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ハリーオン系とは?

ハリーオン系(ハリーオンけい、Hurry On line)とはサラブレッド父系の一つ。ハリーオン(Hurry On)を系統の父祖とする。

ハリーオン系はマッチェム系の分枝である。特別にスタミナに秀でた系統として知られ、20世紀半ばに全盛期を迎え北米を除く世界各地の競馬開催国で大変に繁栄した。しかしながら1970年代中頃から競走馬の父系としては衰退。現在は南米を中心に僅かに残るのみとなっている。

概要

代表的なステイヤー父系の祖ハリーオン

代表的なステイヤー血統

ハリーオン系は、様々なサイアーラインの中でも際立って長距離に強い、優れたステイヤー血統の代表格である。ハリーオン系に属する競走馬は、体が大きく、やや晩熟で持久力に優れ、代々優れたステイヤーを出した。

イギリスの最良のステイヤー血統の一つであるハリーオン系は、卓越したスタミナと晩熟さ、大きな馬体を伝え、北米を除く世界の競馬先進国で極めて大きな影響を残した。ハリーオンの産駒は、イギリスフランスイタリアアルゼンチンオーストラリアニュージーランド南アフリカチャンピオンサイアーになり、ヨーロッパ、オセアニア、アフリカ、南アメリカの各地で父系を広げ、歴史的名馬を輩出し、種牡馬界を支配し、黄金時代を築いた。

ハリーオン系とマンノウォー系

21世紀初頭の視点にたつと、サラブレッドの三大父系のうちもっともマイナーとされるゴドルフィンアラビアン系は、ほぼマンノウォー系のみによって保たれている。現存するサラブレッドについて述べる上で、「マンノウォー系」という言葉は事実上「ゴドルフィンアラビアン系(もしくはマッチェム系)」を示すに等しい。

しかし20世紀半ばの時点では、イギリス、アイルランド、フランス、イタリア、ドイツといった西ヨーロッパソビエトドイツ民主共和国を筆頭とする共産圏のヨーロッパ諸国、南アフリカ、オセアニア、南アメリカ諸国、日本では、ゴドルフィンアラビアン系を担うサラブレッドはハリーオン系に属するものがほとんどだった。

父系の観点に限ると、ハリーオンとマンノウォーは近いとはいえない程度に異なった系統にある。ハリーオンからもマンノウォーからも5代遡るとようやく共通の祖先、ウエストオーストラリアンにたどり着くが、5代を重ねるのにどちらも60年以上を要している。しかしハリーオンとマンノウォーはほぼ同じ時期に活躍し、1926年にはハリーオンがイギリスで、マンノウォーはアメリカでチャンピオンサイアーとなった。

ハリーオン系を育てたウーラヴィントン卿

ハリーオン系の概観

第1次世界大戦の頃のイギリスに登場したハリーオンは無敗のまま引退して種牡馬になった。産駒からは3頭の英国ダービー馬が出て、ハリーオン自身は1926年に英国のチャンピオンサイアーとなった。この頃、アメリカでは同じマッチェム系のマンノウォーが、日本でも同系のチャペルブラムプトンが種牡馬として最盛期を迎えていた。

ハリーオンの子のなかで種牡馬として最も成功したのはプレシピテーションで、英国二冠馬エアボーンをはじめ、プレモニションシャモセールなどの英国クラシックホースを出した。これらの世代の全盛期は第二次世界大戦の時期でありシャモセールは戦火を避けてヨーク競馬場で代替開催されたセントレジャーに勝っている。これらの活躍馬やその子孫は、大戦を避けてオーストラリアやニュージーランドに渡り、そこで繁栄した。戦後、日本でも競馬が再開すると、これらのハリーオン系の種牡馬が輸入されるようになるが、その多くはオセアニアから輸入されている。

南アフリカやイタリア・ドイツで父系を広げたのはキャプテンカトルコロナック、南米で繁栄したのがハンターズムーン、オセアニアではハンティングソングテストケイスらが大勢力を築いた。

大戦の影響から回復し始めたヨーロッパで活躍したのがプレシピテーションの子で、イギリス生まれのシェシューンである。シェシューンはイギリス、フランス、ドイツの大レースに勝ち、種牡馬になるとフランスのチャンピオンサイアーとなった。英国三冠馬ニジンスキーを破って凱旋門賞に勝ったことで有名になったササフラが有名である。

