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ディープインパクト_(競走馬)とは?

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この記事は「新馬齢表記」で統一されています。詳しくはこちらを参照してください。

【ディープインパクト】

2009年8月13日、社台スタリオンステーションにて

【現役期間】
2004年 - 2006年
【欧字表記】
Deep Impact
【香港表記】
大震撼
【品種】
サラブレッド
【性別】

毛色
鹿毛
【生誕】
2002年3月25日
【死没】
2019年7月30日(17歳没)
【登録日】
2004年12月19日
【抹消日】
2006年12月25日
【父】
サンデーサイレンス
【母】
ウインドインハーヘア
母の父
Alzao
【生国】
日本(北海道早来町)
【生産】
ノーザンファーム
馬主
金子真人
→金子真人ホールディングス(株)

調教師
池江泰郎(栗東)
調教助手
池江敏行
厩務員
市川明彦
【競走成績】

【タイトル】
JRA賞年度代表馬(2005年・2006年)
最優秀3歳牡馬(2005年)
最優秀4歳以上牡馬(2006年)
顕彰馬
【生涯成績】
14戦12勝
(中央競馬13戦12勝)
(フランス1戦0勝)
【獲得賞金】
14億5455万1000円
WTRR
L124-E118 / 2005年
L127-E123 / 2006年
勝ち鞍
GI | 皐月賞 | 2005年
GI | 東京優駿 | 2005年
GI | 菊花賞 | 2005年
GI | 天皇賞(春) | 2006年
GI | 宝塚記念 | 2006年
GI | ジャパンカップ | 2006年
GI | 有馬記念 | 2006年
GII | 弥生賞 | 2005年
GII | 神戸新聞杯 | 2005年
GII | 阪神大賞典 | 2006年


【繁殖成績】

【タイトル】
日本リーディングサイアー(2012-2019年)

ディープインパクト(: Deep Impact2002年(平成14年)3月25日 - 2019年(令和元年)7月30日)は、日本サラブレッドである。

2005年(平成17年)に日本競馬史上6頭目の中央競馬クラシック三冠(無敗での達成は1984年のシンボリルドルフに次いで2頭目)を達成、2006年(平成18年)には日本調教馬としては初めて芝部門・長距離部門で世界ランキング1位となった。種牡馬としては2012年から2019年の日本のリーディングサイアーである。

このほか2005年JRA賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬、2006年に年度代表馬・最優秀4歳以上牡馬を受賞し、 2008年(平成20年)には顕彰馬に選出された。

競走馬時代

出自-デビュー前

ノーザンファーム時代

2002年(平成14年)3月25日北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで誕生。同期にはシーザリオカネヒキリラインクラフトインティライミヴァーミリアンが名を連ね、ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと語っている。

0歳時にセレクトセールに「ウインドインハーヘアの2002」として上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。馬体が薄かったことから上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目の落札価格だった。購入した金子は「瞳の中に吸い込まれそうな感覚に襲われた」と証言するほどこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた。

ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。広い場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと語っている。

1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した。その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった。

池江泰郎厩舎に入厩

池江泰郎

ディープインパクトは2004年(平成16年)4月15日に早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた。そして同年9月8日栗東トレーニングセンター池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手市川明彦厩務員が担当することになった。初めてディープインパクトを見た市川は、同馬が小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。

入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。この時、調教助手の池江敏行がきっとバテバテになってしまっているに違いないと心配して駆け寄ったところ、ディープインパクトは「汗一つかいておらずケロっとしていた」といい、このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。その後12月に武豊騎乗でデビューすることが決定したため、デビュー戦4日前の調教で武豊が初めて騎乗することになった。池江敏行は武に「この馬、ひょっとしたらとんでもない馬かもしれないよ。久々に味わった、気持ちいいぐらいの背中なんだ」と言い、武が騎乗したディープインパクトは栗東トレーニングセンターのCウッドコースを6ハロン81秒5、ラスト3ハロン38秒3、1ハロン12秒5という時計で走り、併せた馬に1.6秒先着した。調教を終えると武豊は池江敏行に「敏行さん、この馬、ちょっとやばいかも」と興奮気味に話し、翌年の活躍に期待した。

2歳 - 3歳(2004年 - 2005年)

