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プリンセス_プリンセスとは?
【プリンセス プリンセス 】
【別名】
赤坂小町(旧名)
【出身地】
日本 東京都
【ジャンル】
【活動期間】
【レーベル】
【事務所】
【共同作業者】
【公式サイト】
プリンセス プリンセス official website
【】
【旧メンバー】
プリンセス プリンセス (英 : PRINCESS PRINCESS ) は、日本 のガールズ ロック バンド である。活動期間は1983年 - 1996年 および2012年 - 2016年 。女性のみで構成されたバンドの中で、商業的に日本で最も成功したグループである。ガールズバンドのパイオニアとなり、ヒット曲を連発。略称は『プリプリ 』。
メンバー
【】
プロフィール
愛称
担当
備考
奥居香 (おくい かおり) 現:岸谷香 | (1967-02-17 ) 1967年 2月17日 (54歳)O型 広島県 広島市 出身 身長157cm。 | かおりちゃん。メンバーからは、香、富田からは時におりちゃんと呼ばれることもあった。 | ボーカル 、ギター | バンド解散までは旧姓の「奥居香 」として活動していたが、解散直後、俳優 の岸谷五朗 と結婚し改姓、のちに芸名も「岸谷香 」へ改名する。 バンドの楽曲の作曲を数多く手がける。「ソーロング、ドリーマー」の原曲は奥居が中学の頃に作曲したもの(当初は「バンドガールズ」という曲名であった)。 楽曲によってはギターを演奏しないこともある。ライブではギターの他にピアノ、キーボードを演奏したこともある。 他のアーティストにも多数の楽曲を提供する。 現在、一男一女の母。
中山加奈子 (なかやま かなこ) | (1964-11-02 ) 1964年 11月2日 (56歳)B型 京都府 京都市 出身 身長156cm。 | かなちゃん、ケラマン(今野の付けたあだ名)。 | ギター ・コーラス | 現在は『VooDoo Hawaiians 』のヴォーカル、ギター担当として活動している。ロック を好み、好きなギタリストとしてキース・リチャーズ などを挙げている。2004年 2月7日、自身の公式ホームページで「突然ですが、先日結婚しました。昔から結婚しないと言ってきたのに、こうなるとは人生不思議なもんです」と報告し、一般男性と結婚したことを明らかにした。
渡辺敦子 (リーダー) (わたなべ あつこ) | (1964-10-26 ) 1964年 10月26日 (56歳)B型 熊本県 水俣市 出身 身長163cm。 | あっこちゃん | ベース ・コーラス | バンドのリーダー 。 現在、『東京スクールオブミュージック専門学校 』の副校長をしている[1] 。
今野登茂子 (こんの ともこ) | (1965-07-15 ) 1965年 7月15日 (55歳)O型 埼玉県 浦和市 (現:さいたま市 )出身 身長164cm。 | ともちゃん。メンバーからはパンとも呼ばれる。 | キーボード ・コーラス | 解散後、結婚したが離婚。その後2002年 7月 に映画監督 で俳優の利重剛 と再婚。 イラストが得意で、ファンクラブ会報や関連出版物の中でたびたび漫画を描いて画才を披露していた。 映画やCM、解散後はTV番組等への出演も多かった。 現在、一女の母。
富田京子 (とみた きょうこ) | (1965-06-02 ) 1965年 6月2日 (55歳)B型 神奈川県 横浜市 戸塚区 出身 身長156cm。 | きょんちゃん。初期の頃は自分のことをきょんちぁんと書くことがあった。 | ドラムス ・コーラス | バンドの楽曲の作詞を多く手がけている。 整理整頓が好きである。 現在、二男の母。
シンコーミュージック時代のプリプリのマネージャーは「イチヤン」こと市村恵美子が務め、「6人目のメンバー」と呼べるほどの功績を残した。2007年現在は、岸谷香が現在所属しているオールスパイスカンパニーに所属し岸谷のマネージャーを担当している。インタビュー等の文面では「イチヤン」「市やん」「市ヤン」と書かれる。独身 。宝塚 が好きである。
ラジオ日本 『ラジカントロプス2.0』(2013年4月15日OA)において、スタジオミュージシャンの青山純 、伊藤広規 が「実は僕、プリンセス プリンセスだったんですね。影武者として。」とレコーディングでのドラム演奏を担当していたことを告白している[2] 。
来歴
1983年
TDKレコード 主催のもとでガールズバンド 結成のためのオーディション が行われることが発表された。応募総数は1400人あまり。書類選考及びデモテープ審査で25人に絞られ、季刊音楽雑誌「ヤングセンス1983年春号」にその詳細が掲載される。
