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フランクフルト・アム・マインとは?

紋章 地図
 | 
基本情報
連邦州: | ヘッセン州
行政管区: | ダルムシュタット行政管区
郡: | 郡独立市
緯度経度: | 北緯50度06分
東経08度40分

標高: | 海抜 112 m
面積: | 248.31 km2
人口: | 

753,056人(2018年12月31日現在)


人口密度: | 3,033 人/km2
郵便番号: | 60308 - 60599, 65929 - 65936
市外局番: | 069, 06101, 06109
ナンバープレート: | F
自治体コード: | 06 4 12 000
行政庁舎の住所: | Römerberg 23
60311 Frankfurt am Main
ウェブサイト: | www.frankfurt.de
首長: | ペーター・フェルトマン (Peter Feldmann)
州内の位置

地図

「マインハッタン」とも呼ばれるフランクフルト・アム・マインのスカイライン

フランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州に属す郡独立市である。一般にフランクフルトと通称される。人口 72万人を超えるヘッセン州最大の都市(2016年現在)であり、ドイツ全体でもベルリンハンブルクミュンヘンケルンに次ぐ第5の都市である。

中世以来、フランクフルトはドイツの中心都市の一つであった。794年には初めて文献に記録され、中世盛期の帝国自由都市であった。13世紀のライン都市同盟に参加している。

1806年まで神聖ローマ皇帝の選挙が行われる諸侯会議が開催された地であり、1562年以降は皇帝の戴冠式もこの都市で挙行された。1816年からドイツ連邦の議会がフランクフルト自由都市で開催され、1848年から49年にかけてはフランクフルト国民議会が開催された。1866年の普墺戦争により都市国家としての独立を喪失し、プロイセンに併合された。フランクフルトの人口は、1875年に10万人、1928年には50万人を超えた。

現在のフランクフルトは国際金融の中心地であり、工業や産業の中心でもある。経済的側面から世界都市の一つに数えられており、欧州中央銀行ドイツ連邦銀行フランクフルト証券取引所ドイツ銀行コメルツ銀行ドイツ復興金融公庫DZ銀行ヘッセン=テューリンゲン州立銀行(ヘラバ)の本社がある。ここに挙げきれない金融機関も多数存在する。

工業・産業・交通の要衝でもある。メッセ・フランクフルトは、世界最大の見本市会場の一つである。フランクフルト空港は世界最大級のハブ空港であり、鉄道についてもヨーロッパ最大級のターミナル駅であるフランクフルト中央駅がある。また、道路においてもフランクフルト・ジャンクションはドイツで最も自動車交通量が多いジャンクションの1つである。フランクフルトの DE-CIX は、データ転送量において世界最大のインターネット中継点である。

目次

  • 1 地名
  • 2 地理
    • 2.1 位置
    • 2.2 隣接する郡と市町村
    • 2.3 地質学
    • 2.4 気候
    • 2.5 市の構成
    • 2.6 市町村合併
  • 3 街の景観
    • 3.1 旧市街アルトシュタットと街の中心イネンシュタット
    • 3.2 古典主義・ドイツ産業革命期(グリュンダーツァイト)地区
    • 3.3 ヘーヒストと周辺市区
    • 3.4 緑地帯
  • 4 歴史
    • 4.1 人口推移
  • 5 宗教
  • 6 行政
    • 6.1 議会
    • 6.2 紋章
    • 6.3 姉妹都市
    • 6.4 市の財政
  • 7 経済と社会資本
    • 7.1 労働
    • 7.2 生活
    • 7.3 犯罪
    • 7.4 地元企業
      • 7.4.1 金融業
      • 7.4.2 建築・不動産業
      • 7.4.3 小売業
      • 7.4.4 自動車製造業
      • 7.4.5 ITおよびテレコミュニケーション産業
      • 7.4.6 業界団体、規制委員会
      • 7.4.7 労働組合
    • 7.5 見本市
    • 7.6 新たな経済発展
    • 7.7 購買力
    • 7.8 観光業
    • 7.9 交通
      • 7.9.1 空港
      • 7.9.2 道路
      • 7.9.3 鉄道
      • 7.9.4 公共近距離交通
      • 7.9.5 内陸水運
      • 7.9.6 自転車道
    • 7.10 電子的コミュニケーション
    • 7.11 病院
    • 7.12 下水道
    • 7.13 国の施設と組織
    • 7.14 メディア
      • 7.14.1 新聞、その他の印刷メディア
      • 7.14.2 ラジオ、映画、テレビ
    • 7.15 教育と研究
  • 8 文化と見所
    • 8.1 賞、栄誉
    • 8.2 見所
      • 8.2.1 アルトシュタット
      • 8.2.2 マイン川沿い、マイン川の橋
      • 8.2.3 ザ・スクワイア
      • 8.2.4 摩天楼
      • 8.2.5 ザクセンハウゼン
      • 8.2.6 中央駅とバーンホーフスフィアテル
    • 8.3 博物館とギャラリー
    • 8.4 オペラ、コンサート、ステージ
    • 8.5 音楽団体・音楽家
    • 8.6 フランクフルト書籍見本市
    • 8.7 ナイトライフ
    • 8.8 スポーツ
    • 8.9 ヤーコプスヴェーク
    • 8.10 年中行事
    • 8.11 郷土料理・食材
    • 8.12 フランクフルトの名前を持つもの
    • 8.13 その他
  • 9 人物
  • 10 参考文献
    • 10.1 歴史
    • 10.2 建造物
    • 10.3 その他
  • 11 引用、参考
  • 12 関連項目
  • 13 外部リンク