この頃には、ハリーオン系のサイアーラインは下火になってきたが、ササフラの子がブラジルで人気種牡馬となり、1980年代から1990年代にかけて、ブラジルで多くの一流馬を出してハリーオン系が発展した。なかでもサンドピットはブラジルからアメリカへ移籍して活躍し、ジャパンカップに来日して1番人気(結果は5着)になるなど、日本でも知られている。しかし、ブラジルでのハリーオン系の代表格であるマッチベター、サンドピットのいずれも早逝し、有力な後継種牡馬を残していない。

この系統の日本での活躍馬は、京都杯など20勝をあげたヤサカ、最良スプリンターのカネツセーキ、最良スプリンターのシェスキィなどがいたが、日本国内でサイアーラインを発展させるには至っていない。

ハリーオン

ハリーオンは第1次世界大戦中のイギリス馬である。戦争の影響で代行競走として行なわれたセントレジャーや、ジョッキークラブカップを含め、6戦全勝で引退し、種牡馬となった。極めて大きな馬で、体高は17ハンド=約173センチもあった。そのほか、胸囲82 1/2インチ、管囲9 3/4インチと、雄大な馬格を有していた。こうした体格的特徴は、父系のソロンやウェストオーストラリアンにも共通する特徴だった。

種牡馬になると、キャプテンカトル、コロナック、コールボーイの3頭の英国ダービー馬を出し、1926年にはイギリスのチャンピオンサイヤーになった。ハリーオンと同時期に種牡馬ランキングを争ったのは、ザテトラークファラリスゲインズボローサンインローである。ハリーオンの血統的特徴はセントサイモン系の血を全く持たない点にあり、『サラブレッドの世界』の著者サー・チャールズ・レスターは、ハリーオンを、『明らかに偉大な種牡馬』で、ハイペリオンフェアウェイファロスネアルコに次ぐ重要な種牡馬で、ブランドフォード、ゲインズボロー、トウルビヨンカーバインやザテトラークと同等に位置づけている。産駒のうち、種牡馬として最も成功したのはアスコットゴールドカップなどに勝ったプレシピテーションだった。

詳細は「ハリーオン」を参照

ハリーオンの主要父系

*は日本輸入馬

Hurry On
|Hunting Song 牡馬 1919 ニュージーランド種牡馬チャンピオン
|Captain Cuttle 牡馬 1919 イギリスダービー
||Boveney 牡馬 1929 南アフリカチャンピオンサイアー
||Pilade 牡馬 1930 イタリアダービー
|Coronach 牡馬 1923 イギリス2・3歳チャンピオン
||Montorose 牡馬 1930 南アフリカ種牡馬チャンピオン
||Corrida 牝馬 1932 凱旋門賞2回
||Niccolo Dell'Arca 牡馬 1938 イタリア種牡馬チャンピオン
|||Daemon 牡馬 1952 チリ種牡馬チャンピオン
||Cranach 牡馬 1938
|Call Boy 牡馬 1924 イギリスダービー
|Hunter's Moon 牡馬 1926
||Postin 牡馬 1940 ペルー種牡馬チャンピオン
|||Rio Pallanga 牡馬 1952 ペルー三冠馬
|Precipitation 牡馬 1933
||Chamossaire 牡馬 1942 イギリス種牡馬チャンピオン
|||Santa Claus 牡馬 1961 イギリスダービー アイルランドダービー
|||Airborne 牡馬 1943 イギリスダービー
|||Count Rendered 牡馬 1945 ニュージーランド種牡馬チャンピオン
|||Summertime 牡馬 1946 ニュージーランド種牡馬チャンピオン
||||*ヤサカ 1952 牡馬 京都杯2回
|||||カネツセーキ 1959 牡馬 日本2歳チャンピオン最良スプリンター
||||Sobig 1961 牡馬 グレートノーザンダービー
|||||Kirrama 1967 牡馬 ニュージーランド3歳チャンピオン
||Supreme Court 1948 牡馬 フェスティバルオブブリテンステークス
|||Huaralino 1957 牡馬 パナマ種牡馬チャンピオン
|||King's Son 1958 牡馬
||||Mansoor 1969 騙馬 インドダービー
||Agricola 1956 牡馬 オーストラリア種牡馬チャンピオン
||Sheshoon 1956 牡馬 フランス種牡馬チャンピオン
|||シェスキイ 1963 牡馬 日本・最良スプリンター
|||*プルバン 1969 牡馬 パリ大賞典ロワイヤルオーク賞
||||リンドプルバン 1976 牡馬 日本ダービー2着
||Sassafras 1967 牡馬 凱旋門賞 フランスダービー
|||Henri le Balafre 1972 牡馬 ロワイヤルオーク賞
||||Thignon Lafré 1987 牡馬 ブラジル年度代表馬
|||||Roxinho 1998 牡馬 ブラジル年度代表馬 サンパウロ三冠
|||Baynoun 1981 牡馬
||||*サンドピット 1989 牡馬 ブラジル3歳チャンピオン オークツリー招待ハンデ
||||Much Better 1989 牡馬 ブラジル年度代表馬2回

