84
(3.31) | 74
(2.91) | 1,031
(40.59)
平均降水日数 10.9 | 9.5 | 10.9 | 11.6 | 12.4 | 12.2 | 11.2 | 11.5 | 8.4 | 8.0 | 10.1 | 10.4 | 127.1
% 湿度 86.0 | 81.5 | 75.5 | 72.8 | 72.4 | 72.9 | 72.2 | 75.2 | 78.9 | 84.9 | 85.4 | 86.1 | 78.7
平均月間日照時間 35 | 69 | 115 | 144 | 176 | 191 | 223 | 195 | 155 | 92 | 49 | 31 | 1,475
出典: MeteoSchweiz

歴史

初期の歴史

ローマ期のチューリッヒ

チューリッヒ湖周辺では新石器時代や青銅器時代の集落が発見されている。ローマ以前である、ラ・テーヌの集落もリンデンホーフの丘の近くで発見されている。ローマ・ガリアの時代、トゥリクム Turicumガリア・ベルギカ(90年からはゲルマニア・スペリオル)とラエティアの国境としてリマト川を行き来する交易の税関であった。後に318年に皇帝コンスタンティヌス1世の改革により、ガリアとイタリア(ローマ帝国の行政区画の4つのうちの2つ)の間の国境はトゥリクムの東に位置しヴァレン湖チューリッヒ湖の間のリント川を横切っており、城や駐屯部隊はトゥリクムの安全を見守っていた。初期に書かれた記録では街の歴史は2世紀からでリンデンホーフで発見された墓石が示している。

5世紀にゲルマン人の部族連合アラマンニ人スイス高原に定住するようになった。ローマの城は7世紀までは残っていた。カロリング朝の城がカール大帝の孫であるルートヴィヒ2世によりローマの城跡に建てられ、835年に言及されている。 ルートヴィヒはまた、853年に娘のヒルデガルド(Hildegard)のために聖母聖堂を設立した。彼はベネディクト会の女子修道院とチューリッヒの土地、ウーリアルビスの森が授けられ、直接統治におくことにより修道院に庇護を与えた。1045年、ハインリヒ3世は修道院に対し、市場の保持や通行税の徴収、貨幣の鋳造などの権利を与え修道院は効果的に街の支配者となった。

チューリッヒは1218年に帝国直接身分(帝国自由都市、Reichsunmittelbar)となり、ツェーリンゲン家の主流の消滅と国家の地位と同等の地位を達成している。1230年代、38ヘクタールを囲む城壁が築かれレンヴェーク(Rennweg)の上の初期の石造の建物も築かれた。カロリングの城は荒れ果て始め、石切り場として使われていた。フリードリヒ2世は1234年に聖母聖堂の修道院院長の階級を公爵に格上げした。修道院院長は市長を任命し、彼女は街の市民に硬貨の鋳造をしばしば委任した。14世紀には修道院の政治的な力は徐々に衰え、小商人、手工業者などによる自治運動が高まり、1336年にルドルフ・ブルンによりギルドのシステム(Zunftordnung)が組織され、彼は最初の修道院長によって任命されない独立した市長となり平民も自治に参加する様になった。

14世紀初期の重要な出来事にはマネッセ写本の完成で、中世ドイツ詩の鍵となる資料の一つである。この有名な装飾写本は「世紀の最も美しく照らされたドイツ語の写本」として言い表され、写本はチューリッヒのマンネッセ家の依頼により、1304年から1340年の間に写本され、挿絵が施された。このような写本を作り上げるには高度に熟練した写本筆写者の何年もの作業を必要とし、非常に高く付く威信のかかったプロジェクトで、それは明らかにこの時代に増えたチューリッヒ市民の富と名誉を証明している。

スイス原初同盟

古チューリッヒ戦争の一場面

1351年5月1日、チューリッヒ市民(imperial immediacy)はルツェルンシュヴィーツウーリウンターヴァルデンスイス原初同盟(Eidgenossenschaft)のメンバーに忠誠を誓わなければならなかった。チューリッヒは同盟の5番目のメンバーとなり、この時点で同盟は事実上緩やかな独立国の連合であった。チューリッヒは1468年から1519年までカントンの議会の主宰を務めていた。この機関は中世からスイス連邦が成立する1848年まで同盟の立法と法の執行機関であった。チューリッヒは1440年に一時的に同盟から追放されたが、これは他のメンバー国とのトーゲンブルク(Toggenburg)の領土の争いによる戦争(古チューリッヒ戦争)によるものであった。1446年に和平合意が成された時にはどちらも意味のある勝利には達しておらず、チューリッヒは1450年に同盟に再加盟している。

