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ディープインパクト_(競走馬)とは?

【ディープインパクト】

2009年8月13日、社台スタリオンステーションにて

【現役期間】
2004年 - 2006年
【欧字表記】
Deep Impact
【香港表記】
大震撼
【品種】
サラブレッド
【性別】

毛色
鹿毛
【生誕】
2002年3月25日(16歳)
【登録日】
2004年12月19日
【抹消日】
2006年12月25日
【父】
サンデーサイレンス
【母】
ウインドインハーヘア
母の父
Alzao
【生国】
日本(北海道早来町)
【生産】
ノーザンファーム
馬主
金子真人→金子真人ホールディングス(株)
調教師
池江泰郎(栗東)
厩務員
市川明彦
【競走成績】

【タイトル】
JRA賞年度代表馬(2005年・2006年)
最優秀3歳牡馬(2005年)
最優秀4歳以上牡馬(2006年)
顕彰馬
【生涯成績】
14戦12勝
(中央競馬13戦12勝)
(フランス1戦0勝)
【獲得賞金】
14億5455万1000円
WTRR
L124-E118 / 2005年
L127-E123 / 2006年
勝ち鞍
GI | 皐月賞 | 2005年
GI | 東京優駿(日本ダービー) | 2005年
GI | 菊花賞 | 2005年
GI | 天皇賞(春) | 2006年
GI | 宝塚記念 | 2006年
GI | ジャパンカップ | 2006年
GI | 有馬記念 | 2006年
GII | 弥生賞 | 2005年
GII | 神戸新聞杯 | 2005年
GII | 阪神大賞典 | 2006年


【繁殖成績】

【タイトル】
日本リーディングサイアー(2012-2017年)

ディープインパクト(: Deep Impact2002年(平成14年)3月25日 - )は、日本サラブレッドである。2005年(平成17年)に日本競馬史上6頭目の中央競馬クラシック三冠(無敗での達成は2頭目)を達成、2006年(平成18年)には日本調教馬としては初めて芝部門・長距離部門で世界ランキング1位となった。種牡馬としては2012年から2017年の日本のリーディングサイアーである。

このほか2005年JRA賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬、2006年に年度代表馬・最優秀4歳以上牡馬を受賞し、 2008年(平成20年)には顕彰馬に選出された。

目次

  • 1 経歴 (競走馬時代)
    • 1.1 デビュー前
      • 1.1.1 ノーザンファーム時代
      • 1.1.2 池江泰郎厩舎に入厩
    • 1.2 現役競走馬時代
      • 1.2.1 2歳 - 3歳(2004年 - 2005年)
        • 1.2.1.1 新馬戦から東京優駿まで
        • 1.2.1.2 三冠達成、そして有馬記念での初黒星
      • 1.2.2 4歳(2006年)
        • 1.2.2.1 阪神大賞典から宝塚記念まで
        • 1.2.2.2 凱旋門賞
        • 1.2.2.3 日本帰国からジャパンカップまで
        • 1.2.2.4 有馬記念、引退まで
  • 2 競走成績
  • 3 経歴 (種牡馬時代)
    • 3.1 産駒デビューまで(2007年 - 2009年)
    • 3.2 2010年
    • 3.3 2011年
    • 3.4 2012年
    • 3.5 2013年
    • 3.6 2014年
    • 3.7 2015年
    • 3.8 2016年
    • 3.9 2017年
  • 4 種牡馬成績
    • 4.1 年度別成績
    • 4.2 おもな産駒
      • 4.2.1 GI級競走優勝馬
      • 4.2.2 グレード制重賞優勝馬
      • 4.2.3 地方重賞優勝馬
    • 4.3 母の父としての産駒
  • 5 競走馬としての特徴
    • 5.1 レーススタイル
    • 5.2 身体的特徴
    • 5.3 走る時の特徴
    • 5.4 気性・性格・知能の特徴
  • 6 評価
    • 6.1 公式レイティングによる評価
    • 6.2 競馬関係者による評価
    • 6.3 投票による評価
  • 7 各方面への影響
    • 7.1 社会現象となる
    • 7.2 経済的影響
    • 7.3 交通面への影響
    • 7.4 ファンの少年の自殺
    • 7.5 対戦した競走馬の故障
  • 8 血統
    • 8.1 血統背景
    • 8.2 血統表
  • 9 脚注
    • 9.1 注釈
    • 9.2 出典
  • 10 参考文献
  • 11 外部リンク

