このキーワード
友達に教える
URLをコピー

ニューハンプシャー州とは?

ニューハンプシャー州
State of New Hampshire



(州旗) | (州章)
州の愛称: 花崗岩の州
The Granite State
州都
コンコード
【最大の都市】
マンチェスター
【州知事】
クリス・スヌヌ
公用語
英語
面積
- 総計
- 陸地
- 水域 全米第46位
24,217 km²
23,227 km²
989 km² (4.1%)
人口(2010年)
- 総計
- 人口密度 全米第42位
1,316,470
56.68人/km²
【合衆国加入
- 順番
- 加入年月日】

9番目
1788年6月21日
時間帯
UTC -5
DST -4
緯度
北緯42°42' - 45°18'
経度
西経70°36' - 72°33'
【東西の幅】
110 km
【南北の長さ】
305 km
標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
1,917 m
300 m
0 m
【略称 (ISO 3166-2:US)】
US-NH
【ウェブサイト】
ニューハンプシャー州政府
【上院議員】
ジーン・シャヒーン
ケリー・エイヨット

ニューハンプシャー州(: State of New Hampshireアメリカ [nˈhæmpʃər] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国北東部、ニューイングランド地方に位置するである。州名はイングランド南部のハンプシャーから採られた。南はマサチューセッツ州、西はバーモント州、東はメイン州大西洋に接し、また北はカナダケベック州との国境である。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第46位、人口では第42位である。

1776年1月にイギリスと訣別したイギリス領北アメリカ植民地として最初のものとなり、その6か月後には独立宣言を発して、アメリカ合衆国を構成した13植民地の1つとなった。1788年6月21日、アメリカ合衆国憲法を批准した9番目の州となり、憲法成立に必要な州の数を満たしたことで、憲法が効力を発揮した。ニューハンプシャー州は独自の州憲法を持った州としても最初のものだった。

アメリカ合衆国大統領予備選挙が最初に行われる州として知られている。州都はコンコード市、人口最大の都市はマンチェスター市である。州のレベルでも地方のレベルでも消費税所得税が課されていないという特徴がある。

州のニックネームは花崗岩の州であり、州内に広範な花崗岩の層と採石場があることから来ている。州のモットーは「自由に生きる、もしくは死を("Live Free or Die")」であり、自動車のナンバープレートにも表示されている。

ニューハンプシャー州出身の著名人として、アメリカ合衆国建国の父の1人ニコラス・ギルマン、上院議員のダニエル・ウェブスター、独立戦争の英雄ジョン・スターク、新聞編集者のホレス・グリーリークリスチャン・サイエンスの創設者メリー・ベーカー・エディ、詩人のロバート・フロスト、宇宙飛行士のアラン・シェパード、作家のダン・ブラウンがいる。フランクリン・ピアース大統領も州の出身者である。

【家庭で話される言語(ニューハンプシャー州) 2010】

 |  |  |  | 
英語 | 
 | 91.95%
スペイン語 | 
 | 2.17%
フランス語 | 
 | 2.14%
【人種構成(ニューハンプシャー州) 2010】

 |  |  |  | 
白人 | 
 | 92.3%
ヒスパニック | 
 | 2.8%
アジア系 | 
 | 2.2%
黒人 | 
 | 1.1%
インディアン | 
 | 0.2%
混血 | 
 | 1.6%

目次

  • 1 歴史
  • 2 地理
    • 2.1 気候
    • 2.2 地震
  • 3 主要な都市と町
  • 4 人口動勢
    • 4.1 人種と民族
  • 5 宗教
    • 5.1 インディアン部族
      • 5.1.1 アメリカ連邦政府に公式認定要求中のインディアン部族・団体
      • 5.1.2 インディアン・カジノ
  • 6 政治と法律
    • 6.1 基本法
    • 6.2 州政府
    • 6.3 地方政府
    • 6.4 政治
      • 6.4.1 ニューハンプシャー州予備選挙
      • 6.4.2 過去の選挙結果
      • 6.4.3 自由州プロジェクト
  • 7 経済
  • 8 交通
    • 8.1 主要高規格道路
    • 8.2 空港
    • 8.3 公共交通機関
    • 8.4 貨物鉄道
  • 9 教育
    • 9.1 高校
    • 9.2 単科および総合大学
  • 10 芸術・文化
    • 10.1 スポーツチーム
  • 11 日本との関連
  • 12 その他
    • 12.1 同州出身の有名人
    • 12.2 州の象徴など
    • 12.3 日本の姉妹都市
  • 13 脚注
  • 14 参考文献
  • 15 関連項目
  • 16 外部リンク

