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トウカイテイオーとは?

【トウカイテイオー】

種牡馬時代のトウカイテイオー
(2000年9月23日撮影)

【品種】
サラブレッド
【性別】

毛色
鹿毛
【生誕】
1988年4月20日
【死没】
2013年8月30日(25歳没)
【父】
シンボリルドルフ
【母】
トウカイナチュラル
母の父
ナイスダンサー
【生国】
日本(北海道新冠町)
【生産】
長浜牧場
馬主
内村正則
調教師
松元省一(栗東)
調教助手
北口浩幸
厩務員
東郁夫
【競走成績】

【生涯成績】
12戦9勝
【獲得賞金】
6億2563万3500円
勝ち鞍
GI | 皐月賞 | 1991年
GI | 東京優駿 | 1991年
GI | ジャパンカップ | 1992年
GI | 有馬記念 | 1993年
GII | 大阪杯 | 1992年


トウカイテイオー(1988年4月20日 - 2013年8月30日)は、日本競走馬種牡馬である。

主な勝ち鞍は1991年皐月賞東京優駿(日本ダービー)、1992年ジャパンカップ、1993年有馬記念など。七冠馬シンボリルドルフの初年度産駒の一頭であり、日本調教馬として最初の国際G1競走優勝馬である。1991年度JRA賞年度代表馬最優秀4歳牡馬および最優秀父内国産馬、1993年度JRA賞特別賞受賞。 1995年、顕彰馬に選出。

「皇帝」と称された父から連想して付けられた馬名より「帝王」、また幾度もの骨折からの復活を見せたことから「奇跡の名馬」とも呼ばれる。

馬齢は2000年以前に使用された旧表記(数え年)で統一する。

デビュー前

父・シンボリルドルフ

父は競走馬時代に無敗で制したクラシック三冠を含むGI競走7勝を挙げ、「皇帝」と称されたシンボリルドルフ。母トウカイナチュラルは、優駿牝馬(オークス)優勝馬トウカイローマンの半妹であったが、脚元に難があったため競走馬としてデビューできずに繁殖入りしていた。ナチュラルとローマンの馬主・内村正則は、ルドルフの種付け株を手に入れた当初、ローマンをその交配相手に考えていた。しかし、ローマンが競走馬として予想外に長い活躍を続けたため引退の予定が延び、代役の形でナチュラルとの交配が行われた。

1988年4月20日、北海道新冠町の長浜牧場で、トウカイナチュラルは牡駒を出産した。父の異名「皇帝」からの連想で、牡駒は出生直後より「テイオー(帝王)」と呼ばれ、幼名は「ハマノテイオー」とされた。幼駒のころのテイオーは脚が長く華奢な身体付きで、一見して見栄えはよくなく、それほど高い評価は受けていなかった。しかし運動を始めると非常に柔軟性のある動きを見せ、関係者の期待を集めた。翌1989年10月、育成調教のため平取町の二風谷軽種馬育成センターに移動。ここでも馬体の柔軟性、そして他馬の前に出ようとする勝負根性が高く評価された。その後約1年間を二風谷で過ごし、競走年齢の3歳となった1990年10月、滋賀県栗東トレーニングセンター松元省一厩舎に入る。競走名は幼名から冠名を替えたのみの「トウカイテイオー」で登録された。

トレーニングセンターの調教では、ストライドの大きい馬は好タイムが出ないとされる坂路コースで際立った動きを見せ、松元に大きな期待を抱かせた。松元はクラシックを狙える馬であると感じ、皐月賞、東京優駿から逆算しての、余裕を持ったローテーションを企画した。

競走馬時代

3-4歳時(1990年-1991年)

