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トム・シーバーとは?

【基本情報】

【国籍】
アメリカ合衆国
【出身地】
カリフォルニア州フレズノ
【生年月日】
(1944-11-17) 1944年11月17日(74歳)
【身長
体重】
6' 1" =約185.4 cm
206 lb =約93.4 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
1966年
【初出場】
1967年4月13日
【最終出場】
1986年9月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アメリカ野球殿堂
殿堂表彰者

【選出年】
1992年
【得票率】
98.84%
【選出方法】
BBWAA選出
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


ジョージ・トーマス・シーバー(George Thomas Seaver, 1944年11月17日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。ニックネームは「Tom Terrific」。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 メッツ時代
    • 1.2 レッズ時代
    • 1.3 メッツ復帰
    • 1.4 ホワイトソックス時代
    • 1.5 レッドソックス時代〜引退
    • 1.6 引退後
  • 2 詳細情報
    • 2.1 年度別投手成績
    • 2.2 獲得タイトル・表彰
    • 2.3 記録
      • 2.3.1 メッツ球団通算記録
    • 2.4 背番号
  • 3 脚注
  • 4 外部リンク

経歴

メッツ時代

1965年のMLBドラフトロサンゼルス・ドジャースから10巡目に指名を受けるが契約せず。1966年1月のドラフトでアトランタ・ブレーブスから指名を受けるが、在学していた南カリフォルニア大学のルールで無効となった。結果としてブレーブスとは契約できず、大学からは出場停止処分となって身分が宙に浮く形となってしまい、ブレーブスが支払う予定だった契約金が保障されることを条件とした救済の為の特別ドラフトが行われ、抽選の結果交渉権を獲得したニューヨーク・メッツ4月3日に契約。1967年4月13日ピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。新人ながらオールスターゲームに選出され、9回に登板しセーブを記録。以後6年連続で選出された。16勝13敗・防御率2.76を記録し、リーグ最下位に終わったチームでひとり気を吐いた。最下位チームからは史上初となるルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。1968年開幕投手を務める。4月15日ヒューストン・アストロズ戦では10回を2安打無失点と好投しながら勝敗付かず。その後も好投しながら援護がなく、5月まで防御率1.91ながら2勝に留まるが、6月に5勝を挙げる。最終的に16勝12敗・防御率2.20・205奪三振の成績を残し、チームは球団史上最高の勝率.451を記録した。

エクスパンションによって4球団が誕生し、東西2地区制となった1969年7月9日シカゴ・カブス戦で9回1死までパーフェクトに抑え、1安打無四球の「準完全試合」で完封勝利を挙げるなど、前半戦で8連勝を含む14勝を記録。後半戦は防御率1.67、8月9日から3完封を含む10連勝。25勝7敗・防御率2.21・208奪三振を記録し、最多勝利のタイトルを獲得。チームは100勝を挙げて地区優勝を果たす。ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、7回5失点ながら勝利投手となり、チームは3連勝で球団創設以来初のリーグ優勝。ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズでは第1戦に先発するが5回4失点で敗戦投手。第4戦では9回に同点とされるも延長10回を1失点完投で王手をかける。第5戦も勝利し4勝1敗でワールドチャンピオンに輝いた。同年のメッツの躍進は「ミラクルメッツ」と呼ばれた。オフに初のサイ・ヤング賞を受賞し、MVPの投票ではウィリー・マッコビーと22ポイント差の2位だった。

1970年4月22日、試合前に前年のサイ・ヤング賞の表彰式が行われたサンディエゴ・パドレス戦で、6回2死からメジャー新記録の10人連続奪三振を達成し、スティーブ・カールトンが持つ当時のメジャー記録に並ぶ1試合19奪三振を記録した。開幕から6連勝、6月9日からは9連勝するなど前半戦は14勝5敗・防御率2.40・178奪三振の成績で、オールスターゲームでは先発投手を務めた。後半戦は4勝に留まるが、18勝12敗・防御率2.82・283奪三振を記録し、最優秀防御率最多奪三振の二冠を獲得。1971年は20勝10敗・防御率1.76、キャリアハイの289奪三振を記録し、2年連続で最優秀防御率・最多奪三振の二冠を獲得する。1972年は21勝12敗・防御率2.92の成績。

