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トルコとは?

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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2009年10月)

トルコ共和国
Türkiye Cumhuriyeti



(国旗) | (国章)
国の標語:Yurtta Sulh, Cihanda Sulh
(トルコ語: 国に平和、世界に平和)
国歌:İstiklal Marşı(トルコ語)
独立行進曲
公用語 トルコ語
首都 アンカラ
最大の都市 イスタンブール
政府
大統領 レジェップ・タイイップ・エルドアン
副大統領 フアット・オクタイ
面積
総計 783,562km(37位)
水面積率 1.3 %
人口
総計(2012年) 75,627,384人(19位)
人口密度 88人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2013年)】
1兆5,615億トルコリラ
GDP (MER)
【合計(2013年)】
8,200億ドル(18位)
GDP (PPP)
合計(2013年) 1兆4,435億ドル(17位)
【1人あたり】
18,874ドル

建国
- 宣言 共和制宣言
1923年10月29日
通貨 トルコリラ (TRY)
時間帯 UTC +3(DST:なし)
ISO 3166-1 TR / TUR
ccTLD .tr
国際電話番号 90

トルコ共和国(トルコきょうわこく、トルコ語: Türkiye Cumhuriyeti)、通称トルコは、西アジアに位置するアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパに位置するバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する共和制国家。首都はアナトリア中央部のアンカラ

アジアヨーロッパの2つの大州にまたがる。北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリアギリシャと、東でジョージア(グルジア)、アルメニアアゼルバイジャンイランイラクシリアと接する。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
  • 3 政治
  • 4 軍事
  • 5 国際関係
    • 5.1 トルコとヨーロッパ
    • 5.2 トルコとアジア
    • 5.3 日本国との関係
    • 5.4 ギリシャとの関係
    • 5.5 アルメニア共和国との関係
    • 5.6 MIKTA
  • 6 地理
    • 6.1 気候
  • 7 地方行政区分
    • 7.1 主要都市
  • 8 経済
    • 8.1 工業
    • 8.2 観光
    • 8.3 農業
    • 8.4 鉱業
    • 8.5 経済成長
    • 8.6 貿易
    • 8.7 交通
  • 9 国民
    • 9.1 民族
    • 9.2 宗教
    • 9.3 言語
    • 9.4 人名
    • 9.5 教育
  • 10 文化
    • 10.1 食文化
    • 10.2 文学
    • 10.3 音楽
    • 10.4 建築
    • 10.5 世界遺産
    • 10.6 祝祭日
  • 11 メディア
    • 11.1 インターネット
  • 12 スポーツ
  • 13 写真
  • 14 脚注
  • 15 参考文献
  • 16 関連項目
  • 17 外部リンク

国名

トルコ語による正式国名は、 Türkiye Cumhuriyeti(テュルキイェ・ジュムフリイェティ)、通称 Türkiye(テュルキイェ)である。公式の英語表記は、Republic of Turkey。通称 Turkey(ターキー)。日本語名のトルコは、ポルトガル語で「トルコ人(男性単数)」もしくは「トルコの(形容詞)」を意味するturcoに由来する。

英語など諸外国語では、トルコ共和国の前身であるオスマン帝国の時代から、Turkey、Turquie など、「トルコ人の国」を意味する名でこの国家を呼んできたが、元来多民族国家であったオスマン帝国の側では「オスマン国家」などの名称が国名として用いられており、自己をトルコ人の国家と認識することはなかった。

Türk(テュルク)は、アナトリアへの移住以前、中央アジアで暮らしていたトルコ人が、モンゴル高原を中心とする遊牧帝国突厥を築いた6世紀ごろにはすでに使われていた民族名だが、語源には諸説ある。現在のトルコ共和国では一般に、突厥の建国をもって「トルコの建国」と考えられている。

歴史

詳細は「トルコの歴史」を参照

アナトリアには旧石器時代(1万1000年から60万年前)からの遺跡が存在する。紀元前2000年末ごろから鉄を作る技術が中近東世界に広がった。この地域が鉄器時代に入ったと考えられる。

トルコの国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)とトルコ最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブールは、古代からヒッタイトフリュギアリディア東ローマ帝国(ビザンツ帝国)など様々な民族文明が栄えた地である。