本節の出典・参考文献

キャプテンカトル

キャプテンカトル(en:Captain Cuttle)はイギリスの競走馬で、1922年の英国ダービー馬である。

Captain Cuttle | 血統 ハリーオン系
 | 牡 | Hurry On
1903 栗毛 イギリス | Marcovil | Marco
毛色 | 栗毛 | Lady Villkins
生年 | 1919 | Toute Suite | Sainfoin
生産地 | イギリス | Star
生産者 | 初代ウーラヴィントン男爵 | Bellavista
1904 鹿毛 イギリス | Cyllene | Bona Vista
馬主 | 初代ウーラヴィントン男爵 | Arcadia
調教師 | フレッド・ダーリン | Emotion | Nunthorpe
成績等 | 6戦4勝 | Emita F-No.22-c

キャプテンカトルは、ハリーオンの馬主であるジェームズ・ブキャナンが自ら生産した競走馬である。キャプテンカトルが誕生した翌年に、ブキャナンは準男爵の称号を得、さらに1922年1月に男爵の称号を得てウーラヴィントン男爵と号した。つまり、キャプテンカトルを生産した時点での「ジェームズ・ブキャナン」とダービー優勝時の馬主「ウーラヴィントン男爵」は同一人物である。

キャプテンカトルは、ハリーオンに似て体が大きく成長が遅かった。大型ゆえに前脚に負担がかかり、若いうちは満足に調教も行えなかった。

ダービー馬キャプテンカトル

競走成績

3歳(1922年)緒戦の小さなレースを6馬身差で楽勝したキャプテンカトルは、2000ギニーの本命馬と目されるようになった。ところが2000ギニーでは、どういうことか大方の予想に反して勝ったのはセントルイス(St.Louis)で、キャプテンカトルは3着に終わった。この敗戦で、キャプテンカトルはスタミナのない短距離馬というレッテルを貼られてしまった。

5月31日のダービーは記録的な猛暑の中で行われた。出走の前に、キャプテンカトルにはアクシデントがあった。下見所落鉄してしまい、急遽蹄鉄を打ち直すはめになり、本馬場入場に遅刻してしまった。この事が原因で、後にキャプテンカトルに悪いうわさが立つことになる。

レースが始まってまもなく、キャプテンカトルは先頭に立った。前半戦は全馬がほぼ一団で進んだが、後半は徐々にペースが上がり、最終コーナーでキャプテンカトルがスパートすると、ついていける馬はいなかった。キャプテンカトルは2分34秒3/5のレコードタイムで優勝し、2着に8馬身もの差をつけた。優勝騎手のスティーヴ・ドナヒューは前年に続いてダービー連覇となったが、キャプテンカトルの巨躯を御してカーブやコーナーを回るのは大変だったと語った。もはやキャプテンカトルのスタミナを疑問視する者はいなくなったが、猛暑で乾いた馬場を大きな体でレコード記録で駆けたことは、キャプテンカトルの脚には予想以上の負担となっていた。結果的にはこの時のダメージが原因で、キャプテンカトルは秋のセントレジャーには出走することができなかった。

2000ギニーでの不可解な敗戦の理由も明かされた。実は3歳緒戦を勝った後、キャプテンカトルは消化器系の疾患によって体調を大きく崩していたのだった。2000ギニーの当日もまだ体調は戻っておらず、そのための敗戦だったと伝えられた。一方、ダービーの勝利はいんちきだと言うものも現れた。その主張によると、ダービーの下見所で落鉄して蹄鉄を打ち直すときに、こっそりとコカインがキャプテンカトルに与えられたという。馬主のウーラヴィントン男爵は、こうした噂を流したデイリー・エクスプレスを名誉毀損で訴えた。

このあと、キャプテンカトルはロイヤルアスコット開催セント・ジェイムズ・パレス・ステークスに出て勝ったのだが、腱を痛めてその後のキャリアを棒に振ることになった。秋を全休し、翌年(1923年)4歳になって、古馬の最高峰であるアスコット金杯を目指したのだが、前哨戦を勝ったところで、これ以上は脚部が持たないということで引退となった。

キャプテンカトルと同じ世代にはブランドフォードがいるが、ブランドフォードにはクラシック登録がなかったし、どちらも脚が故障がちであったため、両者は一度も対戦することはなかった。ブランドフォードの調教師であるリチャード・C・ドーソン調教師は、ブランドフォードには大した競走実績がなかったが、キャプテンカトルと実力が伯仲していると考えていた。