12月1日、中京競馬場新馬戦でデビュー。騎手は松元厩舎の馬に多く騎乗し、デビュー前の調教にも乗って自ら騎乗を志願した安田隆行が務めた。当日は単勝1番人気に支持されると、不良馬場、また先行した馬が有利とされている小回りのコースでありながら後方でレースを進め、徐々に前方へ進出し勝負所で好位に取りつくと内から鋭く抜け出し、最後は安田が手綱を抑える余裕を見せながら4馬身差をつけて勝利した。次走のシクラメンステークスは3番人気となったものの、前半を後方から2、3番手の位置から追走し、残り800mの標識付近から前走と同様に前方へ進出していき、4コーナーで逃げたイイデサターン(1番人気)をかわして先頭に立つと、後続に2馬身の差をつけてそのまま押し切り、デビュー2連勝を記録した。

シクラメンステークス後、松元は東京優駿までのローテーションについて、無理に強敵を相手にして消耗するトライアル競走には出走させず、芝2000mのレースにトウカイテイオーを出走させることを決定した。翌年1月の若駒ステークスでは単勝オッズ1.3倍と圧倒的な1番人気に支持され、中団追走から向こう正面で一気に前方との差を詰めて3コーナーで先頭に並びかけると、後を追ってきたナイスネイチャ、イイデサターンを突き放し、タイムを同距離の前走から2秒4縮めて3連勝を果たした。クラシックへの有力候補として、またシンボリルドルフ初年度産駒の逸材として注目を集め、皐月賞に向けての東上緒戦・若葉ステークスでは、2週前の弥生賞のレース後に関西のある騎手が「西にはもっと強い馬がいる」とトウカイテイオーを評するコメントを残していたことで関東のファンにも名前が知られていたことで、生涯最高となる66.28パーセントの単勝支持を受けた。スタート直後はスローな流れに引っ掛かってしまい安田の手を焼かせたものの、2コーナー付近から先団を追走し、4コーナー手前で先頭を伺い、直線に入ると抜け出し、2着のアサキチに2馬身差で勝利を収め、通算4戦4勝、全戦で一度も鞭を使われない完勝という内容で、皐月賞を迎えた。

クラシック第1戦の皐月賞(4月14日)は、重賞未勝利馬ながら、前年の2歳GI・阪神3歳ステークス優勝馬のイブキマイカグラとともに単枠指定を受ける。当日は前哨戦弥生賞を制していた同馬を抑え、単勝オッズ2.1倍で1番人気に支持された。イブキマイカグラが5枠11番に入ったことに対し、トウカイテイオーは大外の18番枠に入ったため戦前は不利という見方をされたが、雨の影響で荒れていた内馬場を通らずに済むのでかえって有利ではないかという見方もあり、安田も「揉まれない枠だからかえっていいんじゃないだろうか」と考えていた。スタートが切られるとトウカイテイオーは先行策をとって、馬場の外目を通って前半の道中は7・8番手につけ、第3コーナーで大外を回って前方へ進出し、最後の直線で早め先頭に立つと2着のシャコーグレイド(16番人気)に1馬身差をつけて優勝。ゴールでは鞍上の安田が手綱を抑える余裕を見せてクラシック初戦を制した。シャコーグレイドは本馬の父・シンボリルドルフに三度敗れた三冠馬ミスターシービーの産駒であったことも注目された。競走後の記念撮影において、安田はシンボリルドルフ主戦騎手岡部幸雄に倣い、馬上で「まず一冠獲得」を意味する人差し指を掲げ、「三冠獲り」を宣言した。

クラシック第2戦となる東京優駿の1週間前になると、スポーツ新聞の競馬欄はトウカイテイオーが東京優駿を勝つことが既成事実のように報じ、前日の土曜日に馬券の前売りが始まると、単勝・複勝共にトウカイテイオーが入った8枠(20番)絡みの連勝馬券が飛ぶように売れ、単勝は2倍を切った。迎えた東京優駿当日の5月26日、最終的な単勝オッズは皐月賞を上回る1.6倍と圧倒的な支持を集めた。レースはスタート直後にスムーズに6番手につけ、最後の直線で大外から抜け出す。最後は後続を突き放し、2着レオダーバンに3馬身差の快勝。父シンボリルドルフと同様、無敗のまま二冠を達成した。競走後には祝福の「ヤスダコール」が起こり、記念撮影では皐月賞に続き、安田が馬上で二本指を掲げた。安田は「ダービーに関しては(シンボリルドルフより)テイオーの方が強い勝ち方だったのでは」と語り、またレオダーバンに騎乗した岡部幸雄は「(安田が)3、4回ミスしてくれても敵わなかった」と述べた。勝ちタイムの2分25秒9は前年の勝ち馬アイネスフウジンに次ぐ史上2番目(当時)という好タイムだったが、馬場状態がやや荒れ気味だったこともあり「実質的にダービーレコードと同じくらいの価値がある」という評価もあった。また東京優駿で8枠の馬が1着となった史上初の事例でもあった。

