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トヨタ自動車とは?

トヨタ自動車株式会社
Toyota Motor Corporation

トヨタ自動車 本社

種類
株式会社
【市場情報】
東証1部 7203
名証1部 7203
NYSE TM

【略称】
トヨタ、TMC
【本社所在地】
日本
471-8571
本店:
愛知県豊田市トヨタ町1番地
東京本社:
東京都文京区後楽一丁目4番18号
トヨタ自動車東京本社ビル
名古屋オフィス:
名古屋市中村区名駅四丁目7番1号
【設立】
1937年8月28日
(トヨタ自動車工業株式会社)
業種
輸送用機器
法人番号
1180301018771
【事業内容】
自動車(車種一覧を参照)
【代表者】
内山田竹志(代表取締役会長)
早川茂(代表取締役副会長)
豊田章男(代表取締役社長執行役員)
小林耕士(代表取締役副社長執行役員)
【資本金】
3970億4900万円(2016年3月期)
【発行済株式総数】
33億3799万7492株
【売上高】
連結:28兆4031億1800万円
単独:11兆5858億2200万円
(2016年3月期)
【営業利益】
連結:2兆8539億7100万円
単独:1兆4021億2600万円
(2016年3月期)
【経常利益】
連結:2兆9833億8100万円
単独:2兆2840億9100万円
(2016年3月期)
【純利益】
連結:2兆3126億9400万円
単独:1兆8103億7000万円
(2016年3月期)
【純資産】
連結:18兆0881億8600万円
単独:10兆8594億4300万円
(2016年3月期)
【総資産】
連結:47兆4275億9700万円
単独:16兆1002億0900万円
(2016年3月期)
【従業員数】
連結:36万4445人
単独:7万2721人
(2017年3月31日現在)
【決算期】
毎年3月31日
【会計監査人】
PwCあらた有限責任監査法人
【主要株主】
日本トラスティ・サービス信託銀行 11.01%
豊田自動織機 6.93%
日本マスタートラスト信託銀行 4.73%
日本生命保険相互会社 3.64%
ステート・ストリート・バンク・アンド・トラスト・カンパニー 3.14%
デンソー 2.62%
ジェーピーモルガンチェース 2.18%
三井住友海上火災保険株式会社 1.84%
資産管理サービス信託銀行 1.78%
ザ・バンク・オブ・ニューヨーク・メロン・アズ・デポジタリ・バンク・フォーデポジタリ・レシート・ホルダーズ 1.69%
(2017年3月31日現在)
【主要子会社】
トヨタ車体 100%
トヨタ自動車東日本 100%
トヨタ自動車北海道 100%
トヨタ自動車九州 100%
ダイハツ工業 100%
トヨタテクノクラフト 100%
トヨタ・モータースポーツ 100%
富士スピードウェイ 93.4%
トヨタホーム 87.80%
豊田中央研究所 54.00%
日野自動車 50.11%
豊田合成 42.80%
トヨタ紡織 39.36%
デンソー 24.77%
愛知製鋼 23.71%
豊田自動織機 23.51%
ジェイテクト 22.57%
アイシン精機 22.25%
豊田通商 21.50%
SUBARU 16.77%
いすゞ自動車 5.89%
東和不動産
名古屋グランパス
トヨタグループ参照
【関係する人物】
豊田佐吉(トヨタの始祖)
豊田利三郎(初代社長)
豊田喜一郎(第二代社長、実質的創業者)
石田退三(第三代社長、中興の祖)
豊田英二(第五代社長、元最高顧問)
豊田章一郞(第六代社長、名誉会長)
奥田碩(第八代社長)
張富士夫(第九代社長、元名誉会長)
渡辺捷昭(第十代社長)
豊田章男(現社長)
【外部リンク】
http://www.toyota.co.jp/

トヨタ自動車株式会社(トヨタじどうしゃ、: Toyota Motor Corporation)は、日本の大手自動車メーカーである。通称「トヨタ」、英語表記「TOYOTA」、トヨタグループ内では「TMC」と略称される。豊田自動織機を源流とするトヨタグループの中核企業で、ダイハツ工業日野自動車の親会社、SUBARU筆頭株主である。TOPIX Core30の構成銘柄の一つ。

トヨタグループ全体の2017年の世界販売台数は約1038万台で3位、トヨタブランド単独では約847万台で世界第1位である。またインターブランドジャパンの調査による、世界展開している日本企業のブランド価値ランキングで10年連続1位を獲得している。

