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ニューメキシコ州とは?

ニューメキシコ州
State of New Mexico
Estado de Nuevo México



(州旗) | (州章)
州の愛称: 魅惑の地
Land of Enchantment
州都
サンタフェ
【最大の都市】
アルバカーキ
【州知事】
スサナ・マルティネス
公用語
英語(事実上の公用語)
面積
- 総計
- 陸地
- 水域 全米第5位
315,194 km²
314,590 km²
608 km² (0.2%)
人口(2010年)
- 総計
- 人口密度 全米第36位
2,059,179
6.27人/km²
【合衆国加入
- 順番
- 加入年月日】

47番目
1912年1月6日
時間帯
UTC -7
DST -6
緯度
北緯31°20' - 37°
経度
西経103° - 109°
【東西の幅】
550 km
【南北の長さ】
595 km
標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
4,014 m
1740 m
867 m
【略称 (ISO 3166-2:US)】
US-NM
【ウェブサイト】
ニューメキシコ州政府
【上院議員】
トム・ユーダル
マーティン・ハインリッヒ

ニューメキシコ州(: State of New Mexico西: Nuevo México)は、アメリカ合衆国南西部にあるである。州の北はコロラド州に接し、東側にはオクラホマ州テキサス州に、西側はアリゾナ州に、南側はテキサス州およびメキシコとの国境に接している。また州の北西にはフォー・コーナーズがあり、そこでユタ州とも一点で接している。面積ではアメリカ合衆国で5番目に大きいが、人口では36番目であり、人口密度では45番目になっている。美しい景観から「Land of Enchantment(魅惑/魔法の土地)」と通称される。

州都1607年スペイン人が建設した歴史ある町サンタフェ市である。

【家庭で話される言語(ニューメキシコ州) 2010】

 |  |  |  | 
英語 | 
 | 63.96%
スペイン語 | 
 | 28.45%
ナバホ語 | 
 | 3.50%
【人種構成(ニューメキシコ州) 2010】

 |  |  |  | 
ヒスパニック | 
 | 46.3%
白人 | 
 | 40.5%
インディアン | 
 | 9.4%
黒人 | 
 | 2.1%
アジア系 | 
 | 1.4%
混血 | 
 | 3.7%

目次

  • 1 歴史
  • 2 地理
    • 2.1 気候
  • 3 人口動勢
    • 3.1 人種及び祖先
    • 3.2 言語
    • 3.3 宗教
  • 4 インディアン部族
    • 4.1 国家の犠牲地域
    • 4.2 インディアンとエネルギー計画
    • 4.3 インディアン・カジノ
  • 5 主要な都市と町、郡
  • 6 経済
    • 6.1 経済指標
    • 6.2 石油とガスの生産
    • 6.3 連邦政府予算
    • 6.4 経済的誘因
    • 6.5 州税
  • 7 交通
    • 7.1 道路
    • 7.2 都市部大量輸送
    • 7.3 鉄道
      • 7.3.1 貨物
      • 7.3.2 旅客
    • 7.4 航空宇宙
  • 8 法と政府
    • 8.1 政治
  • 9 教育
    • 9.1 単科及び総合大学
  • 10 芸術・文化
    • 10.1 芸術と文学
    • 10.2 食文化
    • 10.3 スポーツ
  • 11 その他
    • 11.1 ニューメキシコ州出身の有名人
    • 11.2 州の象徴など
    • 11.3 日本の姉妹都市
  • 12 脚注
  • 13 参考文献
    • 13.1 一次史料
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク

歴史

ロスアラモス国立研究所ロスアラモスの町
主要記事:ニューメキシコ州の歴史

ニューメキシコ州となった地域に住んだことが分かっている最初の住人はパレオ・インディアンクローヴィス文化の人々だった。

その後、マギョウン文化やアナサジ文化のインディアンが住んだ。16世紀にヨーロッパ人と接触する時までにプエブロ人とナバホ族アパッチ族ユト族の集団の集落が造られた。

フランシスコ・バスケス・デ・コロナドが1540年から1542年にメキシコのコンポステラで巨大な遠征隊を作り上げ、マルコス・デ・ニサが物語った伝説のシボラの黄金七都市を探し、見つけようとした。ヌエボ・メヒコという名前は、1563年にメキシコのはるか北まで探検したフランシスコ・デ・イベラという金鉱の探求者が最初に使い、その発見してきた所が「ニューメキシコ」であるとして報告した。フアン・デ・オニャーテが1588年に新しいニューメキシコ植民地の初代知事に指名されたときに、公式にその名前を採用した。1598年、オニャーテはリオ・グランデ川沿いのオケイ・オウィンゲ・プエブロ近くに、この領域では初の恒久的ヨーロッパ人開拓地となるサンフアン・デ・ロス・カバレロス植民地を設立した。オニャーテはチワワのサンタバーバラから自分の植民地まで700マイル (1,120 km) も、カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ(内陸の王道)を延伸させた。