2月20日、各パートごとの最終オーディションが行われ、5人が選出される。
4月から、西日暮里 (東京都 荒川区 )で合宿 生活を開始する。合宿開始当初(1983年ごろ)は、同じ事務所に所属していた木之内美穂 と共に合宿生活をしていた。この合宿生活は2年4カ月にも及んだ。
当初のバンド名は「赤坂小町 (あかさかこまち)」。このバンド名の由来については、「当時のTDKレコードの所在地であった『赤坂』から」、「『漢字4文字のバンド名をつけてほしい』と依頼されたある雑誌編集者によって名付けられた」、「雑誌上での公募で付けられた」など多くの説がある。
5月29日 、銀座 の山野ホール で初ライブを行う。
1984年
3月21日、TDKレコードより、シングル「放課後授業」でデビュー。この頃、奥居は「ヴォーカル&ベース」から「ヴォーカル&ギター」に、渡辺は「ギター」から「ベース」に、それぞれパート変更する(パート変更の時期は、富田によると「放課後授業」のリリース前、渡辺によると同シングルのリリース後とされており、ライブ年表によると、「放課後授業」発売の約1ヶ月半後の1984年5月8日のシャープ会館イベントがパートチェンジ後の初ライブとされている)。
1985年
事務所が与えるアイドル 的な仕事に違和を覚えたことや、音楽性の違い から、所属事務所 をTDKレコードから音楽座(ミュージカル劇団音楽座 とは別の事務所)へと移籍する。ここでバンド名を「JULIAN MAMA (ジュリアン・ママ)」に改名する。JULIAN MAMA時代はシングル、アルバムのリリースは無かった。
1986年
5月、バンド名を「PRINCESS PRINCESS 」へと改名し(名づけ親はムーンライダーズ の岡田徹 )、ミニアルバム『Kissで犯罪(クライム) 』でCBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント )よりデビュー。この『Kissで犯罪』のプロモーションビデオを事務所関係者が見たことがきっかけで、シンコーミュージック が彼女らへの接触、移籍交渉を開始することになる。
8月、シンコーミュージックで移籍のためのオーディションが行われるが、この時点では移籍には至らなかった。音楽座サイドがプリプリを手放そうとしなかったことや、オーディションを見た社員の反応があまり良くなかったことが理由であった。だが当時シンコーミュージックの社員で、後に彼女らのマネージャーになった「市ヤン」こと市村恵美子は、彼女らのライブを生で見て「このバンドはいける」と思い、社長の説得にあたった。
11月、所属事務所であった音楽座との意見の相違などもあり、音楽座との話し合いをへて音楽座からシンコーミュージックに移籍する。
1987年
4月、ファーストシングル「恋はバランス」が発売される。この曲は、作詞は中山が担当したが、作曲は鈴木キサブロー によるものだった。当時メンバー内では、部外者が作曲した作品をリリースすることについての抵抗がかなりあったらしく、以後はメンバー自身が作詞・作曲した曲をリリースすることにこだわり続けた。
1988年
3枚目のシングル「MY WILL」が、スポーツ用品店「ヴィクトリア 」のCMソングに起用されたことをきっかけとして注目を集め、フジテレビ の夜のヒットスタジオDELUXE に初出演を果たす。初登場時は電飾を使ったセットが用意され、これは彼女らに余計に緊張を与えたという。またこの番組は、渡辺にとって昔からの憧れの番組であり、また「何度出ても緊張する番組だった」と後に語っている。
2月、後にバンドの代表曲の1つとなる4枚目のシングル「19 GROWING UP -ode to my buddy-」をリリースする。この時期からたびたびテレビドラマやCMのタイアップに起用されるようになり、バンドの知名度、CD売上も上昇していく。
4月、結成当初から目標の一つとしていた渋谷公会堂 ライブを行う。チケットは発売開始からわずか2時間で完売し、これを聞いたマネージャーの市村はメンバーより先に泣いたというエピソードがある。この頃からライブ会場をライブハウスからホールへと移行させていく。
5月、5枚目のシングル「GO AWAY BOY」リリース。資生堂 夏のキャンペーンソングに起用される。続く6枚目のシングル「GET CRAZY!」も月9 テレビドラマ『君が嘘をついた 』の主題歌に起用された。
11月、4枚目のアルバム『LET'S GET CRAZY 』リリース。収録曲の「M」は後にリリースされるシングル「Diamonds」のカップリング曲にもなり、バンドを代表する曲の一つとなる。
