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ビートルズとは?

ビートルズ

1964年初訪米した際にジョン・F・ケネディ国際空港にて。
左上からジョン・レノンポール・マッカートニーリンゴ・スタージョージ・ハリスン

【基本情報】

【別名】
  • クオリーメン
  • ジョニー&ムーンドッグス
  • シルヴァー・ビートルズ

【出身地】
イングランド マージーサイド州リヴァプール
【ジャンル】

【活動期間】
1960年 - 1970年
【レーベル】

【共同作業者】

【公式サイト】
www.thebeatles.com
【】

【旧メンバー】

ビートルズ(英語: The Beatles)は、1960年代から1970年にかけて活動したイギリスリヴァプール出身のロックバンド。20世紀を代表する音楽グループである。音楽誌『ローリング・ストーン』による「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第1位にランクされており、経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルの統計算出に基づく「史上最も人気のある100のロックバンド」にても1位となっている。グラミー賞を8回受賞し、24回ノミネートしている。

概要

主に1960年代に活動した世界的に有名なロックバンド。ジョン・レノンがバンド「クオリーメン」を1957年に結成して「ザ・ビートルズ」と1960年に改名して1962年10月5日(金)にレコードデビュー1970年4月10日(金)に事実上解散。"Fab Four"という愛称もある。

活動期間内に母国イギリスで12作のオリジナル・アルバムを発売し、その内11作が全英アルバムチャートで週間第1位を獲得した。11作の週間第1位の合計獲得数は162週。年間売り上げ最高アルバム4作と第1作『プリーズ・プリーズ・ミー』による連続30週第1位はいずれも1960年代の最高数。シングルは22作発売し、その内17作が第1位を獲得。アメリカなど世界各国においても高い販売数を記録し、全世界での総レコード・カセット・CD・ダウンロード・ストリーミング等の売上総数は6億枚を超えており、ギネス・ワールド・レコーズ最も成功したグループアーティストと認定されている。
1965年10月26日に女王エリザベス2世からMBE勲章を授与されている。1988年ロックの殿堂入り。活動前期においてはアイドルとして「ビートルマニア」と称されるファンを獲得。後期には『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』や『アビイ・ロード』などの名盤と言われるような作品を発表しより音楽的な面から評価されており、解散から数十年が経過した現在でも、映画作品や記念盤が発表されるなど世界中で根強い人気を誇っている。

バンド名の由来

ビートルズのロゴ

「BEATLES」という名称はジョン・レノンスチュアート・サトクリフが考えた造語である。ジョンの証言では、この名前が考案されたのは1960年の4月で、バディ・ホリーのバンド名「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」のクリケッツにあやかり、昆虫の名前で同じように2つの意味を含んでいる言葉としてビートルズを、映画『乱暴者』から思いついた。しかし、バンド名を「ビートルズ」とした頃、クラブ出演を依頼してきたブライアン・キャスは難色を示し、改名を出演条件として「ロング・ジョン&ピーシズ・オブ・シルヴァー」という名称を提示した。話し合いの上、互いに譲歩して『ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ』と称する事になったが、その後ロング・ジョンを除いて「シルヴァー・ビートルズ」と称した(シルヴァー・ビートルズのつづりは途中までThe Silver Beetles)。ただし、1960年8月から行った最初のハンブルク巡業で出演したクラブ「カイザー・ケラー」の広告には「The Beatles」と記載されている。