歴史

主要記事:ニューハンプシャー州の歴史
ウィリアム・アンド・メアリー砦、1705年

ニューハンプシャー州となった地域にヨーロッパ人が入ってくる以前、アルゴンキン語族の様々な部族(アベナキ族、ペナコック族など)が住んでいた。1600年から1605年にイングランド人やフランス人の探検家が訪れ、1623年にはイングランド人漁師が現在のライ町にあるオディオーンズポイントに入植した。最初の恒久的な開拓地はヒルトンズポイント(現在のドーバー市)だった。1631年までにアッパープランテーションが現在のドーバー、ダーラム、ストラサムの町で構成されていた。1679年、このプランテーションが「王室領」となった。植民地人とワバナキ連邦の間に起きたラル神父戦争はニューハンプシャーの全土で戦われた。

アメリカ独立戦争のとき、ニューハンプシャーはイギリスに反旗を翻した13植民地の1つとなった。戦争が始まるときまでに、ニューハンプシャーは分裂した植民地になっていた。海岸部の経済と社会生活は製材所、造船所、商人の倉庫を中心に回り、村や町の中心ができた。裕福な商人は豪華な家を建て、贅沢品で装飾し、資本を貿易や土地投機に投資した。一方社会の末端では、日雇い労働者、船員、年季奉公者、さらには奴隷まで固定的な階層ができていた。

ニューハンプシャーが唯一戦場になったのは、1774年12月14日ウィリアム・アンド・メアリー砦襲撃だった。ポーツマス港にあったこの砦で反乱者はかなりの量の火薬、小火器、大砲を手に入れた。襲撃の指揮者ジョン・サリバン将軍は「火薬、小火器、銃剣、弾薬箱、さらに大砲や弾薬の貯蔵品」と表現していた。この襲撃に先立って、前日の12月13日にポール・リビアから地元の愛国者に、砦はボストンから海を渡ってくる部隊で補強されるという警告があった。伝説では、この時の火薬をデメリット少佐が運びバンカーヒルの戦いで使われたとされている。デメリット少佐はニューハンプシャーの愛国者の1人であり、火薬を自分達の家に蓄えておき、革命に使われるよう他所に運んだ。

ニューハンプシャー州はジャクソン流民主主義の地盤だった。1852年の大統領選挙で、州出身のフランクリン・ピアースホワイトハウスに送った。多くの繊維工場が造られて工業化が進行し、ケベックのフランス系カナダ人やアイルランドからの移民が大挙流入した。州北部では製材業が発展し、山岳部は観光地になった。1960年以降に繊維産業が崩壊したが、経済はハイテク産業とサービス産業を核に再生された。

1952年から大統領選挙の年に一番早く予備選挙を行うようになって、国内国外から注目を集めるようになった。二大政党にとっての重要な試金石になっていった。メディアはアイオワ州と並んでニューハンプシャー州の予備選挙に大きな取扱をするようになり、州の影響力を上げていった。

地理

参照:ニューハンプシャー州の郡一覧List of mountains in New HampshireList of lakes in New HampshireList of New Hampshire rivers

ニューハンプシャー州の主要な道路と都市
標高5,774 フィート (1,760 m)のアダムズ山、プレジデンシャル山地にある

ニューハンプシャー州はニューイングランド地域の一部である。北部および北西部でカナダケベック州、東部でメイン州および大西洋、南部でマサチューセッツ州、西部でバーモント州と隣接している。ニューハンプシャー州を地理的に区分すると、グレートノース森林地帯、ホワイト山地、湖水地域、海岸地域、メリマック・バレー、モナドノック地域、およびダートマス・スナピー湖地域に分けられる。ニューハンプシャー州の海岸線は18 マイル (29 km) しかなく、アメリカ合衆国の海岸にある州としては最も短い。測量によっては13マイル (21 km) しかないとも言われる。フランコニア・ノッチに顔のような形をしたオールドマン・オブ・ザ・マウンテンと呼ばれる岩層があったが、2003年5月に崩壊した。

州内のホワイト山地は北中部に広がっており、ワシントン山アメリカ合衆国北東部の最高峰であり、国内で2番目の風速を記録した所である。その回りをマディソン山やアダムズ山が囲んでいる。ワシントン山ではハリケーン並みの風が3日に1度は吹き、これまで100人以上の死者を出し、クルムホルツと呼ばれる風で異様に曲げられた樹木があり、頂上付近にある気象観測所の気候は「世界最悪の気象」にあると言われている。

