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フジテレビジョンとは?
【種類】
株式会社
【市場情報】
非上場
【略称】
フジ、CX
【本社所在地】
日本
〒137-8088
東京都港区台場2丁目4番8号
【設立】
2008年10月1日
(新設分割のため、創業は1957年11月18日)
【業種】
情報・通信業
【法人番号】
5010401078381
【事業内容】
放送法に基づくテレビジョン放送
【代表者】
代表取締役会長兼CEO 宮内正喜
代表取締役社長兼COO 遠藤龍之介
【資本金】
88億円(2020年3月31日現在)
【発行済株式総数】
2,000株
(2020年6月27日効力発生)
【売上高】
2555億2300万円(2019年度)
【営業利益】
71億6000万円(2019年度)
【経常利益】
74億1400万円(2019年度)
【純利益】
155億400万円(2019年度)
【純資産】
1829億7800万円
(2020年3月31日現在)
【総資産】
2519億500万円
(2020年3月31日現在)
【従業員数】
1,314名
(2020年3月31日現在)
【決算期】
3月31日
【主要株主】
株式会社
フジ・メディア・ホールディングス
100%
【外部リンク】
https://www.fujitv.co.jp/index.html
特記事項:旧法人(株式会社富士テレビジョン)の設立は、1957年11月18日。
FCGビル設計、丹下健三・都市・建築研究所
【フジテレビジョン】
フジテレビ
【英名】
Fuji Television Network, Inc.
東京都港区台場
2丁目4番8号
北緯35度37分36.04秒
東経139度46分27.47秒座標: 北緯35度37分36.04秒 東経139度46分27.47秒
【演奏所】
#スタジオを参照
【リモコンキーID】
8
デジタル親局
|
東京 21ch
アナログ親局
|
東京 8ch
【ガイドチャンネル】
8ch
【主なデジタル中継局】
主な中継局 (デジタル)参照
【主なアナログ中継局】
主な中継局 (アナログ)参照
【公式サイト】
https://www.fujitv.co.jp/index.html
特記事項:
開局は在京キー局としては4番目で、MBSテレビ(大阪・JOOR-TV)、九州朝日放送(福岡・JOIF-TV)と同日。
また、大東諸島も、アナログ時代は放送区域に含まれていた。
2008年10月1日、フジ・メディア・ホールディングスからテレビジョン放送免許を承継。
フジテレビ
|
【お台場のテレビ局フジテレビ】
【基本情報】
【略称(愛称)】
CX、フジ
【運営(番組供給)事業者】
株式会社
フジテレビジョン
【ジャンル】
地デジ難視対策
衛星放送
【放送内容】
地上デジタル放送
のサイマル放送
(マルチ編成の場合は主番組のみ)
【衛星基幹放送(BSデジタル放送)】
【放送事業者】
社団法人
デジタル放送
推進協会
【チャンネル番号】
Ch.298
【物理チャンネル】
BS-17ch
【放送開始】
2010年3月11日
【放送終了】
2015年3月31日終了
【公式サイト】
特記事項:
地デジ難視対策衛星放送対象リスト(ホワイトリスト)に掲載された地区のみ視聴可能。
株式会社フジテレビジョン(フジテレビジョン、英: Fuji Television Network, Inc.)は、フジ・メディア・ホールディングスの連結子会社で、関東広域圏を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行う特定地上基幹放送事業者。
略称は、開局から現在に至るまで正式に定められたことがなく、後述の通りコールサイン「JOCX-DTV」(東京 21ch)から一般的に用いられるCX(シーエックス)。通称はフジテレビ、フジ。
FNNフジニュースネットワーク、FNSフジネットワーク(フジテレビ系列)のキー局である。
リモコンキーIDは「8」。
産経新聞社、ニッポン放送などにより構成されるフジサンケイグループの一員である。
概要
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2008年10月1日に株式会社フジテレビジョン(旧会社)は、株式会社フジ・メディア・ホールディングスに商号変更、テレビジョン放送関連事業を同日設立した新会社たる「株式会社フジテレビジョン」(現行会社)に事業譲渡および放送免許を承継し、純粋持株会社また、認定放送持株会社となった。
旧会社はフジサンケイグループの中核企業であり、資本関係上もグループの統括会社となっていたが、現行会社はフジテレビグループの中核企業として産経新聞グループやニッポン放送グループなどとともにフジサンケイグループを構成している。