地名

フランクフルトの伝説

ドームヒューゲルの入植地の名前は、794年に初めて文献に記録された際、Franconofurd, または Francorum vadus古高ドイツ語およびラテン語で記述されている。どちらもフランク人の徒渉地を意味する。おそらく、現在のアルテ・ブリュッケのやや上流側の川底に岩があり浅瀬になっていたために、通常の水位の状態であれば、現在よりはかなり川幅があったと思われるマイン川を歩いて渡ることができた。この徒渉地は、ローマ時代になると戦略的意味はなかったが、マインツからゲルマニア領内を通る街道は、マイン川河口域の湿地を迂回してドームヒューゲルを通っていた。

ローマ人が撤退した後、260年頃にドームヒューゲルはアレマン人に占領された。530年頃フランク人がアレマン人に替わってマイン川下流域の覇権を掌握した。おそらく新しい領主は、この徒渉地を重要な交易路として利用した。このため、交易相手はこの徒渉地を「フランケンフルト」と呼んだ。

年代記作者のティートマール・フォン・メルゼブルクは、1014年から1017年に、カール大帝によるこの街の創設に関する現在まで知られている伝説を記述している。それは、ザクセン戦争と関連している。

「信頼できる人々から聞いたことを今から私が物語ろう。ピピン王の王子カール大帝の治世に、あなたがたの先祖と我々の祖先(ザクセン人)との間で戦争が起こった。この戦いでフランク人は我々の祖先によって打ち負かされた。彼らが不案内な徒渉地を通ってマイン川を渡らねばならなくなった時、彼らの前を一頭の雌シカが川を渡り、神の温情をもって渡るべき道を示した。彼らはシカに続いて川を渡り、陽気な気分で安全な岸にたどり着いた。これ以後、この村はフランクフルトと呼ばれるようになった。」

ティートマール・フォン・メルゼブルク、『年代記』VII, 75

実際には、カール大帝はザクセン族とマイン地域で戦ったことはない。また、勝利した王によって捕らえられたザクセン族の定住地であるとする誤ったフランクフルト=ザクセンハウゼンの名前の成立史についても、単なる伝説である。これらは、おそらく794年に北ドイツで蜂起したザクセン族鎮圧のための遠征直前に立ち寄った史実が、口承によって様々な話と混じり合った事に由来すると思われる。

フランクフルトの名前と創設に関する他の伝説は、現在ではあまり知られていない。それは特に近世初期にフランクフルトの重要性を神秘的に高めるために利用された話である。人文主義者ヨハンネス・トリテミウスは、15世紀にフランクフルトの同意語として「ヘレノポリス」という地名を用いた。この地名は、18世紀まで他の人文主義者によって時折使われていた。この地名の由来は明らかではない。ヘレノポリスは、プリアモスの息子でトロイアから逃走したヘレノスがこの地を居と定め創設した街であるという。別の著者は、コンスタンティン大帝の母ヘレナに由来するとも記述している。