本社が位置する豊田市は、奈良時代から約1,300年間「挙母(ころも、挙母市)」と称された地名を1959年に「豊田(豊田市)」へ改称することを市議会で決議し、本社所在地の表示が「挙母市大字下市場字前山8番地」から「豊田市トヨタ町1番地」に変更された。日本の企業城下町で、市名に企業名が採られた稀な事例である。

目次

  • 1 歴史
    • 1.1 創業
    • 1.2 初期
    • 1.3 中興
    • 1.4 企業統廃合
    • 1.5 日本一の企業、世界一の自動車メーカーへ
    • 1.6 消滅危機からのV字回復
  • 2 最高幹部
    • 2.1 役員一覧
    • 2.2 名誉会長・相談役・顧問
    • 2.3 歴代社長
    • 2.4 歴代会長
  • 3 グループ会社・関連会社
    • 3.1 トヨタグループの代表的な企業
    • 3.2 現在提携を結んでいる企業
    • 3.3 かつて提携をしていた自動車メーカー
  • 4 ランキング指標による企業評価
  • 5 創業家としての豊田家の存在
    • 5.1 豊田家系図
  • 6 経営
  • 7 開発思想
    • 7.1 主査制度
    • 7.2 80点+α主義
    • 7.3 もっといいクルマづくり
  • 8 技術力
    • 8.1 トヨタが日本で初めて量産車に用いた技術・機構
    • 8.2 トヨタが世界で初めて量産車に用いた技術・機構
  • 9 ブランド
    • 9.1 トヨタ
    • 9.2 レクサス
    • 9.3 GR
    • 9.4 トヨペット(廃止)
    • 9.5 サイオン(廃止)
  • 10 販売戦略
    • 10.1 強力な販売網
    • 10.2 多彩な車種とグレード
    • 10.3 車種毎のエンブレム
    • 10.4 高級車ブランド戦略
    • 10.5 北米戦略
    • 10.6 中国戦略
  • 11 情報技術戦略
    • 11.1 IT活用の変遷
      • 11.1.1 トヨタ生産方式(TPS)の高度IT化
      • 11.1.2 クルマのデジタル化
      • 11.1.3 モビリティ社会のスマート化
      • 11.1.4 自動車、住宅に続く、経営の3本目の柱
    • 11.2 自動運転、Connected Car
  • 12 モータースポーツ
  • 13 自動車以外の事業
    • 13.1 マリン事業
    • 13.2 ロボット事業
    • 13.3 二輪販売(撤退)
    • 13.4 航空機製造(撤退)
    • 13.5 鉄道車両製造(撤退)
  • 14 本部、他の主要な事業所
  • 15 研究開発拠点
    • 15.1 日本国内
    • 15.2 日本国外
      • 15.2.1 アメリカ
      • 15.2.2 ヨーロッパ
      • 15.2.3 アジア・太平洋
  • 16 生産拠点
    • 16.1 日本国内
      • 16.1.1 直営
      • 16.1.2 子会社・関連会社運営(車両生産工場のみ)
    • 16.2 日本国外
      • 16.2.1 北米
      • 16.2.2 ラテンアメリカ
      • 16.2.3 ヨーロッパ
      • 16.2.4 アフリカ
      • 16.2.5 アジア
      • 16.2.6 オセアニア
      • 16.2.7 中東
  • 17 車種
  • 18 ディーラー
    • 18.1 トヨタの4系列全店で販売されている車種
  • 19 キャッチフレーズ(コーポレート・ステートメント)
    • 19.1 歴代キャッチフレーズ
    • 19.2 販売店ごとのキャッチフレーズ
    • 19.3 ロゴマーク
  • 20 造成開発地
  • 21 スポンサー
    • 21.1 テレビ
    • 21.2 スポンサーとして
  • 22 不祥事・事件・問題・批判(グループ会社を含む)
    • 22.1 中古車架空販売
    • 22.2 ルネサスエレクトロニクス
    • 22.3 北米トヨタのセクハラ
    • 22.4 過労・サービス残業問題
    • 22.5 トヨタ自動車中国広告問題
    • 22.6 リコール関連
      • 22.6.1 トヨタ日本国内リコール放置問題
      • 22.6.2 アメリカの大規模リコール
    • 22.7 中東紛争でトヨタ車人気
    • 22.8 日本国外における法的トラブル
    • 22.9 書籍『トヨタの闇』における批判
    • 22.10 米国籍役員による「麻薬」密輸問題
    • 22.11 所得税の源泉徴収漏れ
  • 23 注釈
  • 24 脚注
  • 25 関連項目
    • 25.1 ICT・ITS関連企業
    • 25.2 スポーツ関連
      • 25.2.1 所属スポーツ選手
      • 25.2.2 直営自動車大学校
    • 25.3 その他
  • 26 外部リンク