種牡馬成績

種牡馬になったキャプテンカトルは、初年度産駒から、いきなりクラシック勝馬が出た。国王ジョージ5世の生産馬スカットル(Sctulle)は2歳牝馬王座決定戦のチェヴァリー・パーク・ステークスを勝ち、3歳になって1000ギニーに優勝し、オークスで2着になった。

2年目の産駒の代表馬はウォルターゲイ(Walter Gay)で、ダービーで2着になった。

しかし、端的に言って、キャプテンカトルは期待ほどの種牡馬とはいえなかった。ウーラヴィントン男爵のもとで6年間種牡馬生活を送ったが、6年間の産駒の通算成績は69勝、稼いだ賞金は37000ポンドにとどまった。比較をすると、この頃ハリーオンは1926年にチャンピオンサイヤーになっているのだが、その1年だけでハリーオンの産駒は26勝をあげ、59000ポンドを稼いでいた。キャプテンカトルは1928年の種付けが終わると、50000ポンドでイタリアへ売却された。イギリスでの最後の世代から出たボヴネー(Boveney)は南アフリカで走り、現地のサバーバンハンデなど6勝した。種牡馬になると1943〜1944年に2年連続で南アフリカの種牡馬チャンピオンになった。

イタリアへ移ったキャプテンカトルは、数シーズン目の1932年、種付後の運動中に事故で死んだ。しかし生前残した産駒の中からピラデ(Pilade)が登場し、イタリアダービーをはじめ、イタリア国内の大レースを総なめにした。また、ヤコポダポントルモ(Jacopo da Pontormo)はイタリア大賞典に勝ち、イタリアセントレジャーでも2着となった。同馬の3/4兄妹となるヤコパデルセラヨ(Jacopa del Sellaio)はイタリアの4冠牝馬である(後述)。

ピラデ

ピラデ(Pilade)はイタリアの競走馬で、イタリアダービーなどに勝った。引退して種牡馬になると、第二次世界大戦末期の1945年から3年連続でイタリアの種牡馬チャンピオンになった。

Pilade | 血統 ハリーオン系
 | 牡 | キャプテンカトル
1919 栗毛 イギリス | Hurry On | Marcovil
毛色 | 栗毛 | Toute Suite
生年 | 1930 | Bellavista | Cyllene
生産地 | イタリア | Emotion
生産者 |  | Pierra
1924 鹿毛 イタリア | Wool Diner | Martagon
馬主 |  | St.Windeline
調教師 |  | Partridge | Adam
成績等 | 戦勝 | Parta F-No.1-j

ピラデは3歳時(1933年)にイタリアダービーに勝った。後述する同系のヤコパデルセラヨ(Jacopa del Sellaio)が前年にイタリアクラシック4冠を制覇しており、ハリーオン系としては2年連続のダービー制覇だった。この年ピラデはイタリア大賞典も制している。古馬になっても、5歳時(1935年)にジョッキークラブ大賞典を勝った。

ピラデは種牡馬となっても成功し、障害でも多くの活躍馬を出した。1942年にはスティープルチェイスのリーディングサイアーで上位に入った。平地でもイタリアのクラシックホースの父となり、1945年には、レジナエリナ賞(イタリア1000ギニー)をVampa、イタリアオークスをZamoraが勝った。ピラデはこの年から1947年まで3年連続でイタリアのチャンピオンサイアーになった。

しかしピラデは、大戦末期のイタリアからポーランドに輸出され、戦後、1950年代にポーランドのチャンピオンサイアーになった。ピラデの名は、1961年に凱旋門賞を勝ち、イタリアのチャンピオンサイアーになったモルヴェド(Molvedo)の血統表にも見ることができる。