トリテミウスの神話は、フランクフルトの名前の由来も明らかにしている。それによれば、紀元130年頃 Hogier 公 Francus が古いヘレノポリスの街を再興し、自らの名前にちなんで Frankenfurt と名付けたという。

元来の名前 Franconofurd は中世に Frankenfort または Frankinfort、近世に Franckfort および Franckfurth と変化した。そして遅くとも19世紀の初めには、Frankfurt という表記が確定した。

名前に添えられた「アム・マイン」は「マイン川沿いの~」を意味しており、同名の別都市との区別のため最も古くは14世紀から、しばしば付けられるようになった。日常的には、オーデル川沿いのフランクフルトと混同する恐れがない限りは、「フランクフルト」と短縮される。また、Frankfurt/Main あるいは Frankfurt a. M. 表記方法もしばしば見られ、鉄道関係では Frankfurt (Main) という表記も残っている。さらに FfMなどの略号も用いられる。

地理

フランクフルト市内の最高地点に立つベルガー・ヴァルテ

位置

フランクフルト・アム・マイン市は、南西ドイツのタウヌス山地南東麓マイン川下流の両岸に位置し、ドイツで最も重要な経済圏を形成している。市域の約1/3がフランクフルト緑地帯景観保護地域に指定されている。これにはドイツ最大の都市林であるフランクフルター・シュタットヴァルトが含まれる。市域は東西23.4km、南北23.3kmの広がりを持つ。

自然構造物で最も高い地点は、ゼックバッハ市区ベルガー・リュッケンのベルガー・ヴァルテ(直訳すると「山の監視所」)のある位置で、海抜 212.6 m である。一方最低地点は、ジンドリンゲン市区のマイン川の河原で、海抜 88 m である。本市は、バーゼルからライン=マイン地域にいたるオーバーライン地溝の北端にあたる。

現在の市域の地理上の重心、すなわち地理的中心点は、ボッケンハイム区のフランクフルト西駅付近で、歴史的市街地の外側にある。

隣接する郡と市町村

フランクフルトは、西はマイン=タウヌス郡(ハッタースハイム・アム・マインクリフテルホーフハイム・アム・タウヌスケルクハイム (タウヌス)リーダーバッハ・アム・タウヌスズルツバッハ (タウヌス)シュヴァルバッハ・アム・タウヌスエシュボルン)、北西はホーホタウヌス郡(シュタインバッハ (タウヌス)オーバーウルゼル (タウヌス)バート・ホムブルク・フォア・デア・ヘーエ)、北はヴェッテラウ郡(カルベンバート・フィルベル)、北東はマイン=キンツィヒ郡(ニーダードルフェルデンマインタール)、南東はオッフェンバッハ・アム・マイン、南はオッフェンバッハ郡(ノイ=イーゼンブルク)、南西はグロース=ゲーラウ郡(メルフェルデン=ヴァルドルフリュッセルスハイム・アム・マインラウンハイムケルスターバッハ)と境を接している。

地質学

フランクフルトの市域は、大部分がウンターマインエーベネ(マイン川下流域盆地)西部に属す。市の東部はハーナウ=ゼーリゲンシュタット盆地、最北部はヴェッテラウである。地質学的には、本市の市域内には鮮新世後期から更新世に形成されたマイン川ニッダ川の4つの段丘が見られる。最も高い段丘は、タウヌス山地の岩石で構成されており、市内ではベルガー・リュッケンでのみ見られる。高さ 170 m から 120 m の上の段丘には、市北部から北東部の市区が存在している。ここから北西はニッダ川へ、南はボルンハイマー・ハングやレーダーベルク付近を急斜面で下る。ザクセンハウゼン南のミュールベルクやザクセンホイザー・ベルクもこの段丘にあたる。中央の段丘は 100 m から 115 m の高さにある。これは、市域内ではたとえばケルスターバッハ川の川岸や、ヘーヒスト旧市街の断崖状の川岸がこれにあたる。高さ 95 m から 90 m の下の段丘は、完新世になって形成された。これは、マイン川の両岸に沿っている。ここには、街の歴史の出発点となったドームヒューゲル(聖堂の丘)やカルメリッターヒューゲル(カルメル会の丘)がある。ボッケンハイム区(バザルト通り)やシュタットヴァルトといった市内の限られた場所に、中新世のフォーゲルスベルク玄武岩でできた下の地層を見ることができる。この層の厚さは 14 m 程度である。

