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フォルクスワーゲンとは?

フォルクスワーゲン
Volkswagen AG


種類
株式会社
【市場情報】
FWB VOW

【略称】
VW
【本社所在地】
ドイツ
ニーダーザクセン州ヴォルフスブルク
【設立】
1937年
業種
輸送用機器
【事業内容】
自動車製造
【代表者】
マティアス・ミュラー
【資本金】
57,539 Million Euro
(2011年12月31日時点)
【発行済株式総数】
205,068,426 株
(2011年12月31日時点)
【売上高】
連結:159,337 Million Euro
(2011年12月期)
【営業利益】
連結:18,926 Million Euro
(2011年12月期)
【純利益】
連結:15,799 Million Euro
(2011年12月期)
【総資産】
連結:253,626 Million Euro
(2011年12月末時点)
【従業員数】
55万人
(2015年7月末時点)
【決算期】
12月末日
【主要子会社】
アウディ
ポルシェ
ランボルギーニ
ベントレー
セアト
ブガッティ
シュコダ
スカニア
ドゥカティ
マン
【関係する人物】
マルティン・ヴィンターコルン(前CEO)
【外部リンク】
Volkswagen Official Site
ヴォルフスブルクの本社工場

フォルクスワーゲン(ドイツ語: Volkswagen AG)は、ドイツニーダーザクセン州ヴォルフスブルクに本社を置く自動車製造会社。傘下であるポルシェをはじめ、傘下の会社を合わせてフォルクスワーゲングループを構成する。

フォルクスワーゲンは1937年設立となっているが、旧フォルクスワーゲン製造会社は第二次世界大戦前にナチス政権の国有企業として設立され、会社としては第二次世界大戦終戦後のイギリス軍管理下で改組されたもので、工場と製品設計のみを継承したかたちとなっている。現在では世界119か所に工場を持つ。商号はドイツ語で「国民車」を意味する。 また、最近は高級SUVトゥアレグや、Fセグメントに属する高級セダンであるフェートンなどを発売し、商号そのものの国民車メーカーから、高級車も手がけるブランドへと変貌を図っている。

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 ヒトラーの国民車計画
    • 1.2 第二次世界大戦時中
    • 1.3 占領下の復興
    • 1.4 躍進
    • 1.5 前輪駆動への移行
    • 1.6 規模拡大
  • 2 戦後賠償
    • 2.1 歓喜力行団積立金
    • 2.2 強制労働
  • 3 年表
  • 4 フォルクスワーゲン・ブランドの車種
    • 4.1 日本正規発売モデル
      • 4.1.1 その他の主なモデル
  • 5 開発・生産
    • 5.1 研究・開発
    • 5.2 生産
  • 6 世界展開
    • 6.1 日本での事業展開
    • 6.2 中国での事業展開
    • 6.3 北米での事業展開
    • 6.4 ブラジルでの事業展開
    • 6.5 イランでの事業展開
  • 7 不祥事
    • 7.1 排出ガス規制不正問題
      • 7.1.1 不正内容
      • 7.1.2 不正の対象車種
      • 7.1.3 不正の影響
      • 7.1.4 不正発覚後の経緯
      • 7.1.5 不正車への対応
    • 7.2 不具合とリコール
    • 7.3 終結にむけて
  • 8 フォルクスワーゲンの日本での呼称
  • 9 株主
  • 10 フォルクスワーゲンとソーセージ
  • 11 関連項目
  • 12 脚注
  • 13 外部リンク

来歴

ヒトラーの国民車計画

1930年代の同社のロゴ

アドルフ・ヒトラーが1934年のベルリンモーターショウで提唱した国民車(フォルクスワーゲン)計画に従い、著名な自動車設計者であるフェルディナント・ポルシェによって、後のフォルクスワーゲン・タイプ1となる、進歩的なメカニズムを備えた流線型のリアエンジン小型車が開発された。1935年に最初の試作車を完成、1938年に発表された。

当初ヒトラーはこの車を「フォルクスワーゲン(国民車)」と称していたが、最終的に1938年に、「KdF-Wagen(歓喜力行団の車、KdF車)」と命名した。歓喜力行団とは、ドイツ労働戦線の一部局で労働者の余暇活動を活性化させる組織を指し、文字通り「ナチス政権下の国民車」としての意義を強調するものであった。