一方、北アジアではトルコ(テュルク)系民族として突厥552年にモンゴル系民族の支配から独立した。現在のトルコ共和国ではこれをもってトルコの最初の建国とみなしている。その後、東西に分裂し、中央アジアのアラル海東岸に割拠した西突厥の部族のひとつから部族長トゥグリル・ベグが出て西進を始め、ボハラ地方を部族で占領しセルジューク朝を成立させた。さらに西進して1055年バグダッドに入城、アッバース朝カリフよりスルタンに指名された。事実上アッバース朝に変わってセルジューク朝がメソポタミアの支配者となる。しかし、東アジアで覇権争いに敗れた契丹系の西遼が中央アジアに移動し、父祖の土地を占領すると、これと争って大敗し急激に衰え、のちにフラグの侵攻を受けて滅亡する。また中央アジアのトルコ系部族集団は、さらにウイグル系民族に圧迫されてイラン(ペルシャ)北部、カスピ海東岸の隅地に逃亡し歴史の記録から消える。

11世紀に、トルコ系のイスラム王朝セルジューク朝の一派がアナトリアに立てたルーム・セルジューク朝の支配下で、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ人が流入するようになり、土着の諸民族と対立・混交しつつ次第に定着していった。これら群小トルコ系君侯国はチンギスハーンの孫フラグのバグダッド占領、イルハーン帝国成立後もアナトリア西端に割拠して生き残り、そのひとつから発展したオスマン朝は、15世紀にビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブールを都とし、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配する大帝国を打ち立てる。モンゴル系のティムールアンゴラ(アンカラ)の戦いで敗れ一時滅亡するが、アナトリア南部の険によって抵抗し命脈を保った一族が、ティムールの死後オスマン朝を復興した。

19世紀、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地ではナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立した。帝国はオスマン債務管理局を通して列強に財政主権を握られ、第一次世界大戦で敗北した。こうしてオスマン帝国は、ギリシャなどの占領下に置かれ、完全に解体された。中でもギリシャは、自国民居住地の併合を目指してアナトリア内陸部深くまで進攻した。また、東部ではアルメニア国家が建設されようとしていた。これらに対してトルコ人ら(旧帝国軍人や旧勢力、進歩派の人)は1919年5月、国土・国民の安全と独立を訴えて武装抵抗運動を起こした(トルコ独立戦争)1920年4月、アンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)のもとに結集して戦い、1922年9月、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。1923年、アンカラ政権はローザンヌ条約を締結して共和制を宣言した。翌1924年オスマン王家カリフをイスタンブールから追放し、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。シャリーアは国法としての地位を喪失した。トルコは大陸法だけでなく、アメリカ合衆国などからの直接投資も受け入れることになった。

第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、1952年にはNATOに、また1961年にはOECDに加盟した。NATOとOECD加盟の間は西陣営内で経済戦争が起こっていた(セカンダリー・バンキング)。1956年ごろ、トルコはユーロバンクの資金調達先となったため外貨準備を著しく減らした。これを輸出で補うため単位作付面積あたりの綿花収穫量を急速に伸ばしたが、ソ連がすでに1944年から輸出量を世界でもっとも急ピッチに増産していた。1952年に暴落した価格で南米諸国とも競争するトルコは、機関化する1980年代まで外貨準備を十分に確保することができなかった。

国父アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化に邁進してきた(ヨーロッパ評議会への加盟、死刑制度の廃止、経済市場の開放と機関化)。その最終目標であるEUへの加盟にはクルド問題キプロス問題、ヨーロッパ諸国の反トルコ・イスラム感情などが障害となっている。

また、キリスト教(正教会)を国教とするアルメニア共和国とも緊張した関係が続いている。アルメニアの民族派はトルコ東南部を西アルメニアだと主張して返還を求めている。ナブッコ・パイプラインの拡張に関わる国際問題となっている。

トルコはエルトゥールル号遭難事件で日本が助けたことにより親日国とされている。

政治

EUとトルコ
レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領
詳細は「トルコの政治」および「トルコの法制度」を参照