本項目では2008年9月30日までの旧会社、および2008年10月1日以降の現行会社について述べる。
各地域の系列局28社で、番組の供給・ネットを目的とするフジネットワーク (FNS:Fuji Network System) と、ニュース素材の供給・ネットを目的とするフジニュースネットワーク (FNN:Fuji News Network) を組織している。
地上波放送の他にスカパー!プレミアムサービス(東経124・128度CS放送)、および衛星基幹放送事業者であるサテライト・サービスを通じてスカパー!(旧・スカパー!e2)(東経110度CS放送)で、フジテレビONE・フジテレビTWO・フジテレビNEXTの3つのチャンネル(フジテレビワンツーネクスト)を放送していて、一部のケーブルテレビ事業者へもこれらのチャンネルの供給を行っている。
FNN(ニュース)の取材対象地域には、青森県・山梨県が含まれる。
略称は開局当初、「FTV」が用いられた。しかし正式な略称として定めておらず、後に開局した系列局の福島テレビが「FTV」を正式な略称として使用するようになった。以後、コールサインから「CX」の略称が用いられている。これも正式な略称として定められたものではないが、放送業界ではコールサイン由来の略称はよくあるために、次第に自身もその略称を頻用するようになり、現在に至る。なお、フジテレビジョンの略称として用いられているCXは、オーストラリア領クリスマス島のISO 3166-1コード(地方区分コード ISO_3166-2:CXを含む)や、香港のワンワールド加盟航空会社であるキャセイパシフィック航空のIATA航空会社コードと同じであるが、両者とは無関係である。
社名の由来は諸説あるが、開局にあたり創業者の1人で当時専務取締役だった鹿内信隆が、「庶民に愛されなくてはならない。ポピュラーなものでなくてはならない。日本でポピュラーと言えば、桜と富士だから、仮に富士テレビでどうだろうか」と提案の上で、社名を当初予定していた「(仮称)中央テレビジョン」から「富士テレビジョン」に改めた。しかし、漢字の「富士」は画数が多く、「フジテレビジョン」に変更された。
沿革
- 1957年11月18日 - 文化放送とニッポン放送を主体とし、東宝、松竹、大映の映画会社各社が参加して、株式会社富士テレビジョン設立(「富士テレビ」に決定される前は「中央テレビジョン」で仮決定されていた)。
- 1958年12月 - 商号を株式会社フジテレビジョンに変更。
- 1959年
- 1月9日 - 本免許を受ける。
- 2月8日 - 試験放送を始める。
- 3月1日 - 午前9時20分から地上アナログテレビジョン放送の本放送を東京都で4番目のテレビ局として開始(JOCX-TV/東京8ch)。最初の番組は『開局に際して』(水野成夫社長の挨拶)。開局は大阪・MBSテレビ(JOOR-TV/大阪4ch)と福岡・九州朝日放送(KBC・JOIF-TV/福岡1ch)と同日。関西地区においては、関西テレビ(KTV)とMBSテレビとのネットワーク関係を結ぶが、翌年関西テレビに1本化する。
- 6月1日 - 東名阪福の基幹4局(フジテレビ・東海テレビ(THK)・関西テレビ・九州朝日放送)でネットワーク協力体制に調印する。これが後のフジネットワーク(FNS)の基礎となる。
- 1960年1月17日 - 本局の送信出力を映像50kW、音声12.5kWに増力する。
- 1964年
- 9月3日 - 東京オリンピックの開催を控え、カラー試験放送を開始(東京地区では3番目)。最初の番組は『僕は見たんだ』で、午前10時半からの30分番組。
- 9月7日 - カラー本放送を開始する。カラー本放送番組第1弾はイギリスの特撮人形劇『海底大戦争 スティングレイ』。
- 10月1日 - 福岡地区のネット局が九州朝日放送からテレビ西日本(TNC)に変更され、フジテレビ・東海テレビ・関西テレビ・テレビ西日本の4社によるネットワーク協力体制が確立する。
- 1966年10月3日 - フジニュースネットワーク(FNN)発足。
- 1967年2月11日 - 自社制作に於いて初のカラーカメラ実写・カラーVTR使用による番組が放送される。第1弾は、クイズ番組『ズバリ!当てましょう』で、同番組カラー放送第1回にちなんで、『カラーで当てましょう』という題が付けられた。
- 1969年
- 10月1日 - フジネットワーク(FNS)発足。
- タワースタジオ完成。
- 1971年 - 制作局を廃止させ、系列子会社化(「フジポニー」、「フジ制作」、「ワイドプロ」など)。報道・スポーツ・生番組以外の番組の制作を委託する(1980年の機構改革で「制作局」を再発足、自社制作を復活させるまで系列子会社の再編をしながら続く)。