メンバー

基本的担当パートを太字表記

【名前】
【プロフィール】
【担当】
在籍期間
主なメンバー
ジョン・レノン
(英語: John Lennon) | 1940年10月9日 - (1980-12-08) 1980年12月8日(40歳没)
イングランドマージーサイド州リヴァプール | ボーカル
リズムギター
リードギター
キーボード
ハーモニカ
ベース | 1960年 - 1969年
ポール・マッカートニー
(英語: Paul McCartney) |  (1942-06-18) 1942年6月18日(77歳)
イングランド・マージーサイド州リヴァプール | ボーカル
ベース
リズムギター
リードギター
キーボード
ドラムス | 1960年 - 1970年
ジョージ・ハリスン
(英語: George Harrison) | 1943年2月25日 - (2001-11-29) 2001年11月29日(58歳没)
イングランド・マージーサイド州リヴァプール | リードギター
ボーカル
リズムギター
シタール
キーボード、ベース | 1960年 - 1970年
リンゴ・スター
(英語: Ringo Starr) |  (1940-07-07) 1940年7月7日(79歳)
イングランド・マージーサイド州リヴァプール | ドラムス
パーカッション
ボーカル | 1962年 - 1970年
初期のメンバー
ピート・ベスト
(英語: Pete Best) |  (1941-11-24) 1941年11月24日(78歳)
イギリス領インド帝国マドラス管区 マドラス | ドラムス
ボーカル | 1960年 - 1962年
スチュアート・サトクリフ
(英語: Stuart Sutcliffe) | 1940年6月23日 - (1962-04-10) 1962年4月10日(21歳没)
スコットランドエディンバラ | ベース | 1960年 - 1961年
チャス・ニュービー
(英語: Chas Newby) |  (1941-06-18) 1941年6月18日(78歳)
イングランドブラックプール | ベース | 1960年 - 1961年
ノーマン・チャップマン
(英語: Norman Chapman) | 1937年 - 1995年(57歳 - 58歳没) | ドラムス | 1960年
トミー・ムーア
(英語: Tommy Moore) | 1931年9月12日 - (1981-09-29) 1981年9月29日(50歳没)
イングランド・マージーサイド州リヴァプール | ドラムス | 1960年
ツアー時のメンバー
ジミー・ニコル
(英語: Jimmy Nicol) |  (1939-08-03) 1939年8月3日(80歳) -
イングランドロンドン | ドラムス | 1964年

ジョン・レノンがスキッフル・バンド「クオリーメン」を1957年に結成。それ以降はジョニー&ザ・ムーンドッグス、ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ、シルヴァー・ビートルズと改名しており、ビートルズと称するまでに複数のメンバーが入れ替わっている。ビートルズと称してから在籍したメンバーは通算6名。その内2名は1962年10月5日(金)にシングル『ラブ・ミー・ドゥ』でデビューする前に脱退している。その一人、スチュアート・サトクリフは1960年1月に加入してベース担当になり、1961年に行われた2度目のハンブルク巡業が終わった時にバンドを脱退。その後、1962年4月10日に21歳で死去した。もう一人のピート・ベスト は、1960年8月に行った最初のハンブルク巡業の直前にドラムス担当として加入したが、1962年8月16日に解雇される。リンゴが「ロリー・ストーム & ザ・ハリケーンズ」から8月18日にビートルズへ加入した。

基本編成

パーロフォンから1962年10月にレコード・デビューした時点では「ギター×2、ベース、ドラムス」という編成である。これは1961年に「ギター×3、ベース、ドラムス」という編成で行われた2度目のハンブルク巡業の終了後にベース担当であるスチュアートが脱退して4人になり、ギター担当の1人であるポールがベースに転向して確立した。さらにデビュー直前の1962年8月にドラマーがピート・ベストからリンゴに交代し、解散までこの編成が続いた。最初の2枚のアルバムは2トラックレコーダーのみで録音していたので、原則としてこの編成が一発録りを行なった。3作目の『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』から4トラックが導入されて多重録音が可能になったが直ちには使用されず、5作目のアルバム『4人はアイドル』録音から「ドラムス・ベース・リズムギター」「リードギター」「ボーカル」の順に録る事が多くなっていく。