1608年頃、ロッキー山脈の南端にある支脈サングレ・デ・クリスト山脈の麓にサンタフェの町が設立された。この町は地域内の開拓地の大半とともに、プエブロの反乱の結果として、12年間スペインから見放された。プエブロの指導者ポペの死後、ディエゴ・デ・バルガスがこの地域をスペインの支配下に戻した。サンタフェが交易の中心として発展する一方で、戻ってきた開拓者が1706年に既にあった周辺集落からアルバカーキの町を設立した。アルバカーキという名前はヌエバ・エスパーニャ副王第10代アルバカーキ公爵フランシスコ・フェルナンデス・デ・ラ・クエバにちなんで名付けられた。

ヌエバ・エスパーニャの一部だったので、メキシコ独立戦争の後の1821年にメキシコが独立すると、ニューメキシコもその一部として継承された。テキサス共和国が1836年にメキシコから分離したときに、リオ・グランデ川東岸の部分の領有を主張した。テキサスはコマンチェリアによってニューメキシコと分離されており、その主張する領土を支配しようとした唯一の試みはテキサス・サンタフェ遠征だったが失敗した。ニューメキシコの最北端は当初フランスが支配していたが、1803年にルイジアナ買収の一部としてアメリカ合衆国に売却されていた。1800年までにスペイン人の人口は25,000人に達していたが、アパッチ族とコマンチェ族がヒスパニック系開拓者を襲い続け、アメリカ合衆国によって支配される時代まで続いた。

1846年から1848年の米墨戦争と1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約の結果、メキシコがまだ入植をほとんど進めていなかった北部地域、今日アメリカ合衆国南西部と呼ばれる地域とカリフォルニアをアメリカ合衆国に割譲した。1850年妥協によって、テキサスが1,000万ドルと引き替えに、リオ・グランデ川東岸にある地域の領有権主張を取り下げた。アメリカ合衆国は1853年のガズデン購入によって、ほとんどが砂漠であるニューメキシコ南西部のブーツのかかと部分とアリゾナのヒラ川南部を獲得した。これはアメリカにとっては大陸横断鉄道の建設に関わる所だった。

アメリカ合衆国議会は1912年1月6日にニューメキシコを47番目の州として昇格させた。

第二次世界大戦の間、ロスアラモスで最初の原子爆弾が設計・製造され、ソコロアラモゴードの間にあるホワイトサンズ実験場の砂漠で最初の核実験が行われた。

ニューメキシコ州は連邦政府の予算から恩恵を受けている。3つのアメリカ空軍基地、ホワイトサンズ・ミサイル実験場およびロスアラモスサンディアにある国立研究所が州内にある。第二次世界大戦後、州の人口は急速に拡大し、1940年の531,818人から2000年の1,819,046人まで成長した。州内で雇用が拡大している分野には、電子工学コールセンターおよびインディアン・カジノがある。

地理

関連項目:ニューメキシコ州の郡一覧

ニューメキシコ州の面積は121,412平方マイル (314,460 km2) であり、アメリカ合衆国で5番目に大きい州である。 ニューメキシコ州の東部境界は西経103度でオクラホマ州と、西経103度の3マイル (5 km) 西でテキサス州と接している。テキサス州はまたニューメキシコ州南部境界の東側3分の2と接しているが、西側の3分の1にあたる「ブーツのかかと」(boot-heel)と呼ばれる南に突き出した部分はメキシコのチワワ州及びソノラ州と接している。このうちチワワ州と接する部分が90%を占めている。アリゾナ州との西部境界は西経109度3分にそっており、ワシントンD.C.からは経度の差で32度である。北は北緯37度でコロラド州と接している。北西の隅はフォー・コーナーズと呼ばれ、ニューメキシコ州、コロラド州、アリゾナ州およびユタ州が1点で接し、それらの州境が十字を作っている。ニューメキシコ州は大きな州ではあるが、水域が少ない。水域面積は約250平方マイル (650 km2) であり、陸地に対する比率は0.2%に過ぎない。