歴史

創業

実質的創業者の第2代社長 豊田喜一郎

豊田佐吉(人名は「とよ」と濁る)が創業した豊田自動織機製作所内(愛知県刈谷市)に、1933年9月に開設された自動車部がトヨタ自動車の起源で、自動車部設置にあたり、中京デトロイト構想創案者で大同メタル工業創立者の川越庸一が豊田喜一郎を説き伏せ、自動車部設置に至った。初代自動部部長に川越庸一氏を迎え入れた。佐吉の息子である豊田喜一郎が中心となって設立したが、初代社長は佐吉の娘婿で喜一郎の義兄である豊田利三郎が就いた。

織機製作における鋳造・機械加工技術等のノウハウを活かし、研究期間を経て1935年11月にG1型トラックを発表。翌1936年9月に、同社初の量産乗用車であるAA型乗用車と、同時にG1型の改良型であるGA型トラックを発表した。これまで豊田自動織機製作所の自動車部として刈谷市で開発・製造されていたが、1937年8月28日に独立した新会社が広大な敷地のある愛知県挙母市(現豊田市)に設立され、本社と工場が設置された。創立記念日は本社工場が竣工された11月3日としている。

豊田自動織機製作所自動車部時代は、社名中の「豊田」の読みが「トヨダ」であったため、ロゴや刻印も英語は「TOYODA」でエンブレムは漢字の「豊田」を使用していた。しかし1936年夏に行われた新トヨダマークの公募で、約27000点の応募作品から選ばれたのは「トヨダ」ではなく「トヨタ」のマークだった。理由として、デザイン的にスマートであること、画数が8画で縁起がいいこと、個人名から離れ社会的存在へと発展することなどが挙げられている。1936年9月25日に「トヨタ(TOYOTA)」の使用が開始され、翌年の自動車部門独立時も「トヨタ自動車工業株式会社」が社名に採用された。

初期

1936年に発売されたAA型乗用車(復元車)

1941年に利三郎は会長に退き、第2代社長に創業者の喜一郎が就任した。日中戦争および太平洋戦争中は主に帝国陸軍向けのトラックと、少数のAA型乗用車、派生型のAB型(ABR型)・AC型などを生産し、陸軍の要請で川崎重工業との合弁で後にアイシン精機となる東海航空工業を設立したり、トヨタも航空機部門を作って航空機用エンジンを製造した。大戦末期の1945年8月14日にアメリカ軍の爆撃で挙母工場の約4分の1が破壊された。

1950年にドッジ・ラインに伴うデフレと戦前の好調を支えた割賦販売方式の影響を受けてトヨタは経営危機に陥った。豊田喜一郎社長は辞任に追い込まれたが、直後に朝鮮戦争が勃発して軍用トラック特需があり倒産を回避、同時に技術者の中村健也の監督のもと、国産自家用車の開発を開始した。

この経営危機時、都銀・地銀含めトヨタと取引のあった銀行24行による協調融資団が結成される中、帝国銀行東海銀行を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(トヨタ自販)が設立された。このとき融資に協力した帝国銀行と東海銀行が主力銀行となるが、融資条件に合理化も含まれており、トヨタは初のリストラを断行している。貸付金を回収した大阪銀行は、後継の住友銀行がさくら銀行と合併するまで50年のあいだ口座開設や取引はされなかった。千代田銀行は取引解消に至らずも再建策に消極的であったことから、後継の三菱銀行は住友銀行ほどではないが、海外の資金調達や決済など一部に限られて東京銀行と合併するまで45年のあいだ全面的な口座開設や取引はされなかった。