気候

最も古い気温の測定値は1695年12月のもので、アヒレス・アウグストゥス・フォン・レルスナーの年代記に記録されている。1826年以後は、異なる測候所での継続的な測定値が存在している。現在フランクフルトには、ドイツ気象庁の測候所が多くある。これには、フランクフルト空港の測候所も含まれており、その測定記録は1949年にまで遡る。

フランクフルトおよびライン=マイン地域は、ドイツで最も温暖な気候に属するオーバーライン地溝の北端に位置する。年間平均気温は 9.7 ℃(1961年から1990年の長期平均値)で、ドイツの他の大都市(ベルリン 8.9 ℃、ハンブルク 9.0 ℃、ミュンヘン 7.6℃)よりも高い値である。

このためフランクフルトの気候は総じて穏やかである。11月から1月までの時期には平均1から2時間しか晴天にならない。冬の時期における1日の最高気温の平均値は、1月で約 3.8 ℃、夜間の最低気温は、平均 -1.1 ℃(1971年から2000年の統計値)である。雪は1月に平均7日間降る。積雪が 10 cm を超えることは滅多になく、ほとんどはすぐに消える。しかし市の北西部のタウヌス山地だけはしばしば雪が積もる。

夏の最高気温は 25 ℃(30 ℃を超える日は平均年間10日である)と暖かい。にわか雨や突然の豪雨でやや変わりやすいものの、毎日7時間から8時間の日照が得られる時期である。夏は、特に市内中心部では蒸し暑くなる。

最も気温が高い月は7月から8月で平均気温は 17.1 ℃から 19.4 ℃、最も寒いのは12月から2月で平均気温は 1.6 ℃から 2.7 ℃である。観測史上最低気温は1929年1月の -21.6 ℃、最高気温は 2003年8月の 39.2 ℃であった。

1971年から2000年までの平均気温は 0.4 ℃高い 10.1℃、年間降水量は平均 611 mm であった。市内中心部では、環境の違いにより気温はフルークハーフェン区(空港付近)よりも約 0.6 ℃高いが、降水量はタウヌス山地の陰になるため周辺よりも少ない。

風向きは主に西風である。1971年から2000年の統計で最も降水量が多いのは 7月で 65 mm、最も少ないのは 2月で 37 mm であった。

フランクフルトの気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
平均最高気温 °C (°F) 4.0
(39.2) | 5.6
(42.1) | 10.4
(50.7) | 14.5
(58.1) | 19.5
(67.1) | 22.3
(72.1) | 24.8
(76.6) | 24.8
(76.6) | 20.1
(68.2) | 14.0
(57.2) | 7.7
(45.9) | 5.0
(41) | 14.4
(57.9)
平均最低気温 °C (°F) -1.3
(29.7) | -1.2
(29.8) | 1.9
(35.4) | 4.1
(39.4) | 8.4
(47.1) | 11.7
(53.1) | 13.7
(56.7) | 13.4
(56.1) | 10.1
(50.2) | 6.0
(42.8) | 2.1
(35.8) | 0.0
(32) | 5.8
(42.4)
降水量 mm (inch) 42.5
(1.673) | 37.1
(1.461) | 47.6
(1.874) | 42.8
(1.685) | 60.2
(2.37) | 60.6
(2.386) | 64.9
(2.555) | 52.9
(2.083) | 50.0
(1.969) | 54.6
(2.15) | 51.8
(2.039) | 55.7
(2.193) | 520.7
(20.5)
平均降雨日数 9.8 | 7.1 | 9.3 | 8.5 | 9.8 | 10.3 | 9.3 | 7.8 | 8.1 | 9.3 | 9.7 | 9.9 | 108.9
出典: 平均気温 – ドイツ気象庁 (DWD)

市の構成

フランクフルト・アム・マイン市は、46のシュタットタイル(市区)に分割されるが、市区の番号は 47 まである(23は技術的な理由から欠番となっているのだが、プラウンハイム区に充てられることもある)。これらはさらに 121 のシュタットベツィルク(市街区)、448のヴァールベツィルク(選挙区)、6,130のブロックで構成されている。