1989年
1月、女性だけのバンドとして初の日本武道館 公演を行う(翌年より正月に公演が行われるようになり、以後1996年まで毎年行われた)。
4月、7枚目のシングル「Diamonds 」をリリース、オリコンチャート1位を獲得し、ミリオンセラーを記録する。同曲の大ヒットとともに一躍トップアーティストの仲間入りを果たし、人気は頂点に達する。同曲では第22回日本有線大賞 も受賞し、NHK紅白歌合戦 からも「Diamonds」での出演のオファーが来たが、スケジュール上の都合で辞退する。
このブレイクをきっかけに「Diamonds」発売以前にリリースされていた曲も注目されるようになる。7月、既にEP盤として発売されていた2ndシングル「世界でいちばん熱い夏 」がCD化され、オリコンチャートで1位を獲得。カップリング曲の「世界でいちばん熱い夏(平成レコーディング)」は、ライブで演奏していたアレンジをレコーディングしたものである。
6月1日発売のユニコーン のアルバム「服部 」に奥居がPSY・S のCHAKAと共にコーラスで参加。
8月、西武球場 で初のスタジアムライブを含む「夏祭りだよ! 全員集合」(ライブ)が行われる。
11月、5thアルバム『LOVERS 』リリース、オリコン・アルバムチャートで初の1位を獲得し、ミリオンセラーとなる。中山が亡き父へのメッセージとして作詞した「パパ」、ポップなナンバー「パレードしようよ」などが収録されている(ちなみに、「パレードしようよ」の歌詞の最後に出てくる「パレード1991」というのは、「その頃には結婚できたらいいな」という願望から出たフレーズである)。
夜のヒットスタジオ騒動 1989年10月18日、生放送の『夜のヒットスタジオSUPER 』第1回目で、新しく司会として起用された加賀まりこ が、奥居に対して「ブタ」「生理中なんじゃないの」という発言をする。これに対し奥居は、同日番組終了後に生放送されたTBSラジオ『ポップン・ルージュ 』で加賀の言動に激怒する。メンバーの恋人の存在が写真週刊誌に掲載された直後の同年11月15日出演時では、生放送中に加賀がそのことに打ち合わせなしで言及し、奥居がその夜の『ポップン・ルージュ』内で再び激怒。その後メンバー全員が『夜ヒット』への出演を拒否する事態に発展し、その後同番組に出演することはなかった(だがレギュラー放送終了後、1993年3月31日に放送された特番では病欠中だった今野を除くメンバー4人で生出演し、また1994年10月12日放送の特番には「夜ヒットの思い出」として奥居がVTRでコメント出演をしている)。
1990年
4月より初の全都道府県ツアー「PANIC TOUR'90 パレードしようよ!!」が行われる。全56ヵ所、62本のライブを行った。9thシングル「OH YEAH! 」はこの全都道府県ツアーの応援歌として作られた。
12月、6枚目のアルバム『PRINCESS PRINCESS 』リリース。「メンバーそれぞれの個性を表に出した」ということで、このタイトルが付けられた。このアルバムには、奥居以外が初めてボーカルをとった曲(今野、中山のソロ曲)が収録されている。
1991年
12月、8枚目のアルバム『DOLLS IN ACTION 』をリリース。
同年後半ヴォーカルの奥居が、トレードマークであったロングソバージュの髪をバッサリ切ってイメージチェンジを図った。
1992年
5月、今野が突発性難聴 のため休養する(当時のインタビュー等によると一時期完全に聴力を失ったようである)。ライブツアー中だったため、キーボードには代行が立った。幸いなことに順調に回復し、6月には復帰した。だが、突発性難聴は後遺症が残ることがあったり、時には改善不能な場合もあるため(事実、後述の再結成時に、今野は「その時の影響で現在も片耳が聞こえない」ことを明かした)、病状次第では今野の離脱やメンバーの交代、最悪バンドの解散にまで至る可能性があった状態にあったといわれる。
7月、これまでにリリースされたシングル曲を集めたベストアルバム『SINGLES 1987-1992 』をリリース。この年はオリジナルアルバムのリリースは無かった。
1993年
5月、16thシングル「だからハニー」リリース。ドラマ『ダブル・キッチン 』の主題歌となり、プリプリの健在ぶりを示す作品となった。
1994年
バンドとしての活動を大事にしていたため、デビューから長らくソロ活動は控えていたが、4月に今野がシングル・アルバム「24Hours」でソロデビューをしたのを皮切りに、メンバーが続々とバンド活動と並行してソロ活動を開始した。
1995年