州南西隅の平らな地域にはモナドノック山があり、ここからモナドノック(残丘)という地形を表す言葉が生まれた。これは地形学的に浸食を受けやすい平原からそびえ立つ孤立峰を指している。

主要河川としては長さ110マイル (176 km) のメリマック川(Merrimack River)があり、州の南半分を南北に二分し、マサチューセッツ州ニューベリーポートに流れている。その支流としては、コントゥクック川ペミゲワセット川ウィニペソーキー川がある。州内のコネチカット湖群から流れる長さ410マイル (660 km) のコネチカット川コネチカット州に向かって南流し、バーモント州との州境になっている。州境はよくあるように川の中心ではなく、西岸バーモント州側の低水位線である。すなわち川の流域面積は全てニューハンプシャー州に入っていることになる。ピッツバーグの町のみがバーモント州との陸続き州境となっている。コネチカット川の北西端水源は、カナダとニューハンプシャー州の国境にもなっている。

ニューハンプシャー州の起伏を表す図

ピスカタカ川が幾つかの支流を集め、大西洋(メイン湾)に出るところに、州内唯一の外洋港ポーツマスがある。サーモンフォールズ川とピスカタカ川が、メイン州との州境南部を造っている。ピスカタカ川の州境は2001年にニューハンプシャー州とメイン州の間の境界論争となり、ニューハンプシャー州はポーツマス海軍造船所のあるシーベイズ島など幾つかの島の領有権を主張した。アメリカ合衆国最高裁判所はこの訴訟を2002年に差し戻し、島の所有権はメイン州のままとなっている。

州内最大の湖は東中部にあるウィニペソーキー湖であり、面積は71平方マイル (184 km) ある。メイン州境にあるアンバゴグ湖が面積12.3平方マイル (31.9 km) で第2位である。州内に全てが入っている湖としては、スクァム湖が第2位である。

ハンプトンビーチが夏の観光地になっている。その7マイル (11 km) 沖合に9つの小島でできたアイルズ・オブ・ショールズ(ショールズ諸島)があり、4つの島が州内に入っている。ここは19世紀に詩人のセリア・サクスターが設立した芸術村として知られ、また海賊黒髭が宝を埋めた場所の1つとも言われている。

ニューハンプシャー州はメイン州に次いで森林面積比率が高い。温帯広葉樹混交林生態系にある。州の大半、特にホワイト山地はニューイングランド・アケイディア森林の針葉樹と北部硬木に覆われている。州の南東隅とバーモント州境となるコネチカット川沿いはオークの混ざった北東部海岸森林である。

州の北側3分の1は地元で「ノースカントリー」あるいは「ノッチの北」と呼ばれる。これは交通を遮るホワイト山地の峠のことを言っている。そこには州民の5%足らずしか住んでおらず、貧窮率が比較的高く、製材業や製紙業が衰退するにつれて、人口も徐々に減ってきている。しかし、観光業が製造業の閉鎖で失われた経済を埋め合わせている。

気候

ニューハンプシャー州は湿潤大陸性気候にあり、ケッペンの気候区分では南部で "Dfa"、北部で "Dfb" となる。夏は暖かくて湿度が高く、冬は寒くて降水が多い。年間を通して均一に雨が降る。南東部の気候は大西洋によって和らげられ、比較的穏和で雨の多い気象になるのに対し、北部と内陸部は冷涼で雨が少ない。冬は州の全体で寒く雪が降る。特に北部や山岳部では厳しい。年間平均降雪量は60インチ (150 cm) から100インチ (250 cm) 以上まで幅がある。

秋には硬木の多くが紅葉し、多くの観光客を惹き付ける

7月の日中の平均最高気温は70°F台半ばから80°F台前半 (24–28 °C)、夜間の平均最低気温は50°F台半ばから60°F台前半 (13–15 °C) である。1月は、海岸部の最高気温が34 °F (1 ℃)、最北部や標高の高いところで最低気温が0 (-18 ℃) 未満となる。年間平均降水量は、州全体でほぼ40インチ (1,000 mm) であり、ホワイト山地では高度の違いや雪の量によって幾らか違いがある。過去最高温度は1911年7月4日にナシュアで記録されたで106°F (41 ℃) だった。過去最低温度は1934年1月29日にワシントン山頂で記録された-47°F (-44 ℃) だった。ワシントン山では1885年1月22日に非公式の記録として-50°F (-46 ℃) もあり、これが公式のものとなれば、ニューイングランドでの最低記録に並ぶことになる。過去にバーモント州ブルームフィールドで1933年12月30日に、またメイン州ビッグブラックリバーで2009年1月16日に-50°F (-46 ℃) が記録された。