行政上、市は 16のオルツベツィルク(管区)に分けられ、それぞれに代表者としての地区長を有する地区議会がある。1970年代に合併した旧町村は、それぞれ合併前の領域がそれぞれの管区を形成している。

人口が最も少ない市区はフルークハーフェン区、面積が一番狭い市区はアルトシュタット区である。最も大きな市区は面積、人口ともにザクセンハウゼン区であり、人口で見るとこれにノルトエント区、ボッケンハイム区が続く。

2010年12月31日現在の46市区の人口
No.
市区
【管区】
面積 (km2)
人口(人)
外国人数
外国人比率 (%)

01 | アルトシュタット | 01 イネンシュタット I | 0.51 | 3,569 | 1,201 | 33.7
02 | イネンシュタット | 01 イネンシュタット I | 1.52 | 6,558 | 2,433 | 37.1
03 | バーンホーフスフィアテル | 01 イネンシュタット I | 0.53 | 2,187 | 810 | 37.0
04 | ヴェストエント南 | 02 イネンシュタット II | 2.47 | 17,544 | 3,369 | 19.2
05 | ヴェストエント北 | 02 イネンシュタット II | 1.67 | 9,120 | 2,217 | 24.3
06 | ノルトエント西 | 03 イネンシュタット III | 3.07 | 29,086 | 5,048 | 17.4
07 | ノルトエント東 | 03 イネンシュタット III | 1.69 | 26,733 | 5,439 | 20.3
08 | オストエント | 04 イネンシュタット IV | 5.40 | 27,271 | 7,229 | 26.5
09 | ボルンハイム | 04 イネンシュタット IV | 2.66 | 27,613 | 6,279 | 22.7
10 | グートロイトフィアテル | 01 イネンシュタット I | 2.20 | 5,810 | 1,888 | 32.5
11 | ガルス | 01 イネンシュタット I | 4.22 | 27,358 | 11,215 | 41.0
12 | ボッケンハイム | 02 イネンシュタット II | 8.04 | 35,529 | 9,091 | 25.6
13 | ザクセンハウゼン北 | 05 ジュート | 4.24 | 30,901 | 6,632 | 21.5
14 | ザクセンハウゼン南 | 05 ジュート | 34.91 | 26,680 | 4,935 | 18.5
15 | フルークハーフェン | 05 ジュート | 20.00 | 人口はザクセンハウゼン南に合算されている
16 | オーバーラート | 05 ジュート | 2.74 | 13,040 | 3,264 | 25.0
17 | ニーダーラート | 05 ジュート | 2.93 | 23,310 | 6,831 | 29.3
18 | シュヴァーンハイム | 06 ヴェスト | 17.73 | 20,303 | 3,596 | 17.7
19 | グリースハイム | 06 ヴェスト | 4.90 | 22,944 | 8,163 | 35.6
20 | レーデルハイム | 07 ミッテ=ヴェスト | 5.15 | 17,850 | 4,767 | 26.7
21 | ハウゼン | 07 ミッテ=ヴェスト | 1.26 | 7,311 | 2,172 | 29.7
22
(23) | プラウンハイム | 07 ミッテ=ヴェスト | 4.55 | 15,845 | 3,269 | 20.6
24 | ヘデルンハイム | 08 ノルト=ヴェスト | 2.49 | 16,480 | 3,155 | 19.1
25 | ニーダーウルゼル | 08 ノルト=ヴェスト | 7.22 | 16,352 | 3,611 | 22.1
26 | ギンハイム | 09 ミッテ=ノルト | 2.73 | 16,636 | 4,048 | 24.3
27 | ドルンブッシュ | 09 ミッテ=ノルト | 2.38 | 18,677 | 3,535 | 18.9
28 | エッシャースハイム | 09 ミッテ=ノルト | 3.34 | 15,009 | 2,703 | 18.0
29 | エッケンハイム | 10 ノルト=オスト | 2.23 | 14,371 | 3,686 | 25.6
30 | プロインゲスハイム | 10 ノルト=オスト | 3.74 | 14,022 | 3,563 | 25.4
31 | ボナメス | 10 ノルト=オスト | 1.24 | 6,394 | 1,339 | 20.9
32 | ベルカースハイム | 10 ノルト=オスト | 3.18 | 3,435 | 586 | 17.1
33 | リーダーヴァルト | 11 オスト | 1.04 | 4,935 | 1,137 | 23.0
34 | ゼックバッハ | 11 オスト | 8.04 | 10,280 | 2,083 | 20.3
35 | フェッヒェンハイム | 11 オスト | 7.18 | 16,030 | 5,629 | 35.1
36 | ヘーヒスト | 06 ヴェスト | 4.73 | 14,061 | 5,257 | 37.4
37 | ニート | 06 ヴェスト | 3.82 | 18,079 | 5,354 | 29.6
38 | ジンドリンゲン | 06 ヴェスト | 3.98 | 9,009 | 2,136 | 23.7
39 | ツァイルスハイム | 06 ヴェスト | 5.47 | 12,138 | 2,677 | 22.1
40 | ウンターリーダーバッハ | 06 ヴェスト | 5.85 | 14,536 | 3,585 | 24.7
41 | ゾッセンハイム | 06 ヴェスト | 5.97 | 15,767 | 4,273 | 27.1
42 | ニーダー=エルレンバッハ | 13 ニーダー=エルレンバッハ | 8.34 | 4,637 | 526 | 11.3
43 | カルバッハ=リートベルク | 12 カルバッハ=リートベルク | 6.90 | 9,463 | 1,510 | 16.0
44 | ハルハイム | 14 ハルハイム | 5.02 | 4,363 | 435 | 10.0
45 | ニーダー=エシュバッハ | 15 ニーダー=エッシュバッハ | 6.35 | 11,516 | 1,992 | 17.3
46 | ベルゲン=エンクハイム | 16 ベルゲン=エンクハイム | 12.54 | 18,098 | 2,794 | 15.4
47 | フランクフルター・ベルク | 10 ノルト=オスト | 2.16 | 7,341 | 1,732 | 23.6
フランクフルト・アム・マイン市 | 248.33 | 688,191 | 167,194 | 24.3
フランクフルトの市区と管区