4月、プリンセス プリンセスの解散をレコード会社関係者に伝える。実際に解散の話が持ち上がったのは前年の暮れ、新作アルバム制作の話し合いの途中でのことだった。解散の主な理由として、アルバム制作時の打ち合せで出された2つの意見、「プリプリで新しいことをやっていきたい」という意見と、「これまでの間に培われたイメージがあるので、それを崩さず今まで通り変わらずに行くと」という意見が、平行線のまま纏まらなかったことが挙げられた。また、奥居が「昔は曲を書くときは天から降ってくる感じで、何も考えずに書けたのに、時間が経つにつれて曲を書く際に考えるようになり、そのことを悩んでいた」ことや、「友達のまま、解散したほうがいい」というメンバーの意向も解散の理由として挙げられる。
ラストアルバムのレコーディング前日、富田はやっぱりプリプリは解散させてはいけないと思い、渡辺に電話をしたが何度かけても掴まらず、ついに話はできなかった、というエピソードがある。
10月、解散宣言とともにシングル「Fly Baby Fly」をリリース。解散の発表は10月20日のミュージックステーションにて放送された。この時に披露されたのは「M」「Fly Baby Fly」だが、「M」の一部と解散発表が解散後リリースのヒストリービデオに収録されている。
解散とラストツアーのキャッチコピーは「解散を遊ぼう」。このキャッチコピーが書かれた宣伝用ポスターの構図は、メンバーがロープで縛られているというものであったため、クレームがつき、駅貼りポスターの大半が短期間で撤去されてしまった。
1996年
1月24日から始まったラストツアー「PANIC TOUR'96 解散を遊ぼう」は2度目の全県ツアーとなる。「最後に全国のファンにお別れの挨拶に行きたい」というメンバーの意向で実現したが、当初チケットの売れ行きを心配したスタッフからは反対の声が上がったという。結局その心配は杞憂に終わり、チケットは1県だけ若干売れ残った程度で、ほぼ完売した。
2月、アンコールシングル「夏の終わり」リリース。最後のシングルとなる。
5月29日から31日の3日間にかけて日本武道館でラストライブ「PANIC TOUR '96 〜解散を遊ぼう FINAL〜」を開催し解散。バンド活動は13年間にわたり、ライブの観客動員数は190万人を記録。13年間で発表されたシングルは21枚、アルバムは15枚(ベスト盤含む)。オリジナルソングは120曲に上った。
この頃テレビ番組『とんねるずのハンマープライス 』で「プリンセス・プリンセスのメンバーの一人になれる権」がオークションにかけられ、ファン2人によるマッチレースの末、当時番組史上最高額での落札となった(453万円 )。
解散後
再結成
2012年
1月6日、東日本大震災 をきっかけに再び集結、復興 支援として、1年間の期間限定で16年ぶりの再結成を発表(実際にはその前年、2011年 からリハーサル は行われていた)。
3月20日、再結成後の初公演は幕張メッセ で開催された東日本大震災復興支援チャリティー コンサート 『ALL THAT LOVE -give & give-』。米米CLUB 、TM NETWORK と共に参加。当日の模様はWOWOW で中継された。
4月6日、公式facebook 開設。
6月27日、2枚組ベスト「THE REBIRTH BEST 〜再会〜」発売。
6月~7月 サッポロ アイスラガー7 CM出演
7月 - 8月バンドとしては初めての夏フェス に出演(全国4ヶ所)。
11月3日 - 24日、ライブツアー「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012 〜再会〜」を、仙台サンプラザホール (11月3日・4日)、日本武道館(11月20日・21日・23日・24日)にて開催。
12月23日・24日、追加公演「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012 〜再会〜 "The Last Princess"」を東京ドーム にて開催。女性バンドとしては史上初の公演だった。また、12月24日の公演はWOWOWで中継された。
12月30日、第54回日本レコード大賞 に出演、特別賞を受賞。
12月31日、第63回NHK紅白歌合戦 に出演(初出場)。
2013年
3月22日、ライブビデオ「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012 〜再会〜 at 武道館」、ライブCD「VERY BEST OF PRINCESS PRINCESS TOUR 2012〜再会〜at 武道館」発売。
3月27日、ドキュメンタリーブック「PRINCESS PRINCESS DIAMONDS」発売。