生産のために1937年5月28日フォルクスワーゲン準備会社(Gesellschaft zur Vorbereitung des Deutschen Volkswagens GmbH )が創立され、1938年9月16日フォルクスワーゲン製造会社(Volkswagenwerk GmbH )と名称変更。この国民車の大量生産を期し、歓喜力行団の車を生産するための街 (Stadt des KdF-Wagens、KdF車市 )も建設された。

しかし1939年9月に第二次世界大戦が始まるとフォルクスワーゲン製造会社は軍需生産に移行し、歓喜力行団の車をベースにしたキューベルワーゲン等の軍用車両を生産する。民需のKdF車は生産されず、歓喜力行団へ積立金を支払っていた購入希望者への納車はされなかった。

第二次世界大戦時中

第二次世界大戦時中のフォルクスワーゲン製造会社の生産ラインには、ポーランド、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、イスラエル、オランダ、フランス、オーストリアなど、ドイツが占領した近隣諸国からの約2万人の強制労働者や戦争捕虜、のちにはアウシュヴィッツ収容所の収容者が送り込まれ、過酷な労働を強いられ死に至る者もいた。

設計者のフェルディナント・ポルシェキューベルワーゲンシュビムワーゲン以外にティーガーI戦車を含めた軍用車輌開発に従事していた。そのような情勢でフォルクスワーゲン計画は立ち消えたかたちになった。

占領下の復興

スプリットウインドウ時代のタイプ1(1949年)

第二次世界大戦の欧州戦がドイツの降伏によって終結すると、ドイツ全土は連合軍の占領下におかれた。KdF車工場はソ連に接収され、やがて撤去されようとしていたが、重要性に気づいたイギリス軍が最終的に管理下においた。工場所在地の「KdF車市」という地名も、近くにある城の名前に因んでヴォルフスブルクと改名された。

フォルクスワーゲンの工場管理者として、イギリス陸軍のアイヴァン・ハースト少佐(Ivan Hirst、1916年-2000年)が就任した。ハーストはKdF車の将来性と、ドイツ人労働者の高い資質を見抜き、リーダーシップを取って、戦禍によって廃墟同然となった工場を復興させた。その結果、1945年中にはフォルクスワーゲン社が改組され、KdF車も「フォルクスワーゲン・タイプ1」に車名を変更して生産を再開した。ハーストは品質管理や販売網・サービス網整備にまで意を払い、フォルクスワーゲンの礎を築いた。1947年からはオランダを皮切りに輸出も開始している。

1948年1月、戦前にドイツ最大の自動車メーカー・オペルの幹部であったハインリヒ・ノルトホフが、ハーストの後を受けて経営に携わるフォルクスワーゲン社長に任命された。就任にあたり、ノルトホフは工場の労働者に、「未来は過去と決別するときに始まる」と自身の信念を語っている。以降、ノルトホフに率いられたフォルクスワーゲン社は「タイプ1」を中心に、戦後の社業を拡大して行くことになった。

フォルクスワーゲン車は、戦後のアメリカ、イギリスの主要自動車メーカーからも調査の対象となったが、その進歩性・合理性を、保守的なデトロイトや英国の技術者たちは理解できなかった。英国メーカー各社の調査団は検討の結果「評価に値しない車」としてこれを看過した。フォードのトップであったヘンリー・フォード2世は、1948年末の連合国側関係者による検討会議で「フォルクスワーゲンは無価値と判断する」旨発言してこれを放擲する意見を表明し、連合国関係者はフォード2世の意見に同意した。このため、他国に設計・設備を収奪されるような事態に至らず、フォルクスワーゲンはドイツの民族系企業として存続が可能となった。

躍進

主力モデルのタイプ1は、その耐久性と経済性、そして優れたアフターサービス体制で世界の市場から支持を得、「ビートル」の愛称で広く親しまれた。タイプ1はアメリカをはじめ全世界に大量輸出され、貴重な外貨を獲得して西ドイツの戦後復興に貢献した。2003年のメキシコ工場における生産終了時点までに生産された台数は2,152万台以上に上り、モデルチェンジなしでの四輪自動車1車種としては未曾有の量産記録となっている。

タイプ1の設計をベースとして1950年に発表したキャブオーバー・ワンボックス車の「タイプ2」も、貨客搭載力と乗り心地を両立させた優秀な汎用車として人気を博した。

また、1953年には南アメリカ最大の経済規模を持ち、またドイツ系移民も多いブラジルに進出し、現地法人である「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」を設立した。その後タイプ1やタイプ2の現地生産や、独自モデルの開発、生産も行うとともに、南アメリカ各国やヨーロッパ、アフリカなど世界各国への輸出も行い、現在では世界最大の現地法人になった。