中興

カローラは33年連続で国内販売台数1位を獲得し、日本のモータリゼーション発展に貢献した。

喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にクラウン(1955年)、コロナ(1957年)、ダイナ(1959年)、パブリカ(1961年)などロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。1956年クラウンがロンドン-東京間を走破、国産自動車メーカー各社の自信となった。のちの中川不器男社長時代にスポーツ800(1965年)、カローラ(1966年)、ハイエース2000GT(1967年)などを発売し、カローラの躍進によりトヨタはシェアトップを不動のものとした。このころから北米、タイブラジルなどにも進出してカローラランドクルーザーが一定の地位を築いた。

この頃日本はOECDに加盟して外国車の輸入が自由化され、日本の自動車メーカーは生産力に勝るGMフォードに対抗するべく業界再編が行われていた。シェア首位のトヨタは独占禁止法の関係で他社を合併吸収することが認められなかったため、1966年に日野自動車と、1967年にダイハツ工業と業務提携した。日野はトヨタの生産ノウハウを吸収してトヨタの小型車生産を請け負い、ダイハツはカローラやパブリカの事実上の上級モデルであるシャルマンコンソルテを開発・販売しながら四輪開発の経験を積んだ。こうしてトヨタは「200万台体制」に向けた準備を整えた。

豊田英二社長の時代にセンチュリー(1967年)、スプリンターマークII(1968年)、カリーナセリカライトエース(1970年)、スターレット(1973年)、タウンエース(1976年)、ターセルコルサ(1978年)、カムリ(1980年)、ソアラ(1981年)などを発売し、公害問題や排ガス規制などに対処した。1980年にビスタ店を設立し、トヨタ店トヨペット店カローラ店オート店(1998年に「(旧)ネッツ店」に改称)とともに「販売5チャネル体制」を確立した。

企業統廃合

ソアラはトヨタのイメージリーダーとして最新技術が多数投入された。

1982年にトヨタ自工とトヨタ自販が合併し、現在のトヨタ自動車株式会社となった。新会社の社長に喜一郎の長男・豊田章一郞が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場で1982年のビスタマスターエース、1984年のハイラックスサーフMR2、1985年のカリーナED、1986年のスープラ、1989年のセルシオ、1991年のウィンダムなど次世代のトヨタを担う車種を発売し、国内販売高トップの座を強固にした。

1989年にアメリカを主要マーケットとしたトヨタの上級ブランド「レクサス」を立ち上げた。レクサス・LS (日本名、セルシオ) の成功は、日本車が高級乗用車としても通用することを証明した。

1992年に章一郞は社長を退き弟の豊田達郎が社長に就いた。バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃してトヨタも影響を受けた。時代はトヨタの得意とするセダン・クーペなどの高級感・格好良さより、SUVやミニバンなどの実用性を重視する分野へと移り変わって行き、シェアは一時40%を切った。トヨタはセダンに力を入れる一方、ミニバンのエスティマ(1990年)や、クロスオーバーSUV(CUV)の先駆けとなるRAV4(1994年)を投入して状況に対応した。不況の続く中、1995年に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。

日本一の企業、世界一の自動車メーカーへ

第8代社長・第7代会長の奥田碩により積極的な海外販路拡大路線が推し進められた。
LS460は日本車として初めて世界カーオブザイヤーに輝いた

奥田は創業家出身の会長の章一郞を後ろ盾に、業績が下降していたトヨタを再生させ、積極的な海外販路拡大路線を開始した。1997年に高級SUVの先駆けとなるハリアーと、世界初の量産ハイブリッドカープリウスの販売を開始し、1999年のヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。張は奥田の海外販路拡大路線を推進し、2002年 頃以降は年間50万台ものペースで海外販売台数が急拡大し始めた。2003年 に2代目プリウスの販売を開始したが、この成功は「ハイブリッドカーを擁する環境先進企業・トヨタ」のイメージを確立させる事に成功した。2000年から部品の設計開発段階からの原価低減を目指したCCC21活動を開始し、ピーク時の2003年に3,000億円の原価低減を達成した。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、トヨタグループの連結子会社の合計は264,096人で日本最大、世界で第三位の企業規模となった。2004年に旧ネッツ店とビスタ店を統合して新生・ネッツ店として再出発した。