新馬戦から東京優駿まで

2004年(平成16年)12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。武豊は引退まで手綱を握ることとなる。レースでは、上がり3ハロン33秒1の脚で、のちに金鯱賞マイラーズカップなど重賞4競走に優勝し安田記念で2着となるコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利。レース前に池江敏行は武豊に対して「あまり派手に勝たせないでくれ」と願い出ており、レース後厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。
島田明宏によると、このレースの翌週の水曜日、ある雑誌の企画で京都のシティホテルで行われた、ディープインパクトの新馬戦の11日前に香港で達成した海外通算100勝をメインテーマにしたインタビューを一通り終えたあとに、武の方から「ちょっと読者用に来年の楽しみな一頭を言うとしたら、先週デビューしたディープインパクトですね。これはみなさん覚えておいてください」と言ったという。

続く2戦目は2005年(平成17年)1月22日に、京都競馬場で行われた若駒ステークスだった。レース数日前、武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた。レースでは最後方から競馬をし、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利。この若駒ステークスでの圧勝によって、早くも「三冠は確実」とまで言われる存在となった。

次走には皐月賞トライアルの第42回弥生賞に出走。武豊はこのレースを前にして、マスコミを通じてファンに向けて「競馬場に見に来る価値のある馬だと思います」とコメントした。関東では初出走となったが、ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録した。レースでは2歳王者のマイネルレコルト京成杯を制したアドマイヤジャパン以下にクビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。
レース後、武は勝利騎手インタビューで代表質問が終わった後、ディープの良さは何か、と問われると「負けないところです」と答えた。また、3着に敗れたマイネルレコルト鞍上の後藤浩輝は、「ディープインパクトに並ばれた時、威圧感を感じました」とコメントした。

第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と1951年(昭和26年)のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武豊がレースで初めてを入れると、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。無敗での皐月賞制覇は2001年のアグネスタキオン以来16頭目であり、また弥生賞勝ち馬の皐月賞制覇もアグネスタキオン以来の10頭目となった。武豊は蛯名武五郎渡辺正人岡部幸雄と並ぶ皐月賞最多の3勝目を挙げ、レース後の勝利騎手インタビューではディープインパクトの走りについて、

いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね

と答えた。当日の中山競馬場には前年を5000人近く上回る8万5146人が入場し、売り上げも前年比100.3%の256億7616万600円を記録した。レース後の記念撮影で武豊は指を1本立てて一冠をアピールした。これはシンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ事実上の三冠宣言であった。

2005年5月29日、東京競馬場にて、第72回東京優駿
東京優駿の優勝馬服を着せられたディープインパクト

5月29日の東京優駿では、当日の東京競馬場には前年比114.8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せた。左回りのコースは初めてだったが、単勝支持率は73.4パーセント(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。スタートは皐月賞同様に出遅れ、道中は後方につけるも、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したインティライミに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝。1992年(平成4年)のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。オーナーの金子真人は前年のキングカメハメハに続いて馬主として史上初のダービー連覇を達成した。武豊は勝利騎手インタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。武によるとこのレースは「アクシデントさえなければ勝てるだろう」というぐらいの自信があったといい、「ディープの状態は万全でしたし、中山2000メートルから東京の2400メートルに舞台が変わることが、乗っている立場としては気持ち的には楽でした。前走の皐月賞で初めて目いっぱいの競馬をしたことで、ダービーではもっと走るだろうという思いもありましたね」と述べている。

そして翌日のスポーツニッポンの手記で武豊はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、四位洋文は「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている。

三冠達成、有馬記念での初黒星

東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日札幌競馬場に移動し、それから約2か月間は同競馬場で調整された。放牧に出さずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた。

秋初戦となった神戸新聞杯は、91人の徹夜組も含めて前年比147.2%の4万6775人の観客が阪神競馬場に詰めかけた。馬体重は前走の東京優駿と同じく448kgで、単勝オッズは1.1倍で1番人気に支持された。ディープインパクトはやや飛び上がるようにしてスタートを切り、道中は最後方から2番手の位置でレースを進めた。正面スタンド前ではやや前に行きたがるところを見せたが2コーナーを回って向正面に入ったところでは完全に折り合い、3コーナー過ぎで外に出たディープインパクトは手綱を持ったままの状態で加速し、直線入り口で大外から先頭に並びかけるとそこから瞬時に抜け出し、2着シックスセンスに2馬身半の差をつけて優勝した。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替える当時のレースレコードを記録した。レース後、武は「本当に素晴らしい馬です。なんとかこの馬を三冠馬にしてやりたいですね」とコメントした。

