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ヒッタイトとは?

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ヒッタイト帝国
URUHa-at-ti
 | 紀元前16世紀 - 紀元前1180年 | 





赤:ヒッタイト帝国の最大勢力圏 緑:古代エジプトの勢力圏
公用語 ヒッタイト語ルウィ語パラー語フルリ語アッカド語、その他アナトリア語派
首都 クッシャラ
ハットゥシャ
元首等
紀元前1586年 - 紀元前1556年 ハットゥシリ1世
紀元前1321年 - 紀元前1295年 ムルシリ2世
変遷
ラバルナ1世による建国 紀元前16世紀
【ヒッタイト中興と新王国時代の幕開け】
トゥドハリヤ1世
【周辺海洋民族による包囲と滅亡】
紀元前1180年

ボアズキョイ(現トルコ共和国ハットゥシャ)のライオンの門

ヒッタイト(英:Hittites)は、インド・ヨーロッパ語族ヒッタイト語を話し、紀元前15世紀頃アナトリア半島王国を築いた民族、またはこの民族が建国したヒッタイト帝国(王国とも)を指す。なお、民族としてのヒッタイトは、ヒッタイト人と表記されることもある。

他の民族が青銅器しか作れなかった時代に、高度な製鉄技術によりメソポタミアを征服した。最初の鉄器文化を築いたとされる。

首都ハットゥシャ(現在のトルコボアズキョイ遺跡)の発掘が進められている。

名称

ハッティ (: Hatti) の英語名で、旧約聖書ヘテ人(: Hitti、ヘト人とも)をもとにして、イギリス人のアッシリア学者アーチボルド・セイスが命名した。

なお、この聖書の「ヘト人」はカナン人の一派として何度か名前が出てくるが、『エズラ記』9章1節のユダ王国の指導者たちがバビロン捕囚から戻っていた時、氏族長たちの報告で周辺の異民族の名前として出てくるのを最後に名前が上がらなくなり、少なくとも西暦1世紀後半の頃にはユダヤ人たちから「名前以外不明の滅んだ民族」という認識をされていた(『ユダヤ古代誌』第I巻vi章2節など)。

歴史

詳細は「ヒッタイトの歴史」および「ハッティ人」を参照

ヒッタイト人 (Hittites) は、クルガン仮説による黒海を渡って来た北方系民族説と、近年提唱されているアナトリア仮説によるこのアナトリア地域を故郷として広がって行ったという2つの説が提唱されているが、決着していない。

近年、カマン・カレホユック遺跡(トルコ共和国クルシェヒル県クルシェヒル)にて鉄滓が発見され、ヒッタイト以前の紀元前18世紀頃(アッシリア商人の植民都市がアナトリア半島一帯に展開した時代)に鉄があったことが明らかにされた。その他にも、他国に青銅を輸出或いは輸入していたと見られる大量の積荷が、海底から発見された。

ヒッタイト古王国

紀元前1680年頃、クズルウルマック("赤い河"の意)周辺にヒッタイト古王国を建国し、後にメソポタミアなどを征服した。なお、ヒッタイト王の称号は、ラバルナであるが、これは古王国の初代王であるラバルナ1世、また、ラバルナの名を継承したハットゥシリ1世の個人名に由来し、後にヒッタイトの君主号として定着したものである。ヒッタイト王妃の称号はタワナアンナであるが、これも初代の王妃であるタワナアンナの名を継承したといわれている。 紀元前1595年頃、ムルシリ1世率いるヒッタイト古王国が、サムス・ディタナ率いる古バビロニアを滅ぼし、メソポタミアカッシート王朝が成立した。

ヒッタイト中王国

紀元前1500年頃、ヒッタイト中王国が成立した。タフルワイリアルワムナによる王位簒奪が相次ぎ、70年間ほど記録が少ない時代が続いた。

ヒッタイト新王国

エジプトの壁画に表現されたヒッタイト軍の戦車

紀元前1430年頃、ヒッタイト新王国が成立した。

紀元前1330年頃、シュッピルリウマ1世ミタンニを制圧する。この時、前線に出たのは、王の息子達(テレピヌとピヤシリ)であった。 紀元前1285年頃、古代エジプトシリアカデシュで衝突(カデシュの戦い)。ラムセス2世のエジプトを撃退する。ラムセス2世は、勝利の記録を戦いの様子と共にルクソールなどの神殿に刻んでいるが、実際にはシリアはヒッタイトが支配を続けた。エジプトのラムセス王の寺院の壁に、3人乗りの戦車ラムセス2世と戦うヒッタイト軍(ムワタリ2世の軍)のレリーフが描かれている。この際に、世界最古の講和条約が結ばれた。ハットゥシリ3世の王妃プドゥヘパ(英 Puduhepa)作とされる宗教詩は、現在発見されている最古の女性の文芸作である。ヒッタイトの宗教は、強くフルリ人の宗教の影響を受けていることが分かっており、その文化にもフルリ文化が色彩強まった。

紀元前1190年頃、通説では、民族分類が不明の地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされたとされているが、最近の研究で王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたことが明らかになった(前1200年のカタストロフ)。

滅亡後

フリギア」、「リュディア」、「メディア王国」、および「アケメネス朝」も参照

ヒッタイト新王国が滅びたあと、遺民は南東アナトリアに移動し、紀元前8世紀頃までシロ・ヒッタイト国家群(シリア・ヒッタイト)と呼ばれる都市国家群として活動した(紀元前1180年-紀元前700年頃)とされる。ただし、この都市国家群の住民はかなりの程度フルリ人と同化していたと考えられている。

歴代君主

古王国以前の支配者

古王国

中王国

新王国

后妃

詳細は「タワナアンナ」を参照

系図

文献を参考に作成。双方の記述で異なる場合は、各王の記事と矛盾しないものを採用した。

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 | ハラプシリ | 
 | ハンティリ1世 | 

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 | ツィダンタ1世 | 

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 | アンムナ | 


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 | フッツィヤ1世 | 
 | イシュタパリヤ | 
 | テリピヌ | 

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 | ハラプシリ | 
 | アルワムナ | 

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 | ツィダンタ2世 | 


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 | アシュムニカル | 
 | アルヌワンダ1世 | 


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 | トゥドハリヤ2世 | 


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 | トゥドハリヤ3世 | 
 | シュッピルリウマ1世 | 


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 | アルヌワンダ2世 | 
 | ムルシリ2世 | 
 | ザンナンザ | 
 | テリピヌ
ハルパ副王 | 
 | ピヤシリ
カルケミシュ副王 | 
 | シャル・クシュフ
カルケミシュ副王

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 | ムワタリ2世 | 
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 | ハットゥシリ3世 | 
 | プドゥヘパ | 

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 | ムルシリ3世 | 
 | クルンタ
タルフンタッシャ副王 | 
 | トゥドハリヤ4世 | 
 | ネプテラ
(マートネフェルラー) | 
 | ラムセス2世
エジプト王

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 | アルヌワンダ3世 | 
 | シュッピルリウマ2世 | 


遺跡

ハットゥシャ遺跡

関連作品

映像作品

漫画

脚注

  1. ^ 『詳説世界史B』(山川出版社文部科学省検定済教科書。高等学校 地理歴史科用。2002年4月4日文部科学省検定済。2004年3月5日発行。2004年3月1日印刷。教科書番号 81 山川 世B005)p 24の本文には「そのうち, はやくから鉄製の武器を使用したヒッタイト人は, 前17世紀なかばごろ小アジアに強力な国家を建設してバビロン第1王朝をほろぼし, さらにシリアにも侵入してエジプトとたたかった。」と書かれていて、「ヒッタイト人」の上にはHittitesと書かれている。
  2. ^ フラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌1』株式会社筑摩書房、1999年、ISBN 4-480-08531-9、P64。
  3. ^ 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年、p.145, 146
  4. ^ ジョン・E.・モービー 『オックスフォード 世界歴代王朝王名総覧』 東洋書林、1993年、p.60, 61

関連項目

旧約聖書の町
アシェル族

ナフタリ族

ゼブルン族

マナセ族

イッサカル

ガド族

ルベン族

エフライム族

ダン族

ベニヤミン族

ユダ族シメオン族

レビ族

バビロン捕囚

逃れの町

カナン人

ペリシテ人

アラム人

モアブ人

【周辺民族】

【関連項目】


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/06/03 01:44

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