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ブライアン・ゴットフリートとは?

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 | ブライアン・ゴットフリート
Brian Gottfried
 | 

【基本情報】

【フルネーム】
Brian Edward Gottfried
【国籍】
アメリカ合衆国
【出身地】
メリーランド州ボルチモア
【生年月日】
(1952-01-27) 1952年1月27日(66歳)
【身長】
182cm
【体重】
75kg
【利き手】

【ツアー経歴】

【デビュー年】
1970年
【引退年】
1985年
【ツアー通算】
79勝
【シングルス】
25勝
【ダブルス】
54勝
【生涯通算成績】
1280勝566敗
【シングルス】
678勝321敗
【ダブルス】
602勝245敗
【4大大会最高成績・シングルス】

全豪
3回戦(1980)
全仏
準優勝(1977)
全英
ベスト4(1980)
全米
ベスト8(1977・78)
【4大大会最高成績・ダブルス】

全豪
ベスト8(1980)
全仏
優勝(1975・77)
全英
優勝(1976)
全米
準優勝(1977)
【優勝回数】
3(仏2・英1)
【キャリア自己最高ランキング】

【シングルス】
3位
【ダブルス】
2位
テンプレート プロジェクト テニス

ブライアン・ゴットフリート(Brian Gottfried, 1952年1月27日 - )は、アメリカの元プロテニス選手。メリーランド州ボルチモアユダヤ系の家庭に生まれる。同時にウェールズ系の血も引く。

1977年全仏オープン男子シングルス準優勝者。ダブルスではメキシコラウル・ラミレスとペアを組んで数多くのタイトルを獲得し、全仏オープンの男子ダブルスで1975年1977年の2度、ウィンブルドンでも1976年の男子ダブルスを制覇した。自己最高ランキングはシングルス3位、ダブルス2位。ATPツアーでシングルス25勝、ダブルス54勝を挙げた。身長182cm、体重75kg、右利き。フルネームは Brian Edward Gottfried (ブライアン・エドワード・ゴットフリート)という。

来歴

ジュニア時代から傑出した成績を出していたゴットフリートは、1970年全米オープン4大大会にデビューした。彼のテニス経歴は1973年から開花し始め、この年にツアーでシングルス2勝、ダブルス3勝を記録した。1973年のダブルス3勝は、パートナーはディック・ストックトン(アメリカ)であったが、1974年5月から大半のトーナメントをラウル・ラミレスと組むようになった。1975年、ゴットフリートとラミレスはダブルスで年間「12勝」を記録する。この年から1977年まで、ゴットフリートとラミレスは全仏オープンの男子ダブルスに3年連続決勝進出を果たす。1975年の全仏男子ダブルス決勝で、2人はオーストラリアペアのフィル・デント&ジョン・アレクサンダー組を 6-4, 2-6, 6-2, 6-4 で破り、4大大会初優勝を飾った。翌1976年の全仏ダブルス決勝ではアメリカペアのシャーウッド・スチュワート&フレッド・マクネアー組に敗れ、2連覇を逃す。この後、ゴットフリートとラミレスはウィンブルドンの男子ダブルスで活躍し、オーストラリアペアのロス・ケース&ジェフ・マスターズ組を 3-6, 6-3, 8-6, 2-6, 7-5 の熱戦の末に破って、4大大会ダブルス2勝目を達成した。

1977年全仏オープンは、ブライアン・ゴットフリートのテニス経歴のハイライトであった。この大会で、彼は男子シングルス・男子ダブルスの2部門に決勝進出を果たす。シングルスでは、ゴットフリートは準々決勝でイリ・ナスターゼ、準決勝でフィル・デントを破ったが、初進出の決勝ではギリェルモ・ビラスに 0-6, 3-6, 0-6 で完敗した。男子ダブルスでは、ゴットフリートとラミレスはヤン・コデシュ(チェコスロバキア)&ヴォイチェフ・フィバク(ポーランド)組を 7-6, 4-6, 6-3, 6-4 で破り、2年ぶり2度目の優勝を飾っている。全仏オープンで準優勝した年、ゴットフリートはシングルスで自己最高の年間5勝を記録した。

その後、2人は1979年ウィンブルドン1980年全仏オープンで2度の4大大会男子ダブルス準優勝があった。この後、1980年ウィンブルドンでゴットフリートにシングルスのチャンスが訪れる。この大会で、ゴットフリートは4回戦でフィル・デント、準々決勝でヴォイチェフ・フィバクを破り、ダブルスの宿敵たちを撃破して勝ち進んだが、初めての準決勝で大会5連覇を目指したビョルン・ボルグに 2-6, 6-4, 2-6, 0-6 で敗れた。

ブライアン・ゴットフリートは1975年、1度「ジャパン・オープン」で来日したことがある。シングルスでは準々決勝で敗れたが、ラミレスとのダブルスで優勝し、決勝でスペインペアのマニュエル・オランテス&フアン・ヒスベルト組を 7-6, 6-4 で破った。このタイトルは、2人が最盛期の1975年にダブルスで獲得した年間「12勝」のひとつである。

ゴットフリートはシングルスでは1983年、ダブルスでは1984年まで優勝記録があり、通算でシングルス25勝・ダブルス54勝を成し遂げた。1984年全米オープンの2回戦でジミー・コナーズに3-6, 3-6, 2-6 で敗れた試合が、ゴットフリートの最後のシングルス出場になる。彼の現役最後の試合は、1985年全仏オープン男子ダブルス1回戦であった。1999年に「国際ユダヤ人スポーツ殿堂」入りを果たしている。

4大大会成績

外部リンク

全仏オープン(オープン化以後)男子ダブルス優勝者
1960年代 | 

1970年代 | 

1980年代 | 

1990年代 | 

2000年代 | 

2010年代 | 

全仏テニス選手権(1925–1967)男複 || 男単 | 女単 | 女複 | 混複

ウィンブルドン(オープン化以後)男子ダブルス優勝者
1970年代 | 

1980年代 | 

1990年代 | 

2000年代 | 

2010年代 | 

ウィンブルドン(1884–1967)男複 || 男単 ・ 女単 | 女複 ・ 混複

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/04/24 19:05

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