キャプテンカトルの主な父系子孫

*太字は本項で説明している馬。

Captain Cuttle
|Scuttle 牝馬 1925生 1000ギニー、チェヴァリーパークS、オークス2着
|Captain Bunsby 牡馬 1926生 ニュージーランドで種牡馬になる
||International 牡馬 1933生 VATCハーバートパワーH
|Walter Gay 牡馬 1926生 ダービー2着
||Soldier King 牡馬 1933生 南アフリカで種牡馬になる
|Boveney 牡馬 1929生 南アフリカ・サバーバンH
||Boveneyは1943-1944南アフリカ種牡馬チャンピオン。
||Bovidae 牝馬 1942 ケープメトロポリタンS
||Sostrum 牡馬 1944 ケープメトロポリタンS
||Peran Wisa 牡馬 1948 喜望峰ダービー
|Pilade 牡馬 1930生 イタリアダービージョッキークラブ大賞
||Piladeは1945-1947イタリア種牡馬チャンピオン。
||ポーランドでも1950年代に数回チャンピオンになった。
||Jesolo 牡馬 1937生 パリオリ賞(イタリア2000ギニー)
|||Piavola 牝馬 1943 イタリアオークス
||Zliten 牡馬 1938生 イタリア・クリテリウムナショナーレ
|||Caran d'Ache 牡馬 1949 イタリア・ジョッキークラブ大賞
||||Wettcoup 牡馬 1956 ウニオンレンネン
||||Waldcanter 牡馬 1956
|||||Krawall 牡馬 1963 独2000G
||Pink Pearl 牡馬 1948 ポーランドダービー
||Liston 牡馬 1941生 イタリア・グランクリテリウム
||Zamora 牝馬 1942生 イタリアオークス
||Hyazinth 牡馬 1944生 ドイツ・ライン賞
|Jacopo da Pontormo 牡馬 1932 イタリア大賞典

本節の出典・参考文献

コロナック

コロナック(Coronach、またはコロナッハ)はイギリスの競走馬で、1926年のダービー馬である。子孫はイタリア、フランスで繁栄した。

Coronach | 血統 ハリーオン系
 | 牡 | Hurry On
1903 栗毛 イギリス | Marcovil | Marco
毛色 | 栗毛 | Lady Villkins
生年 | 1923 | Toute Suite | Sainfoin
生産地 | イギリス | Star
生産者 | 初代ウーラヴィントン男爵 | Wet Kiss
1913 栗毛 イギリス | Tredennis | Kendal
馬主 | 初代ウーラヴィントン男爵 | St.Marguerite
調教師 | フレッド・ダーリン | Soligena | Soliman
成績等 | 14戦10勝 | St.Guntheirn F-No.41

コロナックもまた、ウーラヴィントン卿の生産馬である。やはりハリーオンに似て大柄な馬で、体高は16.2ハンド(約168センチ)もあった。

競走成績

コロナックはハリーオン系としては早熟で、2歳時(1925年)にシャンペンステークスやラスメモリアルステークスなど5勝した。秋にはレース後に咳込むことがあり、高熱を出すこともあって、ミドルパークステークスで2着に惜敗したが、イギリスの2歳チャンピオンになった。

3歳(1926年)になると初戦を楽勝し本命で2000ギニーに出た。コロナックはゴールの前までは3馬身のリードをとって先頭にいたのだが、大観衆に驚いて2着に敗れてしまった。ダービーではコロナックの長距離適性に疑問を表明するものもいたが、霧雨でほとんど観衆からは馬が見えない中、長雨で柔らかくなった馬場をものともせず、5馬身差で快勝して名誉を挽回した。さらにコロナックは、キャプテンカトルと同じように、ロイヤルアスコット開催のセントジェームズパレスステークスを20馬身差で勝ち、さらにエクリプスステークスも6馬身差で勝った。秋にはセントレジャーも2馬身差で勝ち、3歳チャンピオンの座を不動にした。

古馬になると、コロナックには呼吸器系に疾患があることがわかってきた。コロネーションカップは勝ったが、症状は悪化した。その後2戦は敗れて成績を落とし、引退することになった。

ニュージーランド史上初となる英国ダービー馬の導入(1940年)となったコロナック

種牡馬成績

コロナックはラヴィントンで種牡馬になったが、イギリスではほとんど成果のない種牡馬だった。一方、イタリアのフェデリコ・テシオやフランスのマルセル・ブサックらは、最良の牝馬をコロナックのもとへ送り込み、イタリアやフランスの歴史的な名馬を何頭も送り出した。これらの中には、イタリアの四冠牝馬ヤコポデルセラヨ(Jacopa del Sellaio)、イタリア三冠馬ニコロデラルカ(Niccolo Dellarca)、凱旋門賞連覇のコリーダ(Corrida)などがいる。その結果、コロナックはイギリスにいながらにして、フランスやイタリアのチャンピオンサイアー上位に名を連ねるようになった。

コロナックは12年間をイギリスで種牡馬として過ごしたが、生産者兼馬主のウーラヴィントン卿が没すると、その娘のカサリンは、1940年にコロナックをニュージーランドに住む友人に寄贈してしまった。当時のニュージーランドでは、ハリーオン産駒のハンティングソング(Hunting Song)が1932/33シーズンから6年連続でチャンピオンサイアーを獲っており、ハリーオン系への期待が大きかった。しかもイギリス本国のダービー勝馬がニュージーランドで供用されるのは史上初で、当時のニュージーランド

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出典:wikipedia
2020/04/10 12:38

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