1982年に定められた憲法では、世俗主義が標榜されている。三権はほとんど完全に分立しており、憲法の目的(世俗主義ほか)を達成するためにそれぞれの役割を果たすことが期待されている。このことが、世俗派と宗教的保守派との対立を助長し、その対決が終息しない遠因ともなっている。立法府として一院制トルコ大国民議会(Türkiye Büyük Millet Meclisi、定数550名、任期5年)がある。行政は議会によって選出される国家元首大統領(任期7年)が務めるが、首相の権限が強い議院内閣制に基づくものであった。司法府は、下級審である司法裁判所、刑事裁判所、および控訴審である高等控訴院、憲法裁判所で構成され、通常司法と軍事司法に分離されている。司法は政党の解党判断、党員の政治活動禁止といった政治的な事項についても判断できる。

その後、2007年の憲法改正により大統領は国民投票により選出されることとなり、また任期も7年から5年へと短縮された。2010年の憲法改正を経たのち、2017年の憲法改正では大統領権限が強化され、議院内閣制を廃止することが定められている。

トルコ大国民議会」、「トルコの大統領」、および「トルコの首相」も参照

政治は多党制政党政治を基本としているが、政党の離合集散が激しく、議会の選挙は小党乱立を防ぐため、10%以上の得票率を獲得できなかった政党には議席がまったく配分されない独特の方式をとっている。この制度のため、2002年の総選挙では、選挙前に中道右派・イスラム派が結集して結党された公正発展党(AKP)と、野党で中道左派系・世俗主義派の共和人民党(CHP)の2党が地すべり的な勝利を収め、議席のほとんどを占めている。2007年7月22日に実施された総選挙では、公正発展党が前回を12ポイントを上回る総得票率47%を獲得して圧勝した。共和人民党が議席を減らし、112議席を獲得。極右民族主義者行動党(MHP)が得票率14.3%と最低得票率10%以上の票を獲得し71議席を獲得、結果的に公正発展党は340議席となり、前回より12議席を減らすこととなった。独立候補は最低得票率の制限がなく、クルド系候補など27議席を獲得した。

トルコの政党」も参照

ムスタファ・ケマル・アタテュルク以来強行的に西欧化を押し進めてきたトルコでは、その歴史においてケマルをはじめ、政治家を数多く輩出したが政治における重要なファクターとなることがあり、政治や経済の混乱に対してしばしば圧力をかけている。1960年に軍は最初のクーデターを起こしたが、その後、参謀総長と陸海空の三軍および内務省ジャンダルマ(憲兵隊)の司令官をメンバーに含む国家安全保障会議(Milli Güvenlik Kurulu)が設置され、国政上の問題に対して内閣に圧力をかける実質上の政府の上位機関と化しているが、このような軍部の政治介入は、国民の軍に対する高い信頼に支えられていると言われる。1980年二度目のクーデター以降、特にイスラム派政党の勢力伸張に対して、軍は「ケマリズム」あるいは「アタテュルク主義」と呼ばれるアタテュルクの敷いた西欧化路線の護持を望む世俗主義派の擁護者としての性格を前面に打ち出している。軍は1997年にイスラム派の福祉党主導の連立政権を崩壊に追い込み、2007年には公正発展党による同党副党首の大統領選擁立に対して懸念を表明したが、この政治介入により国際的な非難を浴びた。8月29日には、議会での3回の投票を経てアブドゥラー・ギュル外相が初のイスラム系大統領として選出された。この結果、もはや以前のように軍が安易に政治に介入できる環境ではなくなり、世俗派と宗教的保守派の対立はもっと社会の内部にこもったものとなってきている(エルゲネコン捜査)。

2009年3月29日、自治体の首長や議員を選ぶ選挙が行われた。イスラム系与党・公正発展党が世俗派野党・共和人民党などを押さえ勝利した。

2010年9月12日には、与党・公正発展党(AKP)が提起した憲法改定案の是非を問う国民投票が実施された。現憲法は1980年のクーデター後の1982年に制定されたもので、軍や司法当局に大幅な権限を与え、国民の民主的権利を制限するといわれてきた。この憲法改定案は民主主義を求める国民の声や欧州連合(EU)加盟の条件整備などを踏まえ、司法や軍の政治介入を押さえ、国会や大統領の権限を強めることなど26項目を提起している。国民投票の結果、憲法改正案は58%の支持で承認された。投票率は73%であった。エルドアン首相は民主主義の勝利だと宣言した(AFP電)。また、国民投票結果について「発達した民主主義と法治国家に向け、トルコは歴史的な一線を乗り越えた」と評価した。欧米諸国はこの改憲国民投票結果を歓迎している。欧州連合(EU)の執行機関欧州委員会は、トルコのEU加盟に向けての一歩だと讃えた。