ウィーラー峰、サングレ・デ・クリスト山脈
アステカ遺跡国立保護区
カールズバッド洞窟群国立公園
リオ・グランデ川峡谷
シップロック
日の出のリャノ・エスタカードのキャップロック

州の地勢は変化に富み、標高3,000 ft(914.4 m)の南東部カールズバッド市周辺の砂漠平原から、標高13,000 ft(3,962.4 m)のロッキー山脈南端となる州北東部タオス市周辺まで、河川、渓谷、山岳など地形は大陸生成の歴史をまざまざと見せている。乾燥した砂漠のイメージがあるが、特に北部の方は深い森林に覆われた山岳原生地がかなりの範囲に広がっている。ロッキー山脈の最南端であるサングレ・デ・クリスト山脈は、岩がちで田園部の北部で、リオ・グランデ川の東岸に沿ってほぼ南北に延びている。重要な河川はリオ・グランデ川、カナディアン川、サンフアン川、およびヒラ川である。リオ・グランデ川はアメリカ合衆国の中で4番目に長い川である。

連邦政府は合衆国国有林(United States National Forest)としてニューメキシコ州内に数百万エーカーの土地を保護している。国有林には以下のものがある。

アメリカ合衆国国立公園局が管理する地域には以下のものが含まれる。

観光客は残っている先住民のプエブロを訪れることも多い。このことで州内に多くの金を落としていく。その他景観の良い地域として、カシャ・カツウェ・テントロックス国定公園、およびバレス・カルデラ国定保存地がある。ヒラ原生地は州南西部にある。

気候

ニューメキシコ州は年間340日も陽光に恵まれるという珍しい土地で、自然災害も非常に少ない。 雨が少なく乾燥しているので亜乾燥気候から乾燥気候であるが、大陸性あるいは高山気候の地域もある。州の気候の主な決定要因は標高にある。州の北端と南端の同じ高度の地域を比べると気温は1.6度(華氏3 °度)しか違わない。一方で、数マイルしか離れていないが4,000フィート(1,219メートル)の標高差がある地域を比べると、年間平均気温は8.3度(華氏15 °度)の差がある。

年間平均降水量は13.9インチ (353 mm) である。年間の平均気温は南東部の64 °F (18°C) から北部山岳地の40 °F (4°C) 足らずまで変化がある。 夏は、標高5,000フィート(1,524メートル)未満の地域では、日中の最高温度が頻繁に37.8度(華氏100°度)を超える。7月の平均最高気温は低地の97 °F (36°C) から高地の70 °F (21°C) 台後半までである。最も標高の高いところでも、夏期の標準最高気温は25度程度である。夏のピークは合衆国の他の地域よりも早く、7月と8月にはメキシコ湾からの季節風の湿気が入り込み、にわか雨を降らせる。夏期の夜間は、日没とともに急激に温度が降下するので過ごしやすい。

過去最高気温は1994年6月27日にラビングに近い廃棄物隔離実験プラントで記録された122 °F (50°C)、過去最低気温は1951年2月1日にガビランで記録された-50 °F (-45°C) である。

冬は州の緯度にしては意外と涼しく、最高温度は南部の低地でも13度程度で、北部の高地でかろうじて零下になる。しかし夜間との温度差は激しく、州全体を通じて最低気温は零下になることも珍しくない。おおむね州の降雨量は標高につれて増加する。南部の砂漠とサンフアン・ヴァレーでは降雨量が年間250ミリ未満なのに対し、高地では年間500ミリ以上の降雨量を記録する。州全体のほとんどの降雨は7月と8月の季節風がもたらす。例外として、州の西側は他の地域よりも冬期の降雨量が多い。高地では積雪も珍しくない。

7月と8月の激しい雷雨は自然災害をもたらすことがある。北東部がもっとも影響を受けやすく、年間平均70日もの雷雨にさらされる。これは、フロリダ州のメキシコ湾岸地域と、コロラド州の隣接した地域を除くアメリカ合衆国の他のどの地域よりも多い。これらの雷雨はつかの間だが、強風、あられ、雷を伴い、突発的な洪水を起こすこともある。竜巻も珍しくはなく、主に州の東部で起こりやすい。ごくまれに、東のメキシコ湾と西のカリフォルニア湾の両方からもたらされる熱帯性低気圧の残りが州の天候に影響を及ぼすことがあり、通常は風を伴わない激しい大雨が降る。