競走後には親子二代の無敗のクラシック三冠達成への期待が大きく高まった。しかしテイオーは、表彰式を終えて競馬場内の出張馬房に戻る時点で歩様に異常を来しており、診療所でレントゲン撮影が行われた。レントゲンの結果、左後脚の骨折が判明。3日後には公式に「左第3足根骨骨折・全治6か月」と発表され、年内の休養と最後の一冠・菊花賞の断念を余儀なくされた。当年の菊花賞にはレオダーバンが優勝したが、長浜牧場場長の長浜秋一は「この菊花賞でダービーの2着馬が勝ったということは、テイオーにとって大きな誇りであるはずだ」と感じ、安田は後に菊花賞に出走していたら勝てたかという問いに「もちろん、僕としては勝っていたと、そう信じてるよ」と答えている。

翌年1月に発表されたJRA賞では、無敗の二冠が高く評価され、176名の記者投票のうち134票を獲得して年度代表馬に選出され、さらに最優秀4歳牡馬、5頭のGI優勝馬を抑えて最優秀父内国産馬にも選出された。また中央競馬フリーハンデでは、古馬メジロマックイーンを上回る65 キログラム (143 lb)を与えられ、当年の最高評価となった。

5歳時(1992年)

1992年4月5日、大阪杯から復帰する。当時調教師試験に注力していた安田の事情、また将来の海外(日本国外)遠征の予定を踏まえ、本競走より騎手は国際経験が豊富で、父・シンボリルドルフの全16戦に騎乗した岡部幸雄に替わった。当日は東京優駿から20キログラム増の480キログラムで出走、レースでは同世代のイブキマイカグラや前年の有馬記念を制したダイユウサクなどの強豪も出走したが、これらの凡走を尻目に、岡部が鞭を抜かないどころか殆ど追う事も無く圧勝した。

無敗のまま迎えた天皇賞(春)(4月26日)は、本競走の前年度優勝馬メジロマックイーンとの「世紀の対決」が注目を集めた。3200メートルで行われる同競走に対し、トウカイテイオーは2400メートル超のレースを未経験であったが、大阪杯の競走前に岡部が述べた「一杯になるという感じがなく、地の果てまでも走れそう」というコメントなどから問題はないと見られた。一方、相手のメジロマックイーンは4歳時(1990年)の3000メートルで行われる菊花賞、本競走の前哨戦阪神大賞典も連覇するなど、充分な長距離実績を持っていた。また、鞍上の武豊が岡部の「地の果てまでも走れそう」というコメントに対して「あっちが地の果てなら、こっちは天まで昇りますよ」と応酬し、対決ムードを盛り上げた。