2014年8月28日にエルドアン首相は大統領に就任し、アフメト・ダウトオール外相が首相となったが、2016年5月22日にはビナリ・ユルドゥルムが新たな首相に就任した。

その後、2017年に大統領権限の強化と首相職の廃止を盛り込んだ憲法改正案が可決され、2018年7月9日に首相職は廃止された。

軍事

トルコ陸軍コブラ装甲車
詳細は「トルコ軍」を参照

トルコには軍事組織として、陸軍・海軍・空軍で組織されるトルコ軍 (Türk Silahlı Kuvvetleri) と内務省に所属するジャンダルマ(憲兵隊、Jandarma)・沿岸警備隊 (Sahil Güvenlik) が置かれている。兵役は男子に対してのみ課せられている。兵役期間は高卒以下の学歴の場合は15か月であり、大卒以上の学歴の場合は将校として12か月か二等兵として6か月を選択できるようになっている。なお、国外に連続して3年以上居住している場合、3週間の軍事訓練と約5,000ユーロの支払いで兵役免除になり、なお兵役期間終了後は41歳まで予備役となる。2011年末には金銭を納めることで兵役を免除可能とすることで事実上良心的兵役拒否を合法化した。兵員定数はないが、三軍あわせておおむね約38万人程度の兵員数である。また、ジャンダルマ・沿岸警備隊は戦時にはそれぞれ陸軍・海軍の指揮下に入ることとされている。ただし、ジャンダルマについては、平時から陸軍と共同で治安作戦などを行っている。

指揮権は平時には大統領に、戦時には参謀総長(Genelkurmay Başkanı)に属すると憲法に明示されており、戦時においてはトルコには文民統制は存在しない。また、首相および国防大臣には軍に対する指揮権・監督権は存在しない。ただし、トルコ軍は歴史的にも、また現在においてもきわめて政治的な行動をとる軍隊であり、また、国防予算の15%程度が議会のコントロール下にない軍基金・国防産業基金などからの歳入であるなど、平時においてもトルコ軍に対する文民統制には疑問も多い。この結果、軍はいわば第四権といった性格を持ち、世俗主義や内政の安定を支える大きな政治的・社会的影響力を発揮してきた。

1960年と1980年にはクーデター軍事政権を樹立したこともある。近年はエルドアン政権の権限強化とそれに対するクーデター失敗、経済発展に伴う社会の成熟・多様化により、軍部の影響力は以前より低下している。

軍事同盟としては1952年以降NATOに加盟し、1992年以降はWEUに準加盟している。また、1979年それ自体が崩壊するまでCENTO加盟国でもあった。2国間同盟としては1996年イスラエルと軍事協力協定および軍事産業協力協定を締結しており、1998年からは実際にアメリカ合衆国・イスラエル・トルコの3国で共同軍事演習「アナトリアの鷲」が行われた。

NATO加盟国としては唯一、非欧米国家グループである上海協力機構の対話パートナーにもなっており、2015年にはエルドアン大統領によって正規加盟が要請された。軍事装備は西側のものだけではなく、中華人民共和国の協力で弾道ミサイルJ-600Tユルドゥルム多連装ロケットシステムT-300カシルガを導入しており、NATOのミサイル防衛を揺るがすHQ-9S-400のような地対空ミサイルも中露から購入する動きも見せた。2010年にはアメリカやイスラエルと行ってきた「アナトリアの鷲」演習を中国と実施し、中国と初めて合同軍事演習を行ったNATO加盟国となった。

トルコ南東部においてはPKKとの戦闘状態が長年続いている。南隣にあるイラクシリアに対しても、国境をまたいで活動するPKKやイスラム国など反トルコ勢力への攻撃と、親トルコ派勢力の支援を目的に、派兵や越境空爆をしばしば行っている。