1576年頃のチューリッヒの街を表した地図 Murerplan

フルドリッヒ・ツヴィングリ(1484-1531)は1520年代にグロスミュンスター で主要な聖職者を務めていた時にスイスの宗教改革を始めた。チューリッヒ聖書はツヴィングリの編纂を基本とし、1531年に発行された。宗教改革の結果、国の状況やチューリッヒの市民生活は大きく変わり、その影響は他の多くのカントンにも広がって行った。いくつかのカントンではカトリックが残り、それが元になり深刻な争い(第一次カッペル戦争)からついには第二次カッペル戦争が勃発している。16世紀から17世紀の間、チューリッヒの議会は孤立主義的な態度を取り、その結果、1624年に第二の壮大な城郭が築かれている。ヨーロッパ各地で激しさを増した三十年戦争は都市に城壁を築く動機付けとなった。要塞には多くの資源を必要とし、それはいかなる合意にも達すること無く支配領域から集められた。後に続いた反乱は容赦なく潰されている。

1648年、チューリッヒは都市自体を共和国として宣言し、以前の帝国自由都市の地位を捨て去った。

1798年のヘルヴェティア革命では旧体制の陥落が見られ、チューリッヒは土地とその経済的特権の支配を失い、街とカントンは所有権は1803-1805年の間、分離されていた。1839年には9月6日の地方の保守主義者の反乱であるチューリッヒのクーデター(Züriputsch)の後、要求に屈しなければならなかった。17世紀に築かれた城壁のほとんどは、都市の覇権に対する地方の懸念をかつての城壁による包囲なしで消すためにほとんどは取り除かれた。チューリッヒ条約がオーストリア、フランス、サルデーニャの間で1859年に署名された。

近代

1900年のバーンホフ広場

チューリッヒは1839-1840年の連邦の首都で、1839年の保守政党の勝利はスイスのあちこちで大きな物議を引き起こした。しかし、1845年に急進派がチューリッヒで再び力を得るとチューリッヒは再び1845-1846年に連邦の首都となり、チューリッヒは分離同盟のカントンには反対でリードを奪った。分離同盟戦争に続いてスイス連邦が形成され、チューリッヒは1848年と1874年にスイス連邦の憲法に賛成票を投じている。非常に多くのチューリッヒへの移民の流入は1830年以降、街に労働者階級の生活の場を作ったがこれらの人々は市民権を持っておらず自治体には関わっていなかった。これまで高い税だけを支払っていた移民にも1860年に学校が開かれ、次に1875年に居住10年の住民に市民権が与えられている。広範囲な開発は19世紀に行われた。1847年からはスイスの領域では初の鉄道であるSpanisch-Brötli-Bahnチューリッヒ中央駅に乗り入れ、これはスイスの鉄道網の発祥であった。現存する中央駅の駅舎は1871年に遡る。バーンホフ通りは1867年に敷かれて、チューリッヒ証券取引所は1877年に設立されている。工業化は街に移住をもたらし、この間人口は特にチューリッヒ郊外で急増し1893年には11の街の外側の地区がチューリッヒに編入された。第二次世界大戦ではチューリッヒは枢軸国からの空襲の被害を受けている。

紋章

チューリッヒの市庁舎に掲げられた紋章

青と白のチューリッヒの紋章は1389年から認められ、青と白のストライプが入った旗は1315年から使われている。現在と同じ旗と同じデザインの物の確かな証拠は1434年からで、紋章には2頭のライオンが両側に立っている。旗の上に掲げられた赤のSchwenkelにはいろいろな解釈がある。チューリッヒの人々にはルドルフ1世が与えた名誉の印で、チューリッヒ近隣の人々は1292年にヴィンタートゥールで失った旗の記念で恥の印として嘲笑している。今日、チューリッヒ州とチューリッヒ市は同じ紋章を使っている。

行政

市評議会(Stadtrat) はチューリッヒ市の行政府を構成しており、都市参事会として運営されている。9人の議員で構成され、それぞれが各部門を統轄している。行政部門の長は市長の役割を担っており、現在の市長はコリーネ・マウフである。部門別の任務や調整、市議会により議決された法律の執行は市評議会により行われる。市評議会の選挙は登録された有権者により4年ごとに行われている。行政府の会議はリマト川河岸の市庁舎で行われる。市庁舎は1883年にルネサンス様式で建てられた。 一方、市議会(Gemeinderat)は立法府として機能しており、125名の議員で構成され4年ごとの選挙で選出されており市議会は市評議会と当局により執行される規則と法律を命じる。市議会の審議は公開されていて、市評議会のメンバーとは異なり市議会のメンバーは政治家ではないが彼らは出席に応じて報酬が支払われている。投票可能なチューリッヒのどの市民でも市議会のメンバーとして選ばれることは可能である。市議会の審議は市庁舎と反対側のタウンホールで行われている。

2010年現在、チューリッヒ市評議会はスイス社会民主党が4人(1人は市長)、スイス自由民主党が2人、スイス緑の党が2人、スイスキリスト教民主党が1人で構成されている。

行政区画

チューリッヒの衛星写真
チューリッヒの行政区

1893年以前のチューリッヒ市の範囲は多かれ少なかれ、旧市街の場所と同じ意味であった。1893年と1934年の2回行われた市域拡張により、チューリッヒ市は周辺の多くの自治体と合併し、19世紀以来それらとともにますます大きく成長した。今日のチューリッヒは12の地区(Kreis )に分けられておりそえぞれに1から12の番号が振られている。5から12の地区は中心部の1から4の周辺部の地区に割り当てられている。ほとんどの地区の範囲はチューリッヒ市に併合される以前に存在した自治体の範囲とほぼ同じである。