傘下企業の関係強化も進み、1998年にダイハツ工業、2001年に日野自動車の株式の過半数を取得した。

2005年に張の後任として渡辺捷昭が社長に就任した。渡辺も、奥田社長時代以降続いている拡大路線を継続しつつ、CCC21活動を発展させてシステム単位で原価低減を目指すVI活動を開始した。同年、トヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が完成。8月にレクサス店を日本へ導入した。10月にゼネラルモーターズが保有する富士重工業の約20%の株式のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表した。2007年に世界販売台数が過去最多の936万6,418台を記録し (世界2位、生産台数は世界1位)、2008年3月期の連結営業利益も過去最高となる2兆2703億円を記録した。2007年に、名古屋駅前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設されるミッドランドスクエア内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、JRセントラルタワーズオフィス、本社機能の一部と名古屋市内と東京本社からそれぞれ日本国内・日本国外の営業部門が移転した。

消滅危機からのV字回復

THS-IIと低価格により爆発的にヒットした3代目プリウス。
スピンドルグリルを採用するレクサス・RC F

2008年のリーマン・ショックで世界の自動車販売台数は急減し、トヨタも2009年3月期の連結営業利益が4,610億円で58年ぶりに赤字に転落した。2008年の年間世界販売台数はGMの販売台数が落ち込みが激しかったため、897万2,000台の販売台数を記録したトヨタグループが初めて販売台数世界一となった。この自動車市場の冷え込みに加えて、2009年 から2010年 にかけて大規模リコールが発生したため、トヨタの経営は一転して危機的状況に陥った。この危機に対して、2009年6月に新社長に就任したばかりの創業家出身の豊田章男は、トヨタが経営学者ジェームズ・C・ コリンズが言うところの企業消滅手前の「企業凋落の4段階目」に瀕していると表明した。2011年に東日本大震災タイ大洪水が発生し、2010年から続く記録的な円高もあって、トヨタグループの世界販売台数はGMとフォルクスワーゲングループに抜かれて世界3位に後退した。2008年から、さらなる原価低減を目指す緊急VA活動を開始し、全社VA活動、VA開発部の発足まで発展させ、2011年から、意思決定の迅速化のために大幅に取締役を削減した上で海外事業体にいくつかの権限を委譲するなど、様々な企業努力を行った。

2012年に過去最多となる世界販売台数974万7,762台を達成し、2年ぶりに世界販売台数1位を奪還した。2012年末からのアベノミクスの金融緩和による円安で、2013年3月期はリーマン・ショック後初で5年ぶりとなる営業利益1兆円越えを達成する。

2013年4月にレクサス・インターナショナル、第1トヨタ、第2トヨタ、ユニットセンターの4つのビジネスユニットを新設し、意思決定を迅速化した。これは1982年の工販合併後の最大の組織改編であった。同年のグループ年間生産台数は1011万7274台を記録し、世界の自動車メーカーの中で初めての年間生産台数1000万台超えを達成し、翌2014年は、年間販売台数でも初の1000万台超えを達成した。2015年3月期は日本企業で初の純利益2兆円越えを達成し、2016年3月期売上高28兆4千億円は、5大商社である三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠商事、丸紅を抑え日本1位である。

2015年に新しい設計開発思想「TNGA」の導入を開始し、さらなる原価逓減と「もっといいクルマづくり」の姿勢を鮮明に打ち出した。一般投資家向けに中長期保有を前提とした元本保証の種類株式『AA型種類株式』の発行を発表。即座に業績へ反映されない研究開発に投資するのが目的とされる。株式名はトヨタ初の量産乗用車AA型にちなんで命名された。

2016年3月1日にヤマハ発動機に対抗するためヤンマーホールディングス(ヤンマー)とマリン事業分野で業務提携を発表、同年4月4日にマイクロソフトと合弁でコネクテッドカー関連の研究開発および商品開発を行う新会社「Toyota Connected」(トヨタ・コネクテッド)設立を発表した。

2016年4月から、意思決定のさらなる迅速化と次世代リーダーの育成を目的に、専務役員がプレジデントを務める7つの部門からなるカンパニー制を導入した。

2017年2月にスズキと業務提携に向けて基本合意し、8月にマツダと株の持ち合いによる資本提携と技術提携を締結した。

最高幹部


創業家出身の第11代代表取締役社長豊田章男

役員一覧

取締役
代表取締役会長 | 内山田竹志
代表取締役副会長 | 早川茂
代表取締役社長
(兼執行役員社長) | 豊田章男
代表取締役
(兼執行役員副社長) | 小林耕士
取締役
(兼執行役員副社長) | ディディエ・ルロワ (Didier Leroy)
寺師茂樹
取締役
(社外取締役) | 菅原郁郎
フィリップ・クレイヴァン(Philip Craven)
工藤禎子
監査役
常勤監査役 | 安田政秀
加藤雅大
香川佳之
監査役 | 和気洋子
小津博司
平野信行
執行役員の体制
社長
(兼代表取締役社長) | 豊田章男
副社長
(兼代表取締役) | 小林耕士
副社長
(兼取締役) | ディディエ・ルロワ (Didier Leroy)
寺師茂樹
副社長 | 河合満
友山茂樹
吉田守孝
フェロー | ギル・プラット (Gill A. Pratt)
専務役員 | 14名
常務役員 | 33名