トルコ軍によるシリア侵攻 (シリア内戦)」も参照

また2016年には、ペルシャ湾岸のカタールの基地を利用する協定を結んだ。

国際関係

詳細は「オスマン債務管理局」および「トルコの国際関係」を参照

外交面では北大西洋条約機構(NATO)加盟国である。また、NATO加盟国としては唯一、非欧米軍事同盟である上海協力機構の対話パートナーであり、中露との軍事協力も行うなど、もはや西側一辺倒の外交路線ではなくなっている。

トルコとヨーロッパ

トルコ政府の公式見解では自国をヨーロッパの国としており、現代では経済的・政治的にヨーロッパの一員として参加しつつある。トルコはヘルシンキ宣言に署名している。2002年に政権についた公正発展党は、イスラム系を中心とする政党ながら軍との距離を慎重に保って人権問題を改善する改革を進めてきた。2004年には一連の改革が一応の評価を受け、条件つきではあるものの欧州委員会によって2005年10月からの欧州連合への加盟交渉の開始が勧告された。現在、国内世論と戦いながら加盟申請中である。なお、加盟基準であるコペンハーゲン基準については現在議論が行われている。

トルコとアジア

トルコの国土の96%がアジアのアナトリア半島にあり、人口でもアジア側が9割弱を占める。

日本国との関係

詳細は「日本とトルコの関係」を参照

1890年(明治23年)に、現在の和歌山県東牟婁郡串本町沖で発生したエルトゥールル号遭難事件日本の対応が評価されたことなどから、両国の友好関係が築かれている。

日本には多くのトルコ友好協会があり、トルコとの交流が積極的に行われている。

<トルコ政府系団体>

<トルコ政府連携協会>

ギリシャとの関係

詳細は「en:Greek–Turkish relations」を参照

隣国のギリシャとは緊張関係が続いている。古くはギリシャ人国家であった東ローマ帝国が現在のトルコにあたる地域を支配していたが、やがてオスマン帝国がそれを滅ぼし支配下に置いた。その後、19世紀初頭に列強の後押しでギリシャが独立し、「大ギリシャ主義」を掲げて衰退の進むオスマン帝国からの領土奪回を目論んだ。バルカン戦争第1次世界大戦後に領土をめぐる希土戦争が起こり、ギリシャとトルコの住民交換で解決された。しかし、当時イギリスの植民地だったキプロス島の帰属は決められなかったため、キプロス独立後にキプロス北キプロスに分裂した。

アルメニア共和国との関係

隣国のアルメニア共和国とは緊張関係が続いている。アルメニアの民族派がヴァン県などトルコ東南部をアルメニア人の奪われた土地だと主張している。

一部のアルメニア人の反トルコ主義や西アルメニアの返還の主張にはトルコの保守層の警戒感を招いている。もともと、アルメニア王国とトルコの国境は時代により大きく変化しており、国民国家の概念が成立する前から対立が続いていた。またトルコはイスラーム信者が多く、アルメニアにはキリスト教を国教にしている宗教対立の側面もある。

MIKTA

MIKTA(ミクタ)は、メキシコ(Mexico)、インドネシア(Indonesia)、大韓民国(Korea, Republic of)、トルコ(Turkey)、オーストラリア(Australia)の5か国によるパートナーシップである。詳細は該当ページへ。

地理

トルコの地形図

国土はヨーロッパ大陸アジア大陸にまたがり、北の黒海と南のエーゲ海地中海をつなぐボスポラス海峡マルマラ海ダーダネルス海峡によって隔てられる。面積は日本の2倍で、北緯35度から43度、東経25度から45度に位置し、東西1,600キロ、南北800キロに及ぶ。アナトリア半島は中央に広大な高原と海沿いの狭小な平地からなり、高原の東部はチグリス川ユーフラテス川の源流である。東部イラン国境近くにはヴァン湖アララト山(国内最高峰で休火山、標高5,137メートル)がある。

トルコは国内に多くの断層を持つ地震国であり、近年では、1999年イズミット地震でマルマラ海沿岸の人口密集地が大規模な被害を受けた。なお、ほかの地震国の多くと同様、国内に数多くの温泉が存在し、中にはヒエラポリス-パムッカレなど<

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出典:wikipedia
2019/11/02 05:11

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