経歴 (競走馬時代)

デビュー前

ノーザンファーム時代

ディープインパクトは2002年(平成14年)3月25日北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた。ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと語っている。

0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。馬体の薄さが嫌われたのか、上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目の落札価格だった。購入した金子はこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた。

ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。広い場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと語っている。

1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した。その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった。

池江泰郎厩舎に入厩

池江泰郎

ディープインパクトは2004年(平成16年)4月15日に早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた。そして同年9月8日栗東トレーニングセンター池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手市川明彦厩務員が担当することになった。初めてディープインパクトを見た市川は、同馬が小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。

入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。それにもかかわらず、汗もかかずにまったく疲れた様子がなかった。このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。その後12月に武豊騎乗でデビューすることが決定したため、デビュー戦4日前の調教で武豊が初めて騎乗することになった。調教を終えると武豊は調教助手の池江敏行に「この馬、ちょっとやばいかも」と興奮気味に話し、翌年の活躍に期待した。

現役競走馬時代

2歳 - 3歳(2004年 - 2005年)

新馬戦から東京優駿まで

2004年(平成16年)12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。武豊は引退まで手綱を握ることとなる。レースでは、上がり3ハロン33秒1の脚で、のちに金鯱賞マイラーズカップなど重賞4競走に優勝し安田記念で2着となるコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利。レース後、厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。

続く2戦目は2005年(平成17年)1月22日に、京都競馬場で行われた若駒ステークスだった。レース数日前、武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた。レースでは最後方から競馬をし、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利。この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。またこの時点で三冠達成を確実視する声もあった。

次走には皐月賞トライアルの第42回弥生賞に出走。関東では初出走となったが、ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録した。レースでは2歳王者のマイネルレコルト京成杯を制したアドマイヤジャパン以下にクビ差ではあったものの終始外を回しての横綱競馬で勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。

第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と、1951年(昭和26年)のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武豊がレースで初めてを入れると、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。勝利騎手インタビューで武豊は「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」と言葉を残した。レース後の記念撮影で武豊は指を1本立てて一冠をアピールした。これはシンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ事実上の三冠宣言であった。

2005年5月29日、東京競馬場にて、第72回東京優駿
東京優駿の優勝馬服を着せられたディープインパクト

迎えた東京優駿。当日の東京競馬場には前年比114.8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せた。左回りのコースは初めてだったが、単勝支持率は73.4パーセント(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。スタートは皐月賞同様に出遅れ、道中は後方につけるも、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したインティライミに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝。1992年(平成4年)のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。武豊は勝利騎手インタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。そして翌日のスポーツニッポンの手記で武豊はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、四位洋文は「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている。

三冠達成、そして有馬記念での初黒星

東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日札幌競馬場に移動し、それから約2か月間は同競馬場で調整された。放牧に出さずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた。

秋初戦となった神戸新聞杯は、最後方から2番手の位置でレースを進めたが、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。

2005年10月23日、京都競馬場にて、菊花賞
三冠達成を表示する電光掲示板
第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場。ハーツクライの2着に敗れ、デビューからの連勝記録が「7」で途絶える)

そして三冠のかかった2005年(平成17年)10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。この単勝支持率は菊花賞としては1963年(昭和38年)のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった。レースでは好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かってしまう。そのため武豊はディープインパクトを馬群の内側に入れ、前に行くのを防いだ。その後馬群中団で落ち着いたディープインパクトは、直線で先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ!!これが日本近代競馬の結晶だ‼︎」は2006年(平成18年)のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。

菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップ有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した。事前のファン投票では16万297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している(レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。

2005年(平成17年)の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

4歳(2006年)

阪神大賞典から宝塚記念まで

1月23日に行われた前年のJRA賞授賞式において、オーナーの金子が「夏にヨーロッパでいいレースがあれば使いたい」と発言し、海外遠征を行う意向が示された。海外遠征については2月、調教師の池江によって、春は阪神大賞典から天皇賞(春)へ向かい、天皇賞(春)の後にイギリスキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスフランス凱旋門賞のどちらに出走するか決定すると発表された。