交通

チューリッヒ湖の外輪船

公共交通機関はチューリッヒでは非常にポピュラーで、市民の多くが利用している。チューリッヒにやって来る人の70%はバスかトラムを利用し、市内交通の50%は公共交通が担っている。チューリッヒ市内やチューリッヒ州ではチューリッヒ交通連合(ZVV)のネットワークは世界でも高い交通密度を示しており、運行頻度も高くなっている。チューリッヒの公共交通機関にはSバーン(近郊電車)、チューリッヒ市交通局の運営するチューリッヒ市電(トラム)、路線バス(ディーゼルやトロリーバス)がある。これらに加えて湖や河川で運航される船やケーブルカーアドルスヴィルフェルツェンエッグを結ぶロープウェイ(LAF)が含まれる。切符はZVVのエリア内であればSバーン、トラム、バス、船の交通機関に対して有効である。チューリッヒ湖汽船会社(一般的にZSG)は客船をリマト川やチューリッヒ湖で運航しており、チューリッヒ周辺の町とラッパースウィルを結んでいる。

チューリッヒは鉄道や道路、航空など様々な交通の要衝である。チューリッヒ中央駅はスイスでは一番大きく忙しい駅でヨーロッパでも重要な中枢となる駅である。チューリッヒ市内にはチューリッヒ・エリコン駅チューリッヒ・シュタデルホーフェン駅チューリッヒ・ハルトブリュッケ駅チューリッヒ・ティーフェンブルネン駅チューリッヒ・エンゲ駅チューリッヒ・ゼレナウ駅チューリッヒ・ヴィディコン駅チューリッヒ・アルトシュテッテン駅などがある。鉄道路線は主にスイス連邦鉄道(SBB/CFF/ FFS)により運行されインターシティユーロシティなどの列車で近隣国と結ばれている。

チューリッヒ国際空港は市街から北西部に10km離れたクローテンにあり、スイス インターナショナル エアラインズのハブ空港となっている。中東や欧米を始め、アジア、アフリカなど世界各都市とそれぞれの航空会社により結ばれている。チューリッヒ空港の旅客ターミナルの地下には鉄道駅があり、チューリッヒ中心部を始めスイスの主要都市とは鉄道により結ばれている。 A1 (en) やA3 (en) 、A4 (en) などのアウトバーンがチューリッヒ付近を通っており、A1は西部の首都ベルンやジュネーヴ、東部のザンクト・ガレン、A4は北側のシャフハウゼン、A3は北西側のバーゼルや南部のチューリッヒ湖、ヴァレン湖ザルガンスとを結んでいる。

統計

アウグスティナー通り

チューリッヒには2011年現在、約39万人の人々が居住しており、スイス最大の都市となっている。住民登録されている人口の31%に当たる121,017人はスイスの市民権を有していない。これらの人たちはドイツ人が31,124人(8%)、続いてイタリア人が13,144人(3.4%)で大きなグループを構成している。市域を含んだ郊外も含めた人口は119万人である。ヴィンタートゥールバーデンブルックシャフハウゼンフラウエンフェルトウスターヴェッツィコーンラッパースヴィール=ヨーナツークなどの自治体を含めた大都市圏地域の人口は約183万人である。

言語

政府機関や出版物、ニュース、大学や学校、裁判所、劇場や様々な書類などにはスイス標準ドイツ語が使われ、一方のもともとの話し言葉はチューリッヒドイツ語(Züridüütsch)が使われており、これらは多かれ少なかれ区別が付くがスイス・ドイツ語方言とは相互に理解出来、中世のアレマン語諸語にルーツがある。しかしながら、チューリッヒはスイスの中では重要な場所であることから住民や通勤者のすべての種類のドイツ語の方言を聞くことが出来る。2010年12月現在の統計では人口の69.3%はスイス・ドイツ語とスイス標準ドイツ語を使うダイグロシアで、家庭では母語としている。22.7%の住民は標準ドイツ語を家庭で使っている。2000年に行われた統計調査以降、英語話者は急激に増加し今では8.8%を占める。それに続きフランス語が4.5%、セルビア・クロアチア語が4.1%、スペイン語は3.9%、ポルトガル語が3.1%、アルバニア語が2,.3%を占めている。この調査では複数の選択が可能であり、人口の約20%の人々は家庭で2つもしくはそれ以上の言語を使用していることが判明した。

宗教

【チューリッヒ宗教人口割合 - 2014】

宗教 |  |  | パーセント | 
カトリック | 
 | 30%
プロテスタント | 
 | 26%
その他キリスト教徒 | 
 | 7%
イスラム教 | 
 | 5%
ユダヤ教 | 
 | 1%
その他
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/12/19 18:37

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