  1. ^ 一部 インネンシュタットIV
  2. ^ 一部 ミッテ=ヴェスト
  3. ^ 一部 ジュート
  4. ^ 一部 ノルト=ヴェスト

市町村合併

1866年までフランクフルト・アム・マインの市域は、現在の市区でアルトシュタット、インネンシュタット、バーンホーフスフィアテル、グートロイトフィアテル、ガルス、ヴェストエント、ノルトエント、オストエント、リーダーヴァルトおよびザクセンハウゼン(都市林「フランクフルター・シュタットヴァルト」を含む)の「シュタットベツィルク」(都市管区)と、ボルンハイム、ハウゼン、ニーダーウルゼル(ヘッセン大公と折半)、ボナメス、ニーダー=エルレンバッハ、ドルテルヴァイル、オーバーラート、ニーダーラートの 8つの村からなる「ラントベツィルク」(周辺管区)で構成されていた。プロイセン王国による自由都市フランクフルト併合後は、フラクフルト都市クライスが形成された。1877年から都市クライスの町村が、1910年からは1855年に形成されたフランクフルト郡の町村も、徐々にフランクフルト市に合併されていった。最後の合併が完了したのは1977年であった。かつてフランクフルトに属していた8つの村のうち、ドルテルヴァイルだけは、市域から外れた。

街の景観

フランクフルト旧市街地図。マイン川北側の緑色のラインがシュタウフェンマウアー。黄色と黒の線が堡塁跡でその内側が旧市街。堡塁の線沿いに緑色で塗られている箇所が「ヴァルゼルヴィトゥート」と呼ばれる条例によって公園として保護されている。

旧市街アルトシュタットと街の中心イネンシュタット

他のドイツの大都市同様フランクフルトの街の様子は第二次世界大戦で大きく様変わりした。それは爆撃による甚大な被害とそれに続く近代的な復興によるもので、旧市街中心部の街並みも他の古い大都市のそれとは異なり、自動車優先の道路網や近代建築で構成されるものとなった。