人口動勢

人口密度図
人口推移
【年】
【人口】
【】

1850 | 61,547 |  | 

1860 | 93,516 |  | 51.9%
1870 | 91,874 |  | -1.8%
1880 | 119,565 |  | 30.1%
1890 | 160,282 |  | 34.1%
1900 | 195,310 |  | 21.9%
1910 | 327,301 |  | 67.6%
1920 | 360,350 |  | 10.1%
1930 | 423,317 |  | 17.5%
1940 | 531,818 |  | 25.6%
1950 | 681,187 |  | 28.1%
1960 | 951,023 |  | 39.6%
1970 | 1,017,055 |  | 6.9%
1980 | 1,303,302 |  | 28.1%
1990 | 1,515,069 |  | 16.2%
2000 | 1,819,046 |  | 20.1%
2010 | 2,059,179 |  | 13.2%
Sources:1850–1990,
2000, 2010

2008年7月1日時点、ニューメキシコ州の人口は1,984,356人であり、2000年より165,315人、すなわち9.1%増加していた。これには自然増114,583人(出生235,551人、死亡120,968人)と、州内への移住者59,499人の増加が含まれている。その内訳はアメリカ合衆国外からの移住34,375人、合衆国内からの移住者25,124人である。

ニューメキシコ州の人口重心マンザノ町のあるトランス郡となっている。

人口を年齢層で見ると、5歳未満7.5%、18歳未満25.3%、65歳以上13.1%となっている。女性の比率は50.7%である。 2000年現在、この州の住民の8.2%は外国生まれであり、スペイン植民地時代の子孫や最近ラテンアメリカから移民してきた人々を含めヒスパニック人口が46%(2010年推計)と全国一の高さである。州民の2%以上は不法在留外国人である。メキシコ合衆国より雇用を求め密入国する人が後を絶たない。

人種及び祖先

ニューメキシコ州は、インディアンとスペイン系の植民者とラテンアメリカからの移民を合わせたヒスパニック系の人口の最も多い州である。また、ナバホ族プエブロ族、アパッチ族など「インディアン」として連邦認定されたインディアンたちの保留地が存在するため、インディアンの総人口に対する比率が比較的高く、アラスカ州に次いで国内第2位である。サンタフェ・デ・ヌエボ・メヒコ時代にさかのぼるスペイン系の植民者の子孫であるイスパーノス(Hispanos)は北部、中部、北東部に集中している。より歴史の浅いメキシコからの移民は、合法・非合法を問わずニューメキシコ州南部に多く居住している。アメリカ、スペイン、メキシコ、そしてインディアンを祖先とするニューメキシコ州民は、ニューメキシコ州の風土と文化に強い影響を及ぼしている。

ニューメキシコ州の人種的構成は以下の通りである。

2000年国勢調査での申告による祖先の出身国で分けた人口構成は、スペイン系/ヒスパニック (18.7%)、メキシコ系 (16.3%)、インディアン (10.3%)、及びドイツ系 (9.8%)である。

言語

2000年国勢調査に拠れば、5歳以上の州民の28.76%は家庭でスペイン語を話しており、4.07%はナヴァホ語を話している。ニューメキシコのスペイン語方言を話す者は主に16世紀から18世紀にこの地域に来たスペイン人開拓者の子孫である。

スペイン語が広く使用されているため、スペイン語が英語に次ぐニューメキシコの公用語であると考えられることが多い。1912年に合衆国に加盟した時点ではバイリンガルな州政府が短期間存在したが、現在のニューメキシコ州法は公用語を指定していない。しかし選挙の投票用紙や運転者のためのマニュアルは英西2カ国語で印刷されており、1995年にはバイリンガル州歌『ニューメキシコ・ミ・リンド・ヌエボ・メヒコ』("New Mexico-Mi Lindo Nuevo México")が選ばれた。

1912年に制定された州憲法ではバイリンガルの政府を想定し、法律は英語とスペイン語の双方で出版されていた。この規定は1931年と1943年の2度書き換えられた。それでも、州憲法は「公式言語」としてどの言語も定めてはいない。1935年まで議会ではスペイン語が容認されたが、州の全ての役人は英語に関する知識を持つように求められている。言語学者のコバールビアスとフィッシュマンは、ニューメキシコ州が2つの言語で全ての法律を印刷していないので、バイリンガルとは考えられないと主張している。フアン・ペレアなどは1953年までバイリンガルだったと述べている。いずれにしても、アメリカ合衆国の州の中で、ハワイ州のみが21世紀に入っても公式にバイリンガルを続けている。