1960年までは西ドイツ政府の国営であったが、民営化にあたり「フォルクスワーゲン法」という特別な法律が制定された。この法律により、投資家はどんなに株を買っても議決権の20%までしか保有できないようになっていたほか、筆頭株主がニーダーザクセン州であったなど、通常の一般企業とは異なる面をもっていた。

1965年には、従来ダイムラー・ベンツ傘下にあり、今日のアウディAGの前身である大手自動車メーカーのアウトウニオンを生産体制と技術力強化のために買収した。

前輪駆動への移行

ゴルフ 1

1960年代には、タイプ1のもつ空冷リアエンジン方式というレイアウトは既に陳腐化しており、フォルクスワーゲンは、傘下としたアウトウニオンの前輪駆動技術をも応用して、1970年以降の新型車について前輪駆動化への動きを進めた。

1974年に至り、スペース効率に優れた前輪駆動のハッチバック車「ゴルフ」を開発し、その機能性が市場に受け容れられてベストセラーとなり、タイプ1シリーズはドイツ本国での生産を1978年に終了した。以来、ゴルフの延長線上に各種の機能的な小型車を多数送り出し、フォルクスワーゲンはヨーロッパを代表する大衆車メーカーとしての地位を確立した。

規模拡大

1980年代以降は、それ以前の南米などへの工場展開のみならず、既存メーカーの買収をも進めるようになっている。1984年には、上海汽車との提携で中華人民共和国市場へ参入。また1991年にはチェコの老舗メーカーであるシュコダ、1996年にはかつてフィアット系だったスペインセアトを傘下に入れ、東欧・南欧での拠点をも確保した。さらにその後ベントレーブガッティランボルギーニなどの高級車ブランドも傘下に入れている。

2007年、欧州委員会はフォルクスワーゲン法が欧州連合の法令に違反していると指摘し、ドイツは法令廃止を余儀なくされた。安定株主を確保する必要に迫られたフォルクスワーゲン社は、歴史的に繋がりが深く業務提携関係にあるポルシェに株式提携を要請。紆余曲折の末、フォルクスワーゲンとポルシェが経営統合することとなる。

戦後賠償

歓喜力行団積立金

第二次世界大戦前に、フォルクスワーゲンを購入するために多くのドイツ人労働者が余暇活動組織「歓喜力行団」を通じてフォルクスワーゲンに積立金を支払っていたが、民需生産の中止により実際の納車はなされなかった。この為1960年代に多くの訴訟が西ドイツで起こり、その結果フォルクスワーゲンは被害者に対して積立額に応じた損害金を支払うことになった。ただ支払い対象となったのは当時西ドイツに在住して申し出た被害者のみであり、東ドイツの住人は除外された。

強制労働

ナチ党がドイツを動かしていた頃、フォルクスワーゲンだけでなくシーメンスダイムラーなどの会社は、ユダヤ人ロシア人などの多くの人々を奴隷的に強制労働させたと言われている。 弁護士らはそれらの会社が使った強制労働の数は200万人以上であると考えている。

1998年には戦前や戦時中のフォルクスワーゲン製造会社に関連する戦争補償プログラムをはじめた。また2011年7月に、フォルクスワーゲンは強制労働の過去を償うための基金の設立を発表した。だが2011年10月、弁護士らはその基金では不十分だとして、フォルクスワーゲンやダイムラーなどが強制労働の被害者から訴えられた。

年表

ARVW (1980年)

フォルクスワーゲン・ブランドの車種

日本正規発売モデル

フォルクスワーゲングループ・ジャパンが総輸入元となり、日本の販売ディーラーにはフォルクスワーゲングループ・ジャパンが展開している「Volkswagen」店と旧ジヤクス系の「ファーレン」店、2009年まで販売提携を結んでいたトヨタ自動車のディーラーが手がけている「DUO」店がある。取り扱い車種に違いはない。

その他の主なモデル

歴史的な車種を含む、主な車種を列挙する。

開発・生産

研究・開発

グループの研究・開発の中心はヴォルフスブルクにあり、すべてのブランドに対して行なっている。国際的に技術・市場調査も行っており、米国カリフォルニア州の研究所(Electronic Research LabおよびFuel Cell Development Lab)、日本の東京事務所、中国の北京事務所(Vokswagen Group Research in China)を持っている。

生産

ドイツで販売のおもなモデルは、欧州のみならず中南米アフリカのフォルクスワーゲン工場から調達していることが分る。
乗用車:

出典:wikipedia
2019/10/22 18:51

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