当日の単勝オッズはトウカイテイオーが1.5倍の1番人気、メジロマックイーンが2.2倍の2番人気となり、両馬の馬連オッズも1.5倍と非常に低くなった。レース前にメジロマックイーンが落鉄するアクシデントがあり、発走が遅れた。スタートが切られると、メジロマックイーンが前方の4,5番手につけたのに対し、トウカイテイオーは同馬の右後ろを追走。第3コーナーに入るとメジロマックイーンがスパートをかけ、先頭に立ってレースを引っ張ったメジロパーマーに並びかけると、トウカイテイオーも前方へ進出し、メジロマックイーンとの差を詰めにかかった。しかし、メジロマックイーンがそのまま独走態勢に入って逃げ切り勝ちを収めたのに対し、トウカイテイオーは最後の直線で失速して後ろから来たカミノクレッセイブキマイカグラホワイトアローにかわされ、優勝したメジロマックイーンから10馬身近く遅れた、1.7秒差の5着に敗れた。レース後に松元は敗因について「距離の壁としか言いようがない」とコメントし、岡部は「考えていた通りの競馬ができたけど、直線半ばで、もういっぱいになってしまった。きょうのところは相手が強かった、ということでしょう」と述べた。調教助手の北口浩幸は、「テイオーは良馬場でこそ力を発揮できるタイプだけに、荒れた馬場が災いしたのかも」と振り返った。競走10日後には右前脚の剥離骨折が判明し、以降春シーズンは休養となった。この時診断した獣医によると、骨折は東京優駿時と同じくレース開始直後に発生していたものではないかとしている。

二風谷育成センターで療養したのち、9月に帰厩。本格的な調教を開始したが、半ば頃に38度を超す熱発に見舞われて3日間調教を休むといったアクシデントが起き、調整に狂いが生じた。復帰戦はぶっつけ本番で臨む天皇賞(秋)(11月1日)となったが、松元は「時間的にギリギリになってしまった。正直言って、背水の陣です」と不安を口にしていた。復帰緒戦にもかかわらず当日は単勝オッズ2.4倍で1番人気に支持されたが、レースはメジロパーマーダイタクヘリオスが競り合い、前半1000メートル通過が57秒5という「殺人的なハイペース」となり、岡部との折り合いが付かず3番手を進んだテイオーは、最後の直線で失速。先行勢は総崩れの展開となり、後方から追い込んだレッツゴーターキンの7着に終わった。初めて掲示板を外す結果となり、レース後に岡部は「休み明けの馬特有の精神面の不安定さがモロに出た」、松元は「次のジャパンカップがピーク、というつもりでやってきたが、この負け方ではそんなことも言えない」とそれぞれコメントした。この配線を受けて、トウカイテイオーは「もう終わった」「二冠は相手が弱かったから」と言われるようになった。

続くジャパンカップ(11月29日)は、当年から国際GI競走として認定され、イギリス二冠牝馬のユーザーフレンドリー(GI競走4勝、当年の全欧年度代表馬)を筆頭に、史上初めて現役のイギリスダービー馬が一挙に2頭来日、オーストラリアから全豪年度代表馬のレッツイロープ、フランスからはアーリントンミリオンの優勝馬ディアドクターなど世界中の強豪馬が集まり、そのメンバー構成は「レース史上最高」とも評された。このなかでテイオーは、日本馬では最上位ながら生涯最低となるオッズ10.0倍の5番人気にとどまった。しかし、道中は4、5番手をスムーズに追走すると、残り200メートル地点で外から抜け出し、残り150m地点からナチュラリズムとの激しい叩き合いとなると、残り50m地点でクビ差抜け出して優勝。普段は冷静な岡部がめずらしく右手でガッツポーズを上げた。日本馬の勝利は1984年のカツラギエース、1985年の父シンボリルドルフ以来7年ぶり3頭目であり、同時にトウカイテイオーは日本競馬史上最初の国際GI優勝馬となった。岡部にとってもルドルフ以来の優勝であり、ジャパンカップ史上初の2勝騎手となった。

年末のグランプリ有馬記念では、出走馬選定のファン投票で17万票以上を集め、第1位で選出。12月19日の開催で騎乗停止処分を受けていた岡部に代わり、鞍上には田原成貴を迎えた。ジャパンカップとは一転して「絶好調」と報じられ、当日も単勝オッズ2.4倍の1番人気に支持される。しかしレースでは終始後方のまま、生涯最低の11着に終わった。後日、松元から競走直前に寄生虫駆除のための下剤を服用していたことが明らかにされた。このためレース前の時点で馬体重は激減しており、のちに田原成貴は、「追い切り(最終調教)の感触は悪くなかったが、追い切った後の2、3日で変わってしまった」と回想している。