- 1973年『キンカン素人民謡名人戦』を最後に、自主制作番組がすべてカラー放送になる。
- 1978年10月2日 - 音声多重放送実用化試験開始。東京では日本テレビ、NHK(日本放送協会)に次いで3局目。第1弾は、同日午後5時からのアメリカテレビ映画『コンバット!』の2か国語放送。ステレオ第1弾は、同日午後7時から放送された神宮球場からのヤクルト対巨人戦のステレオ放送。
- 1984年
- フジサンケイグループ議長・鹿内春雄が将来の衛星放送事業(現在のBSフジやフジテレビワンツーネクストなど)参画による業務拡大に伴い、局舎面積拡大の必要性を訴え、新宿区河田町から当時はまだ更地であった台場への社屋移転構想を発表する(#お台場移転の経緯を参照)。
- 1985年12月8日 - 文字多重放送本放送開始。
- 1986年4月1日 - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、現在の「目玉マーク」のロゴ・マークに変更。
- 1987年
- 1988年 - 開局30周年を記念してオリエント急行を日本で走らせる(日立製作所・東日本旅客鉄道(JR東日本)との共同企画。オリエント・エクスプレス '88)。
- 1989年8月24日 - 第1世代クリアビジョン放送開始。そして、民放では初めて、ソニー製の1インチ非圧縮デジタルハイビジョンVTR DVH-1000が導入される。
- 1990年11月 - ハイビジョン試験放送開始。
- 1993年
- 3月31日 - 山形テレビがフジネットワークを離脱(翌日4月1日からテレビ朝日系にネットチェンジ)。
- 5月 - 新本社・演奏所となるFCGビルが着工。
- 1994年
- 1995年
- 1996年8月 - 東京都港区台場のFCGビルが完成。河田町からの移転作業が部署別に順次開始される。
- 1997年
- 3月10日 - 台場のFCGビルへの本社・演奏所機能の移転が完了。本社事業所所在地変更(東京都港区台場2丁目4番8号)。
- 3月15日 - 旧河田町本社ビルの解体作業開始(翌年3月31日に完了、跡地は河田町ガーデンとなった)。
- 8月8日 - 東京証券取引所市場第1部に株式を上場。
- 1998年
- 1999年4月1日 - CSチャンネル「フジテレビ739」(現・フジテレビONE)放送を開始。
- 2000年12月1日 - 午前11時、系列のBSデジタル放送「BSフジ」(デジタルBS8Ch)開始。
- 2003年12月1日 - 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-DTV/東京21ch)。
- 2005年
- 2006年
- 1月22日 - ライブドアが証券取引法違反で1月18日に家宅捜索される。
- 3月15日 - ポッドキャスティング「フジポッド」の配信開始。
- 3月16日 - 日枝会長が記者会見を行いUSENの宇野康秀社長にフジテレビが所有するライブドア持株を95億円で全株譲渡しUSENとの業務提携を発表。同時にライブドアとの提携解消とライブドア・ショックにより受けたフジテレビの損害総額345億円の賠償請求を行うことを決定した。
- 4月1日
- 地上デジタルテレビジョンワンセグの本放送を開始。
- ニッポン放送からアナウンサーを含む47人がフジテレビに転籍。
- 4月3日 - 事業持株会社化し、フジサンケイグループの統括会社になる。これとともに株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧・ニッポン放送、これまでのラジオ放送事業・中波放送局免許は「株式会社ニッポン放送」を新設し、同社に承継)を吸収合併し、ニッポン放送保有のフジテレビ株式は吸収後消却され、ポニーキャニオン、ディノス等ニッポン放送傘下の企業がフジテレビ傘下に移動。
- 2007年
- 3月26日 - ライブドアに対する345億円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に提起したと発表した。
- 3月29日 - ポニーキャニオンと扶桑社の発行済み全株式を取得し、完全子会社化。同時にBSフジへの出資比率を上げる。
- 9月1日 - ハイビジョンでの報道取材を開始する(スポーツ報道の一部は以前からハイビジョン化されている)。
- 9月14日 - 東京都江東区青海の臨海副都心に建設した「フジテレビ湾岸スタジオ」の運用を開始。
- 2008年
- 4月1日 - CSチャンネル「フジテレビCSHD」(現・フジテレビNEXT)放送を開始。在京民放キー局主体で初のCS放送によるハイビジョン放送である。