2006年(平成18年)の初戦となった阪神大賞典は初めて経験する稍重馬場だったが、レースでは3コーナーで進出を開始して4コーナーで先頭に並ぶと、最後の直線でデルタブルーストウカイトリックを寄せ付けず、決勝線手前では武豊が抑える余裕を見せ3馬身半の差で優勝。順調なスタートを切った。

2006年4月30日、京都競馬場にて、天皇賞(春)

4月30日、続く第133回天皇賞(春)。単勝支持率は当競走史上最高となる75.3パーセント(オッズは1.1倍)を記録した。スタートではまたも出遅れ、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。そして3コーナー手前の残り1000メートル地点からロングスパートを開始して先行馬を交わしていくと、ゆっくり下ることがセオリーとされる下り坂でもスパートを続け、4コーナーで早くも先頭に立った。直線では、出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使ってそのまま先頭を維持し、2着のリンカーンに3馬身半の差をつけ優勝した。勝ち時計の3分13秒4は芝3200mの世界レコードタイムで1997年(平成9年)の第115回天皇賞においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレースレコードを1秒更新した。2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは)生まれた時代が悪すぎた」と言うほどの内容だった。武豊は「世界にこれ以上強い馬がいるのかな」と言い、海外遠征での勝利に期待感を示した。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。この時記録した勝ち時計3分13秒4は、全兄ブラックタイドの仔キタサンブラック(甥にあたる)によって2017年、第155回天皇賞(春)にて破られるまでの11年間、コースレコードとして君臨し続けた。

天皇賞(春)の勝利により、5月7日に発表された世界統一ランキング上で、芝・超長距離部門の世界ランク1位となった。翌5月8日、調教師の池江が凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランを発表、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念に出走することとなった。事前に行われたファン投票では8万9864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2パーセント(オッズは1.1倍)をマークした。当日の京都競馬場は雨で稍重の馬場状態であったが、道中後方2番手追走から残り700メートル地点で進出を開始すると、直線では馬場外目を伸び、2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円馬となった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。宝塚記念優勝を受けて、7月10日付の世界ランキングでは芝長距離部門で世界1位となった。これは日本調教馬としては史上初のことである。

凱旋門賞
本馬場入場するディープインパクト(第85回凱旋門賞)
ディープインパクトの応援幕を張るファン

凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年(平成18年)7月2日にマイクロチップが埋め込まれた。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年(平成19年)に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年(平成18年)に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。

ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬ピカレスクコートとともに出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。

10月1日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。

レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2 - 3番手でレースを進めると、残り300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている。そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている(レースに関する詳細は第85回凱旋門賞を参照)。

日本帰国からジャパンカップまで

ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた。その後、調教師の池江によって10月29日天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、規定により同競走が開催される東京競馬場で着地検査が行われた。

10月11日には2006年(平成18年)限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した。この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。

しかしそのわずか数日後の10月19日、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出されたことがJRAによって発表された。そして11月16日、正式に凱旋門賞失格が通告された(禁止薬物問題についてはディープインパクト禁止薬物検出事件を参照)。

天皇賞(秋)は、帰国して日が浅い中で出走させるのは馬がかわいそうだということで回避が決定され、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込むこととなった。迎えた11月26日のジャパンカップでは2005年の有馬記念以来のハーツクライとの再戦となった。同競走は海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。ディープインパクトの単勝支持率は61.2パーセント(オッズは1.3倍)で、日本国内で走ったレースの中ではもっとも低かったが、これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。レースはスローペースとなったが、ディープインパクトは終始最後方で待機し道中を進めた。そして直線に向くと内に入った他馬を大外から一気に捲くり、ドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンといっしょになって万歳三唱をした。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の1本指が加わって六冠を表す6本指ができた。一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、レース前から陣営が明らかにしていた喘鳴症(喉鳴り)が進行しており、見せ場なく10着に敗れた。