1973年は19勝10敗・防御率2.08・251奪三振、リーグトップの18完投を記録し、3度目の最優秀防御率・最多奪三振の二冠を獲得。チームは4年ぶりの地区優勝を果たす。シンシナティ・レッズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、13奪三振で無四球完投の好投を見せたが、9回にジョニー・ベンチにサヨナラ本塁打を浴びて敗戦投手。2勝2敗のタイで迎えた最終第5戦は9回途中2失点の好投で勝利投手となり、リーグ優勝に貢献。オークランド・アスレティックスとのワールドシリーズでは第3戦で8回12奪三振の好投も勝敗付かず。第6戦でも7回2失点と好投するが援護がなく敗戦投手となり、チームは3勝4敗で敗退した。オフに2度目のサイ・ヤング賞を受賞。1974年は開幕から調子が上がらず、11勝11敗・防御率3.20とやや不本意な成績に終わる。オフの日米野球でメッツの一員として来日した。1975年は復活を果たし、前半戦で8連勝を含む13勝を挙げ、2年ぶりにオールスターゲームに選出される。後半戦でも7連勝するなど22勝9敗・防御率2.38・243奪三振を記録し、最多勝利・最優秀防御率の二冠を獲得、3度目のサイ・ヤング賞を受賞した。1976年は14勝11敗、メジャー記録の9年連続200奪三振となる235奪三振で5度目の最多奪三振を獲得した。1977年6月15日(当時のシーズン途中のトレード期限)に4選手との交換トレードでレッズに移籍。メッツは同日主砲デーブ・キングマンも放出して一気に弱体化し、本拠地シェイ・スタジアムの観客数は激減した。

レッズ時代

移籍後は14勝を挙げ、シーズン通算で21勝6敗・防御率2.58、リーグ最多の7完封を記録。奪三振は196で連続200奪三振は9年で途切れた。1978年6月16日セントルイス・カージナルス戦でノーヒッターを達成。16勝14敗・226奪三振を記録した。オフにレッズの一員として日米野球に2度目の来日。1979年は序盤不調も6月9日から11連勝を記録し、16勝6敗、リーグ最多の5完封の成績でチームの地区優勝に貢献。パイレーツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、8回2失点と好投するが勝敗は付かず、延長で敗れる。チームは3連敗で敗退した。オフの日米野球にメジャーリーグ選抜の一員として3度目の出場。1980年は故障もあって前半戦は3勝に留まり、後半戦で持ち直したが10勝に終わる。1981年50日間に及ぶストライキによる中断があったが、14勝を挙げて最多勝利を獲得し、サイ・ヤング賞の投票ではフェルナンド・バレンズエラと3ポイント差の2位だった。1982年は開幕から不調が続き、8月15日を最後に離脱。5勝13敗・防御率5.50とキャリアワーストの成績に終わり、連続2桁勝利は15年で途切れた。12月16日に3選手との交換トレードで古巣メッツに復帰。

メッツ復帰

1983年4月5日フィラデルフィア・フィリーズ戦で開幕投手を務め、ウォルター・ジョンソンが持つ開幕投手14回のメジャー記録に並んだ(その後1985年1986年にも開幕投手を務め、合計16回となった)。防御率は3.55ながら援護がなく、9勝14敗に終わる。

ホワイトソックス時代

1984年1月20日フリーエージェントの補償選手としてシカゴ・ホワイトソックスに移籍(球団は39歳で高額年俸のシーバーは要求されないと考え、プロテクトリストから外していた)。同年は投球内容は今一つながら15勝11敗を記録。1985年8月4日ニューヨーク・ヤンキース戦で通算300勝を達成。16勝11敗・防御率3.17と復活を果たした。1986年は2勝に留まり、6月29日にトレードでボストン・レッドソックスに移籍。

レッドソックス時代〜引退

レッドソックス移籍後は5勝を挙げるが、シーズン終盤に故障。チームはリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズでシーバーの古巣メッツと対戦したが、ロースター入りはできなかった。オフにフリーエージェントとなり、一時はヤンキースが興味を示したが撤退。1987年の開幕後にメッツとマイナー契約。マイナーリーグでの調整後のメジャー復帰を目指したが、マイナー選手相手に痛打されて自分の衰えを悟り、三度目のメッツのユニフォームで投げることなく、シーズン途中で現役引退を発表した。

引退後

2008年9月28日、シェイ・スタジアム最終戦始球式で投げるシーバー
シーバーのメッツ在籍時の背番号「41」。
ニューヨーク・メッツの永久欠番1988年指定。

引退の翌1988年、シーバーのメッツ在籍時の背番号『41』が永久欠番に指定された。この後2016年マイク・ピアッツァが殿堂入りを果たし、欠番に指定されるまで28年間、シーバーは存命する唯一のメッツの永久欠番選手だった。メッツでの通算198勝・2,541奪三振は現在でもメッツの球団記録として残っている。