1978年や1933年の吹雪など、ノーイースター風による大雪が降っており、24時間ないし48時間の間に州の至る所で数フィートの積雪があった。軽い降雪ならば冬季によくあることであり、アルバータ・クリッパーによるものが多い。

時としてハリケーンや熱帯低気圧に襲われることがあるが、州内に影響するときは温帯低気圧に変わっていることが多く、その多くはニューイングランド南部海岸を襲って内陸に移動するか、メイン湾の沖合を通過するものである。雷雨があるのは年間20日未満であり、竜巻も平均して2回ほど発生する。

全米アーバーデイによる植物耐寒性は州内をゾーン3、4、5、6に分類している。従って北から南に動けば比較的冷涼から温暖な気候に移ることになる。1990年のアメリカ合衆国農務省による耐寒性は北部の 3b から南部の 5b となっている。

地震

ニューハンプシャー州はニューイングランドの他地域とともにあまり地震を経験しないが、過去には何度か地震が起こり、特にカナダのセントローレンス・バレー地震帯やマサチューセッツ州北部地震帯を震央とする大きな地震もあった。1663年にケベック州とメイン州の州境近くを震源とするシャルルボア地震はニューイングランド全域で感じられ、そのマグニチュードは7.3から7.9と推計されている。1727年、マサチューセッツ州ニューベリーで大きな地震があり、ニューハンプシャー州でも感じられた。1755年のケープアン地震はマグニチュード5.5から6.0であり、州のほとんど全域で感じられた。1810年11月9日、州内エグゼターでは震度6の揺れを観測した。このときは地域の下で爆発のような騒音があり、ポーツマスでは窓が割れた。州都コンコードでは、1872年から1891年までの19年間に有感地震が続いた。1872年遅くに起きた地震はコンコードで10秒間揺れ続け、ラコニアなど北部の町でも感じられた。その10年後にもコンコードで強い震動があり、ドーバーやピッツフィールドでは建物が揺れた。1884年11月23日、まず軽い地震があり、その15分後に大きな地震があり、コンコードで感じられた。2回目の震動はマサチューセッツ州、コネチカット州、ニューヨーク州東部でも感じられた。この19年間の最後の地震は軽いものであり、マサチューセッツ州ケンブリッジメルローズの2か所でも観測された。

ニューハンプシャー州南東部とメイン州では1925年に地震が起こった。どちらの州も被害は少なかった。オシピー、タフトンボロ、エッフィンガムフォールズの町では、棚から皿や物品が投げ出された。1929年、800マイル (1,280 km) 離れたニューファンドランド島グランドバンクでマグニチュード7.2の地震が起こったが、ニューハンプシャー州ではほとんど影響を受けなかった。1935年、500マイル (800 km) 離れたオンタリオ州ティミスカミング地区でマグニチュード6.25の地震が起こり、250万 km の範囲で揺れが感じられた。ニューハンプシャー州のある場所では震度5だった。1940年12月、オシピー湖で2つの中規模の地震があった。ニューイングランド全6州で感じられ、ニュージャージー州ペンシルベニア州の一部でも揺れがあった。震源では多くの余震があった。1941年1月31日までに120回以上の余震を数えた。

主要な都市と町

w:List of cities in New Hampshire」も参照
 | 
ニューイングランドの大都市圏はアメリカ合衆国国勢調査局とニューイングランド市町地域が設定している。次のリストはニューイングランド市町地域が定義したものである: | 
マンチェスター市中心街

 | 

人口動勢

ニューハンプシャー州の人口密度図
人口推移
【年】
【人口】
【】

1790 | 141,885 |  | 

1800 | 183,858 |  | 29.6%
1810 | 214,460 |  | 16.6%
1820 | 244,155 |  | 13.8%
1830 | 269,328 |  | 10.3%
1840 | 284,574 |  | 5.7%
1850 | 317,976 |  | 11.7%
1860 | 326,073 |  | 2.5%
1870 | 318,300 |  | -2.4%
1880 | 346,991 |  | 9.0%
1890 | 376,530 |  | 8.5%
1900 | 411,588 |  | 9.3%
1910 | 430,572 |  | 4.6%
1920 | 443,083 |  | 2.9%
1930 | 465,293 |  | 5.0%
1940 | 491,524 |  | 5.6%
1950 | 533,242 |  | 8.5%
1960 | 606,921 |  | 13.8%
1970 | 737,681 |  | 21.5%
1980 | 920,610 |  | 24.8%
1990 | 1,109,252 |  | 20.5%
2000 | 1,235,786 |  | 11.4%
2010 | 1,316,470 |  | 6.5%
2012(推計) | 1,320,718 |  | 0.3%
Source: 1910–2010