かつての、中世盛期以後戦禍や大火の被害を受けなかったドイツ最大の稠密な旧市街は、もうわずかにしか残されていない。約 3,000棟の木組み建築の中で無傷のまま遺されているのは、ファール門近くのヴェルトハイム邸 1棟だけである。19世紀半ばから第一次世界大戦までの間には、すでに新しい貫通道路の建設(ブラウバッハ通り)や区画全体の解体(ユーデンガッセ)が行われていた。歴史的な旧市街の遺構は、ドイツで最も有名な都市広場の一つであるレーマーベルク付近でしか見ることはできない。

アルトシュタット区(直訳すると「旧市街」区)の区境に沿って 12世紀に建造された市壁、いわゆるシュタウフェンマウアー(シュタウフェン時代の壁)があった。この壁は、現在のノイエ・マインツァー通り - カイザー通り - ロスマルクト - ツァイル - クルト・シューマッハー通りにおおむね沿って建造されていた。アルトシュタットには、フランクフルト大聖堂や有名なパウルス教会がある。17世紀のフランクフルトの姿を詳細に描いたマテウス・メーリアンの版画がある。

現在のイネンシュタット区(直訳すると「内市街」区)は、1333年からノイシュタット(直訳すると「新市街」)として拡張された旧市街の一部で、19世紀に大規模な改造を受けた。17世紀から旧市街を囲んでいた大きな堡塁を持つバロック様式の都市防衛施設は取り壊され、堡塁の鋸歯型の遺構は旧市街を取り囲む環状の公園施設に造り替えられ、フィッシャーフェルトが建設された。都市プランナーゲオルク・ヘスは新しい建築物を印象づけるような規則を設けた。施主に対して古典主義様式を採用するよう要求したのである。フランクフルト古典主義建築の例として、1820年から1825年に建設され1944年に一部が破壊された旧市立図書館が挙げられる。この建物は2005年に「文学館」として元の姿に復元された。鋸歯状施設内を巡る遊歩道には建造物を建設することは、1827年のヴァルゼルヴィトゥートと呼ばれる条例によって禁止された。この規則は、市が認可したいくつかの例外(アルテ・オーパー、シャウシュピールハウス、ヒルトンホテルなど)を除いて、現在も遵守されている。

1678年から1681年にツァイルの入口に建設されたバロック様式のカタリーナ教会は、ゲーテの一家と親密な関係にあった。現在この教会はフランクフルト最大のプロテスタント教会である。

パレー・クヴァルティーア・プロジェクトで再開発されたツァイル

19世紀末にハウプトヴァッヘは市の中心地へと発展した。ツァイルは中央オフィス街となった。21世紀になると、フランクフルトはツァイルをショッピング街にする大規模な再開発を行った。エッシェンハイム門とツァイルとの間にあった1956年に建設されたフランクフルトで最初期の高層ビルであるフェルンメルデホーホハウスを解体し、その跡地および周辺を再開発するというものである。2009年2月にテレコムの跡地にショッピングセンター MyZeil がオープンした。また、オフィスとホテルが入った2棟の高層ビルが建設された。さらに、1737年から1741年に建設され、1944年に破壊されたトゥルン・ウント・タキス宮殿が元の姿とほぼ同様に復元された。これらパレー・クヴァルティーアと名付けられた一連のプロジェクトは、2010年半ばに完了した。そのすぐ北側の場所では、1953年に建設されたフランクフルター・ルントシャウの社屋であるルントシャウ=ハウスが解体され、住宅およびオフィス用地とされた。2.25ヘクタールの広さのこのエリアは、ラボ・リアル・エステート・グループ傘下のオランダのデベロッパー MAB によって再開発がなされた。

より新しい再開発としては、2010年の大聖堂とレーマーベルクとの間のフランクフルト市技術局の解体がある。ドーム=レーマー=プロジェクトの一環で、ここには旧市街の歴史的背景を踏まえた約 40棟の建物が建設され、少なくともそのうちの 8棟は元の姿に忠実な木組み建築で復元されることとなっている。

古典主義・ドイツ産業革命期(グリュンダーツァイト)地区

1830年頃から、堡塁施設の外側にヴェストエント、ノルトエント、オストエント(直訳するとそれぞれ「西側」「北側」「東側」)といった市区が建設された。中央駅の建設後、堡塁施設のすぐ西側に接してそれ以前にあった3つの駅(ヴェストバーンヘーフェ=西(諸)駅と総称されていた)の敷地跡に、1890年代にバーンホーフスフィアテルが建設された。