司法制度に関しては、証人は2つの言語のどちらでも証言する権利があり、スペイン語しか話さない者でも英語を話す者と同様に陪審員を務める義務があると考えられている。高校教育では両言語による教育を行うことと、生徒の多数がヒスパニックである教育学区ではスペイン語を話す教師がいることを憲法で定めている。

1989年、イングリッシュ・プラスを採択した初めての州となり、2008年には公立学校でナヴァホ語の教科書を採用した。

宗教

サンタフェにあるサンミゲル礼拝堂、1610年に建設されたアメリカ合衆国最古の教会建築

ニューメキシコ州は西部諸州の中でカトリック教徒の比率が最も高い。また他のアメリカ合衆国西部の多くの州と同じく、無宗教を主張する住民の比率が全国平均より高くなっている。

アメリカ宗教団体統計学者協会による報告書では、2000年における最大宗派はカトリック教会の670,511人、続いて南部バプテスト連盟132,675人、モルモン教42,261人、統一メソジスト教会41,597人となっている。

ジア・プエブロ族は、このニューメキシコ州の州旗の意匠がジア族の「太陽の象徴」の無断盗用であるとして州に抗議している
ナバホ族の部族国旗
コチティ・プエブロ族の部族国旗
ラグナ・プエブロ族の部族国旗。意匠は部族伝統の「鷲の踊り」
サンディア・プエブロ族の部族国旗
サンタクララ・プエブロ族の部族国旗
「イスレタ・カジノ&リゾート」
「サンディア・カジノ&リゾート」
サン・イルデフォンソ族保留地の「黒いメサ」

インディアン部族

ナバホ族、アパッチ族、プエブロ族、ズニ族の保留地(Reservation)

この地に先住するインディアン部族は、「プエブロ族」のような定住農耕民と、「アパッチ族」のような(元)移動略奪民とが混在している。

定住農耕民の集落は、日干しレンガで造ったアドビ建築と呼ばれる重層式の住居で知られ、16世紀にこの地に入り込んできたスペイン人によって「プエブロ(スペイン語で「村」のこと)族」と名付けられた。彼らは「キヴァ」という地下礼拝室を村の中心に置き、トウモロコシの栽培を中心とした定住農耕生活を代々営んでいる。工芸品に秀でた文化を持ち、陶芸品や銀加工、「インディアン・ジュエリー」などは日本でも人気が高い。

プエブロの神話は、「太古に彼らの祖先が地底から現れた」という共通のモチーフを持っていて、周辺部族のナバホ族にも影響を与えている。定住民である彼らの使う太鼓は、平原インディアンの「うちわ太鼓」と違い、筒状の「片面太鼓」で、円形に踊る際は、平原インディアンとは逆に時計回りに踊るのが特徴である。

17世紀にスペイン人はプエブロ民をキリスト教に強制改宗しようとし、数度にわたって村を焼き払い、部族民を虐殺、「プエブロの反乱」を引き起こした。また、「アパッチ族」や「コマンチ族」、「ナバホ族」などの周辺略奪部族にも食いものにされてきた。こうしてかつて20を超えるプエブロ集落があったが、現在アメリカ連邦政府から部族認定され、保留地(Reservation)を領有するプエブロは18部族となっている。「ポホアケ族」のように、20世紀になって「復活」した部族もある。

住居と農耕文化を持つプエブロ民は、移動採集狩猟文化のインディアン部族よりも堅固にその文化を守り続けてきた。スペイン人やアメリカ政府によってキヴァが破壊され、弾圧されてきたにもかかわらず、現在も部族それぞれの伝統宗教が固く守られ、キリスト教と両立させて年中行事が行われている。現在、アルバカーキに「インディアン・プエブロ文化センター」が設置され、伝統的な行事はインディアン以外の観光客も観ることが出来る。「コチティ族」のように、部族によっては観光客をもてなすものもあるが、「ヘメス族」のように村への立ち入りを禁止しているものもある。

≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族・団体≫

 |  | 

≪アメリカ連邦政府に公式認定を要求中の部族・団体≫

※「ティワ族」は、「テワ族(プエブロ族)」とは別の部族


テスケ族保留地の「ラクダの岩」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/11/18 10:47

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