アメリカ合衆国統計局によると、2012年7月1日時点の推計によるニューハンプシャー州人口は1,320,718人となっていた。2010年国勢調査での 1,316,470 人から0.3%増加していた。ニューハンプシャー州の人口重心はペンブロークの町がある、メリマック郡となっている。人口重心は1950年から12マイル (19 km) 南に移動した。これはボストン市などマサチューセッツ州の都市に通勤する住民が南部州境付近に増えたという事実を反映している。

2004年現在、州人口には64,000人の外国生まれ (4.9%) が含まれる。

人種と民族

2010年国勢調査に拠れば、バーモント州の人種による人口構成は次のようになっている。

2011年に州内で申告された祖先による構成比は次の通りだった。

アイルランド系とフランス系カナダ人の多くは工場労働者の子孫であり、現在もマンチェスターなど以前の工業町に住んでいる。フランス系とフランス系カナダ人を合わせた構成比の23.2%は国内最大級であり、メイン州が僅かに高い。

2000年国勢調査に拠れば、5歳以上の州民の3.41%が家庭でフランス語を話しており、スペイン語は1.60%だった。

コーアス郡では人口の16%が家庭でフランス語を話している。

宗教

ニューハンプシャー州民の宗教宗派別構成比は次のとおりだった。

合同で世論調査を行ったバーモント州とニューハンプシャー州の州民は、国内平均(71%)よりも低い54%が「絶対に神がいると確信している」おり、毎週礼拝に参加する者の比率も低い。2012年、ニューハンプシャー州のギャラップ世論調査で、州民の23%が「信仰心に篤い」と回答し、52%が「無宗教」と答えた。 宗教データアーカイブ協会に拠れば、プロテスタントの中で最大の会派はキリスト連合教会の34,299人、続いてメソジスト教会の18,927人となっている。カトリック教徒は431,259人だった。

インディアン部族

インディアン部族のかつての勢力図
西アベナキ族の部族国旗
ペンナコック族の部族国旗

同州のインディアン部族は、アベナキ族ペンナコック族の二大勢力が大勢を占める。彼らは「西アベナキ連合」として、ソコキ族コワサック族アンドロスコギン族ピグワケット族などの部族を傘下にし、ウィグワムを伝統住居とする狩猟採集生活を営んできた。

一帯は17世紀にイギリスから上陸したピルグリム・ファーザーズ一団によって「ニューイングランド」と名付けられた。やがて英仏両国と入植政府による土地を巡っての諍いはインディアン部族を巻き込み、「フィリップ王戦争」などの血を血で洗う戦争となっていった。インディアンたちは白人入植者によって土地を奪われ、その多くが中米へ奴隷に売り飛ばされて数を減らした。

現在この地のインディアン部族はことごとくアメリカ連邦政府によって「絶滅部族」とされ、保留地(Reservation)を没収されている。現在、アメリカ連邦政府の公式認定を要求し、3つの部族・団体が係争中である。

アメリカ連邦政府に公式認定要求中のインディアン部族・団体

インディアン・カジノ

ニューハンプシャー州のインディアン部族はすべて絶滅して存在しないことになっており、インディアン部族が運営する「インディアン・カジノ」は一軒もない。

州政府もカジノはもちろんビデオくじ(Video Lottery Terminal)も認めない姿勢をとっており、他州のインディアン部族によるカジノ開設も望み薄である。つまり、ニューハンプシャー州はインディアンの権利を一切認めていない州である。

政治と法律

出典:wikipedia
2018/08/12 15:32

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「ニューハンプシャー州」の意味を投稿しよう
「ニューハンプシャー州」のコンテンツはまだ投稿されていません。

ニューハンプシャー州スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ニューハンプシャー州」のスレッドを作成する
ニューハンプシャー州の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
無料コミックを探す
占い・診断
着メロを探す
GAMEを探す
デコメを探す
きせかえツールを探す
FLASH待ち受けを探す
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail