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フアン・マルティン・デル・ポトロとは?

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 | フアン・マルティン・デル・ポトロ
Juan Martín del Potro
 | 

フアン・マルティン・デル・ポトロ

【基本情報】

【フルネーム】
Juan Martín del Potro
【愛称】
エナノ/パリト/デルポ
【国籍】
アルゼンチン
【出身地】
同・タンディル
【生年月日】
(1988-09-23) 1988年9月23日(29歳)
【身長】
198cm
【体重】
97kg
【利き手】

【バックハンド】
両手打ち
【ツアー経歴】

【デビュー年】
2003年
【ツアー通算】
21勝
【シングルス】
20勝
【ダブルス】
1勝
【4大大会最高成績・シングルス】

全豪
ベスト8(2009・12)
全仏
ベスト4(2009)
全英
ベスト4(2013)
全米
優勝(2009)
【優勝回数】
1(米1)
【4大大会最高成績・ダブルス】

全仏
1回戦(2006・07)
全英
1回戦(2007・08)
【国別対抗戦最高成績】

デビス杯
優勝(2016)
【キャリア自己最高ランキング】

【シングルス】
4位(2010年1月11日)
【ダブルス】
105位(2009年5月25日)
【獲得メダル】

男子 テニス

オリンピック

 | 2012 ロンドン | 男子シングルス
 | 2016 リオデジャネイロ | 男子シングルス

2018年1月30日現在
テンプレート プロジェクト テニス

フアン・マルティン・デル・ポトロ(Juan Martín del Potro, 1988年9月23日 - )は、アルゼンチンタンディル出身の男子プロテニス選手。イタリア系アルゼンチン人。これまでにATPツアーでシングルス20勝、ダブルス1勝を挙げる。身長198cm。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。シングルス自己最高位は4位。

2009年全米オープン男子シングルス優勝者。グランドスラム1大会でロジャー・フェデラーラファエル・ナダルの両方に勝利した初の選手であり、2005年全仏から2013年全米までのグランドスラム35大会中唯一のBIG4以外の優勝者である。

アルゼンチン人2番目・オープン化以降5番目に若い全米オープン優勝者(20歳11か月)。ロンドンオリンピック銅メダリスト、リオデジャネイロオリンピック銀メダリスト。2009年ATPワールドツアー・ファイナル準優勝。デビスカップ2016優勝。

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 2008年 ツアー初優勝
    • 1.2 2009年 全米オープン初優勝、最終戦準優勝
    • 1.3 2010年 怪我
    • 1.4 2011年 復帰
    • 1.5 2012年 オリンピック銅メダル
    • 1.6 2013年 ウィンブルドンベスト4
    • 1.7 2014年-15年 再び怪我
    • 1.8 2016年 ツアーへの復帰・五輪銀メダル・デビスカップ優勝
    • 1.9 2017年 全米ベスト4
    • 1.10 2018 TOP10復帰
  • 2 プレースタイル
  • 3 主要大会決勝
    • 3.1 グランドスラム決勝
      • 3.1.1 シングルス: 1 (1タイトル)
    • 3.2 ワールドツアー・ファイナル決勝
      • 3.2.1 シングルス: 1 (1準優勝)
    • 3.3 オリンピックメダル
      • 3.3.1 シングルス: 1 (1 銀メダル 1 銅メダル)
    • 3.4 デビスカップ
      • 3.4.1 優勝 (1)
  • 4 ATPツアー決勝進出結果
    • 4.1 シングルス: 30回 (20勝10敗)
    • 4.2 ダブルス: 1回 (1勝0敗)
  • 5 4大大会優勝
  • 6 成績
    • 6.1 4大大会シングルス
    • 6.2 オリンピック
    • 6.3 大会最高成績
    • 6.4 ランキング
  • 7 脚注
  • 8 外部リンク

来歴

デルポトロは父親が元セミプロのラグビー選手で獣医、母親が教師という家庭に育ち、7歳からテニスを始めた。ジュニア選手時代は、2002年に「オレンジボウル選手権」(ジュニアテニス選手の登龍門と言われる大会)の14歳以下の部で優勝がある。2003年から男子ツアー下部組織の大会群を転戦し始め、2006年全仏オープン4大大会にデビューする。同年10月「ジャパン・オープン・テニス選手権で、ティム・ヘンマンとの3回戦まで勝ち進んだ。2007年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップアルゼンチン代表選手に選ばれる。デ杯代表入りの後、7月のインディアナポリス・テニス選手権で男子ツアーのダブルス初優勝を達成。この年は全米オープン3回戦でノバク・ジョコビッチに挑戦した。

2008年 ツアー初優勝

7月のメルセデス・カップでツアー初優勝を飾る。これを皮切りに4大会連続優勝を達成。ランキングは急上昇し、第17シードとして出場した全米オープンの4回戦では錦織圭を6-3, 6-4, 6-3で下した。準々決勝で第6シードのアンディ・マリーに6-7, 6-7, 6-4, 5-7で敗れるまで、デルポトロのメルセデス・カップからの連勝記録は23を記録した。

9月、デビスカップ準決勝の対ロシア戦で、デルポトロはシングルスの試合で2勝をあげ、アルゼンチンの決勝進出に大きく貢献した。10月のジャパン・オープン・テニス選手権では決勝に進出。決勝戦ではトマーシュ・ベルディハに1-6, 4-6で敗れて準優勝になった。

この年の快進撃を受けて、デルポトロは年間ランキング上位8名しか出場資格を得られない男子ツアー年最終戦のテニス・マスターズ・カップの出場権を初めて手にした。

11月、デビスカップ決勝の対スペイン戦では第2試合のシングルスに出場するが、フェリシアーノ・ロペスに敗れる。最終結果はアルゼンチンの2勝3敗となり、アルゼンチンのホームグラウンドでの優勝は叶わなかった。

2009年 全米オープン初優勝、最終戦準優勝

年頭のハイネケン・オープンで優勝。全豪オープンでは第8シードに選ばれ準々決勝まで進出するが、第2シードのロジャー・フェデラーに3-6, 0-6, 0-6と完敗した。全仏オープンでは、4大大会で初めての準決勝に進出し再びフェデラーと対戦。完敗した全豪オープンとは異なり、6-3, 6-7, 6-2, 1-6, 4-6のフルセットの激戦にて惜敗。王者フェデラーとの実力差は接近しており、次回を期待される一戦となった。

8月のレッグ・メーソン・テニス・クラシック大会で優勝し、この大会2連覇を達成。続くカナダ・マスターズ大会ではマスターズの大会で初めて決勝に進出するが、アンディ・マリーに7-6, 6-7, 1-6でフルセットで敗退した。この時の疲労が大きかったため、続くシンシナティ・マスターズは欠場した。その後に開催された 全米オープンでは順調に勝ち進み、準決勝でラファエル・ナダルを6-2, 6-2, 6-2で下し、グランドスラム大会で初めての決勝に進出する。決勝戦の対戦相手は全米オープン6連覇を狙うフェデラーであった。試合はフルセットに及び、3-6, 7-6(5), 4-6, 7-6(4), 6-2のスコアで、それまで6連敗していたフェデラーに対して初勝利し、見事、優勝を手にした。デルポトロは同じグランドスラムの大会でフェデラーとナダルの両方に勝利した最初の選手となり、20歳11か月での優勝は史上5番目に若く、アルゼンチン男子選手としては1977年ギリェルモ・ビラス以来32年ぶりの全米優勝者となった。


また前年に続き出場した ATPワールドツアー・ファイナルでは、ラウンドロビンを突破し、準決勝でロビン・セーデリングを6–7(1), 6–3, 7–6(3)で下し決勝に進出。決勝戦ではニコライ・ダビデンコに3–6, 4–6で敗れ準優勝となった。

2009年は、2005年以降4年に渡って時代を代表してきたフェデラー/ナダル2強に対して、次世代No.1を目指す若手選手達(2008年全豪オープン優勝 ジョコビッチ2009年全仏オープン準優勝 セーデリング、2009年全米オープン優勝デルポトロ、2009年最終戦優勝 ダビデンコ2008年全米オープン準優勝マリー)が台頭、競り始めた年であるが、当時デルポトロは、この若手の中で最も実績をあげ、 ジョコビッチ/マリー以上に期待された年となった。

2010年 怪我

全豪オープンは4回戦でマリン・チリッチに敗退。以降は手首の怪我により戦線離脱し、5月に右手首の手術を受けている。9月のタイ・オープン、10月のジャパン・オープン・テニス選手権で復帰したが初戦敗退に終わり、以降試合出場を2010年は見合わせている。

2011年 復帰

全豪オープンでは2回戦でマルコス・バグダティスに1-6, 3-6, 6-4, 3-6で敗退した。

2月のデルレイビーチ国際テニス選手権ヤンコ・ティプサレビッチを6–4, 6–4で破り2009年全米オープン以来のツアー8勝目を挙げた。

全仏オープンは、3回戦でノバク・ジョコビッチに3-6, 6-3, 3-6, 2-6で敗れた。ウィンブルドンは4回戦でラファエル・ナダルに6-7(6), 6-3, 6-7(4), 4-6で敗れた。全米オープンでも3回戦でジル・シモンに6-4, 6-7(5), 2-6, 6-7(3)で敗れたが、最終ランキングは11位まで戻し、ATPアワード・カムバック賞を受賞した。

12月のスペインとのデビスカップ決勝では、ダビド・フェレールに2-6, 7-6(2), 6-3, 4-6, 3-6のフルセットで敗れた。1勝2敗で後がなくなった第4試合のラファエル・ナダル戦でも6-1, 4-6, 1-6, 6-7(0)で敗れアルゼンチンは悲願の初優勝を逃した。

2012年 オリンピック銅メダル

全豪オープンでは3年ぶりにベスト8に進出。準々決勝でロジャー・フェデラーに4-6, 3-6, 2-6で敗れた。2月にオープン13ではミカエル・ロドラを下し、キャリア10勝目を飾った。5月のエストリル・オープンではリシャール・ガスケを下しシーズン2勝目を挙げた。全仏オープンでは準々決勝でフェデラーに6-3, 7-6, 2-6, 0-6, 3-6とフルセットで惜敗。ウィンブルドンでは4回戦でダビド・フェレールにストレートで敗退し、2年連続4回戦敗退となった。

8月のロンドンオリンピックでは準決勝でフェデラーに6-3, 6-7, 17-19の大接戦で敗れるも、3位決定戦でノバク・ジョコビッチを破り銅メダルを獲得した。全米オープンでは4回戦でアンディ・ロディックに勝利しロディックの現役引退試合を受け持った。準々決勝ではジョコビッチにストレートで敗れベスト8敗退となった。

10月開催のバンク・オーストリア・テニス杯ではグレガ・ゼムリャを破りシーズン3勝目を挙げ、翌週のスイス・インドアでは決勝で、7連敗を喫していたフェデラーを6-4, 6-7, 7-6の接戦の末破り、2週連続トーナメント優勝を果たした。

2013年 ウィンブルドンベスト4

BNPパリバ・オープンでは第7シードで出場。4回戦でトミー・ハース、準々決勝でアンディ・マリー、準決勝でノバク・ジョコビッチを破り決勝進出。決勝ではラファエル・ナダルに敗れ準優勝となる。上海マスターズでは準決勝でラファエル・ナダルを破るも決勝でノバク・ジョコビッチに敗退した。

ウィンブルドンにて、芝で下したことのなかったダビド・フェレールを4回戦で破り、1セットも落とすことのないまま自身初のベスト4入りを果たす。しかしながら、第1シードのノバク・ジョコビッチに5-7, 6-4, 6-7(2), 7-6(8), 3-6という4時間43分の大激闘の末敗れ、決勝進出はならなかった。

2014年-15年 再び怪我

2014年2月のドバイ・テニス選手権で怪我を負い、3月に左手首の手術を受ける。その後2014年のツアーは全て欠場した。

2015年1月にはシドニー国際で約11ヶ月ぶりとなるツアー復帰を果たし、ミハイル・ククシュキンとの準々決勝まで進出するが、全豪オープンを欠場し、痛みを取り除く手術を受けた。3月26日マイアミ・オープンで復帰するも1回戦でバセク・ポシュピシルに敗れた。2015年6月19日、3度目の左手首の手術を終えたことをFacebookで報告した。

2016年 ツアーへの復帰・五輪銀メダル・デビスカップ優勝

2月のデルレイビーチ・オープンでの復帰を果たすと、準々決勝でジェレミー・シャルディーに勝利し、2年1ヶ月ぶりのツアー準決勝進出を果たす。準決勝でサム・クエリーに5-7, 5-7で敗れた。BNPパリバ・マスターズでは、2回戦に進出し、第6シードのトマーシュ・ベルディハと対戦し、6-7(4), 2-6で敗れた。マイアミ・オープンでも2回戦に進出するもで同国のオラシオ・セバジョスに敗れた。

クレーシーズンに入ると、BMWオープンではベスト8に進出。マドリード・オープンでは1回戦で第14シードのドミニク・ティエムに7-6(5), 6-3で勝利。2回戦でジャック・ソックに敗れた。全仏オープンは芝シーズンに備えるため欠場を表明した。その芝シーズンではメルセデス・カップの準々決勝で第4シードのジル・シモンを破って準決勝進出した。ウィンブルドンでグランドスラムに復帰。1回戦でステファン・ロベールに6-1, 7-5, 6-0で勝利。2回戦では世界ランク5位のスタン・ワウリンカを3-6, 6-3, 7-6(2), 6-3で破り3回戦に進出。3回戦でリュカ・プイユに敗れた。リオ五輪シングルスの1回戦では、前回ロンドン五輪の3位決定戦の再現となった世界ランク1位のノバク・ジョコビッチとの一戦を7-6(4), 7-6(2)で制した。その後ロンドン五輪に続き、ベスト4入りを果たす。準決勝でラファエル・ナダルに5-7, 6-4, 7-6(5)で勝利し、決勝進出。決勝でアンディ・マリーに5-7, 6-4, 2-6, 5-7で敗れ、銀メダルを獲得した。

全米オープンではディエゴ・シュワルツマン、第19シードスティーブ・ジョンソン、第11シードダビド・フェレール、第8シードドミニク・ティエムに勝利し、ベスト8進出。準々決勝で第3シードスタン・ワウリンカに6-7(5), 6-4, 3-6, 2-6で敗れた。デビスカップ準決勝イギリス戦でマリーに6-4, 5-7, 6-7(5), 6-3, 6-4で勝利し、アルゼンチンの決勝進出に貢献した。10月の上海マスターズでは1回戦でダビド・ゴファンに敗れたが、翌週のストックホルム・オープンでは決勝でジャック・ソックを破り、2年9ヶ月ぶりのツアー優勝を果たす。スイス・インドアでは準々決勝で錦織圭に敗れた。デビスカップ決勝ではクロアチアと対戦。第1試合でイボ・カルロビッチに6-4, 6-7(6), 6-3, 7-5で勝利。第3試合のダブルスでは6-7(2), 6-7(4), 3-6で敗北。あとがなくなった第4試合ではマリン・チリッチに第1,2セットを取られ追い詰められるも、そこから逆転し、6-7(4), 2-6, 7-5, 6-4, 6-3で勝利。運命の第5試合でフェデリコ・デルボニスカルロビッチに勝利し、アルゼンチンはデビスカップ初優勝を果たした。