6-7歳時(1993年-1994年)

翌1993年1月3日、左中臀筋を痛めていたことが判明し、鹿児島県の山下牧場で休養に入る。3月に帰厩、宝塚記念での復帰を目標に調整されていたが、競走10日前に左前トウ骨の剥離骨折が判明し、ふたたび休養に入った。この結果、復帰戦は364日ぶりのレースとなる有馬記念(12月26日)となった。しかし、主戦騎手だった岡部はすでに当年の菊花賞優勝馬ビワハヤヒデへの騎乗が決定していた。そこで武豊への騎乗も打診され、武は「自分のお手馬が出走しなければ乗ってもいい」と返事したが、主戦騎手を務める二冠牝馬ベガの出走が決まったため断られた。最終的に前年も騎乗した田原成貴で臨んだ。競走前、松元は「力を出せる状態にはある」と述べたものの、田原は「順調に来ている馬相手では苦しいかも知れない」と不安を口にした。しかし、田原は当日のパドックで落ち着きを感じたため力を出し切れると感じ、大川慶次郎は解説の席で「今日のトウカイテイオーは違いますね。『ああやっと芝の上を走れる』という感じがします。喜びに満ちたいい返し馬をしていますよ」と発言した。

当年は出走14頭のうちトウカイテイオーを含む8頭がGI優勝馬という顔触れであった。このなかでテイオーは、単勝式ではビワハヤヒデ、レガシーワールドウイニングチケットに続く4番人気で、ベガや天皇賞(春)優勝馬のライスシャワーよりも人気があった。しかし3着までに入れば的中となる複勝式では8番人気で、馬連人気も低く、単勝人気は多分に応援の意味合いが強いと言われた。レースが始まると、中盤まで後方待機策のトウカイテイオーは、2周目第3コーナーから徐々に進出。最後の直線に入ると先に抜け出したビワハヤヒデを追走し、ゴール前の競り合いを制して半馬身差で優勝した。ゴールの瞬間はフジテレビで実況中継を務めた堺正幸及び関東独立U局で実況していた長岡一也は「トウカイテイオー、奇跡の復活!」、NHK競馬中継で実況を務めた藤井康生は「トウカイテイオー蘇りました!」と実況、田原は優勝騎手インタビューにおいて、「この勝利は、日本競馬の常識を覆したトウカイテイオー、彼自身の勝利です。彼を褒めてやって下さい」と涙を流しながら語った。前回の出走から中363日でのGI勝利は長期休養明けGI勝利の最長記録となり、現在まで破られていない(競走詳細については 第38回有馬記念も参照のこと)。この勝利が評価され、翌1月にはJRA賞特別賞を受賞した。

1994年も現役を続行、天皇賞(春)を目標に調教が進められていたが、復帰予定の大阪杯を右トモの筋肉痛で回避。これを受け宝塚記念を目標に定めたが、4月14日に前回故障の患部である左前トウ骨をふたたび骨折し、4度目の休養に入った。18日に内村がこの年の天皇賞(秋)を最後に引退し、翌年春から種牡馬入りすることを発表。以後は引退レースとなる秋の天皇賞に目標が切り替えられたが、状態の回復が思わしくなく、天皇賞に間に合わないとの判断から8月27日に松元から引退が正式に発表された。

10月23日 (日曜日)には東京競馬場で引退式が挙行された。当日のメイン競走はオープン特別競走であったにもかかわらず、重賞が行われた前週を1万人超上回る、10万6179人のファンが訪れた。馬場では田原が騎乗、ダービー優勝時のゼッケン「20」を着けた姿がファンに披露された。安田隆行(当時調教師に転身)、岡部幸雄も出席、それぞれ思い出などを語った。また、当日のメイン競走・東京スポーツ杯で、皐月賞で2着に退けたシャコーグレイドが3年10か月ぶりの勝利を挙げ、「トウカイテイオーへのはなむけでは」と話題となった。

