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ネパールとは?

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ネパール連邦民主共和国
संघीय लोकतान्त्रिक गणतन्त्र नेपाल



(国旗) | (国章)
国の標語:जननी जन्मभूमिष्च स्वर्गादपि गरियसि
ラテン文字転写:Janani Janmabhumishcha Swargadapi Gariyasi
(サンスクリット語:祖国は天国より素晴らしい)
国歌:国歌(題名無し)
公用語 ネパール語
首都 カトマンズ
最大の都市 カトマンズ
政府
大統領 ビドヤ・デビ・バンダリ
副大統領 ナンダ・キショール・プン
首相
K.P.シャルマ・オリ
面積
総計 147,181km(93位)
水面積率 2.8
人口
総計(2011年) 26,490,000人(41位)
人口密度 179.98人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2013年)】
1兆7,012億ネパール・ルピー
GDP(MER)
【合計(2013年)】
193億ドル(107位)
GDP(PPP)
合計(2013年) 421億ドル(99位)
【1人あたり】
1,508ドル

【全土統一】
1768年
通貨 ネパール・ルピー(NPR)
時間帯 UTC (+5:45)(DST:なし)
ISO 3166-1 NP / NPL
ccTLD .np
国際電話番号 977

ネパール連邦民主共和国(ネパールれんぽうみんしゅきょうわこく)、通称ネパールは、南アジア連邦共和制国家

東、西、南の三方をインドに、北方を中国チベット自治区に接する西北から東南方向に細長い内陸国である。国土は世界最高地点エベレスト(サガルマータ)を含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成る。ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしている。面積は約14.7万km。多民族多言語国家であり、民族カーストが複雑に関係し合っている。また、宗教ヒンドゥー教(元国教)、仏教アニミズム等とその習合が混在する。

農業を主たる産業とし、ヒマラヤ観光などの観光業も盛んである。後発開発途上国であると分類されている。世界で唯一矩形(長方形)でない国旗を持つ国である。

ヒマラヤ山脈
ネパールの標高図
人口密度を表した図

国名

正式名称はネパール語デバナガリ(デーヴァナーガリー)文字संघीय लोकतान्त्रिक गणतन्त्र नेपालラテン文字転写表記はsaṅghīya loktāntrik gaṇatantra nepāl。略称गणतन्त्र नेपालラテン文字転写表記はgaṇatantra nepāl。通称नेपाल [neˈpal] ( 音声ファイル)、ラテン文字転写表記はNepāl。公式の英語表記はFederal Democratic Republic of Nepal、略称はRepublic of Nepal、もしくはNepal。日本語表記は、ネパール連邦民主共和国、略称はネパール漢字表記は、尼婆羅

2008年王制廃止、2015年9月公布の憲法により、7州による連邦制国家となった。マオバディ(毛沢東主義者、マオイスト)は2001年、ネパールの全土に9自治区を設置する構想を発表、実効支配領域内において、2004年初頭までに、首都圏のカトマンズ盆地を領域とするネワール族のための「ネワ自治区」を除く8自治区の「人民政府」を発足させている。

歴史

詳細は「ネパールの歴史」を参照

リッチャヴィ朝以前

仏陀生誕の地と言われるルンビニ

リッチャヴィ朝時代

4世紀インド・アーリヤ語派の王族によるネーパーラ王国リッチャヴィ朝が成立した。リッチャヴィ朝は5世紀後半から6世紀にかけてカトマンズにマーナ宮を造営し、政治・行政機能を設けた。また7世紀初頭にはカイラーサ・クーラ宮、中葉にはバドラ・アディヴァーサ王宮を造営。またパンチャーヤト制やグティの原型となる住民組織を保護・育成し、また商業を奨励し都市経営の基盤を固めるなどした。チベットと文化的、経済的、政治的の密接な交流があり、宗教・商業上の中心地として繁栄した。

中世

リッチャヴィ朝の衰退に乗じて9世紀にはデーヴァ朝が興り、バクタブルに王都を築いた。ネワール文化が栄えた。続いて14世紀末にはマッラ朝が確立されたが、1450年ごろにバクタプル王国(バクタプル・マッラ朝)からカトマンズ王国(カトマンズ・マッラ朝)が独立する。その後1619年までにマッラ朝、パタン王国(パタン・マッラ朝)もカトマンズ王国から独立し、三王国並立時代となる。

ゴルカ朝前期

プリトビ・ナラヤン・シャハ

マッラ王朝は内紛・抗争で力を失い、18世紀前半にはカトマンズ西方の山地でゴルカ王国(ゴルカ朝)が勢力を拡大する。そして1768年から1769年にかけて、第10代ゴルカ王プリトビ・ナラヤン・シャハによってマッラ王朝は滅ぼされる。そして350の小王国に分かれていたネパールが統一され、ゴルカ朝はカトマンズを首都にネパール王国を作った。

ラナ家支配時代

ジャンガ・バハドゥル・ラナ
丘の上に建つ旧王宮

王政復古

民主化時代

ギャネンドラ国王

王制廃止以降

政治

ネパールの政党」、「ネパールの大統領」、および「ネパールの首相」を参照

近況

カトマンズ、民主の壁

2006年民主化運動(ロクタントラ・アンドラン)の結果、従来の事実上の絶対君主制から暫定的に象徴君主制へ移行。国王は国家元首としての地位を失い、首相がその職務を代行した。国号は「ネパール王国」から「ネパール国」に変更され、在外公館の表記からも「王国」が削除された。王室を讃える国歌を廃止し、王室と結びついたヒンドゥー教は国教としての地位を失った。国王は国軍最高指揮権を失い、政府も「国王陛下の政府」から「ネパール政府」に変更された。

これを受け、当時の与党・ネパール会議派は他の諸派から提案されていた王制廃止に賛成する事を表明した。さらに、暫定憲法にネパールで最大の政治勢力であるネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が暫定政府復帰の条件としていた「王制廃止」と「連邦民主共和制」が盛り込まれることが決まり、ネパールの国家形態が王制から共和制へ移行することが事実上固まった。

2008年4月10日に投票された制憲議会選挙(小選挙区240、比例代表335、内閣指名26)でプラチャンダ議長率いるネパール共産党毛沢東主義派が229議席(小選挙区120、比例代表100、内閣指名9)を獲得して第1党となり、ネパール会議派が115議席(小選挙区37、比例代表73、内閣指名5)、統一共産党が108(小選挙区33、比例代表70、内

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出典:wikipedia
2020/04/07 13:48

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