- 9月4日 -総務大臣から、放送法に基づく放送持株会社の認定を取得し、また新設会社(2008年10月1日設立)へのテレビジョン放送免許の承継が許可された。
- 10月1日 - 株式会社フジテレビジョンが「株式会社フジ・メディア・ホールディングス」に商号変更、認定放送持株会社に移行、同時に地上波放送関連事業を分社新設分割方式による事業子会社「株式会社フジテレビジョン」(新設会社)に放送免許共々承継。社名ロゴマークは変更せず新設会社がそのまま承継した。
- 12月1日 - ファイル配信に対応した地上波(アナログ・デジタル)・BS波(BSフジ)・CS波(フジテレビワンツーネクスト)の統合型デジタルマスター設備(東芝製)が稼動。同時に地上デジタルテレビジョン放送のサブチャンネル番号「083」の運用開始。3分割放送が物理上可能となる。マスター切換は3段階に分けて行われ、第1段階は地上波、第2段階は2009年4月にCS放送(フジテレビワンツーネクスト)、第3段階は2009年10月にBS放送(BSフジ)の順で切換を行った。
- 2010年
- 3月11日 - BSセーフティーネットに基づく地上デジタル放送難視聴地域向け補完放送を期間限定で開局。チャンネルはBS298
- 4月23日 - CS放送のフジテレビNEXTにて、同局初の3Dハイビジョンによる番組『アリス3D』を放送(同局の音組による制作)。この際、この番組の冠スポンサーであるパナソニックによる日本初の3DハイビジョンCM(プロゴルファーの石川遼選手が出演)も放送された。
- 7月5日 - NHKと民放連の申し合わせにより、地上アナログ放送における全番組が、地上デジタル放送への完全移行を前提にレターボックス放送(画角サイズ16:9)に移行。
- 2011年
- 6月30日 - 沖縄県大東諸島のデジタル放送中継局開局(同7月1日試験放送・7月23日正式開局)に伴い大東諸島の中継局からの放送も同時に終了し、デジタル放送用に本来の沖縄県の系列局である沖縄テレビ放送の中継局が開局する。
- 7月24日 - 開局以来52年にわたる地上アナログ放送終了。
- 10月31日 - 生放送の報道・情報番組がすべてステレオ放送化された。
- 2012年
- 2013年5月31日 - 午前9時 東京スカイツリーからの送信開始
- 2015年
- 3月31日 - 正午にてBSセーフティーネットによる地デジ補完放送終了
- 4月1日 - 移動受信用地上基幹放送としてモバキャスによるフジテレビONE・フジテレビTWO放送開始
- 2016年6月30日 - モバキャス終了に伴いモバキャスによるフジテレビONE・フジテレビTWO放送終了
- 2017年3月17日 - 「お台場エリア放送」廃止
- 2019年6月10日 - 地上波(デジタル)・BS波(BSフジ)・CS波(フジテレビワンツーネクスト)の3波統合型マスター設備(東芝製)が稼働・更新。同時に、番組素材のデータを、これまでのVTR納入から「総合コンテンツ管理システム」に基づくクラウド上のネットワーク送信に対応。マスター設備は、6月10日朝の地上波を皮切りに、10月にBS波、2020年2月にはCS波にて稼働開始。
社史・記念誌
フジテレビジョンでは以下9冊の発行している(2020年10月時点)。
-
フジテレビジョン十年史稿(フジテレビジョン・編)1970年発行、314ページ。
-
フジテレビジョン15年の歩み(フジテレビ広報部・編)1974年発行、88ページ。
-
開局からの歩み フジテレビ社史年表 昭和34年〜昭和60年(フジテレビ総務部・編)1986年3月発行、204ページ。
-
開局からの歩み フジテレビ社史年表 昭和34年〜平成2年(フジテレビ総務部・編)1991年2月発行、253ページ。
-
タイムテーブルからみたフジテレビ35年史(フジテレビジョン編成局調査部・編)1994年5月発行、150ページ。
-
タイムテーブルからみたフジテレビ40年史(フジテレビジョン編成局調査部・編)1999年7月発行、174ページ。
-
タイムテーブルからみたフジテレビ50年史(フジテレビジョン編成制作局知財情報センター調査部・編)2009年4月発行、218ページ。
-
フジテレビジョン開局50年史 1959 - 2009(昭和34年~平成21年)(フジ・メディアホールディングス・編)2009年8月発行、2冊・data bookとも。
-
タイムテーブルからみたフジテレビ60年史(フジテレビ編成局編成センター編成メディア推進室マーケティングリサーチ部・編)2019年3月発行、262ページ。
歴史
フジテレビの旧ロゴ
(1959年-1986年)
旧有楽町本社(1961年頃)。ニッポン放送の本社に間借りしていた。