競走成績

年月日 | 競馬場 | 競走名 |  | 頭
数 | 枠
番 | 馬
番 | オッズ
(人気) | 着順 | 騎手 | 斤量 | 距離(馬場) | タイム
(上り3F) | タイム
差 | 勝ち馬/(2着馬)
1990 | 12. | 1 | 中京 | 3歳新馬 |  | 13 | 2 | 2 | 2.6(1人) | 1着 | 安田隆行 | 54 | 芝1800m(不) | 1:52.9 (37.9) | -0.7 | (カラーガード)
 | 12. | 23 | 京都 | シクラメンS |  | 9 | 6 | 6 | 5.4(3人) | 1着 | 安田隆行 | 54 | 芝2000m(良) | 2:03.8 (35.3) | -0.3 | (イイデサターン)
1991 | 1. | 19 | 京都 | 若駒S |  | 9 | 8 | 8 | 1.3(1人) | 1着 | 安田隆行 | 55 | 芝2000m(良) | 2:01.4 (36.8) | -0.4 | (イイデサターン)
 | 3. | 17 | 中山 | 若葉S |  | 10 | 4 | 4 | 1.2(1人) | 1着 | 安田隆行 | 56 | 芝2000m(稍) | 2:03.6 (35.7) | -0.3 | (アサキチ)
 | 4. | 14 | 中山 | 皐月賞 | GI | 18 | 8 | 18 | 2.1(1人) | 1着 | 安田隆行 | 57 | 芝2000m(稍) | 2:01.8 (36.6) | -0.2 | (シャコーグレイド)
 | 5. | 26 | 東京 | 東京優駿 | GI | 20 | 8 | 20 | 1.6(1人) | 1着 | 安田隆行 | 57 | 芝2400m(良) | 2:25.9 (35.9) | -0.5 | (レオダーバン)
1992 | 4. | 5 | 阪神 | 大阪杯 | GII | 8 | 2 | 2 | 1.3(1人) | 1着 | 岡部幸雄 | 58 | 芝2000m(良) | 2:06.3 (35.2) | -0.3 | (ゴールデンアワー)
 | 4. | 26 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 14 | 8 | 14 | 1.5(1人) | 5着 | 岡部幸雄 | 58 | 芝3200m(良) | 3:21.7 (37.8) | 1.7 | メジロマックイーン
 | 11. | 1 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 18 | 7 | 15 | 2.4(1人) | 7着 | 岡部幸雄 | 58 | 芝2000m(良) | 1:59.1 (38.0) | 0.5 | レッツゴーターキン
 | 11. | 29 | 東京 | ジャパンC | GI | 14 | 8 | 14 | 10.0(5人) | 1着 | 岡部幸雄 | 57 | 芝2400m(重) | 2:24.6 (36.3) | -0.1 | (ナチュラリズム)
 | 12. | 27 | 中山 | 有馬記念 | GI | 16 | 3 | 5 | 2.4(1人) | 11着 | 田原成貴 | 57 | 芝2500m(良) | 2:34.8 (35.5) | 1.3 | メジロパーマー
1993 | 12. | 26 | 中山 | 有馬記念 | GI | 14 | 3 | 4 | 9.4(4人) | 1着 | 田原成貴 | 56 | 芝2500m(良) | 2:30.9 (35.0) | -0.1 | (ビワハヤヒデ)