8月、2012年の活動で復興活動収益金の総額が約5億1,000万円(\509,976,233)になったことを発表。第1次支援先として被災した岩手県 、宮城県 、福島県 に各5,000万円、新潟総合学院(NSG カレッジリーグ)に2,000万円の寄付を発表。
12月25日、ライブビデオ「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012 〜再会〜 “Last Princess” at 東京ドーム」発売。
2014年
1月、第2次支援先として、東北福祉大学 に3,000万円の寄付を発表。
2015年
2016年
3月11日、収益金により建てられたライブハウス「チームスマイル・仙台PIT」完成。
3月11日・12日・13日、仙台PITにてこけら落し 公演「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012-2016 再会 -FOREVER-」を開催。なお、今回の公演は再結成の締めくくりとして行うもので、“再々結成”には当たらないとしている。また、3月11日の公演はWOWOWで中継され、全国映画館にてライブビューイング も開催された。
3月25日・26日、追加公演「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012-2016 再会 -FOREVER- "後夜祭"」をチームスマイル・豊洲PITにて開催。これをもって2012年からの再結成活動を終了した。
ディスコグラフィ
シングル
【#】
【リリース】
【タイトル】
最高位
1st | 1987年 4月22日 | 恋はバランス |
2nd | 1987年7月16日 | 世界でいちばん熱い夏 |
3rd | 1987年11月21日 | MY WILL |
4th | 1988年 2月26日 | 19 GROWING UP-ode to my buddy- |
5th | 1988年5月21日 | GO AWAY BOY | 19位
6th | 1988年10月21日 | GET CRAZY! | 13位
7th | 1989年 4月21日 | Diamonds | 1位
8th | 1989年7月1日 | 世界でいちばん熱い夏
9th | 1990年 4月21日 | OH YEAH!
10th | 1990年11月21日 | ジュリアン
11th | 1991年 5月10日 | KISS
12th | 1991年10月25日 | SEVEN YEARS AFTER | 3位
13th | 1992年 2月5日 | ジャングルプリンセス | 13位
14th | 1992年5月21日 | パイロットになりたくて | 6位
15th | 1992年12月2日 | POWER/REGRET | 7位
16th | 1993年 5月3日 | だからハニー | 6位
17th | 1993年11月10日 | ふたりが終わる時 | 18位
18th | 1994年 5月1日 | THE SUMMER VACATION | 21位
19th | 1995年 2月10日 | Birthday Song | 23位
20th | 1995年10月21日 | Fly Baby Fly | 28位
21st | 1996年 2月1日 | 夏の終わり | 27位
アルバム
#
発売日
【タイトル】
最高位
1st | 1986年 5月21日 | Kissで犯罪 〜キッスでクライム〜 |
2nd | 1987年 5月21日 | TELEPORTATION | 8位
3rd | 1988年 2月26日 | HERE WE ARE
4th | 1988年11月21日 | LET'S GET CRAZY | 2位
5th | 1989年 11月17日 | LOVERS | 1位
6th | 1990年 12月21日 | PRINCESS PRINCESS
7th | 1991年 12月7日 | DOLLS IN ACTION
シングル集 | 1992年 7月15日 | SINGLES 1987-1992
8th | 1993年 1月21日 | BEE-BEEP
9th | 1993年12月22日 | Majestic | 2位
企画集 | 1994年 8月25日 | PRESENTS | 3位
10th | 1995年 12月13日 | The Last Princess | 10位
Best | 1996年 2月1日 | The Greatest Princess | 3位