(2018年6月14日時点)

名誉会長・相談役・顧問

名誉会長 | 豊田章一郎
相談役 | 張富士夫
池渕浩介
顧問 | 6名

(2018年7月1日時点)

歴代社長

トヨタ自動車工業株式会社・トヨタ自動車販売株式会社・トヨタ自動車株式会社の社長の変遷

トヨタ自動車工業株式会社 社長
代 氏名 就任日 退任日 備考
1 |  | 豊田利三郎 | 1937年8月 | 1941年1月 | 利三郎は退任後、トヨタ自動車工業会長に就任
2 |  | 豊田喜一郎 | 1941年1月 | 1950年6月 | ―
3 |  | 石田退三 | 1950年7月 | 1961年8月 | 石田は退任後、トヨタ自動車工業会長に就任
4 |  | 中川不器男 | 1961年8月 | 1967年10月 | 中川は在任中に死去
5 |  | 豊田英二 | 1967年10月 | 1982年7月 | 英二は退任後、トヨタ自動車会長に就任
トヨタ自動車販売株式会社 社長
代 氏名 就任日 退任日 備考
1 |  | 神谷正太郎 | 1950年4月 | 1975年12月 | 神谷は退任後、トヨタ自動車販売会長に就任
2 |  | 加藤誠之 | 1975年12月 | 1979年6月 | 加藤は退任後、トヨタ自動車販売会長に就任
3 |  | 山本定藏 | 1979年6月 | 1981年6月 | ―
4 |  | 豊田章一郎 | 1981年6月 | 1982年6月 | ―
トヨタ自動車株式会社 社長
代 氏名 就任日 退任日 補足 備考
1 |  | 豊田章一郎 | 1982年7月 | 1992年9月 | 工販合併前からは通算6代目 | 退任後、会長に就任
2 |  | 豊田達郎 | 1992年9月 | 1995年8月 | 工販合併前からは通算7代目 | 退任後、副会長に就任
3 |  | 奥田碩 | 1995年8月 | 1999年6月 | 工販合併前からは通算8代目 | 退任後、会長に就任
4 |  | 張富士夫 | 1999年6月 | 2005年6月 | 工販合併前からは通算9代目 | 退任後、副会長に就任
5 |  | 渡辺捷昭 | 2005年6月 | 2009年6月 | 工販合併前からは通算10代目 | 退任後、副会長に就任
6 |  | 豊田章男 | 2009年6月 | (現職) | 工販合併前からは通算11代目 | ―

歴代会長

トヨタ自動車工業株式会社・トヨタ自動車販売株式会社・トヨタ自動車株式会社の会長の変遷

トヨタ自動車工業株式会社 会長
代 氏名 就任日 退任日 備考
1 |  | 豊田利三郎 | 1941年1月 | 1945年11月 | 利三郎は退任後、トヨタ自動車工業監査役に就任
2 |  | 石田退三 | 1961年8月 | 1971年7月 | 石田は退任後も、兼任するトヨタ自動車販売監査役を継続
3 |  | 齋藤尚一 | 1972年12月 | 1978年9月 | ―
4 |  | 花井正八 | 1978年9月 | 1982年7月 | 花井は退任後、トヨタ自動車相談役に就任
トヨタ自動車販売株式会社 会長
代 氏名 就任日 退任日 備考
1 |  | 神谷正太郎 | 1975年12月 | 1979年6月 | 神谷は退任後、トヨタ自動車販売名誉会長に就任
2 |  | 加藤誠之 | 1979年6月 | 1982年6月 | 加藤は退任後、トヨタ自動車監査役に就任
トヨタ自動車株式会社 会長
代 氏名 就任日 退任日 補足 備考
1 |  | 豊田英二 | 1982年7月 | 1
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出典:wikipedia
2018/07/07 21:43

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