中期から後期の作品では、ポールが主に自作曲でギターピアノを担当する場合はジョンやジョージがベースを弾くこともある他、1968年の『ザ・ビートルズ』(通称ホワイト・アルバム)録音時のリンゴの脱退騒動に絡んで「バック・イン・ザ U.S.S.R.」と「ディア・プルーデンス」はポールがドラムスを担当している。その他、曲によってはメンバー各人がパーカッションを演奏している。リードギターは基本的にジョージが担当しているが、曲によってはジョンまたはポールもリードギターを弾いている。ジョンはリードギターを「ユー・キャント・ドゥ・ザット」の間奏部、「ゲット・バック」、「アイ・ウォント・ユー」などで弾いている。ポールは「涙の乗車券」のフェイド・アウトの部分でベースに加えてリードギターを担当。ジョージ作の「タックスマン」の間奏部とラスト部分「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」などでもリードギターを弾いている。また「ブラックバード」などのアコースティック・ギターもポールが弾いている。「ジ・エンド」の間奏部分はポール・ジョージ・ジョンの順にリレーする形でギターソロを演奏している。

リード・ボーカル

4人全員がいずれかの曲でリード・ボーカルを担当している。リード・ボーカルは基本的に作詞作曲した者が担当する。初期の「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」などのジョンとポールの共作曲はジョンとポールが2人でリード・ボーカルを担当している。ジョージは「タックスマン」、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「サムシング」などの自作曲で、リンゴは「オクトパス・ガーデン」「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」、「グッド・ナイト」などでリード・ボーカルを担当している。

曲毎に使用された楽器

曲によっては基本編成以外の楽器も使用されており、メンバー自身が担当した作品と、外部から参加した演奏者がセッションした作品がある。メンバー自身が担当した最も初期の例では、デビューシングルの「ラヴ・ミー・ドゥ」から3曲連続でジョンがハーモニカを演奏している。キーボードは、ポールが「マーサ・マイ・ディア」、「ヘイ・ジュード」、「レット・イット・ビー」、ジョン作の「セクシー・セディー」などでピアノを担当しており、また映像版の「ザ・ビートルズ・アンソロジー」では「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」でのイントロのメロトロンをポール自ら演奏しながら解説を行っている。ジョンは「アイ・アム・ザ・ウォルラス」、ジョージ作の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」などでオルガンやローズ・ピアノなど電子鍵盤楽器を担当しており、また1965年8月15日に開催されたシェイ・スタジアム・コンサートでは「アイム・ダウン」でVOXのオルガンを演奏している。「ノルウェーの森」から導入されたシタールはジョージが1965年頃に友人の勧めで聴いたラヴィ・シャンカルのレコードで興味を持ち、ロンドンの店で購入して使用した。1966年秋にはジョージみずからインドに出向いてラヴィ・シャンカルから直接レクチャーを受けている。また、「ゲッティング・ベター」や「アクロス・ザ・ユニバース」でのタンブーラ、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」でのソードマンデルなどもジョージが担当している。「ヘルター・スケルター」ではジョンがサックスを演奏している。モーグ・シンセサイザーはアルバム『アビイ・ロード』においてジョージが導入した。1969年当時は特注品のモジュラー・システムしか存在しなかったが、「ヒア・カムズ・ザ・サン」や「ビコーズ」でジョージが演奏。ポールも「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」で、ジョンが「アイ・ウォント・ユー」で、それぞれ演奏している。

外部から参加したミュージシャンの例では、セッション・ドラマーのアンディ・ホワイトが、デビュー曲となった「ラヴ・ミー・ドゥ」のレコーディングに参加している。ただし、これはメンバーの意向ではなくプロデューサーのジョージ・マーティンの判断によるもの。メンバーの意向による参加ミュージシャンの例では、クラシック音楽の分野から「イエスタデイ」、「エリナー・リグビー」で弦楽四重奏団が、「ペニー・レイン」ではピッコロ・トランペット奏者が招かれている。同じロックやポップスの分野では「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」でリードギターを弾いたエリック・クラプトンや、「レボリューション」でエレクトリックピアノを弾いたニッキー・ホプキンスが挙げられる。プロデューサーのジョージ・マーティンは「イン・マイ・ライフ」の間奏のクラシカルなピアノを弾いた。また、ローリング・ストーンズブライアン・ジョーンズは「ユー・ノウ・マイ・ネーム」においてサックスで参加している。アルバム『レット・イット・ビー』のセッションにはビリー・プレストンエレクトリックピアノハモンドオルガンなどで参加している。ただし、外部から参加したミュージシャンはプレストンを除いてレコードのクレジットには記載されていない。