引退後はニューヨークのテレビ局アナウンサーや解説者、文筆業として活動するほか、夫人・娘とともにカリフォルニア州カリストーガ市にて自身の名を冠したワイン農園「Seaver Vineyard」を拓き、ワイン生産も行った。またメッツ時代のチームメイトだったノーラン・ライアンとは親交があり、ライアンが1991年に通算300勝を達成した際、記念の盾を贈るプレゼンターを務めた。

1992年に資格取得1年目で、当時史上最多の得票率98.84%で野球殿堂入りを果たした。

2019年、シーバー自身が認知症を発症したため、第一線からの隠退を決めたことが家族より公表された。

詳細情報

年度別投手成績






























ブ




ド
































ボ











W
H
I
P

1967 | NYM | 35 | 34 | 18 | 2 | 1 | 16 | 13 | 0 | -- | .552 | 1029 | 251.0 | 224 | 19 | 78 | 6 | 5 | 170 | 5 | 0 | 85 | 77 | 2.76 | 1.20
1968 | 36 | 35 | 14 | 5 | 3 | 16 | 12 | 1 | -- | .571 | 1088 | 277.2 | 224 | 15 | 48 | 5 | 8 | 205 | 8 | 1 | 73 | 68 | 2.20 | 0.98
1969 | 36 | 35 | 18 | 5 | 2 | 25 | 7 | 0 | -- | .781 | 1089 | 273.1 | 202 | 24 | 82 | 9 | 7 | 208 | 8 | 1 | 75 | 67 | 2.21 | 1.04
1970 | 37 | 36 | 19 | 2 | 2 | 18 | 12 | 0 | -- | .600 | 1173 | 290.2 | 230 | 21 | 83 | 8 | 4 | 283 | 6 | 0 | 103 | 91 | 2.82 | 1.08
1971 | 36 | 35 | 21 | 4 | 5 | 20 | 10 | 0 | -- | .667 | 1103 | 286.1 | 210 | 18 | 61 | 2 | 4 | 289 | 5 | 1 | 61 | 56 | 1.76 | 0.95
1972 | 35 | 35 | 13 | 3 | 3 | 21 | 12 | 0 | -- | .636 | 1060 | 262.0 | 215 | 23 | 77 | 2 | 5 | 249 | 8 | 0 | 92 | 85 | 2.92 | 1.11
1973 | 36 | 36 | 18 | 3 | 0 | 19 | 10 | 0 | -- | .655 | 1147 | 290.0 | 219 | 23 | 64 | 5 | 4 | 251 | 5 | 0 | 74 | 67 | 2.08 | 0.98
1974 | 32 | 32 | 12 | 5 | 2 | 11 | 11 | 0 | -- | .500 | 956 | 236.0 | 199 | 19 | 75 | 10 | 3 | 201 | 4 | 2 | 89 | 84 | 3.20 | 1.16
1975 | 36 | 36 | 15 | 5 | 1 | 22 | 9 | 0 | -- | .710 | 1115 | 280.1 | 217 | 11 | 88 | 6 | 4 | 243 | 7 | 1 | 81 | 74 | 2.38 | 1.09
1976 | 35 | 34 | 13 | 5 | 2 | 14 | 11 | 0 | -- | .560 | 1079 | 271.0 | 211 | 14 | 77 | 9 | 4 | 235 | 12 | 0 | 83 | 78 | 2.59 | 1.06
1977 | 13 | 13 | 5 | 3 | 1 | 7 | 3 | 0 | -- | .700 | 390 | 96.0 | 79 | 7 | 28 | 3 | 0 | 72 | 3 | 1 | 33 | 32 | 3.00 | 1.01
CIN | 20 | 20 | 14 | 4 | 3 | 14 | 3 | 0 | -- | .824 | 641 | 165.1 | 120 | 12 | 38 | 3 | 0 | 124 | 4 | 0 | 45 | 43 | 2.34 | 0.96
'77計 33 | 33 | 19 | 7 | 4 | 21 | 6 | 0 | -- | .778 | 1031 | 261.1 | 199 | 19 | 66 | 6 | 0 | 196 | 7 | 1 | 78 | 75 | 2.58 | 1.01
1978 | 36 | 36 | 8 | 1 | 1 | 16 | 14 | 0 | -- | .533 | 1075 | 259.2 | 218 | 26 | 89 | 11 | 0 | 226 | 6 | 1 | 97 | 83 | 2.88 | 1.18