有馬記念、引退まで
2006年12月24日、中山競馬場にて、有馬記念

そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では11万9940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続で(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。単勝支持率は70.1パーセント(オッズ1.2倍)で、1957年(昭和32年)にハクチカラが記録した76.1パーセントに次ぐ史上2位となった。レースでは道中後方3番手につけ、3コーナーから追い出して直線で早々と先頭に立つと、最後は流しながらも2着ポップロックに3馬身の差をつける圧勝で、有終の美を飾った。武豊が「生涯最高のレースができた」「今までにないくらい、強烈な『飛び』だった」と言うほどのレース内容だった。また、このレースでシンボリルドルフやテイエムオペラオーに並ぶ史上3頭目(当時)の中央競馬GI7勝の最多タイ記録を達成し、獲得賞金ランキングでもテイエムオペラオーに次ぐ単独2位にランクインした。この後ウイニングランは行われなかったが、その理由について武豊は、ゴールを過ぎてから走るのを嫌がったためだと語っている。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の2本指が加わって七冠を表す7本指ができた(レースに関する詳細については第51回有馬記念を参照)。 そして有馬記念当日の全競走が終了したあとに引退式が行われた。約5万人のファンが見守る中、厩務員の市川と調教助手の池江に曳かれながら、武豊を背に同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。

世界ランキングでは、夏から秋にかけては一時的に順位を落としたものの、ジャパンカップと有馬記念の優勝によって、最終的な2006年通年の世界ランキング1位となった。JRA賞でも年度代表馬および最優秀4歳以上牡馬に選出された。年度代表馬は2年連続の受賞だった。JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。前年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

競走成績

【年月日】
競馬場
【競走名】

【頭
数】
【枠
番】
【馬
番】
オッズ
(人気) 【着順】
騎手
斤量
[kg] 距離(馬場) 【タイム
(上3F)】
着差
【勝ち馬/(2着馬)】
馬体重
[kg]
2004. | 12. | 19 | 阪神 | 2歳新馬 |  | 9 | 4 | 4 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 55 | 芝2000m(良) | 02:03.8 (33.1) | -0.7 | (コンゴウリキシオー) | 452
2005. | 1. | 22 | 京都 | 若駒S | OP | 7 | 4 | 4 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2000m(良) | 02:00.8 (33.6) | -0.9 | (ケイアイヘネシー) | 450
 | 3. | 6 | 中山 | 弥生賞 | GII | 10 | 8 | 10 | 1.2(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2000m(良) | 02:02.2 (34.1) | -0.0 | (アドマイヤジャパン) | 446
 | 4. | 17 | 中山 | 皐月賞 | GI | 18 | 7 | 14 | 1.3(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2000m(良) | 01:59.2 (34.0) | -0.4 | (シックスセンス) | 444
 | 5. | 29 | 東京 | 東京優駿 | GI | 18 | 3 | 5 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2400m(良) | 02:23.3 (33.4) | -0.8 | (インティライミ) | 448
 | 9. | 25 | 阪神 | 神戸新聞杯 | GII | 13 | 6 | 9 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2000m(良) | 01:58.4 (34.1) | -0.4 | (シックスセンス) | 448
 | 10. | 23 | 京都 | 菊花賞 | GI | 16 | 4 | 7 | 1.0(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝3000m(良) | 03:04.6 (33.3) | -0.3 | (アドマイヤジャパン) | 444
 | 12. | 25 | 中山 | 有馬記念 | GI | 16 | 3 | 6 | 1.3(1人) | 2着 | 武豊 | 55 | 芝2500m(良) | 02:32.0 (34.6) | -0.1 | ハーツクライ | 440
2006. | 3. | 19 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 9 | 2 | 2 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 58 | 芝3000m(稍) | 03:08.8 (36.8) | -0.6 | (トウカイトリック) | 442
 | 4. | 30 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 17 | 4 | 7 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 58 | 芝3200m(良) |  R3:13.4 (33.5) | -0.7 | (リンカーン) | 438
 | 6. | 25 | 京都 | 宝塚記念 | GI | 13 | 6 | 8 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 58 | 芝2200m(稍) | 02:13.0 (34.9) | -0.7 | (ナリタセンチュリー) | 442
 | 10. | 1 |  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/07/16 06:18

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