この3つの市区およびマイン川対岸に位置するザクセンハウゼンが住宅地として大きく発展した。フランクフルト市民は新鮮な空気を欲したのであった。建設はまず、エッシャースハイマー・ラントシュトラーセやボッケンハイマー・ラントシュトラーセといった郊外へ通じる道路沿いから行われた。1866年までの開発は、無計画に行われた。堡塁施設付近の曲がりくねった道路からその様子が現在も見て取れる。プロイセン時代になって初めて製図板の上で格子状の道路網が設計されるようになった。この時代に典型的な多角形の広場が建設され、視界を広く取るために障害となる教会の建物などが壊された。

建物は通常、5階から6階建ての密集したブロックの形式で建設され、それ以前の古典主義建築はその大部分が破壊され、建て替えられた。しかし地域的な特徴として、1880年になっても多くの場所で控えめな後期古典主義建築が優勢であり、ヴィースバーデンライプツィヒベルリンといった同じ頃に発展した都市でこの時代以降に流行した過度に「ヴィルヘルム風」趣味の住居は流行しなかった。

1877年と1895年に合併したボルンハイムとボッケンハイムはこの都市景観の中に組み込まれ、新しい道路が造られ、フランクフルト市電がつながった。その特徴は今日に至るまで遺されている。20世紀の初めに建築責任者フランツ・アディッケスの下で、現在も通行量の多いフランクフルト・アレーリングが造られた。この道路は泡沫会社乱立時代(1870年代)に発展した地区間を緊密に連結している。この道路はおおむねフランクフルトの古い領邦境界線に沿って通っている。

この時代に典型的なのが、建物の質や機能の東西格差であった。19世紀から20世紀への転換期に、バーンホーフスフィアテルは贅沢なオフィス街、ヴェストエントは上品な富裕層の住宅地であったのに対して、ノルトエントからボルンハイムを経てオストエント一帯は中産階級や労働者たちの地域になっていた。こうした関係は第二次世界大戦以後逆転した。特に1960年代、70年代にオフィスを建設するためにバーンホーフスフィアテルやヴェストエントの帝国時代の建物が取り壊され、建て替えられるようになってから、中心地は徐々に東に移動していった。とりわけノルトエントやボルンハイムは、「スツェーネフィアテル」(先端の地域)としてジェントリフィケーションにさらされている。オストエントでの欧州中央銀行新庁舎建設やガルス市区付近でのオイローパフィアテルおよびスカイライン・プラザの建設は、泡沫会社乱立時代に開発された地区のさらなる発展を予見させるものである。

この街には、堡塁施設跡の他にも多くの庭園が造られた。ノルトエント東区には、たとえば、ヒムリッシェン・フリーデンスの中国風庭園を含むベトマン公園がある。ノルトエントには、ホルツハウゼン公園やギュンタースブルク公園がある。また、ヴェストエント北区の西部にはグリューネブルク公園がある。この公園内にはギリシア正教の教会や韓国風庭園がある。パルメンガルテン(椰子庭園)は1871年に設立された熱帯・温帯植物園である。約 2500 種類の植物が栽培されており、パパゲーノ音楽劇場やパルメン=エクスプレス公園鉄道などのアトラクションがある。そのすぐ隣には大学の植物園がある。これら3つの互いに隣り合った庭園は、フランクフルト中心街に近接した広大な緑地を形成している。オストエントのオスト公園は1907年に造られたフランクフルト初の市民公園で、隣接する工業地域の労働者たち住民の憩いの場となっている。

ヘーヒストと周辺市区

20世紀の初めまで、市は何段階にもわたってイネンシュタットの北に位置する地区を合併していった。いくつかの市区は 1866年までにすでに自由都市フランクフルトの領邦内に組み込まれていたが、以前にはフランクフルトと関わりのない地域も合併の対象とされていた。1914年頃にフランクフルトはドイツで最も面積が広い都市となった。エルンスト・マイは、1920年代にアレーリングの外側に位置する新しい地区に広大な ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2019/10/14 22:36

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