利き手

メンバー4人のうちポールとリンゴは左利きである。ポールは文字を書く時も左で、リンゴは文字を書く時は右で書く。 ポールは自身で「僕は左利きだ」と述べており、ベースやギターは左利き用の物を使用している事や(ただし、ドラムのみは右利き用のセッティングで叩いている)、文字を左手で書いている写真・映像などで確認できる。リンゴは自身の発言はないが、演奏しているドラムスが右利き用である他、サインなどの文字を右手で書いている写真が存在する。

作詞作曲

オリジナル曲はすべてメンバーが作詞作曲している。 最も多いクレジットはジョンとポールの共作名義である「レノン=マッカートニー」で、ビートルズナンバー213曲の内、144曲が「レノン=マッカートニー」名義になっている。それ以外のビートルズの公式発表曲(オリジナル曲)には、名前の並びが逆の「マッカートニー=レノン」作品8曲、「ジョン・レノン・アンド・ポール・マッカートニー」が13曲(シングル・カット、シングル収録曲のレノン=マッカトニー名義と重複するものあり)、ジョージの作品22曲、リンゴの作品2曲、レノン=マッカートニーとリンゴの共作1曲、全員の共作2曲が含まれている。未発表曲集『ザ・ビートルズ・アンソロジー』には、ジョンとジョージの共作、ポールとジョージの共作の作品も収録されている。

レノン=マッカートニー

詳細は「レノン=マッカートニー」を参照

「レノン=マッカートニー」名義の作品はアメリカのビルボード、イギリスのミュージック・ウィークの双方で第1位を記録した曲が多く、『ギネス・ワールド・レコーズ』には最も成功したシンガー・ソングライターとして記載されている。ジョンとポールがどの曲でどの程度の役割を担っているかという公式な記録は無いが、書籍「ザ・ビートルズ・アンソロジー」のポールのコメントによれば、「プリーズ・プリーズ・ミー」はジョンがメイン、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」はポールがメイン、「フロム・ミー・トゥ・ユー」は半々、と様々なパターンが存在するが、基本的にはその曲をメインで作った方がリード・ボーカルを取っていることが多い。また同書によれば、共同クレジットで発表していくことは早い時期から決まっており、「レノン=マッカートニー」という序列は2人の話し合いの上で決定した。ただし、第1アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』でのみ「マッカートニー=レノン」という表記になっており、「イエスタデイ」などポールが主に作詞作曲した曲は「マッカートニー=レノン」表記にする事も検討されたが実行はしていない。

結成当初から、ジョンとポールのどちらか一方が単独で作った曲であっても「レノン=マッカートニー」または「マッカートニー=レノン」と連名にする約束が取り交わされていた。このことは後のいくつかの法的争いの元凶ともなる。1969年にジョンがプラスティック・オノ・バンド名義で発表した「平和を我等に」の作詞作曲も「レノン=マッカートニー」とクレジットされている。クレジット通りに2人で共作した曲は二十数曲という見解もあったが、ジョン・レノンはインタビューで否定しており、ポールも自伝「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」において「多くの曲が共作である」と述べている。ただし、「共作」の割合は曲によって異なり、50-50で作った曲もあれば、一方がメインで作詞作曲し、もう一方は手伝った程度という曲もある。

デビュー直前までの経歴

クオリーメン結成からビートルズへの改名まで

1957年3月、ジョンがスキッフル・バンド「クオリーメン」を結成する。同年7月6日、ウールトンセント・ピーターズ教会が開催したガーデン・パーティーでのクオリーメンのコンサートをポールが観る。ポールは共通の友人であるアイヴァン・ボーンに紹介されジョンに面会した。ポールはギターを弾きながらエディ・コクランの「トゥエンティ・フライト・ロック」、ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」、それに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2020/03/29 20:19

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