2005年10月23日、京都競馬場にて、菊花賞
三冠達成を表示する電光掲示板
第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場。ハーツクライの2着に敗れ、デビューからの連勝記録が「7」で途絶える)

そして三冠のかかった2005年(平成17年)10月23日の第66回菊花賞では、京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた。京都競馬場には863人の徹夜組を含む1万1936人のファンが午前7時20分の開門時に列を作り、JRAが先着100名に配布したディープインパクト像前での記念撮影整理券は7時30分に全てなくなり、300食限定の「めざせ三冠!!ディープインパクト号弁当」も7時45分に完売した。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。この単勝支持率は菊花賞としては1963年(昭和38年)のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった。レースでは好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かってしまう。そのため武豊はディープインパクトを馬群の内側に入れ、前に行くのを防いだ。その後馬群中団で落ち着いたディープインパクトは、直線で先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ!!これが日本近代競馬の結晶だ‼︎」は2006年(平成18年)のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。また、3冠レースを全勝した内国産馬に2001年から1億円の褒賞金が贈られることになっていたため、ディープインパクトが初の対象馬となった。

菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップ有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した。事前のファン投票では16万297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している(レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。

2005年(平成17年)の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

4歳(2006年)

阪神大賞典から宝塚記念まで

1月23日に行われた前年のJRA賞授賞式において、オーナーの金子が「夏にヨーロッパでいいレースがあれば使いたい」と発言し、海外遠征を行う意向が示された。海外遠征については2月、調教師の池江によって、春は阪神大賞典から天皇賞(春)へ向かい、天皇賞(春)の後にイギリスキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスフランス凱旋門賞のどちらに出走するか決定すると発表された。

2006年(平成18年)の初戦となった阪神大賞典は、88人の徹夜組も含めて前年比108.7%の3万3334人のファンが阪神競馬場に訪れ、馬券の売り上げも前年比135.6%の57億1539万8700円を記録した。3ヶ月の休み明け、ディープインパクトにとっては初めて背負う58kgの斤量、初めて体験する水を含んだ稍重馬場、直線で吹き付ける強い向かい風、菊花賞以来の3000メートルの長丁場での折り合いといった不安材料が懸念されたが単勝オッズは1.1倍で1番人気に支持された。他馬とほぼ横並びのスタートを切り、1周目のスタンド前ではやや前に行きたがる素振りを見せたが、2周目の向正面に差し掛かるところで折り合いがつき、逃げるトウカイトリックの15馬身ほど後ろを進んだ。2周目の3コーナーで鞍上の武豊が手綱を持ったまま加速して先行馬との差を詰め、馬なりで4コーナーを回ると勢いの違いで先頭に並びかけ直線に入った。武がステッキを右に持ち替えて肩鞭を入れるとさらに脚を伸ばして後続を突き放し、ゴール前の100メートルほどは流すようにして2着に3馬身半の差を付けてゴールした。レース後、武は「この馬の強さを改めて感じましたね。大きな夢がありますので、それにむかっていいスタートが切れました」とコメントした。

2006年4月30日、京都競馬場にて、天皇賞(春)

4月30日の第133回天皇賞(春)では、単勝支持率は1940年にマルタケが記録した71.5%を上回り当競走史上最高となる73.5パーセント(オッズは1.1倍)を記録した。スタートではまたも出遅れ、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。そして3コーナー手前の残り1000メートル地点からロングスパートを開始して先行馬を交わしていくと、ゆっくり下ることがセオリーとされる下り坂でもスパートを続け、4コーナーで早くも先頭に立った。直線では、出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使ってそのまま先頭を維持し、2着のリンカーンに3馬身半の差をつけ優勝した。三冠馬の翌年春の天皇賞勝利は1985年のシンボリルドルフ以来2頭目であり、勝ち時計の3分13秒4は芝3200mの世界レコードタイムで、1997年(平成9年)の第115回天皇賞においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレースレコードを1秒更新した。2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは)生まれた時代が悪すぎた」と言うほどの内容だった。武豊は「世界にこれ以上強い馬がいるのかな」と言い、海外遠征での勝利に期待感を示した。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。この時記録した勝ち時計3分13秒4は、全兄ブラックタイドの仔であるキタサンブラックによって2017年、第155回天皇賞(春)にて破られるまでの11年間、コースレコードとして君臨し続けた。