1979 | 32 | 32 | 9 | 5 | 3 | 16 | 6 | 0 | -- | .727 | 868 | 215.0 | 187 | 16 | 61 | 6 | 0 | 131 | 4 | 0 | 85 | 75 | 3.14 | 1.15
1980 | 26 | 26 | 5 | 1 | 0 | 10 | 8 | 0 | -- | .556 | 692 | 168.0 | 140 | 24 | 59 | 3 | 1 | 101 | 4 | 0 | 74 | 68 | 3.64 | 1.18
1981 | 23 | 23 | 6 | 1 | 0 | 14 | 2 | 0 | -- | .875 | 671 | 166.1 | 120 | 10 | 66 | 8 | 3 | 87 | 5 | 0 | 51 | 47 | 2.54 | 1.12
1982 | 21 | 21 | 0 | 0 | 0 | 5 | 13 | 0 | -- | .278 | 501 | 111.1 | 136 | 14 | 44 | 4 | 3 | 62 | 3 | 0 | 75 | 68 | 5.50 | 1.62
1983 | NYM | 34 | 34 | 5 | 2 | 0 | 9 | 14 | 0 | -- | .391 | 962 | 231.0 | 201 | 18 | 86 | 5 | 4 | 135 | 10 | 0 | 104 | 91 | 3.55 | 1.24
1984 | CWS | 34 | 33 | 10 | 4 | 3 | 15 | 11 | 0 | -- | .577 | 978 | 236.2 | 216 | 27 | 61 | 3 | 2 | 131 | 5 | 0 | 108 | 104 | 3.95 | 1.17
1985 | 35 | 33 | 6 | 1 | 0 | 16 | 11 | 0 | -- | .593 | 993 | 238.2 | 223 | 22 | 69 | 6 | 8 | 134 | 10 | 0 | 103 | 84 | 3.17 | 1.22
1986 | 12 | 12 | 1 | 0 | 0 | 2 | 6 | 0 | -- | .250 | 309 | 72.0 | 66 | 9 | 27 | 1 | 5 | 31 | 1 | 0 | 37 | 35 | 4.38 | 1.29
BOS | 16 | 16 | 1 | 0 | 0 | 5 | 7 | 0 | -- | .417 | 450 | 104.1 | 114 | 8 | 29 | 1 | 2 | 72 | 3 | 0 | 46 | 44 | 3.80 | 1.37
'86計 28 | 28 | 2 | 0 | 0 | 7 | 13 | 0 | -- | .350 | 759 | 176.1 | 180 | 17 | 56 | 2 | 7 | 103 | 4 | 0 | 83 | 79 | 4.03 | 1.34
通算:20年 656 | 647 | 231 | 61 | 32 | 311 | 205 | 1 | -- | .603 | 19369 | 4782.2 | 3971 | 380 | 1390 | 116 | 76 | 3640 | 126 | 8 | 1674 | 1521 | 2.86 | 1.12

獲得タイトル・表彰

記録

メッツ球団通算記録

背番号

脚注

  1. ^ ジョセフ・ダーソー「あっと驚くメッツの奇跡 連載第五回」週刊ベースボール1970年9月21日号,p44-p47
  2. ^ Apr 15, 1968, Mets at Astros Box Score and Play by Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月21日閲覧。
  3. ^ 試合は両チーム無得点のまま延長24回までもつれ込み、アストロズが勝利。
  4. ^ Jul 9, 1969, Cubs at Mets Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月22日閲覧。
  5. ^ 2003年エリック・ガニエがタイ記録。
  6. ^ 現在の記録はロジャー・クレメンスケリー・ウッドランディ・ジョンソンの20奪三振。
  7. ^ 2016年ケン・グリフィー・ジュニアがシーバーの98.84%を上回る99.3%の得票率を得て殿堂入りを果たし、さらに2018年にはマリアノ・リベラが100%(満票)の得票率で殿堂入りを果たした。
  8. ^ 殿堂入りの伝説右腕トム・シーバー氏、認知症と診断 家族が発表”. Full-count. 2019年3月12日閲覧。

外部リンク

アメリカ野球殿堂表彰者 投手
出典:wikipedia
2019/08/18 10:30

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