河田町時代の本社跡地は、
URに土地を売却の上で高級
タワーマンションになっている(河田町コンフォガーデン)。第一別館は2009年までフジテレビが新宿支局として使っていた。
1950年代
- 1957年6月、郵政省が「テレビジョン放送用周波数割当計画表」を発表、京浜地区に新たに3波が割り当てられた。この3波のうち、1波はNHK教育テレビに決定し、残り2波は民放総合局と民放教育専門局に分けた。そのうち、特に総合局の免許獲得競争が特に激しく、中央テレビジョン、アジアテレビジョン、芸術テレビジョン、東洋テレビジョン放送など各社が申請した。このうち、すでに民放ラジオ局としての経営実績を積み上げた文化放送とニッポン放送の連携を軸に、東宝、松竹、大映等の映画各社も加え、免許申請の1本化が進んだ。翌7月に予備免許が交付された。その後、事業体として同年11月、東京都千代田区有楽町1丁目7番地(現在の有楽町1丁目9番3号)の糖業会館に資本金6億円で「株式会社富士テレビジョン」として設立(翌年12月に現在の商号に変更 ニッポン放送本社と同居)。
- 1959年1月に東京都新宿区市谷河田町7番地(現在の新宿区河田町3番1号)に本社ビルを完成させ(本社所在地の変更は1962年)、同年3月1日に東京で3番目(総合局と教育局の区分による都合上で3番目とされているが、総合局と教育局の区分を問わなければ4番目となっている)のテレビ局として放送を開始した(放送開始当時は映像出力10kW、音声出力2.5kW。1960年1月17日に空中線電力を50kWに増力した)。
- チャンネルは当初「1」を希望していたが、NHK教育テレビ→NHK総合テレビが獲得。日本テレビが「4」、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)が「6」を取得していたため、第8チャンネルとなった。開局から1986年3月31日までのシンボルマークはチャンネルナンバー「8」を図案化したもの(関西テレビや沖縄テレビとは多少異なる)。ロゴタイプ(ロゴ)は産経新聞(当時はサンケイ)やニッポン放送の旧書体に似た旧フジサンケイグループ標準書体(亀倉雄策の作)だった。
- 8チャンネルを取得したものの日本の黎明期のテレビ受像機は1956年頃までは6チャンネル・チューナーが一般的であったため、新たに開局した8チャンネルのフジテレビを視聴するためには12チャンネル・チューナのテレビ受像機に買い替えるかチューナの増設が必要であった。
- 1959年3月1日の開局では、9時20分に最初の番組『開局に際して』(初代社長水野成夫による挨拶)が放映。続いて、開局までの模様を映した記録映画『フジテレビの誕生』が放映された。この日の夜には『スター千一夜』が放映開始。当時の映画会社が締結した「五社協定」により、映画スターのテレビ出演が難しい時代であったが、“芸能番組への出演”という形でなく、時事に絡めた社会の話題として取り上げることにより出演を取り付けるという画期的な方法を採った。
- 1959年6月17日、渡辺プロダクションの制作指揮による音楽番組『ザ・ヒットパレード』が放映開始。
1960年代
- 1963年1月1日には、日本初の国産テレビアニメ『鉄腕アトム』が放映開始。さらに1965年10月6日には、日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』の放映を開始。
- 1964年1月2日、正月恒例の『新春かくし芸大会』が放映開始。翌1965年からは司会者に高橋圭三を迎えて規模も年々拡大、年末年始の風物詩的番組として2010年まで続いた。
- 1964年8月31日、音楽番組『シオノギMUSIC FAIR』が放映開始。2020年現在、放映期間は日本でレギュラー放送されている週間番組の中で、最長である。
- 1967年2月11日、『ズバリ!当てましょう』で自社制作の実写番組では初のカラー放送を実施。
- 1969年、フジテレビ労組で女子社員の25歳定年制の撤廃が議論される。同制度に抗議して、全女子社員が赤いバラを胸に付けて抗議活動をした。同年、東京都地労委にあっせん申請。
河田町社屋のタワービルは1969年完成である。
1970年代
- 1970年代は、アニメ・子供向け番組などでは注目されたものの、全般としては、特に現代ドラマにおいて、裏番組の影響により、視聴率が低迷し、迷走を極めていた。
- 1974年、大型音楽番組『FNS歌謡祭』が放送開始。当初は、コンテスト形式で年2回放送されていたが、1986年からコンサート形式へリニューアルして以後、毎年冬(年末)に放送されている。
- 1976年、『
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