天皇賞(春)の勝利により、5月7日に発表された世界統一ランキング上で、芝・超長距離部門の世界ランク1位となった。翌5月8日、調教師の池江が凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランを発表、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念に出走することとなった。事前に行われたファン投票では8万9864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続いて1961年にシーザーが記録した72.4%を上回るレース史上最高の75.2パーセント(オッズは1.1倍)をマークした。また、ディープインパクトはこのレースでデビューからJRA競走(サラ系平地)11戦連続で1番人気に支持され、歴代1位のハイセイコーに並んだ。当日の京都競馬場は雨で稍重の馬場状態であったが、道中後方2番手追走から残り700メートル地点で進出を開始すると、直線では馬場外目を伸び、2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円馬となった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。宝塚記念優勝を受けて、7月10日付の世界ランキングでは芝長距離部門で世界1位となった。これは日本調教馬としては史上初のことである。

凱旋門賞
本馬場入場するディープインパクト(第85回凱旋門賞)
ディープインパクトの応援幕を張るファン

凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年(平成18年)7月2日にマイクロチップが埋め込まれた。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年(平成19年)に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年(平成18年)に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。翌3日には金子真人、池江泰郎、武豊がフランスへ視察に訪れ、滞在先がカルロス・ラフォンパリアス厩舎になることが決まった。同月19日にはJRAからフランス遠征に際する出国予定日や帰国予定日が発表され、帯同馬ピカレスクコートに決まったことも報じられた。

20日には国際競馬統括機関連盟が発表した「トップ50ワールドリーディングホース」の1月1日から7月10日までの集計で125ポンドの評価を獲得し、ランキングが設立された2003年以降、日本馬として初めて世界1位となった。

ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在してピカレスクコートとともに検疫を受け、翌3日から8日まで美浦で調整が行われた。9日、台風の影響で約2時間遅れとなった午前10時33分、JAL6461便で出国し、現地時間9日午後2時56分にフランス・パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には主催者のフランスギャロの許可を受け、凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でスクーリングを兼ねた調教が行われた。

10月1日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。

レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2 - 3番手でレースを進めると、残り300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている。そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている(レースに関する詳細は第85回凱旋門賞を参照)。

日本帰国からジャパンカップまで

ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた。その後、調教師の池江によって10月29日天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、規定により同競走が開催される東京競馬場で着地検査が行われた。

10月11日には2006年(平成18年)限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した。この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。

しかし、引退発表からわずか数日後の10月19日、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出されたことがJRAによって発表された。そして11月16日、正式に凱旋門賞失格が通告された(禁止薬物問題についてはディープインパクト禁止薬物検出事件を参照)。

天皇賞(秋)は、帰国して日が浅い中で出走させるのは馬がかわいそうだということで回避が決定され、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込むこととなった。迎えた11月26日のジャパンカップでは2005年の有馬記念以来のハーツクライとの再戦となった。同競走は海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。ディープインパクトの単勝支持率は61.2パーセント(オッズは1.3倍)で、日本国内で走ったレースの中ではもっとも低かったが、2000年にテイエムオペラオーが記録した50.5%を上回るジャパンカップ史上最高の支持率だった。レースはスローペースとなったが、ディープインパクトは終始最後方で待機し道中を進めた。そして直線に向くと内に入った他馬を大外から一気に捲くり、ドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンといっしょになって万歳三唱をした。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の1本指が加わって六冠を表す6本指ができた。一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、レース前から陣営が明らかにしていた喘鳴症(喉鳴り)が進行しており、見せ場なく10着に敗れた。

有馬記念
2006年12月24日、中山競馬場にて、有馬記念
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出典:wikipedia
2020/03/28 16:35

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