種牡馬時代

種牡馬時代のトウカイテイオー

引退後は一口1500万円×60株、総額9億円のシンジケートが組まれ、1995年より社台スタリオンステーションにて種牡馬として供用された。なお、馬房は父のライバルであったミスターシービーレックススタッドへ移動する前に使用していた馬房であり、隣の馬房にはメジロマックイーンがいた。有馬記念優勝の影響もあり、初年度より多数の良血牝馬を集め、初年度から100頭の繁殖牝馬と交配され、以降も頭数は77, 104, 111, 119, 89頭と推移した。1998年に初年度産駒がデビュー。産駒の成績が関係者の期待に反して振るわず、一時は種付け頭数も70頭台に減少したが、2001年以降、トウカイポイントマイルチャンピオンシップを、ヤマニンシュクル阪神ジュベナイルフィリーズを、2005年にはダート交流GIへ昇格したばかりのかしわ記念ストロングブラッドが勝利し、種牡馬としても一定の実績を残している。ただし、トウカイポイントは騸馬、ストロングブラッドは引退後乗馬となって去勢されており、2020年8月16日金沢競馬等で活躍したトウカイフェスタの引退を最後に、日本国内からトウカイテイオー産駒は姿を消した。2020年現在、トウカイテイオーを父に持つ種牡馬は後述するクワイトファインのみである。また、母父にトウカイテイオーをもっている種牡馬はサウジアラビアロイヤルCを勝ち、オーストラリアに移籍し競走馬生活を送り引退、同地で繋養されているブレイブスマッシュがいる。

ジャパンカップ優勝から12年後の2004年、JRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」の一環として「トウカイテイオーメモリアル」が同年のジャパンカップ施行日に東京競馬場にて施行された。また、2010年には歴代のジャパンカップの勝ち馬から選ばれるJRAプレミアムレース「東京ウェルカムプレミアム」の投票で2位となり、11月28日の東京競馬第6競走に「トウカイテイオー賞」の名前が付けられた。

2009年11月7日11月8日、東京競馬場にて展示された。2011年7月24日には函館競馬場に来場した。

社台スタリオンステーションでは種付けシーズン・夏季以外は一貫して一般客からもっとも見やすい場所で日中放牧により公開されていたが、2010年冬より高齢のため公開放牧を見合わせるようになった。2011年は上記の函館競馬場でのお披露目後、8月の展示でのみ姿を見せた。これがトウカイテイオーが公に見せた最後の姿となった。

2013年8月30日、社台スタリオンステーションの馬房にて心不全を起こして息を引き取った。25歳没。産駒のうち牡馬の活躍馬は騸馬か乗馬になったため、後継種牡馬がなく、サイヤーラインの継続は難しいと言われていた。

ところが、2019年11月より2か月間、トウカイテイオー産駒のクワイトファインを後継種牡馬にするためのクラウドファンディングが実施され、目標額に到達しプロジェクトは成功。トウカイテイオー唯一の後継種牡馬となり、現在の日本で2頭目のヘロド系種牡馬となった。

種牡馬成績

年度別種牡馬成績
【年度】
【1998】
【1999】
【2000】
【2001】
【2002】
【2003】
【2004】
【2005】
【2006】
【2007】
【2008】
【2009】
【2010】
【2011】
【2012】
2013
順位(日本総合) | 283位 | 56位 | 33位 | 19位 | 15位 | 18位 | 29位 | 24位 | 35位 | 39位 | 77位 | 60位 | 65位 | 89位 | 110位 | 159位
順位(中央競馬) | 223位 | 38位 | 28位 | 17位 | 16位 | 21位 | 31位 | 26位 | 33位 | 38位 | 75位 | 54位 | 59位 | 83位 | 105位 | 160位
AEI(中央競馬) | 0.38 | 0.73 | 0.75 | 0.91 | 1.40 | 1.20 | 0.95 | 0.82 | 0.66 | 0.67 | 0.39 | 0.67 | 0.95 | 0.80 | 0.66 | 0.69
総出走頭数(中央競馬) | 17 | 66 | 87 | 96 | 79 | 90 | 86 | 97 | 107 | 92 | 82 | 63 | 38 | 28 | 19 | 10
総勝ち頭数(中央競馬) | 4 | 27 | 24 | 29 | 19 | 25 | 17 | 19 | 19 | 17 | 8 | 11 | 10 | 5 | 2 | 1

GI/JpnI競走優勝馬

太字はGI/JpnI競走

グレード制重賞・OP競走優勝馬

地方重賞優勝馬

母の父としての産駒

競走名の前の国旗は開催国

出典:wikipedia
2020/09/29 03:09

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