Boxset | 1996年6月1日 | プリンセス・プリンセス大全集 | 19位
live | 1996年12月1日 | The Last Live | 26位
解散後のリリース
発売日
【タイトル】
【規格番号】
【最高位】
備考
ベスト
1999年1月30日 | STAR BOX | SRCL-4461 | |
2001年12月5日 | STAR BOX EXTRA PRINCESS PRINCESS | MHCL-50 | |
ボックス
2006年3月8日 | 10 Years After 〜PRINCESS PRINCESS Premium Box〜 | SECL-371 | 182位 | オリジナルアルバム10タイトル、武道館ライブDVD 2タイトルのBOXセット。CD, DVD共にデジタルリマスタリング仕様+DVDは新たに5.1chサラウンド化。完全生産限定盤。
ベスト
2006年3月8日 | プリ2 〜PRINCESS PRINCESS BEST OF BEST〜 | SECL-350 | 47位 | 着うた ランキングの上位ベスト14曲を収録した企画アルバム。ジャケットは漫画家のやまだないと による描き下ろし。
ボックス
2006年5月31日 | 21st.〜PRINCESS PRINCESS Single Collection Memorial Box〜 | SECL-391 | | オリジナルシングル21枚を12cmCDにリサイズしたBOXセット。全曲デジタルリマスタリング。完全生産限定盤。
ベスト
2007年7月18日 | PRINCESS PRINCESS プリプリサマソン | SECL-521 | | 「夏の曲」を集めた企画ベストアルバム。
2007年11月21日 | プリプリ・フユソン | SECL-575 (通常盤) | | 「冬の曲」を集めた企画アルバム。
SECL-573 (初回限定盤)
2008年7月2日 | THE PREMIUM BEST | SECL-648 | 40位 | オリジナル音源を使用しニューミックスとマスタリングを施したアルバム。ニューミックスのエンジニアは三上義英。2009年9月2日、Blu-spec CD 仕様(品番: SECL-20008)で再発売。
2009年11月20日 | BEST OF BEST | DQCL-2043 | | 12曲入りのベストアルバム。発売元:Sony Music Direct (Japan) INC/販売元:キープ株式会社
2009年11月20日 | SUPER BEST | DQCL-1185 | | 16曲入りのベストアルバム
再結成後のリリース
発売日
【タイトル】
【備考】
最高位
ベスト
2012年 6月27日 | THE REBIRTH BEST 〜再会〜 | 2枚組、再結成記念。 通常版とDVD付属の2パターンでリリース。 | 5位
ライブ
2013年 3月27日 | VERY BEST OF PRINCESS PRINCESS TOUR 2012〜再会〜at 武道館 | 1枚組、再結成記念盤。全20Pメモリアル写真集封入。2012年 11月23日 に開催された日本武道館 でのライブを収録。 | 36位
映像作品
ビデオクリップ
VIDEO CLIPS PRINCESS PRINCESS ソニーミュージック(1989年 7月21日 )
VIDEO CLIPS2 PRINCESS PRINCESS ソニーミュージック(1991年 3月21日 )
DOLLS IN LAS VEGAS ソニーミュージック(1992年 3月1日 )
VIDEO SINGLES1987-1992 ソニーミュージック(1992年10月21日 )
VIDEO CLIPS3 PRINCESS PRINCESS ソニーミュージック(1994年 2月21日 )
The Platinum Days-1 The Greatest PRINCESS ソニーミュージック(1996年 2月1日 )
The Platinum Days-2 The Greatest PRINCESS ソニーミュージック(1996年6月8日 )
ライブビデオ
PRINCESS PANIC TOUR 〜HERE WE ARE〜 ソニーミュージック(1988年8月1日)
LET'S GET CRAZY Live at 武道館 ソニーミュージック(1989年12月24日)
質実剛健
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2021/03/05 19:11
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