年間最終ランキングは38位となり、2度目のATPアワード・カムバック賞を受賞した。

2017年 全米ベスト4

全豪オープンは体調不良のため欠場。2月のデルレイビーチ・オープンで復帰し、準決勝まで進出。5月のBNLイタリア国際では、3回戦で第7シード錦織圭をストレートで下し、久々にMSで準々決勝に進出した。準々決勝では第2シードのノバク・ジョコビッチに敗れた。全仏オープンは3回戦で第1シードのマリーに7-6(8), 7-5, 6-0で敗れた。

全米オープンは、4回戦でドミニク・ティームにマッチポイント2本握られながら1-6, 2-6, 6-1, 7-6(1), 6-4で破り、2年連続で準々決勝に進出する。準々決勝、全米では8年ぶりとなる第3シードのロジャー・フェデラーとの対決を7-5, 3-6, 7-6(8), 6-4で制する。しかし準決勝では第1シードのラファエル・ナダルに第1セットを先取するも6-4, 0-6, 3-6, 2-6で敗れた。上海マスターズ3回戦では第3シードのアレクサンダー・ズベレフに3-6, 7-6, 6-4で勝利。しかし準決勝でフェデラーにフルセットの末破れた。翌週のストックホルム・オープンは決勝でグリゴール・ディミトロフに6-4, 6-2で勝利し、大会2連覇とツアー通算20勝を達成。更に次の週のスイス・インドアでは、準決勝で第2シードマリン・チリッチを下し決勝進出。しかし決勝ではまたしてもフェデラーに敗れた。久々の最終戦出場はならなかったが、年最終ランキングを11位にまで戻した。

2018 TOP10復帰

1月のASBクラシックで準優勝し、1月15日付のランキングで2014年8月以来のTOP10復帰を果たした。

プレースタイル

パワフルなサーブ、深いフラットとトップスピンのグランドストロークが武器のアグレッシブ・ベースライナー。彼のフォアハンドショットは160km/hにも達し、両手バックハンドも安定感がある。守備も非常にミスが少なく片手バックハンドスライスも良い。また198cmの長身から平均200km/h・最高236km/hのサーブを放ち、高いトップスピンボールの返球も苦にしない 。

主要大会決勝

グランドスラム決勝

シングルス: 1 (1タイトル)

【結果】
【年】
【大会】
【サーフェス】
【相手】
【スコア】

優勝 | 2009 | 全米オープン | ハード |  ロジャー・フェデラー | 3–6, 7–6, 4–6, 7–6, 6–2

ワールドツアー・ファイナル決勝

シングルス: 1 (1準優勝)

【結果】
【年】
【大会】
【サーフェス】
【相手】
【スコア】

準優勝 | 2009年 | ロンドン | ハード(室内) |  ニコライ・ダビデンコ | 3–6, 4–6

オリンピックメダル

シングルス: 1 (1 銀メダル 1 銅メダル)

【結果】
【年】
【大会】
【サーフェス】
【対戦相手】
【スコア】

3位 | 2012年 |  ロンドン五輪 | 芝 |  ノバク・ジョコビッチ | 7-5, 6–4
準優勝 | 2016年 |  リオデジャネイロ五輪 | ハード |  アンディ・マリー | 5-7, 6-4, 2-6, 5-7

デビスカップ

優勝 (1)

【年】
アルゼンチンチーム 【ラウンド/相手】

2016年 | フアン・マルティン・デル・ポトロ
フェデリコ・デルボニス
ギド・ページャ
レオナルド・マイエル
フアン・モナコ
カルロス・ベルロク
レンソ・オリボ | 1R: ポーランド 2–3 アルゼンチン
QF: イタリア 1–3 アルゼンチン
SF: イギリス 2–3 アルゼンチン
FN: クロアチア 2–3 アルゼンチン

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 30回 (20勝10敗)

大会グレード
グランドスラム (1-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-1)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-3)
オリンピック (0-1)
ATPワールドツアー・500シリーズ (8-3)
ATPワールドツアー・250シリーズ (11–2)
 | 
サー
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/02/24 01:30

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